儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

儒学

儒学の「素」に想う (その1)

儒学の「素」〔そ/しろ=白〕に想う 

――― 孔子と“色の弟子”子夏〔しか〕の問答/
  “色”の三(定)義/「素以為絢」・「繪事後素」/
  素〔そ・しろ・す・もと〕=白:white/
  “五色〔ごしき〕”・イッテンの“ペンタード”/白賁〔はくひ〕/
  素行・自得≒安分知足・無為自然/儒学の「素」〔そ/しろ=白〕・【離☲】/
  黄老の「玄」〔げん/くろ=黒〕・【坎☵】/“(善)美なるものは白” ――――


《 §.はじめに 》

最近(2014)スピーチで、
「皆さんには、進路(将来・人生・職業)に対するいろいろな思いがあるでしょう。
―― そこにをつけなければなりません・・・」
という表現を耳にしたことがあります。

また、駅の宣伝大パネルで、某大学の宣伝広告に、
巨大な“カメレオン” 補注1) が虹色に彩色されて描かれ
「キミハナニイロ?」とキャッチコピーが大きく書かれていました。

これらは、色と人生が重ねられて擬〔なぞら〕えられて語られているほんの一例です。
21世紀は“カラーの時代 〔Color Ages〕”ということを改めて感じました。

そもそも色の世界を持つもの(色が見えるもの)は、ホ乳類だけです。
犬の人生(犬生?)や猫の人生(猫生?)は、
白と黒の“グレースケール”の中に表現され擬〔なぞら〕えられるわけです。


ところで、孔子の弟子に子夏〔しか〕という人がいます。
“子貢〔しこう〕”と字面〔じずら〕が似ていて間違えそうですが ・・・ 。

『論語』文学子游子夏(先進・第11)とありますように、
「四科(十哲)」では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」というのは、古典・経学のことです。

姓は卜〔ぼく〕、名は商。子夏は字〔あざな〕です。
孔子より、44歳年少です
謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。

文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長・総長といった感じでしょうか。

曾子が仁を重視する立場(忠恕派)なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派)です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は、まことに大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 

長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったとも伝えられています。

子夏は『論語』でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。

というのは、“色”っぽい(?)弟子・子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』は子夏の言に、
“色”にまつわる記述が多くあるように思われるのです。

私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」)としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子”としての印象なのです。 補)


さて、『論語』の一節に、“絵の事”に擬えて
「素」=“白”について述べられている孔子と子夏の興味深い問答があります。
(八佾・第3−8) 

「素」〔そ/しろ=白〕・【離☲】は、儒学思想の要〔かなめ〕です
私は、“「白と黒」は色の本質であり、「素〔そ〕と玄」は人間の本質であり、
【離☲】と【坎☵】は万物の源 である”
 と考えております

今回は、この問答の一節を“切り口”にして、
「素」=“白”が持つ人間学的・形而上学的な真意・深意にアプローチしてみたいと想います。


補注1) 

易学・『易経』は、変化とその対応の学です。
「易」の字義について、蜥易〔せきえき〕説というものがあります。
それは、「蜴」(とかげ)に因〔ちな〕むとするもので、
トカゲ〔蜥蜴・石竜子〕は変化するからというものです。
私は、この「蜴」を、体表の色を周囲の環境に合わせて
千変万化させる(保護色)“カメレオン”の一種ではないかと想像しています。

補)

“色”の三(定)義を考える(色相・明度・彩度の“三属性・三要素”のことではありません)

(1)“色っぽい”の意。「色」の文字は、元来男女の“からみ”を表した象形文字です。
   この意味は、東洋においてのみです。
(2)“カラー〔色彩(学):Coror/Corour〕”の意。欧米における “色”は、この意味です。
(3)“顔色”の意。「顔(色)が青(白)い」 といったように、顔に出る色のことです。

cf.漢方(中医)と顔色 ⇒ 五行・五色の思想から体系立てられています。

ex.“五色診”後述


《 §1.孔子と子夏の「素」をめぐる問答 》


『論語』 に孔子と子夏の、「素」=“白”をめぐる興味深い問答があります。
まずは、全文を紹介いたしましょう。 

○“子夏問いて曰く、「『巧笑倩〔こうしょう せん〕たり、
美目盼〔びもく はん/へん〕たり、素〔そ〕以て絢〔あや〕を為す。』 ※注) 
とは何の謂いぞや。」 | 
子曰く、「絵事〔かいじ/絵の事〕は、 
A:素より後〔のち〕にす(後る) 」 B:素を後〔のち〕にす。」と。 | 
曰く、「礼は後か」 | 
子曰く、「予〔われ/よ〕を起こすものは、商なり。 (※予を起こすものなり。商や・・・ ) 
始めて与〔とも〕に詩を言うべきのみ。」と。”  

(八佾・第3−8)

  
【 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、以為絢兮、何謂也。| 
子曰、繪事後素。 | 
曰、禮後乎。 | 子曰、起予者商也。
始可與言詩已矣。(※子曰、起予者。商也始可與言詩已矣。) 


《 大 意 》
子夏が、「『にっこり〔莞爾〕と笑うと口元が可愛らしく(エクボが出て愛嬌があり)、
目(元)はパッチリと(黒い瞳が白に対照して)いかにも美しく、
(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、
何とも艶〔あで〕やか』※注) という詩がありますが、
これはどういう意味のことを言っているのでしょうか。」 と質問しました。 |
孔先生がおっしゃるのには、「絵画で言えば、 
A:(の胡粉〔ごふん〕)で地塗りしてその上に彩色するようなものだ。」
B:彩色して一番最後に白色の絵具(胡粉〔ごふん〕)で仕上げるようなものだ。
」 
と。 |
(子夏が質問して言うには) 
A:礼(儀作法)は、まごころ〔忠信〕というベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」 
B:(まごころをもとにして) 礼(儀作法)が人の修養・仕上げにあたるものなのですね
。」 |
孔先生がおっしゃるのには、
「わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれる者は商(子夏の名)だね。
(※わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれたものだね。商よ、お前でこそ、共に ・・・ ) 
商のような(古典を活学できる)人にして、はじめて共に詩を語ることができるというものだね〜。」 と。


《 解 説 》
子夏のこの時の年齢はさだかではありませんが、
(孔子との年齢差を考えるにつけても)おそらく若々しい青年だったでしょう。
純情内気な子夏が、生真面目〔きまじめ〕に(艶〔つや〕っぽいことについての)とぼけた質問をして、
それに対して覚人達人の孔子が ポン とよくわからぬ応〔こた〕えをしています。
その応えに、賢く類推し凛〔りん〕として思考を閃〔ひらめ〕かせています。
禮後乎」とわずか三字で表現したところに“打てば響く”がごとき子夏のシャープな覚りが感じられます。
その賢い弟子に対して「起予者」と三字で応じた孔子も流石〔さすが〕なるものがあります。

―― この問答の深意は、読者のみなさんには、“禅問答”のようで、
トン とよくわからないものでしょう。
このあたりが又、『論語』の得も言われぬ妙味たるゆえんかもしれません。


※注) 
『詩経』の詩について、上2句は衛風・碩人篇にありますが、下1句は見当たりません。
「笑〔え〕まい可愛いや口もとえくぼ、目もと美しぱっちりと、白さで美しさをしあげたよ。」
(金谷治・『論語』 p.56 参照引用)


参考資料

「 人形 〔にんぎょう〕 」      1911(M.44)年 5月 

   文部省唱歌/作詞作曲ともに不詳/ 『尋常小学校唱歌・第一学年用』

1.わたしの人形はよい人形。
  目は ぱっちりと いろじろで、
  小さい口もと 愛らしい。
  わたしの人形はよい人形。

2.わたしの人形はよい人形。
  歌を うたえば ねんねして、
  ひとりでおいても 泣きません。 
  わたしの人形はよい人形。


※1970年代、替え歌 CMソング(関西地区限定)  『モリシゲ人形のうた』

1.わたしの人形は モリシゲで
  お顔がよくて 可愛くて
  五人囃子に 内裏さま
  たのしいみんなの ひな祭り

 ―――  2.3.4.5.

 最後に

  目は ぱっちりと いろじろで
  小さい口もと 愛らしい
  わたしの人形は よい人形。


《 §2.白 white = 素 について 》

「素」“そ”は、それを 「絵事」=色彩 として捉えれば、「素」“しろ”と発音されます。
「黒:Black」に対する「白:White」です。

この色彩としての“白・黒”の概念については、
次の3つの場合を考えることができると思います・・・



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その1)

吹田市立博物館・講演 『 むかしの中国から学ぶ /【全6講】 』

◆講師 : 真儒協会会長 高根 秀人年 (たかね ひでと) 

《 はじめに 》

“縁尋の機妙”をもちまして、さる(‘11)6月、吹田市立博物館にて
むかしの中国から学ぶ』と題して、(土日)連続6回の講演を行いました。

これは、同博物館の「万博市民展 〜 千里から上海へ〜 」
(‘11.4.29〜7.3) のイベントの一つとして企画され,
私が講師として招聘〔しょうへい〕されたものです。


吹田市立博物館


地元近所でもあり、啓蒙活動の一つと思って快くお引き受けいたしました。

6回の講演内容は、中国(東洋)源流思想の本格的・多彩なもので構成いたしました。 ───

第1講 「 孔子 と 論語 」  
第2講 「 易占 と 易学 」 
第3講 「 陰陽相対 」 
第4講 「 五行(中国医学) 」  
第5講 「 英語でABC論語カルタ」  
第6講 「 世界の占い・実践 」
 


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私にとりまして、6回の土日・集中連続講座は、
久々に“力”の振るいがいがありました。

永年培〔つちか〕った知的財産をもとに、教材・資料を編集いたしました。

はりきって、初心者から専門家まで対応できる、
中身の濃い斬新〔ざんしん〕なものに仕上げました。

ところで、吹田市立博物館は、交通の便悪く、
今回の特別展・イベントの知名度も今一つで、
全般的には低調な催し・講座が多かったようです。

が、私の 『むかしの中国から学ぶ』の講座は、例外的な盛況ぶりでした。

通例になく、毎回60〜80名程の方々が集い、熱心に聴講されました。



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受講者は、さまざまな“層”からなっており、
とりわけ人生経験豊富な教養人が多かったようです。

講演会場の博物館大講座室は、広く明るく設備が充実していました。

テープ録音・ビデオ録画・写真撮影なども、
博物館スタッフや市民ボランティアの皆さまのご尽力のもと
至れり尽くせりでした。


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私のほうでも、嬉納〔きな〕・汐満 両先生による講演のお手伝いや、
真儒定例講習受講生の聴講・協力が得られました。

あらためて、皆々さまに感謝御礼申し上げます。

振り返って観ますれば、この博物館・土日集中連続講座は、
私個人にとっても真儒協会にとりましても、
今年一番の善き啓蒙活動になりました。

これら一連の講座教材・レジュメをまとめ、
順を追って広くブログでご紹介してまいりたいと思います。



第1講「孔子と論語」



■講師 : 真儒協会会長/たかね易学研究所学長 高根 秀人年 (たかね ひでと)

《プロフィール》 
 S.29年生。 慶應義塾大学法学部卒 / 経済学修士・法学士・商学士 /
【資格】 文科省1級カラーC.(第1回認定)・ インテリアC.・ 
      教員免許状(社・国・商・書・美)ほか / 
【著書】 『易学事始』・『易経64卦解説奥義』ほか / 
【講演】 みずほ会〔旧第一勧銀ハート会〕(江坂東急イン)・
      第三銀行女子チアリーダーセミナー(三重研修センター)・
      日本易学協会大講演会(東京湯島聖堂)ほか多数



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●吹田市立博物館・講演 『 むかしの中国に学ぶ /【全6講】 』


【第1講】 §.孔子と「論語」  
 
      (‘11.6.4 )

《 開講にあたってのごあいさつ 》

「中国〔チュンクオ〕」(中す国) → わが国と“一衣帯水”/
GDP.世界第2位(2010)/人口約13億(わが国の10倍以上)/ 
5年ほど前に儒学を復活「国教」化/ 
2008.8.8.8 北京奥林匹克〔ペキンオリンピック〕開催・開会式で
『論語』の冒頭をアピール/ 

◎今・・・ 中国の子ども達は熱心に 『 論語 』 を学んでいます。
モノ(経済)のみならず “精神” も充実しつつあります。

一方、わが国の子ども達は、今春から小学校5・6年で英語が必修となりました。
わが国の古き善き “ 精神 〔こころ〕 ” は失われたままです。

美しい日本の “徳” も “ことば” も荒〔すさ〕んでいくばかりです。

「温故而知新」、“オリエンタル・リナシメント”〔東洋精神の再生・復活〕の時です。

そのために、さあ学びましょう!


§.はじめに 

*三聖人の時代 : 
  孔子(中国) / 釈迦(インド) / ソクラテス(ギリシア)  cf.イエス=キリスト/マホメット

*東洋人物類型 : 
  聖人 ── 君子 ── 大人〔たいじん〕 ── 小人 ── 愚人

*四書五経〔ししょごきょう〕:
   『易経』 ・ 『書経(尚書)』 ・ 『詩経』 ・ 『礼記〔らいき〕』 ・ 『春秋〔しゅんじゅう〕』/
  『論語』 ・ 『孟子〔もうじ〕』 ・ 『大学』 ・ 『中庸〔ちゅうよう〕』 ── 
  (朱熹/朱子が 『四書集注〔しっちゅう〕』 を著して四書の経典としての地位は不動)  

  cf.『孝経』=曾子


◆ プロローグ : 序 ── 「諸子百家」 の中の 儒家と道家 (老荘)

 皮肉なこと逆説的なことですが、洋の東西を問わず、
科学技術も学術文化(思想)も戦争によって、
急速かつ飛躍的に創造発展いたします

兵器の開発、富国強兵のためにです。

古代中国において、なんと 500年 以上にわたり戦乱の時代が続きます。
(BC.770 春秋時代 〜 BC.403 戦国時代 〜 BC.221 秦による全国統一)

この間、“百家繚乱〔りょうらん〕”・“百家争鳴”などという言葉があるように、
多くの学術文化が華やかに花開きました。── 諸子百家」と総称いたします。

 さて、世界の“3 〔4〕 大聖人”の一人、孔子(BC.551〔552〕〜BC.479)が
中国に生まれたのはそんな戦乱の時代、春秋時代の終わりごろです。

インドでは、シャカ族の王子、ゴータマ・シッダールタ
〔Gautama Siddhartha  BC.463〜BC.383?/BC.563〜BC.483?〕が、
苦行・修養の後、大悟しブッダ (仏陀 Buddha: 覚者)となり
仏教の教えを説き始めた頃です。

仏教は、やがて中国に伝わり花開き、
朝鮮・日本・・・とアジア全域に決定的な影響を与えていくことになります。

西洋は、と目を向けてみますと。
ローマ帝国による、地中海世界統一よりはるか昔のころ。

古代ギリシアのポリス〔都市国家〕がおこり、
アテネを中心に古代民主制が華やかに盛期を迎え(BC.5世紀頃)ていました。

ここに、古代ギリシア哲学(= ヨーロッパ学術)の祖 
ソクラテス〔Sokrates  BC.469頃〜BC.399〕が歴史の舞台に登場します。

「ソクラテスより賢い者はいない」との信託をうけ、
自らは己の無知を自覚し(無知の知)哲学の出発点としました。

「善〔よ〕く生きること」を追求します。

“問答法〔ディアレクティケー〕”により語り、誤解され民衆裁判で死刑になります。

が、その思想哲学は弟子のプラトン〔Platon〕 → アリストテレス〔Aristoteles〕 へと受け継がれ、
ギリシア哲学として発展大成し、西洋思想の礎となっていきます。

なお、ちなみに、「日の出づる処の国」わが国は、
まだ“倭〔わ〕”の国とも呼ばれず、邪馬台国よりはるか大昔、縄文の原始時代です。

以上 3人の聖人が、あたかも何らかの意思が働いたかのように、
時をほぼ同じくして世界史上に登場します。

そして、500年ほど遅れて、紀元の頃、
イエス・キリスト〔Jesus Christ  BC.4頃〜AD.30頃 〕 が誕生し、
(ユダヤ教に対して)世界宗教キリスト教の開祖となります。── 4大聖人です。


では、中国・「諸子百家」に再び目を戻しましょう。

群雄割拠も7大国に淘汰されます(戦国の七雄)。
「秦」 は、法家思想を取り入れ富国強兵策を推し進め、
強力な軍事国家を創り上げます。

そして、政(後の始皇帝)が中国統一の偉業を達成します。

しかし、信じ難いことですが、この法家思想にもとづく秦は、
わずか15年ほどで崩壊します。

法家思想の源は儒家思想といえますが、
孔子は、平たく今時〔いま〕の言葉でいえば、
(あくまで当時は)“負け組”だったのです。

後の漢代(武帝)に、国教(国の教え)となります。

儒学は、本質的に、平和・安泰の時代の思想だと思います。

そして、ここに聖人孔子と並称しても良いような哲人がいます
(もし、実在するならですが)。

老子です。

老子は人物を特定することも、実際いたのかどうかも分かりません。
が、少なくとも、『老子』 という本を著わし道家思想を唱えた人(人々?)がいたことは事実です。

老子を祖とする道家思想(老荘思想)は、
以後、儒学と並ぶ中国(東洋) 2大潮流を形成していくこととなります。

「諸子百家」の思想・教えが、その時代背景からして
実践的・実学的であったのに対して、
道家思想(老荘思想)は、宇宙論(形而上学)を持つ唯一優れた特異なもの、
哲学的に最も優れた思想であった、と私は感じています。

私は、「諸子百家」の幾数多〔いくあまた〕の哲人・学派の中で、
その後世・歴史への影響力という点で、
“ 孔子・儒家 ” と “ 老子・道家 ” が双璧といっても良いと思うのです。



【 諸子百家(百家争鳴)】

戦争の時代に科学・学術文化は、大きく発展します。
古代中国、春秋戦国時代(BC.770〜BC.221)に、
政治・経済・社会・文化あらゆる分野から
思想家・学派が「百花繚乱 〔りょうらん〕」のごとくに現れました。

これを諸子百家」〔しょしひゃっか:子は先生、家は学派の意〕と総称します。

華やかに競い合うさまを「百家争鳴」ともいいます。
戦乱の世にあって“ 離 〔り〕 = 文飾 ” の時代のエポック〔画期〕となりました。

諸子百家は、『漢書〔かんじょ〕』・芸文志〔げいもんし〕によれば、
儒家・道家・墨家・兵家・陰陽家・縦横家・名家・農家・雑家・小説家の
十家に分類されています。

小説家を除いて 九流とし、それに法家を加えて 十流としています。

この中で、後世、現代に到るまで多大な影響を与え続け、
東洋源流思想の2大潮流を形成するのが、儒家 と 道家 です。


◎【儒家】: 

 周王朝初期の社会を理想、当時は用いられないが
 後(漢代〜)中国の国教・正統的思想となります

 *孔子・『論語』・、── 曽子・『孝経』、── 子思・『中庸』 

 *孟子・『孟子〔もうじ〕』・仁義・性善説、 *荀子・『荀子』・性悪説 

 ( 後世の展開 ・・・→ 朱子≪朱子学≫、 王 陽明≪陽明学≫ )


◎【道家】: 

 “ 老荘思想 ” ・ “ 黄老の学 ” として広まった。
 儒家と対峙〔たいじ〕、対極にあるともされています。
 宇宙の原理である「道」、「無為自然

 *老子・『老子』(『老子道徳経』); 
   「有」と「無」と「道」/「無為にしてなさざるなし」/
   「小国寡民」/「柔弱謙下〔じゅうじゃくけんか〕」/道(上篇)と徳(下篇)

 *荘子・『荘子〔そうじ〕』; 
   「無用の用」/「逍遥遊〔しょうようゆう〕」/ 
   「包丁〔ほうてい〕」/「朝三暮四」/「渾沌〔こんとん〕の死」/
   「蝴蝶〔こちょう〕の夢」/「井の中の蛙〔かわず〕」/
   「邯鄲の歩 (ものまね)」/「泥の中の亀」/
   「蝸牛〔かぎゅう〕角上の争い」/「万物斉同」

 *列子・『列子』; 
   「杞憂〔きゆう〕」/「愚公、山を移す」/「知音〔ちいん〕」(友人知己)


◎【墨家】: 

 兼愛 ・ 博愛 (無差別愛) と 倹約 を説く、
 「非攻」(自衛のための戦闘的集団の結成)、「墨守」、 
 戦国期に儒家と双璧をなしましたが秦の統一とともに消えていきます

 *墨子を開祖とする、*告子


◎【法家】: 

 礼や道徳ではなく、君主の法や刑罰によって国を統治しようとする
 君主権の絶対と官僚制度の確立を説く、「信賞必罰」
 (古くは管仲〔かんちゅう〕に始まり晏嬰〔あんえい〕・)
 商鞅〔しょうおう〕・李斯〔りし〕 ・・・→ 秦に登用され秦による天下統一に寄与

 *韓非・『韓非子』; 
   「濫吹〔らんすい〕」(実力がないのにその位にいることのたとえ)/
   「宋襄〔そうじょう〕の仁」(行きすぎた親切心)/
   「矛〔ほこ〕と盾〔たて〕」(矛盾:つじつまが合わないこと) /
   「守株〔しゅしゅ・くいぜを守る〕」(待ちぼうけ)


◎【兵家】: 

 兵法(用兵・戦略)を研究、孫子〔孫武/そんぶ〕、呉子〔呉起/ごき〕

 *孫武の『孫子』 ・・・ 
   「彼を知り、己を知れば百戦殆〔あやう〕からず」、
   「百戦百勝は善の善なるものにあらず」  →  戦わずして勝つ、 
   「常山の蛇」、 “風林火山”  → 「その疾〔はや/と〕きことの如く、
   その徐〔しず〕かなることの如く、侵掠〔しんりゃく〕することの如く、
   動かざることの如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆〔らいてい〕の如し。」
   (cf.武田信玄の旗印)


◎【陰陽家】:

 陰陽五行説(「陰陽」は光と影)・木火土金〔ごん〕水、

 *鄒衍〔すうえん〕   cf.西洋「四元素説」


◎【縦横家】: 

 外交術、 *蘇秦の「合従〔がっしょう/縦〕」策 と *張儀の「連衡〔れんこう/横〕」策


◎【名家】: 論理学・詭弁、 *公孫龍・「白馬非馬論」、*恵施(子)


◎【農家】: 重農主義、神農を本尊とする、*許行〔きょこう〕


◎【雑家】: その他学派


◎【小説家】: つまらぬ小話を説く、思想希薄 



(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)


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特別講演 「儒学・五行(風水)思想からみたアジア(中・朝・日)の交流」

特別講演(2008年9月)












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 定例講習受講生からの招聘〔しょうへい〕を受けて、
京都・四条河原町の至便の地で、特別講演を行いました。

 受講希望者に、韓国語を学んでいたり
韓国・朝鮮の文化に関心を持っている人が多いとのことだったので、
アジア(中・朝・日)の文化交流を儒学・五行(風水)思想の視点から概説いたしました。

韓国の国旗(大極旗/テグキ)が、易の大極と四象〔ししょう〕を示しているように、
儒学(=易学)と韓国の係わりは、現在に至るまで深いものがあります。

 PM.1:30〜開始。 1部:講演、 2部:講演と実演 の構成で、
約3時間余り講じました。

アシスタントとして、易学鑑定士・嬉納禄子〔きなさちこ〕先生、
カラーアナリスト・汐満未佐子先生を伴いました。

2部の実演で、嬉納先生には五行思想(九星気学)に基づく
自分のイメージカラー、ラッキーカラーを確かめてもらいました。

汐満先生には(米流)パーソナルカラー理論に基づく診断実演をお願いいたしました。

また、終了後、希望者には個人的にP.カラー診断を実施いたしました。

 斬新〔ざんしん〕なテーマと豊富・多彩な内容で、
アジア3国の交流を分かり易くポイント解説していると好評を博しました。
講師として、嬉しく思っております。

 

※ 配布資料の一部として用いました“儒学年表”は、
  完成した形で真儒協会HP.( 文字検索“儒学に学ぶ”、儒学の歴史・あらまし )
  でご覧になれます。

http://jugaku.net/jugaku/history.htm

これは、中・韓・日 の3つの国の年表を並置したオリジナル年表です。 

3国の交流のプロセスや“儒学(朱子学)文化圏”が形成されたとの 私の考えが、
年表の上で視覚的に確かめられます。

 “儒学年表”で、チャングム(実在の医女)の時代 【16世紀初の「李朝」・(中国 明王朝・我国 室町)】 や、太王四神記の時代 【「高句麗」・(中国 南北朝分裂時代・ 朝鮮半島に「百済」・我国「倭」=大和王権】 を確かめておきましょう。

※ 講演終了後、アンケートによる感想を頂戴いたしました。 
  2・3 付記しておきます。

・ 「とても詳しい資料と とても良い声で、知らなかったことを沢山聞くことができました。
  とてもわかりやすかったです。/聖徳太子や大王四神記、チャングムの誓いなど・・・
  身近な話題も多くて楽しかったです。」

・ 「とても高度なお話しでしたが、テレビ番組など、
  親しみやすいお話しを入れて頂いたので、分かりやすく・・・、
  貴重なお話しをありがとうございました。」

・ 「全く儒学の事をしりませんでしたが、大変興味深く聞かせて頂き楽しかったです。 
  ―――― 息子と話す、楽しみの1つが出来ました。
  先生のお話は最高でした!!」

     − − − − − − − − − − − − − − −



 「 儒学・五行(風水)思想からみたアジア〔中国・朝鮮・日本〕の交流 」 レジュメ

                           真儒協会会長 : 高根 秀人年

 「北京奥林匹克〔オリンピック〕」が開催され(2008.8.8)、世界諸国が集い、
中国が文化で彩(いろど)られています。

かって“文化大革命”(30年余り前)で、強力に弾圧されたことが信じられない程に、
儒学(孔子・『論語』や風水)思想が復活再生〔ルネサンス〕されつつあります。

 さて、かつてアジアは、すぐれた文化圏として親密に結ばれていた時代が
幾たびかありました。
それは、例えば、中国を父母とし朝鮮・日本を兄弟姉妹とするようなものでした。

日の出づる処〔アズー :ASU〕 = アジア〔ASIA〕”を構成する
中国(地域)、朝鮮(半島)、日本(列島)の交流のあらましを
儒学・五行(易学、風水)思想の視点から、概説してまいりましょう。


§.1 部 : アジア(中・朝・日)の文化交流のあらまし

                      ( cf.真儒協会 HP. “儒学年表” )

 “日の出づる処”アジアが 文化的に交流し、結び付けられたのは、
文字(=漢字)と儒学(の思想)によるところが大でありました。

 まず、文字の日本伝来

文字を持たない我国に、応神天皇16年 (西暦285年?、405年?)、
朝鮮(百済:くだら)の博士 王仁〔ワニ〕が、『論語』10巻と 
『千字文〔せんじもん〕』 1巻をもたらしました。

やがて日本は、中国の漢字を日本的に変容させて
( ex.漢文訓読、かな文字の発案など)受容・吸収いたしました。

 次に、儒学文化圏の形成
文字の伝来・受容は同時に儒学の伝来・受容でもありました。

その儒学は、永きにわたって我国の政経・社会・文化の“いしずえ”となり、
美しい日本人の精神 = こころを形成してまいりました。

聖徳太子は、(日本史に登場する)その最初の儒学的教養人指導者で
あったともいえましょう。

儒学による大文化圏の形成は、日本の遣(隋)唐使節の時代〔大唐文化圏〕に続き、
徳川幕府が、“朱子学(しゅしがく :朱子によって大成された新儒学)”を
官学(正学)として採用した時代に実現
いたすます。

日本(江戸幕府)と朝鮮(李氏)との間では、“朝鮮通信使”の交流がありました。 
ーー アジアにとって、平和で文化の繁栄した時代でした。

 そして、儒学(易学)思想を中心的に形成する源流思想である 
陰陽五行思想”を紹介いたしました。

四神相応〔ししんそうおう〕や風水〔ふうすい〕として、人々によく知られているものです。

日本の例として、キトラ古墳や高松塚古墳の壁画、
「京都」や「江戸(とうきょう)」の風水思想による都づくり、街づくりを紹介いたしました。

朝鮮の例として、(韓国ドラマの)‘太王四神記’や
‘チャングムの誓い’(漢方・中医学・易)を紹介いたしました。

 結びとして、アジアの現状と展望。

第2 WAR後、儒学とその思想が、伝統文化なるがゆえに、共産化・“文化大革命”(中共)、
“大東亜戦争敗戦”・米による占領政策(日本)によって弾圧・忘却させられました。

私は、儒学交流年表で それぞれ“暗黒時代”と“蒙の時代”と表現してみました。

朝鮮は南北に分断され、北は共産国となっています。

いま、“古き良きもの”・“不易なるもの”として、それらが見直され 再生されようとしています。


§.2 部 : 五行(風水)思想と色 【講演と実演】

 21世紀は、“色の時代 : Color Ages ”とも呼ばれています。
また、国際化の時代でもあります。

儒学・五行思想の身近な具体例として、“色”に視点を絞って
アジアの交流のあらましと、(欧)米との交流の現状を提示してみましょう。

 まず、東洋における“色”の思想は、陰陽五行思想にもとずくものです。
五色(ごしき)・禁色(きんじき)・位階色(いかいしょく、服色制度)、
風水や四神相応のなかの色がそれです。


○ 自分の色 A (東洋流) : 第1カラー、第2カラー
   五行思想にもとずく、自分のイメージカラー・ラッキーカラーを
   伝統的「九星気学」で確かめました。 (万年暦使用)
       ※ アシスタント : 認定鑑定士・嬉納 禄子(きなさちこ)先生

○ 自分の色 B (欧米流) : 第1カラー、第2カラー
   次に(欧)米における“色”の研究と現状を紹介しました。
   もっぱら米で発展した色彩学、色彩心理学、パーソナルカラー〔自分色〕の理論です。
   《 パーソナルカラーの理論紹介とモデルによる診断実演 》
   ※ 担当アシスタント : カラーアナリスト・汐満 美佐子(しおみつみさこ)先生

○ 国際化の時代における(欧)米と東洋の交流
   国際化の時代を迎え、(欧)米と東洋とがグローバルに交流してまいりました。
   その交流の中で、アジア的(日本的)なものを創っていくことが必要です。

 今回 例示いたしましたパーソナルカラーは、ブルーベースとイエローベースに2分し、
更にそれぞれ2分してフォーシーズンに類型立てるものです。

これを東洋の“陰陽の思想=易学の思想”によって捉え直すことができます。

また、色彩の原理論に関しても、“東洋の五色〔ごしき=正色 :赤・青・黄・白・黒〕の思想” と
イッテンのペンタードとの同一性が指摘できます。

※ 【たかねデザイン研究所・色彩研究所の研究試論による】



■ おわりにかえて

 以上、儒学を中心とするアジアの交流のあらましと、
各論として色文化の現状を見てまいりました。

かつて、アジアを結び付けた文字・儒学・(宗教では仏教)の流れは、
中国 → 朝鮮 → 日本 というものでした。

 現在、国際交流の時代を迎え、欧米とアジアという視点から考えていかなければなりません。
アジアも、中国は政治的に共産化、朝鮮は南北に分断(北は共産化)、
日本は(占領後)アメリカ化し個々混沌としてまいりました。

例えば、色文化の流れみても、
1つには、 (欧)米 → 韓国 → 中国 が考えられます。
が、日本を経由せずに直接 米 → 韓国 、
さらに(米中関係の変化から) 米 → 中国 も考えられます。


 『論語』に、古くていつも新しい“温故知新”という言葉があります。

アジアが、新しい時代の要素を加えて良く交流し、
儒学に代表される優れた文化で再生〔儒学ルネサンス=オリエンタル・リナシメント〕すること。

そして、我国の持つ“陶鋳力〔とうちゅうりょく :優れた受容吸収能力〕”が発揮され、
日本的ルネサンスが実現することを望んでやみません。
 

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「咸臨丸」 と 『蹇蹇録』


「咸臨丸」 と 『蹇蹇録』

――― 「咸 [かん] 」 ・ 「臨」 ・ 「賁 [ひ] 」 ・ 「蹇 [けん] 」 卦、条約改正

1853年6月3日、ペリー提督率いるアメリカ艦隊(黒船・軍艦4隻)が浦賀沖に来航。
翌年1月再来し(軍艦7隻)、日米和親条約が締結されました。

今年2009年は、その時から156年を数えるわけです。

1月には、“Change [変革] ” をとなえてオバマ新アメリカ大統領が就任いたしました。
昨年8月には北京オリンピックが開催され、中国も世界の舞台に躍進してまいりました。
対米関係を見すえてゆく大きな節目の時機ではないでしょうか。

1858年6月、日米修好通商条約を締結。
関税自主権なく、治外法権(領事裁判権)を認めた不平等条約でした。

1860年、この条約の批准 [ひじゅん] 書交換のための遣米使節に随行し、
太平洋横断に成功した幕府海軍の木造軍艦が 「咸臨丸 [かんりんまる] 」、
その艦長が勝海舟 (義邦:よしくに、海舟は号)です。

幕臣勝海舟は、当時、世界的視野を持って、大変化によく 「革 [かく] 」
(「沢火革」:故 [ふる] きを去って革 [あらた] める) を持って対応した傑材です。

後年(明治元、1868・3・14)官軍の江戸総攻撃に際し、西郷隆盛と会見し
江戸城無血開城を実現して、江戸を戦火から救うことになります。

なお、広く周知の坂本龍馬は彼の弟子にあたります。

龍馬が勝を斬ろうとして訪問し、その人物に魅了されて弟子入りしたいきさつは、
二人の人物像をよく示しているエピソードです。

さて、「咸臨丸」 の名は 『易経』 の 「沢山咸 [たくさんかん] 」 と
「地沢臨 [ちたくりん] 」の卦に由来しています。

「咸」 は“心”をつけて “感”とするとよくわかると思います。

感応(一瞬にして心が通うこと)のあらゆる作用を意味します。

『易経』 上経は、「乾 [けん] 」 ・ 「坤 [こん] 」 に始まり、
下経は 「咸」 と 「恒 [こう] 」に始まります。

象 [しょう、かたち] でみると、“沢” = 若い女性 と “山” = 若い男性、
男女の相思相愛です。

「咸」卦は、上経の 「水雷屯 [すいらいちゅん:創造、生みの苦しみ] 」 に相当します。

即ち、「むすび [産霊] 」 ・ 生み出すの意味です。

乾・坤の2卦が天地万物をつくるのと同じように、
咸・恒の2卦から人生全般のものごとが生まれ、発展してゆくのです。

また、互卦 [ごか=卦に含まれている意味] は、
「天風コウ [てんぷうこう:思わぬめぐり合い] 」 です。

実際、これより歴史の舞台上で 「速 [すみ] やかに」 (雑卦伝)
欧米文明との出合いが進展してゆくことになるのです。

他方、「臨」卦は、のぞみ見る、希望に燃えたスタート、対外活動力の卦。
すすむ ・ 発展 ・ 光明をあらわす 「大なるもの」 (序卦伝)なのです。

この 「臨」 は非常な尊敬の言葉であって、「臨席」 ・ 「光臨」 の熟語が出来ています。
その人が席に臨 [のぞ] むことで、回りが感化され厳粛なものとなることです。

ですから、臨席はお願いするもので、「私が臨席いたします」 はおかしい使い方です。

そして、更に席をめでたく偉大にする臨席が 「賁臨 [ひりん] 」です。

「賁」 は「山火賁 [さんかひ:あや、かざる] 」 からきており、
“文化の原則” は知識教養で身をかざることの意の卦です。

「ご賁臨を仰ぎます」 ――― そう言われるような人間になりたいものです。

「臨機応変 (危機に臨み変化に応ず) 」 の言葉は、時と場合によって適切に対応することです。

儒学 (=易学) の本質は “変化の思想” です。

“臨変応機 (変化に臨んで機知に応ず) ” もまた大切といえましょう。

ちなみに、「臨」卦の 「民を容 [い] れ保 [やす] んずること強 [かぎ] りなし」 (大象伝)から、
新撰組のスポンサーの若き会津藩主・京都守護職、松平容保 [かたもり] の名がつけられています。

また、象をみてみると 「臨」卦は、水辺より陸を臨む象であり、少女が母に随 [したが] う象です。

そして 「咸」 は、若い男性 (艮 [ごん] の象でしたが、「臨」 も大卦 [たいか] をみると
大震 [だいしん] の象で 「若い木」 の意味が読みとれます。
――― 咸臨丸の甲板には、明治維新の時代を築くニューリーダー達の若き姿があったのです。

即ち、後の明治の元勲初代総理大臣・伊藤博文 [ひろぶみ] (旧千円札中の人)、
『学問のすすめ』 を著し慶應義塾大学を創始する福澤諭吉 (現1万円札中の人)、
条約改正と 「鹿鳴館」 欧化主義政策に尽力する外相・井上馨 [かおる] 達です。

結びに、条約改正の視点から述べましょう。

この不平等条約を対等の関係に改正するために、これ以後涙ぐましい努力がなされます。

歴代外相 (寺島 ・ 井上 ・ 大隈 ・ 青木) ことごとく失敗、
陸奥宗光 [むつむねみつ] 外相に至って漸 [ようや] く部分改正を実現します。

現今、日本語の教養が軽薄となり 「蹇」 の読める人も、ましてや意味のわかる人もいなくなってまいりました。

『蹇蹇録 [けんけんろく] 』 は、陸奥宗光が後年著したものです。
日清戦争や三国干渉、条約改正交渉などを回顧した貴重な史料です。

「水山蹇 [すいざんけん] 」 は、3難卦の一つで、寒さに足が凍えて進めない・足止めストップの卦です。

蹇蹇は 「難 [むずかし・くるしむ] 」 (序・雑卦伝) と同時に忠義を尽くすさまでもあります。
一個人のためではなく、人のため国家社会のための献身尽力です。

即ち、「蹇」 卦の2爻 [こう] に 「躬 [み] 」 の故 [こと] に匪 [あ] らず」 と。
「蹇蹇匪躬 [けんけんひきゅう] 」 の語は、ここから出ています。

そして、条約改正は、小村寿太郎外相による、日露戦争 (今年は104年目) 勝利を背景とした交渉により
完全成功します。 (1911)

修好通商条約締結から実に53年目のことでした。


                                       高根 秀人年


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平成21年度 「真儒の集い」 (2009年4月26日)

平成21年度 「真儒の集い」











“平成21年度・真儒の集い” が4月26日(日)、PM.1:30〜 、たかつガーデン(大阪府教育会館)で行われました。

定例講習などの受講生に加えて、ホームページの案内で知って、近畿圏より 3名、千葉県より 1名のうれしい飛び込み参加がありました。

当日の 司会進行は、スタッフの 汐満 未佐子 先生が担当されました。

平成21年度 真儒の集い



■ 1 部 : 特別講演   ※(講演レジュメは次の記事をご覧下さい。)

○ 真儒協会副会長・認定易学鑑定士の 嬉納 禄子〔きな さちこ〕先生による
講演が、約 90分余り行われました。 

   講演テーマは、 「 儒学 と 私 ―― 師と『易経事始』との出合い ―― 」。

平成21年度 真儒の集い 特別講演


綿密・豊富にまとめられた資料が配布されました。約 20年に及ぶ 師 (高根秀人年氏)と儒学(=易学)との出合いについて、資料に沿って丁寧な口調で語られました。

縁尋機妙〔えんじんきみょう〕”を、「はじめに」と「おわりに」のキーワードにされました。

特に、正・反・合 の三角形の連鎖で図示される 弁証法 = 易学の中論 による、ご自分の半生の変化(進歩・発展)のまとめは、斬新〔ざんしん〕なもので非常に参考になるものでした。


○ 途中、“パーソナルカラー”については、カラーアナリスト・汐満 未佐子先生による、カラー診断 実演もあり聴講者の関心を得ました。

平成21年度 真儒の集い カラー診断


○ 講師の紹介・謝辞は、高根 秀人年会長が述べられました。

平成21年度 真儒の集い



■ 2 部 : 式 と お茶の会

○ 会長あいさつ : 今年の集いは、来賓招待などを省き、特別講演を中心に、平常の受講生とスタッフのみで行いました。
今年度の活動方向性は、易卦の「坤為地」や「水雷屯」を踏まえたものです。
今春のホームページ・ブログの開設と 今後の内容充実について。 など。

○ 表彰 : 嬉納・汐満 両先生と 6名の受講生に、高根会長から 「牛」の絵と「書」の手製色紙&書籍が贈られました。

○ 立筮〔りつぜ〕デモンストレーシヨン : 高根会長による、愛用の黒塗り筮竹(尺五)を用いて 略筮法の実演・解説が行われました。

○ お茶会 :たくさんの差し入れのお菓子も加え、サンドイッチとお菓子で歓談のひと時を過ごしました。
その間を利用して、希望者に 汐満先生による P.カラー診断が行われました。
おみやげに、シーズンカラー スウオッチ(色布片)が渡されました。


□ 以上、ささやかな集いでしたが、易の「離」にふさわしい文化的に豊かなものでした。初めて参加された方々にも、満足して頂けたのではないかと思っています。



補足 ・ 蛇足!

 ☆“真儒の集い”の終了後、教師スタッフと有志で近くの“カラオケ”に行きました。音霊〔おとだま〕を楽しむ、芸達者たちの歌の集い?です。高根会長は 7ヶ国語で、嬉納副会長は 3カ国語で歌いました。
曲目のあらましをご披露しますので、その華やかさをご想像ください。

(イタリア語) フィガロの結婚から・もう飛ぶまいぞこの蝶々、すみれ〔ビオレッテ〕、君と旅立とう〔タイム・トゥ・セイ・グッバイ〕、 オー・ソレ・ミオ

(ドイツ語) シューベルト・ます  

(英語) オール・オブ・ミー、アメイジンググレイス

(フランス語) カルメン   

(韓国語) チェビッコ〔スミレ〕、黄色いシャツ、サランヘ   

(中国語) 夜来香〔イエライシャン〕、テレサ・テンの空港〔チンレン ダ クァンホアイ〕、月亮代表我的心〔ユエリィアン タイピィアオ ウオ ダ シン〕、盛夏的果実〔ショォンシア ダ クオシ〕

(日本語) スウィートメモリー、 赤いスイトピー、 夏は来ぬ、 リンゴの唄

 

特別講演のレジュメは、次の記事をご覧下さい。  



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3月14日に想う

 “3月14日”。
巷間 [ちまた] では ホワイトデーと称して、2月14日のセント・バレンタインデーのお返しの品を送る日となっています。平和にして、商魂たくましい限りです。


 私が、ここで思い想うのは、それではなく 1868年の3月14日のことです。
何の日かご存じでしょうか?

戊辰 [ぼしん] 戦争の中、官軍参謀 西郷 南州 [なんしゅう] (隆盛・たかもり)と、幕府代表 勝 海舟 [かいしゅう] (義邦・よしくに)の会談によって、江戸城の無血開城が実現した日です。

翌15日には、官軍 江戸総攻撃の手はずとなっていました。
一大決戦となれば、江戸は火の海となり多くの死傷者が出たでしょう。

以後の日本史は“明治維新”と称されるような優れた変革が実現したかどうか疑問です。


 世界史に誇れる“維新”が実現したのは、西郷と勝という2大巨星の人物によるところが大であったと思われます。共に極貧の中に学び、自らを高めて文武に秀でました。

この敵対する2人の英傑のリーダー像を考えてみましょう。

西郷は徳が才に勝った人です。
主君、島津 斉彬 [なりあきら] 公が評しているように、君子(仁者)であり“情の人”でした。

一方 勝は、才が徳に勝った人であったといえましょう。


 そうした、陰・陽タイプの差はあるものの、両者は共に大儒学者・佐藤 一斎 [いっさい] の教えに学ぶ者であったのです。

佐藤 一斎は、かつて小泉元首相が訪中の時に、
「春風を以って人に接し、秋霜を以って自ら粛 [つつし] む」 との言葉を書いたことでも、
ご存じの方も多いと思います。

西郷は、一般には そのカリスマ性ばかりが印象強いようですが、儒学的教養人でもありました。
佐藤 一斎の『言志四録』四冊から101カ条をピックアップして常時愛読していました。

勝も 佐藤 一斎の弟子 佐久間 象山 [しょうざん] に学んでおりますから、孫弟子とも言えましょう。

共通の師を持つ儒学的教養人の2人が進歩的(進化的)役割を果たして“維新”を実現したとも言えましょう。


 立場は敵同士でも 「一」 [いつ] なるものを持って、お互いに良く理解・尊敬し合っていたと思われます。

西郷は、明治政府樹立後、西南戦争で賊軍の汚名を着せられ死にます。

後年、勝は、西郷の名誉回復に力を尽くし、「西郷隆盛 留魂碑」に西郷を讃える詩文を書きます。

「――――― 府下(=江戸)百万の生霊をして 塗炭 [とたん] に陥 [おちい] らしめず 
ああ君よく我を知り 而 [しこう] して君を知る 亦 [また] 我に若 [し] くは莫 [な] し  
                         明治12年6月   勝 海舟」

 

 ところで西郷は、大久保 利通 [としみち] ・木戸 孝允 [たかよし] と共に
“明治維新の三傑” と呼ばれます。

幕府側にも“幕末の三舟 [さんしゅう] ”と呼ばれる大人 [たいじん] がいます。
勝 海舟 ・ 山岡 鉄舟 [てっしゅう]  ・ 高橋 泥舟 [でいしゅう] の三人がそれです。


 勝 海舟は、かつて木造軍艦「咸臨丸 [かんりんまる] 」で 初めて太平洋横断に成功(1860)もし、明治政府では参議 兼 海軍卿、枢密顧問官 等の要職で活躍します。

 
山岡 鉄舟は、勝――西郷 会談の実現にも裏面で大きな役割を示します。
NHKの大河ドラマ“篤姫”(‘08)にあったように、篤姫の尽力もあったかも知れませんが、山岡 鉄舟の会談実現のための直接的働きかけは歴史的事実として大なるものがありました。 
“維新”の後は、明治天皇の教育係に力を尽くします。


 さて、この両 “舟” の名声に対して、高橋 泥舟の名はご存じでない方も多いのではないでしょうか。

故 安岡 正篤 [まさひろ] 先生が、高橋 泥舟を歴史の陰に隠れた立派な武士道を生きた人物として、正しく評価して紹介されています。 ( 『日本精神の研究』 ・国士の風 3 参照 )


 泥舟は、鉄舟の師であり同時に義兄弟(泥舟の妹の夫が鉄舟)です。
慶喜 [よしのぶ] 公を恭順させ、江戸城無血開城を実現し、幕末の日本を危機から救ったのを 勝 海舟 一人の功績のように、一般でも学校教育でも扱われています。

しかし、功績の第一人者は泥舟といわねばなりません。
勝 海舟は閉居中で家に留まっている立場でした。

泥舟は最後まで慶喜公に従い、そのゆく末を見届けると、あえて要職につくことなく、きっぱりと引退・隠遁 [いんとん] いたします。

「泥舟」・“どろふね”という号 [ごう] がその高潔を良く示しています。
( 「かちかち山」の狸の話から、世に出てもすぐに沈んでしまうの意)


 易卦に 「水沢節 [すいたくせつ] 」というのがあります。
節義・節操なく、出処進退のだらしない現代。 この泥舟の生き方には敬意学ぶ所、大ではないでしょうか。

安岡先生は「無名で有力であれ」と言っておられました。
真のリーダー [指導者] は、歴史の陽の目をみる人ばかりでなく 陰に隠れた人の中にもあるのではないでしょうか。

 

 この泥舟の生き方とは対照的に、幕臣であったにもかかわらず、明治政府に仕え要職を得た者も多くいました。

その代表・典型である勝 海舟と 榎本 武揚 [えのもと たけあき] に対し、福沢 諭吉は、明治政府になったら表舞台から引っ込むべきではないかと その進退を問います。 
(後年、『痩我慢 [やせがまん] の説』を出版)

勝 一人のみ答えていうには、「行蔵 [こうぞう] は我に存す」と。

自分の行動や考え方は自分自身が知っているとの意です。勝の弟子となった坂本 竜馬も同じように言っていました。

勝には勝の信念があってのことだったのでしょう。

 

 「行蔵」とは出処進退のことです。

「出」では、PTAの役員・委員のなり手にも困る現状。
「退」では、政・官・財界を問わず各界で責任をとらず、見苦しい辞任劇を演じている現今。

易卦に「天山遯 [てんざんとん] 」があり「時と興 [とも] に行うなり」と書かれています。

出処進退、とりわけ退くことが人間の価値を決める大切なことではないでしょうか?


 また、国家社会の“リーダー”というものを考えてみますと、歴史の陽(目立つ)部分にのみいるのではないということを心せねばなりません。

そして陽にしろ陰にしろ、現在の日本に真のリーダーがどれほどいるのでしょうか?

“たそがれ”の幕府側にも“三舟”をはじめ大人が多くいました。
倒幕側には次代の人材がきら星の如くいました。

今の日本の政府与党、そして野党にも 才徳の大人は一体どれほどいるのでしょうか?


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