儒学の「素」〔そ/しろ=白〕に想う
――― 孔子と“色の弟子”子夏〔しか〕の問答/
“色”の三(定)義/「素以為絢」・「繪事後素」/
素〔そ・しろ・す・もと〕=白:white/
“五色〔ごしき〕”・イッテンの“ペンタード”/白賁〔はくひ〕/
素行・自得≒安分知足・無為自然/儒学の「素」〔そ/しろ=白〕・【離☲】/
黄老の「玄」〔げん/くろ=黒〕・【坎☵】/“(善)美なるものは白” ――――
《 §.はじめに 》
最近(2014)スピーチで、
「皆さんには、進路(将来・人生・職業)に対するいろいろな思いがあるでしょう。
―― そこに色をつけなければなりません・・・」
という表現を耳にしたことがあります。
また、駅の宣伝大パネルで、某大学の宣伝広告に、
巨大な“カメレオン” 補注1) が虹色に彩色されて描かれ
「キミハナニイロ?」とキャッチコピーが大きく書かれていました。
これらは、色と人生が重ねられて擬〔なぞら〕えられて語られているほんの一例です。
21世紀は“カラーの時代 〔Color Ages〕”ということを改めて感じました。
そもそも色の世界を持つもの(色が見えるもの)は、ホ乳類だけです。
犬の人生(犬生?)や猫の人生(猫生?)は、
白と黒の“グレースケール”の中に表現され擬〔なぞら〕えられるわけです。
ところで、孔子の弟子に子夏〔しか〕という人がいます。
“子貢〔しこう〕”と字面〔じずら〕が似ていて間違えそうですが ・・・ 。
『論語』に「文学子游子夏」(先進・第11)とありますように、
「四科(十哲)」では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」というのは、古典・経学のことです。
姓は卜〔ぼく〕、名は商。子夏は字〔あざな〕です。
孔子より、44歳年少です。
謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。
文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長・総長といった感じでしょうか。
曾子が仁を重視する立場(忠恕派)なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派)です。
儒学の六経を後世に伝えた功績は、まことに大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。)
長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったとも伝えられています。
子夏は『論語』でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。
というのは、“色”っぽい(?)弟子・子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』は子夏の言に、
“色”にまつわる記述が多くあるように思われるのです。
私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」)としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子”としての印象なのです。 補)
さて、『論語』の一節に、“絵の事”に擬えて
「素」=“白”について述べられている孔子と子夏の興味深い問答があります。
(八佾・第3−8)
「素」〔そ/しろ=白〕・【離☲】は、儒学思想の要〔かなめ〕です。
私は、“「白と黒」は色の本質であり、「素〔そ〕と玄」は人間の本質であり、
【離☲】と【坎☵】は万物の源 である” と考えております。
今回は、この問答の一節を“切り口”にして、
「素」=“白”が持つ人間学的・形而上学的な真意・深意にアプローチしてみたいと想います。
補注1)
易学・『易経』は、変化とその対応の学です。
「易」の字義について、蜥易〔せきえき〕説というものがあります。
それは、「蜴」(とかげ)に因〔ちな〕むとするもので、
トカゲ〔蜥蜴・石竜子〕は変化するからというものです。
私は、この「蜴」を、体表の色を周囲の環境に合わせて
千変万化させる(保護色)“カメレオン”の一種ではないかと想像しています。
補)
“色”の三(定)義を考える(色相・明度・彩度の“三属性・三要素”のことではありません)
(1)“色っぽい”の意。「色」の文字は、元来男女の“からみ”を表した象形文字です。
この意味は、東洋においてのみです。
(2)“カラー〔色彩(学):Coror/Corour〕”の意。欧米における “色”は、この意味です。
(3)“顔色”の意。「顔(色)が青(白)い」 といったように、顔に出る色のことです。
cf.漢方(中医)と顔色 ⇒ 五行・五色の思想から体系立てられています。
ex.“五色診”後述
《 §1.孔子と子夏の「素」をめぐる問答 》
『論語』 に孔子と子夏の、「素」=“白”をめぐる興味深い問答があります。
まずは、全文を紹介いたしましょう。
○“子夏問いて曰く、「『巧笑倩〔こうしょう せん〕たり、
美目盼〔びもく はん/へん〕たり、素〔そ〕以て絢〔あや〕を為す。』 ※注)
とは何の謂いぞや。」 |
子曰く、「絵事〔かいじ/絵の事〕は、
A:素より後〔のち〕にす(後る) 」 B:素を後〔のち〕にす。」と。 |
曰く、「礼は後か」 |
子曰く、「予〔われ/よ〕を起こすものは、商なり。 (※予を起こすものなり。商や・・・ )
始めて与〔とも〕に詩を言うべきのみ。」と。”
(八佾・第3−8)
【 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以為絢兮、何謂也。|
子曰、繪事後素。 |
曰、禮後乎。 | 子曰、起予者商也。
始可與言詩已矣。(※子曰、起予者。商也始可與言詩已矣。) 】
《 大 意 》
子夏が、「『にっこり〔莞爾〕と笑うと口元が可愛らしく(エクボが出て愛嬌があり)、
目(元)はパッチリと(黒い瞳が白に対照して)いかにも美しく、
(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、
何とも艶〔あで〕やか』※注) という詩がありますが、
これはどういう意味のことを言っているのでしょうか。」 と質問しました。 |
孔先生がおっしゃるのには、「絵画で言えば、
A:白(の胡粉〔ごふん〕)で地塗りしてその上に彩色するようなものだ。」
B:彩色して一番最後に白色の絵具(胡粉〔ごふん〕)で仕上げるようなものだ。」 と。 |
(子夏が質問して言うには)
「A:礼(儀作法)は、まごころ〔忠信〕というベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」
B:(まごころをもとにして) 礼(儀作法)が人の修養・仕上げにあたるものなのですね。」 |
孔先生がおっしゃるのには、
「わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれる者は商(子夏の名)だね。
(※わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれたものだね。商よ、お前でこそ、共に ・・・ )
商のような(古典を活学できる)人にして、はじめて共に詩を語ることができるというものだね〜。」 と。
《 解 説 》
子夏のこの時の年齢はさだかではありませんが、
(孔子との年齢差を考えるにつけても)おそらく若々しい青年だったでしょう。
純情内気な子夏が、生真面目〔きまじめ〕に(艶〔つや〕っぽいことについての)とぼけた質問をして、
それに対して覚人達人の孔子が ポン とよくわからぬ応〔こた〕えをしています。
その応えに、賢く類推し凛〔りん〕として思考を閃〔ひらめ〕かせています。
「禮後乎」とわずか三字で表現したところに“打てば響く”がごとき子夏のシャープな覚りが感じられます。
その賢い弟子に対して「起予者」と三字で応じた孔子も流石〔さすが〕なるものがあります。
―― この問答の深意は、読者のみなさんには、“禅問答”のようで、
トン とよくわからないものでしょう。
このあたりが又、『論語』の得も言われぬ妙味たるゆえんかもしれません。
※注)
『詩経』の詩について、上2句は衛風・碩人篇にありますが、下1句は見当たりません。
「笑〔え〕まい可愛いや口もとえくぼ、目もと美しぱっちりと、白さで美しさをしあげたよ。」
(金谷治・『論語』 p.56 参照引用)
参考資料
「 人形 〔にんぎょう〕 」 1911(M.44)年 5月
文部省唱歌/作詞作曲ともに不詳/ 『尋常小学校唱歌・第一学年用』
1.わたしの人形はよい人形。
目は ぱっちりと いろじろで、
小さい口もと 愛らしい。
わたしの人形はよい人形。
2.わたしの人形はよい人形。
歌を うたえば ねんねして、
ひとりでおいても 泣きません。
わたしの人形はよい人形。
※1970年代、替え歌 CMソング(関西地区限定) 『モリシゲ人形のうた』
1.わたしの人形は モリシゲで
お顔がよくて 可愛くて
五人囃子に 内裏さま
たのしいみんなの ひな祭り
――― 2.3.4.5.
最後に
目は ぱっちりと いろじろで、
小さい口もと 愛らしい。
わたしの人形は よい人形。
《 §2.白 white = 素 について 》
「素」“そ”は、それを 「絵事」=色彩 として捉えれば、「素」“しろ”と発音されます。
「黒:Black」に対する「白:White」です。
この色彩としての“白・黒”の概念については、
次の3つの場合を考えることができると思います・・・
※ この続きは、次の記事に掲載いたします。
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