儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

吉田兼好

『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第3回)

※この記事は、『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第2回) の続きです。

『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想 其の2(第3回)

─── 変化の思想/「無常」/「変易」/陰陽思想/運命観/中論/
“居は気を移す”/兼好流住宅設計論( ── 「夏をむねとすべし」)/
“師恩友益”/“益者三友・損者三友”/「無為」・「自然」・「静」/循環の理 ───


【★第117段】   友とするにわろきもの 

《 現代語訳 》----------------------------------------------------

友とするのに良くないものが、七パターンあります。 

第一には身分が高く高貴な人、
第二には(歴年齢の)若い人、
第三には持病がなく(健康で)身体の丈夫〔じょうぶ〕な人、
第四には酒を好む人、
第五には強く勇み立っている武士、
第六にはうそをつく人、
第七には欲の深い人です。

(一方、)善い友には三パターンあります。 
第一には物をくれる友、
第二には医師、
第三には知恵のある友です。

--------------------------------------------------------------------

この段、兼好法師の人間・人生洞察深いものがあり、
私の学生時代から感銘を受けている段の一つです。

「友とするにわろきもの七つあり。 ── 」・「よき友三つあり。 ── 」 と
良悪の友を述べています。

いつの時代においても、人間形成・人生行路において、
“師と友”は大切です。

吉田松陰先生は、
「徳を成し材を達するには、 師の恩 友の益 多きに居る。
故に君子は交游を慎む。」
(士規七則) と述べられております。

この“師恩友益”は、
安岡正篤先生の“(関西)師友協会”の名称の由来となってもいます。
(現在、“関西師友協会”会誌の名前が“師と友”です。) 

私は、安岡先生が“師恩友益”と軸に書かれたものをよく目にしております。

さて『論語』に、「益者三友・損者三友」とあります。
この段は、これにヒントを得たものでしょうか?

○ 「孔子曰く、益者三友。損者三友。
直〔ちょく/なお・き〕を友とし、諒〔りょう/まこと〕を友とし、
多聞を友とするは、益なり。| 
便辟〔べんへき/べんぺき〕を友とし、善柔〔ぜんじゅう〕を友とし、
便佞〔べんねい〕を友とするは、損なり。」
 (『論語』・季氏第16−4)

〔孔先生がおっしゃいました。
「自分に有益な友が三種、有害な(損のある)友が三種あります。
正直な人(直言して隠すことがない者)を友とし、
誠心の人(誠実で表裏のない人)を友とし、
もの知り(博学で古今に通じている人)を友とするのは有益です。|
(反対に、)(便辟=)体裁ぶって直言しない者を友とし、
(善柔=)うわべだけのこびへつらい者を友とし、
(便佞=)口先ばかり達者で実のないものを友とするのは、有害(損)です」 と。〕


この段が、形式的には『論語』から思いついたにしても、
内容的には兼好法師自身のオリジナルでしょう。

「よき友三つあり」 で、それを現代に擬〔なぞら〕えれば。

「一つに物くるる友」は気前のいい金持ち・財界有力者の友、
「二つにはくすし」は医師、
「三つには知恵ある友」は学者教師(?)・ブレーン参謀・
法曹界のスペシャリスト(弁護士など)の友、といったところでしょうか。

ちなみに、ヨーロッパにもこんな話があります。

夜更け、突然に友人宅を訪れたところ、
その良き友人は“片手に剣、片手に金”を持って出てきて
「(必要なのは)剣か金か?」と言ってくれたというお話です。

平和な、当世わが国では(法治国家ですので)、
“剣”は、さしずめ、弁護士などの“法のPower”や
政治家のもつ“権力・人脈のPower”
といったところでしょう。

また、“ペンは剣よりも強し”で、
マス・メディアの“情報=口のPower”も物騒なものです。

とりわけ、現代大衆社会に於いては、マス・メディアの弊害は甚大です。

一方、“金=貨幣のPower”・“経済のPower”は、
一般に古今東西を問わないようです。

いつの世も、“ ── それにつけても 貨幣〔かね〕のほしさよ”ですね。!


「友とするにわろきもの七つあり。」 

→ 「二つには若き人」 について。

私も、若い頃(学生時代)には、
この文言〔もんごん〕の深意が今一つ実感できませんでした。

今の年齢・立場になってみると、つくづく、しみじみと実感されます。

若い人(=若さだけの人)は、老人の経験・英知を尊敬できず、
むしろ莫迦〔ばか〕にしています。

老人と若者とは、ものの考え方・道理の解し方・趣味嗜好が異なり
面白く交わることが出来ないの意で、一般には解せましょう。

「今時〔いまどき〕の若い者は、・・・云々〔うんぬん〕」と、一言するようになると、
自分が精神的にも老〔ふ〕けてきた証〔あかし〕であるナとは思います。

老いると、若者の未熟さ・愚かさ・傲慢さが
殊更〔ことさら〕に癇〔かん〕に障〔さわ〕るものです。

いつの世でも、才徳ある善くできた高齢者からみれば、
若者は浅薄で身勝手なものに見えるのでしょう。

とは言え、それにしても、今の時代の若者気質は
(自分の若かりし頃に比べても)ひどすぎます。

日本に来ている外国人は、
電車の中で(混んでいる時)優先座席に平然と座り、姦〔かしま〕しく喋っている若者を
不思議に思っているといいます。

道や通路の定められた片側も歩けず、自転車もまともに駐輪できずにいて、
自己中心的に(義務をワキにおいて)おのれの権利ばかりを主張する若者たちです。

“厚顔無恥なる新人類”といったところです。

『論語』に、後生畏るべし。焉〔いずく〕んぞ来者の今に如かざるを知らんや。」
(『論語』・子罕第9−23) とあります。

これは、若さによる未来の可能性だけの問題ではありません。
しっかりと、自己を研鑽〔けんさん〕し徳を磨いていればこその未来です

社会の未来は、次代を担うべき若者の中に“兆〔きざし〕”を読むことができるわけです。

一例をあげれば、わが国幕末“ペリー来航”(1853.6/1854.1)という大震の時期、
後の日本史上に輝く維新の英傑たちは、
当然ながら、青々とした若者だったわけです。 *補注1) 

孔子の弟子は、「蓋〔けだ〕し三千」(『史記』)ともいわれました。

然るに、「後生畏るべし」といえる弟子は顔回(顔淵)唯一人であったことも、
併せて知っておきたいものです。

私は、青少年を教えるという仕事がら、
数多〔あまた〕(おそらく数万人)の若者を知っていますけれども、
「後生畏るべし」 という青少年は唯一人しか知りません。

まったく文字どおり、“後世 恐るべし”の想いです。

物質文明の繁栄と反比例した、こころ・教育の貧しさの故です。

→ 「三つには病〔やまい〕なく、身強き人」 については。

健康で丈夫な人というものは、一般的に解すれば、
健康の有難みが実感できず、
病気の人や弱い人の気持ちや痛み・悩みへの理解に欠けるものがありがちだからでしょう。

確かに日常の経験からも、健康で丈夫な人は、
病人・弱者といった他者への同情や思いやり(仁=愛=慈悲)のないことがままありますね。

“一病息災〔いちびょうそくさい〕”という言葉があります。

歳を重ねるにつれて、一つくらい持病があって当たり前です。

むしろ、そのくらいの方が、善く自ら摂生〔せっせい〕して
“養心養生(性)〔ようじんようじょう〕”することで、
大過なく寿〔いのちなが〕し、というものです。

“少子化”“(超)高齢社会”がますます進展する、わが国平成の御世ですから、 *補注2) 
以上2つの「わろきもの」 については、
改めて、よくよく考えねばならないことだと想います。


補注1)

西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・山県有朋・福沢諭吉 ・・・etc. 
明治維新の英傑たちは、当時みんな若者だったわけです。

まさに、“後生畏るべき”若者輩が多士済々だった時期といえましょう。

なお、幕末の革新は、かれらニユーリーダーたちの
“若きPower”で推進されたと思われがちですが、そうではありません。

老若〔ろうにゃく〕相携えて、
二人三脚で “鼎新〔ていしん〕”し新しい時代を創ったのです。

だからこそ、一連の改革変化を“明治革命”といわずに“明治維新”と呼ぶのです

彼らが、長じた明治初期の新政府の陣容を推測してみますと。
当時のわが国は、弱小ひ弱な少年のような新興国家ではありました。

が、私は、明治天皇を中心に彼らが会議をしている場面を想像すると、
日本史上でキラ星のごとく人材が充実した会議であると圧巻に思います。

そして、その原因は、江戸時代・幕末期の教育と
明治以降・大東亜戦争以降の教育の差にあると認識せざるをえません。


補注2) ≪データ資料≫ 

日本人の平均寿命は、女性86.39歳(26年間連続長寿世界一)、
男性79.64歳(世界第4位) ─ (2010年) 

★【2011年;女性85.9歳(世界第2位)、 男性79.44歳(世界第8位)、
→ DOWNは東日本大震災による死亡のため】/
高齢化率(満65歳以上の人口比)は、23.1%。 ─ (2011年) 

cf.
高齢化社会:満65歳以上の人口比7%以上
高齢社会:満65歳以上の人口比 14%以上
超高齢社会:満65歳以上の人口比 21%以上
→ 2020年には26.9%(4人に1人)ともいわれます。/
年少人口(15歳未満)の割合、13.2%。─ (2011年)/
合計特殊出生率、1.39人─ (2011年)、1.25人─ (2005年)


*===========================================================================*

【第127段】   改めて益〔やく〕なきことは 

《 現代語訳 》----------------------------------------------------

改めても効果のないことは、(むしろ)改めないのがよいのです。



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。

「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村


『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第1回)


『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想 其の2 (第1回)

─── 変化の思想/「無常」/「変易」/陰陽思想/運命観/中論/
“居は気を移す”/兼好流住宅設計論( ── 「夏をむねとすべし」)/
“師恩友益”/“益者三友・損者三友”/「無為」・「自然」・「静」/循環の理 ───

★ 数年前に「『徒然草〔つれづれぐさ〕』に見る儒学思想」を執筆・発表いたしました。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50707301.html
その後、加筆・段の追加などを行いましたので、(一部重複させながら)
「『徒然草〔つれづれぐさ〕』に見る儒学思想 其の2」として発表いたします。


≪§.はじめに ≫

○「つれづれなるままに、日くらし、硯〔すずり〕にむかひて、
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。」

〔 これといってする事もなく、退屈で心さびしいのにまかせて、一日中、硯に向かって、
次から次へと心に(浮かんでは消えて)移り変わっていく、つまらないことを、
とりとめもなく(なんということもなく)書き付けていると、妙に感興がわいてきて、
狂気じみている(抑えがたいほど気持ちが高ぶってくる)ような気がします。 〕 *補注1) 


吉田兼好〔けんこう〕・『徒然草〔つれづれぐさ〕』の、
シンプルな冒頭(序段)の文章です。

中学・高校で 誰もが習い親しんだものです。
中味・段のいくつかもご存知かと思います。

兼好法師は、当代の優れた僧侶・歌人であり教養人でありました。

歴史的に、中国の源流思想は *補注2) 専らインテリ〔知識人〕である聖職者に学ばれ、
彼らの思想のみなもとを形成いたしました。

『徒然草』の思想的・文学的バックグラウンド〔背景〕を形成するものの中心として、
仏教典籍以外に、国文学(平安朝)和歌・物語と漢籍(中国の古典)があげられます。

漢籍では、儒学の四書五経、とりわけ『論語』の影響がきわめて大きいといえます。

私は、『徒然草』を研究・講義する折も多いので、
今回は、私流に、儒学=易学思想や黄老(老荘)思想の視点から
これを観てまとめてみたいと思います。


補注1)

学生諸君のために、煩瑣〔はんさ〕ながら、文法詳解を少々致しておきます。

「心にうつりゆく」 : 「うつり」を「移り」ととれば“それからそれから”の意。
「映り」と解すると“心という鏡に、次々と映ってくる”の意になります。/

「よしなしごと」 : 「よし」は、由緒・理由。
「よしーなしーごと」の三語が合わさった一語の複合名詞。/

「書きつくれば」“已然〔いぜん〕形+ば”の形。これは、
1)順態確定条件(原因・理由)を表し「ので」・「から」と訳します。
2)一般(恒時)条件を表し「〜するといつも〜する」の意。
  ex.「命長ければ恥多し」【第7段】
3)軽く次へ続けて偶発的事件の前提を表し、「〜すると」と訳します。
ここでは、3)の意で「かきつけていると」の意。/

「あやしうこそものぐるほしけれ」 : 「こそ」は、強意の係助詞で「じつに・まことに」の意。
係り結びによって下を已然形で結びます。 
「ものぐるほしけれ」は、形容詞「ものぐるほし」の已然形です。
(形容詞「ものぐるほし」に過去の助動詞「けり」の已然形「けれ」がついたものと間違えないこと。
ですから、「狂気じみていた」と訳すのは誤りです。
「けり」は連用形接続ですから終止形にはつきません。)
また、主語は省略されています。
主語を補えば、“自分が・自分のこころが”が普通ですが、
他に“書いたものが”・“書きつけることが”・“書く態度が”などと考える説もあります。
 兼好法師がこの序文で、この随筆を書いた時の態度や所感を、
“自分ながら変で、まことに狂気じみて思われる”と表現しているのは、
筆者としての謙遜表現です。言葉どおりに解してはまずいでしょう。


補注2)

易学思想と黄老(老荘)思想が東洋思想の2大潮流を形成いたします。
その後の、仏教思想を加えて3大潮流となります。

中国の思想を(陶鋳力をもって)受容・摂取した日本においても同様です。


★『徒然草』 段・抜粋の原文は、
『日本古典文学大系/方丈記・徒然草』 ほかによりました。(原文引用は省略) 

また、原文の読みがなは 、現代かなづかいで表記しておきました。

現代語訳・文法詳解は、高校生諸氏の学習に愛用されてきている
『新・要説 徒然草』(日栄社)を中心に参照しました。


≪ 吉田兼好・『徒然草』 抜粋 ≫

 鎌倉時代、中世の開幕は、貴族が社会の中心の座を譲り
武家の時代が到来したことを意味しました。

この新しく、激動と混乱の時代も、
元寇を契機として急速に幕府の力が衰えてゆき、
南北朝の動乱の時代へと向かってゆきます。

吉田兼好が生き『徒然草』を著したのは、
こういう時代変化と社会不安の時期だったのです。・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。

「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら



にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村


『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想

『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想

―― 変化の思想・「無常」・「変易」・運命観・中論 など ――

「つれづれなるままに、日くらし、硯〔すずり〕にむかひて、
心にうつりゆくよしなき事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ 。」

吉田兼好〔けんこう〕・『徒然草』の、シンプルな冒頭(序段)の文章です。
中学・高校で 誰もが習い親しんだものです。中味・段のいくつかもご存知かと思います。

兼好法師は、当代の優れた僧侶・歌人であり教養人でありました。
歴史的に、中国の儒学は 専らインテリ〔知識人〕である聖職者に学ばれ、
彼らの思想のみなもとを形成いたしました。

『徒然草』の思想的・文学的バックグラウンド〔背景〕を形成するものの中心として、
仏教典籍以外に、国文学(平安朝)和歌・物語と漢籍(中国の古典)があげられます。

漢籍では、儒学の四書五経、とりわけ『論語』の影響がきわめて大きいといえます。

私は、『徒然草』を研究・講義する折も多いので、
今回 私流に、儒学・易学思想の視点からこれを観てまとめてみたいと思います。
( ※ 原文の読みがなは、現代かなづかいで表記しておきました。 )

◇◆◇------------------------------------------------------------◇◆◇

鎌倉時代、中世の開幕は、貴族が社会の中心の座を譲り、武家の時代が到来したことを意味しました。
この新しく、激動と混乱の時代も、元寇を契機として急速に幕府の力が衰えてゆき、
南北朝の動乱の時代へと向かってゆきます。

吉田兼好が生き 『徒然草』 を著したのは、こういう時代変化と社会不安の時期だったのです。

『徒然草』は、清少納言の 『枕草子〔まくらのそうし〕』 と並び 随筆文学の双璧とされ、
また鴨長明〔かものちょうめい〕の 『方丈記〔ほうじょうき〕』 と共に
この時代を代表する隠者文学の金字塔です。

以下において、この 『徒然草』 の中に表されている兼好の世界観・人間認識について
いくつかの段ごとに具体的に考察してみましょう。
そして、『徒然草』に共通する観方・思想的基盤について論じてみたいと思います。


【第7段】 “あだし野の露きゆる時なく”

兼好の特色が非常に良く表れていると思われます。
まず、和歌(和文)と漢籍の影響があげられます。

あだし野きゆる時なく ――― 」 (『新古今集』、『拾遺集』など)、
「かげろふの夕べを待ち」 (『淮南子〔えなんじ〕』)、
「夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし」 (『荘子』)、
「命長ければ辱〔はじ〕多し」 ( 同上 )、
「夕べの陽に子孫を愛して」 (『白氏文集〔はくしもんじゅう〕』)
等などからの引用が推測されます。

そして、思想的には無常観・仏教的無常観がベースになっています。
「煙立つ」 と 「立ち去る(死ぬ)」 ことをかけており、
「 ――― 世はさだめなきこそ、いみじけれ。」
「もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。」 と。

この世は不定であるからこそすばらしいという無常の肯定と、
この世の深い情趣もわからなくなって生に執着する老人に対する慨嘆です。

この段は、多分にネガティブ(否定的)で仏教的・情趣的な感じがします。

後述しますが、私には、兼好の無常観はもっと中国源流思想としての、
易の変化の思想としてプラスイメージで展開されていくように思っています。


【第50段】 “応長の比〔ころ〕、伊勢の国より”

不安な時代(流行病 = 疫病) には、あやしげな流行がつきものですが、
この段の(女の)鬼の噂もそれです。

流言に右往左往する人の姿、
群集心理に足をすくわれる人間の弱点が生き生きと描かれています。

さて、俗人はともかく。
遁世している兼好にとってはどうであったでしょうか。

「 遯〔とん〕 」(※易卦 「天山遯」) として達観し 人々を愚かしく想っているか、
というとそうでもありません。

彼は虚実を確認するように人を走らせます。
自らは現場に赴かないのです。
そして、虚言の生態についていろいろ合点してゆきます。

この理性的抑制と感性的好奇心とのバランスが特徴的です。
兼好の世俗とのかかわりの姿勢、世俗とのスタンス・距離感を示す好例でしょう。

ちなみに、高齢社会が進展する現代(21世紀初頭) において、
このような隠者のあり方は、一つの有力な示唆を与えてくれるような気がしています。


【第51段】 “亀山殿〔かめやまどの〕の御池〔みいけ〕に”

ここでは、水車を例にスペシャリスト(専門家)に対する肯定・賛嘆がなされています。

「萬〔よろず〕にその道を知れる者は、やんごとなきものなり。」
人間の有限・相対性を確認した上で、人間を肯定的に捉える考え方がみられます。

私は、この人間肯定の姿勢が、運命( = 無常 ) を宿命的にではなく
主体的に(変えて)生きる積極的思想と“一貫(いつもって つらぬく)” するのではあるまいかと思っています。


【第60段】 “真乗院に、盛親僧都〔じょうしんそうず〕とて”

いもがしら 好きの曲者〔くせもの〕。
仁和寺〔にんなじ〕圏の説話にもとづいた一段です。

形式的には、主として“伝聞回想”の助動詞「けり」によって語られています。
そのことは、興味中心の収録ではなくて、
むしろ逆に、より兼好自身を語る個性的なものとなっていると考えられます。

盛親僧都 ―― この不思議にも常識を超え、人を食った高僧の自在なる言動を描き、
兼好にとって及びがたい境地としながら、至高なものとして示しています。

すなわち、「尋常〔よのつね〕ならぬさまなれども人に厭はれず、よろず許されけり。徳の至れりけるにや。」
と結びます。

私は、ここに兼好の老荘的境地を感じます。
「道は常に無為にして為さざるなし」「無為にして化す」(『老子』第37・57章)、
そして、茫洋〔ぼうよう〕としてつかみどころのない人「和光同塵〔わこうどうじん〕( 同 56章)
の人物のあり方に魅力を感じ、その機微を認識し、それでいて自分自身は至り尽くせぬ境地
と認めつつ書いているように思われるのです。


【第74段】 “蟻のごとくに集りて”

「蟻のごとくに集りて、 ―― 」
冒頭部は 『文選〔もんぜん〕』 からの影響が推測されます。
全文ほとんど対句表現で、漢文・漢文訓読体の緊張感と格調の高さが感じられます。

無常観は、この段では確信に満ち「生〔しょう〕を貪〔むさぼ〕り、利を求めてやむ時なし」 の人々を嘆じます。

老いと死は、速やかに来り、時々刻々 一瞬も休止しないのです。

「常住」(不滅・不変)を願って 「変化〔へんげ〕の理〔ことわり〕を知らねばなり」と結んでいます。 


【第91段】 “赤舌日〔しゃくぜちにち〕といふ事”

「赤舌日」という忌日を通じて兼好の運命観・人生観をうかがわせる段です。

日の吉凶は、現代(人)においても多くの影響を与えています。
平安の時代、ことに貴族たちの生活は ほとんど迷妄にしばられていて、
物忌〔ものいみ〕や方違〔ほうたがえ〕などで禍〔わざわい〕を避けようとしていました。

兼好は、吉日と凶日を選んだ行為の結果を統計的に論証して合理的批判を加えます。
そして 「無常」 「変易〔へんやく」、 人の心 「不定〔ふじょう〕」 の変化の理を説きます。

ここでいう 無常や不定には、当時隆盛であった鎌倉仏教の影響が考えられます。

変易については、私見ですが、当時の教養人・知識人である兼好は、儒学的素養があり、
易・『易経』の思想・哲学を持っていたと推測されます。

『易経』は、英訳の “ The Book of Changes ” が示すように変化の理であり、
その三義は 「変易〔へんえき〕」 ・ 「不易」 ・ 「易簡(簡易)」 です。

こうして兼好は、中世にあって、開かれた精神 「吉凶はひとによりて、日によらず」 と結びます。
つまり 宿命と運命を区別し、運命は人間が打開できることだと断じているのです。
注目すべきことです。 
西洋思想において、ヘーゲル哲学も運命は その人の生き方により決定されるとしています。             


【第92段】  “或人〔あるひと〕、弓射る事を習ふに”

弓術の師の洞察・教訓に基づいて、人間の心の裡〔うち〕に潜んでいる
「懈怠〔けだい〕の心」への省察を説いています。
兼好は師の言葉に同感して、「道を学する人」の覚悟を説き 無常観に及んでいます。

すなわち、前段において中世にあって開かれた精神 「吉凶は人によりて、日によらず」と結び、
運命はその人の生き方によって切り拓けるのだという積極的思想を展開しています。

そして 時についての考え方は、あとなどない、今をしっかり生きなさい ということでしょう。

結びの 「ただ今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。」というのは、
一瞬一瞬 変化する時を大切にして変化に応ずる 「臨変応機」(変化に臨んで機智で応ず)
という事が言いたかったのではないでしょうか。


【第106段】  “高野証空上人〔こうやのしょうくうしょうにん〕”

上京途上、相手の不手際によって事故に遭った証空上人の怒りと始末を語る説話です。
博学ながら臨機応変の対応が出来ず、怒りで我を忘れた高僧がユーモラスに鮮やかに描き出されています。

私には、『論語』の一節
「顔回といふ者あり。学を好む。怒りを遷〔うつ〕さず。過〔あやま〕ちを、弐〔ふた〕たびせず。 ――― 」(擁也第6)
が連想されました。

結びの 「尊かりけるいさかひなるべし」は、仏教的学識や雄弁そのものは立派ですから「尊し」、
その一方的叱責であるとの意です。軽い皮肉であろうと思われます。

兼好は、おそらくこの上人を、子供が怒って後悔するがごとき “純” な人柄として
ほほえましく紹介しているのでしょう。

この段、無常の “変化” に対応出来なかったエピソードと捉えられるでしょう。


【第155段】  “世に従はん人は”

非常に思索的・哲学的な中味の深い内容であると思われます。

前段では、仏教的無常観に基ずく兼好の主張が述べられています。
「機嫌」は 本来仏教用語で 「譏嫌」と書き、ここでは時期・ころあいの意です。
「ついで」も前段部二箇所はほぼ同じ意味です(後段では順序の意)。

「生・往・異・滅の移りかはる」(四相)
「猛〔たけ〕き河のみなぎり流るるが如し。しばしもとどこほらず、ただちに行ひゆくものなり。」
「真俗につけて(真諦・俗諦)」 と、相対的に緩急感ずる時間に沿って変化すること、
速やかに流れていくことを述べています。

時の流れを河の流れとのアナロジー〔類似〕で表現している所は、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。――― 」の 『方丈記』の書き出しを想起させます。

「必ず果し遂げんと思わんことは、機嫌をいふべからず。」

東洋における変化の源流思想は “易” です。
変化の思想(変易)は、哲学的に変わらぬものを前提としています。
この「不易」を含んだ変化の理を説いていると、私は理解しています。

後段は、具体例として時(四季)の運行と 生から死への必然(四苦)の対比が、
無常・変化の理で厳然と述べられています。

ここで特徴的なことは、変化が 内在的超出作用により 弁証法的な発展の論理で示されている点にあります。

「春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、 ――― 。」
ヘーゲルの弁証法による 正(テーゼ)・ 反(アンチテーゼ)・ 合(ジンテーゼ) です。

そして、変化(死)は、必ずしも漸進的でなく飛躍的に実現されると説きます。
アウフヘーベン(止揚・楊棄 = 中す)です。

東洋流にいえば、儒・仏・道を貫く 「中論」 を展開しているといえるでしょう。


【第243段】  “八〔やつ〕になりし年”

「つれづれなるままに、 ――― 」で始まった 『徒然草』の終章。
この終章は構成上どのような意味を持っているのでしょうか。

内容は誰しもにありがちな、無邪気な親子の対話(テーマが仏なのは少々異)ですが、
兼好は 『徒然草』をそれなりの思い入れと文学的情熱を傾けて完成させたのであろうことをかんがえてみれば、
この段には深い意味が込められていると思われます。

それは兼好の世界観であり、また人間観なのです。

『徒然草』の中に、幼少年期の兼好が登場するのも 父(ト部兼顕〔うらべかねあき〕)が登場するのも、
これが最初で最後です。

ここで兼好が幼時から聡明で極めて論理的(形式論理的)であることがわかります。
この知性的特質が、成長して兼好の明晰鋭敏な思想を形成させたであろうことを うかがわせるのです。

ところで、『易経』は人生の シチュエーション〔 situation 〕を 64 の卦の辞象で表現した体系であり、
『徒然草』もまた 人生のシチュエーシヨンへの思索であります。

そこに、何らかのアナロジーを見出すことも可能でしょう。

易の 63番目の卦は「水火既済〔きさい〕」で、完成・成就の卦です。
64番目(最後)が「火水未済〔かすいみさい〕」未完成の卦です。

こうして、未完成を最後にもって来ることによって、易は窮することなく、
限りなく終りなく、(円のように) 循環するのです。 

序段にある 「心にうつりゆく」は、時間的に 「移りゆく」ことでもあります。
人生も晩年である兼好は、亡き父を登場させ、自身の幼少年期を登場させ
その成長・発展を暗示します。

父 ― 子 ― 孫 といった世代の連続(仏教的輪廻〔りんね〕)を示しているように私には思われるのです。
無限に変化 − 循環(受け継がれ連続)するという意味での 「無常」 です。


以上、各段ごとに考察してまいりました。
結びに、兼好の思想に一貫するものをまとめておきましょう。

『徒然草』は 思想的には、一般に 仏教的無常観であるといわれています。
しかし、私は、兼好が 「変化〔へんげ〕の理〔ことわり〕」(74段)と呼ぶものを、
東洋的 “変化〔へんか〕の思想” として捉えてみたいのです。

源流思想としての 易・『易経』の世界観・人間観です。
変化は同時に 「時」 の理でもあります。

序段の「心にうつりゆく」は、時間的遷移〔せんい〕でもあり、その遷移は中論(弁証法)的に捉えられます。
無限変化 ―― 進化循環するという意味においての 「無常」です。

従って兼好人間観・運命観は、陽性にして肯定的・主体的です。
つまり、宿命と運命を峻別し、運命は人間の力で打開できると信じています。

中世にあっては、注目すべきことではないでしょうか。
ヘーゲル哲学の運命観も同様であり、ここに近代精神の先駆を見ることも出来ると思います。


                              ( 高根 秀人年 )



※こちらのブログ記事はメルマガでも配信しております。
 メルマガは「儒学に学ぶ」のホームページからご登録いただけます。

http://jugaku.net/aboutus/melmaga.htm

 


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

Archives
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ