儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

変易

むかしの中国から学ぶ 第2講 「易占と易学」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


《 2.むかしの中国の思想 》 
: 易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想) 


 A. 大〔太〕極 (たいきょく、=「皇極」) 

   ──易の根本・創造的概念、宇宙の根源、万物の起源、
     神〈自然〉の摂理〔せつり〕

・ 陰陽以前の統体  ──  
   1) 「無」(晋の韓康伯)、
   2) 「陰陽変化の理」(朱子)、
   3) 「陰陽分かれぬ混合体」(清の王夫之) 
      参考:『荘子』北極星の意


ビッグバン(=特異点)/ヒモ宇宙/ブラックホール/
道/無/分子─原子─陽子/
ウルマテリー〔原物質・原子極〕(原子物理学、独・ハイゼンベルグ等)/
神ありき ・・・
「天(之)御中主神・〔あめのみなかぬしのかみ〕」(神道・〔しんとう〕)/
易神 = 造物主


☆ 太極マーク (図示略)       
    陰陽に分かれるモトの状態を表しています 

☆ 韓国国旗(大極旗・テグキ) (図示略)
    中央に対極マーク、四方に易の四象
    (4つの易象、天・地、水・火)を配置しています

  ※ 参考──万物の根源  《 タマゴが先かニワトリが先か? 》


・ 科学 ── ビッグバン〔137億年前〕 (宇宙物理学)、
     ウルマテリー(原子物理学)・・・極微の世界(ミクロコスミック)において
     大極が発見されようとしている。
     天文学的研究(マクロコスミック)においては未だ大極に至ってはいない。

・ 宗教 ── 神話、聖典 ・・・ etc.

・ 儒学=易 ・・・ 「太極」 / 道教(老荘) ・・・「無」 / 
          仏教 ・・・「空(くう)」

○ 「無極にして大極」 (近思録) ・・・ 朱子は 大極 = 有 と考える

○ 「是の故に易に太極あり。是れ両儀を生ず。両儀四象を生じ、四象八卦を生ず。
  八卦吉凶を定め、吉凶大業(たいぎょう)を生ず。」 (繋辞上傳)

○ 「太初(たいしょ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり」 (旧約聖書)

○ 「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、
  高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、
  天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
  次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、
  次に、神産巣日神(かむむすひのかみ)。」  (古事記・冒頭)

○ 「道は一を生じ、一は二を生ず。」 (老子) ・・・ 道は無と考える


易(の中に潜む)  神 “シン”
   = 天地の神、人格神的なものではなく神秘的な作用の意  

    ※参考─汎神論(はんしんろん)


○ 「陰陽測(はか)られざるをこれ神(しん)と謂う。」
  「故に神は方(ほう)なくして易は体(てい)なし。」 (繋辞上伝)

○ 「※鬼神を敬して之を遠ざく。」 (論語・雍也) 
    ※鬼神=死者の霊魂や人間離れした力
        


 B. 天の思想 と 天人合一観  : (大宇宙マクロコスムと小宇宙ミクロコスム) 

● 中国思想・儒学思想の背景観念、 天=大=頂上

・ 形而上の概念/モノを作り出すはたらき/「造化」の根源/
 “声なき声、形なき形” を知る者とそうでない者

 」〔しん ・・・・ 不可思議で説明できぬものの意
              天 = 宇宙 = 根源 = 神

    cf.「 0 」(ゼロ・レイ)の発見・認識、 「無物無尽蔵」(禅)、
        松下幸之助氏の“根源さん”(社〔やしろ〕の中は?)

・ 敬天/上帝/天(天帝)の崇拝/ト〔ぼく〕占(亀ト)/
 天人一如〔てんじんいちにょ〕/天と空〔そら〕

・ 崇祖(祖先の霊を崇拝)/“礼”の尊重

太陽信仰 ・・・・ アジアの語源 asu 〔アズ〕 =日の出づるところ
   ── ユーロープの語源 ereb 〔エレブ〕 =
          日のない日ざしの薄いところ“おてんとう様”、
          “天晴〔あっぱれ〕”、天照大御神 

ex. 天命・天国・天罰・天誅・天道・天寿・北京の「天壇」 
    「敬天愛人」(西郷隆盛)、「四知」(天知るー地知るー我知るーおまえ知る)
    「天地玄黄」(千字文) ・・→ 地黄玄黒


○ 「天行は健なり、君子以て自強して息〔や〕まず」 (『易経』 乾為天・大象)
  ─── “龍(ドラゴン)天に舞う”

○ 「五十にして天命を知る」 孔子の “知命” (『論語』)

○ 「の我を亡ぼすにして戦いの罪にあらず・・・」 (『史記』・「四面楚歌」)


◎ 天賦人権論〔てんぷじんけんろん〕
   「は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・・」 
       (福沢諭吉・『学問のすすめ』)

◎ 易性革命〔えきせいかくめい〕
   「天子の姓を易〔か〕え天命を革〔あらた〕める」
        ・・・ 天命は天の徳によって革る
            革命思想・孟子


 C. 陰陽相対〔相待〕論 (陰陽二元論) 

  ・・・ 易学に由来する。 易は、陰陽 の理法。
      明治期以降、陰陽(五行)説を軽視 ・・→  復権 

   ─── 以下、この部分は、[ 第3講 ] にて扱います


 D. 変化の思想 (易の三義【六義】) ) :  〔 Principle(Classic) of Changes 〕

  《 ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、
    自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した。
    彼は鎧のように固い背を下にして、仰向けに横たわっていた。 》

          Franz Kafka  Die Verwandlung,1916 (カフカ・『変身』)


“易” = 変化  Change  “蜴”(カメレオン) 
 
“ The Book of Changes ”  (変化の書・『易経』)


※ 2008.12 世相を表す文字 「変」 (2007「偽」)
  2009.1 「変革」をとなえて、オバマ新米大統領登場・就任
    cf. 漢字検定協会・理事長父子 逮捕!


1)。  「 変易 」  ・・・ か〔易〕わる           

 易の名称そのものが変易の意義をもつ、生成変化の道、 
 天地自然は大いな る変化、変易。 自然と人生は大いなる「化」

  ex.── 季節・昆虫の変態・無常/お化け(女性の化粧)/
        “大化の改新”(645)

  ◎「結局最後に生き残る者は、最も強い者でも最も賢い者でもない。
    それは変化し続ける者である
。 」     (チャールズ・ダーウイン)

  ex.── (一かけらの石=隕石 の衝突により)強大な恐竜は絶滅し、
         弱小な哺乳類が栄えている)

 ・ イノベーション=「革新」

 ・ 「日新」: 「湯の盤の銘に曰わく、苟〔まこと〕に、日に新た、
        日々に新たに、又日に新たならんと。」  (『大学』) 
           cf.“日進月歩”

 ・ 「維新」: 「詩に曰わく、周は舊〔旧〕邦なりといへども、
        その命、維〔こ〕れ新たなり。」 (『大学』、詩=『詩経』・大雅文王篇)

    ex. ── “松下電器”、五坪の町工場から従業員一万人・売り上げ一千億に進化発展
        ・ 松下幸之助氏の「変易」
          (変革・イノベーション、テレビブラウン管技術の輸入)と「不易」なるもの

        cf.“Panasonic パナソニック”: 一万五千人 人員削減(半分国内)、
                 ソニー:一万六千人、NEC:二万人 (09・2/4)

 ・ 革命」 (Revolution) と 「進化」 (Evolution)


2)。  「 不易 」  ・・・ 不レ易・かわらぬもの

 変化の根柢に不変・永遠がある、不変の真理・法則の探求、 “千古不易”、
 “千古不変”、“真理不変”、“一〔いつ〕なるもの”、“永遠なるもの” 
 変わらぬ物の価値、 目立たぬが確かな存在

 ・ 自然界の法則 & 人間界の徳(仁)、芸術の世界での「美」 ── 本質的なもの

  ex.── “ 不易〔フエキ〕  糊〔のり〕”: 
            「硼酸〔ほうさん〕またはサルチル酸のような防腐剤と香料とを入れて
             長く保存できるようにした糊」 (広辞苑)
        “パーマ” 〔 parmanent  wave 〕
        “(日清)チキンラーメン”: 1958年誕生、ロングヒット商品、
             カップメン、カップヌードルの発明
 
 □「化成」: 変化してやまない中に、変化の原理・原則を探求し、
        それに基づいて人間が意識的・自主的・積極的に変化してゆく。 
        クリエーション(創造)

  ex.── 「三菱化成」(化学合成ではない)=「化し成す」(「離」卦)


 ※ 参考  ── 変わらぬもの
  ◎ “松に古今の色なし
  ○ 「松樹千年翠〔みどり〕 不入時人意(時の人の心に入らず)」
    「松柏〔しょうはく〕千年青」 (『広燈録』など)
  ○ 「子曰く、歳〔とし〕寒うして然る後松柏の彫〔しぼ〕むに後るるを知る。」 
         松柏 = まつとかや = 君子の節操  (『論語』子罕第九)
  ○ 「 ── 難いかな恒〔つね〕有ること 」 (述而第七)


3)。  「 簡易 」  〔かんえき・かんい〕 ・・・
        (中国流で易簡、 Purity ピュアリティー / Simplity シンプリティー)

 変化には複雑な混乱ということがない。平易簡明、無理がない

  ex. ─── “簡易郵便局”、“簡易保険”、“簡易裁判所” 

  ※参考 ── 茶道 “ Simple is beste ” シンプル・イズ・ベスト

  ○ 「自然は単純を愛す」 (コペルニクス)
  ○ 「自然は常に単純であり、何らの自家撞着〔じかどうちゃく〕をも持たない」
       (ニュートン)
  ○ 「真理は単純なり」 : 道元は中国から何も持ち帰らなかった。
        目はヨコに鼻はタテに附いているとの認識を新たにしてきた。
        (あたりまえのことを、当たり前と認識する)


4)。  「 神秘 」  ・・・・ 
         易は「イ」、「夷〔えびす・イ〕」に通じ、感覚を超越した神秘的なものの意。
         自然界の妙用「神秘」、奇異。

 ◎ 「希夷」の雅号 ・・・ 聞けども聞こえず見れども見えず(五官・五感をこえて)、
              それでいて厳然として微妙に、神秘に、存在するもの。


5)。  「 伸びる 」  ・・・・ 易〔の〕ぶ、延・信

 造化、天地万物の創造、進化でどこまでも続く、伸びる、発展するの意。

 ○ 「悪の易〔の〕ぶるや、火の原を焼くが如く ・・・」


6)。  「 治める 」  ・・・・ 修 ・ 整

 天地の道を観て、人間の道を治めるのが易。

 ○ 「世を易〔か・変〕えず」 ── 「世を易〔おさ・治〕めず」と読むと良い。
    (「乾」・文言伝 初九)


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 E.「中(ちゅう)」の思想  : (『中庸』・中道・中徳・中の説…中の学問・弁証法)

■ 《 中庸 入門 》    ( by 『易経』事始 )

‘ (I am the sun god, Apollo. )
Think of the responsibility I have ! 
The skies and the earth must receive their share of heat. 
If the chariot goes too high, the heavenly homes will burn. 
If it goes too low, the earth will be set on fire.
I can not take either of these roads. 
There must be some balance.
This is true of life, itself. 
The middle course is the safest and best. ’
              〔 Phaёthon “ Popular Greek Myths”〕

《大意》
「(私は、太陽の神・アポロである。)
私が担っている責任の重さを想ってもみよ! 
天と地には、それぞれ相応の熱を与え得ねばならぬのだ。
もし、(太陽の2輪)馬車の運行する道筋があまり高すぎれば、
天の御殿が燃えてしまうだろう。
低きにすぎれば地上は火事となるだろう。
私は、そういう(2つの極端な)道をとるわけにはいかぬのだ。 
それなりのバランスというものをはからねばならぬのだ。 
このことは、人生そのものにも当てはまる。 
中庸の道こそが最も安全で、また善き道なのだ。
           〔 パエトン・『ギリシア神話』 〕


○ 「そこで、この陰陽相対性理法によってものごとの進化というものが行われるのですが、
  この無限の進化を『中』という。だから易は陰、陽、中の理法であり学問である。」  
   (『易とはなにか』、安岡正篤)

○ 「中行にして咎无(とがな)し」 (『易経』・夬九五)

○ 「子日く、中庸の徳たる、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。」
   (『論語』・雍也第6)

(中庸ということの道徳としての価値は、最高のものであるなあ。
しかしながら世が末世になって、中庸の徳の鮮ないことはもう久しいことだなあ。)


・ 易は、「 中=むすび 」である。 
  易の最も重視するものが “時中(時に中す)” = 中道に合致すること。
   ※ 時中=中節

・ 東洋の儒教、仏教、老荘─(道教) ・・・は、すべて中論   

・ 西洋の弁証法(論理学の正・反・合) ── 
   ヘーゲル弁証法、アウフヘーベン(止揚・揚棄)


● 中=「むすび(産霊)」 ・ 天地万物を生成すること   

   ○ 「天地因ウン〔いんうん〕として、万物化醇す。
    男女精を構(あ)わせて〔構=媾精〕,万物化生す。
    易に曰く、三人いけば一人を損す。
    一人行けば其の友を得、と。致一なるを言うなり。」 (繋辞下伝)

   (天地も男女も二つ〔ペアー〕であればこそ一つにまとまり得るとの意)

  ※参考 ・・・ 日本の「国学」、神道(しんとう)、随神(かんながら)の道 
     ── 天御中主神 〔あめのみなかぬしのかみ〕;天の中心的存在の主宰神

   
● 中=なか・あたる、「ホド(程)」、ホドホド…あんばい(塩梅・按配)する、
  良いあんばい、調整、いい加減=良い加減=中道・中庸、 
  中庸は天秤〔てんびん〕=バランス=状況によって動く

    ♪“ホドの良いのにほだされて…”(「お座敷小唄」) 
    “千と千尋の神隠し”の「中道」行き電車、
    “ヴントの中庸説”、 入浴の温度、 飲み物(茶・酒)の湯加減、 
    スポーツ競技での複数審査員の合算評点法 ・・・ etc.

 1) 静的(スタティック・真ん中)なものではなく、動的(カイネティック、ダイナミック)

 2) 両方の矛盾を統一して、一段高いところへ進む過程、無限の進化

   例 ─「中国」、「中華」、「黄中」、
      「心中〔しんじゅう、心・中す、=情死〕、「折中

   ※ 参考 ─“中(なか、あたり)”さん〔人名〕、大学・中学・小学、「中学」は違う!



 ◎ 中庸参考図 (棒ばかり)
 

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(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)


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「真儒協会開設 5周年に想う」 真儒協会副会長 嬉納 禄子

「真儒協会開設 5周年に想う」
                    真儒協会副会長 : 嬉納 禄子 〔きな さちこ〕

―――  照隅啓蒙/たかね研究所/「君子の儒」/「一〔いつ〕なるもの」(不変・変易)/
       「縁尋機妙」/「経の師は遇い易く、人の師は遇い難し」/“変化〔Change〕の学”/
       「時に中す」/「飛龍」  ―――


( ※ 本稿は、さるH.23.4.29 に催された“開設5周年 真儒の集い”で、参加者に配布いたしました 嬉納禄子 女史の随想です。)


《 はじめに 》

 真儒協会開設 5周年を皆さまと共に迎えられますことを、
心よりお慶び申し上げます。

 “真儒協会”は、平成19年 6月16日に、“発足の会を催しまして、
照隅啓蒙〔しょうぐうけいもう〕 ”の対外的活動を開始いたしました。

「光陰矢のごとし」と申しますが、あっという間に月日が流れ 
5周年目の“真儒の集い”を迎えることとなりました。

誠に、感慨深いものがあります。


 念願のインタ−ネットによる発信活動も、
平成21年春から本格的に開始いたしました。

○真儒協会ホームページ : http://jugaku.net/
  (文字検索 : 儒学に学ぶ

○盧会長のブログ : http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/
  (文字検索 : 儒灯 〔じゅとう〕 】

内容も “定例講習レジュメ” ・ “儒学からの言霊” ・ “儒学随想” ・・・ など、
しっかりと充実してまいりました。

沢山の方がご覧になって、自学・自修に利用して頂きつつあります。

ネットによる発信内容に感銘を受けられて、
それをきっかけに、“真儒の集い”に参加されたり、
“定例講習”を受講されたりする方も増えてまいりました。


 『論語』の冒頭に、「朋〔とも〕遠方より来る有り。亦〔また〕楽しからずや。」 (学而第1)
[共に道を学ぼうとして、思いがけなく友人が遠くからはるばるやって来る。
何とまあ、楽しいことではないか。] とあります。 

このことが、近年は、私にとりまして大変身近に力強く感じられております。


 さて、敗戦後の日本は、“日本の善きこころ” を忘れ、
教育現場から(半世紀以上も)道徳・徳育が無くなっています。

これでは日本の未来は危ういと、
盧先生は“儒学”のルネサンス〔再生・復活〕を志されました。

『論語』にいう「温故知新」です。

新たに「真儒協会」を開設され、
“照隅啓蒙〔しょうぐうけいもう〕 ―― もっと光を ―― ”のスローガンのもとに、
今日まで着実な活動を重ねてきておられます。


 真儒協会の中心的活動である“定例講習”は、
「論語」 ・ 「老子」「孝経」 : H.22終了) ・ 「本学〔もとがく〕」 ・ 「易経」 の
4つの講座から構成されております。

全講座を、盧秀人年先生お1人で講義されておいでです。

私は、4科・4人の先生による講義と錯覚して、
いつも不思議を感じるところです。

漢文原書の現代語訳・解説をはじめ、
すべてオリジナルで講習教材を作成され、
またパソコンに入力してレジュメをネット上に発信されております。

http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/cat_10018468.html

いつもながらのこととはいえ、驚異的な多才〔マルチ〕と 
その精励ぶりに感心することしきりです。


 3年余をかけて「孝経」全文の講義が終了し、
昨年度から、「老子」の学習が開始されました。

東洋思想を学ぶ者にとって到達点、ある種の憧憬〔あこがれ〕ともいえる
『易経』『老子』
を、ふたつながら学べますことを
ほんとうにありがたく感じております。

《 師のこと 》
 
 私の師・盧先生は、多芸多才の器量人です。

多くの分野に才能を発揮されています。

学問においても、“ふところ” が深く、多くの専門分野を一身に修められ、
学識を蓄えられておいでです。

公的資格を 50 ほどもお持ちです。


 例えば、美術・デザインの分野では、
「カラー〔色彩〕」の第一人者として知られています。

ご自身、日本で最初の、第一回文科省認定・1級カラーコーディネーターです
(’92認定取得)。

大学で講義されたり民間のスクールや団体で講演を重ねられたり、
教本執筆や教材の開発を手掛けられたりと、
その才能をいかんなく発揮されてきました。


 私も、「たかね研究所」で “色彩研究科”に在籍して、
色彩検定対策講座、パーソナルカラー研修課程などを広く・長く学ばせて頂きました。

“色彩研究科”には、1級カラーコーディネーターやカラーアナリストの
全国レベルの先生方が、きら星のごとくいらっしゃいました。

それらの諸先生方の、個性あふれる優れた面に学ぶことが出来ました。

とても、恵まれたことと感謝いたしております。


 とりわけ、私は、盧先生の肝いりで、
カラー・メイク・アロマのスペシャリストである 汐満未佐子先生に、
パーソナルカラーとメイクの専門的個人指導をして頂きました。

たいへん光栄に思っております。

汐満先生は、真儒協会とのつながりでも、
カラーやメイク、風水の分野で“特別セミナー”をお手伝い頂き、
また毎・年度当初の “真儒の集い”では、司会・進行をお務めになっていらっしゃいます。


 そして、特に記しておきたいのが盧先生のご子息、盧未来さまについてです。

 盧未来さまは、幼少より父君〔ちちぎみ〕に、
『孝経』・『大学』・『論語』・『易経』などの薫陶を受けられました。

“11歳”で、易学の大きな団体で初めての講演 (テーマ : 「易と動物」 を
立派に果たされました。

その折、受講生の(年配)の方が感動なさいまして、
「今まで『易経』は難しいと敬遠していましたが、今日からその考えを改めて、
勉強していきたいと思います。」との感想を述べられたのを、
印象深く記憶しています。

翌年、12歳の時、真儒協会・“発足の会”で、
「教育勅語」 を格調高く朗誦〔ろうしょう〕
されました。


 盧未来さまは、その後、逞〔たくま〕しく成長されており
人望・徳望は衆を超え、強力なリーダーシップを育まれています。

中1で剣道部主将、高1で応援団団長に就かれました。

現在、高校生活を諸活動と勉学に、
「自強不息〔じきょうふそく〕」 (『易経』 乾・大象) で励んでいらっしゃいます。


 盧先生は、よく、「一〔いつ〕なるもの」(不変・変易)は、
一面で“受け継がれるもの”
 (DNA./【雷風恒〔らいふうこう〕】卦)でもある、
と持論を語っておられます。


志と思想は、受け継がれなければなりません。

『論語』に「後生畏るべし」とありますが、
まさに、未来さまのような青年のことをいうのでしょう。

将来、正しく志と思想を“受け継ぎ”、
日本を背負う 「君子の儒」・リ−ダー となり、
“世界の架け橋”となられることを楽しみに期待いたしております。



《 友のこと 》
 
 「たかね易学研究所」の学友で、
物故者となられた方々にも善い人がいました。 

 Rさんは、いつもご自身の波乱に満ちた深い人生体験を、
易学に基づいて語られていました。

それは、私にとって活〔い〕きた学問であり、とても勉強になりました。

難病をかかえており、医師から余命が告げられ、
「その(告げられた寿命の)歳から、すでに10年 生き続けています」
とおっしゃっていたのが、いまだに印象に残っています。

盧先生のもとで学ぶことができる機縁をとても喜ばれて、
熱心に学習されていました。

ご自身が、サロン風の“鑑定所”を開いて、
アドバイザーとして活躍する日を楽しみになさっていましたのに。

残念ながら、その日をまたずに逝〔い〕かれました。

 もうおひと方、Tさんは、真儒・定例講習では、
「(研究)発表」で朗読を務められました。

盧先生から、私といっしょに“書”もご指導していただき
2人して立派な軸装(半折)に仕上げ、美術展に出品したりしました。

彼女は、東洋源流思想を熱心に学ばれていました。

ご自身、「仁徳」が体からにじみでていて、“凛〔りん〕”とした雰囲気の方でした。


 この、類〔たぐい〕まれなるお二人は、私の半生最良の学友・道友でした。

お二人にご縁があったことを身の幸せと思い、
縁尋の機妙〔えんじん きみょう: 善い人から善い人へと縁がつながっていきます。
これは、まことに人知を超えた神秘なものであるということ〕」

想わずにはいられません。

 以上にみてまいりました私の師との、また友との巡り合いにつきましては、
今、この「縁尋機妙」ということばを、深くかみしめております。

人の運命は、人間や学問・モノ事などとの出合いによって、
大きく変わってまいります。

善い師・善い友に巡り合えば生きていく力が増し、
善い学問・モノ事は人生を豊かに輝かせます。

このあたりが、“人生(の成功)は運が大きい”といわれるゆえんなのでしょう。

“自分のことは自分で決めろ”と申しますが、
“変化”に良く即応し善き生活環境(場)に自分をおくには、
善い師・友の導きが重要です。

中国の古い言葉に、
「経〔けい〕の師は遇い易く、人の師は遇い難し」とあります。

講説の先生には出会えても、
人生を教えてくれる先生にはなかなか出会えないものです。


この歳になり、しみじみとこのことを実感しております。


《 私のこと ・・・ 》

 私は、故郷の沖縄から大阪に出てきて 40年ほどになります。

その大半の歳月を「たかね研究所」という“場”での学修活動で過ごしました。

盧先生の講演のアシスタント、政治活動のお手伝い、
歌唱などの芸術活動、などなど。

他所〔ほか〕では得られない、幅広く多彩な人生体験を重ねさせて頂きました。


 私は、師に恵まれているとつくづく思います。

盧先生に出合ったことで、『易経』を筆頭に東洋思想を学ぶことができました。

更に、盧先生とのご縁を通して(間接的に)東洋思想の泰斗〔たいと〕、
安岡正篤先生の教学を学ぶことができています。


 なかんずく、盧先生から東洋思想の源流 『易経』を学べたことは、
私の“人生の宝”・“財産”です。


この易学により、後半生の生き方が一変いたしました。

易は“変化〔Change〕の学”です。

「臨機応変」・“臨変応機”という語があります。

私は、盧先生から、その時々・変化に対して
適切に「敏〔びん〕」に対応すべきであることを教えて頂きました。

「時のよろしきを得る」・「時に随〔したが〕う」・「時に中す」・・・ ということです。

先生から易を学んだことで、窮することなく、
円通自在の易の世界で人生を賁〔かざ〕ることができております。


 ところで、真儒協会では、毎年4月の年度初めに
“真儒の集い”を開催
いたしております。

1部:特別講演 / 2部:式典 の構成内容です。


 私も、平成21年度“真儒の集い”・特別講演で講演させていただきました。

テーマは、「儒学と私 ―― 師と 『易経事始』 との出合い ―― 」です。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50755067.html 

私にとって、過分の貴重な体験でした。

それまで、日本易学協会大阪府支部、関西師友協会・篤教講座などで
講演・発表
の機会を頂いておりました。

しかし、この時の特別講演は、私の人生にとって
一番の大決心・大奮闘で務めさせて頂きました。

私の人生で最大の“実績”です。

盧先生には、最初のあいさつの仕方に始まり、
いろいろと事細かにご指導を頂きました。

結びのあいさつの時には、先生に対する感謝の気持ちで、
胸にこみあげてくるものがありました。


《 おわりに 》

 いま“5周年”の貴重な節目にあたり、
“あなたが、一番大切にしているものは?” と聞かれましたら、
私は迷わず 「師」ですと応えます。

盧先生と、師弟の縁で出合ったという意味です。

それを契機〔けいき〕に学友・道友にも出合えました。

そして、儒学・易学を学ぶことも出来ました。


 現在、真儒協会副会長という過分の要職を頂き、
温かく育んで頂いておりますこと、
またこうして研究や発表の“場”を頂いておりますことに
心から感謝申し上げます。

お陰様をもちまして、浅学菲才な私の、
晩年の人生が “きらめいた” ものとなっております。 

――― これで“善かった”と思えております。


 『易経』 64卦、第一番目の卦【乾為天〔けんいてん〕】の 5爻辞〔こう じ〕に、
「飛龍〔ひりゅう〕 天に在り。  大人〔たいじん〕を見るに利〔よ〕ろし。」とあります。

5爻の陰陽変じて、之卦〔しか:近未来を現わします〕は、
【火天大有〔かてんたいゆう〕】[大いに有〔たも〕つ の意]です。


 真儒協会と盧先生父子が、“インターネットの雲”に乗り 
「飛龍」 となって天翔〔あまがけ〕る
日が来ることを、せつに希望して結びといたします。

                                               ( 以 上 )




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※吹田市立博物館における、講演のご案内掲載しております。 (2011年6月)
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『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想

『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想

―― 変化の思想・「無常」・「変易」・運命観・中論 など ――

「つれづれなるままに、日くらし、硯〔すずり〕にむかひて、
心にうつりゆくよしなき事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ 。」

吉田兼好〔けんこう〕・『徒然草』の、シンプルな冒頭(序段)の文章です。
中学・高校で 誰もが習い親しんだものです。中味・段のいくつかもご存知かと思います。

兼好法師は、当代の優れた僧侶・歌人であり教養人でありました。
歴史的に、中国の儒学は 専らインテリ〔知識人〕である聖職者に学ばれ、
彼らの思想のみなもとを形成いたしました。

『徒然草』の思想的・文学的バックグラウンド〔背景〕を形成するものの中心として、
仏教典籍以外に、国文学(平安朝)和歌・物語と漢籍(中国の古典)があげられます。

漢籍では、儒学の四書五経、とりわけ『論語』の影響がきわめて大きいといえます。

私は、『徒然草』を研究・講義する折も多いので、
今回 私流に、儒学・易学思想の視点からこれを観てまとめてみたいと思います。
( ※ 原文の読みがなは、現代かなづかいで表記しておきました。 )

◇◆◇------------------------------------------------------------◇◆◇

鎌倉時代、中世の開幕は、貴族が社会の中心の座を譲り、武家の時代が到来したことを意味しました。
この新しく、激動と混乱の時代も、元寇を契機として急速に幕府の力が衰えてゆき、
南北朝の動乱の時代へと向かってゆきます。

吉田兼好が生き 『徒然草』 を著したのは、こういう時代変化と社会不安の時期だったのです。

『徒然草』は、清少納言の 『枕草子〔まくらのそうし〕』 と並び 随筆文学の双璧とされ、
また鴨長明〔かものちょうめい〕の 『方丈記〔ほうじょうき〕』 と共に
この時代を代表する隠者文学の金字塔です。

以下において、この 『徒然草』 の中に表されている兼好の世界観・人間認識について
いくつかの段ごとに具体的に考察してみましょう。
そして、『徒然草』に共通する観方・思想的基盤について論じてみたいと思います。


【第7段】 “あだし野の露きゆる時なく”

兼好の特色が非常に良く表れていると思われます。
まず、和歌(和文)と漢籍の影響があげられます。

あだし野きゆる時なく ――― 」 (『新古今集』、『拾遺集』など)、
「かげろふの夕べを待ち」 (『淮南子〔えなんじ〕』)、
「夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし」 (『荘子』)、
「命長ければ辱〔はじ〕多し」 ( 同上 )、
「夕べの陽に子孫を愛して」 (『白氏文集〔はくしもんじゅう〕』)
等などからの引用が推測されます。

そして、思想的には無常観・仏教的無常観がベースになっています。
「煙立つ」 と 「立ち去る(死ぬ)」 ことをかけており、
「 ――― 世はさだめなきこそ、いみじけれ。」
「もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。」 と。

この世は不定であるからこそすばらしいという無常の肯定と、
この世の深い情趣もわからなくなって生に執着する老人に対する慨嘆です。

この段は、多分にネガティブ(否定的)で仏教的・情趣的な感じがします。

後述しますが、私には、兼好の無常観はもっと中国源流思想としての、
易の変化の思想としてプラスイメージで展開されていくように思っています。


【第50段】 “応長の比〔ころ〕、伊勢の国より”

不安な時代(流行病 = 疫病) には、あやしげな流行がつきものですが、
この段の(女の)鬼の噂もそれです。

流言に右往左往する人の姿、
群集心理に足をすくわれる人間の弱点が生き生きと描かれています。

さて、俗人はともかく。
遁世している兼好にとってはどうであったでしょうか。

「 遯〔とん〕 」(※易卦 「天山遯」) として達観し 人々を愚かしく想っているか、
というとそうでもありません。

彼は虚実を確認するように人を走らせます。
自らは現場に赴かないのです。
そして、虚言の生態についていろいろ合点してゆきます。

この理性的抑制と感性的好奇心とのバランスが特徴的です。
兼好の世俗とのかかわりの姿勢、世俗とのスタンス・距離感を示す好例でしょう。

ちなみに、高齢社会が進展する現代(21世紀初頭) において、
このような隠者のあり方は、一つの有力な示唆を与えてくれるような気がしています。


【第51段】 “亀山殿〔かめやまどの〕の御池〔みいけ〕に”

ここでは、水車を例にスペシャリスト(専門家)に対する肯定・賛嘆がなされています。

「萬〔よろず〕にその道を知れる者は、やんごとなきものなり。」
人間の有限・相対性を確認した上で、人間を肯定的に捉える考え方がみられます。

私は、この人間肯定の姿勢が、運命( = 無常 ) を宿命的にではなく
主体的に(変えて)生きる積極的思想と“一貫(いつもって つらぬく)” するのではあるまいかと思っています。


【第60段】 “真乗院に、盛親僧都〔じょうしんそうず〕とて”

いもがしら 好きの曲者〔くせもの〕。
仁和寺〔にんなじ〕圏の説話にもとづいた一段です。

形式的には、主として“伝聞回想”の助動詞「けり」によって語られています。
そのことは、興味中心の収録ではなくて、
むしろ逆に、より兼好自身を語る個性的なものとなっていると考えられます。

盛親僧都 ―― この不思議にも常識を超え、人を食った高僧の自在なる言動を描き、
兼好にとって及びがたい境地としながら、至高なものとして示しています。

すなわち、「尋常〔よのつね〕ならぬさまなれども人に厭はれず、よろず許されけり。徳の至れりけるにや。」
と結びます。

私は、ここに兼好の老荘的境地を感じます。
「道は常に無為にして為さざるなし」「無為にして化す」(『老子』第37・57章)、
そして、茫洋〔ぼうよう〕としてつかみどころのない人「和光同塵〔わこうどうじん〕( 同 56章)
の人物のあり方に魅力を感じ、その機微を認識し、それでいて自分自身は至り尽くせぬ境地
と認めつつ書いているように思われるのです。


【第74段】 “蟻のごとくに集りて”

「蟻のごとくに集りて、 ―― 」
冒頭部は 『文選〔もんぜん〕』 からの影響が推測されます。
全文ほとんど対句表現で、漢文・漢文訓読体の緊張感と格調の高さが感じられます。

無常観は、この段では確信に満ち「生〔しょう〕を貪〔むさぼ〕り、利を求めてやむ時なし」 の人々を嘆じます。

老いと死は、速やかに来り、時々刻々 一瞬も休止しないのです。

「常住」(不滅・不変)を願って 「変化〔へんげ〕の理〔ことわり〕を知らねばなり」と結んでいます。 


【第91段】 “赤舌日〔しゃくぜちにち〕といふ事”

「赤舌日」という忌日を通じて兼好の運命観・人生観をうかがわせる段です。

日の吉凶は、現代(人)においても多くの影響を与えています。
平安の時代、ことに貴族たちの生活は ほとんど迷妄にしばられていて、
物忌〔ものいみ〕や方違〔ほうたがえ〕などで禍〔わざわい〕を避けようとしていました。

兼好は、吉日と凶日を選んだ行為の結果を統計的に論証して合理的批判を加えます。
そして 「無常」 「変易〔へんやく」、 人の心 「不定〔ふじょう〕」 の変化の理を説きます。

ここでいう 無常や不定には、当時隆盛であった鎌倉仏教の影響が考えられます。

変易については、私見ですが、当時の教養人・知識人である兼好は、儒学的素養があり、
易・『易経』の思想・哲学を持っていたと推測されます。

『易経』は、英訳の “ The Book of Changes ” が示すように変化の理であり、
その三義は 「変易〔へんえき〕」 ・ 「不易」 ・ 「易簡(簡易)」 です。

こうして兼好は、中世にあって、開かれた精神 「吉凶はひとによりて、日によらず」 と結びます。
つまり 宿命と運命を区別し、運命は人間が打開できることだと断じているのです。
注目すべきことです。 
西洋思想において、ヘーゲル哲学も運命は その人の生き方により決定されるとしています。             


【第92段】  “或人〔あるひと〕、弓射る事を習ふに”

弓術の師の洞察・教訓に基づいて、人間の心の裡〔うち〕に潜んでいる
「懈怠〔けだい〕の心」への省察を説いています。
兼好は師の言葉に同感して、「道を学する人」の覚悟を説き 無常観に及んでいます。

すなわち、前段において中世にあって開かれた精神 「吉凶は人によりて、日によらず」と結び、
運命はその人の生き方によって切り拓けるのだという積極的思想を展開しています。

そして 時についての考え方は、あとなどない、今をしっかり生きなさい ということでしょう。

結びの 「ただ今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。」というのは、
一瞬一瞬 変化する時を大切にして変化に応ずる 「臨変応機」(変化に臨んで機智で応ず)
という事が言いたかったのではないでしょうか。


【第106段】  “高野証空上人〔こうやのしょうくうしょうにん〕”

上京途上、相手の不手際によって事故に遭った証空上人の怒りと始末を語る説話です。
博学ながら臨機応変の対応が出来ず、怒りで我を忘れた高僧がユーモラスに鮮やかに描き出されています。

私には、『論語』の一節
「顔回といふ者あり。学を好む。怒りを遷〔うつ〕さず。過〔あやま〕ちを、弐〔ふた〕たびせず。 ――― 」(擁也第6)
が連想されました。

結びの 「尊かりけるいさかひなるべし」は、仏教的学識や雄弁そのものは立派ですから「尊し」、
その一方的叱責であるとの意です。軽い皮肉であろうと思われます。

兼好は、おそらくこの上人を、子供が怒って後悔するがごとき “純” な人柄として
ほほえましく紹介しているのでしょう。

この段、無常の “変化” に対応出来なかったエピソードと捉えられるでしょう。


【第155段】  “世に従はん人は”

非常に思索的・哲学的な中味の深い内容であると思われます。

前段では、仏教的無常観に基ずく兼好の主張が述べられています。
「機嫌」は 本来仏教用語で 「譏嫌」と書き、ここでは時期・ころあいの意です。
「ついで」も前段部二箇所はほぼ同じ意味です(後段では順序の意)。

「生・往・異・滅の移りかはる」(四相)
「猛〔たけ〕き河のみなぎり流るるが如し。しばしもとどこほらず、ただちに行ひゆくものなり。」
「真俗につけて(真諦・俗諦)」 と、相対的に緩急感ずる時間に沿って変化すること、
速やかに流れていくことを述べています。

時の流れを河の流れとのアナロジー〔類似〕で表現している所は、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。――― 」の 『方丈記』の書き出しを想起させます。

「必ず果し遂げんと思わんことは、機嫌をいふべからず。」

東洋における変化の源流思想は “易” です。
変化の思想(変易)は、哲学的に変わらぬものを前提としています。
この「不易」を含んだ変化の理を説いていると、私は理解しています。

後段は、具体例として時(四季)の運行と 生から死への必然(四苦)の対比が、
無常・変化の理で厳然と述べられています。

ここで特徴的なことは、変化が 内在的超出作用により 弁証法的な発展の論理で示されている点にあります。

「春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、 ――― 。」
ヘーゲルの弁証法による 正(テーゼ)・ 反(アンチテーゼ)・ 合(ジンテーゼ) です。

そして、変化(死)は、必ずしも漸進的でなく飛躍的に実現されると説きます。
アウフヘーベン(止揚・楊棄 = 中す)です。

東洋流にいえば、儒・仏・道を貫く 「中論」 を展開しているといえるでしょう。


【第243段】  “八〔やつ〕になりし年”

「つれづれなるままに、 ――― 」で始まった 『徒然草』の終章。
この終章は構成上どのような意味を持っているのでしょうか。

内容は誰しもにありがちな、無邪気な親子の対話(テーマが仏なのは少々異)ですが、
兼好は 『徒然草』をそれなりの思い入れと文学的情熱を傾けて完成させたのであろうことをかんがえてみれば、
この段には深い意味が込められていると思われます。

それは兼好の世界観であり、また人間観なのです。

『徒然草』の中に、幼少年期の兼好が登場するのも 父(ト部兼顕〔うらべかねあき〕)が登場するのも、
これが最初で最後です。

ここで兼好が幼時から聡明で極めて論理的(形式論理的)であることがわかります。
この知性的特質が、成長して兼好の明晰鋭敏な思想を形成させたであろうことを うかがわせるのです。

ところで、『易経』は人生の シチュエーション〔 situation 〕を 64 の卦の辞象で表現した体系であり、
『徒然草』もまた 人生のシチュエーシヨンへの思索であります。

そこに、何らかのアナロジーを見出すことも可能でしょう。

易の 63番目の卦は「水火既済〔きさい〕」で、完成・成就の卦です。
64番目(最後)が「火水未済〔かすいみさい〕」未完成の卦です。

こうして、未完成を最後にもって来ることによって、易は窮することなく、
限りなく終りなく、(円のように) 循環するのです。 

序段にある 「心にうつりゆく」は、時間的に 「移りゆく」ことでもあります。
人生も晩年である兼好は、亡き父を登場させ、自身の幼少年期を登場させ
その成長・発展を暗示します。

父 ― 子 ― 孫 といった世代の連続(仏教的輪廻〔りんね〕)を示しているように私には思われるのです。
無限に変化 − 循環(受け継がれ連続)するという意味での 「無常」 です。


以上、各段ごとに考察してまいりました。
結びに、兼好の思想に一貫するものをまとめておきましょう。

『徒然草』は 思想的には、一般に 仏教的無常観であるといわれています。
しかし、私は、兼好が 「変化〔へんげ〕の理〔ことわり〕」(74段)と呼ぶものを、
東洋的 “変化〔へんか〕の思想” として捉えてみたいのです。

源流思想としての 易・『易経』の世界観・人間観です。
変化は同時に 「時」 の理でもあります。

序段の「心にうつりゆく」は、時間的遷移〔せんい〕でもあり、その遷移は中論(弁証法)的に捉えられます。
無限変化 ―― 進化循環するという意味においての 「無常」です。

従って兼好人間観・運命観は、陽性にして肯定的・主体的です。
つまり、宿命と運命を峻別し、運命は人間の力で打開できると信じています。

中世にあっては、注目すべきことではないでしょうか。
ヘーゲル哲学の運命観も同様であり、ここに近代精神の先駆を見ることも出来ると思います。


                              ( 高根 秀人年 )



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