儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

子夏

儒学の「素」に想う (その1)

儒学の「素」〔そ/しろ=白〕に想う 

――― 孔子と“色の弟子”子夏〔しか〕の問答/
  “色”の三(定)義/「素以為絢」・「繪事後素」/
  素〔そ・しろ・す・もと〕=白:white/
  “五色〔ごしき〕”・イッテンの“ペンタード”/白賁〔はくひ〕/
  素行・自得≒安分知足・無為自然/儒学の「素」〔そ/しろ=白〕・【離☲】/
  黄老の「玄」〔げん/くろ=黒〕・【坎☵】/“(善)美なるものは白” ――――


《 §.はじめに 》

最近(2014)スピーチで、
「皆さんには、進路(将来・人生・職業)に対するいろいろな思いがあるでしょう。
―― そこにをつけなければなりません・・・」
という表現を耳にしたことがあります。

また、駅の宣伝大パネルで、某大学の宣伝広告に、
巨大な“カメレオン” 補注1) が虹色に彩色されて描かれ
「キミハナニイロ?」とキャッチコピーが大きく書かれていました。

これらは、色と人生が重ねられて擬〔なぞら〕えられて語られているほんの一例です。
21世紀は“カラーの時代 〔Color Ages〕”ということを改めて感じました。

そもそも色の世界を持つもの(色が見えるもの)は、ホ乳類だけです。
犬の人生(犬生?)や猫の人生(猫生?)は、
白と黒の“グレースケール”の中に表現され擬〔なぞら〕えられるわけです。


ところで、孔子の弟子に子夏〔しか〕という人がいます。
“子貢〔しこう〕”と字面〔じずら〕が似ていて間違えそうですが ・・・ 。

『論語』文学子游子夏(先進・第11)とありますように、
「四科(十哲)」では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」というのは、古典・経学のことです。

姓は卜〔ぼく〕、名は商。子夏は字〔あざな〕です。
孔子より、44歳年少です
謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。

文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長・総長といった感じでしょうか。

曾子が仁を重視する立場(忠恕派)なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派)です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は、まことに大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 

長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったとも伝えられています。

子夏は『論語』でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。

というのは、“色”っぽい(?)弟子・子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』は子夏の言に、
“色”にまつわる記述が多くあるように思われるのです。

私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」)としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子”としての印象なのです。 補)


さて、『論語』の一節に、“絵の事”に擬えて
「素」=“白”について述べられている孔子と子夏の興味深い問答があります。
(八佾・第3−8) 

「素」〔そ/しろ=白〕・【離☲】は、儒学思想の要〔かなめ〕です
私は、“「白と黒」は色の本質であり、「素〔そ〕と玄」は人間の本質であり、
【離☲】と【坎☵】は万物の源 である”
 と考えております

今回は、この問答の一節を“切り口”にして、
「素」=“白”が持つ人間学的・形而上学的な真意・深意にアプローチしてみたいと想います。


補注1) 

易学・『易経』は、変化とその対応の学です。
「易」の字義について、蜥易〔せきえき〕説というものがあります。
それは、「蜴」(とかげ)に因〔ちな〕むとするもので、
トカゲ〔蜥蜴・石竜子〕は変化するからというものです。
私は、この「蜴」を、体表の色を周囲の環境に合わせて
千変万化させる(保護色)“カメレオン”の一種ではないかと想像しています。

補)

“色”の三(定)義を考える(色相・明度・彩度の“三属性・三要素”のことではありません)

(1)“色っぽい”の意。「色」の文字は、元来男女の“からみ”を表した象形文字です。
   この意味は、東洋においてのみです。
(2)“カラー〔色彩(学):Coror/Corour〕”の意。欧米における “色”は、この意味です。
(3)“顔色”の意。「顔(色)が青(白)い」 といったように、顔に出る色のことです。

cf.漢方(中医)と顔色 ⇒ 五行・五色の思想から体系立てられています。

ex.“五色診”後述


《 §1.孔子と子夏の「素」をめぐる問答 》


『論語』 に孔子と子夏の、「素」=“白”をめぐる興味深い問答があります。
まずは、全文を紹介いたしましょう。 

○“子夏問いて曰く、「『巧笑倩〔こうしょう せん〕たり、
美目盼〔びもく はん/へん〕たり、素〔そ〕以て絢〔あや〕を為す。』 ※注) 
とは何の謂いぞや。」 | 
子曰く、「絵事〔かいじ/絵の事〕は、 
A:素より後〔のち〕にす(後る) 」 B:素を後〔のち〕にす。」と。 | 
曰く、「礼は後か」 | 
子曰く、「予〔われ/よ〕を起こすものは、商なり。 (※予を起こすものなり。商や・・・ ) 
始めて与〔とも〕に詩を言うべきのみ。」と。”  

(八佾・第3−8)

  
【 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、以為絢兮、何謂也。| 
子曰、繪事後素。 | 
曰、禮後乎。 | 子曰、起予者商也。
始可與言詩已矣。(※子曰、起予者。商也始可與言詩已矣。) 


《 大 意 》
子夏が、「『にっこり〔莞爾〕と笑うと口元が可愛らしく(エクボが出て愛嬌があり)、
目(元)はパッチリと(黒い瞳が白に対照して)いかにも美しく、
(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、
何とも艶〔あで〕やか』※注) という詩がありますが、
これはどういう意味のことを言っているのでしょうか。」 と質問しました。 |
孔先生がおっしゃるのには、「絵画で言えば、 
A:(の胡粉〔ごふん〕)で地塗りしてその上に彩色するようなものだ。」
B:彩色して一番最後に白色の絵具(胡粉〔ごふん〕)で仕上げるようなものだ。
」 
と。 |
(子夏が質問して言うには) 
A:礼(儀作法)は、まごころ〔忠信〕というベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」 
B:(まごころをもとにして) 礼(儀作法)が人の修養・仕上げにあたるものなのですね
。」 |
孔先生がおっしゃるのには、
「わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれる者は商(子夏の名)だね。
(※わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれたものだね。商よ、お前でこそ、共に ・・・ ) 
商のような(古典を活学できる)人にして、はじめて共に詩を語ることができるというものだね〜。」 と。


《 解 説 》
子夏のこの時の年齢はさだかではありませんが、
(孔子との年齢差を考えるにつけても)おそらく若々しい青年だったでしょう。
純情内気な子夏が、生真面目〔きまじめ〕に(艶〔つや〕っぽいことについての)とぼけた質問をして、
それに対して覚人達人の孔子が ポン とよくわからぬ応〔こた〕えをしています。
その応えに、賢く類推し凛〔りん〕として思考を閃〔ひらめ〕かせています。
禮後乎」とわずか三字で表現したところに“打てば響く”がごとき子夏のシャープな覚りが感じられます。
その賢い弟子に対して「起予者」と三字で応じた孔子も流石〔さすが〕なるものがあります。

―― この問答の深意は、読者のみなさんには、“禅問答”のようで、
トン とよくわからないものでしょう。
このあたりが又、『論語』の得も言われぬ妙味たるゆえんかもしれません。


※注) 
『詩経』の詩について、上2句は衛風・碩人篇にありますが、下1句は見当たりません。
「笑〔え〕まい可愛いや口もとえくぼ、目もと美しぱっちりと、白さで美しさをしあげたよ。」
(金谷治・『論語』 p.56 参照引用)


参考資料

「 人形 〔にんぎょう〕 」      1911(M.44)年 5月 

   文部省唱歌/作詞作曲ともに不詳/ 『尋常小学校唱歌・第一学年用』

1.わたしの人形はよい人形。
  目は ぱっちりと いろじろで、
  小さい口もと 愛らしい。
  わたしの人形はよい人形。

2.わたしの人形はよい人形。
  歌を うたえば ねんねして、
  ひとりでおいても 泣きません。 
  わたしの人形はよい人形。


※1970年代、替え歌 CMソング(関西地区限定)  『モリシゲ人形のうた』

1.わたしの人形は モリシゲで
  お顔がよくて 可愛くて
  五人囃子に 内裏さま
  たのしいみんなの ひな祭り

 ―――  2.3.4.5.

 最後に

  目は ぱっちりと いろじろで
  小さい口もと 愛らしい
  わたしの人形は よい人形。


《 §2.白 white = 素 について 》

「素」“そ”は、それを 「絵事」=色彩 として捉えれば、「素」“しろ”と発音されます。
「黒:Black」に対する「白:White」です。

この色彩としての“白・黒”の概念については、
次の3つの場合を考えることができると思います・・・



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


2. 論 語 

■ 孔子とその弟子の言行録 /応神天皇 16年、王仁〔ワニ〕 によって伝えられる
10巻20篇。 / 『孝経』 とともに 大学の必修 / 
“綸語” ・ “輪語” ・ ☆ “円珠経” ・ “宇宙第一の書” / 
“論語読みの論語知らず” ・ “犬に論語” /
孔子75代嫡長孫 「孔祥楷」 氏、77代 「孔徳成」 氏


cf.世界史レベルでのベストセラーは? 【 聖書 と 論語 】、
   第2は? 【 老子 】

※ イスラーム文化圏では 『コーラン』 が多、童話では 『ピノキオ』 が多、
  最近では 『ハリー・ポッター』 (4億冊あまり) が多 ・・・



《 冒頭 ・ 「小論語」 》


○「子曰く、学びて時に之を習う、亦〔また〕説〔よろこ〕ばしからずや。
朋〔とも〕あり、遠方より来る(朋の遠方より来る有り)、亦楽しからずや。 
人知らずして?〔うら〕みず、亦君子ならずや。
」   (学而・第1)

“ The Master said, To learn and at due times 
to repeat what one has learnt, 
is that not after all a pleasure ? ・・・ ”

《 大意 》
 孔先生がおっしゃいました。
「(先人のおしえを) 学び、時機に応じて (折にふれて/機会あるごとに)
おさらいして自分のものにしていく、何と喜ばしいことだねエ。 
(道友・学友) が遠方からやって来る、何と楽しいことだねエ。 
他人〔ひと〕 が自分の学問 ・ 価値を認めてくれなくても不平不満を抱かない、
何と君子〔できた立派な人物〕 ではないか」 と。


・「子」 ・・・ 男子への敬称、先生。〜子/子〜子。 『論語』 では孔子のこと。
         『論語』 に登場する “〜子” は、曾子ほかほんの数名にすぎません。

・「 ・・・ 人間形成 ・ 人格完成の学。 徳をみがく根本の学。 聖賢の学。 
         ⇒ 今の教育は、「学」 の内容そのものに欠陥があります。

・「時習 ・・・ 『論語』 の冒頭から非常にむつかしい言葉です。
         結論的に言えば、「時に之を習う」 では訳せないので
         「時一習ス」 とそのまま読むのが善いです。

・「之」 ・・・ “学んだことがら” を指します。

・「朋」 ・・・ 同じ学問 ・ 道を志す “学友” ・ “道友” 。
         ( cf. 「どんな朋でしょうか?」 の質問に 「心やさしい友達」 と答えた生徒がいました。
          ちなみに、いまどきの造語として “タダトモ” に倣って
          “ガクトモ” ・ “ミチトモ” もアリ?!)

・「君子」 ・・・ 有徳の人、人格の完成した人。
          また、そのようにあろうと努力している立派な人。
          ⇔ 小人〔しょうじん〕  =ジェントルマン、士〔もののふ〕

・「人不知而不慍」 ・・・ 孔子の人生を踏まえて味わうと重く深いものがあります。
              孔子の生涯は不遇であり、儒家の教えは当時認められず 
              “負け組” であったのです。
              この説は次のように解釈できます。 ── 
              徳をみがき(内面の) 人格を高めた人が君子です。
              内面が確立しているので、他人の理解や評価に流されないで、
              感情を制御〔コントロール〕 できるのです。
              善く出来た人 ・ 人格者は、他人の軽薄な評価や
              いい加減な社会的評価に動かされることはないのです。

・「学而」 ・・・ 『論語』 の20の章分けは、
          便宜的に最初の 2文字をもって名称としています。

・「不亦 ── 乎 ・・・ 「なんと〜ではないか」 と詠嘆を表しlます。



※ 『論語』の文言に由来して名付けられた、日本史上の著名人 ?

(1)【 伊藤 博文 】 (2)【 山県 有朋 】 (3)【 広田 弘毅 〔こうき〕 】 (4)【       】

(1)    “博文約礼”= 「 博〔ひろ〕 く文を学び、之を約するに礼を以てすれば、
            亦以て畔〔そむ〕 かざるべきか。」 (雍也・第6)

(3) 「曾子曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。仁以て己の任となる。
    亦〔また〕 重からずや。 死して後已〔や〕 む。 亦遠からずや。」 (泰伯第8)
  ⇒ “志人仁人” / cf.広田弘毅 首相・外相 (A級戦犯として文官中ただ一人死刑となる)



3.孔子の弟子たち 

          *(配布資料 : “孔子の弟子” ダイジェストB4プリント1枚)

○ 「弟子は蓋〔けだ〕 し 三千。 身、六芸に通ずる者 七十二。」
   (司馬遷・『史記』/孔子世家)

十大弟子〔ていし〕” / 孔門の “十哲” / “四科十哲


孟子(軻) −−−  [ 亜聖 ]

曾子(参) −−−  [ 宗聖 ]

孔子〔丘〕 −−−  [ 至聖 ]

顔子〔回・淵〕−−− [ 復聖 ]

子思(子) −−−  [ 述聖 ]


★ 孔子の後継
1. 【 忠恕派 ・ 仁の重視 】 : 曾子 ── 子思 ── 孟子
2. 【 礼学派 ・ 礼の重視 】 : 子游/子夏 ── 荀子 ・・・ (法家)李斯/韓非子
        (*子游は “礼の精神” を重んじ、子夏は “礼の形式” を重んじた )




■ 孔子の弟子たち ──  1.顔回 

 顔子 ・ 顔回。 は名、 は字。 孔門随一の俊才 ・ 偉才で 徳の人です
(後、「復聖」 と尊称されます) が、惜しくも早世(32か42歳)。
20代の頃から髪がまっ白であったといわれています。 
顔回は、孔子が自ら後継ぎと託した偉大なる愛弟子〔まなでし〕だったのです。  
※ 孔子との年齢差 「30」才



1)あたかも愚物の如し ( 「如愚」 ) ・・・ 孔子の顔回への初印象。

・「子曰く、吾回と言うこと終日、違〔たが〕 わざること愚の如し。
 退いて其の私〔わたくし/し〕 を省みれば、亦以て発するに足れり。
 回や愚ならず。」  (為政・第2−9)

《大意》
  わしは、回と一日中(学問上の)話をしたが、
 (全く従順で)意見の相違も反問することもなく、
 まるで何もわからない愚か者のようであった。
 だが、回が退出した後に、くつろいだ私生活を観てみると、
 わしが話し教えた道理をしっかりと行いの上に発揮(活か)することができておる。
 〔大いに啓発するに足るものがある。〕
 回は愚かではないよ。


2)「箪食瓢飲 〔たんし ひょういん〕 」 ・・・ 孔子の顔回賛美

・「子曰く、賢なるかな回や。一箪〔いったん〕の食〔し〕
 一瓢〔いっぴょう〕 の飲〔いん〕、 陋巷〔ろうこう〕 に在り。
 人は其の憂いに堪えず。 回や其の楽しみを改めず。 賢なるかな回や。」 
  (擁也・第6−11)

《大意》
  回は、ほんとうにえらい〔賢い〕ものだね。
 食べるものといったら竹のわりご一杯のごはん、
 飲むものといったら ひさご一杯の飲み物、
 住む所といったらむさくるしい狭い路地暮らしだ。
 普通の者ならそんな貧乏の憂い〔辛さ〕にたえられないだろうに。
 回は、そんな生活の中でも、心に真の道を楽しむことを変えようとしない。
 〔この修養の高さはとうてい他人の及ぶところではないね。〕
 まったくえらい〔賢い〕ものだね、回は!

 ※ 「賢哉回也・・・ 回也賢哉 というところを語の位置を変えています (倒置)。
            孔子が大いに賛美していることがうかがえます。
 ※ 「食」 ・・・・・ 動詞の場合は「ショク」、 名詞の場合は 「シ」 と読みます

 cf.「シカゴ大学にクリールという教授がおる。 
     ・・・・・・ 然しこの人には顔回がわからない。
     『顔回はあまりにも貧乏であったために、自ずから万事控え目になり、
     引っ込み思案になったのだ』 と言い、
     最後には 『少し馬鹿だったのではなかろうか』 とまで疑うておるのでありますが、
     とんだ誤解です。一寸〔ちょっと〕 以外な浅解です。 」 (安岡正篤・『論語に学ぶ』)



■ 孔子の弟子たち ──  2.曾子 


 曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。
弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 
70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。
孝経』 ・ (『曾子』 ・ 『大学』)の著者としても知られます。
「宗聖」 と尊称されます。

 私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕 を亡くし、
絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした
(=Gift) のように思われます。

孔子の愛孫、「子思」 を薫育します。
地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。

 『論語』 の門人で、いつも 「子」 をつけて呼ばれるのは曾子だけです。
(有子 ・ 冉子〔ぜんし〕 ・ 閔子〔びんし〕 は、字〔あざな〕 でも呼ばれています。)



1) あたかもなるが如し ── 第一印象

○「柴〔さい〕 や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕 やガン〔がん〕。」 
  (先進 ・ 第11−18)

《大意》
 柴(子羔 / しこう) は愚か〔馬鹿正直〕 で、参 (曾子) は血のめぐりが悪く、
 師(子張) は偏って中正を欠き、由(子路) は粗暴 ・ がさつだ。

 ※  = 遅鈍、魯鈍の語がありますが、
   血のめぐりが悪い ・ にぶい ・ “トロイ” と言った感じです。
   「愚」 も 「魯」 も、味わいのある語で日本語に訳せません。
   孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、
   それを期待して指摘 ・ 表現したのでしょう。


2)「吾日三省吾身」 ── 三省の深意

○「曾子曰く、吾〔われ〕 日に吾が身を三省す
 人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。
 *伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
  (学而・第1ー4)

《大意》
 曾先生がおっしゃいました。
 「私は、毎日何度もわが身について反省します。
 人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。
 友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。
 (先生から) 伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。
 (あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。) と反省してみます。」

 ※「吾日三省吾身」 :
 ・「三省
    (1)みたび吾が身を省みる
        ( 三 = たびたびの意 / 二たびではダメですか ・ 四たびではダメですか!) 
    (2)以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕

 ・「
    (1)かえりみる、反省する
    (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)

   cf.政治も教育も、「省く」 ことが大切です。
      が、現状は、「冗」 ・ 「擾〔じょう〕」。
       (分散、駁雑〔ばくざつ〕) ばかりで、
       (統合、収斂〔しゅうれん〕) がなく、
      偏倚駁雑 〔かたよりごたまぜ〕 です。

   ex.文部科学などの「省」、「三省堂」の由来



■ 孔子の弟子たち ──  3. 子路 

 私は、孔子(と弟子) の言行録である 『論語』 が、優れた一面として、
文学性 ・ 物語性をも持っていると考えています。
(優れた歴史書 『史記』 もまた文学性 ・ 物語性 ・ 思想性を持っています。)

 そういう意味での 『論語』 を、人間味(情味) 豊かに飾るものが、子路の存在です。
『論語』 での登場回数も子路(&由〔ゆう〕) が、一番多いのではないでしょうか。
子路の存在 ・ キャラクター、その言動によって、
『論語』 は より身近により生き生きとしたものとして楽しめるのだと感じています。
子路のファンの人も多いのではないでしょうか。


 中島 敦〔あつし〕 の短編歴史文学 『弟子』 は、子路を描いています
(次々回述べる予定です)。
その波乱の生涯の中でその最後(膾〔なます〕 のごとく切り刻まれて惨殺される) も、
ドラマチックです。 ※注)

 子路は、姓を仲、名を由〔ゆう〕、字〔あざな〕 を子路といいます。
また別の字を季路ともいいます。 孔子とは、9歳差。
四科十哲では、冉有〔ぜんゆう〕 とともに
政事(政治活動) に勝れると挙げられています。

 子路は、元武人(侠客〔きょうかく〕のようなもの : 博徒・喧嘩渡世) の経歴で、
儒家 ・ 孔子派の中での特異 ・ 異色〔ユニーク〕 な存在です。
その性状は、粗野 ・ 単純 ・ 気一本 ・ 一本気の愉快な豪傑といったところでしょう。
殺伐物騒な戦乱の時代にあって、現実政治的な役割と
孔子のボディーガード的役割を兼ねていたのではないでしょうか。
“お堅い” ムードになりがちな弟子集団の中にあって、
豪放磊落〔ごうほうらいらく〕 なムードメーカー的存在でもあったでしょう。

 私は、『論語』 の子路に、『三国志』 (『三国志演義』/吉川英治 ・ 『三国志』) の豪傑 
“張飛〔ちょうひ〕” 〔劉備玄徳(と関羽)に従う義兄弟〕 を連想しています。
虎・虎髭〔とらひげ〕 と愛すべき単純さ(そして劇的な死) のイメージが、
楽しくまた鮮烈に重なっています。


 ※注) 孔子73歳の時(孔子の死の前年)、
     子路は衛の内紛にまきこまれて惨殺されました。 享年64歳。(後述)
     「由が如きは其の死を得ざらん( ── 得ず。然り。)。」 (先進・第11−13)
     (由のような男は、まともな死に方はできまい。/畳の上で死ぬことはできないかもしれない。) 
     と日ごろから言っていた孔子の心配が、予言のように的中してしまったことになります。



■ 孔子の弟子たち ──  4.子貢 

          
 孔子門下を儒家思想 ・ 教学の本流から眺めれば、
顔回と曽子を最初に取り扱うのが良いかと思います。
が、『論語』 を偉大な 社会 ・ 人生哲学の日常座右の書としてみる時、
子路と子貢とはその双璧といって良いと思います。
個性の鮮烈さ、パワー(影響力) において、
孔門 3.000人中で東西両横綱でしょう。
実際、『論語』 に最も多く登場するのが子路と子貢です。
(後述の) 『史記』 ・ 「仲尼弟子〔ちゅうじていし〕列伝」 においても
最も字数が多いのは子貢、そして子路の順です。 

 さて、子貢(BC.520〜BC.456) は字〔あざな〕。 姓は端木、名は賜〔し〕。
衛〔えい〕 の出身で裕福な商人の出とされています。
四科(十哲) では、宰与〔さいよ〕 と共に 「言語」 に分類されています。
孔子との年齢差は、 31歳。


 孔門随一の徳人が俊英 ・ 顔回なら、孔門随一の才人 ・ 器量人が子貢でしょう。
口達者でクールな切れ者。そして特筆すべきは、商才あり利財に優れ、
社会的にも(実業家として) 発展
いたしました。
清貧の門人の多い中、リッチ ・ Rich! な存在です。
孔子とその大学校 (※史上初の私立大学校ともいえましょう) を、
強力にバックアップしたと思われます。
今でいう理事長的存在(?) であったのかも知れません。
そのような、社会的評価 ・ 認知度もあってでしょう、
“孔子以上(の人物)” と取り沙汰され、
その風評を子貢自身が打ち消す場面が幾度も 『論語』 に登場します。



○子、子貢に謂いて曰く、
 「女〔なんじ〕 と回と 孰〔いず〕 れか 愈〔まさ〕 れる。
 対〔こた〕 えて曰く、
 「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る」 
 子曰く、※「如〔し〕 かざるなり。 吾れと女と如かざるなり」と。
  (公治長・第5−9)

※「汝與回也孰愈」 ── 
   頭がキレ弁(口)がタツ 子貢には、
   他人〔ひと〕 を評し比べるという性癖 ・ 趣味とでも言えそうなものがあったように思います。
   「問曰」 とシンプルに書き始められていますが、
   そんな子貢の口ぐせをよくよく承知している孔子が、
   くつろいでいる時に (半ば戯れに)、
   「おまえと顔回とでは、・・・ 」 と尋ねたのではないでしょうか?
   顔回の「一を聞いて以十を知る」 ということの意味は、
   1 に対して10倍というより、1つの端緒で全体を把握するということでしょう。
   十全を知る、あるいは是非曲直の結論を知るの意です。
   また、どの学者先生も書いていないかと思いますが、
   私は、易学の真髄である “幾を知る” に近いことだと考えています



■ 孔子の弟子たち ──  5.宰我 

 宰予〔さいよ:BC.552−BC.458〕、字は子我、通称宰我。
「言語には宰我・子貢」 とあり、子貢と共に “四科十哲” の一人で、
弁舌をもって知られています。 孔子との年齢差29歳。
子貢が孔子と年齢差31歳ですから、宰予と子貢はほぼ同年齢ということです。

『論語』 の中に表われている宰予は、子貢とは対照的に
悪い面ばかりが描かれ孔子と対立して(叱責を受けて) います。
宰予は、孔門の賢く真面目な優等生的多くの弟子の中にあって、
“異端児” ・ “劣等生” ・ “不肖の弟子”… といった印象を与えています。
が、しかし、“十哲” にあげられ、孔子との対立が敢えて記されていることからも
(逆に) 端倪〔たんげい〕 すべからぬ才人 ・ 器量人であったと考えられます。
孔子も、“ソリ” ・ “ウマ” はあわなくも、一目おいていたのではないでしょうか。

○宰予 昼寝〔ひるい/ひるしん〕 ぬ。
 子曰く、「朽木は雕〔え/ほ〕るべからず、
 糞土の牆〔しょう/かき〕はヌ〔ぬ/お・す〕」るべからず。
 予に於いてか何ぞ誅〔せ〕めん。」 と。 |
 子曰く、「始め吾、人に於けるや、其の言〔げん〕を聴いて其の行い〔こう〕を信ず。
 今、吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」 と。
  (公冶長・第5−10)

《大意》
 宰予が、昼寝をしていました。
孔先生が、これを叱責しておっしゃるには
「朽ちた(腐った)木には彫刻をすることは出来ないし、
土が腐ってボロボロになった(ごみ土/穢土) 土塀には
美しく(上)塗り飾ることも出来ない。
(そんな、どうしようもない奴だから)
わしは、宰与を叱りようもない(叱っても仕方ない)。」 と。 |
そして、孔先生は続けて、
「わしは、以前は、人の言葉を聞いてその行ないまで (そのとうりだと) 信頼したものだ。
が、しかし、今後は人に対して、その言葉を聞いても(鵜呑みにせず)
その行ないもよく観るてから信ずることにする。
宰予のことがあってから、人に対する方針 ・ 態度をそのように改めるに至ったのだ。」 
と、おっしゃいました。

 ・「不可」: 出来ない、不可能の意。〜する値打ちがない。



■ 孔子の弟子たち ──  6.子夏 


 “子貢〔しこう〕” と 字面〔じずら〕 が似ていて間違えそうですが ・・・ 。
子貢のように知名度が高くないので、ともすると子貢と同一視している人もいそうです。

 「文学子游子夏」 (先進第11)。
「四科(十哲)」 では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」 というのは、古典 ・ 経学のことです。
姓は卜〔ぼく〕、名は商。 子夏は字〔あざな〕です。孔子より、44歳年少

 謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。
文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長 ・ 総長といった感じでしょうか。
曾子が仁を重視する立場(忠恕派) なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派) です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 
長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったと伝えられています。

 子夏は、『論語』 でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。
というのは、“色”っぽい(?)弟子 ・ 子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』 は子夏の言に、
“色” にまつわる記述が多くあるように思われるのです。
私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」) としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子” としての印象なのです。




( 以 上 )



(この続き、第2講 「 易占 と 易学 」 は次のブログ記事に掲載しております。)


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