儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

子貢

むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


2. 論 語 

■ 孔子とその弟子の言行録 /応神天皇 16年、王仁〔ワニ〕 によって伝えられる
10巻20篇。 / 『孝経』 とともに 大学の必修 / 
“綸語” ・ “輪語” ・ ☆ “円珠経” ・ “宇宙第一の書” / 
“論語読みの論語知らず” ・ “犬に論語” /
孔子75代嫡長孫 「孔祥楷」 氏、77代 「孔徳成」 氏


cf.世界史レベルでのベストセラーは? 【 聖書 と 論語 】、
   第2は? 【 老子 】

※ イスラーム文化圏では 『コーラン』 が多、童話では 『ピノキオ』 が多、
  最近では 『ハリー・ポッター』 (4億冊あまり) が多 ・・・



《 冒頭 ・ 「小論語」 》


○「子曰く、学びて時に之を習う、亦〔また〕説〔よろこ〕ばしからずや。
朋〔とも〕あり、遠方より来る(朋の遠方より来る有り)、亦楽しからずや。 
人知らずして?〔うら〕みず、亦君子ならずや。
」   (学而・第1)

“ The Master said, To learn and at due times 
to repeat what one has learnt, 
is that not after all a pleasure ? ・・・ ”

《 大意 》
 孔先生がおっしゃいました。
「(先人のおしえを) 学び、時機に応じて (折にふれて/機会あるごとに)
おさらいして自分のものにしていく、何と喜ばしいことだねエ。 
(道友・学友) が遠方からやって来る、何と楽しいことだねエ。 
他人〔ひと〕 が自分の学問 ・ 価値を認めてくれなくても不平不満を抱かない、
何と君子〔できた立派な人物〕 ではないか」 と。


・「子」 ・・・ 男子への敬称、先生。〜子/子〜子。 『論語』 では孔子のこと。
         『論語』 に登場する “〜子” は、曾子ほかほんの数名にすぎません。

・「 ・・・ 人間形成 ・ 人格完成の学。 徳をみがく根本の学。 聖賢の学。 
         ⇒ 今の教育は、「学」 の内容そのものに欠陥があります。

・「時習 ・・・ 『論語』 の冒頭から非常にむつかしい言葉です。
         結論的に言えば、「時に之を習う」 では訳せないので
         「時一習ス」 とそのまま読むのが善いです。

・「之」 ・・・ “学んだことがら” を指します。

・「朋」 ・・・ 同じ学問 ・ 道を志す “学友” ・ “道友” 。
         ( cf. 「どんな朋でしょうか?」 の質問に 「心やさしい友達」 と答えた生徒がいました。
          ちなみに、いまどきの造語として “タダトモ” に倣って
          “ガクトモ” ・ “ミチトモ” もアリ?!)

・「君子」 ・・・ 有徳の人、人格の完成した人。
          また、そのようにあろうと努力している立派な人。
          ⇔ 小人〔しょうじん〕  =ジェントルマン、士〔もののふ〕

・「人不知而不慍」 ・・・ 孔子の人生を踏まえて味わうと重く深いものがあります。
              孔子の生涯は不遇であり、儒家の教えは当時認められず 
              “負け組” であったのです。
              この説は次のように解釈できます。 ── 
              徳をみがき(内面の) 人格を高めた人が君子です。
              内面が確立しているので、他人の理解や評価に流されないで、
              感情を制御〔コントロール〕 できるのです。
              善く出来た人 ・ 人格者は、他人の軽薄な評価や
              いい加減な社会的評価に動かされることはないのです。

・「学而」 ・・・ 『論語』 の20の章分けは、
          便宜的に最初の 2文字をもって名称としています。

・「不亦 ── 乎 ・・・ 「なんと〜ではないか」 と詠嘆を表しlます。



※ 『論語』の文言に由来して名付けられた、日本史上の著名人 ?

(1)【 伊藤 博文 】 (2)【 山県 有朋 】 (3)【 広田 弘毅 〔こうき〕 】 (4)【       】

(1)    “博文約礼”= 「 博〔ひろ〕 く文を学び、之を約するに礼を以てすれば、
            亦以て畔〔そむ〕 かざるべきか。」 (雍也・第6)

(3) 「曾子曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。仁以て己の任となる。
    亦〔また〕 重からずや。 死して後已〔や〕 む。 亦遠からずや。」 (泰伯第8)
  ⇒ “志人仁人” / cf.広田弘毅 首相・外相 (A級戦犯として文官中ただ一人死刑となる)



3.孔子の弟子たち 

          *(配布資料 : “孔子の弟子” ダイジェストB4プリント1枚)

○ 「弟子は蓋〔けだ〕 し 三千。 身、六芸に通ずる者 七十二。」
   (司馬遷・『史記』/孔子世家)

十大弟子〔ていし〕” / 孔門の “十哲” / “四科十哲


孟子(軻) −−−  [ 亜聖 ]

曾子(参) −−−  [ 宗聖 ]

孔子〔丘〕 −−−  [ 至聖 ]

顔子〔回・淵〕−−− [ 復聖 ]

子思(子) −−−  [ 述聖 ]


★ 孔子の後継
1. 【 忠恕派 ・ 仁の重視 】 : 曾子 ── 子思 ── 孟子
2. 【 礼学派 ・ 礼の重視 】 : 子游/子夏 ── 荀子 ・・・ (法家)李斯/韓非子
        (*子游は “礼の精神” を重んじ、子夏は “礼の形式” を重んじた )




■ 孔子の弟子たち ──  1.顔回 

 顔子 ・ 顔回。 は名、 は字。 孔門随一の俊才 ・ 偉才で 徳の人です
(後、「復聖」 と尊称されます) が、惜しくも早世(32か42歳)。
20代の頃から髪がまっ白であったといわれています。 
顔回は、孔子が自ら後継ぎと託した偉大なる愛弟子〔まなでし〕だったのです。  
※ 孔子との年齢差 「30」才



1)あたかも愚物の如し ( 「如愚」 ) ・・・ 孔子の顔回への初印象。

・「子曰く、吾回と言うこと終日、違〔たが〕 わざること愚の如し。
 退いて其の私〔わたくし/し〕 を省みれば、亦以て発するに足れり。
 回や愚ならず。」  (為政・第2−9)

《大意》
  わしは、回と一日中(学問上の)話をしたが、
 (全く従順で)意見の相違も反問することもなく、
 まるで何もわからない愚か者のようであった。
 だが、回が退出した後に、くつろいだ私生活を観てみると、
 わしが話し教えた道理をしっかりと行いの上に発揮(活か)することができておる。
 〔大いに啓発するに足るものがある。〕
 回は愚かではないよ。


2)「箪食瓢飲 〔たんし ひょういん〕 」 ・・・ 孔子の顔回賛美

・「子曰く、賢なるかな回や。一箪〔いったん〕の食〔し〕
 一瓢〔いっぴょう〕 の飲〔いん〕、 陋巷〔ろうこう〕 に在り。
 人は其の憂いに堪えず。 回や其の楽しみを改めず。 賢なるかな回や。」 
  (擁也・第6−11)

《大意》
  回は、ほんとうにえらい〔賢い〕ものだね。
 食べるものといったら竹のわりご一杯のごはん、
 飲むものといったら ひさご一杯の飲み物、
 住む所といったらむさくるしい狭い路地暮らしだ。
 普通の者ならそんな貧乏の憂い〔辛さ〕にたえられないだろうに。
 回は、そんな生活の中でも、心に真の道を楽しむことを変えようとしない。
 〔この修養の高さはとうてい他人の及ぶところではないね。〕
 まったくえらい〔賢い〕ものだね、回は!

 ※ 「賢哉回也・・・ 回也賢哉 というところを語の位置を変えています (倒置)。
            孔子が大いに賛美していることがうかがえます。
 ※ 「食」 ・・・・・ 動詞の場合は「ショク」、 名詞の場合は 「シ」 と読みます

 cf.「シカゴ大学にクリールという教授がおる。 
     ・・・・・・ 然しこの人には顔回がわからない。
     『顔回はあまりにも貧乏であったために、自ずから万事控え目になり、
     引っ込み思案になったのだ』 と言い、
     最後には 『少し馬鹿だったのではなかろうか』 とまで疑うておるのでありますが、
     とんだ誤解です。一寸〔ちょっと〕 以外な浅解です。 」 (安岡正篤・『論語に学ぶ』)



■ 孔子の弟子たち ──  2.曾子 


 曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。
弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 
70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。
孝経』 ・ (『曾子』 ・ 『大学』)の著者としても知られます。
「宗聖」 と尊称されます。

 私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕 を亡くし、
絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした
(=Gift) のように思われます。

孔子の愛孫、「子思」 を薫育します。
地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。

 『論語』 の門人で、いつも 「子」 をつけて呼ばれるのは曾子だけです。
(有子 ・ 冉子〔ぜんし〕 ・ 閔子〔びんし〕 は、字〔あざな〕 でも呼ばれています。)



1) あたかもなるが如し ── 第一印象

○「柴〔さい〕 や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕 やガン〔がん〕。」 
  (先進 ・ 第11−18)

《大意》
 柴(子羔 / しこう) は愚か〔馬鹿正直〕 で、参 (曾子) は血のめぐりが悪く、
 師(子張) は偏って中正を欠き、由(子路) は粗暴 ・ がさつだ。

 ※  = 遅鈍、魯鈍の語がありますが、
   血のめぐりが悪い ・ にぶい ・ “トロイ” と言った感じです。
   「愚」 も 「魯」 も、味わいのある語で日本語に訳せません。
   孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、
   それを期待して指摘 ・ 表現したのでしょう。


2)「吾日三省吾身」 ── 三省の深意

○「曾子曰く、吾〔われ〕 日に吾が身を三省す
 人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。
 *伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
  (学而・第1ー4)

《大意》
 曾先生がおっしゃいました。
 「私は、毎日何度もわが身について反省します。
 人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。
 友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。
 (先生から) 伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。
 (あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。) と反省してみます。」

 ※「吾日三省吾身」 :
 ・「三省
    (1)みたび吾が身を省みる
        ( 三 = たびたびの意 / 二たびではダメですか ・ 四たびではダメですか!) 
    (2)以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕

 ・「
    (1)かえりみる、反省する
    (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)

   cf.政治も教育も、「省く」 ことが大切です。
      が、現状は、「冗」 ・ 「擾〔じょう〕」。
       (分散、駁雑〔ばくざつ〕) ばかりで、
       (統合、収斂〔しゅうれん〕) がなく、
      偏倚駁雑 〔かたよりごたまぜ〕 です。

   ex.文部科学などの「省」、「三省堂」の由来



■ 孔子の弟子たち ──  3. 子路 

 私は、孔子(と弟子) の言行録である 『論語』 が、優れた一面として、
文学性 ・ 物語性をも持っていると考えています。
(優れた歴史書 『史記』 もまた文学性 ・ 物語性 ・ 思想性を持っています。)

 そういう意味での 『論語』 を、人間味(情味) 豊かに飾るものが、子路の存在です。
『論語』 での登場回数も子路(&由〔ゆう〕) が、一番多いのではないでしょうか。
子路の存在 ・ キャラクター、その言動によって、
『論語』 は より身近により生き生きとしたものとして楽しめるのだと感じています。
子路のファンの人も多いのではないでしょうか。


 中島 敦〔あつし〕 の短編歴史文学 『弟子』 は、子路を描いています
(次々回述べる予定です)。
その波乱の生涯の中でその最後(膾〔なます〕 のごとく切り刻まれて惨殺される) も、
ドラマチックです。 ※注)

 子路は、姓を仲、名を由〔ゆう〕、字〔あざな〕 を子路といいます。
また別の字を季路ともいいます。 孔子とは、9歳差。
四科十哲では、冉有〔ぜんゆう〕 とともに
政事(政治活動) に勝れると挙げられています。

 子路は、元武人(侠客〔きょうかく〕のようなもの : 博徒・喧嘩渡世) の経歴で、
儒家 ・ 孔子派の中での特異 ・ 異色〔ユニーク〕 な存在です。
その性状は、粗野 ・ 単純 ・ 気一本 ・ 一本気の愉快な豪傑といったところでしょう。
殺伐物騒な戦乱の時代にあって、現実政治的な役割と
孔子のボディーガード的役割を兼ねていたのではないでしょうか。
“お堅い” ムードになりがちな弟子集団の中にあって、
豪放磊落〔ごうほうらいらく〕 なムードメーカー的存在でもあったでしょう。

 私は、『論語』 の子路に、『三国志』 (『三国志演義』/吉川英治 ・ 『三国志』) の豪傑 
“張飛〔ちょうひ〕” 〔劉備玄徳(と関羽)に従う義兄弟〕 を連想しています。
虎・虎髭〔とらひげ〕 と愛すべき単純さ(そして劇的な死) のイメージが、
楽しくまた鮮烈に重なっています。


 ※注) 孔子73歳の時(孔子の死の前年)、
     子路は衛の内紛にまきこまれて惨殺されました。 享年64歳。(後述)
     「由が如きは其の死を得ざらん( ── 得ず。然り。)。」 (先進・第11−13)
     (由のような男は、まともな死に方はできまい。/畳の上で死ぬことはできないかもしれない。) 
     と日ごろから言っていた孔子の心配が、予言のように的中してしまったことになります。



■ 孔子の弟子たち ──  4.子貢 

          
 孔子門下を儒家思想 ・ 教学の本流から眺めれば、
顔回と曽子を最初に取り扱うのが良いかと思います。
が、『論語』 を偉大な 社会 ・ 人生哲学の日常座右の書としてみる時、
子路と子貢とはその双璧といって良いと思います。
個性の鮮烈さ、パワー(影響力) において、
孔門 3.000人中で東西両横綱でしょう。
実際、『論語』 に最も多く登場するのが子路と子貢です。
(後述の) 『史記』 ・ 「仲尼弟子〔ちゅうじていし〕列伝」 においても
最も字数が多いのは子貢、そして子路の順です。 

 さて、子貢(BC.520〜BC.456) は字〔あざな〕。 姓は端木、名は賜〔し〕。
衛〔えい〕 の出身で裕福な商人の出とされています。
四科(十哲) では、宰与〔さいよ〕 と共に 「言語」 に分類されています。
孔子との年齢差は、 31歳。


 孔門随一の徳人が俊英 ・ 顔回なら、孔門随一の才人 ・ 器量人が子貢でしょう。
口達者でクールな切れ者。そして特筆すべきは、商才あり利財に優れ、
社会的にも(実業家として) 発展
いたしました。
清貧の門人の多い中、リッチ ・ Rich! な存在です。
孔子とその大学校 (※史上初の私立大学校ともいえましょう) を、
強力にバックアップしたと思われます。
今でいう理事長的存在(?) であったのかも知れません。
そのような、社会的評価 ・ 認知度もあってでしょう、
“孔子以上(の人物)” と取り沙汰され、
その風評を子貢自身が打ち消す場面が幾度も 『論語』 に登場します。



○子、子貢に謂いて曰く、
 「女〔なんじ〕 と回と 孰〔いず〕 れか 愈〔まさ〕 れる。
 対〔こた〕 えて曰く、
 「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る」 
 子曰く、※「如〔し〕 かざるなり。 吾れと女と如かざるなり」と。
  (公治長・第5−9)

※「汝與回也孰愈」 ── 
   頭がキレ弁(口)がタツ 子貢には、
   他人〔ひと〕 を評し比べるという性癖 ・ 趣味とでも言えそうなものがあったように思います。
   「問曰」 とシンプルに書き始められていますが、
   そんな子貢の口ぐせをよくよく承知している孔子が、
   くつろいでいる時に (半ば戯れに)、
   「おまえと顔回とでは、・・・ 」 と尋ねたのではないでしょうか?
   顔回の「一を聞いて以十を知る」 ということの意味は、
   1 に対して10倍というより、1つの端緒で全体を把握するということでしょう。
   十全を知る、あるいは是非曲直の結論を知るの意です。
   また、どの学者先生も書いていないかと思いますが、
   私は、易学の真髄である “幾を知る” に近いことだと考えています



■ 孔子の弟子たち ──  5.宰我 

 宰予〔さいよ:BC.552−BC.458〕、字は子我、通称宰我。
「言語には宰我・子貢」 とあり、子貢と共に “四科十哲” の一人で、
弁舌をもって知られています。 孔子との年齢差29歳。
子貢が孔子と年齢差31歳ですから、宰予と子貢はほぼ同年齢ということです。

『論語』 の中に表われている宰予は、子貢とは対照的に
悪い面ばかりが描かれ孔子と対立して(叱責を受けて) います。
宰予は、孔門の賢く真面目な優等生的多くの弟子の中にあって、
“異端児” ・ “劣等生” ・ “不肖の弟子”… といった印象を与えています。
が、しかし、“十哲” にあげられ、孔子との対立が敢えて記されていることからも
(逆に) 端倪〔たんげい〕 すべからぬ才人 ・ 器量人であったと考えられます。
孔子も、“ソリ” ・ “ウマ” はあわなくも、一目おいていたのではないでしょうか。

○宰予 昼寝〔ひるい/ひるしん〕 ぬ。
 子曰く、「朽木は雕〔え/ほ〕るべからず、
 糞土の牆〔しょう/かき〕はヌ〔ぬ/お・す〕」るべからず。
 予に於いてか何ぞ誅〔せ〕めん。」 と。 |
 子曰く、「始め吾、人に於けるや、其の言〔げん〕を聴いて其の行い〔こう〕を信ず。
 今、吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」 と。
  (公冶長・第5−10)

《大意》
 宰予が、昼寝をしていました。
孔先生が、これを叱責しておっしゃるには
「朽ちた(腐った)木には彫刻をすることは出来ないし、
土が腐ってボロボロになった(ごみ土/穢土) 土塀には
美しく(上)塗り飾ることも出来ない。
(そんな、どうしようもない奴だから)
わしは、宰与を叱りようもない(叱っても仕方ない)。」 と。 |
そして、孔先生は続けて、
「わしは、以前は、人の言葉を聞いてその行ないまで (そのとうりだと) 信頼したものだ。
が、しかし、今後は人に対して、その言葉を聞いても(鵜呑みにせず)
その行ないもよく観るてから信ずることにする。
宰予のことがあってから、人に対する方針 ・ 態度をそのように改めるに至ったのだ。」 
と、おっしゃいました。

 ・「不可」: 出来ない、不可能の意。〜する値打ちがない。



■ 孔子の弟子たち ──  6.子夏 


 “子貢〔しこう〕” と 字面〔じずら〕 が似ていて間違えそうですが ・・・ 。
子貢のように知名度が高くないので、ともすると子貢と同一視している人もいそうです。

 「文学子游子夏」 (先進第11)。
「四科(十哲)」 では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」 というのは、古典 ・ 経学のことです。
姓は卜〔ぼく〕、名は商。 子夏は字〔あざな〕です。孔子より、44歳年少

 謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。
文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長 ・ 総長といった感じでしょうか。
曾子が仁を重視する立場(忠恕派) なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派) です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 
長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったと伝えられています。

 子夏は、『論語』 でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。
というのは、“色”っぽい(?)弟子 ・ 子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』 は子夏の言に、
“色” にまつわる記述が多くあるように思われるのです。
私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」) としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子” としての印象なのです。




( 以 上 )



(この続き、第2講 「 易占 と 易学 」 は次のブログ記事に掲載しております。)


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器量人・子貢 と 経済人・ロビンソン=クルーソー (その2)

※この記事は、 器量人・子貢 と 経済人・ロビンソン=クルーソー (その1) の続きです。   
                   

《 D.デフォー と ロビンソン=クルーソー について 》

*ダニエル・デフォー (1660?〜1731) :
 実業と政治・社会問題に取り組んでで波乱万丈の生涯を送りました。
メリヤス商・煉瓦商を経営し、政治に没頭し(倒産も体験)、処刑されかかったりもします。

ジャーナリストとして本領を発揮。 罰金・さらし台・禁固の刑を受けます。

 デフォーが60才に近いころ、『ロビンソン=クルーソー漂流記』が世に出ます。
この作品は大ヒットし、小説家として著述を重ね、実り多い晩年を過ごします。

デフォーは、当時の新興中産階級の代弁者です。
そして、その作品に一貫するテーマは、「人間はいかにして生きるべきか 
ということではないかと思われます。


*ジョナサン・スウィフトの 『ガリヴァの航海(旅行記)』 :
 18世紀前半のイギリス文壇で活躍した3巨匠は、デフォーとスウィフトとポープです。 

デフォーの 『ロビンソン=クルーソー漂流記』 と
ジョナサン・スウィフトの 『ガリヴァの航海(旅行記)』 は、
イギリスのその時代を代表する 2大作品です。

ともに、子どもの本ではなく、寓意〔アレゴリー〕満ちた政治・経済の書です。

『ガリヴァの航海(旅行記)』 は、その強烈な政治批判・社会批判の内容で
発禁となります。


● 「『ロビンソン=クルーソウ漂流記』が、その当時のイギリスの中流の身分 
── 私はしばしば 中産的生産者層」と呼びますが、
そうした社会層の人々の行動様式をユートピア的に理想化し、
その明るい面のみを集中的にえがいたものだとすると、
逆にその暗い面のみを集中的にユートピア化してえがいたのが 
『ガリヴァの航海』
 だともいえるのではないか。」
          (大塚久雄・「経済人・ロビンソン・クルーソウ」 P.127引用)


* 『ロビンソン・クルーソーの生涯と不思議な驚くべき冒険の数々』 (1719) :
“The Life and Strange Surprising Adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner”

A. 冒険漂流物語り (純文芸作品

B. 中産階級の事業家の成功談/父親とその生活倫理に背いた子の悔い改め (道徳・宗教
  cf. 「子どもにはじめて読ませたい書物こそ、この『ロビンソン・クルーソー』である。」   
                                (J.ルソー・『エミール』)

C. “経済人”〔ホモ・エコノミクス〕のユートピア的具象化
    (18C初イギリス経済史・社会文化史
  A.スミス / K.マルクス / 大塚久雄 ・・・
  cf. 「経済学はロビンソンを愛好する」(『資本論』第1篇 1−4)/
     “労働価値学説”の解説


・日本への伝わり :
 『ロビンソン・クルーソー』 発刊の頃 → 享保4年、新井白石の著述発刊の時代
 明治5年(1872) 『魯敏遜全伝』・斎藤了庵〔りょうあん〕
夏目漱石の大学でのデフォー講義
 『ロビンソン・クルーソー』 の全訳・平田禿木〔とくぼく〕


* あらすじ・あらまし :
(背景となる時代は「大航海時代」) ロビンソン・クルーソーは、
神と父(母)の訓えに逆らい無謀な家出をします。
【恒】徳な訓戒に背いて、アドベンチャラー式の冒険で荒稼ぎしようと
海外に飛び出します。


天罰てきめん、(1859年9月30日)、西インド洋で暴風雨に遇い舟は難破します。
ボートは転覆し、クルーソー1人助かって無人島に上陸します。

無人島で、1人、快適環境を建設しながら逞しく生きてゆきます。

船の中から、小麦などの食料・鉄砲や弾薬などの資材を運び出します。
柵を作って土地を“囲い込み”ます
そこで、山羊〔やぎ〕を飼い乳を絞ったり肉を食べたり、
小麦を栽培したりします。

住居を作り、仕事場を設けて、土をこねて陶器を作りシチュー鍋を作ります。
山羊の皮で着物や帽子や日傘を作ったり ・・・ 。


約10年経ったある日、自家製丸木舟で無人島を一周。
20数年経ったある日、1人の蛮人を助けます。

金曜日にちなんで「フライデー」という名を与え、改宗させ召使とします。

ある年、イギリス商船が沖合に来ます。
この“反乱船”をフライデーや船長らと共に制圧します。

かくして、28年と2カ月ぶりにフライデーとともにイギリスに帰ることが出来ます。


(普通ならここで終わりですが、続編があります)


クルーソーは、イギリスでの幸福な生活を振りきり、
1694年再び放浪癖を出して、甥と共に出帆します。

そして、10年と9カ月を経て再びロンドンへ帰ってくるのです。


〔 補 述 〕
試みに、『ロビンソン=クルーソー漂流記』 を易64卦では何が相当するか考えてみました。
ぴったしという卦がないのですが、火山旅などはどうでしょうか。

孤独な旅人・危険な旅・行かねばならない修養の旅の意です。

上卦の【離・火】は、文明・明智の象〔しょう〕ですし、
下卦の【艮・山】は、困難・カベ・ストップの意です。

時間的にも、遭難・ストップの上に(次に)明智による工夫・文明があります。

 

《 経済と道徳・倫理について 》

 日本は、今、経済しかない国です。
もともと、広い国土も豊かな天然資源もありません。
“人”と“経済”しかありません。

その“人”と“経済”も、実に心ないものに堕しています。
私は、常々易卦の「地火明夷」の状態が進行していると感じています。

 “経済大国日本”、“21世紀は日本の時代”などといわれた、
虚栄の時代も一時はありました。

エコノミック・アニマル(はてはエロティックアニマル)と蔑称されて
数十年にもなります。

金権亡者・拝金主義・唯物(モノ)的価値観 ・・・ 
現今はもっとひどい状態に堕〔お〕ちています。

かつて、開国・維新期、“東洋の徳”・善き日本人像として、
世界から 「敬」されたもの
は歴史の彼方に消滅・忘却されています。

“古き善きもの”となり果ててしまいました。


 現在、「100年に1度の不況」などと、
絵空事がまことしやかに報じられウワついている社会・経済状況です。


 さて、経済立国日本は、そもそも“経済”とは何たるか、
どうあるべきものなのかを見失っています。

経済(学)と道徳・倫理 ── 経済(学)と儒学 ── の関係は同体不可分です。
経済と道徳・倫理は、「はなはだ遠くて、はなはだ近い」ものなのです。


 経済(学)と道徳(倫理)の不可分・合一には、次のような例をあげておきましょう。

経済学(イギリス古典派経済学) 〔political economy/economics〕の祖 
A.スミス 〔Adam Smith 1723−90〕 は、“道徳哲学”の先生です。
(『道徳情操論』/「神の見えざる手」) 

経済学の原点、『諸国民の富 (国富論)』には、道徳的思想がベースにあります。


 明治期、「経済」〔economy〕の訳語そのものが、
当時のインテリゲンチャーの第一人者・福沢諭吉(現・慶応義塾大学 創立)によって
創られました。

「 [] 世 [] 民 〔けいせいさいみん〕」(「文中子・礼楽」) から採られました。

「経世済民」(経国済民)は、世の中を治め人民の苦しみを救うという意味です。
けだし、名訳です。


 明治期、「右手に算盤〔ソロバン〕、左手に『論語』」をモットーに 
500余の会社を設立して近代日本経済の発展に貢献した 渋沢栄一氏。

昭和期、“天(道)”に学び「経営の神様」と呼ばれた
“君子型実業家”・松下幸之助氏をはじめ立志伝中の人々。

近い過去に、お手本とすべき経済人はいます。


 平成の御世、日本経済と経済人のあり方、その未来が問われています。

今こそ、(資本主義)経済の発展と儒学について真剣に学ぶ時です。
これが次代を啓〔ひら〕く “キー〔鍵〕”となりましょう。


 子貢は、『論語』における“経済人(経済的人間)”です。
経綸・経営に関わる多くの人にとって、
子貢の文言は珠玉の示唆と道標〔みちびき〕になると思います。

まずは、子貢に学べ!です。


● 「人間の行為を直接に支配するものは、理念ではなくて利害である。
しかし理念によって作られた『世界像』は、きわめてしばしば転轍手〔てんてつしゅ〕 
── 機関車の進行方向を変えるあの転轍手です ── として軌道を決定し
そしてその〔理念が決定した〕軌道に沿って利害のダイナミックスが
人間の行為を押し動かしてきた。」
(M.ヴェーバー・『宗教社会学論集』所収/「世界宗教の経済倫理・序説」より)

 M.ヴェーバー は、専ら人間の経済的利害状況
人間個人個人の行為(歴史の動き)を押し進める。

それにもかかわらず、推進の方向を“宗教的理念”=“思想”が決定すると述べています。


○ 「 子貢政〔まつりごと〕を問う。
  子曰く、を足し、を足し、をして之を信ぜしむ。
  子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯〔こ〕の三者に於いて何をか先にせん。
  曰く、兵を去らん。
  子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯〔こ〕の二者に於いて何をか先にせん。
  曰く、食を去らん。古〔いにしえ〕より皆死あり。民は信なくんば立たず。」 
                                  (顔淵第12)

※「人はパンのみにて生くるものにあらず」/「義人なし、1人だになし」 (『聖書』)
※「衣食足りて礼節を知る」  cf.「衣食過ぎて礼節を忘る」 (高根)




(この続きは、次の記事をご覧下さい。)



※全体は以下のようなタイトル構成となっており、7回に分割してメルマガ配信いたしました。
  (後日、こちらのブログ【儒灯】にも掲載いたしました。)


●5月20日(金) その1 
                《 §.はじめに 》

                《 『論語』 と 子貢 について 》            

●5月23日(月) その2 
                《 D.デフォー と ロビンソン=クルーソー について 》 

                《 経済と道徳・倫理について 》

●5月25日(水) その3 
                《 子貢 と ロビンソン=クルーソー 》
                   1) 理想的人間(像)                

●5月27日(金) その4
                   2) 中庸・中徳                   

●5月30日(月) その5   
                   3) 経済的合理主義                 

●6月1日(水)  その6
                   4) 時間の大切さ                  

●6月3日(金)  その7
                   5) 金儲け(利潤追求)      

                《 結びにかえて 》



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※定例講習、吹田市立博物館における講演(全6回)のご案内も掲載しております。
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器量人・子貢 と 経済人・ロビンソン=クルーソー (その1)

● 真儒協会開設 5周年記念・特別講演
                                        
 「 器量人・子(し)貢(こう) と 経済人・ロビンソン=クルーソー
         ── 経済立国日本を“中(ちゅう)す〔Aufheben〕” 
                          1つの試論 ──  」 

                         
□ 講師 : 真儒協会会長・ 高根 秀人年
□ 日時 : 平成23(2011)年 4月 29日
□ 場所 : 吹田市文化会館(メイ・シアター)

photo_20110429


《 §.はじめに 》

 西洋世界と東洋世界を包含〔ほうがん〕し、グローバルな世界が現れたのは、
おおむね近代ルネサンス以降といえます。

その世界史を堂々とリードした両横綱は、イギリスとフランスでした。  補注1) 

第2次世界大戦を契機にヨーロッパはたそがれ、
アメリカとソビエトが英仏の両翼にとって代わりました。

そして、 21世紀の近未来はアメリカと中国の時代となるでしょう。


 わが国は、かつて、「経済大国」と称せられた時期もありました。
しかしながら、GDP世界第2位の地位を中国に明け渡し(2010年)、
内外ともに凋落〔ちょうらく〕の一途を辿りつつあります。

わが経済立国“日本”は、行方を見失い、窮し行き詰まっています。

更に、そのような表面的なことよりも深刻なのは、
人間の内面においても道義が廃〔すた〕れ、人心が荒〔すさ〕んでいることです。

今、中国では儒学を復活させ“国教”とし、
若者は熱心に『論語』を学んでいます。

それに比べてわが国の次の世代は、
(「後生 畏るべし」ではなく) “後世 恐るべし” の状態です。


 かつて、シュペングラー『沈みいくたそがれの国』を著し、
近代ヨーロッパ文明の消滅を予言してから久しいものがあります。  補注2) 

が、このままでは、聖徳太子が“日の出づる国(日の本)”と言霊〔ことだま〕した
わが日本は、滅びゆく“日の没する(たそがれの)国”に
なり下がってしまうのではないでしょうか


その打開・再生の方途〔みち〕は、“儒学ルネサンス”しかありません。

今回の講演は、その実現のための一つの指針となれば、と想っての試論です。


補注1)
大英帝国・イギリスは、(スペインに代わって)
「日の没することなき世界帝国」と呼ばれました。

実際、世界全土に植民地を持っていたので
イギリスの領土から太陽が沈むことはなかったのです。

世界に先駆けて“産業革命”を実現し(1760年代〜)、
「世界の工場」として繁栄いたしました。

イギリスは、第二次大戦(ドイツとの戦い)により、その政治的パワーを失いました。
しかしながら、現在、(アメリカ=米語も含めて) “英語”による世界支配を
実現しているとも言えます。

── 偉大な国・国民ではありませんか。

言葉は文化です。
英語により、イギリスの文化を全世界に影響づけているのです。

わが国でも、今年度(H.23)より、小学校から英語が導入されます。
日本語・日本文化をおざなりにしての、見識なき愚かな教育行政が続いています。
情けないことです。


補注2) 
ドイツの歴史哲学者 オスヴァルト・シュペングラー 〔Spengler 1880-1936 〕は、
その著“Der Untergang des Abendlandes”
〔『西洋の没落』 あるいは 『沈みいくたそがれの国』〕で、
資本主義社会の精神的破産と第一次大戦の体験から西洋文明の没落を予言し、
たいへんな反響を呼びました。

すなわち、近代ヨーロッパ文明は既に“たそがれ”の段階であり、
やがて沈みゆく太陽のように消滅すると予言したのです。




 歴史が物語っていますように、儒学は平和な時代・成熟した社会の教えです。
かつて、“日出づる処”アジア(中国〔清・明〕 − 朝鮮〔李朝〕 − 日本〔江戸〕) が、
儒学(朱子学)文化圏を築いて繁栄した時代がありました。

日本は明治以降、資本主義を発展させ
(農業国から)経済(工業)立国へと進化してまいりました。

私は、善き経済の発展と儒学の隆盛とは、相扶ける関係にあると結論しています。

経済と道徳(倫理)は、「はなはだ遠くて、はなはだ近い」 ものなのです。


 さて、儒家の開祖が孔子(BC.552〔551〕〜BC.479)です。
儒学の源流思想は、孔子とその一門にあります。
“孔門の十哲”の一人 子貢〔しこう〕 は、
3000人ともいわれる孔子の弟子の中で随一の才人・器量人です。

『論語』にも(子路とともに)最も多く登場します。

そして特筆すべきは、リッチ/ Rich!な存在です。
商才あり利財に優れ、社会的にも(実業家として)発展いたしました。


 一方、ロビンソン=クルーソー (D.デフォー、『ロビンソン漂流記』)は、
単なる児童冒険文学ではありません。

当時の経済的人間”の代表像として捉えることができます。

つまり、世界帝国・イギリス資本主義の青年時代の担い手
=「中流の(身分の)〔“middling station of life”〕人々」の
理想的人間像
と考えられるのです。  補注3) 


 今回の講演では、洋の東西、時代も場所も全く異なるこの両者に、
グローバルな現代の視点から光をあて、
“「合一」なるもの”を探ってみたいと思います。

例えば、理想的人間(像)/中庸・中徳/経済的合理主義/金儲け(利潤追求)
/時間の大切さ・・・etc. といったものなどです。


補注3)
“器量人”・“経済人”の現代日本語の一般的(通俗的)用い方を考えてみますと。
「器である」・「器が大きい」・「器量人だ」といった用い方は、
人に秀で優れたリーダー(指導者)であるという意味で使われているように思われます。

私のいう、大人〔たいじん〕の意のようなニュアンスです。

一部特殊な業界では、「貫目〔かんめ:身に備わる威厳・貫禄〕が足りない」(=器量不足)
などとも使うようです。

一方、“経済人”は、活躍しているビジネスマン、
実業界の中堅管理者層以上のリーダーに用いられているように思います。

本講演により、この2つの言葉・言霊のその有るべき姿を考えていただきたく思います。



─── 主要参考文献について ───

子貢とその儒学関連の記述・引用は、 
真儒協会・定例講習 「論語」・「本〔もと〕学」 レジュメを中心にまとめています。

D.デフォー、 ロビンソン=クルーソー については、
物語引用は、『ロビンソン・クルーソー』・デフォー著 佐山栄太郎訳・旺文社文庫によります。

“経済人・ロビンソン=クルーソー”については、
大塚久雄 「経済人・ロビンソン・クルーソウ」(『社会科学の方法』・岩波新書 所収)、
同氏関連著作によります。

ほか、M.ヴェーバー・『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の倫理』』・岩波文庫 
などを参照しています。




《 『論語』 と 子貢 について 》

 孔子門下を儒家思想・教学の本流から眺めれば、
顔回と曽子を最初に取り扱うのが良いかと思います。

が、『論語』を偉大な 社会・人生哲学の日常座右の書としてみる時、
子路と子貢とはその双璧といって良いと思います。

個性の鮮烈さ、パワー(影響力)において、
孔門 3.000人中で東西両横綱でしょう。

実際、『論語』に最も多く登場するのが子路と子貢です。

『史記』・「仲尼弟子〔ちゅうじていし〕列伝」においても
最も字数が多いのは子貢、そして子路の順です。 


 さて、子貢(BC.520〜BC.456)は字〔あざな〕。姓は端木、名は賜〔し〕。
衛〔えい〕の出身で裕福な商人の出とされています。

四科(十哲)では、宰与〔さいよ〕と共に「言語」に分類されています。

孔子との年齢差は、31歳。 親子ほどもの年齢差です。


 孔門随一の徳人が俊英・顔回なら、孔門随一の才人・器量人が子貢でしょう。

口達者でクールな切れ者。
そして特筆すべきは、商才あり利財に優れ、
社会的にも(実業家として)発展
いたしました。

清貧の門人の多い中、リッチ・Rich!な存在です。

孔子とその大学校(※史上初の私立大学校ともいえましょう)を、
強力にバックアップしたと思われます。

今でいう理事長的存在(?)であったのかも知れません。

そのような、社会的評価・認知度もあってでしょう、
“孔子以上(の人物)”と取り沙汰され、
その風評を子貢自身が打ち消す場面が幾度も『論語』に登場します。


 大器量人子貢  ・・・ “女〔なんじ〕は器なり”、君子とは? 君子


○ “子貢、問うて曰く、「賜〔し〕や 何如〔いかん〕。
  子曰く、「女〔なんじ〕は器なり。」 
  曰く、「何の器ぞや。」 
  曰く、「瑚レン〔これん〕なり。」” (公冶長第5−4)

《大意》
 子貢が、「賜(この私)は、いかなる人物でございましょうか。」とお尋ねしました。
孔先生は、「お前は、器物だ。」とおっしゃいました。
子貢は、「それでは、一体どのような器物でございましょうか。」と
(重ねて)お尋ねしました。
孔先生は、「瑚レンだね。」とおっしゃいました。

※ 何如(=何若・何奈)は、“いかん”と読み
  “どうなるか”・“どんなか(状態を表す)”の意。 
  如何(=若何・奈何)は、“いかん(せん)”と読み
  “どうしましょうか”の意。

※ 「女器也」「何器也」 : 孔子は、子貢の材は用に適する(有用)ものなので、
  “器〔うつわ〕”と言いました。
  器には、器物としての限界があります。
  「君子不器」を、おそらく子貢は知っていると思います。
  それで、少々不満で、「どのような器物でございましょうか?」と
  重ねてお尋ねしたわけでしょう。 
  ── 子貢、大才・大材なれど君子には及ばぬということです

※ 「瑚レン也」 : 瑚レン (夏代に瑚、殷代にレンといい、
  周代にはホキ〔ほき〕といいます)は、
  宗廟〔おたまや〕のお供えを盛る貴重で美しいもの。 
  ── 子貢は、君子には達していないが、
  器の中で最高に貴いものであろうかということです! 
  (孔子は、少々子貢に気を使ってタテテいるのかもしれませんね?)


○ “子曰く、「君子は器ならず。」 ”  (為政第2−12)

《大意》
 孔先生がおっしゃるには、
「君子は、器物のように用途が限定されて他に通用しないようなものではないよ。」

※ 君子は、一芸一能に止まらず、窮まることなく何事にも応じることができる人です。


○ “子貢、君子を問う。
  子曰く、「先〔ま〕ず其の言を行い、而〔しか〕して後にこれに従う。」 ”
  (為政第2−13)

《大意》
 子貢が、君子とはどのようなものかお尋ねしました。
孔先生がおっしゃるには、
「まず、言わんとすることを実行して、行ってから後にものを言うものである。」

※ 子貢は、言語の科で知られるように弁才の人です。
  時に、言行不一致、口達者のきらいがあるのを含んでたしなめた孔子の言葉でしょう。 
  「君子は、言に訥〔とつ〕にして、行に敏ならんと欲す。」 (里仁第4−24) 
  ともあります。

  “不言実行”・“雄弁は銀、沈黙は金”という古諺〔こげん〕がありますね。
  また、“黙養”という修行もあります。

  騒がしく口うるさいのを感じる時世です。口舌の徒多い時勢です。 
  ── 想いますに、男子はもの(口)静かなのが善いと思います。

◎ “君子は器〔き〕を身に蔵し、時を待ちて動く” (『易経』)

孔子は、君子は用途の決まった器物のようなものでなく、
  器物を使う人であると言っています。
  東洋思想にいう君子は、徳を修めた者で、小人は技芸を修めた者という意味です。

cf.「大器晩成」 (『老子』) : 
    大きな器は、作るのに時間がかかる → 大人物は速成できない

 * 「大器免成」 : 大いなる器は、完成しない → 大人物は到達点がない
  (『易経』・・・未済は、未完成。 64卦 最終の卦=人生に完成はない、 
   無終の道=循環・無始無終。
  「終始」 = 終りて始まる、という悠なる易学の循環の理。 )


(この続きは、次の記事をご覧下さい。)



※全体は以下のようなタイトル構成となっており、7回に分割してメルマガ配信いたしました。
  (後日、こちらのブログ【儒灯】にも掲載いたしました。)


●5月20日(金) その1 
                《 §.はじめに 》

                《 『論語』 と 子貢 について 》            

●5月23日(月) その2 
                《 D.デフォー と ロビンソン=クルーソー について 》 

                《 経済と道徳・倫理について 》

●5月25日(水) その3 
                《 子貢 と ロビンソン=クルーソー 》
                   1) 理想的人間(像)                

●5月27日(金) その4
                   2) 中庸・中徳                   

●5月30日(月) その5   
                   3) 経済的合理主義                 

●6月1日(水)  その6
                   4) 時間の大切さ                  

●6月3日(金)  その7
                   5) 金儲け(利潤追求)      

                《 結びにかえて 》



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真儒協会開設5周年記念・特別講演  予告紹介 

真儒協会開設 
5周年記念・特別講演 【H.23.4.29】  予告紹介 


《 はじめに 》

 本年は、真儒協会を開設して 5周年を迎えます。

易卦に【水沢節】がありますが、その“竹の節〔ふし〕”・“節目〔ふしめ〕”の意です。

とりわけ、「5」 という数は、東洋においては“五行〔ごぎょう〕思想”の「五」、
易の“生数”の「5」で神秘的にして重要な霊数
です。

今年度は、“節から(新たに)芽が出る”ような、充実の年にしたいと考えております。

 この、開設5周年の節目に当たり、(平成23)年度当初の 《真儒の集い》 は
公開とすることにいたしました。

例年 《真儒の集い》 は、定例講習受講者を中心に内輪だけで開催してまいりました。
が、今回は《発足の会》と同様に、広くご参加の皆さまを募り 
各界の御来賓もお招きして、
“一陽来復”(【地雷復】)・陽の気を顕〔あきら〕かにしたいと思っております。

《真儒の集い》の内容は、
1部:特別講演(講師 真儒協会会長・高根秀人年)/ 
2部:式典(来賓祝辞、理事者あいさつ 他) です。

以下、私(高根)が担当いたします「特別講演」の、ご紹介・ご案内を
いたしておきたいと思います。


 
《 真儒協会開設 5周年記念・特別講演  予告紹介  》          
                                        
 「 器量人・子(し)貢(こう) と 経済人・ロビンソン=クルーソー
       
── 経済立国日本を“中(ちゅう)す〔Aufheben〕” 
                           1つの試論 ──
  」
 

 歴史が物語っていますように、儒学は平和な時代・成熟した社会の教えです。

かつて、“日出づる処”アジア(中国〔清・明〕 − 朝鮮〔李朝〕 − 日本〔江戸〕) が、
儒学(朱子学)文化圏を築いて繁栄した時代がありました。

日本は明治以降、資本主義を発展させ(農業国から)
経済(工業)立国へと進化してまいりました。

私は、善き経済の発展と儒学の隆盛とは、相扶ける関係にあると結論しています。
経済と道徳(倫理)は、「はなはだ遠くて、はなはだ近い」ものなのです。

 さて、儒家の開祖が孔子(BC.552〔551〕〜BC.479)です。
儒学の源流思想は、孔子とその一門にあります。

“孔門の十哲”の一人 子貢〔しこう〕 は、
3000人ともいわれる孔子の弟子の中で随一の才人・器量人です。

『論語』にも(子路とともに)最も多く登場します。

そして特筆すべきは、リッチ/ Rich!な存在です。
商才あり利財に優れ、社会的にも(実業家として)発展いたしました。

 一方、ロビンソン=クルーソー (D.デフォー、『ロビンソン漂流記』)は、
単なる児童冒険文学ではありません。

当時の“経済的人間”の代表像として捉えることができます。

つまり、世界帝国・イギリス資本主義の青年時代の担い手
「中流の(身分の)〔“middling station of life”〕人々」の
理想的人間像
と考えられるのです。

 洋の東西、時代も場所も全く異なるこの両者に、
グローバルな現代の視点から光をあて、
“「合一」なるもの”を探ってみたいと思います。

例えば、理想的人間(像)/経済的合理主義/金儲け(利潤追求)/
時間の大切さ/中庸・中徳・・・etc. などです。

以下、内容を少々ご紹介しておきたいと思います。


1)理想的人間(像) :

人格の完成した“理想的人間”を、儒学では「君子〔くんし〕」といい、
英国では「ジェントルマン〔Gentleman:紳士」といいます。

才徳兼備の人間像ですが、東洋思想では、徳がかったタイプといえます。

現実の経済社会では、そうとばかりにはゆきません。

子貢は、器〔うつわ〕・大器量人と位置付けられています。

経済社会にあっては、才がかった面(小人タイプ)の要素が必要です。

その才徳が、時代・社会状況を背景に一定のバランスを実現した理想像を、
「大人〔たいじん〕」と称せば良いのではないか
、と私は考えています。


2)経済的合理主義 :

ロビンソン=クルーソーは、いったいどのような人間類型として
描かれているのでしょうか? 

── それは、経済的・合理的に行動する人間です。

例えば、小麦を食べてしまわずに蒔いて増やします。
山羊〔やぎ〕を捕らえ“囲い込み地”の牧場で繁殖させます。

経済的生活実現のための“再生産”ですね。
このような、先々を見越した実践的合理主義です。

子貢は、名ばかりで実体のない毎月の祭事に供える、
生きた羊の出費(浪費)をめぐって孔子と対立します。

今時でいえば、“事業仕分け”すべきムダ・浪費の筆頭項目といったところでしょうか。 

「爾〔なんじ〕はその羊を愛〔お〕しむ。我はその礼を愛しむ。」
(八イツ・ハツイツ第3) 

(経済的)実益と(精神的)文化のどちらに重点をおくか、
という儒学(孔孟思想)での見解の相違
です。

私は、社会科学的思考と人文科学的思考との並立・相異でもあるかと感じています。
 

3)時間の大切さ :

時間〔とき〕は貨幣〔かね〕なり :(Time is money.)」 という観念を生み出したのは、
当時のイギリスやアメリカの中産階級の人々(デフォーやフランクリン)です。

ロビンソン=クルーソーは、日時計を作り、漂着の日付を基準に年月日を記録します。

面白いことには、一年目に漂流生活でのバランスシート(損益計算書)を作ります。

一方、東洋の儒学(=易経)の根本的考え方に“中〔ちゅう:中論〕”があります。

“中”はものを産み出すことです(産霊:むすび)。

そして、“時”を重視します。
すなわち、時中〔じちゅう〕” 《時に応じて中す》 ということが大切です。

例えば、儒学(孔孟)が重んじたものに、服喪〔ふくも:喪に服す〕があります。
親が亡くなった場合、3年の喪です。

この期間は、乳児(赤ちゃん)の時、親に抱かれ背負われ育ててもらった期間が
論拠となっています。

これに対して、子貢と同様
「言語」をもって“孔門の十哲(四科十哲)”に挙げられている
宰我〔さいが/宰予〕と孔子との対立問答が有名です。

それは、リーダー〔指導者〕が、その重責の仕事・役割を
3年もの間、休止していては(社会的に)マズいから、
1年で良いのではないかという主張です。
(私感ですが、しかも“死んでしまった者”に対してのことです。) 

さて、孔子も応答・反論できず、問題をすりかえて叱責〔しっせき〕しています。
ここに、(孔孟)儒学の限界・課題の一つがあると考えます。

子貢と宰我とは、当時の “孔門の新人類”=“経済的リーダー〔指導者〕”
であった
といえるかも知れません。


4)金儲け(利潤追求) :

儒学は、金儲け(利潤追求)を肯定します。

ここに、儒学の現実性があります。

しかし、それは、貨幣〔かね〕そのものに価値を置く、
今の“拝金主義”とは全く異なります

「利に放〔よ〕りて行えば怨み多し」(里仁第4) /
「君子は義に喩〔さと〕る。小人は利に喩る」(里仁第4) /
「利を見ては義を思い ・・・」(憲問第14) などと『論語』に述べられています。

子貢は、孔子門下で例外的に実業界でも成功し、
経済的にも孔子と孔子の学院を支えたと考えられます。

パトロン・理事長的存在でもあったのでしょう。

孔子も、その商才(今でいう経営の才)に、一目おき賛辞を送っています。

意外に思われるかもしれませんが、
産業革命を今まさに遂行しようとしている当時の「中流の人々」は、
必ずしも貨幣に最高の価値をおいてはいなかったのです。

ロビンソン=クルーソーは、難破船に戻っていって金貨を見つけます。

「このお金を見てわたしは にやっと笑った。思わず口に出していった。
  『無用の長物よ。お前はいったいなんの役に立つのか。
  わたしにはなんの値打ちもない、地面に落ちていたって拾う値打ちもありはしない。
  お前の一山よりもあの一本のナイフのほうがもっと貴い。
  お前はわたしには全然用がないのだ。
  そこに今いるままに留まっていて、
  救う価値なきものとしてやがて海底の藻屑〔もくず〕となるがいい』 
とはいうものの、わたしは考え直して、その金を持っていくことにした。
帆布の切れに金を全部包んで、さてもう一つ筏〔いかだ〕を作ろうと考えた。」
(デフォー・『ロビンソン・クルーソー』、旺文社文庫p.74引用)

当時の「中流の人々」は、自分さえよければ、
儲かりさえすればという仕方を強く排斥します。

人の役に立つものを作り、結果に於いて金が儲かる
(=隣人愛の実行)のだと考えたのです。
(cf. 松下幸之助氏の経営思想・“水道哲学”に相通ずるものがあると思います。)

そして、デフォーはそれを善しとしたのです。

つまり、ただ金儲け(利潤追求)するというのではなく、
“経営”(産業経営)それ自体を自己目的として献身努力した
のです。


5)中庸・中徳 : 

儒学(=易学)の根本思想は、中論”・“中庸です。
中庸の思想は、西洋においても古代ギリシアの古くからみられ、
普遍的思想であるともいえましょう。

昨年、ドイツのお話をした時に(H.22 真儒の集い・特別講演:“ 『グリム童話』と儒学 ”)、
その 《はじめに》 で、両極端で“中庸”を欠くドイツ史? として、
次の文を引用しました。

「ドイツ国民の歴史は、極端の歴史である。
そこには中庸さ(moderation)が欠如している。
そして、ほぼ一千年の間、
ドイツ民族は尋常さ(normality)ということのみを経験していなかった
  ・・・中略・・・  
地政的にドイツ中央部の国民は、その精神構造のうちに、
とりわけ政治的思考のなかに、中庸を得た生き方を見出したことはなかった。
われわれは、ドイツ史のなかに、フランスやイギリスにおいて顕著である
中庸(a Juste milien)と常識の二つの特質
をもとめるのであるが、
それは虚しい結果に終るのである。
ドイツ史においては激しい振動のみが普通のことなのである 」
 (A・J・P・ティラー、『ドイツ史研究』)

 『ロビンソン漂流記』で、冒頭の部分は、
ロビンソン=クルーソーが父親から説教され訓戒を受けているシーンです。

その2ページほどの文言に、著者デフォー の言いたかったことが
代弁され尽くしているといっても良いのです。

その内容は、中流の人々こそがイギリスの国を支えている土台であり、
個人としても幸福である
ということ。

アドヴェンチャラーとしての荒稼ぎを誡め
堅実に父祖の仕事を“受け継ぐ”こと
を指します。

 現代の日本社会・日本経済の荒廃は、
父の誡めを破ったロビンソン=クルーソーの失敗と同じに、
この中庸・中徳 を失った所に根本原因があります。
   
わが経済立国“日本”は、行方を見失い、窮し行き詰まっています。
滅びゆく“日の没する(たそがれの)国”になり下がろうとしています。

その打開・再生の方途〔みち〕は、“儒学ルネサンス”しかありません。

今回の講演は、その実現のための一つの指針となれば、と想っての試論です。

 (おそらく、)はじめての視点・切り口によるテーマかと思います。

経済・商業にかかわる方をはじめ、倫理・道徳を想う方、広く一般の皆さま、
皆々さまお誘い合わせのうえ、是非ご聴講ください。


■ 講師 : 真儒協会会長  高根 秀人年 (たかね ひでと) 
<プロフィール>
S.29年生。 慶應義塾大学法学部卒 / 経済学修士・法学士・商学士 /
【資格】 文科省1級カラーC.(第1回認定)・ インテリアC.・ 
      教員免許状(社・国・商・書・美)ほか / 
【著書】 『易学事始』・『易経64卦解説奥義』ほか / 
【講演】 みずほ会〔旧第一勧銀ハート会〕(江坂東急イン)・
      第三銀行女子チアリーダーセミナー(三重研修センター)・
      日本易学協会大講演会(東京湯島聖堂)ほか多数。

                                                   
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【 開設5周年 《真儒の集い》 のご案内 】
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■ 日時 4月29日 (金曜日※祭日) 
■ 会場 吹田市メイシアター (B1 大集会室)
     ⇒ 阪急「吹田」駅マエ (市役所側) 
     ⇒ アクセス地図
       http://www.maytheater.jp/access/
   
■ 内容/時間 
○1部 : 特別講演 PM.1:00〜2:00 (受付12:30〜)
     ・ テーマ 「器量人・子貢 と 経済人・ロビンソン=クルーソー
             ── 経済立国日本を“中す”一つの試論 ── 」   
     ・ 講師  真儒協会会長  高根 秀人年 
○2部 : 式典 PM.2:30〜4:00 (受付2:00〜)
     ・ 来賓各位祝辞、理事者あいさつ 他

■ 参加費   無 料 
 
*ご参加いただける方は、準備の都合上、事務局まで
 メール/FAX./TEL./郵送 にてご連絡願います。
 (1部または2部 片方のみのご参加、お子様のご参加もOKです!)

真儒協会事務局 : 〒564-0001 
             大阪府吹田市岸部北2-4-21
             TEL 06-6330-0661 FAX 06-6330-0920
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第32回 定例講習 (2010年8月29日) その1 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子 貢 〔5〕 ) ※最終

2) 理想的指導者〔リーダー〕像 ・・・・ 政治・経済の要〔かなめ〕:“民 なくば立たず

○ 「子貢・政〔まつりごと/せい〕を問う。子曰く、食を足(ら)し、兵を足(ら)し、※民は之をにす。(民をしてこれをぜしむ。) 子貢曰く、必ず已〔や〕むを得ずして去らば(す・てば)、斯〔こ〕の三の者に於いて何をか先にせん、と。 曰く、兵を去らん、と。 子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二の者に於いて何をか先にせん、と。 曰く、食を去らん、と。古より皆 死有り、※民になく(ん)ば立たず、と。」    (顔淵・第12‐7)

【 子貢問政。 子曰、足食、足兵、※民信之矣。 | 子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。 | 子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。※民無信不立。 】

《 大 意 》
子貢が、政治(の要〔かなめ〕)についてお尋ねしました。孔先生がおっしゃいました。「食糧を充分にし、軍隊を充実させ、※A.人民に信(義)を重んずるようにさせることだ。( B.人民に為政者を信頼させるようにすることだ。)」と。
子貢が尋ねました。「どうしても、やむを得ずに切り捨てるとしたら、この三つの中でどれをさきに切り捨てますか。」 と。 先生はおっしゃいました。「軍隊を捨てよう。」 と。
子貢が(さらに重ねて)尋ねました。「また、どうしても、やむを得ずに切り捨てるとしたら、この二つのうちどちらをさきに切り捨てるべきでしょうか。」 と。 先生はおっしゃいました。「食を捨てよう。(食を捨てれば人は餓死することになるけれども)昔から、誰にも死というものはあるのだ。この人の世に信義・信頼というものがなければ、(そもそも)政治(=社会)は成り立たないヨ。」 と。

《 解 説 》
この問答、凡庸を超えて、子貢ならではの問いであり孔子ならではの答えといえましょう。これは、政治・経済の要〔かなめ〕を示した名言であり、儒学の理想的指導者〔リーダー〕のあるべき姿が示されているといえます。
“経済生活の安心”と“国防の安全”と“道義教育の完成”の3つは、当然に、古〔いにしえ〕も現代も変わらぬ普遍的な政〔まつりごと〕の要諦〔ようてい〕です。“安心”・“安全”の生活の文言は、政治家の公約・スローガンにもよく見かけますね。そして、この3つの要の優先順位を、孔子は 癸院嵜」(道義教育) 癸押嵜」(経済) 癸魁嵎次廖聞駛鼻法,箸靴燭里任。実に達見です。経済も国防も一〔いつ〕に「信」にかかっているということです。しかるに現代の日本は、癸欧痢嵜」(経済)の一辺倒で、癸海痢嵎次廖聞駛鼻砲和称亘楷蠅派埆縞、癸韻痢嵜」に至っては忘却され、3番目にもなってないがごとき有様です

「民信之矣」は、“民は之を信にす”と読めば「之」は民を受けて“人民に信(義)を重んずるようにさせることだ”と解せます。次に“民をしてこれを信ぜしむ”と読めば、「之」は為政者を指して“人民に為政者を信頼させるようにすることだ”と解せます。この「民信之矣」の上に「使」や「令」の使役の文字がある本もあります。(後述「民可使由之。不可使知之。」参照のこと) 私は、どちらも孔子の真意・深意を得たものと考えます

「民無信不立」: 「無」=「不」。∴「民不信不立」=「民不信則不立」

cf.中江藤樹(近江〔おうみ〕聖人) と “徳治主義” のエピソード
→ 中江藤樹が住む村の人々は、藤樹の教えに感化されてよく徳が行き渡っていました。ある時、藤樹の村に在住の馬子〔まご:現代のタクシードライバー〕が、大金を置き忘れたお客をはるばる探し出しお貨幣〔かね〕を届けました。そして、お礼のお貨幣を決して受け取ろうとはしませんでした。・・・
*現代の日本でも地方によっては、農産物などの“無人販売”が行われている地域があります。 都市部の路上(屋外)に無数ある“自動販売機”の存在も諸外国の人々は、(日本の治安・道徳の良さに)驚きます。

cf.「衣食足りて礼節を知る」 (『管子』)/「人はパンのみ生きるにあらず」(イエス・『聖書』)/ 孟子: 「父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の」 / “五常”: 仁・義・礼・智・ /道徳的パワー: 「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん。」(『孟子』・公孫丑〔こうそんちゅう〕上の中の曾子の言葉)

次に、『論語』の権威でもあり東洋思想の泰斗〔たいと〕である故・安岡正篤先生の記述をピックアップしてみましょう。

≪ 民無信不立 ≫ 〔民に信なく(ん)ば立たず。〕 (顔淵・第12‐7)

「実に大識見であります。――(中略)―― 信とは良心に従つて変ぜぬことです。人と約して違はぬことです
そこで子貢がどうにもやむことを得ずして、この三者のうちどれかを犠牲にしなければならないとしたら、まづ何から去りませうかと申しますと、孔子は兵を去らう、すなはち軍備・武力これを犠牲にしよう。さうすると子貢はたたみかけて、もしどうにもならなくて、尚このいづれかを去らねばならないとすれば、『食を足らす』と『民は之を信にす』と、いづれを先にいたしますか。深刻ですね。普通ならば、信を棄てる外ないといふところでせう。孔子は『食を去る』、すなはち経済活動を犠牲にするほかない。人間といふものは昔から皆死ぬものだ。しかし死に代り、生き代つて、かうして続いてをる。しかしこの信が人間から無くなると、人間は存立することが出来ない。たとへ武力を去り、経済生活を犠牲にしても、最後まで失ふことのできないものは、信であると断言したのであります。」
安岡正篤述・『朝の論語』(明徳出版社) / 第13講「食と兵と信」参照 (pp.155 − 156)

≪ 民可使由之。不可使知之。 ≫
〔子曰く、民はこれに由〔よ〕らしむべし。これを知らしむべからず。〕
(泰伯・第8‐9)

「これは孔子が当時の政治家・為政者に対して与へられた教訓であります。民は之に由らしむべしといふこの「由る」は、民が信頼するといふ意味でありまして、その由らしむべしとは信頼せしめよといふ命令のべしであります。知らしむべからずとは、知るは知る・理解する意味であることは勿論、べからずとはむづかしい、できないという可能・不可能のべしであります。民衆といふものは、利己的で、目先のことしかわからぬから、為政者の遠大公正な政策の意味などを理解させることは非常にむづかしい。時には不可能な話である。結局は、民衆にも案外一面良心はあるのですから、何だか能く分らんけれども、あの人の言ふこと、あの方の行ふことだから、間違ひはなからう。自分は分らないが任せる ―― かういふふうに信頼させよ。といふことであります。
民主主義といっても、その要は結局民衆をして信頼させることであります。民衆が安んじて信頼することのできる政治家になることが何より大切です。」
安岡正篤述・前掲書/ 第14講「行政と民衆」参照 (pp.170−171)

「無信不立」は、政治家が好んで唱えられたり色紙に書いたりされますね(ex.三木武夫 元総理)。人の長たる(たらんとする)者、人の指導者〔リーダー〕たる(たらんとする)者に真の意味でしっかりと味わって頂きたいものです
畢竟〔ひっきょう〕するに、平成の現代日本国民にとって、最も忘却されているもの、(したがって)これから日本人に求められるものは、“信頼(信)”と“思いやり(仁・愛・恕)”です。それは、国家百年の大計である教育の分野においての道義教育のことに他なりません。そして、その道義教育教育の直接の担い手である教師において問題の課題は“〔けい〕”の欠如です。!
『論語』に君子は本〔もと〕を務〔つと〕む。本立ちて道生ず。〔有徳の君子(=指導者)は根本のことに努力し行うものです。すべては、根本が定まってこそ、自ずと進むべき道が開けるのです。〕(学而・第1−2) とあります。「信」と“思いやり”は、「本〔もと〕」であり「食」≒“経済”は枝葉です!

cf. ≪ TOPIX ≫ ‘12.12.16 :「民主惨敗、自民圧勝(衆院)」 /

’13.7.21 :「民主惨敗、自民圧勝(参院)」、ねじれ解消・自民1強体制・与党衆参で過半数 / 6年前’7.7.30 :「自民・歴史的大敗」(民主の歴史的大勝)

cf. ≪ 孔子伝・「恕の人」(DVD) ≫ ―― 信について

孔子:「500年前の殷の人々は、人が言うと書いて信の字を作った。これはつまり、話す言葉に信用があるということ。人は常に真実を話さねばならず、嘘はいけない。人と人の間で真実の言葉が語られなければ、互いを信用ができず、社会の秩序も保つことができない。」

顔回:「人にして信なくんば、其の可なるを知らず、大車輗〔げい〕なく、小車〔げつ〕なくんば、其れ何を以て之を行〔や〕らんや。車に譬〔たと〕えて言うと、どんな車でも重要な部品を欠いては走れません。人づき合いや祭りごとにおいても、言葉に信なくしては社会で認められないのです。」
cf.為政・第2−22 「子曰、人而無信、・・・・ 」

cf. ≪ 黄老&儒学の理想的指導者〔リーダー〕像 ≫
(たかね『大難解老子講』 pp.113−114 参照のこと)

老子は、儒学的政治指導者を第2位においています。が、現実の政治の世界では、第2位の仁・慈の政治指導者も理想的指導者〔リーダー〕像といえます。黄老的政治指導者は文字どうり、至上・太上のものとして考えればよいでしょう。
また、政治は実際、一人でやるわけではありません。総理大臣(総大将)の理想像を黄老的聖人とし、大臣・閣僚参謀のトップを儒家的聖人とみるのが善いのではないでしょうか。

≪ 指導者(為政者・君主) の 4 ランク ≫ (聖人 ≒ 君子 ≒ 指導者)

1位
(太上)
黄老的 聖人 : 無為自然 存在が知られているだけ
2位 儒学的 聖人 : 仁 慈 親しまれ誉められる
3位 (法家的 聖人) : 刑 罰 畏(恐)れられる
4位    * 侮りバカにされる

cf.*現代大衆社会のリーダー?

(子貢完)

(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)

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第31回 定例講習 (2010年6月27日)

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論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子 貢 〔4〕 )

◆ 1) 大器量人子貢 ・・・・ “女〔なんじ〕は器なり”、君子とは? 君子と器!
 ――――→   続 き

※  研究  ―― 渋沢栄一の君子評

 渋沢栄一氏は、維新の三傑*注1)を、その著書の中で次のように観ています。
(以下、『 「論語」の読み方 ―― 「精神の富」と「物質の富」を一挙両得できる! ――  』 
/竹内 均 編・解説によります )

 大久保利通〔としみち〕は、胸底に何を隠しているのかつかめぬ、全く底の知れない人で、
彼に接すると何となく気味の悪いような心情を起こさないでもなかった。

 西郷隆盛は、同じ「器ならざる人」でも大久保とは大いに異なっていた。
一言に要せば、大変親切な同情心の深い、一見して懐かしく思われる人であった。
賢愚を超越したまさに将たる君子の趣があった。*注2)

 木戸孝允〔たかよし/桂小五郎〕 は、文学の趣味深く、すべてに組織的であった。

 以上、三者三様であったが、非凡にして「器ならざる」者という点では共通していた。

荻生徂徠〔おぎゅうそらい〕は、「器なる人は必ず器を用いずして自ら用うるにいたる」といっているが、維新の三傑は人を用いて自分を用いなかった人たちであったというのが、(渋沢氏の)実感するところです。*注3)

 なお、勝 海舟も達識の人であったが、どちらかというと 「器に近い」ところがあって
「器ならず」とまではいかなかったように思われる。*注4)

*高根注1) 「維新の三傑」、すなわち幕末期から明治を創った、西郷・大久保・木戸(桂)の3人。この3人の英傑は、歴史の舞台から申し合わせたように消えてゆきます。西郷は、西南戦争(M.10/1877.2〜9)で政府軍(大久保・木戸)と戦い、敗れて自刃。その間、木戸は病没。西郷亡き後、翌年、大久保は暗殺されます。
なお、この維新の三傑一挙に亡き後、以降はニューリーダーとして伊藤博文や山県有朋(共に松下村塾の出身、また共に『論語』からとった名前です)が、日本史の表舞台に登場してくることとなります。

*高根注2) 西郷隆盛は“情の人”であったと思われます。隆盛の弟、従道〔つぐみち〕も兄に似て言葉少ないけれども不言実行家で、独特の才能を持っていました。従道は、明治政府の下で長く重要な地位を占め重んじられます。
――― 現在、指導的立場に、“口舌〔こうぜつ〕の徒”という軽輩ばかりが多いことを改めて思います。

*高根注3) 現代日本の政治は、大衆民主主義社会の悪弊で衆愚化し、器ばかりの為政者となっています。 ―― 否、器・器量人ならまだしも、器ですら一向にない人たちが議員バッジをつけています。何とも不思議なことです。

*高根注4) 西郷隆盛は、徳がかった“君子タイプ”(=陰)。勝 海舟は、才がかった“小人タイプ”(=陽)。と 陰陽で類型だてることができます。

 ( 続 く )



老子  【2】

 
§.プロローグ : 序 ――― 『老子』 と 『易経』・『中庸』

 ☆POINT

 ※ 形而上学〔哲学・思想〕 ―― 『老子』 = 『易経』 & 『中庸』(子思) 

⇒⇒⇒  東洋思想の2大潮流/2大属性/個人レベルと社会レベル

 先に述べましたように、「諸子百家」の中で、
後世・歴史への影響が重大であったものが儒家と道家です。

この、儒学思想と老荘(道家)思想は、2つして、中国さらに東洋の2大潮流を形成してまいります。

 さて、この“2大潮流”を(二者択一的)2つのもの、場合によっては対峙〔たいじ〕する2つのもの、という一般的捉え方は、私には当を得ていないもののように思われます。

両者は、2つにして「一〔いつ〕」なるもの、2面性・2属性として捉えるべきものです。

 そもそも、何につけても分岐・分析的に物事を捉えるのは西洋学問の傾向です。
それは一見、科学的・合理的でわかり易いような気をおこさせます。

陰陽でいえば、「陽」の分化・分岐の捉え方です。
が、しかし、その実〔じつ〕大いに問題である場合があります。

現代社会そのものが、過剰に陽化し分化し、
多岐駁雑〔ばくざつ〕で “わからなく”なってしまっている現状です。

「陰」の収斂〔しゅうれん〕、統合・統一の視点が必要です。

 「柔よく剛を制す」という、お馴染みのことばがあります。
私は、少年のころ、柔道(柔術)の極意のことぐらいに理解していました。が、これは『老子』の言葉で、“柔弱謙下〔じゅうじゃく/にゅうじゃく けんげ〕の徳”のことです。

ふと思いますに、大昔時〔おおむかし〕は、“陰陽”といわずに“剛柔(柔剛)”といっていました。
ですから、「柔よく剛を制す」は、「陰よく陽を制す」とも考えられます。
―― それはさておき。

 国家社会のレベルでも、個人のレベルにおいてでも、
儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。
二者択一のものではありません。

私が、平たく例えてみますと。
いつもいつも、公人として、スーツにネクタイ・革靴で仕事ばかりしていては息が詰まります。
カジュアルな格好をしたり、気分転換・無礼講も必要です。

帰宅してのプライベートな時間は貴重です。ラフな服装が大切です。
あるいは、ウイークデーの5(6)日間しっかりと精勤すれば、
(土)日曜日の休日には心身を休養することが英気を養うことになります。

その、精励 ― 休養、緊張 ― 弛緩、陽 ― 陰、のバランス
中庸・中和・時中 の中に人間・社会の至福があるのです


ちなみに、個人で人生どちらをより優位に選ぶかは個人差があるものの、
やはり一般には、働いて休日があるように、儒学ありて老荘生ずということかと思います。

 ところで、『史記』の「老子伝」には、孔子が周に行って老子に教えを乞い、
老子を「それ猶〔なお〕、龍のごとし」と評した話が書かれています。

実際には、(後述しますが)“老子”という人物が存在したかどうかも定かではありません。
(司馬遷の時代、すでに老子の人物像に3説あって特定出来ていません)

たとえ、実在したとしても、孔子が老子から教わったということはありません。
フィクション〔伝説・物語〕にすぎません。

当時、メジャー〔有力〕であった儒家思想をベースに、
それに対抗・批判する立場(アンチ・テーゼともいえましょうか)で、
老荘思想が登場し形成された
と考えられます。

 弁証法的(=中論)にいえば、儒教【正/テーゼ】と老荘【反/アンチ・テーゼ】が
止揚(揚棄)【中す/アウフヘーベン】して、
東洋思想【合/ジン・テーゼ】が完成するとも表現できましょう。

儒家思想と老荘思想とは、両者が混然一体となって、
東洋思想は深淵でパーフェクトなものとなるのです。

そして、日本の伝統精神の基盤をなした“ミーム”〔文化的遺伝子〕 の
“元〔もと〕始まり”もここにある
と思います。
(※仏教の東洋文化への普及・影響は後の時代のことです)

 ではここで、東洋思想の泰斗〔たいと〕、
故・安岡正篤先生の“儒学と老荘”・“易と老子”の捉え方を少々ご紹介しておきたいと思います。

 「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、どうしても易と老子を学びたくなる、
と言うよりは学ばぬものがない
と言うのが本当のようであります。
又そういう専門的な問題を別にしても、人生を自分から考えるようになった人々は、
読めると読めないにかかわらず、易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。」
 ( 安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 P.88引用 )

安岡先生は、「孔孟の教は現実的」であり、「老荘の教は理想主義的」であると述べられています。

すなわち、孔孟の儒学(儒書)は現実・実践的で、現実に疲れてくると厳しく重苦しい。
この、厳しさ・堅さを救うものが、黄老思想、所謂〔いわゆる〕老荘系統の思想学問です。

それは、理想主義的で現実にとらわれない形而上学〔けいじじょうがく〕的なものなのです。
                                          ( 続 く )

 

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本学  【 漢文講読 ―― 『晏子春秋』・〔1〕 】

*漢文講読の第一回目は、『晏子春秋』 〔あんし しゅんじゅう〕から、「景公病水 〔けいこう みずをやみ〕… 」を取り上げました。

§.はじめに

 晏子=晏嬰〔あんえい〕は、春秋時代の大国・斉〔せい〕の名宰相です。
霊公・荘公・景公の三代に仕えて、清廉堅実な善政を敷きました。
『晏子春秋』(8巻、内篇6・外篇2)は、この晏嬰の言行録です。

 晏子は、『論語』にもよく登場しますね。
また、漢文のテキストでも良く扱われていて広く知られているものに
「晏子の御〔ぎょ〕」があります。

『史記』の晏平仲伝 にあるもので、
宰相・晏嬰の御者〔ぎょしゃ〕が、その地位を得意がり甘んじていたのを妻が諌〔いさ〕めます。

それで御者は、行いを慎み、晏嬰が大夫〔たいふ〕に出世させてやったという話です。
(この故事から、他人の権威に寄り掛かって得意になる意で用いられます)

 今回採り上げました、「景公水を病み・・・」の話は、当時の陰陽(五行)説 
―― 易学=儒学の源流思想、をうかがい知る意味からも、
現代の(フロイト的)深層心理学的視点からも、非常に興味深いものがあると思います。

これが、実話か作り話かは定かではありません。
が、大政治家にして賢人たる晏子の、心理療法、実践合理的“かけひき”の面目躍如たるものを味わってまいりましょう。

また、補論として、私(高根)の、この話の裏面にある深意への研究・検討もご参考下さい。
 
 (なお、本時の購読と概説は、陰陽五行論に詳しい嬉納禄子〔きなさちこ〕女史が担当いたしました。)


◎ 『晏子春秋』 巻6−1条(一部略)

「 景 公 病 レ 水 ・・・・・ 」


《 漢 文 》  ―――  略  ―――

《 書き下し文 》 (歴史的かなづかいによる)

 景公水を病み、臥すこと十数日、夜夢に二日〔にび〕と闘ひて、勝たず。晏子、朝す。公曰く、「夕者〔ゆふべ〕夢に二日と闘ひて、寡人〔くわじん〕勝たず。我、其れ死せんか」と。晏子対〔こた〕へて曰く、「請ふ 夢を占ふ者を召さんことを」 と。閨〔ねや〕より出で、人をして車を以て夢を占ふ者を迎へしむ。 | 至りて曰く、「曷為〔なんす〕れぞ召さるる」 と。晏子曰く、「夜者〔よる〕、公、夢に二日と闘ひて、勝たず。公曰く、『寡人死せんか』と。故に君に夢を占はんことを請ふ」 と。夢を占ふ者曰く、「請ふ、其の書を反〔かえ〕さんことを」と。晏子曰く、「書を反す毋〔な〕かれ。公の病む所は陰なり。日は陽なり。一陰は二陽に勝たず。故に、病、将〔まさ〕に已〔や〕まんとす。是〔こ〕れを以て対へよ」と。 | 居〔を〕ること三日、公の病大いに癒ゆ。公、且〔まさ〕に夢を占ふ者に賜はんとす。夢を占ふ者曰く、「此れ臣の力に非ず。晏子臣に教ふるなり」 と。公、晏子を召し、且に之れに賜はんとす。晏子曰く、「夢を占ふ者、占〔うらなひ〕の言を以て対ふ。故に益有るなり。臣をして言はしむれば、則ち信ぜられざらん。此れ夢を占ふ者の力なり。臣に功無きなり」 と。公、両〔ふた〕つながら之に賜ひて曰く、「晏子は人の功を奪はず、夢を占ふ者は人の能を蔽〔おほ〕はず」 と。

《 大意・現代語訳 》

 景公が、腎臓病を患って、10日あまり、病床に就きました。
ある夜、夢をみて、自分が2つの太陽と闘って勝てませんでした。

(宰相の)晏子が、お見舞いに参内しました。
そこで公は、「昨夜夢の中で 2つの太陽と闘って、わしは勝てなかった。
わしは、もう死ぬのだろうか?」
と言いました。

晏子がお応えして申し上げるには、
「どうか夢占い師をここへお呼びください。」 と。

(晏子)は、公の寝室を出ると、人に言いつけて車で夢占い師を迎えにやらせました。

 夢占い師は、やってくると言いました。
「なぜ(私は)お召をうけたのでしょうか」 と。

晏子は言いました。
「夜、ご主君(景公)が、2つの太陽と闘って勝てなかった夢をみられた。
そして、『わしは、もう死ぬのではなかろうか?』 と言っておられる。
それで(私が)ご主君に、その(夢の意味)を解いてみられますようにお願いしたのだ」 と。

夢占い師は、言いました。
どうか夢占いの専門書を参照させてください」 と。

晏子は言いました。
その書物を参照してはならぬ。ご主君が病んでいる腎臓は陰であり、太陽は陽である。
1つの陰が 2つの陽に勝てない(のは陰陽の理というものだ)。
したがって、ご主君はまもなくお治りになるのだ

このことを、ご主君へのお答えとせよ。(※ そうしなければタダではすまさぬゾ)」 と。 

 それから 3日がたち、公の病はすっかり良くなりました。

公は、夢占いをした者に褒美を与えようとしました。

夢占い師は言いました。
「これは私の力ではありません。宰相の晏子が、私に教えてくださったのです。」 と。

公は、晏子を召し出して褒美を与えようとしました。

すると、晏子は、
「夢占い師は、(スペシャリストとして)占いの言葉でお答えしました。
だから、ご利益〔りやく〕があったのです。
もし私が、同じことを申し上げたなら、
ご主君には、信用して(有難味を感じて)いただけなかったでしょう。
つまり、(病を治したのは)夢占い師の力〔権威のパワー〕なのです。
私には、何の手柄もありません。」 と。

公は、両人に褒美を下賜〔かし〕してこう言いました。

「晏子は他人〔ひと〕の功績を奪わなかったし、(景公)夢占い師は、他人の才知・能力を隠してしまおうとはしなかった。(両人とも立派である)」 と。
                                            ( 続 く )


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易経

※ 新しい受講生も増えていますので、立筮 (略筮法/中筮法)のおさらいをいたしました。 
先輩の受講生諸氏は、筮竹さばきもだいぶんと板に付いてまいりました。

                                            ( 以 上 )
                                    


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