儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

孔子

儒学の「素」に想う (その1)

儒学の「素」〔そ/しろ=白〕に想う 

――― 孔子と“色の弟子”子夏〔しか〕の問答/
  “色”の三(定)義/「素以為絢」・「繪事後素」/
  素〔そ・しろ・す・もと〕=白:white/
  “五色〔ごしき〕”・イッテンの“ペンタード”/白賁〔はくひ〕/
  素行・自得≒安分知足・無為自然/儒学の「素」〔そ/しろ=白〕・【離☲】/
  黄老の「玄」〔げん/くろ=黒〕・【坎☵】/“(善)美なるものは白” ――――


《 §.はじめに 》

最近(2014)スピーチで、
「皆さんには、進路(将来・人生・職業)に対するいろいろな思いがあるでしょう。
―― そこにをつけなければなりません・・・」
という表現を耳にしたことがあります。

また、駅の宣伝大パネルで、某大学の宣伝広告に、
巨大な“カメレオン” 補注1) が虹色に彩色されて描かれ
「キミハナニイロ?」とキャッチコピーが大きく書かれていました。

これらは、色と人生が重ねられて擬〔なぞら〕えられて語られているほんの一例です。
21世紀は“カラーの時代 〔Color Ages〕”ということを改めて感じました。

そもそも色の世界を持つもの(色が見えるもの)は、ホ乳類だけです。
犬の人生(犬生?)や猫の人生(猫生?)は、
白と黒の“グレースケール”の中に表現され擬〔なぞら〕えられるわけです。


ところで、孔子の弟子に子夏〔しか〕という人がいます。
“子貢〔しこう〕”と字面〔じずら〕が似ていて間違えそうですが ・・・ 。

『論語』文学子游子夏(先進・第11)とありますように、
「四科(十哲)」では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」というのは、古典・経学のことです。

姓は卜〔ぼく〕、名は商。子夏は字〔あざな〕です。
孔子より、44歳年少です
謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。

文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長・総長といった感じでしょうか。

曾子が仁を重視する立場(忠恕派)なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派)です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は、まことに大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 

長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったとも伝えられています。

子夏は『論語』でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。

というのは、“色”っぽい(?)弟子・子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』は子夏の言に、
“色”にまつわる記述が多くあるように思われるのです。

私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」)としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子”としての印象なのです。 補)


さて、『論語』の一節に、“絵の事”に擬えて
「素」=“白”について述べられている孔子と子夏の興味深い問答があります。
(八佾・第3−8) 

「素」〔そ/しろ=白〕・【離☲】は、儒学思想の要〔かなめ〕です
私は、“「白と黒」は色の本質であり、「素〔そ〕と玄」は人間の本質であり、
【離☲】と【坎☵】は万物の源 である”
 と考えております

今回は、この問答の一節を“切り口”にして、
「素」=“白”が持つ人間学的・形而上学的な真意・深意にアプローチしてみたいと想います。


補注1) 

易学・『易経』は、変化とその対応の学です。
「易」の字義について、蜥易〔せきえき〕説というものがあります。
それは、「蜴」(とかげ)に因〔ちな〕むとするもので、
トカゲ〔蜥蜴・石竜子〕は変化するからというものです。
私は、この「蜴」を、体表の色を周囲の環境に合わせて
千変万化させる(保護色)“カメレオン”の一種ではないかと想像しています。

補)

“色”の三(定)義を考える(色相・明度・彩度の“三属性・三要素”のことではありません)

(1)“色っぽい”の意。「色」の文字は、元来男女の“からみ”を表した象形文字です。
   この意味は、東洋においてのみです。
(2)“カラー〔色彩(学):Coror/Corour〕”の意。欧米における “色”は、この意味です。
(3)“顔色”の意。「顔(色)が青(白)い」 といったように、顔に出る色のことです。

cf.漢方(中医)と顔色 ⇒ 五行・五色の思想から体系立てられています。

ex.“五色診”後述


《 §1.孔子と子夏の「素」をめぐる問答 》


『論語』 に孔子と子夏の、「素」=“白”をめぐる興味深い問答があります。
まずは、全文を紹介いたしましょう。 

○“子夏問いて曰く、「『巧笑倩〔こうしょう せん〕たり、
美目盼〔びもく はん/へん〕たり、素〔そ〕以て絢〔あや〕を為す。』 ※注) 
とは何の謂いぞや。」 | 
子曰く、「絵事〔かいじ/絵の事〕は、 
A:素より後〔のち〕にす(後る) 」 B:素を後〔のち〕にす。」と。 | 
曰く、「礼は後か」 | 
子曰く、「予〔われ/よ〕を起こすものは、商なり。 (※予を起こすものなり。商や・・・ ) 
始めて与〔とも〕に詩を言うべきのみ。」と。”  

(八佾・第3−8)

  
【 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、以為絢兮、何謂也。| 
子曰、繪事後素。 | 
曰、禮後乎。 | 子曰、起予者商也。
始可與言詩已矣。(※子曰、起予者。商也始可與言詩已矣。) 


《 大 意 》
子夏が、「『にっこり〔莞爾〕と笑うと口元が可愛らしく(エクボが出て愛嬌があり)、
目(元)はパッチリと(黒い瞳が白に対照して)いかにも美しく、
(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、
何とも艶〔あで〕やか』※注) という詩がありますが、
これはどういう意味のことを言っているのでしょうか。」 と質問しました。 |
孔先生がおっしゃるのには、「絵画で言えば、 
A:(の胡粉〔ごふん〕)で地塗りしてその上に彩色するようなものだ。」
B:彩色して一番最後に白色の絵具(胡粉〔ごふん〕)で仕上げるようなものだ。
」 
と。 |
(子夏が質問して言うには) 
A:礼(儀作法)は、まごころ〔忠信〕というベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」 
B:(まごころをもとにして) 礼(儀作法)が人の修養・仕上げにあたるものなのですね
。」 |
孔先生がおっしゃるのには、
「わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれる者は商(子夏の名)だね。
(※わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれたものだね。商よ、お前でこそ、共に ・・・ ) 
商のような(古典を活学できる)人にして、はじめて共に詩を語ることができるというものだね〜。」 と。


《 解 説 》
子夏のこの時の年齢はさだかではありませんが、
(孔子との年齢差を考えるにつけても)おそらく若々しい青年だったでしょう。
純情内気な子夏が、生真面目〔きまじめ〕に(艶〔つや〕っぽいことについての)とぼけた質問をして、
それに対して覚人達人の孔子が ポン とよくわからぬ応〔こた〕えをしています。
その応えに、賢く類推し凛〔りん〕として思考を閃〔ひらめ〕かせています。
禮後乎」とわずか三字で表現したところに“打てば響く”がごとき子夏のシャープな覚りが感じられます。
その賢い弟子に対して「起予者」と三字で応じた孔子も流石〔さすが〕なるものがあります。

―― この問答の深意は、読者のみなさんには、“禅問答”のようで、
トン とよくわからないものでしょう。
このあたりが又、『論語』の得も言われぬ妙味たるゆえんかもしれません。


※注) 
『詩経』の詩について、上2句は衛風・碩人篇にありますが、下1句は見当たりません。
「笑〔え〕まい可愛いや口もとえくぼ、目もと美しぱっちりと、白さで美しさをしあげたよ。」
(金谷治・『論語』 p.56 参照引用)


参考資料

「 人形 〔にんぎょう〕 」      1911(M.44)年 5月 

   文部省唱歌/作詞作曲ともに不詳/ 『尋常小学校唱歌・第一学年用』

1.わたしの人形はよい人形。
  目は ぱっちりと いろじろで、
  小さい口もと 愛らしい。
  わたしの人形はよい人形。

2.わたしの人形はよい人形。
  歌を うたえば ねんねして、
  ひとりでおいても 泣きません。 
  わたしの人形はよい人形。


※1970年代、替え歌 CMソング(関西地区限定)  『モリシゲ人形のうた』

1.わたしの人形は モリシゲで
  お顔がよくて 可愛くて
  五人囃子に 内裏さま
  たのしいみんなの ひな祭り

 ―――  2.3.4.5.

 最後に

  目は ぱっちりと いろじろで
  小さい口もと 愛らしい
  わたしの人形は よい人形。


《 §2.白 white = 素 について 》

「素」“そ”は、それを 「絵事」=色彩 として捉えれば、「素」“しろ”と発音されます。
「黒:Black」に対する「白:White」です。

この色彩としての“白・黒”の概念については、
次の3つの場合を考えることができると思います・・・



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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水【坎】 に想う  (その6)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 孔子(/孟子) と 「水」 》

儒学の開祖・孔子は、『論語』で 
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。」 (雍也第6−23) / 
「子、 川上〔せんじょう/かわのほとり〕に在りて曰く、逝〔ゆ〕く者は斯〔か〕くの如きか。
昼夜を舎〔お/や・めず/す・てず〕かず。」
(子罕第9−17) と述べています。

孔子を“私淑〔ししゅく〕”した孟子は、孔子の水礼賛を次のように解しています。


■「徐子〔じょし〕曰く、仲尼亟〔しばしば〕水を称して曰く、
水なる哉〔かな〕、水なる哉と。何をか水に取れるや、と。
孟子曰く、/*原泉混混として、昼夜を舎〔お/や・めず/す・てず〕かず
科〔あな/=穴〕に盈〔み〕ちて而〔しか〕る後に進〔すす〕み、四海に放〔いた/=至〕る。
本〔もと〕有る者は是の如し。是れ之れを取れるのみ。/ 
苟〔いやし〕くも本無しと為さば、七八月の間〔かん〕、雨集まりて、
〔こうかい〕皆盈〔み〕つるも、其の涸るるや、立ちて待つ可〔べ〕きなり。
故に声聞情〔じつ/=実〕に過ぐるは、君子之を恥づ、と。」
 (離婁章句下)

◇*「水源のある水は、コンコンと湧き出して、昼も夜も休むことはありません。
そうして、流れてゆく途中に、窪んだ所があれば
それをいっぱいに満たしてから、更に流れ進んで行き、
ついに四方〔よも〕の海に辿り着くのです。
すべて、本〔もと/本源〕のあるものは、
このように流れ続け決して尽きることはないのです。
(水の)この点を孔子は、賞賛されたのです。」


このように、孟子は孔子を理解し、
水・水の流れを、智の流れて尽きないものとして捉えています。

水に対する、儒学の有力一般的な見解でしょう。 注6) 

 
尤〔もっと〕も、私は孔子の水・水の流れを次のように解しています。

孔子は水を“楽しみ”としたのであって、好みとしたり愛したりはしていません。 
── 深くしみじみと味わうとでもいった情趣の様に思います。

また、孔子川上の感嘆も、(孟子なら流れて尽きないものと感じてぴったりですが) 
孔子の老齢や孤独・不遇を考え合わせると、
“無常”流転への悲哀〔かな〕しい晩年の悟りのように感じます。

不思議と、西洋の大賢人レオナルド・ダ・ビンチの手記の文言:
「君が手にふるる水は過ぎし水の最期のものにして、来るべき水の最初のものである。
現在という時もまたかくのごとし。」と、
その達観・晩年の境地、相通じるものがあるように想います。


注6) 

孟子は人の“性”を水に象〔かたど〕り(“人の性は水のごとし”)、
己〔おの〕が根本思想である“性善(説)”を決定づけるものとしています。

すなわち、告子〔こくし〕との人の性をめぐる論争がそれです。

告子は、人の本性は渦巻いて流れる水のようなもので、
流れる方向が決まっていないので、東へでも西へでも流れて往〔ゆ〕きます。

それと同じように、人の本性というものも、
始めから善悪(善不善)の区別があるわけではないのです。と主張しました。

それに対して孟子は、次のように反論しています。

■「水は信〔まこと〕に東西を分つことなきも、上下を分つことなからんや。
人の性の善なるは、猶〔なお〕水の下〔ひく〕きに就くがごとし。
人 善ならざることあるなく、水 下らざることあるなし。

◇「確かに水には、東に流れるか西に流れるかの方向を決めることはできません。
が、しかし、高い方に流れるか低い方に流れるかの方向が
決められないということがありましょうか、そんなことはないでしょう。
人の本性がもともと善であるというのは、
恰〔あたか〕も水が必ず低い方へと流れて往くのと同じようなものです。
ですから、人の本性には、誰でもみな悪(不善)であるものはなく、
水は低い方に流れて往かないものはないのです。」

そして、更に反論を加えます。

水は、水面を手で打てば跳ねて額〔ひたい〕より高く上がったり、
せき止められて山の頂〔いただ〕きまで逆流したりすることはあります。
が、どうしてそれが水の本性であるといえましょうか。
外力がそうさせただけなのです。
ですから、人が時に悪(不善)を成すのも、それは決して人の本性ではなく、
(利害損得や金品財物といった)外からの影響力に因〔よ〕るのです。 

(『孟子』・告子章句上2)/(『孟子』・小林勝人訳注・岩波文庫 参照)


《 老子 と 「水」 》

 水の象〔しょう/かたち〕は、黄老思想の要〔かなめ〕です。

「上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水の若し〕」 (『老子』・第8章)と、
水を無為自然、最高の徳(≒道)の象としているのです(“不争の徳”)。

『老子』・第78章にも
「天下に水より柔弱〔じゅうじゃく〕なるは莫〔な〕し。
而〔しか〕も堅強を攻むる者、之に能〔よ〕く勝〔まさ〕るなし。」とあり(“柔弱の徳”)、
第66章にも「江海の能く百谷〔ひゃっこく〕の王たる所以〔ゆえん〕の者は、
其の善く之に下〔くだ〕るを以て、故に能く百谷の王たり。」とあります・・・


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むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


2. 論 語 

■ 孔子とその弟子の言行録 /応神天皇 16年、王仁〔ワニ〕 によって伝えられる
10巻20篇。 / 『孝経』 とともに 大学の必修 / 
“綸語” ・ “輪語” ・ ☆ “円珠経” ・ “宇宙第一の書” / 
“論語読みの論語知らず” ・ “犬に論語” /
孔子75代嫡長孫 「孔祥楷」 氏、77代 「孔徳成」 氏


cf.世界史レベルでのベストセラーは? 【 聖書 と 論語 】、
   第2は? 【 老子 】

※ イスラーム文化圏では 『コーラン』 が多、童話では 『ピノキオ』 が多、
  最近では 『ハリー・ポッター』 (4億冊あまり) が多 ・・・



《 冒頭 ・ 「小論語」 》


○「子曰く、学びて時に之を習う、亦〔また〕説〔よろこ〕ばしからずや。
朋〔とも〕あり、遠方より来る(朋の遠方より来る有り)、亦楽しからずや。 
人知らずして?〔うら〕みず、亦君子ならずや。
」   (学而・第1)

“ The Master said, To learn and at due times 
to repeat what one has learnt, 
is that not after all a pleasure ? ・・・ ”

《 大意 》
 孔先生がおっしゃいました。
「(先人のおしえを) 学び、時機に応じて (折にふれて/機会あるごとに)
おさらいして自分のものにしていく、何と喜ばしいことだねエ。 
(道友・学友) が遠方からやって来る、何と楽しいことだねエ。 
他人〔ひと〕 が自分の学問 ・ 価値を認めてくれなくても不平不満を抱かない、
何と君子〔できた立派な人物〕 ではないか」 と。


・「子」 ・・・ 男子への敬称、先生。〜子/子〜子。 『論語』 では孔子のこと。
         『論語』 に登場する “〜子” は、曾子ほかほんの数名にすぎません。

・「 ・・・ 人間形成 ・ 人格完成の学。 徳をみがく根本の学。 聖賢の学。 
         ⇒ 今の教育は、「学」 の内容そのものに欠陥があります。

・「時習 ・・・ 『論語』 の冒頭から非常にむつかしい言葉です。
         結論的に言えば、「時に之を習う」 では訳せないので
         「時一習ス」 とそのまま読むのが善いです。

・「之」 ・・・ “学んだことがら” を指します。

・「朋」 ・・・ 同じ学問 ・ 道を志す “学友” ・ “道友” 。
         ( cf. 「どんな朋でしょうか?」 の質問に 「心やさしい友達」 と答えた生徒がいました。
          ちなみに、いまどきの造語として “タダトモ” に倣って
          “ガクトモ” ・ “ミチトモ” もアリ?!)

・「君子」 ・・・ 有徳の人、人格の完成した人。
          また、そのようにあろうと努力している立派な人。
          ⇔ 小人〔しょうじん〕  =ジェントルマン、士〔もののふ〕

・「人不知而不慍」 ・・・ 孔子の人生を踏まえて味わうと重く深いものがあります。
              孔子の生涯は不遇であり、儒家の教えは当時認められず 
              “負け組” であったのです。
              この説は次のように解釈できます。 ── 
              徳をみがき(内面の) 人格を高めた人が君子です。
              内面が確立しているので、他人の理解や評価に流されないで、
              感情を制御〔コントロール〕 できるのです。
              善く出来た人 ・ 人格者は、他人の軽薄な評価や
              いい加減な社会的評価に動かされることはないのです。

・「学而」 ・・・ 『論語』 の20の章分けは、
          便宜的に最初の 2文字をもって名称としています。

・「不亦 ── 乎 ・・・ 「なんと〜ではないか」 と詠嘆を表しlます。



※ 『論語』の文言に由来して名付けられた、日本史上の著名人 ?

(1)【 伊藤 博文 】 (2)【 山県 有朋 】 (3)【 広田 弘毅 〔こうき〕 】 (4)【       】

(1)    “博文約礼”= 「 博〔ひろ〕 く文を学び、之を約するに礼を以てすれば、
            亦以て畔〔そむ〕 かざるべきか。」 (雍也・第6)

(3) 「曾子曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。仁以て己の任となる。
    亦〔また〕 重からずや。 死して後已〔や〕 む。 亦遠からずや。」 (泰伯第8)
  ⇒ “志人仁人” / cf.広田弘毅 首相・外相 (A級戦犯として文官中ただ一人死刑となる)



3.孔子の弟子たち 

          *(配布資料 : “孔子の弟子” ダイジェストB4プリント1枚)

○ 「弟子は蓋〔けだ〕 し 三千。 身、六芸に通ずる者 七十二。」
   (司馬遷・『史記』/孔子世家)

十大弟子〔ていし〕” / 孔門の “十哲” / “四科十哲


孟子(軻) −−−  [ 亜聖 ]

曾子(参) −−−  [ 宗聖 ]

孔子〔丘〕 −−−  [ 至聖 ]

顔子〔回・淵〕−−− [ 復聖 ]

子思(子) −−−  [ 述聖 ]


★ 孔子の後継
1. 【 忠恕派 ・ 仁の重視 】 : 曾子 ── 子思 ── 孟子
2. 【 礼学派 ・ 礼の重視 】 : 子游/子夏 ── 荀子 ・・・ (法家)李斯/韓非子
        (*子游は “礼の精神” を重んじ、子夏は “礼の形式” を重んじた )




■ 孔子の弟子たち ──  1.顔回 

 顔子 ・ 顔回。 は名、 は字。 孔門随一の俊才 ・ 偉才で 徳の人です
(後、「復聖」 と尊称されます) が、惜しくも早世(32か42歳)。
20代の頃から髪がまっ白であったといわれています。 
顔回は、孔子が自ら後継ぎと託した偉大なる愛弟子〔まなでし〕だったのです。  
※ 孔子との年齢差 「30」才



1)あたかも愚物の如し ( 「如愚」 ) ・・・ 孔子の顔回への初印象。

・「子曰く、吾回と言うこと終日、違〔たが〕 わざること愚の如し。
 退いて其の私〔わたくし/し〕 を省みれば、亦以て発するに足れり。
 回や愚ならず。」  (為政・第2−9)

《大意》
  わしは、回と一日中(学問上の)話をしたが、
 (全く従順で)意見の相違も反問することもなく、
 まるで何もわからない愚か者のようであった。
 だが、回が退出した後に、くつろいだ私生活を観てみると、
 わしが話し教えた道理をしっかりと行いの上に発揮(活か)することができておる。
 〔大いに啓発するに足るものがある。〕
 回は愚かではないよ。


2)「箪食瓢飲 〔たんし ひょういん〕 」 ・・・ 孔子の顔回賛美

・「子曰く、賢なるかな回や。一箪〔いったん〕の食〔し〕
 一瓢〔いっぴょう〕 の飲〔いん〕、 陋巷〔ろうこう〕 に在り。
 人は其の憂いに堪えず。 回や其の楽しみを改めず。 賢なるかな回や。」 
  (擁也・第6−11)

《大意》
  回は、ほんとうにえらい〔賢い〕ものだね。
 食べるものといったら竹のわりご一杯のごはん、
 飲むものといったら ひさご一杯の飲み物、
 住む所といったらむさくるしい狭い路地暮らしだ。
 普通の者ならそんな貧乏の憂い〔辛さ〕にたえられないだろうに。
 回は、そんな生活の中でも、心に真の道を楽しむことを変えようとしない。
 〔この修養の高さはとうてい他人の及ぶところではないね。〕
 まったくえらい〔賢い〕ものだね、回は!

 ※ 「賢哉回也・・・ 回也賢哉 というところを語の位置を変えています (倒置)。
            孔子が大いに賛美していることがうかがえます。
 ※ 「食」 ・・・・・ 動詞の場合は「ショク」、 名詞の場合は 「シ」 と読みます

 cf.「シカゴ大学にクリールという教授がおる。 
     ・・・・・・ 然しこの人には顔回がわからない。
     『顔回はあまりにも貧乏であったために、自ずから万事控え目になり、
     引っ込み思案になったのだ』 と言い、
     最後には 『少し馬鹿だったのではなかろうか』 とまで疑うておるのでありますが、
     とんだ誤解です。一寸〔ちょっと〕 以外な浅解です。 」 (安岡正篤・『論語に学ぶ』)



■ 孔子の弟子たち ──  2.曾子 


 曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。
弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 
70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。
孝経』 ・ (『曾子』 ・ 『大学』)の著者としても知られます。
「宗聖」 と尊称されます。

 私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕 を亡くし、
絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした
(=Gift) のように思われます。

孔子の愛孫、「子思」 を薫育します。
地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。

 『論語』 の門人で、いつも 「子」 をつけて呼ばれるのは曾子だけです。
(有子 ・ 冉子〔ぜんし〕 ・ 閔子〔びんし〕 は、字〔あざな〕 でも呼ばれています。)



1) あたかもなるが如し ── 第一印象

○「柴〔さい〕 や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕 やガン〔がん〕。」 
  (先進 ・ 第11−18)

《大意》
 柴(子羔 / しこう) は愚か〔馬鹿正直〕 で、参 (曾子) は血のめぐりが悪く、
 師(子張) は偏って中正を欠き、由(子路) は粗暴 ・ がさつだ。

 ※  = 遅鈍、魯鈍の語がありますが、
   血のめぐりが悪い ・ にぶい ・ “トロイ” と言った感じです。
   「愚」 も 「魯」 も、味わいのある語で日本語に訳せません。
   孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、
   それを期待して指摘 ・ 表現したのでしょう。


2)「吾日三省吾身」 ── 三省の深意

○「曾子曰く、吾〔われ〕 日に吾が身を三省す
 人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。
 *伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
  (学而・第1ー4)

《大意》
 曾先生がおっしゃいました。
 「私は、毎日何度もわが身について反省します。
 人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。
 友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。
 (先生から) 伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。
 (あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。) と反省してみます。」

 ※「吾日三省吾身」 :
 ・「三省
    (1)みたび吾が身を省みる
        ( 三 = たびたびの意 / 二たびではダメですか ・ 四たびではダメですか!) 
    (2)以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕

 ・「
    (1)かえりみる、反省する
    (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)

   cf.政治も教育も、「省く」 ことが大切です。
      が、現状は、「冗」 ・ 「擾〔じょう〕」。
       (分散、駁雑〔ばくざつ〕) ばかりで、
       (統合、収斂〔しゅうれん〕) がなく、
      偏倚駁雑 〔かたよりごたまぜ〕 です。

   ex.文部科学などの「省」、「三省堂」の由来



■ 孔子の弟子たち ──  3. 子路 

 私は、孔子(と弟子) の言行録である 『論語』 が、優れた一面として、
文学性 ・ 物語性をも持っていると考えています。
(優れた歴史書 『史記』 もまた文学性 ・ 物語性 ・ 思想性を持っています。)

 そういう意味での 『論語』 を、人間味(情味) 豊かに飾るものが、子路の存在です。
『論語』 での登場回数も子路(&由〔ゆう〕) が、一番多いのではないでしょうか。
子路の存在 ・ キャラクター、その言動によって、
『論語』 は より身近により生き生きとしたものとして楽しめるのだと感じています。
子路のファンの人も多いのではないでしょうか。


 中島 敦〔あつし〕 の短編歴史文学 『弟子』 は、子路を描いています
(次々回述べる予定です)。
その波乱の生涯の中でその最後(膾〔なます〕 のごとく切り刻まれて惨殺される) も、
ドラマチックです。 ※注)

 子路は、姓を仲、名を由〔ゆう〕、字〔あざな〕 を子路といいます。
また別の字を季路ともいいます。 孔子とは、9歳差。
四科十哲では、冉有〔ぜんゆう〕 とともに
政事(政治活動) に勝れると挙げられています。

 子路は、元武人(侠客〔きょうかく〕のようなもの : 博徒・喧嘩渡世) の経歴で、
儒家 ・ 孔子派の中での特異 ・ 異色〔ユニーク〕 な存在です。
その性状は、粗野 ・ 単純 ・ 気一本 ・ 一本気の愉快な豪傑といったところでしょう。
殺伐物騒な戦乱の時代にあって、現実政治的な役割と
孔子のボディーガード的役割を兼ねていたのではないでしょうか。
“お堅い” ムードになりがちな弟子集団の中にあって、
豪放磊落〔ごうほうらいらく〕 なムードメーカー的存在でもあったでしょう。

 私は、『論語』 の子路に、『三国志』 (『三国志演義』/吉川英治 ・ 『三国志』) の豪傑 
“張飛〔ちょうひ〕” 〔劉備玄徳(と関羽)に従う義兄弟〕 を連想しています。
虎・虎髭〔とらひげ〕 と愛すべき単純さ(そして劇的な死) のイメージが、
楽しくまた鮮烈に重なっています。


 ※注) 孔子73歳の時(孔子の死の前年)、
     子路は衛の内紛にまきこまれて惨殺されました。 享年64歳。(後述)
     「由が如きは其の死を得ざらん( ── 得ず。然り。)。」 (先進・第11−13)
     (由のような男は、まともな死に方はできまい。/畳の上で死ぬことはできないかもしれない。) 
     と日ごろから言っていた孔子の心配が、予言のように的中してしまったことになります。



■ 孔子の弟子たち ──  4.子貢 

          
 孔子門下を儒家思想 ・ 教学の本流から眺めれば、
顔回と曽子を最初に取り扱うのが良いかと思います。
が、『論語』 を偉大な 社会 ・ 人生哲学の日常座右の書としてみる時、
子路と子貢とはその双璧といって良いと思います。
個性の鮮烈さ、パワー(影響力) において、
孔門 3.000人中で東西両横綱でしょう。
実際、『論語』 に最も多く登場するのが子路と子貢です。
(後述の) 『史記』 ・ 「仲尼弟子〔ちゅうじていし〕列伝」 においても
最も字数が多いのは子貢、そして子路の順です。 

 さて、子貢(BC.520〜BC.456) は字〔あざな〕。 姓は端木、名は賜〔し〕。
衛〔えい〕 の出身で裕福な商人の出とされています。
四科(十哲) では、宰与〔さいよ〕 と共に 「言語」 に分類されています。
孔子との年齢差は、 31歳。


 孔門随一の徳人が俊英 ・ 顔回なら、孔門随一の才人 ・ 器量人が子貢でしょう。
口達者でクールな切れ者。そして特筆すべきは、商才あり利財に優れ、
社会的にも(実業家として) 発展
いたしました。
清貧の門人の多い中、リッチ ・ Rich! な存在です。
孔子とその大学校 (※史上初の私立大学校ともいえましょう) を、
強力にバックアップしたと思われます。
今でいう理事長的存在(?) であったのかも知れません。
そのような、社会的評価 ・ 認知度もあってでしょう、
“孔子以上(の人物)” と取り沙汰され、
その風評を子貢自身が打ち消す場面が幾度も 『論語』 に登場します。



○子、子貢に謂いて曰く、
 「女〔なんじ〕 と回と 孰〔いず〕 れか 愈〔まさ〕 れる。
 対〔こた〕 えて曰く、
 「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る」 
 子曰く、※「如〔し〕 かざるなり。 吾れと女と如かざるなり」と。
  (公治長・第5−9)

※「汝與回也孰愈」 ── 
   頭がキレ弁(口)がタツ 子貢には、
   他人〔ひと〕 を評し比べるという性癖 ・ 趣味とでも言えそうなものがあったように思います。
   「問曰」 とシンプルに書き始められていますが、
   そんな子貢の口ぐせをよくよく承知している孔子が、
   くつろいでいる時に (半ば戯れに)、
   「おまえと顔回とでは、・・・ 」 と尋ねたのではないでしょうか?
   顔回の「一を聞いて以十を知る」 ということの意味は、
   1 に対して10倍というより、1つの端緒で全体を把握するということでしょう。
   十全を知る、あるいは是非曲直の結論を知るの意です。
   また、どの学者先生も書いていないかと思いますが、
   私は、易学の真髄である “幾を知る” に近いことだと考えています



■ 孔子の弟子たち ──  5.宰我 

 宰予〔さいよ:BC.552−BC.458〕、字は子我、通称宰我。
「言語には宰我・子貢」 とあり、子貢と共に “四科十哲” の一人で、
弁舌をもって知られています。 孔子との年齢差29歳。
子貢が孔子と年齢差31歳ですから、宰予と子貢はほぼ同年齢ということです。

『論語』 の中に表われている宰予は、子貢とは対照的に
悪い面ばかりが描かれ孔子と対立して(叱責を受けて) います。
宰予は、孔門の賢く真面目な優等生的多くの弟子の中にあって、
“異端児” ・ “劣等生” ・ “不肖の弟子”… といった印象を与えています。
が、しかし、“十哲” にあげられ、孔子との対立が敢えて記されていることからも
(逆に) 端倪〔たんげい〕 すべからぬ才人 ・ 器量人であったと考えられます。
孔子も、“ソリ” ・ “ウマ” はあわなくも、一目おいていたのではないでしょうか。

○宰予 昼寝〔ひるい/ひるしん〕 ぬ。
 子曰く、「朽木は雕〔え/ほ〕るべからず、
 糞土の牆〔しょう/かき〕はヌ〔ぬ/お・す〕」るべからず。
 予に於いてか何ぞ誅〔せ〕めん。」 と。 |
 子曰く、「始め吾、人に於けるや、其の言〔げん〕を聴いて其の行い〔こう〕を信ず。
 今、吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」 と。
  (公冶長・第5−10)

《大意》
 宰予が、昼寝をしていました。
孔先生が、これを叱責しておっしゃるには
「朽ちた(腐った)木には彫刻をすることは出来ないし、
土が腐ってボロボロになった(ごみ土/穢土) 土塀には
美しく(上)塗り飾ることも出来ない。
(そんな、どうしようもない奴だから)
わしは、宰与を叱りようもない(叱っても仕方ない)。」 と。 |
そして、孔先生は続けて、
「わしは、以前は、人の言葉を聞いてその行ないまで (そのとうりだと) 信頼したものだ。
が、しかし、今後は人に対して、その言葉を聞いても(鵜呑みにせず)
その行ないもよく観るてから信ずることにする。
宰予のことがあってから、人に対する方針 ・ 態度をそのように改めるに至ったのだ。」 
と、おっしゃいました。

 ・「不可」: 出来ない、不可能の意。〜する値打ちがない。



■ 孔子の弟子たち ──  6.子夏 


 “子貢〔しこう〕” と 字面〔じずら〕 が似ていて間違えそうですが ・・・ 。
子貢のように知名度が高くないので、ともすると子貢と同一視している人もいそうです。

 「文学子游子夏」 (先進第11)。
「四科(十哲)」 では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」 というのは、古典 ・ 経学のことです。
姓は卜〔ぼく〕、名は商。 子夏は字〔あざな〕です。孔子より、44歳年少

 謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。
文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長 ・ 総長といった感じでしょうか。
曾子が仁を重視する立場(忠恕派) なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派) です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 
長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったと伝えられています。

 子夏は、『論語』 でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。
というのは、“色”っぽい(?)弟子 ・ 子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』 は子夏の言に、
“色” にまつわる記述が多くあるように思われるのです。
私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」) としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子” としての印象なのです。




( 以 上 )



(この続き、第2講 「 易占 と 易学 」 は次のブログ記事に掲載しております。)


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むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その2)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


1. 孔 子 

■ ── プロフィール ・ 生い立ち

*BC.551(552) 〜 BC.479 (73・4歳没) 、 
 儒学 (儒教) の開祖、魯〔ろ〕国 に生まれる、名は丘 〔きゅう〕 注1) 、
 字 〔あざな〕 は 仲尼 〔ちゅうじ〕

*父:叔梁紇・コツ 〔こつ/きつ〕 63歳 、 母:徴在  16
 姉9人・兄1人、 身長 200cm位ともいわれる 
    ( 『孔子家語』 〔こうしけご: cf.=副論語〕)
  cf. 「百除〔の〕けて、相老年〔あいおいどし〕の片白髪」  (一井 鳳悟)

*諸国を遍歴(14年)するが用いられず、
 魯国に帰り研究・執筆と子弟の教育に専心する
   → 孔子の学校 = 東洋初の私立大学校

*死ぬまで学び続け、向上し続けた人

*寂しい晩年 ── 愛弟子(後継者) 顔回(淵)の死、
   高弟・子路の惨殺、息子 鯉〔り〕の死
   → → 曾子 〔そうし〕 → 子思子 〔ししし:孔子の孫〕 → 孟子  → →

*当時の諸子百家の中で “儒家” は “負け組”
   → 後代・漢の時代(7代武帝) に 「国教」 となる


注1)    名の由来について 
1. 尼丘という霊地に祈願して授かった/ 
2. 頭頂が凹んで丘のようにフラットだった
    cf.老子 = 姓は李〔り〕、名は耳〔じ〕、字〔あざな〕は伯陽、
       おくりなして タン〔たん〕


○ 「吾れ、少〔わか〕くして賤〔いや〕 し、故に鄙事〔ひじ〕に多能なり。
  君子多ならんや、多ならざるなり。」  (子罕〔しかん〕 ・ 第9)


○ 「牢曰く、子云〔のたま〕う、『吾試〔もち〕いられず。故に芸あり。』 と。」 
  (子罕・第9)

【コギト(吾想う)】 ── 
『論語』 には、 「君子多能を恥ず」 とあります。
が、西欧古代ギリシアの理想的人間像は “調和の美” を実現した人。
ルネサンスの理想的人間像は 、“普遍的人間(万能人)” 。
そして現代は、“(人の都合)が闊歩〔かっぽ〕” する “スペシャリスト” の時代です。


○ 「子曰く、吾十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。 六十にして耳従う。
  七十にして心の欲する所に従えども 矩〔のり〕を踰〔こ〕えず。」
  (為政・第2) 

 cf. 志学 ─ 而立 ─ 不惑 ─ 知命 ─ 耳順 ─ 従心 



■ ── 孔子の人間像

○  「 食〔し/いい〕 は精 〔せい/しらげ〕 を厭〔*きわ/あ・かず/いと・わず〕 めず
  膾〔かい/なます〕 は細を厭めず。 
  食の饐〔い〕 して〔あい〕 せる、
  魚の餒〔たい/あさ・れて〕 して肉の敗〔ふる/やぶ・れたる〕 びたるは食らわず。
  色の悪しきは食らわず。 臭〔におい〕 の悪しきは食らわず。
  〔じん〕 を失いたるは食らわず。 
  時ならざるは食らわず
  割〔きりめ〕 正しからざれば食らわず。 
  其の醤〔しょう〕 を得ざれば食らわず。
  肉は多しと雖も食気(食〔し〕の気) に勝たしめず。 | 
  唯 酒は量なし、乱に及ばず
  沽酒市脯〔こしゅしほ/かえる酒かえるほじし〕 は食らわず。
  薑〔はじかみ〕 を徹〔す/てっ・せず〕 てずして食らう、多くは食らわず。
  公〔こう〕 に祭れば肉を宿せしめず。 
  祭肉は三日を出ださず。 三日を出づれば之を食らわず。 
  食らうに語らず。寝〔い〕 ぬるに言わず。
  疏食菜羮〔そしさいこう〕 瓜〔か/うり〕 と雖も祭るに必ず斉如〔さいじょ〕 たり。」       
  (郷党・第10)


《大意》
 ご飯は、あまり精白(白米) にしすぎないように
膾〔なます〕 も細かく切り刻みすぎないように。
(ご飯の)すえて味が変わったものや、
魚が傷んで肉の腐りかかったものは食べない。
色が悪くなったもの、臭〔におい〕 の悪くなったものは食べない。
料理かげん(煮かげんなど) の良くないものも食べない。
季節はずれ(旬〔しゅん〕でない) ものは食べない
切り方の正しくないものも食べない。
適当な〔したじ :つけ汁の類〕 がなければ食べない。
肉は、多くあっても食欲がなければ食べない(=お腹のすき具合に応じて食べる)。
ただ、酒については、別にこれこれという適量はないけれども、乱れるところまでは飲まない
店頭に並べてあるような(たなざらしの) 酒やら乾肉は食べない。
薑〔はじかみ :ショウガの類〕 は、のけずに食べるけれども、多くは食べない。 
主君の祭りを助けたときには、(お供え物のおさがりの) 肉を宵ごしにしない。
(また) わが家の祭りの肉は三日を越さないようにして、三日を越えたら食べないようにした。
食事中は話をせず、寝るときもしゃべらない。
粗末なご飯や野菜スープや瓜のようなものでも、
(初取りの) お祭りをするときには、必ずおごそかに敬意を尽くしました。


・「食不厭精」 ・・・ 「食」 は、食事という名詞では“シ”、
            食べるという動詞では “ショク” と読みます。  
            cf.“三白の害” → 白米・白砂糖・白パン
               昔は西欧では食パンを白くするために 【 チョーク 】 を混ぜていました


・「膾不厭細」 ・・・ “なます” は、肉や魚を細かく切ってあえたもの
            cf.焼き肉店(「0111」) ユッケ食中毒 ('11.4〜)

  「これはいろいろ学者が調べまして、この厭ふという字は、
  あくといふ意味があり、またきはめるといふ意味がある。
  意味の自からなる連絡転化でありますが、そこで精を厭はずではなくて、
  精すなはち白きを厭〔きは〕 めず。
  或は白きを厭〔あ〕 かず、厭〔あ〕 かずといへば、
  腹一杯食べないといふことになるわけであります。
  ・・・・・ 中略 ・・・・・ 
  さういふことを考へて参りますと、
  食は白きを厭〔あ〕 かずといふのもよろしいが、
  精を厭〔きは〕 めず、あまり十分に白米にしない、
  かういふ方がよく当たつてをるようで、面白く思はれます。」 
   (安岡正篤・『朝の論語』 P.22 引用)


・「不時不食」 ・・・ “ 時中〔じちゅう〕 ” = 時の重視

 1)季節のもの、旬〔しゅん〕 のもの (成熟する時期に達したもの) を食す
    cf.「七養」の第1: 《 時令に順うて 以て元気を養う 》  
        → 鳥は、果物の “熟しごろ” を的確に見計らって、ついばみますね。

 2)間食をしない (食事の時間を重視) 
    cf.映画「グレムリン」 : PM.11時以降の食事はダメ


・「不得其醤不食」 ・・・ 「醤」
は、つけ汁・スパイスの類で
              衛生上の意味(毒消し・殺菌) も持っています
               ex. 寿司やサシミに“わさび”、カニに “酢”


・「唯酒無量、不及乱」 ・・・ 酒を飲んでも、乱れるまでは飲まないの意
   cf.珍解釈:「これをみろ、聖人の孔子でさえ、酒は量るなかれ、
         及はずんば乱すと言ってござる」と喜んだそうです。



○ 「子曰く、疏食〔そし〕 を飯〔くら〕 い、水を飲み、
  肱〔ひじ〕 を曲げて之を枕とす。
  楽しみ亦〔また〕 その中〔うち〕 に在り。
  不義にして富み且つ貴きは,我に於て浮雲〔ふうん〕 のごとし。」
   (述而・第7)


q.なぜお茶ではなく「水」を飲むのでしょうか? (贅沢だから?健康のため?)

【コギト(吾想う)】 ── 
平成の御世は、“過食の時代” ・ “グルメの時代” です。
マス・メディア(TV.など) は、(CM.だらけの合間に) 食べ物と
スポーツばかりを報じています。
日本の重篤なる、この堕落・頽廃の蔓延〔まんえん〕は、
古代(西)ローマ帝国末期の状況と似ています。
(尤〔もっと〕も、日本がローマ帝国ほどの繁栄をしたわけではありませんが。)
“パンと見せ物” への欲望に賢き(?)ローマ市民は溺れ
頽廃文化が蔓延し、為政者(皇帝) はその欲求に応えました。



■ ── 孔子の思想

・「」 : 
「人」 に 「二」 をそえた字、人と人の間に生じる自然な親愛の情。
( 『論語』 に100回以上登場します。)


・「忠恕」 〔ちゅうじょ = まごころと思いやり〕 : 
仁を心の面からみた側面、理想に向かって限りなく進む方を「忠」、
包容していく方を「恕」で表し、
結んで「忠恕」 ── 徹底した人道主義

→ 「」 : 自分のまごころ (※忠義の忠ではありません)/
        心の中にある純粋なまごころ/ “中する心” /
        弁証法的進歩 ・ 止揚〔アウフヘーベン:高める・中す〕/
        限りない進歩向上

→ 「」 : 「心」 と 「如」。
        「口」 は、領域 ・ 世界で “女の領域・世界” /
        転じて天地 ・ 自然・造化/
        造化そのまま(仏そのまま)に進んでゆく、来る(如来)/ごとし/
        “ゆるす” /他人への思いやり、他人の身になってその心情を思いやる心

cf.“女をば法〔のり〕 のみくら〔御座 〕といふぞげに釈迦も達磨もひょいひょいと出る”
     (一休和尚)  / ・神道 “産霊〔むすび〕”



─── “夫子(孔子) 「一貫〔いっかん/いつもってつらぬく・おこなう〕 の道」 ”

○ 子曰く、「参や、吾が道は一〔いつ〕 以て之を貫く(或いはおこなう) 」 と。
  曽子曰く、 「唯〔い〕」と。 子出ず。
  門人問うて曰く、「何の謂いぞや」 と。 曽子曰く、「夫子の道は、忠恕のみ」 と。
  (里仁・第4−15)


《 大意 》
孔先生がおっしゃるには、
「参や、わしの道は一〔いつ〕 なるもので貫いておる(行っておる)。
(その道がわかっておるか?)」 
曽子はすぐに、「はい〔唯〕。(よく承知いたしております)」と答えました。
他の門人たちが、(禅問答のようでさっぱりわからないので)
「今のお話は、一体どういう意味なのですか。」 と問いました。
曽子は、「先生の説かれる道は 
“忠恕” ( ── 思いやり と いつくしみ ・ まごころ と 思いやり/
造化の心、そのまま、限りなく進歩向上していくこと)
 のほかにはありませんよ」
と答えました。

 
※ 曽子は、敢えて と言わずに解り易く具体的に 忠恕と表現したと考えられます。

【コギト(吾想う)】 ──  とは?
・ 思いやりといつくしみ (忠恕 ・ 愛 ・ 慈悲) / 「忠」【おのれ】 は中する心
 限りなく進歩向上する心 = 弁証法的進歩 / 
 「恕」【人におよぼす】 = 女の領域 ・ 女の世界 = 造化
「一〔いつ〕なるもの」 = 「永遠なるもの」 = 「受け継がれるもの」
・ “見えざるものを観、聞こえざるものを聴く” ことによって智〔さとる〕 (覚智)



・「」 : 仁を客観化してみた側面 (=慣習法的社会規範)
○  「顔淵、仁を問う。 子曰く、己に克〔か〕 ちて礼に復〔かえ〕 るを仁と為す。」  
   (顔淵・第12) 
    ── “克己復礼” 〔こっきふくれい〕
○ 「樊遅〔はんち〕、仁を問う。
  子曰く、人を愛す。知を問う。子曰く、人を知る。」  
   (顔淵・第12)

  “仁” = “愛” = “(慈)悲”   
  cf. 「愛( いと / かな )しい」


・「徳治主義」 :
○  「子曰く、これを道〔みちび〕 くに政を以てし、
  これを斉〔ととの〕 うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し。
  これを道くに徳を以てし、これを斉〔ととの〕 うるに礼を以てすれば
  恥ありて且〔か〕 つ 格〔ただ〕 し。」   (為政・第2)



(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)


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むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その1)

吹田市立博物館・講演 『 むかしの中国から学ぶ /【全6講】 』

◆講師 : 真儒協会会長 高根 秀人年 (たかね ひでと) 

《 はじめに 》

“縁尋の機妙”をもちまして、さる(‘11)6月、吹田市立博物館にて
むかしの中国から学ぶ』と題して、(土日)連続6回の講演を行いました。

これは、同博物館の「万博市民展 〜 千里から上海へ〜 」
(‘11.4.29〜7.3) のイベントの一つとして企画され,
私が講師として招聘〔しょうへい〕されたものです。


吹田市立博物館


地元近所でもあり、啓蒙活動の一つと思って快くお引き受けいたしました。

6回の講演内容は、中国(東洋)源流思想の本格的・多彩なもので構成いたしました。 ───

第1講 「 孔子 と 論語 」  
第2講 「 易占 と 易学 」 
第3講 「 陰陽相対 」 
第4講 「 五行(中国医学) 」  
第5講 「 英語でABC論語カルタ」  
第6講 「 世界の占い・実践 」
 


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私にとりまして、6回の土日・集中連続講座は、
久々に“力”の振るいがいがありました。

永年培〔つちか〕った知的財産をもとに、教材・資料を編集いたしました。

はりきって、初心者から専門家まで対応できる、
中身の濃い斬新〔ざんしん〕なものに仕上げました。

ところで、吹田市立博物館は、交通の便悪く、
今回の特別展・イベントの知名度も今一つで、
全般的には低調な催し・講座が多かったようです。

が、私の 『むかしの中国から学ぶ』の講座は、例外的な盛況ぶりでした。

通例になく、毎回60〜80名程の方々が集い、熱心に聴講されました。



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受講者は、さまざまな“層”からなっており、
とりわけ人生経験豊富な教養人が多かったようです。

講演会場の博物館大講座室は、広く明るく設備が充実していました。

テープ録音・ビデオ録画・写真撮影なども、
博物館スタッフや市民ボランティアの皆さまのご尽力のもと
至れり尽くせりでした。


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私のほうでも、嬉納〔きな〕・汐満 両先生による講演のお手伝いや、
真儒定例講習受講生の聴講・協力が得られました。

あらためて、皆々さまに感謝御礼申し上げます。

振り返って観ますれば、この博物館・土日集中連続講座は、
私個人にとっても真儒協会にとりましても、
今年一番の善き啓蒙活動になりました。

これら一連の講座教材・レジュメをまとめ、
順を追って広くブログでご紹介してまいりたいと思います。



第1講「孔子と論語」



■講師 : 真儒協会会長/たかね易学研究所学長 高根 秀人年 (たかね ひでと)

《プロフィール》 
 S.29年生。 慶應義塾大学法学部卒 / 経済学修士・法学士・商学士 /
【資格】 文科省1級カラーC.(第1回認定)・ インテリアC.・ 
      教員免許状(社・国・商・書・美)ほか / 
【著書】 『易学事始』・『易経64卦解説奥義』ほか / 
【講演】 みずほ会〔旧第一勧銀ハート会〕(江坂東急イン)・
      第三銀行女子チアリーダーセミナー(三重研修センター)・
      日本易学協会大講演会(東京湯島聖堂)ほか多数



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●吹田市立博物館・講演 『 むかしの中国に学ぶ /【全6講】 』


【第1講】 §.孔子と「論語」  
 
      (‘11.6.4 )

《 開講にあたってのごあいさつ 》

「中国〔チュンクオ〕」(中す国) → わが国と“一衣帯水”/
GDP.世界第2位(2010)/人口約13億(わが国の10倍以上)/ 
5年ほど前に儒学を復活「国教」化/ 
2008.8.8.8 北京奥林匹克〔ペキンオリンピック〕開催・開会式で
『論語』の冒頭をアピール/ 

◎今・・・ 中国の子ども達は熱心に 『 論語 』 を学んでいます。
モノ(経済)のみならず “精神” も充実しつつあります。

一方、わが国の子ども達は、今春から小学校5・6年で英語が必修となりました。
わが国の古き善き “ 精神 〔こころ〕 ” は失われたままです。

美しい日本の “徳” も “ことば” も荒〔すさ〕んでいくばかりです。

「温故而知新」、“オリエンタル・リナシメント”〔東洋精神の再生・復活〕の時です。

そのために、さあ学びましょう!


§.はじめに 

*三聖人の時代 : 
  孔子(中国) / 釈迦(インド) / ソクラテス(ギリシア)  cf.イエス=キリスト/マホメット

*東洋人物類型 : 
  聖人 ── 君子 ── 大人〔たいじん〕 ── 小人 ── 愚人

*四書五経〔ししょごきょう〕:
   『易経』 ・ 『書経(尚書)』 ・ 『詩経』 ・ 『礼記〔らいき〕』 ・ 『春秋〔しゅんじゅう〕』/
  『論語』 ・ 『孟子〔もうじ〕』 ・ 『大学』 ・ 『中庸〔ちゅうよう〕』 ── 
  (朱熹/朱子が 『四書集注〔しっちゅう〕』 を著して四書の経典としての地位は不動)  

  cf.『孝経』=曾子


◆ プロローグ : 序 ── 「諸子百家」 の中の 儒家と道家 (老荘)

 皮肉なこと逆説的なことですが、洋の東西を問わず、
科学技術も学術文化(思想)も戦争によって、
急速かつ飛躍的に創造発展いたします

兵器の開発、富国強兵のためにです。

古代中国において、なんと 500年 以上にわたり戦乱の時代が続きます。
(BC.770 春秋時代 〜 BC.403 戦国時代 〜 BC.221 秦による全国統一)

この間、“百家繚乱〔りょうらん〕”・“百家争鳴”などという言葉があるように、
多くの学術文化が華やかに花開きました。── 諸子百家」と総称いたします。

 さて、世界の“3 〔4〕 大聖人”の一人、孔子(BC.551〔552〕〜BC.479)が
中国に生まれたのはそんな戦乱の時代、春秋時代の終わりごろです。

インドでは、シャカ族の王子、ゴータマ・シッダールタ
〔Gautama Siddhartha  BC.463〜BC.383?/BC.563〜BC.483?〕が、
苦行・修養の後、大悟しブッダ (仏陀 Buddha: 覚者)となり
仏教の教えを説き始めた頃です。

仏教は、やがて中国に伝わり花開き、
朝鮮・日本・・・とアジア全域に決定的な影響を与えていくことになります。

西洋は、と目を向けてみますと。
ローマ帝国による、地中海世界統一よりはるか昔のころ。

古代ギリシアのポリス〔都市国家〕がおこり、
アテネを中心に古代民主制が華やかに盛期を迎え(BC.5世紀頃)ていました。

ここに、古代ギリシア哲学(= ヨーロッパ学術)の祖 
ソクラテス〔Sokrates  BC.469頃〜BC.399〕が歴史の舞台に登場します。

「ソクラテスより賢い者はいない」との信託をうけ、
自らは己の無知を自覚し(無知の知)哲学の出発点としました。

「善〔よ〕く生きること」を追求します。

“問答法〔ディアレクティケー〕”により語り、誤解され民衆裁判で死刑になります。

が、その思想哲学は弟子のプラトン〔Platon〕 → アリストテレス〔Aristoteles〕 へと受け継がれ、
ギリシア哲学として発展大成し、西洋思想の礎となっていきます。

なお、ちなみに、「日の出づる処の国」わが国は、
まだ“倭〔わ〕”の国とも呼ばれず、邪馬台国よりはるか大昔、縄文の原始時代です。

以上 3人の聖人が、あたかも何らかの意思が働いたかのように、
時をほぼ同じくして世界史上に登場します。

そして、500年ほど遅れて、紀元の頃、
イエス・キリスト〔Jesus Christ  BC.4頃〜AD.30頃 〕 が誕生し、
(ユダヤ教に対して)世界宗教キリスト教の開祖となります。── 4大聖人です。


では、中国・「諸子百家」に再び目を戻しましょう。

群雄割拠も7大国に淘汰されます(戦国の七雄)。
「秦」 は、法家思想を取り入れ富国強兵策を推し進め、
強力な軍事国家を創り上げます。

そして、政(後の始皇帝)が中国統一の偉業を達成します。

しかし、信じ難いことですが、この法家思想にもとづく秦は、
わずか15年ほどで崩壊します。

法家思想の源は儒家思想といえますが、
孔子は、平たく今時〔いま〕の言葉でいえば、
(あくまで当時は)“負け組”だったのです。

後の漢代(武帝)に、国教(国の教え)となります。

儒学は、本質的に、平和・安泰の時代の思想だと思います。

そして、ここに聖人孔子と並称しても良いような哲人がいます
(もし、実在するならですが)。

老子です。

老子は人物を特定することも、実際いたのかどうかも分かりません。
が、少なくとも、『老子』 という本を著わし道家思想を唱えた人(人々?)がいたことは事実です。

老子を祖とする道家思想(老荘思想)は、
以後、儒学と並ぶ中国(東洋) 2大潮流を形成していくこととなります。

「諸子百家」の思想・教えが、その時代背景からして
実践的・実学的であったのに対して、
道家思想(老荘思想)は、宇宙論(形而上学)を持つ唯一優れた特異なもの、
哲学的に最も優れた思想であった、と私は感じています。

私は、「諸子百家」の幾数多〔いくあまた〕の哲人・学派の中で、
その後世・歴史への影響力という点で、
“ 孔子・儒家 ” と “ 老子・道家 ” が双璧といっても良いと思うのです。



【 諸子百家(百家争鳴)】

戦争の時代に科学・学術文化は、大きく発展します。
古代中国、春秋戦国時代(BC.770〜BC.221)に、
政治・経済・社会・文化あらゆる分野から
思想家・学派が「百花繚乱 〔りょうらん〕」のごとくに現れました。

これを諸子百家」〔しょしひゃっか:子は先生、家は学派の意〕と総称します。

華やかに競い合うさまを「百家争鳴」ともいいます。
戦乱の世にあって“ 離 〔り〕 = 文飾 ” の時代のエポック〔画期〕となりました。

諸子百家は、『漢書〔かんじょ〕』・芸文志〔げいもんし〕によれば、
儒家・道家・墨家・兵家・陰陽家・縦横家・名家・農家・雑家・小説家の
十家に分類されています。

小説家を除いて 九流とし、それに法家を加えて 十流としています。

この中で、後世、現代に到るまで多大な影響を与え続け、
東洋源流思想の2大潮流を形成するのが、儒家 と 道家 です。


◎【儒家】: 

 周王朝初期の社会を理想、当時は用いられないが
 後(漢代〜)中国の国教・正統的思想となります

 *孔子・『論語』・、── 曽子・『孝経』、── 子思・『中庸』 

 *孟子・『孟子〔もうじ〕』・仁義・性善説、 *荀子・『荀子』・性悪説 

 ( 後世の展開 ・・・→ 朱子≪朱子学≫、 王 陽明≪陽明学≫ )


◎【道家】: 

 “ 老荘思想 ” ・ “ 黄老の学 ” として広まった。
 儒家と対峙〔たいじ〕、対極にあるともされています。
 宇宙の原理である「道」、「無為自然

 *老子・『老子』(『老子道徳経』); 
   「有」と「無」と「道」/「無為にしてなさざるなし」/
   「小国寡民」/「柔弱謙下〔じゅうじゃくけんか〕」/道(上篇)と徳(下篇)

 *荘子・『荘子〔そうじ〕』; 
   「無用の用」/「逍遥遊〔しょうようゆう〕」/ 
   「包丁〔ほうてい〕」/「朝三暮四」/「渾沌〔こんとん〕の死」/
   「蝴蝶〔こちょう〕の夢」/「井の中の蛙〔かわず〕」/
   「邯鄲の歩 (ものまね)」/「泥の中の亀」/
   「蝸牛〔かぎゅう〕角上の争い」/「万物斉同」

 *列子・『列子』; 
   「杞憂〔きゆう〕」/「愚公、山を移す」/「知音〔ちいん〕」(友人知己)


◎【墨家】: 

 兼愛 ・ 博愛 (無差別愛) と 倹約 を説く、
 「非攻」(自衛のための戦闘的集団の結成)、「墨守」、 
 戦国期に儒家と双璧をなしましたが秦の統一とともに消えていきます

 *墨子を開祖とする、*告子


◎【法家】: 

 礼や道徳ではなく、君主の法や刑罰によって国を統治しようとする
 君主権の絶対と官僚制度の確立を説く、「信賞必罰」
 (古くは管仲〔かんちゅう〕に始まり晏嬰〔あんえい〕・)
 商鞅〔しょうおう〕・李斯〔りし〕 ・・・→ 秦に登用され秦による天下統一に寄与

 *韓非・『韓非子』; 
   「濫吹〔らんすい〕」(実力がないのにその位にいることのたとえ)/
   「宋襄〔そうじょう〕の仁」(行きすぎた親切心)/
   「矛〔ほこ〕と盾〔たて〕」(矛盾:つじつまが合わないこと) /
   「守株〔しゅしゅ・くいぜを守る〕」(待ちぼうけ)


◎【兵家】: 

 兵法(用兵・戦略)を研究、孫子〔孫武/そんぶ〕、呉子〔呉起/ごき〕

 *孫武の『孫子』 ・・・ 
   「彼を知り、己を知れば百戦殆〔あやう〕からず」、
   「百戦百勝は善の善なるものにあらず」  →  戦わずして勝つ、 
   「常山の蛇」、 “風林火山”  → 「その疾〔はや/と〕きことの如く、
   その徐〔しず〕かなることの如く、侵掠〔しんりゃく〕することの如く、
   動かざることの如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆〔らいてい〕の如し。」
   (cf.武田信玄の旗印)


◎【陰陽家】:

 陰陽五行説(「陰陽」は光と影)・木火土金〔ごん〕水、

 *鄒衍〔すうえん〕   cf.西洋「四元素説」


◎【縦横家】: 

 外交術、 *蘇秦の「合従〔がっしょう/縦〕」策 と *張儀の「連衡〔れんこう/横〕」策


◎【名家】: 論理学・詭弁、 *公孫龍・「白馬非馬論」、*恵施(子)


◎【農家】: 重農主義、神農を本尊とする、*許行〔きょこう〕


◎【雑家】: その他学派


◎【小説家】: つまらぬ小話を説く、思想希薄 



(この続きは、次のブログ記事に掲載しております。)


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