儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

孔子の弟子たち

第39回 定例講習 (2011年3月27日) 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子夏 〔5〕 )

盧・研究

≪「素以為絢」/「繪事後素」≫ ・・・ 続き

《 §3.「色 難」 》

○ 「子夏孝を問う。子曰く、色難〔かた〕し。事有れば、弟子〔ていし〕其の労に服し、酒食〔しゅし〕有れば、先生に饌〔せん〕す。 曾〔すなわ/かっ・て〕ち是〔これ/ここ〕を以て孝と為さんや(為すかと)。」   (為政・第2−8)

 

【 子夏問孝。子曰、色難。 有事、弟子服其労、有酒食、先生饌。 曾是以為孝乎。 】

 

《大意》

子夏が孝についておたずねしました。 孔先生がおっしゃいました。「子たる者(が親に事〔つか〕える際)の“顔色”=表情 がむつかしいのだヨ。※注) (力)仕事があれば、若い者が骨折って引き受けて、ごちそう〔おいしい飲み物・食べ物〕があれば親に勧めて召し上がっていただく。(そのこと自体は結構な事で、世間ではそれを“孝”だといっている) けれども、そんな形の上だけのことで“孝”といえるのだろうかネェ。(和らぎ、楽しそうな顔つきでやらねばダメだよ!)」 と。

※注) 「孝子の深愛ある者は、必ず和気有り。和気有る者は必ず愉〔たのし〕める色有り。愉める色有る者は必ず婉容〔えんよう〕有り」 (『礼記』・祭義)

 

《解説》

命学(四柱推命)に“咸池〔かんち: 色情の因縁星/cf.易卦【沢山咸】〕”という宿命星がありますが、「色難」〔いろかたし〕を“しきなん”と読んでは“色っぽい”話になってたいへんです。この“色”は東洋的な“色”の意味で“表情・顔色”の意です。東洋思想ではこれが重要です。例えば、中医学・漢方医学では、“五行思想”に基づく“色”による視診 =“五色診” (⇒ 参考資料 )が重視されていますね。

古注では、「親の表情を読み取ること」と解しています。が、これでは親の顔色を窺〔うかが〕って諂〔へつら〕っているようで、おもしろくありません。“孝”の行いは、ニコニコと優しく“和らぎ楽しむ”(『礼記』) ことが大切であり、かつこれが難しいのです。心の中にほんとうの愛情があってこそできるものなのです。そして、それはまた、親を真に和ませ喜ばせることでしょう。 ―― この孔子のことばは、人の情にしたがっていてとても自然に思われます。現代の介護やボランティア活動にも共通していえることなのではないでしょうか。

cf.易卦【兌為沢〔だいたく〕】の象〔しょう〕 → ☱☱ 「笑う少女の象」(新井白蛾)

 

※「酒食」: “しゅし”、酒やごはん(めし)の意。名詞では“シ”、「食べる(食らう)」の動詞では“ショク”と発音します。

※「先生」: 先に生まれた者、父(母)や兄(姉)・年長者。 対義語は「後生〔こうせい〕」、 先生←→後生 cf.(「生徒」ではありません)。 ここでは「弟子」〔ていし;年の若い者〕が対語になっています。

※「曾」: “乃”と同じ、反語〔はんご〕的に用いています。
→ 「どうしてこれが孝といわれようか、イヤいえないヨ。」

 

☆資料 ≪盧:吹田市立博物館・講演/第4講 「五行〔ごぎょう〕(中国医学)」引用≫

《 (中医) 五 色 診 》

◇“色に出る” → 色=顔色
・・・ 漢方・中医で重視 (『論語』にもよく登場しています)

ex. 

木性: 肝臓・胆嚢 =  : 良くても悪くても「あおみ」
知力・若々しく健康的な青み VS 青白い・青びょうたん(血の気がひいて顔色が悪いこと/= pale : You look pale.

cf.【若々しい青年時代 + 季節の春 → 「青春」 】

火性: 心臓・小腸 =  : 心臓(循環器系)、血圧。「あかみ」
快い・きれいな赤み・ピンク、紅潮(顔・頬に血がのぼって赤味をおびること)、ほんのり桜色 VS 不快な赤み、赤ら顔、赤黒い

cf.(「何かこう、顴骨〔かんこつ/=頬骨〕なんかに不自然にポーッと赤みがでてくると、だいたい心臓病患者が多いね。」)

土性: 脾臓・ 胃 =  : 「きみ」・「きいろみ」
あざやかな黄色・“陽黄” VS くすんだ黄色みは “陰黄”、 黄疸〔おうだん〕

金性: 肺臓・大腸 =  : 健康的な「白さ」と不健康な「白さ」 cf.「白」=「素」
「色の白いのは七難隠す」、生き生きとした白、肺病の婦人に美人が多い
VS  生気のない白・「白っちゃける」

水性: 腎臓・膀胱 =  : 健康的な「黒さ」と不健康な「黒さ」 cf.「黒」=「玄」
小麦色の肌、赤銅色〔しゃくどういろ〕の肌 VS どす黒い肌色、うっ血・汚血

 

● 「チャングムの誓い (大長今)」  (‘06.5.27 放送 ・ NHK )

先生
(=チャンドク) 
「顔色を病状で分けると大きく分けて、青・赤・黄・白・黒 の五つに分類される。これを、五色診というの ・・・ 」
先生 「顔色は? 意見を言ってごらん。」
チャングム 赤み がかって います。 赤みが強いので実熱でしょうか? 熱が体にこもってしまう病かと思います。」
先生 「次をみて! 」
チャングム 「患者の顔と目が黄色み がかって います。これは、キョ症やシツ症・黄疸〔おうだん〕が考えられます。」
先生 「この患者は黄疸よ。 黄疸とはどういう病気? 」
チャングム 「黄疸とは、肝臓と胆のうが、侵され、胆汁〔たんじゅう〕が正常に分泌されないために起こる病状で、あざやかな黄色は “陽黄” といい、それほどあざやかでないくすんだ黄色みは “陰黄” といいます。」
先生 「次。診断して! 」
チャングム 「患者の顔が青いので、癇性・痛症・汚血・引きつけ が考えられます。この患者は、鼻と眉の間と唇のまわりが青く、これは気と血液の流れが正常でなく、風邪〔かぜ〕や脳卒中〔そっちゅう〕の前兆だと思います。」

 

(子夏完)

 

老子  【10】

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【 1章 】

体道・第1章) 注1) 《 首章・冒頭  ―― 「道」とは? 》

§.「 道可道」 〔タオ・コ・タオ〕

注1) 「体道」とは、道を“身に体する/体得する”(“Embodying the Tao”)という意味でしょう。

「道」の語を用いずに、「道」が万物を生み出していく言妙な働きについて、この1章では、ある種詩的に表現しています。cf.(6章ではリビドー的〔生殖神秘的〕に表現しています)

『老子』の冒頭部分、この首章59字で他の80章全体を要したものといえます。(『易経』の最初【乾】・【坤】も同様です)

『老子』は難解といわれています。が、まずもって、この章は解釈さまざま、とりわけ難解であるといえる部分です。

『老子』は、平易から難にではなく(いきなり一喝)難物を示し、漸次平易に入っていくのです。他の全章を読めば、この章の意は容易に理解出来ます。

○「道可道、非常道。 名可名、非常名。※ |
無名、天地之始。 有名、万物之母。※ |
故常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。|
此両者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、 衆妙之門。」

■ 道の道とすべきは、常(の)道に非ず。 名の名とすべきは、常(の)名にあらず。
※(道の道〔い〕うべきは常道に非ず。 名の名づくべきは常名にあらず。) |
無名〔名無き〕は、天地の始めにして、有名〔名有る〕は、万物の母。
※(“無”を天地の始めに名づけ、“有”を万物の母に名づく。) |
故に、常に欲無くして以て其の妙を観〔み〕、常に欲有りて以て其の徼〔きょう〕を観る。 |
此の両者は同じきに出でて而〔しか〕も名を異にす。同じきを之を玄と謂う。玄の又た玄、衆妙の門なり。


《 大 意 》

これこそが理想の“道”です、と言っているような“道”(=世間一般に言っている道)は、恒久不変の本来の「道」ではありません。これこそが確かな“名”だと言い表わすことのできるような“名” (=世間一般に言っている名)は、普遍的な真実の「名」ではありません。  |

※(言葉で説明〔限定〕出来るような道は〔ニセ物であって〕、(私・老子がいう)恒久不変の本来の「道」ではありません。指して名がつられるような名は、普遍的な真実の「名」ではありません。) 
ex. 「道」という名そのものが名づける人・立場によって、さまざまではありませんか!ですから、正常の道は無名なのです。|

天地の元〔もと〕はじまり(=「道」)には、まだ名前がありません。(ですから、無名は天地の始源です) それが、万物の母(=「天地」)が創造されて初めて、名前が定められました。(ですから、有名は天地で)その天地の間に万物が生まれ育ちます。つまり、有名(=天地)は万物の母胎なのです。

※(〔文字に現わすためやむを得ず〕 「天地の始」めに“無”という字を振りあて、「万物の母」に“有”の字を振りあてます。〔そうして、無から有に説き進もうというのです。〕) |

まことに、恒〔つね〕に無欲であれば、(元始〔もとはじまり〕の「道」の)微妙を観る〔心で認識する〕ことができますが、恒に有欲な人(=一般世俗の人)は、結果・末端の現象(形態)が見えるだけです。 |

この「天地の」と「万物の」(/微妙な始源= と 末端の活動している現象=)の両者は、根元は同じ一体のものでありながら(一方は「無名」・「道」といい、他方は「有名」・「万物」というように)それぞれ違った呼び名となります。

名は違っていても、同じく「道」という根元から出ているので、併せて「玄」( =神秘/不可思議/ほの暗く奥深いもの・深淵なもの)といいます。

その「玄」の上にも、さらに深奥の「玄」なるところ、そこに万物の生まれ出る出口があります。玄妙な働きで、衆〔おお〕くの「妙機」が発する出口(=衆妙の門)です

 

( つづく )

 


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第38回 定例講習 (2011年2月27日) 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子夏 〔4〕 )

盧・研究

≪「素以為絢」/「繪事後素」≫ ・・・ 続き

D.彩色のプロセス/修正・善に改める白 (盧 私見) 

最近(2014)スピーチで、「皆さんには、進路(将来・人生・職業)に対するいろいろな思いがあるでしょう。―― そこに色をつけなければなりません・・・」という表現を耳にしたことがあります。また、駅の宣伝大パネルで、某大学の宣伝広告に、巨大な“カメレオン” 補注1) が虹色に彩色されて描かれ「キミハナニイロ?」とキャッチコピーが書かれていました。

これらは、色と人生が重ねられて擬〔なぞら〕えられて語られている一例です。21世紀は“カラーの時代 〔Color Ages〕”ということを改めて感じました。そもそも色の世界を持つもの(色が見えるもの)は、ホ乳類だけです。犬の人生(犬生?)や猫の人生(猫生?)は、白と黒の“グレースケール”の中に表現され擬〔なぞら〕えられるわけです。

「繪事後素」 につきまして、私の美術家としての視点から私見を述べてみたいと思います。

まず、絵の素(白)地・生地=ベースとしての「白」については。和・洋紙にしろキャンバスにしろ、描くための素材・前提となることは自明です。「素〔もと〕」です。色や表面形状(“目”や凹凸など)、絵の具の“ノリ”具合・滲み具合などです。油絵などでは、特に各種技法としての下地処理・地塗りの技法が多くあります。

次に、彩色のプロセスの中でも「白」が重要な役割を果たす場合もある、ということを述べてみたいと思います。

まず一つ目。下地としてではなく、彩色する絵の具(有彩色)そのものに白を混ぜるということがあります。白を混ぜると、専用語で“(明)清色〔(めい)せいしょく〕”といいまして、明度が高くなり明るく澄んだ柔らかい色調になります。黒を混ぜると“(暗)清色〔(あん)せいしょく〕”といって暗く澄んだ色調に、灰を混ぜると“濁色〔だくしょく〕”といって濁った色調になります。平たく例を挙げれば、赤の色相に白を混ぜると“桃色〔ピンク〕”に、黒を混ぜると“茶色〔ブラウン〕”に変化していきます。 ―― 人生に擬えれば、白=素=徳 を含んだ善き人生行路を彩/章〔あやど〕るようなものです

二つ目。(透明)水彩画の専門的彩色技術について述べておきます。仕上げ・キメ手のハイライト=白部を描くとき、(ポスターカラーやガッシュなど)不透明水彩絵の具の白色を強引にのせる(カバーする)ばかりではありません。彩色する前に、予〔あらかじ〕め白く残したい部分を、マスキング専用の“ゴム液”を塗って(描いて)おきます。彩色が一通り終わってから、専用ラバーでカバーしていたゴムをとれば白く抜ける(紙地の白が顕れる)というテクニックです。そこから、さらに微調整するように仕上げの彩色をつづけ絵を完成させます。 ―― 人生に擬えれば、若いときに培われた蔵された徳が、恰も種子の“核〔さね〕”のように、時を得て芽吹き形を整えて、やがて華を咲かせるようなものですね

三つ目。油絵において“グレージング”技法という非常に優れたものがあります。私は、東洋的にいえば奥義・秘伝のようなものと言ってもよいとさえ想っています。これは平たく一言に要せば、下の油絵の具が乾いてから透明感のある薄い油絵の具を(透明水彩画のように)重ねて(何度も)塗るというものです。

つまり、下書きを終え彩色の段階で、明るい部分を白〔ホワイト〕(もしくは明度の高い色)で描きます。それがよく乾いてから、透明感のある薄く溶いた油絵の具で“グレージング”して“固有色”を与えると同時に明るさを押さえます。例えば、“緑のビン”を描く場合、まず明るめのグレーから白色を使ってビンを描きます。乾いてから、その上に緑(ビリジャンなど)で“グレージング”して“灰色のビン”であったものを“緑のビン”に変身(?)させるわけです。“茶色の編みかご”を描く場合も竹や籐〔とう〕の編み模様を一本一本を細かく白色で描きます。乾いてから、その上に茶(ブラウンなど)で“グレージング”すれば、その濃淡で茶色の竹や籐〔とう〕の編み模様が浮き出されます。犬や猫の(モノクロ)世界から、人間の固有色の世界に移り変わるわけですね。

そして、指や布で“グレージング”層を拭い凹部にのみ色を残したり、被〔かぶ〕り過ぎたところを整えます。仕上げにハイライト部を再度ホワイトで描き起こすこともします。これらのプロセスを何度もくり返すのです。

この“グレージング”技法を知ると知らないとでは、絵の出来に格段の深みの差があります。  ―― それは人生に擬えれば、自他の人生の試練・体験を重ね活かすうちに、熟成したワインのような深みと人徳に満ちた“よくできた”大人〔たいじん〕、が形成されるようなものでしょう。“よく出来た絵”は、“善くできた人”の象〔しょう〕です。

さらに、仕上げ(プロセス)=フィニッシュワークの「白」については。実際、私も各種描画(油絵・水彩・デザイン・パースetc.)において、「白/ホワイト」を最後のキメ手として重用しています。

加うるに私は、以上の白の用い方に加えて、“修正・善に改める白”について述べたいと思います。

絵画では“下書き”や“素描・デッサン”に鉛筆を用いますが、文字を書くには殆〔ほとん〕どがシャープペンシルを用いるようになりました。私は、社会人になるとシャープペンシルを使うことは稀〔まれ〕で、日常的にペン/ボールペン/水性ボールペンを使用しています。そうしますと、鉛筆・シャープペンシル書きの場合は消しゴムで消しますが、ペン・ボールペン他の場合は修正液(白)による消去・修正ということになります。現在、私にとりまして、水性ボールペン(黒と赤)と修正液(白)とはセットで持ち歩く必須筆記用具です。修正液の“ホワイト”で間違えたものを消去(リセット)・修正するわけです。

「白」は「清色」を創ると述べましたが、人間においても“善なるものは白”です。「白」の心理的象徴(カラーシンボル)は、清/潔白/善・善美/清潔/平和/明快/神聖/昼(太陽)/陽・離【☲】 ・・・ です。“白紙に戻す”と言う言葉も、人間本来の善き出発点に立ち返ると解することも可能です。言ってみれば、“人生のリセット”ですね! ―― “(善)美なるものは白”・“善なる人を創るものは素〔そ・しろ:白〕”に他なりません。補注2) 

以上に考察してまいりました「白/ホワイト」の扱い、意義・役割は、(変な連想・アナロジーかもしれませんが)、料理の味のキメ手が(白い)“塩”味であることと同じように、私は感じています。というのは、塩加減(の中庸)で料理の味の(その人にとっての)善し悪し=美味か否か、が決まります。それと同時に、塩の鹹〔から〕さはその塩自身に含まれるミネラルの種類によって千変万化の旨味・甘味〔うまみ・うまみ〕を現出いたします。(ラーメンなどの)スープの類〔たぐい〕は、“だし”と“塩”でさまざまなバリエーションを創りだします。また、高級な素材の肉料理(ステーキやカラアゲなど)では味付けや食べる時の“付け調味料”は素材を活かすために、素材の旨味〔うまみ〕を引き出すために、塩のみとしますね。料理の味付けの極致はこの塩の鹹〔から〕さの旨味・甘味〔うまみ〕を極めることにあるといえましょう。つまり、私は料理の味は“塩にはじまり塩に終わる”といえると想っています。

―― 畢竟〔ひっきょう〕するに、美術・絵画における色も“白にはじまり白に終わる”のであり、人間もまた“素〔そ〕にはじまり素に終わる”といえましょう。理想的人間は、「素」にして「直(=徳)」なる人、“素直〔すなお〕”な人です。

水墨画の白黒濃淡の世界で、“墨に五彩あり”といわれますね。これは、“白と黒に五彩あり” と言い換えることも出来ます。人間でいうなら、ほんとうの賁〔かざ〕り、賁られた人生は「白」と「黒」の中に、「素」と「玄」の中にあるのだと思います。

“美しい絵(の色)”に擬えて“善美の人間”についてまとめてみますと。

善き人間の本(=素〔もと〕)には、ベースとして「白」(=素〔もと〕)が大切であること。

善き人間形成のプロセス(人生行路)には、人生を彩〔あやど/章〕るものとして「白」(=素〔そ〕)が大切であること。

善き人間の完成には、仕上げ修正するものとして「白」(=素〔しろ・す〕)で賁〔かざ〕ることが大切であること。

cf.  素 + 直 (=徳) = 素直〔すなお〕

 

孔子の「繪事後素」を察するに、孔子は絵の専門家でもありませんし、ここに言っている「絵」も今から2500年ほど以上も前の古代中国のそれです。したがって孔子は、ベースとしての素〔もと・そ〕の意で用いたと考えられます。つづく子夏の言葉も、「礼」=“文化:【離☲】”というものは、そのベースの上に後で施すという意であると考えられます。

しかしながら、私は、この問答の文言を「温故而知新」・現代に活かす意味で、以上に述べたように味わい解したい、と強く思い想うのです

 

補注1) 易学・『易経』は、変化とその対応の学です。「易」の字義について、蜥易〔せきえき〕説というものがあります。それは、「蜴」(とかげ)に因〔ちな〕むとするもので、トカゲ〔蜥蜴・石竜子〕は変化するからというものです。私は、この「蜴」を、体表の色を周囲の環境に合わせて千変万化させる(保護色)“カメレオン”の一種ではないかと想像しています。

補注2) 自然界のホ乳類の色をみても、「白」と「黒」(およびその混合)が多く見受けられます。白犬と黒犬(およびブチ)、白猫と黒猫(およびブチ)、白馬と黒馬(およびシマウマ)、白熊と黒熊(および灰色、パンダ)、白兎と黒兎(および灰色) ・・・ などなど。また、自然は気まぐれに、色素がない白い動物を誕生させています。(これらは目立って天敵に襲われるためか、数は増えていませんが。) 白い蛇・白い虎・白いライオン・白いネズミ・(鳥類ですが)白いズズメ ・・・ などなど。
そして、人間が創りだした人工景観としての建築物をみても、圧倒的に白・(明)清色・白をベースとしたもの、が多いことに気付きます。
cf.善と美を求めた古代ギリシア: 古代ギリシア彫刻の白の世界(大英博物館)

 

 

キーワード 研究

 

◆ 【 素 = 白 white について】

「素」“そ”は、それを 「絵事」=色彩 として捉えれば、「素」“しろ”と発音されます。「黒:Black」に対する「白:White」です。

この色彩としてのの“白・黒”の概念については、次の3つの場合を考えることができると思います。

(1) “White:白色”の意 :

白い地〔じ〕や紙の上に文字や絵をかく〔書く・画く〕場合です。この色彩学上の「白:White」は、すべての色を反射したもの(反射率100%、吸収率 0%)です。すべての色は“三原色”から構成されます。「色光(加法混色)の三原色」(=黄みの赤【R:アール】・紫みの青【B:ビー】・緑【G:ジー】)を重ねますと白色光となります

逆にすべての色を吸収すると(反射率0%、吸収率 100%)、「黒:Black」になります。「絵の具・色料(減法混色)の三原色」(赤紫【M:マゼンタ】・紫みの青【C:シアン】・黄【Y:イエロ−】)をすべて合わせると(理論上は)黒色になります。宇宙空間に存在するという“ブラックホール”は、あらゆるものを吸収(光さえも吸収)している空間なので“暗黒”空間であるということのようです。

ちなみに、この色料(絵の具)の三原色 + 白・黒 の5色が、東洋(五行〔ごぎょう〕)思想にいう「五色〔ごしき〕」であり、西洋色彩学にいうヨハネス・イッテンのペンタード(五原色)です。 ⇒ 参考資料 1)

 

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(2) “何もない”の意 :

白を何もないの意で用いる場合があります。「素」を“す”と発音する場合はそれでしょう。“白紙に戻す”といえば、何もない「素〔もと=元〕」の状態に戻すことです。関西で「素〔す〕うどん」といいますのは、何もトッピングしていない“かけうどん”のことです。関東で“酢入りうどん”と勘違いしている人もいたとか(笑)。“うどん”は白色ですが、その意ではないと思います。“素〔す〕肌”や“す〔素?〕っぴん”も、白い肌ではなく、化粧していないありのまま(=天然・自然)の肌・顔のことでしょう。“素足〔すあし〕”も、履〔は〕き物を履いていない裸足〔はだし〕のことでしょう。

「素=す」について加えれば、例えば、スイカなどの野菜で、中に空洞ができている状態を“ス〔素?〕が入〔い〕っている”などと表現しています。“レンコン〔蓮根〕”は“蓮〔はす〕”の地下茎(ハスノネ)です。“蓮”は仏教でも尊ばれている植物で、“はちす”ともいいます(古称)。“レンコン〔蓮根〕”に8つほど穴(=ス)が空〔あ〕いているからではないでしょうか?

本来ある日本語の用法かどうかは定かではありませんが、“素〔す〕の自分”・“素〔す〕になれる”とか“人間、素〔す〕が大事”とか使うのを聞いたこともあります。この場合の「素〔す〕」は「素〔もと〕」・「本〔もと〕」に近く、偏見や先入観のない状態を指しているのでしょう。

また、白は易の八卦で示すと【離☲】と考えられます。が、同時に【離☲】が持つ空〔くう〕・虚・中身がないの意であるとも考えられましょう。“無”・“空〔くう〕”(ex.“空〔くう〕白”・“空〔から〕手”・“空〔から〕約束”)は、黄老の思想・仏教の思想に重なってまいります。

 

(3) “透明なものがある”の意 :

さらに特殊な場合が考えられます。何も無いといっても、宇宙空間のような真空ではなく、地球上には“空気”があります。例えば、遠くの山が青みがかかって見えるのは、空気の層があるからです。すなわち、空気の色は青色だからです。従って逆に言えば、青色を少しずつ山の本来の色に混ぜて、さらに輪郭をボカして描けば遠くの山々が表現できるというものです。(cf.レオナルド・ダ・ヴィンチ: 色彩遠近法・空気遠近法・スフマート〔ぼかし〕)

また、“透明人間”ではないですが、“透明なものがある”という場合があります。例えば、ガラスやビニールなどは、白色ではなく何も無いのでもなく、透明なものが存在するのです。バリアーのような物理的エネルギー層も、目に見えなくても存在しています。

自然科学で、宇宙や生命の誕生について“無から有を生じた”といっても、その “無”は“Nothing”〔何もない〕ということではなく、「素〔もと〕」はあってのことでしょう。形而上学(思想・哲学)で、黄老思想の“道=無”から有を生じるのも、仏教思想の“空〔くう〕”から有を生じるのも、“Nothing”からということではないのです。

cf.≪宇宙の誕生≫ 「暗黒空間(時代)」/水素・ヘリウム・暗黒物質/「ファーストスター」 (太陽の100万倍・青白〜白)/宇宙の膨張は加速度的・「暗黒エネルギー」の存在 (盧・『大難解老子講』 pp.46〜49 参照のこと)

 

さて、この色彩学の白・黒の概念を“人間学”に擬〔なぞら〕えれば、白=「素」・黒=「玄」と表現されます。例えば、“素人〔しろうと〕”・“玄人〔くろうと〕”という対応語がありますね。私が想いますに、それは結論的に要せば、「白:White」=儒学の「素〔そ〕」・「黒:Black」=黄老の「玄〔げん〕」ということです。そして、それを易学的に表象すれば、「白:White」=【離〔り〕☲】・「黒:Black」=【坎〔かん〕☵】です。

儒学の「素〔そ〕」は、「明〔めい〕」です。儒学は「明徳〔明という徳〕」を重視します。例えば、『大学』の書き出しは「大学の道は明徳を明らかにするに在り」(明明徳 とあります。一方、黄老(老荘)のほうは「玄徳」を重視します。明と玄(=暗)は、陽と陰と捉えることもできましょう。この両者は、二様・相対峙〔あいたいじ〕するようなものではなく、表裏一体です。(深層)心理学的に“氷山”で図示してみますと、次のようなものだと考えられます。 ⇒ 参考資料2)

 

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☆儒学の「素」〔そ/しろ=白〕/【離☲】 と 黄老の「玄」〔げん/くろ=黒〕/【坎☵】

─── “「白と黒」は色の本質であり、「素〔そ〕と玄」は人間の本質であり、
【離】と【坎】は万物の源 である” ───
 (by たかね)

 

◆ 【 白 賁 〔はくひ〕 】

儒学の源流思想(形而上学)は、『易経』になります。その重要性は“五経”〔ごきょう〕の筆頭に位置づけられていたことからもわかります。

『易経』(=儒学)の思想にいう、賁〔かざ〕りの極致〔きょくち: 最高で最上の境地〕が「白賁」〔はくひ・白く賁る〕です。「白」=「素」〔そ・しろ〕です

この「白」は  〆嚢發凌А崘髻廚任發△蝓´◆_燭碎未襪海箸ない「空〔くう〕・無」(=“徳”で賁る) ことでもあります。

孔子は、『易経』を愛読しその研究家でもあったので、この「白賁」の教養をもとに答えた可能性もなくはないでしょう。その意図するところは同じです。(尤〔もっと〕も、突然の『詩経』の文言についての質問であり、「易」ではなく「絵事は」とあるので、直接「白賁」を脳裏に描いてのげんであるかどうかは疑問ですが。)

 

≪参考資料:高根・「『易経』64卦奥義・要説版」 p.22 抜粋引用≫

§.易卦 【山火賁〔ひ〕】  「賁〔ひ〕」は、かざる・あや。

(高根流 超高齢社会の卦

“文化の原則”は、知識・教養で身をかざること、本当のかざりは躾〔しつけ〕、晩年・夕日・有終の美、衰退の美・
“モミジの紅葉” ・・・もみじ狩り(=愛でる)、“賁臨”、
やぶれる・失敗する

cf.「火」と「石のカケラ」から文化・文明はスタートした。(by.高根) 

・「天文を観て以て時変を察し、人文を観て以て天下を化成す。」(彖伝)

※ 文明(離)の宜〔よろ〕しきに止まる(艮)のが人文。人文を観察して天下の人々を教化育成すべき。

・上爻辞: 「白く賁る。」“白賁”・・・美(徳)の極致、あや・かざりの究極は「白」・“素”
(1)すべての光を反射する
(2)なにもない(染まっていない・白紙・素)

※ インテリアC、カラーC、福祉住環境C・・・の卦/超高齢社会の卦 (by.高根)


■上卦 艮山の下に下卦 離。

1)離の美を止めている象。→ ※文明(離)の宜〔よろ〕しきに止まる(艮)のが人文

2)山下に火ある象。山に沈む太陽(夕陽・夕映え・晩年のきらめき)。

 

◆ 【 『中庸』 と 『老子』 ―― 「素行自得」と「安分知足」・「無為自然」 】

○「君子は、其の位にして行い、その外〔ほか〕を願わず。 | 富貴にしては富貴に行い、貧賤にしては貧賤に行い、夷狄〔いてき〕にしては夷狄に行い、患難にしては患難に行う。 | 君子は入るとして自得せざる無し。」   (『中庸』・第14章)

【 君子其位而行、不願乎其外。 | 富貴行乎富貴、貧賤行乎貧賤、夷狄行乎夷狄、患難行乎患難。 | 君子無入而不自得焉。 】

《大意》

有徳の君子は、自分の置かれた立場・境遇を、自分の本来あるべきもの(然〔しか〕るべきもの)と心得て、それに適った行いをして、あえてそれ以外のことを願う心を持たないのです。

もし、(出世して)経済的に豊かで社会的地位が高い時は、驕〔おご〕り高ぶったり好き放題であったりせず、富貴な者の然るべき道を行うのです。もし、(逆境にあって)経済的に貧しく社会的地位が低い時には、卑屈になったり媚び諂〔へつら〕ったりすることなく、貧賤の者の努力すべき然るべき道を行うのです。夷狄(外国の野蛮国)に在〔あ〕っては、(じぶんの道を守り貫きながらも)その地の風俗習慣に従って然るべく行うのです。患難に臨んでは、いたずらに恐れ憂うことなく、節操を守り貫き、患難を然るべく克服するのです。

このように、君子というものは、それぞれの位置・境遇に“適中”する(素する=もとより然りとする)行為をするので、どのような位置・境遇に在っても(入〔い〕る)も、少しも不平や不満がなく自ずから意に適って悠游〔ゆうゆう〕と自適するものなのです

 

《解説》

「素(行)」・「自得」は儒学思想のキーワードです。その儒学思想・哲学の書『中庸』で最も有名な1章がこれです。「素(行)」は、「素」=「故」で、 “もとより然りとなす”の意です。「自得」は“少しも不平や不満がなく自ずから意に適って悠游〔ゆうゆう〕と自適する”の意です。儒学・『中庸』の「素行自得」は、『老子』の「安分知足」・「無為自然」にそのまま通ずるものです。そして、現代にそのまま通じ望まれるものと私は考えます。 ―― “トナリの芝生”は、時代を超えて人間が戒めねばならない“業〔ごう〕”なのかも知れません。

「人を指導する立場にある人、いやしくもエリートたる者は『その位に素して行ふ』、自分の立場に基づいて行う。自分の場から遊離しないで行うものである。現実から遊離するのが一番いけない。ところが、人間というものはとかく自分というものを忘れて人を羨〔うらや〕んでみたり、足下〔あしもと〕を見失って、他に心をうばわれる。

職業人にしてもそうだ。自分の職業に徹するということは、案外少ないものである。たいていは、自分の職業に不満や不平を持って他がよく見える。 ―― 中略 ―― 

とにかく、※いま日本で社会的に困ることは、多くの指導者がその場を遊離して騒ぐことだ。」
※昭和36年7月の講義講録

(安岡正篤・『人生は自ら創る』・PHP文庫pp.135-136/
旧・『東洋哲学講座』関西師友協会pp.113-114引用)

 

ちなみに。先述のように、『論語』・孔子「絵事後素」の「後素」から、大塩平八郎(中斎)が大塩後素と号したことを安岡正篤先生が紹介されております。この『中庸』の「素行」が、江戸前期の大儒学者山鹿素行〔やまがそこう〕 補注) の号の由来であろうと推察いたします。

 

補注) 「忠臣蔵」の“山鹿流の陣太鼓”でご存じの方も多いでしょう。山鹿素行(1622-1685)は、江戸前期の儒学者・兵学者で山鹿流軍学の開祖でもあります。名は高興・高祐、会津生まれ。朱子学を排斥し古代の道への復帰を説きました。
なお、“陶鋳力〔とうちゅうりょく〕”の語は、山鹿素行が用いたとされます。“陶鋳力”とは、“消化力・包容力を併せた創造的な力”のことです。わが日本(人)は、例えば儒学・仏教・漢語(ひらがな・カタカナの発案) ・・・ などの外来文化を、この優れた創造的受容吸収力をもって、自在に自分のものとして取り込んできたのです。

 

cf.・『易経』:【雷山小過】 “安分知足”(分に安んじ足るを知る)の意、
「小事には可なり、大事には可ならず。飛鳥これが音を遺〔のこ〕す。」(卦辞)
(上るには宜しからず、下るには宜し、安分知足、謙虚・控え目であれ)

・『老子』:33章・44章・46章 「知足」〔たるをしる〕/「知止」〔とどまるをしる〕
25章:「自然」 ☆ 無為 = 自然 。 無為を別の面から説明したものです。
「自然」は〔おのずからしかり〕で、“それ自身でそうであるもの”(他者によってそうなるのではなく、それ自身によってそうなること)の意。
A.ウェイリーの英訳 “the Self−so”と 注釈 “what−is−so−itself” は参考になります。ほか、“its spontaneity”〔その自発性・自然さ〕。
(盧・『大難解老子講』 p.26引用)

・「ここがロドスだ ここで跳べ!」 〔“Hic Rodhos,Hic Salta!”〕 (ヘーゲル)

 

☆ 素行・自得 ≒ 安分知足 ・ 無為自然

 

( つづく )

 

老子  【9】

・「象帝之先」 : ↓

コギト(我想う)

≪ “天の思想”と「帝」 ≫

古代中国の思想・信仰が“天の思想と呼ばれる独特のものです。

易学の本〔もと〕、源流思想の一つにもなっています。

すなわち、天地万物の創造者・造物主としての「天」への信仰があり、擬人化して「天帝」・「上帝」とも称します。

その天地も「帝」もその母胎は「道」であると考えて、「道」の始原的性格を明言したものが象帝之先です。

「天」(天帝・上帝)は、宗教でいえば(神道やキリスト教で)“神”に相当するものでしょう。

つまり、“”ではなく、そのオールマイティーの神が在る前に、“あるもの=「道」”があったと考えているわけです。

『荘子』にも次のように述べられています。

「道は自身に本をつくり自身に根をつくる、天地あらざる古より固〔もと〕より存在す。」

 

 参 考   ≪ 天の思想 と 天人合一観 ≫

(大宇宙マクロコスムと小宇宙ミクロコスム)

(by たかね・『易経ハンドブック』より)

◆ 中国思想・儒学思想の背景観念、 天=大=頂上   

・ 形而上の概念、モノを作り出すはたらき、「造化」の根源、“声なき声、形なき形” を知る者とそうでない者
」〔しん〕 ・・・・ 不可思議で説明できぬものの意

天 = 宇宙 = 根源 = 神

cf.「 0 」(ゼロ・レイ)の発見・認識、 「無物無尽蔵」(禅)

・ 敬天、上帝、天(天帝)の崇拝、ト〔ぼく〕占(亀ト)、天人一如〔てんじんいちにょ〕、
天と空〔そら〕

・ 崇祖(祖先の霊を崇拝)、“礼”の尊重

太陽信仰 ・・・・ アジアの語源 asu 〔アズ〕 =日の出づるところ
―― ユーロープの語源 ereb 〔エレブ〕 =日のない日ざしの薄いところ“おてんとう様”、“天晴〔あっぱれ〕”、天照大御神 

ex. 天命・天国・天罰・天誅・天道・天寿・北京の「天壇」 
「敬天愛人」(西郷隆盛)、「四知」(天知るー地知るー我知るーおまえ知る)
「天地玄黄」(千字文) ・・→ 地黄玄黒

○「天行は健なり、君子以て自強して息〔や〕まず」 (『易経』 乾為天・大象)
――― “龍(ドラゴン)天に舞う”

○「五十にして天命を知る」 孔子の “知命” (『論語』)

○「の我を亡ぼすにして戦いの罪にあらず・・・」 (『史記』・「四面楚歌」)

天賦人権論 〔てんぷじんけんろん〕
は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・・」
 (福沢諭吉・『学問のすすめ』)

易性革命 〔えきせいかくめい〕
天子の姓を易〔か〕え天命を革〔あらた〕める」
  ・・・
  天命は天の徳によって革る
  革命思想・孟子


 ※  研 究  ―― 松下幸之助氏が説く “天” (by 伊與田覺先生講義より)

・ 書物によってではなく、自らによって(天によって)学んだ人

・ 「真真庵」の “根源さん” の社〔やしろ〕 ― (中には何も入っていない、無、空

人生は“運”(たまたま)、自分を存在させてくれるものは何か?
“両親” ・・→ そのまた両親 ・・→ “人間始祖” ・・→ 人間はどこから?
―― “宇宙の根源” からその生み出すによって生み出された
―― 自然の理法(法則) = 宇宙万物のものを生成発展させる力

・ 天と交流し、宇宙根源の働き、天によって生かされていることを悟得した(覚った)

・ その感謝のきもちを “社” の形で表した

 

 「松下電器」・現「パナソニック」の創業者、松下幸之助氏は「経営の神様」と尊称される君子型経営者です。 晩年、日本の将来の政治(家)を憂い、「松下政経塾」を創設されました。安岡正篤先生も参与されていました。さる平成23年9月、「松下政経塾」1期生である野田佳彦氏が、首相の就任いたしました。 その所信表明演説で、“和と中庸の政治”を標榜〔ひょうぼう〕し、“正心誠意”(『大学』)の言葉についても語られました。

松下幸之助氏は、学校や書物からの学問はされませんでしたが、自らの思索によって(天によって)学ばれました。 そして、その至れるところは、儒学の“君子の教え”と同じでした。 私(盧)は、松下幸之助氏の思想・哲学は、(“根源さん”の社 の話などを知るにつけても)儒学とともに、黄老の教えとも同じである と私〔ひそか〕に想っているところです。 


 

( つづく )

 


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第37回 定例講習 (2011年1月23日) 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子夏 〔3〕 )

盧・研究

≪「素以為絢」/「繪事後素」≫

この、子夏と孔子の禅問答のような一節は、多くの人は、あまり関心を示さずに見過ごしている部分ではないかと思います。しかるに、この部分は、私が 『論語』 に親しんで、専門的な意味で最初に最も深く心惹かれた問答の箇所です。

というのも、私は、若かりし頃は、ひたすら美術の道を歩み「美」の世界を追求しておりましたので、子夏の人間像・想いと似ているところがあり本能的に惹かれたのだと思います。

美術(絵画) =    =    (が形をもったもの)。私は、人間の然〔しか〕あるべき(=道徳的・倫理的) 善き生き方と申しますものは、別言すれば、美しい生き方ということだ、と考えるのです。そして、その生き方は、東洋(儒学)思想でいえばということになるのです。

さて、絵画(の美)と人間の善美(な生き方)の関係ですが、一般的に次のA・B 2つの解釈があると考えられます。どちらも要〔かなめ〕で、重要なものです。

 

A.素(白)地・生地 〔ベース: base〕 

古代中国の絵を考えてみますと、“紙” 補注1) が発明される以前、中国では文字・絵をかくモノ(素材)として、“絹布”が用いられていました。絵を描く白い絹布を“素絹〔そけん〕”といいます。この素絹がなければ表現のしようがありません。つまり、書や絵画という美術を表現するベース=生地〔きじ〕が“素絹”です。これから、素地・素質・本質という意味になって行くのです

朱子(朱熹)の注(新注)では、「絵事は、素より後にす」と解していて、絵画のプロセスに擬〔なぞら〕えて、この意味で人間というものを捉えています。『論語』の他の部分にも、立派な人間には、ベース=根本 が重要であることが述べられています。すなわち。

○ 「君子は本〔もと〕を務む。本立ちて道生ず。」 (学而・第1)

 君子は根本のことに力を注ぐものです。万事、根本がしっかり定まってはじめてその先の道も開けるというものです。

美術で、モチーフの「本〔もと〕」を通常色彩を用いず単色で描写することを“デッサン〔dessin 仏〕”(“クロッキー〔croquis 仏〕”)といい“描〔そびょう〕”と訳しています。私は、興味深いことと想っています。

(肉)体に関するスポーツの世界でも、その競技の技能〔テクニック〕の習得の前に、“体を作る”といった基礎的体力・運動能力の養成が必要です。(ex.ランニング・素振り・しこ・・・) 

精神に関する学術の修養でも、“灑掃〔さいそう/洒掃〕”という“そうじ”をすることによって学ぶための精神的肉体的準備態勢(受け入れ態勢)を整えます。「灑」・「洒」は「シ」〔サンズイ〕がついているように水を注いで塵・埃を払うことで、東洋思想らしいですね。

私が易学的に想いを馳せてみますと、「水」は易八卦の象〔しょう・かたち〕で【坎〔かん〕 ☵】です。【坤/地 ☷】の肉体に内在する精神・こころです。その“陽”の精神・こころが、“陰”の肉体の中を一本貫いています。“一貫”するものですね。精神・心に一本通る“徳”であり、(永遠に)“受け継がれるもの”(cf.DNA、ミーム〔文化的遺伝子〕)である、と想います。―― それはともかく。

そうしますと、孔子の「素より後にす」の応答に対する、子夏の「礼は後か」も「“礼”〔広く文化・道徳的な規範〕は、まごころ〔忠信〕というベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」 /cf.「礼儀作法というものはまず忠信という心の地塗りをしたのちに行わるべきものでございますか。」(宇野哲人・『論語新訳』講談社学術文庫) のように解することとなります。

 

さて、本文に「絵の事」とありますので、美術を中心に具体例を挙げて考察してみましょう。

〈メイク・化粧〉

“色白美人”とか“色の白いのは七難隠す”といわれ、肌の白いこと自体が美人とされています。『グリム童話』の「白雪〔しらゆき〕姫」も、正しくは「雪白姫」です。雪のように肌が白い子が生まれましたので、「雪白〔ゆきじろ〕」と名づけたのです。

“白粉”と書いて“おしろい”と読みます。ちなみに、俗に化粧することを“カベ塗り”とか“化ける”と言いますね。現代一般女性のメイクも、ファンデーション(下地)を塗って肌の地を整えてから目や口のパーツ〔部分〕の装飾に入って行きますね。伝統的化粧(品)として“ドーラン〔Dohran 独〕”があります。現代でも、芸者さんや歌舞伎役者さん俳優さんなどのメイクに用いられています。“ドーラン”と称される油性の練り白粉で顔(首・肩)中を真っ白に塗ってから、目や口や頬の部分に彩色(?)を施して行きます。その白化粧そのものが(殊に舞台など遠目で)艶〔あで〕やかでもあります。

〈日本画〉

“白い和紙”に“ドウサ”〔陶砂/礬水・礬石・礬沙〕を表面に引いて(=塗って)下地調整して後に彩色を開始します。“ドウサ”は膠〔にかわ〕に明礬〔みょうばん〕を混ぜてつくるもので、墨や絵の具が滲〔にじ〕み散るのを防ぎ滲み具合がよくなります。

〈油絵〉

油絵は、15世紀以降(ルネサンス期)西洋画の主要技法となりました。ファン=アイク兄弟は油を用いて絵を描く技法を研究し、写実表現を完成させたといわれています(北欧ルネサンス)。イタリア・ルネサンスの大天才レオナルド・ダ・ビンチは、油絵の先駆者〔せんくしゃ〕でもあり、「モナ・リザ」・「聖アンナと聖母子」をはじめ偉大な傑作を残しています。油絵は、はじめは、板の上に油絵の具で描かれました。レオナルドの制作途中の作品を観てみますと、板の上にモノクローム(黄土色)で地塗りをし、その上に茶系色で下絵を描き、それから彩色しています。

近代になって、油絵を描くのに専ら用いられて一般化しているものが“キャンバス: canvas 仏/カンバス・画布〕”です。 補注2) “キャンバス(カンバス)”は、麻布に白い石膏状の塗料を塗ったものを、木枠に鋲〔びょう〕でピーンと張ったものです。その表面の凹凸の按配〔あんばい〕で絵の具の“ノリ”が良く、適当な描画下地であり、また適度な弾力性(クッション)がある優れものです。この白い“キャンバス(カンバス)”の上に、さらに油絵の具の単色で地塗りして、それが乾いてから下絵を描き始める作家もいます。私も、従来から、レオナルドのやり方に倣〔なら〕って“キャンバス(カンバス)”にモノクロームで下塗りした後、下絵を描いてから始めています。まさに、「絵の事は、素より後〔のち〕にす」ですね。

〈フレスコ画〉

西洋の壁画に古くから用いられている伝統的技法です。“フレスコ〔fresco 伊〕”は、“生乾きの”の意で、西洋の壁画に用いられる技法です。漆喰〔しっくい:石膏・石灰・セメント・砂など/=白土〕を塗って、乾ききらないうちに水彩絵の具で描きます。石灰の層の中に絵の具が滲みこんで乾くため非常に堅牢です。が、塗った漆喰が乾燥するまでに描画彩色を終えなければなりませんから、当面描ける分だけの小面積に漆喰を塗ります。その、部分作業の積み重ねです。また、漆喰が乾燥して後の彩色もできません。したがって、画家に、全体に対する小部分を描き完成させながら統一された全体を完成させるという、高い技量が求められます。

レオナルドと並び称されるイタリア・ルネサンスの大天才、ミケランジェロ・ブオナルローティは“フレスコ画”の名手です。ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂 天井画・壁画」は、人類が有する最高のフレスコ画といえるでしょう。

〈博多人形〉

人形作品においても、有名な“博多人形”の制作過程に興味深いものがあります。“博多人形”は、焼き物の素材で、白色をベース〔基調〕にした伝統的手書き彩色(絵付け)工芸品です。そのプロセスは、まず、人形の原型から大量に焼き物(陶磁器)で人形を作ります。焼き上がった人形は、無釉〔むゆう:うわぐすりをかけていない〕ですので土器色〔かわらけいろ〕一色の状態です。それらに、コンプレッサー(機械製吹きつけ機)で“胡粉”塗料(東洋の白色絵の具) 補注3) を万遍なく吹きかけ、全体真っ白な人形ができます。よく乾燥させ、その上に人形職人さんたちが、一品づつ一筆一筆、着物の柄や髪・貌〔かたち〕を面相筆で彩色してゆくというものです。博多人形師(師匠)は、最後の仕上げとして“目”を画き“銘〔めい〕”を入れます。

昔時〔むかし〕、色の白い(手?)女性を褒〔ほ〕めて「博多人形みたい!」と相手が言うCM.があったかに記憶しています。先述のように(肌の)色白は女性への美称、褒め言葉です。女性を形取った博多人形には、とりわけ“白の彩〔あや/章〕”を感じさせるものが多くあります「絢〔あや:なんとも艶やか〕」が実感されます

〈現代建築塗装など〉

現代建築の塗装においても、通常、下地調整後 下塗り → 中塗り → 上塗り(仕上げ)といったプロセスをとります。金属素材の場合、錆〔さび〕止めの塗装を加えますし、コンクリート素材の場合“シーラー”と呼ばれる白い乳液状のものを事前に塗布します。

塗装仕上げに対して“タイル貼〔ば〕り(外装)仕上げ”は、建築仕上げで高級・高価なものです。美的で芸術性・デザイン性が高く、建築物を人間に擬〔なぞら〕えると外面が美しく賁〔かざ〕られた“文化人”のような気がします。このタイル貼りの施工・仕上がりの善し悪しは、ひとえにタイル貼り下地としてのモルタル(セメント+水+砂)下地の出来の如何〔いかん〕にかかっているのです。善き人間の形成・完成も「素」=ベースが大事である、ということを連想して感じるところです。

補注1) “紙”: 紙は後漢〔ごかん〕の蔡倫〔さいりん〕が発明したとされてきましたが、前漢〔ぜんかん〕遺跡から古紙が発見されたことから、今では漢代初期の発明と考えられています。この偉大な東洋の4大発明の一つ“製紙法”は、戦争という東西交流の偶然(751. タラスの戦い)から西洋世界に伝播します。紙が伝わるまでの西洋社会では、専ら“羊皮紙 〔parchment 英〕”が用いられていました。

補注2) “キャンバス”: 麻または木綿の布地に、膠〔にかわ〕またはガゼインなどを塗り、更に亜麻仁油・亜鉛華・密陀僧〔みつだそう〕などをまぜて塗ったもの。油絵を描くのに用いる。
(『広辞苑』)

補注3) “胡粉”: 日本画に用いる白色の顔料。古く奈良時代には塩基性炭酸鉛即ち鉛白をいい、鎌倉時代まで用いた。室町時代以後、貝殻を焼いて製した炭酸カルシウムの粉末が白色顔料として多く用いられ、これを胡粉と呼ぶようになった。
“胡粉絵”:地に胡粉を塗り、その上に、墨・丹・緑・青・黄土を用いて描いた絵。
(『広辞苑』)

 

B.仕上げ(プロセスの)白 〔フィニッシュワーク: finish〕

以上の解釈に対し、もう一つの解釈の立場があります。「繪事後素」の前に子夏が孔子に質問した『詩経』の文言は「素以為です。「(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、何とも艶〔あで〕やか」 つまり、「素」はベースとしての「白」であると同時に仕上げの艶やかに煌〔きら〕めく「白」でもありましょう

儒学も黄老も、伝統的に“控えめ”なありかた=謙譲・謙遜を専ら理想としています。具体的に少々ピックアップしてみますと。

○「詩に曰く、錦を衣〔き〕て絅〔けい〕を尚〔くわ〕う。其の文〔ぶん〕の著わるるを悪むなり。故に君子之道は、闇然〔あんぜん〕として日に章〔あき〕らかに、小人の道は的然として日に亡〔ほろ〕ぶ。」 (『中庸』・第33章)

『詩経』には、「錦を衣〔き〕て、褧〔ひとえ〕とする」とあります。「絅」も「褧」も単衣〔ひとえぎぬ〕、打ち掛けです。麻の粗布でつくったものです。
つまり、錦の美しい衣〔ころも〕を着て、その上に薄い粗布を重ね着するのです。その意図は、錦のきらびやかな「文」〔あや/=彩〕が外に出過ぎることを嫌うからなのです
したがって君子の道も、これに同じく、「絅」を加えるように謙遜です。ですから、外見・ちょっと見は、闇然〔あんぜん〕と暗いようですが、日に日に内に充実してある徳が章〔あき/明〕らかになってきます。反対に小人は、はじめはカッコをつけて明らかですが、中身が伴っていないので日に日にメッキが剥がれていくというものです。

○「黄裳〔こうしょう〕、元吉なり。」 / 「象〔しょう〕に曰く、黄裳元吉なりとは、文〔あや〕・中に在ればなり。」 (『易経』・【坤為地】 5爻・辞/彖)

◇「黄裳」は黄色いもすそ〔スカート〕。謙遜な坤の徳のたとえです。中徳・坤徳の厚いことを説いています。「坤為地」卦は、「乾為天」の「剛健の貞」に対して「従順の貞」、“永遠に女性なるもの”としての大地(母なる大地)です。『詩経』にも、「緑衣黄裏(うちぎ)」・「緑衣黄裳」と祖先を祀〔まつ〕る祭服が表現されています。祖霊の象徴としての「黄鳥」も登場しています。
「文」は、彩〔いろどり〕、かざり、美しき坤徳です。 「中」は生成化育の力、神道における産霊〔むすび〕・天御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕、ヘーゲル哲学弁証法における止揚〔しよう  /= 揚棄・アウフヘーベン: Aufheben 〕 です。

○「是を以て聖人は、褐〔かつ〕を被〔き〕て(而〔しか〕れども)玉を懐く」 (『老子』・第70章)

そういうわけで聖人は、褐(麻のそまつな着物)を着ていても、(何らの貴さを外に見せませんが)(しかし)その懐〔ふところ〕には宝玉(=高貴の代表)を抱いているのです。

cf. ♪‘ぼろは着てても  こころの錦
 どんな花より  きれいだぜ〜’♪ 
(「いっぽんどっこの歌」/水前寺清子)

などなどです。従って、この仕上げの艶やかに煌〔きら〕めく「白」を標榜〔ひょうぼう〕する立場は、ある種現代的ともいえましょう。

さて、東洋の絵の仕上げ・フィニッシュワークに「白」が使われている場合があります。彩色後に胡粉で細線を施して、その彩色の境界をより鮮明にしてシャープなものとするものです。(尤〔もっと〕も、古〔いにしえ〕の孔子の時代にそのフィニッシュワークが一般的であったかどうかについては、私は今のところ確かめられていません。)

色彩学的にいえば、明度差を大きくするもの(明度対比)で、白によるセパレーション効果であり、縁辺〔えんぺん〕対比の一種でもありましょう。白で、ハイライト部分を描くことで画面全体が引き締まり、モチーフに生き生きとした生命・魂が吹き込まれます

例するに、「画龍点睛〔がりょうてんせい〕」の故事はご存じですね。龍の絵の最終仕上げに瞳を点じたところ、絵に生命が宿り龍が動き出したというものです。(たぶん)赤色で瞳を点じた(“陽”の有彩色は赤ですから)たのでしょうが、最後の最後にその瞳に「白」で(白は黒〔墨〕に対して“陽”の無彩色)光沢を入れてこそ本当の最終仕上げでしょう。(〔手塚治虫氏〕少女マンガの人物に描かれる瞳〔ひとみ〕の中の星☆ですね!)

ところで、西洋絵画(油絵)で、近年フェルメールの作品が日本で公開され人気を博しました。フェルメールの絵のキラキラと輝く美しい作品の秘密の一つは、よくよく画面を観ると仕上げに小さな白い点で光沢・ハイライトがたくさん描かれていることにあります。

話を戻しましょう。―― そうしますと、この立場から「繪事後素」は、「彩色して一番最後に白色の絵具(胡粉〔ごふん〕)で仕上げるようなものだ。」/ex.「白い胡粉〔こふん〕であとしあげをする〔ようなものだ〕」(金谷治・『論語』岩波文庫) 「まず彩色で描いて、最後に胡粉〔ごふん〕で仕上げるよなものさ」(吉田賢抗・『論語』明治書院) と解することとなります。つづく子夏の言葉も「礼(=素・白)は、最後の仕上げですか。」/「(まごころをもとにして) 礼(儀作法)が人の修養・仕上げにあたるものなのですね。」 のように解することとなります。

 

C.素 = 「白」 そのものが重要 (安岡正篤 氏)

安岡正篤氏は、素(白)地・素質が大事であると講じられています。が、また一方で「白」そのものが大切なのだということを述べられています。

 

「 素は普通 『もと』 と読む。元来この文字の始まりは絵を描く白い絹、素絹〔そけん〕のことです。この素絹がなければ表現のしようがない。つまり絵画という芸術を表現する生地〔きじ〕だ。それから素地という意味になる。従って素質、本質という意味になる

いろいろの表現技術、あるいは着色などは、みな素絹の上にやるわけだ。そこで『論語』に『絵のことは素より後〔のち〕にす』(八佾〔はちいつ〕) という名高い言葉がある。後素〔こうそ〕、これを取って大塩平八郎が自分の号にしておる。

大塩平八郎はもと中軒といったが、後に中斎と改めた。これでわかるように、中庸を旨〔むね〕とした人だ。この人が一つは性格、一つは時勢に迫られて、ああいう幕末の反乱を起こしたのであるが、彼としては心ならざるところであった。まあ、それは別問題として、大塩平八郎が後素と称したのはここから取ったのです。

一部の学者はこれを『素を後にす』と読んでおる。これは絵を描いて、いろいろ色彩を施して最後の仕上げに白色を使う。素を後にすと解釈する人があるが、朱子は素より後にす。素は素絹のことで、着色すなわち文化というものはその後で施すもの、素質が大事だと解している。このほうが私はいいと考える。」

(安岡正篤・『人生は自ら創る』・PHP文庫pp.134-136/
旧・『東洋哲学講座』関西師友協会pp.112-114引用)

 

「 『素を後にす』は、『素より後にす』と読んで、素を素質、即ち忠信の意味とする説もありますがこれはどちらでもよい。問題は白だということです。

装飾文化に限らず、何事に徴しても  を出すことが大事である。これが素以て絢と為す、ということです。大塩中斎は後素と号しておりますが、味わってみると面白い。」

 (『安岡正篤・論語に学ぶ』所収 「論語読みの論語知らず」引用)

 

( つづく )

 

老子  【8】

【 4章 】

(無源・第4章) 注1) 《 ナゾのような末句 「象帝之先」 ―― 「道」とは? 》

§.「 道沖」 〔タオ・チャン〕

注1) この章名の無源は、源がないこと。「道」には源がなく万物が生じる始祖であるの意です。
「道」のオールマイティー・無限の働きについて述べて、末段に謎めいた一句を残しています。
象帝之先です。これは、「道」の始原性を示すもので、その謎は次章以下に説かれることとなります。// 
「和光同塵」の出典です(56章にも同文があります)。

○ 「道、而用之、或不盈。淵兮似万物之宗。 |
挫其鋭、解其之紛、。|
湛兮似或存。 *吾不知誰之子、象帝之先。」

■ 道は沖〔ちゅう/むな・しけれども〕にして之を用う。〔あるい/つね・に/ひさ・しく/ま・
た〕盈〔みた〕ず。淵〔えん〕として万物の宗に似たり。 |
其の鋭を挫〔くじ〕き、其の紛〔ふん〕を解き、其の光を和〔やわら〕げ、其の塵〔ちり〕に同ず。 | 
湛〔たん〕として或は存するに似たり。*吾れ、誰の子なるかを知らず、帝の先〔せん・さき〕に
象〔かたど/に・たり〕れり。 |

 Was it too the child of something elese? We cannot tell.
But as a substanceless image # it existed before the Ancestor##
(A.Waley  adj. p.146)

# A.Waley によれば、「象」はある種特別の“神秘的イメージ”と考えられます。達人が“覚り”の体験をした時、すなわち、瞑想〔めいそう〕によって「道」と一体になったと感じる時、そこに特殊なイメージが現れるという見解です。→ (老子における神秘主義、quietism 〔寂静:じゃくじょう/精神的平穏〕の傾向

## 「帝」は、通常「天帝」を指しますが、それだと「帝」と「天」が同一ということになります。が、『老子』で「帝」が出てくるのはこの章だけです。 A.Waley の注では、伝説上の最初(太古)の帝王である「黄帝〔the Yellow Ancestor who separated Earth from Heaven ・・・ 〕」などを指すと述べています。

 I know not whose son it is. It images the forefather of God.
(D.C.Lau  adj. p.8)


《 大 意 》

「道」は空虚〔うつろ/からっぽ〕のように見えても、これを用い得られるのです(=はたらきは無限なのです)。いくら用いても(汲めども尽きず)盈〔み〕ちることがありません。その深々と水をたたえ静まりかえった(幽玄な)淵〔ふち〕のようなさまは、あたかも万物が生み出され(生々化育す)る源のように思われます。

(才知は発する)鋭〔えい〕を鈍らせ、(その心の)紛〔みだれ/ほつれ〕をほぐし、その光り〔のギラつき・直射〕を和〔なごやか〕にし、その塵〔ちり〕を人々とともに甘受するのです。(/*塵は、払い除かれなめらかになるのです。by.A.Waley )

(道は)涸〔か〕れることを知らず、ふかぶかと湛〔たた〕えられた水のように、(或るものが、永遠に存在し続けていくように)思われるのです。それ(=道)が、誰によって生み出された子であるのか、(私は)知りません。(では、道の母胎何でしょうか?)どうやらそれは、天帝の祖先よりも以前に象〔すがた〕を以ていたものであるようです。(=道は、天帝の祖先であるように思われます。)

・「道 而用之 或不盈」 : 「沖」は、サンズイ、ニスイ に通じます。共に音は‘Ch’ung’です。
意味は“虚”。道の本体は虚無〔うつろ〕ということです。(cf.≒「盅」〔チュウ〕)
空虚という言葉がありますが、”は仏教の「」〔くう〕です。
無限大で包容力に限界がなく、従って満(盈)つることがないのです

※ 【45章】に「大盈若沖 其用不窮 / 大盈〔たいえい〕は若沖〔むな〕しきが若〔ごと〕くして、其の用窮〔きわま〕らず。」 
《大意》

大盈=「道」 : 真に充実したものは、世俗では空虚(沖〔むな〕しく)に見えますが、(無限の包容力を持ち)それを用いても永遠に尽きることはない(=はたらきに窮まりがないのです)のです。

沖 = 虚 = 「空」 = 大 

→道家では、「沖虚〔ちゅうきょ〕」の熟語が作られています。

cf.【道家三大聖典】 :
『老子(道徳真経)』 / 『荘子(南華〔なんげ〕真経)』 / 『列子(沖虚真経)

・「或」 : 軽い語助で、あまり意味を持ちません。「常に」と解する人もいます。

・「和其光 同其塵」 : “和光同塵”の語源。老子の理想的人間像(儒学の「君子」像)です。老子一流の逆説的論理です。この四句は、56章にも同文があります。そのため、後から加えられたとする見解もあります。
*A.Waley によれば、世俗の日常的なわずらい(塵)が取り除かれた状態を「同」としています。老子の思想が、世俗からの超越と「静」 を中心としていることからみれば、一理あるものかも知れません。

cf.“和光同塵”は、仏教にも摂取されます。仏〔ほとけ〕や菩薩が、衆生〔しゅじょう/すじょう/しゅしょう/=生きとし生けるもの〕を救済するために、本来の智慧の光を隠して衆生と同じ俗世に身を置くことを言います。

・「湛兮似或存」 : 「淵として万物の宗に似たり」と「道」の姿を、また「道」を体得した人を表現しているのです。

・「誰之子」 : 何者の子〔Whose son〕。何から生まれたのか?〔Who gave it birth?〕

・「象帝之先」 : ↓

 

( つづく )

 


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第36回 定例講習 (2010年12月26日) 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子夏 〔2〕 )

《 §2.「素以為絢」/「繪事後素」 》

○ “子夏問いて曰く、「『巧笑倩〔こうしょう せん〕たり、美目盼ハン〔びもく はん/へん〕たり、素〔そ〕以て絢〔あや〕を為す。』 ※注) とは何の謂いぞや。」 | 子曰く、「絵事〔かいじ/絵の事〕は、 A:素より後〔のち〕にす(後る) 」 B:素を後〔のち〕にす。」と。 | 曰く、「礼は後か」 | 子曰く、「予〔われ/よ〕を起こすものは、商なり。 (※予を起こすものなり。商や・・・ ) 始めて与〔とも〕に詩を言うべきのみ。」と。”  (八佾・第3−8)

 

【 子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、以為絢兮、何謂也。| 子曰、繪事後素。 | 
曰、禮後乎。 | 子曰、起予者商也。始可與言詩已矣。(※子曰、起予者。商也始可與言詩已矣。) 】

 

《大意》

子夏が、「『にっこり〔莞爾〕と笑うと口元が可愛らしく(エクボが出て愛嬌があり)、目(元)はパッチリと(黒い瞳が白に対照して)いかにも美しく、(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、何とも艶〔あで〕やか』※注) という詩がありますが、これはどういう意味のことを言っているのでしょうか。」 と質問しました。 |

孔先生がおっしゃるのには、「絵画で言えば、 A:(の胡粉〔ごふん〕)で地塗りしてその上に彩色するようなものだ。」 B:彩色して一番最後に白色の絵具(胡粉〔ごふん〕)で仕上げるようなものだ。」 と。 |

(子夏が質問して言うには) A:礼(儀作法)は、まごころ〔忠信〕というベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」 B:(まごころをもとにして) 礼(儀作法)が人の修養・仕上げにあたるものなのですね。 |

孔先生がおっしゃるのには、「わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれる者は商(子夏の名)だね。 (※わしの思いつかなかったことを言って(啓発して)くれたものだね。商よ、お前でこそ、共に ・・・ ) 商のような(古典を活学できる)人にして、はじめて共に詩を語ることができるというものだね〜。」 と。

 

《解説》

子夏のこの時の年齢はさだかではありませんが、(孔子との年齢差を考えるにつけても)おそらく若々しい青年だったでしょう。純情内気な子夏が、生真面目〔きまじめ〕に(艶〔つや〕っぽいことについての)とぼけた質問をして、それに対して覚人達人の孔子が ポン とよくわからぬ応〔こた〕えをしています。その応えに、賢く類推し凛〔りん〕として思考を閃〔ひらめ〕かせています。「禮後乎」とわずか三字で表現したところに“打てば響く”がごとき子夏のシャープな覚りが感じられます。その賢い弟子に対して「起予者」と三字で応じた孔子も流石〔さすが〕なるものがあります。

―― この問答の深意は、読者のみなさんには、“禅問答”のようで、トン とよくわからないものでしょう。このあたりが又、『論語』の得も言われぬ妙味たるゆえんかもしれません。

※注) 『詩経』の詩について、上2句は衛風・碩人篇にありますが、下1句は見当たりません。
「笑〔え〕まい可愛いや口もとえくぼ、目もと美しぱっちりと、白さで美しさをしあげたよ。」
(金谷治・『論語』 p.56 参照引用)

 

参考資料

「人形〔にんぎょう〕」   1911(M.44)年 5月 
文部省唱歌/作詞作曲ともに不詳/ 『尋常小学校唱歌・第一学年用』

1. わたしの人形はよい人形。
目は ぱっちりと いろじろで、
小さい口もと 愛らしい。

わたしの人形はよい人形。

2. わたしの人形はよい人形。
歌を うたえば ねんねして、
ひとりでおいても 泣きません。
わたしの人形はよい人形。

 1970年代、替え歌 CMソング(関西地区限定)  『モリシゲ人形のうた』

1. わたしの人形は モリシゲで
お顔がよくて 可愛くて
五人囃子に 内裏さま
たのしいみんなの ひな祭り

―――  2.3.4.5.

最後に
目は ぱっちりと いろじろで、
小さい口もと 愛らしい。

わたしの人形は よい人形。

 

( つづく )

 

老子  【7】

コギト(我想う) 1

≪ 循環の理 (1)  「大曰逝、逝曰遠、遠曰反」 ≫

「遠曰反」は、老子の思想の特徴的な部分であり、私は、老子の面目躍如たるものを感じます。

25章は、道の始原(元)性にはじまり、めまぐるしく論旨が展開していて複雑・難です。

中でも、この文は難解です。が、私は興味深く感じるものがあります。

 

道は周〔あまね〕く行き渡っているので、その性質から「大」といってみました。

「大」〔Great〕は「小」に対する相対的概念ではなく、“絶対大”・“無限大”です。

「大」なるものの運動は「逝」〔ゆ〕き「遠」ざかります。

無限・永遠の拡がりを示し、その極〔きわみ〕に達すると、“循環の理”に由って根源〔もと〕に「反」(=返)るのです。

“矛盾を孕〔はら〕んだ統一”ですね。

 

“Great, it pass on in constant flow. Passing on, it becomes remote.
Having become remote, it returns.“ (Kitamura adj. p.87)

 

さて、このことを現代の科学的(宇宙物理学・天文学・・・)常識・成果で考えてみましょう。

地球は球体(丸い)であり、太陽(月は地球)を自転しながら公転しています。

一日・一年の巡り(周行)でまたもとに戻ります。

「春→夏→秋→冬→」という四季の移り変わりも、それが故のことですね。

遥かに「遠」くなり、やがて本源に立ち返〔「反」〕るのです。 注1)

これが、老子の思想の深淵・面目躍如たるところです。

 

例えば、もし悠遠〔ゆうえん〕にみることが出来る望遠鏡があれば、地球上では自分の後ろ姿が見えるのでしょう?

アインシュタインの(宇宙)論でも、「遠」〔無限∞〕に遠くが見える天体望遠鏡で宇宙のはてを見ると、自分の後ろ頭が見えるといいます。 注2)

137億年前のビッグ・バンに宇宙は始まり、以後拡大・膨張し続けているといわれていますが、膨らむ宇宙の結末は、空間も引き裂かれてバラバラになるのでしょうか?!

それとも行き着くところまで行けば縮み始めるのでしょうか?

 

易学においても、陰陽2原論の易理が、現代のコンピューターの2進法の原理(0と1、Off と On)と同一です。

また、易・64卦の理は、生物学の胚の誕生・“卵割〔らんかつ〕”のプロセス(単細胞の受精卵が、2・4・8・16・・・と分割され64分割をもって終了すること。それ以降は、桑実胚〔そうじつはい〕とよばれます。)と同じです。

 

想いますに、これら21世紀の現代科学の成果と2000年余前の老子の思想との不思議な一致は何でしょうか?

なぜ、老子は知り得たのでしょうか?

これは、(易学でもいえることですが)私は、聖人のシックスセンスによる、“覚智〔かくち〕”の世界の故だと想うのです

まことに、“至れる哲学(者)は科学的であり、至れる科学(者)は哲学的”ではありませんか。

 

注1)

「遠の極み(遠の大なるもの)は、反〔返〕る」は、まことに万般においての哲理・真理と想われます。

それは、円運動にしろ振り子(半円)運動にしろ、山谷の波運動にしろ(cf.易は 円の循環でもあり、陰極まれば陽・陽極まれば陰の山谷の波の循環でもあります)、「周行」であるからなのでしょう。

大いに「離」=遠くなれば、反る。

その循環の理により自然に復帰するものですが、それは、人間のイデオロギーや心理状態にも言えるのでしょうか?

老子は、人間だけは進んで反(=帰)ることを知らないと言っています。

私は、現代文明=易の【離】はまさにそのとうり、反ることを知らないでいると思い想います

 

注2)

cf.現在の宇宙科学で、ビッグ・バン以来(加速しながら)膨張し続けている宇宙の格好は球体をしており、その大きさは、(年齢を137億年として) 【 9.1 × 10 の78乗 立法メートル 】 と計算されています。

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*易: 易(の循環)は、「円」であり「波」である? 
(cf.光は粒であり波である:アインシュタイン)
 ・・・  算木の象は「6」、易卦は「64」の循環 


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コギト(我想う) 2

《 「四大説」の “4・四” 》

「道」の性質を「大」として、論旨は別方に転じて「四大説」が展開されています。

道・天・地・王がそれです。

老子のいう「王」は、道の体得者、無為にして化した三皇時代(堯・舜より前)の聖王でしょう。

(cf.“尚古思想”)

老子の理想的指導者像です。

「而王居其一」と強調しているところに、老子の政治思想の現実的立場がよく示されているといえます

 

老子の「四大説」では、言葉としては 5つあります。

が、意味するところは、「人」/「天・地」/「道」=「自然(おのずとそうである/道は自然のままに生まれる)」 と 3つに捉えるべきものでしょう。

そうして、「王(指導者・リーダー)」は「道(天・地を含む)」に従いかなうべきであると論理を展開してゆくわけです。

 

ところで、「四・4」という“数”に着目してみたいと思います。

東洋(儒学)では、「五行思想」【木・火・土・金・水】にもとづく“五”、易にいう   生数  “5”「五」を神秘的な霊数として重んじます

それに対し、“4”は西洋の源流思想の霊数です。

起源は、ギリシア哲学の「四元素説」【水・火・土・空気】です。

この「四元素」は、物質の4態: 固体・液体・気体・プラズマでもあります。

 (cf.プラズマ = 第4物質形態。宇宙の99.9%以上がプラズマ状態) 

西洋の「四元素説」 と東洋の「五行説」とは、遥〔はる〕かむかしからよき対照をなしているのです

 

なお、“4”は陰、“五”は陽の数です。

黄老と儒学は、コインの裏表のように中国二大源流思想を形成しています。

老子の思想を陰(ウラ)、儒学の思想を陽(オモテ)と考えることもできるかもしれません。

 

さて、インド(仏教)思想にも“四”がよく登場します。

「四苦」・「四諦〔したい〕」・「四法印」・・・ といった具合です。

「四大」についても、仏教では【水・火・土・風】を称します(ギリシア哲学の「四元素説」と同じですね)。

また、仏教で三宝〔さんぽう〕」 といえば「仏」・「法」・「僧」です。

聖徳太子の十七条憲法でも、「二に曰く、篤〔あつ〕く三宝を敬へ。三宝とは 仏〔ほとけ〕・法〔のり〕・僧〔ほうし〕なり。・・・ 」とありましたね。

この三宝も実は、『老子』・67章に登場するものです。

すなわち、「慈〔じ: 慈悲〕」・「倹〔けん: 倹約〕」・「後〔ご: 出しゃばって人の先頭とならない〕」の 3つがそれです。

→ 後述 ≪老子の三宝≫ 参照のこと

 

ちなみに、「老子化胡〔けこ〕説」というものがあります。

「胡」とは、釈迦(仏陀)のことです。

すなわち、消息を絶った老子が、その後インドに行き、釈迦を教えたとか釈迦そのものであるとかというものです。

それはともかくとしても、黄老思想と仏教とを眺めておりますと、老子の仏教への影響もまた深いものがあるかもしれません。

 

( つづく )

 


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第35回 定例講習 (2010年11月28日) 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子夏 〔1〕 )

《 §.はじめに 》   子夏 

子夏は、“子貢〔しこう〕”と字面〔じずら〕が似ていて間違えそうですが ・・・ 。子貢のように知名度が高くないので、ともすると子貢と同一視している人もいそうです。

文学子游子夏(先進・第11)。「四科(十哲)」では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。「文学」というのは、古典・経学のことです。姓は卜〔ぼく〕、名は商。子夏は字〔あざな〕です。孔子より、44歳年少

謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。大学学長・総長といった感じでしょうか。曾子が仁を重視する立場(忠恕派)なのに対して、子夏は礼を重視する立場(礼学派)です。儒学の六経を後世に伝えた功績は、まことに大なるものがあります。(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 長寿を得て、多くの門弟を育成しました。その子を亡くした悲しみで、盲目になったとも伝えられています。

子夏は『論語』でしか知られることがない、といってもよい人です。が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。というのは、“色”っぽい(?)弟子・子夏としての意なのです。私感ながら、『論語』は子夏の言に、“色”にまつわる記述が多くあるように思われるのです。私、日本最初の 1級カラーコーディネーター(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」)としましては、子夏は、孔子門下で “色の弟子”としての印象なのです

補1) エピソード  ―― 3匹の豚、河を渉〔わた〕る ――
こんなエピソードがあります。知ったかぶりのある人が、歴史書の文言を「晋〔しん〕の師(軍隊)は、三豕〔さんし: 三匹のブタ〕 河を渉〔わた〕る」と読みました。
子夏に、「三豕ではなく 己亥〔きがい/つちのと・い〕」と教えられ恥いったといいます。この、故事から、似た漢字の読み書きの誤りを、 「
亥豕〔がいし〕」といいます。
cf.「烏鳥〔うちょう〕」・「魯魚〔ろぎょ〕」・「焉馬〔えんば〕」 ・・・ の誤り

補2) “色”の三(定)義を考える(色相・明度・彩度の“三属性・三要素”のことではありません)

色っぽいの意。「色」の文字は、元来男女の“からみ”を表した象形文字です。この意味は、東洋においてのみです。

カラー〔色彩(学):Coror/Corour〕”の意。欧米における “色”は、この意味です。

顔色の意。「顔(色)が青(白)い」 といったように、顔に出る色のことです。

cf.漢方(中医)と顔色 ⇒ 五行・五色の思想から体系だてられています。
ex.“五色診”後述

補3) 孔子の後継

【忠恕派・仁の重視】 : 曾子 ―― 子思 ―― 孟子

【礼学派・の重視】 : 子游/子夏 ―― 荀子 ・・・ (法家)李斯/韓非子
(*子游は“礼の精神” を重んじ、子夏は“礼の形式”を重んじました)

 

《 §.「過猶不及」 再考 》

○ “子貢問う、「師と商とは孰〔いず〕れか賢〔まさ〕れる。」 子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」と。 曰く、「然らば則〔すなわ〕ち師は愈〔まさ〕れるか。」 子曰く、「過ぎたるは 猶〔なお〕及ばざるがごとし。」と。”  (先進・第11−16)

 

【 子貢問、師與商孰賢。 子曰、師也過、商也不及。 曰、然則師愈與。 子曰、過猶不及。 】

 

《大意》

子貢が、「(兄弟弟子の)師〔=子張〕と商〔=子夏〕のどちらが勝〔まさ〕っていましょうか。」と尋ねました。 (孔)先生は、「師はゆき過ぎている、商は及ばない(ゆき足りない)ネェ。」といわれました。そこで(子貢は)、「それでは、師のほうが勝っているということでしょうか。」と重ねて尋ねました。孔先生がおっしゃるには、「(イヤイヤ)行き過ぎたものは、及ばない(行き足りない)のと同じだよ。(どちらも中庸を欠いてダメだね)」

 

《解説》

「過ぎたるは 猶〔なお〕及ばざるがごとし」の出典です。「」は、代表的な再読文字で“なお 〜 ごと シ”と、二度読みます。再読文字の学習の意味からも、漢文でよく出てくるおなじみの一節です。やり過ぎるのは、やり足りないのと同じようなものだ(どちらもよくない)の意です。過不足のない、中庸〔ちゅうよう〕 を得ていることが大切であることを述べた問答です。 孔子に尋ねた子貢は、やり過ぎる(師〔子張〕という弟子)のほうが、及ばぬ(商〔子夏〕という弟子)よりもよい(マシ)と思ったようですね。それに対する孔子の答えがこれです。

私は、以上の一般的説明の後で、学生に“皆さんはどう思いますか?”、“孔子の真意はどうなのでしょう?”と問いかけることにしています。(例えば、言い過ぎて人を傷つける場合と、 言うべきことが言い足りない場合との比較です)

学生達の答えはさまざまですが、私は“孔子は及ばないほうが優れていると考えている”と思います。徳川家康も同じ捉え方のようで、「東照君遺訓」の中に 「人の一生は 重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。 ―― 及ばざるは 過ぎたるに勝れり。とあります。

( つづく )

 

老子  【6】

『 老子道徳経 』※(本文各論)解説  

「道」に始まり 「不争」に終わる 5000 余語(字)

―― 一つとして固有名詞(人名・地名)なく、賁〔かざ〕ることなくエッセンスのみを、独り老子が静かに訥々〔ぼそぼそ〕と、そして時にシャープに語っています。

―― 形而上の極めて簡にして要の内容で、表現は“韻”を含んでまことに美しい文章だと想います。

○ 「李耳〔りじ〕は無為にして自〔おの〕ずから化す、清静〔せいせい〕にして自ずから正し。」

“李耳=老子は、ことさらな人為〔作為〕をすることなく自ずと人々を教化し、清らかで静かで自ずから人々を正しくしました。” ( 『史記』・「太史公自序」 )

老子の思想 


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『老 子』 (老子道徳経) 

≪ 上篇: 道 経 ≫
(体道・第1章) (養身・第2章) (安民・第3章) (無源・第4章) (虚用・第5章) (成象・第6章) (鞱光・第7章) (易性・第8章) (運夷・第9章) (能為・第10章) (無用・第11章) (検欲・第12章) (狷恥・第13章) (賛玄・第14章) (顕徳・第15章) (帰根・第16章) (淳風・第17章)(俗薄・第18章) (還淳・第19章) (異俗・第20章) (虚心・第21章) (益謙・第22章) (虚無・第23章) (苦恩・第24章) (象元・第25章) (重徳・第26章) (巧用・第27章) (反朴・第28章) (無為・第29章) (倹武・第30章) (偃武・第31章)  (聖徳・第32章) (弁徳・第33章)(任成・第34章) (任徳・第35章) (微明・第36章) (為政・第37章) /

≪ 下篇: 徳 経 ≫
(論徳・第38章) (法本・第39章) (去用・第40章) (同異・第41章) (道化・第42章) (徧用・第43章) (立戒・第44章) (洪徳・第45章) (倹欲・第46章) (鑑遠・第47章) (忘知・第48章) (任徳・第49章) (貴生・第50章) (養徳・第51章) (帰元・第52章) (益証・第53章) (修観・第54章) (玄符・第55章) (玄徳・第56章) (淳風・第57章) (順化・第58章) (守道・第59章) (居位・第60章) (謙徳・第61章) (為道・第62章) (恩始・第63章) (守微・第64章) (淳徳・第65章) (後己・第66章) (三宝・第67章) (配天・第68章) (玄用・第69章) (知難・第70章) (知病・第71章) (愛己・第72章) (任為・第73章) (制惑・第74章) (貪損・第75章) (戒強・第76章) (天道・第77章) (任信・第78章) (任契・第79章) (独立・第80章) (顕質・第81章)

 

コギト(我想う)

≪ Q. なぜ81章か? ≫

→ 後代の人々によって章立てがなされたのでしょう。

なぜ81章か、については特に記されていないようです。

80が一区切りで81からまた始まる(循環する)という古来の考え方があるのかもしれません。

例えば、姓名学での(画)数は、1から80で81はまた1にもどります(1に同じです)。

また、道教の一派で年齢の理想を160と考え、81を半寿と考えています。

「八十」と「一」を組み合わせると、半分の「半」という字になります。

“ 道教の一派になりますと、人間の全〔まった〕き寿というものを百六十としています、八十一を半寿という、八十と一を組み合わせると、半分の半という字になりますから。

八十にいたらずして死するを夭という。

ということは、我々はまだ死ねんわけで、死んだら夭折になってしまいます。” 

(安岡正篤・『易と健康 下 /養心養生をたのしむ』 所収の付録「貝原益〔損〕軒の『養生訓』」)

(cf.『易経』は、64卦の循環の体系です。
※ 1.【乾】→ 64.【未済】→ 1.【乾】→ … )

≪ 主要英文文献 ≫

・Arthur Waley ; The Way and its Power,A Study of the Tao Tē Ching 
and its Place in Chinese Thought. London 1934 / Routledge 2005

・D.C.Lau ; Tao Lao Tzu Tao tē ching. Penguin Books, 1963  

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【 25章 / 4章 】

(象元・第25章) 注1) 《 “元始〔もとはじまり〕”の理 ―― 「道」とは? 》

§.「 有物混成」 〔イオ・ウ・フヌ・チャン〕

注1) 「象元」のタイトルは、“万物の根源たる道に象〔かたど/=のっとる =したがう〕って生きていくべき”の意で、この章の内容をよく表しているといえます。

この章では、“元始〔もとはじまり〕”の理が述べられています。天地万物に先立つ根源的存在(=道)が説いてあり、老子の宇宙論の中で最も重要な章です。

私(盧)は、この「道」の始原性・「道」の偉大なる営み(万物造化のエネルギー)について語るのが、老子の思想学修の“はじめ”によろしいのではないかと思います。

○ 「有物混成、先天地生。寂兮寥兮独立不改、周行而不殆、可以為天下母。 |
吾不知其名、字之曰道。強為之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。 |
故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一。
人法地、地法天、天法道、道法自然。」

■ 物有り混(渾)成し、天地に先〔さき〕んじて生ず。 寂〔せき〕たり寥〔りょう〕たり、独立して改〔あらた/かわ・らず〕まらず、周行して殆〔やす/とど・まらず/あやう・からず/おこた・らず/つか・れず〕まず、以て天下の母と為すべし。 |
吾れ其の名を知らず、之に字〔じ/あざな〕して道と曰〔い〕う。強〔し〕いて之が名を為して大と曰う。大なれば曰〔ここ/すなわ・ち〕に逝〔ゆ〕き、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反〔かえ〕る。|
故に道は大なり、天は大なり、地は大なり、王も亦〔ま〕た大なり。域中〔いきちゅう〕に四大〔しだい〕有り、而して王は其の一〔いつ〕に居る。*人は地に法〔のっと〕り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。 |

 “ The ways of men are conditioned by those of earth.The ways of earth, by those of heaven.The ways of heaven  by those of Tao,
and the ways of Tao by the Self−so. 注)” 
注) The “ unconditioned ”; the“ what−is−so−itself ”.
(A.Waley adj. p.174)

 “ Man takes its law from the earth; the earth takes its law from 
the heaven; heaven takes its law from Tao; but the law of Tao is its spontaneity. ”  (Kitamura adj. p.88)


《 大 意 》

(定まったフォーム〔形態〕も名前もないけれども完〔まった〕き) “有るもの”があって、ミックスされて化成し、天地(開闢〔かいびゃく〕)より前に生じていました。

それは、寂として声なく、寥として形なく、(相対的にではなく)独り立って、(不易=不変にして)改まることなく、周〔あまね〕く万物の中に行き渡り、しかも息〔やす〕むことがありません(疲れることがありません/危なげがありません)。

ですから、それは、天地万物の慈母と称してよいのでしょう。

私は、その(混成したあるもの)真の名前を知りません。

(仮に)文字で現わして「道」をあててみました。

(が、どうも適当ではないようです。) 

無理に(こじつけて)名〔形容詞〕をつけて、「大」としてみました。

「大」は、はるかに「逝」〔い/=行〕ってしまう、
「逝」〔ゆ〕くは果てしなく遠ざかることですから「遠」とも現わせます。

遠ざかれば結局、(循環の理によって)また、本源へと「反」〔かえ/=返〕って来ますから「反」でも現わせます。

→ 道・大・逝・遠・反 のどれでも、また5文字全部をとって名前としてもよいのですが、いずれにせよイマイチで“有るもの”をピッタリと表示する文字はありません。)

 

「道」 ≒ 「」 → 「」 → 「 → 「反」 → 「」 ・・・

 

以上のように、「道」は「大」です。

そして、(大なるものは)天も大であり、地も大でありさらに「王」もまた大です。

世界中(=宇宙)の中に、大なるものすなわち「四大」があります。

「王」はその一つの地位を占めています。

(王は人ではありますが、その徳が天地自然と冥合〔めいごう〕した者が王であるからです。) 

(そして、次のように自分より偉大なものから規範をとりますので)
のあり方をお手本(=規範)とし、のあり方をお手本とし、のあり方をお手本とし、自然のあり方をお手本とするのです。

 

※ 【 四 大 】

 王(人) 〔従う〕 → 地 〔従う〕 → 天 〔従う〕 → 道 ⇒ 自然 〔おのずとしかり〕

 

・「有物混成」: 「物」=(あるもの)=“道”。混(渾)成=混合・入り混じりの意。混乱の意にみて“カオス”の状態に捉えるのは正しくないでしょう。

*There was something formlessly fashioned
That existed before heaven and earth. (A.Waley adj. p.174) 

*There is a thing confusedly formed
Born before heaven and earth. (D.C.Lau adj. p.30)

 

 参 考   ≪ 元始まり の“混沌”話 ≫

元始まりの話、天地未分化の“混沌”〔こんとん〕話は、多くの(歴史)神話・宗教・物語で語られています。

わが国では例えば、『古事記』には「くらげのように漂っている」と、『日本書紀』には「鶏卵の中身のようだ」と。

ある教派神道では、「どろ海で、“どじょう”が沢山いて“うを”と“み”がまじっていて・・・・・ 」といった具合です。

これらの“混沌”話 といったものは、有形のひとつのモノです。

老子のいう、無形の万物造化のエネルギーである「道」と同一視してはならないでしょう。

この章では、解かり易くするために“混成”という表現を用いたのでしょう。

・「寂兮寥兮」: 寂は無声、寥は無形。 14章に、之を視〔み〕れども見えず。/之を聴けども聞こえず。/之を搏〔とら〕うれども得ず。」と、道が超感覚的な存在であることが述べられています。

cf.  『中庸』    第16章にも、「鬼神の徳たる、其れ盛〔さかん〕なるかな。之を視〔み〕 れども見えず、之を聴けども聞こえず、物に体して遺〔のこ〕すべからず。」

《大意》 
天地宇宙の働き=造化 を「天」といい「鬼神」といいます。
この鬼神の徳と いうものは、実に盛大です。
しかし、形を持たないので肉眼で見ようとしても見えません。
声を持たないので、耳で聴こうとしても聞こえません。
けれども、その鬼神の徳(=はたらき)というものは、すべて自然に、万物の上に現れているのです。
宇宙の間に在るものはすべて、鬼神の徳によって生まれ、そのフオーム〔形体〕を得たのです。) 

*「鬼神」:神は天神(天〔あま〕つかみ)と地祗〔ちぎ〕(国つ神)をいいます。鬼〔き〕は、人の霊魂をいいます。

・「独立不改」: 絶対であるから独立、不改はその常道を改めないこと。

*Standing alone without changing. (Kitamura adj. p.85)

・「周行而不殆」: 「殆」はさまざまに訓読されています。
やす・まず/とど・まらず/あやう・からず。

道は万物に周〔あまね〕く行われ、息〔やす〕むことがないと解釈しておきました。
cf.易の“不易”・「自強不息」(【乾】大象)
この老子特有の“循環(復帰)の思想”は、16章にも述べられています。
「万物は並び作〔お〕こるも、吾は以て其の復〔かえ〕るを観る。」

・「天下母」: 帛書甲・乙本では「天地の母」とあります。=万物の母・母胎、天地の根。

・「大曰逝」: 「曰」〔えつ〕は、ここでは「而」〔じ〕や「則」〔そく〕と同じような用法・働きの言葉です。
≒すなわち。

・「道法自然」:  【自然】   ☆ 無為 = 自然 。

無為を別の面から説明したものです。「自然」は〔おのずからしかり〕で、“それ自身でそうであるもの”(他者によってそうなるのではなく、それ自身によってそうなること)の意。
A.ウェイリーの英訳 “the Self−soと 注釈 what−is−so−itself は参考になります。ほか、its spontaneity〔その自発性・自然さ〕。

*POINT: 5つの文字・言葉は、どれも「名」ですが、どれも適する文字・言葉ではありません。

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( つづく )

 


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第34回 定例講習 (2010年10月24日) 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 宰予 〔さいよ〕 〔2〕 )

○ 宰予 昼寝〔ひるい/ひるしん〕ぬ。子曰く、「朽木は雕〔え/ほ〕るべからず、糞土の牆〔しょう/かき〕は杇・ヌ〔ぬ/お・す〕」るべからず。予に於いてか何ぞ誅〔せ〕めん。」 と。 |
子曰く、「始め吾、人に於けるや、其の言〔げん〕を聴いて其の行い〔こう〕を信ず。今、吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」 と。

 (公冶長第5−10)

【 宰予昼寝。子曰、朽木不可雕也、糞土之牆、不可杇也。於予興何誅。 | 子曰、 始吾於人也、聴其言而信其行。今吾於人也、聴其言而観其行。於予興改是。 】

《大意》

宰予が、昼寝をしていました。孔先生が、これを叱責しておっしゃるには「朽ちた(腐った)木には彫刻をすることは出来ないし、土が腐ってボロボロになった(ごみ土/穢土)土塀には美しく(上)塗り飾ることも出来ない。(そんな、どうしようもない奴だから)わしは、宰与を叱りようもない(叱っても仕方ない)。」 と。 |
そして、孔先生は続けて、「わしは、以前は、人の言葉を聞いてその行ないまで(そのとうりだと)信頼したものだ。が、しかし、今後は人に対して、その言葉を聞いても(鵜呑みにせず)その行ないもよく観るてから信ずることにする。宰予のことがあってから、人に対する方針・態度をそのように改めるに至ったのだ。」 と、おっしゃいました。

・「不可」: 出来ない、不可能の意。〜する値打ちがない。

《解説》

孔子による宰予評の有名な章・部分です。孔子が、罵詈雑言〔ばりぞうごん〕で叱責する、この特異な章は、話の背景・前後関係がないので、次のようにさまざまに推測・憶測がなされています。

1) 学道に志す者が真面目に勉励している孔子の学園にあって、「昼寝」(でサボる)こと自体が怠惰で怪しからんことである、と孔子を呆れさせ怒らせたと解釈します。
*「昼に当たって寝ぬるを謂う」 (朱子)

2) 後半の孔子の言葉との関係を類推すれば、宰予が孔子と何らかの約束事をしていたのに、すっぽかして寝ていたのではないか、という解釈。

3) 面白いのは、この昼寝が、女人とイチャイチャしていた、“房事〔ぼうじ〕”と憶測するものです。週刊誌・官能小説まがいの解釈で一興〔いっきょう〕です。が、いかがなものでしょうか? これは、大儒者 荻生徂徠〔おぎゅうそらい〕の推測です。

さて、いずれにせよ高々昼寝です。罵倒・叱責は不自然です。まして、かくも怒りを露わにしているのは、人格者孔子にしては意外な感を否めません。

前半部の有名な全面否定の“たとえ”そのものは、建築関係の仕事に携わっているとよく解ります。しかしながら、「不可」・「於予興何誅」という人間性の全面否定は、教育(師弟)関係の放棄の言葉です。大教育者・孔子にしては不自然です。そもそも、教育は、才徳の随分薄い者にも与えられるものです。(親心も、放蕩〔ほうとう〕・バカな子供ほど可愛いともいいますね。) ことに、儒学・儒家(老荘に対して)の立場は、“諄々〔じゅんじゅん〕”と諭〔さと〕し導くのが基本的性格です。 ―― 従って、何か特段の事情があっての叱責に違いありません。

なお、「昼寝」について付言しておきましょう。この部分だけみると、「昼寝」が随分とマイナーな行為であるとの感じを受けます。が、そうではないでしょう。

今時〔いま〕の(大部分の)学生気質〔かたぎ〕、“(朝)ねぼう”を理由に授業遅刻、数多〔あまた〕にして堂々たる(?)“重役出社”のごとき不届きさ、目に余るものがあります。しかし、(朝寝でなく)午睡は、悠々自適の善き生活であるように思います。とりわけ、「無為自然」を標榜〔ひょうぼう〕する老荘思想において、その象徴であるように思われます。例えば、荘子(荘周)は、しばしば午睡する姿で描かれています。『荘子』の「胡蝶の夢」は、有名で深い示唆に富んでいます。また、材木にならずもてあまされている巨大樹に対して、その下で仮睡して寛げばよいではないか、と説いたりしてもいます。

実際、適度の午睡は、身心に良いものです。暑い夏場なら、なおさらのことです。むしろ、私は、「昼寝す」の日常を目標に生活(学習)せねばと、改めて思いました。――― 東洋思想の学道も、儒学と老荘の両方が大切です

(宰予完)

 

老子  【5】

§.供 圈]兄卻語り(伝説) ―― “龍のごとき人”(司馬遷・『史記』) 》  

老子の人物像・伝記についての、信頼に足る最古の記述は、史記』・「老子伝」です。

『史記』は、前漢武帝の時代に司馬遷〔しばせん〕によって書かれた最古(第一号)の正史です。

私は、司馬遷の偉大な人生と相俟って、最高の史書といっても良いと思っています。

その偉大さは、『史記』には生き生きと“人間”が描かれており、歴史書であると同時に優れた文学書でもあるということにあります。

 

『史記』に描かれている老子の物語・伝記は、とてもファンタスティックなものです。

例えば、孔子が老子に教えを乞い、その人物の偉大さに「其れ猶〔なお〕、龍のごとし」と感嘆しているシーンです。

 

ところで、『史記』には、老子の人物(特定)そのものについて、“老耼・タン〔ろうたん〕”以外にも楚の隠者“老莱子〔ろうらいし〕”・周の太史(史官)である“儋・タン〔たん〕”と 3様の候補があげられています。

つまり、司馬遷の時代、既に、老子の人物像そのものが伝説化していたと考えられます

まことしやかな伝説が、広く一般化していたのでしよう。

―― 以下、老子の物語をまとめてみました。

 

老子は、楚〔そ〕の国、苦県〔こけん〕の匐拭未蕕いょう〕、曲仁里〔きょくじんり〕 注1) に、西周末年武丁朝庚辰〔こうしん〕の2月25日 卯の刻に生まれました。

姓は李〔り〕、名は耳〔じ〕、注2) 字〔あざな〕は伯陽、おくりな〔謚〕して耼・タン〔たん〕といいました。

 

守蔵室の史官(図書・公文書館の管理人)をしていました。

そこで、仕事のかたわら黙々と書籍を読んで智恵を深めてゆき“道”と“徳”を修めました。

老子の思想は、自らの才能を隠し無名であること(=自隠無名)をモットー(ポイント)としていました。

 

さてある時、当時既に、教育・道徳家として名声の高かった若き日の孔子が訪れます。
孔老会見」(孔子問礼です。 注3) 

老子は、郊外まで孔子を迎えに行き、孔子もまた車を降りて応え手土産(雁)を贈りました。

 

孔子は、洛陽にいく日か滞在して、老子から 「礼」をはじめいろいろ教わりました。

別れに際し、老子は次の苦言を贈って諭〔さと〕しました。 

曰く。

「あなたが(信奉し)話題にしようとしている古〔いにしえ〕の聖賢(=先王の道/古来の礼)は、死んでしまって骨も朽ち果ててしまい、ただその言葉だけが(虚しく)残っているだけです。
(形骸化した言葉をそのまま重視してはいけません。)/ 
それにあなたは、(君子・古来の礼を強調なさるが)君子などというものは、時(運)を得たら高位に昇り志を実現できますが、時(運)を得なければ地位を追われ流浪するような(栄枯盛衰きわまりない)ものなのです。
私は、商売の上手〔うま〕い商人は、(良い品を持っていても)店の奥にしまっておき店頭に並べてひけらかしたりしないものだ、と聞いていますヨ。
(同様に)君子は、立派に徳を積んでいても、謙遜して表面には現わさず、ちょっと見その顔は“愚(愚昧)”のように朴訥〔ぼくとつ〕に見えるものです。
(礼の本〔もと〕は謙虚にあるのです。)
 注4)/ 
とりわけあなたは、驕り〔俺が俺がという傲慢さ〕、欲望〔野心・貪欲さ〕、思い上がった〔居丈高な〕てらい・ゼスチュア、意欲が過ぎる邪心、(が多過ぎます。これら)をみんな捨て去りなさい。
これらはどれも、あなたの身ににとって何の益にもならない(有害な)ものなのです。
私があなたに言ってあげられることは、ただこれだけです。」
 と。 注5)

 

孔子は、感激して魯〔ろ〕の国に帰ります。

そしてその後、弟子たちに、よく老子をほめてしみじみと言いました。

曰く。

「(私にも)鳥が飛べるということはわかっているし、魚が泳げるということはわかっているし、獣が走れるということはわかっている。
走る者が相手なら網で捕えればいいし、泳ぐ者が相手なら綸〔いと=釣り糸〕で捕えればいいし、飛ぶ者が相手なら矰〔いぐるみ=ひもをつけた矢〕で捕えればいい。
が、相手が(霊獣の)龍で、(龍は)風雲に乗じて天空に昇り(時に飛翔し時に雲間に隠れるのであれば)私の理解を超えている。
(如何ともし難い/捕えようがない。) 
今、私は、老先生にお会いしたが、老子というのはまるで龍のようなお人だナァ!
(龍を除いて老子に比較すべきものはない/推し量り難く捕えようがない。)」 と。 注6)

 

やがて、(周の昭王の23年)老子は、周王室の衰退をみて隠退を決意します。

洛陽を去り、西のある関(関所のこと/函谷関・散関か?)にさしかかりました。

そこの関所には長官の“尹喜”がまっていました。 注7) 

(※ 後述伝では、尹喜は“紫の気が東からやってくる”〔紫気東来〕のを見て聖人がやって来ることを知り、老子をお迎えします。) 

尹喜は、「(老)先生は隠れておしまいになろうとされています。(このラストチャンスに)ぜひにもお願いいたします。私のために、何か書物を書き残してください。」 

とねんごろに頼みました。

そこで、老子は初めて上・下二篇の書を著しました。

それは、“道”と“徳”の意義をのべた 5000字余りのものでした。

 

老子は、その書を渡して関所を去り西方への旅を続けました。

しかし、行方〔ゆくえ〕はようとして知れず、どのようにして生涯を終えたかその後の消息を知る者はありませんでした。 注8)

 

―― 以上の老子物語のポイントを整理すると、 
1)老子の姓・出自を老耼・タンとすること 
2)孔老会見(孔子問礼) 
3)『老子』(著作)を著し関令尹喜に渡したこと、

です。

私は、これらは、すべてフィクション(実際そうであったことではない)であると思います

老子の人物の実在そのものが、疑問です。

さらに、儒家思想の対抗・批判として道家(老荘)思想が形成されてゆきますから、孔子と老子が会うことはありえません。

また更に、自隠無名がモットーの老子があえて世に著作を著すはずもありません。

 

注1)
「苦」は、苦しい苦〔にが〕い。
「辧未蕕ぁ諭廚枠乕翩臓◆峩平痢廚録里魘覆欧襪伐鬚擦泙垢里如△匹Δ皺誘の名称のようにも思えます。
(地名の特定はできていますが ・・・)

 

注2)
「耼・タン〔たん〕」とは、耳の長いという意味ですから耳の長い・大きい人だったのでしょう。
耳は目に対して、遺伝的なものを顕すといわれています。
ちなみに、私は幼少の頃、(耳が大きかったので)“福耳をしている”と他人〔ひと〕から褒められ、母がその意味を解説してくれたのを記憶しています。
私が、“大耳子〔だいじし〕”と聞いて思い起こします人物は。
『三国志』の仁徳のある英雄・劉備玄徳〔りゅうびげんとく〕。
10人の話を同時に聞くことができたといわれる聖徳太子(豊耳聡〔とよみみと〕/豊聡耳〔とよとみ〕/豊聡耳太子〔とよとみみひつぎのみこ〕)。
“経営の神様”といわれた君子型経営者、松下幸之助氏(現・パナソニック創業者)。

 

注3)
まず、「孔老会見(孔子問礼)」では、老子は孔子(BC.551−BC.479)の大先輩として記されています。
が、『史記』の老子の系図から逆算しますとBC.400年ころの人物ということになってしまいます。
これは、孔子の孫(孟子の師)の子思とほぼ同時代となります。

ちなみに、両者の年齢は、孔子35歳・老子88歳、(インドの釈迦は49歳)であったと記している本もあります。
次に、孔老会見で、どうして“礼”について老子に教えを乞うのでしょうか? 
孔子は、礼学の専門家ではありますが、老子はそうではないでしょうに。
これについて、楠山春樹氏は次のように説明しています。 
『礼記』・曾子問篇〔そうしもんへん〕に、「吾聞諸老耼・タン」(吾れ、諸〔これ〕を老耼・タンに聞く) と老耼・タンを孔子の師として説く文が 4ヶ条もあります
ここに唯一登場する老耼・タンなる葬儀を差配する人物を、老子の徒が“老耼・タン”にしたて、孔老会見のフィクションが唱えられたのであろう、と。
(楠山春樹・『老子入門』 p.23によります)

 

注4)
「良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚 : 良賈〔りょうこ〕は深く蔵して虚〔むな〕しきがごとく、君子は盛徳たりて、容貌〔ようぼう〕愚〔ぐ〕なるがごとし

 

注5)
安岡正篤先生は、若いころの孔子について、気性激しく覇気満々たるところがあった。
か、と想像して、この孔老会見での老子による批評を次のように述べておられます。

○「史記に伝へられてをります老子との会見の事実につきましては、いろいろ考証家によって議論もございますが、何にしても老子が評したと申します 『子の驕気〔きょうき〕と多欲と態色と淫志とを去れ』 ―― 驕気といふのは、俺が俺がといふような気分でありませう。多欲は野心的といふことであり、態色と申しますのは、今日で申しますとゼスチュアに当たりませう。淫志は何でも思ったことは是が非でもやってのけるといふ意欲的なことを申します。 ―― さういふ気分をみな去れ、といふ話だけをとりますと、確にこれは若き孔子を想像するのに味のある言葉であります。」 
(安岡正篤・『朝の論語』 P.7 引用)

 

注6)
龍は“陽”の化身ですが、三棲するといわれています。
地上にいたり、深淵に潜んだり、雲間に隠れたり、天空を飛翔したり、と捉えどころがないの意でしょうか。
あるいは、スケールが大きすぎて圧倒されて推し量れないの意でしょうか。
思い起こされますには、坂本竜馬が初めて西郷隆盛に会った時、その(西郷の)印象を問われた時の応えです。
「よくわからぬ、“タイコ”のようなお人だ。小さく叩けば小さく鳴るし、大きく叩けば大きく鳴る。」 
―― 西郷隆盛もたしかに、わが国幕末・維新期の“人龍”には違いありません。

cf.孔子が老子を評した(とされる『史記』・「老子・韓非列伝」の)この文言は歴史的に名高いものです。
原文(読み下し文)は、次のとうりです。

“孔子去り弟子〔ていし〕に謂いて曰く、「鳥は吾〔われ〕其の能〔よ〕く飛ぶを知り、魚〔うお〕は吾其の能く游〔およ〕ぐを知り、獣は吾其の能く走るを知る。
走る者には以て罔〔あみ=網〕を為すべく、游〔およ〕ぐ者には以て綸〔いと〕を為すべく、飛ぶ者には以て矰〔いぐるみ〕を為すべし。
龍に至りては、吾其の風雲に乗じて天に上るを知る能〔あたわ〕ず。
吾、今日〔こんにち〕老子を見るに、其れ猶〔なお〕龍のごとき」 と。”

 “ The birds ― I know they can fly; the fishes ― I know they can swim; the wild beasts ― I know they can run. 
The runner may be caught by a trap, the swimmer may be taken with a line, and the  flyer may be shot by an arrow.
But as for the dragon,I am unable to know how he rises on the winds and the clouds to the sky.
To−day I have seen Lao Tzu; he is like the dragon. ” 
(Gowen)

 

注7)
「関令尹喜」 ―― 
1)「関令(関所の長官)の尹喜」 と 
2)「関の令尹(楚語で長官の意)は喜んで」
と 2とおりに読めます。

 

注8)
「莫知其所終」(其の終うる所を知る莫〔な〕し) と結んでいます。
文学的で情緒があり良い表現です。
(蛇足ながら、)更に、尾ひれがついたものとして、後世の道教に「老子化胡〔けこ〕説」があります。
「胡」とは、釈迦(仏陀)のことです。すなわち、消息を絶った老子は、インドに行きます。
そして、インドで、釈迦を教えます(釈迦になります)。
それはともかくとして。
老子の思想が、仏教に多大の影響を与えているであろうことや共通点が見られることについて(ex.“四大”・“三宝”や“無”の思想と“空〔くう〕”の思想など)、後述することといたします。

 

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横山大観: 「龍蛟躍四溟〔りゅうこうしめいにおどる〕」

( つづく )

 

本学  【 漢文講読 ―― 志怪・『広異記』 】

*漢文講読の第3回目は、志怪から『広異記』を取り上げました。

 

志怪・『広異記』

§.はじめに

“志怪”〔しかい:怪を志(しる)す〕 ―― 聞きなれない言葉だと思います。魏晋南北朝時代に成立したといわれている、小説のジャンルです。夢(お告げ)、ユーレイ、妖怪、死人復活、祟り、動物の恩返し ・・・ 奇怪・摩訶不思議な話の総称です

不可思議な現象が、実際にあったか、起こりうるか、とすぐに科学的・合理的に考える人もあるかと思います。私は、“存在(あるかどうか)”は、“認識”の如何にかかわっているのだと考えています。感覚器官としての“第6感”の鋭敏さもありますね。

ところで、古代エジプトでは、霊魂不滅・復活の思想から“ミイラ”や“ピラミッド”(?)が、作り造られたことはよく知られていますね。古代中国においても、皆が「鬼〔き〕」即ち死後の霊魂の存在を信じていて、鬼が現世の人間とかかわる話がずいぶんたくさんあります。(我が国でも、大陸の影響もあってか、同じく似たる処があると思います。)

今回は、特に易占にかかわった「鬼=霊魂」の話を教材に選びました。このお話は、とりわけ、霊感・感性を修養し(易の)神さまと身近で、運命・宿命のアドバイザーである 「易の名人・達人」が主人公であるところに、重みも面白みもあるというものです。

 

『広異記』

《 漢 文 》   ――  略  ――

《 書き下し文 》 (現代かなづかいによる)

○ 柳少遊〔りゅうしょういう〕卜筮〔ぼくぜい〕を善くし、名を京師〔けいし〕に著わす。天宝中、客〔かく〕の一縑・ケン〔いっけん〕を持ち少遊に詣〔いた〕る有り。引き入れて故〔ゆえ〕を問う。答えて曰く、「願わくは、年命を知らん」 と。|

少遊為に卦〔か/け〕 を作す。成りて悲嘆して曰く、「君の卦不吉なり。合〔まさ〕に今日の暮にい尽くべし」 と。其の人傷み嘆くこと之を久しくす。|

因〔よ〕りて漿〔しょう〕を求む。家人水を持ちて至る。両〔ふたり〕の少遊を見、誰〔たれ〕か是れ客〔かく〕なるを知らず。少遊、神〔しん〕を指して客と為し、持ちて客に与えしむ。|

乃〔すなわ〕ち辞去す。童送りて門を出づるに、数歩にして遂に滅す。俄〔にわか〕に空中に哭声〔こくせい〕の甚だ哀しき有るを聞く。|

還りて少遊に問う、「郎君〔ろうくん〕此の人を識〔し〕る否や」 と。具〔つぶさ〕に前事を言う。少遊 方〔はじ〕めて客の是れ精神なるを知る。遽〔にわか〕に縑・ケンを看〔み〕しむれば、乃ち一紙縑・ケンのみ。注1) 歎じて曰く、「神我を捨てて去る。吾其れ死せん」注2) と。日暮〔にちぼ〕に果たして卒〔しゅっ〕す。 

 

《 現代語訳・解説研究 》

柳少遊は、占筮〔せんぜ=占い〕の名人として、都で名を知られていました。天宝年間のことでした。一疋〔いっぴき〕の絹織物を持って少遊を訪ねてきた人がいました。招き入れて、来訪の用件を尋ねたところ、そのお客は「どうか、私の寿命を占ってください」と答えました。|

少遊は、(その客人のために)立筮〔占うこと〕しました。卦を得て、(解釈しますに)悲しく嘆いて言いました。「あなたの(ことを占った)卦は、不吉です。あなたの寿命は、きっと今日の日暮れに尽きるでしょう」 と。その客人が悲嘆にくれること、長きに及びました。|

そのために、(喉の渇きをおぼえて、その客は)飲み物をリクエストしました。召使いが水を持って来ましたところ、二人の少遊がいて、どちらが客人であるか区別がつきませんでした。(本物の)少遊が、神=霊魂 を指して客人だと示して、その客人に水を手渡させました。|

そして、その客人は、あいさつして帰りました。召使いが門まで送ると、門をでて数歩もしないうちに、たちまちのうちに姿が消えてしまいました。突如として、空中に非常に悲しげな泣き声が響くのが聞こえました。|

(召使いは、)家に戻ると、少遊に尋ねました。「ご主人さま、あの客人をご存知なのですか?」 そして、詳しく目の前で起こったことを話しました。少遊は、そこではじめて、その客人が自らの霊魂であることがわかりました。急ぎ、客人が持参した絹織物を調べさせてみると、なんとその絹織物は紙でした。少遊は嘆いて言いました。「私の霊魂は、私(の肉体)から離れ去ってしまった。私は間もなく死ぬにちがいあるまい。」 と。夕暮れ時になり、少遊はその占筮のとうり死にました。

*「尽今日暮」: 「合」は、=「当」で、「まさニ 〜 すべし」の再読文字。 当然~すべきである/きっと〜するはずだ の意

 

※  高根・参考  

易経64卦に、死期の卦そのものはありません。しかし、例えば、“必殺の凶卦”“必死の凶卦”と呼ばれるものはあり占的〔せんてき〕に応じて解釈の参考にはします。

・ 必殺の凶卦(遊魂八卦) ・・・ 五爻変じて下卦と逆になる卦
【 晋・大過・頤・訟・明夷・中孚・需・小過 】

・ 必死の凶卦(帰魂八卦) ・・・ 五爻変じて下卦と同じになる卦
【 大有・師・漸・随・蠱・同人・比・帰妹 】

死の時期に関しては、時期そのものを「占的〔せんてき〕」にすることも可能です。卦の象意〔しょうい〕や爻〔こう〕の位置からもよみとることができます。(例えば【山火賁:さんかひ】=夕暮れ、たそがれの卦/例えば、初爻であれば、今日中・すぐになど)

*「不知誰者客」: 是〔こレ〕は、〜である で英語の“be動詞”に近いはたらきです

*「識此人」: 「否」は、文末に置かれると、〜スルヤ「否〔いな〕」ヤ。〜するのか(どうか) の意

注1) 中国では、棺桶の中に“紙銭”を入れます。(日本〔仏教〕でも地域によっては同様ですね) 絹織物は高級品なので通貨の役割も果たしていました。つまり、「紙縑・ケン」は“紙銭”と同じ意味を持ち、柳少遊の死を暗示する伏線の道具だてとなっているのです。

注2) 古代中国人は、死を“たましい”(=魂魄・霊魂・精霊・魂気)が肉体から遊離することであると考えていました。死者のたましいが「鬼・き」、「神・しん」です。
【魂魄・こんぱく】: “たましい”を詳述すると、人の精神をつかさどるものが「魂・こん」で、人の肉体をつかさどるものが「魄・はく」です。生きている時は、この2つが宿っていますが、死ぬと離れると考えました。

 

※  高根・参考  

「遊体離脱」(=魂が肉体から離れて動き見聞きすること)という言葉がありますね。このお話では、その精神・魂(の自分)が、訪ね来りて自分と話している。また、他者〔ひと:家人〕にも見え聞こえているところが興味深いですね。

死期は、占わぬがよいもの、占っても知らせぬものです。自分のことであれば猶更のことです。知らぬままに、自分の死期を占い知ってしまいました。そして、易占の通り死ぬことになりなした。 “運命” → この場合、死期のような“宿命”は変えられないということです。

最後に、外国の映画のことを少々付け加えておきたいと思います。

◆「タイム・マシーン」: 恋人の、事故で死んだという過去の事実を変えようと、主人公の科学者は“タイム・マシーン”を完成します。過去に戻り、“運命”(過去の事実)を変えようとします。しかし、いきさつ(彼女の死に方)は変えれても、彼女が「死ぬ」という事実は変えられないというストーリーです。

◆「シックスセンス」: ブルースウィリスが、マルコムという小児心理学者を主演しています。マルコムが診療にあたる少年は、死者の霊(ユーレイ)が見えるのでした。さまざまの霊は、生前(現世)で満たされないものがあるから成仏できずに霊としてさまよっている。だから、その果たされなかった願いをかなえてやればいいのだ、と少年にアドバイスする。といったようなストーリーだったかと思います。
そして、衝撃のラスト。このマルコム自身が、すでに死んでいてユーレイだったのです。(少年だから見えたというわけです。少年以外の人々には、見えていないわけです。)
ちなみに、未公開のシーンで、マルコムが奥さんと結婚記念日にレストランで食事する場面があります。現実には、奥さんにマルコムは見えてないわけで、一人、結婚記念日にレストランを(二人分)予約して亡き夫の思い出に耽っているのです。この場面設定で、監督が苦心したことが 2つ。

1)食卓などの小道具が動かないようにすること(マルコムは、ユーレイですから)。

2)場面全体のあらゆるところに、“赤”色をあしらって死後の世界を暗示したこと。柳少遊のお話の(たぶん)“白”色の、絹織物・「紙縑・ケン」という道具設定にあたるものですね。“赤”=死(復活) の暗示というのがキリスト教的で、私共(仏教徒)には解し難いものがあります。(※なお、天国は青紫のイメージです)

 

( 完 )

 


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