儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

安岡正篤

盧秀人年・ 「老子」 の発表を終了す 【‘13.2.17】

 さる‘13年2月17日(日)、関西師友協会(大阪・心斎橋)の “篤教講座”の中で、
私 盧が《 安岡正篤先生に学ぶ 「老子」 》 と題して発表しておりましたものの
最終講義を終了いたしました。

photo_20130217_1

昨年6月17日に第1回目、10月21日に第2回目、
12月17日に第3回目の発表を行いました。

本来3回シリーズの予定でしたが、今回(第4回目)は望まれての延長追加講義です。

「老子」のやり残していた部分やポイントのまとめを行ない、
しっかりと充実した講義となりました。


この「老子」の発表は、本来は‘11年12月に予定されていたものです。
(私の健康上の理由で半年先送りにしたものです。) 

従って、このたびの「老子」の研究・教材作成は、
2年余りに亘〔わた〕る“本格的”なものとなりました。

私にとりましても、“本格的”である「老子」に相応しい取り組みとなったことを
嬉しく思っております。


 さて、東洋思想の泰斗〔たいと〕、故・安岡正篤先生も述べられておられますように、
“易”と“老子”は東洋思想・哲学の至れるものであり行きつくものであり、
ある種、憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です

私は、浅学菲才〔せんがくひさい〕に加えて、50代の若さにもかかわらず、
機妙な縁と善き機会と場を得て「易学」と「老子」を
二つながらに講じさせて頂いていることを、まことに有り難く想っております。


 東洋の奇書、『易経』と『老子』は難解をもって知られます。

諸々の教養人の思想・学問的憧憬である一つの所以〔ゆえん〕でもありましょう。

とりわけ『老子』は、神秘に満ち謎めいていて、
解釈も難解を超えて諸説紛々〔ふんぷん〕意味不明という箇所も多々あります。

私は、これまで多くの講義・講演を行ってまいりました。
が、今回は東洋思想の “至れるもの”「老子」を
オリジナル〔原典〕から紐解〔ひもと〕いて総括的に活学するものでしたので、
大きな手ごたえがありました。


 ところで、E.H.カー は「歴史とは、現在と過去との対話である」と言い、
孔子は「温故而知新」
(故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)
の名言を残しております。

そもそも、優れた古典を修める(修めねばならない)意味は
この言〔ことば〕の中に在ります。

それは、古典を“活学”するということです。

今回の研究では、“帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の
新発見による研究成果も踏まえながら、
20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、
「老子」と“対話”してまいりました

故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりました。 

―― 具体的には、“コギト(我想う)”や“トピックス〔時事〕”に述べてある試みがそれです。
《老子の“現実的平和主義”に想う》/
《ユートピア=理想郷(社会・国家)について》/
《水【坎】を楽しむ》
などは、かねてから取り組んでおきたかったテーマです。


 いま、大役を何とか全うして、
私の好む心地よい安堵感と充実(達成)感を味わうことができております。

学修は、≪学ぶ → 楽しむ → 遊ぶ≫ と進展して行きます。

想いますに“楽しむ”という境地は、
例えば、料理を(ただ美味しく食べるのではなく)しみじみと味わうとでもいった境地、
苦しい登山で山頂に立ったような境地ではないか、と考えております。

私は、このたび「老子」と“対話”してみて、
≪学び≫の世界から≪楽しみ≫の境地へと一歩近づいていったような気がしております。


 なお、テキスト教材は、私のオリジナルで執筆・制作した、
“PART 1”(A4/65ページ)と“PART 2” (A4/64ページ)を用いました。

講義用に『老子』の原典・解説書を英文文献も交えて解かり易く書き下ろしており、
又「易学」の視点も盛り込んだ老子の総括的内容となっております。

難解をもって知られる老子の思想を、
咀嚼〔そしゃく:よくよくかみ砕き味わうこと〕してポイントをまとめあげ、
そしてビジュアル化も図った労作です。

“PART 1”は第1回目・第2回目で、“PART 2”は第3回目第4回目で用いました。

また、当真儒協会副会長・嬉納禄子〔きなさちこ〕女史により、
全4回のビデオ録画をしていただきました。

これらのテキスト教材やDVDは、後学の人のために良きツール〔手段・方法〕となることでしょう。


◇オリジナル・テキスト(“PART 2”)の内容項目のあらましは、以下のとおりです。

『 安岡正篤先生に学ぶ 「老子」 (“PART 2”) 』  by.盧 秀人年

                       * カット: 横山大観・画
                        引用資料: 朝日新聞/同“天声人語”

『老子道徳経』 ※(本文各論)解説

(“PART 1 の続き”)

 道 と 徳 
  【 老子: 51章 】
   (養徳・第51章)   ≪ 老子のキーワード ―― 「道」と「徳」 ≫ 
                  §.「道 生 之」

  / 愚 / 無知  
  【 老子: 20章/第48章 】
   (異俗・第20章)   ≪ 老子の 「絶 学」 ≫ 
                  §.「絶 学 無 憂」
   (忘知 第48章)   ≪ 老子の 「学」と「道」 ≫ 
                  §.「為 学 日 益」/「無 為 而 無 不 為」

  ( 不争謙下 )
  【 老子: 8章/66章/(68章)/78章 】
   (易性・第8章)    ≪ 老子の思想の“象〔しょう〕”は、 ・・・ 水 ≫
                  §. 「上 善 若 水」
   (任信・第78章)   ≪ 水の “柔弱の徳” ≫
                  §. 「天 下 柔 弱」 

   ◆コギト(我想う) ・・・ 《 水【坎】 を楽しむ 》 :
    → はじめに 【坎】 と 【離】/
    トピックス〔時事(2011:春)〕 ― 水 【坎】に想う(2012記)/
    易(象)と水/孔子(/孟子)と「水」/孫子と「水」・・・「兵形象水」/
    日本文化の「水」/水=川の流れ・・・鴨長明・『方丈記』/
    レオナルド・ダ・ビンチと「水」

 雌・女(母)性 
  【 老子: 6章/28章 】
    (成象・第6章)   ≪ 陰・女(母)性的なるもの ≫
                  §.「谷 神 不 死」/「玄 牝 之 門」
    (反朴・第28章)  ≪ 素朴へ返れ ―― 雌・黒・辱を守れ ≫    
                  §.「知 其 雄 」

 運命論(禍福循環) 
  【 老子: 58章 】 cf.塞翁馬
    (順化・第58章)  ≪ 老子の運命論 /cf.“塞翁が馬” ≫
                  §.「其 政 悶 悶 」 
    ◆原典研究 ・・・ 《「塞翁馬」》(『淮南子』)

 (黄老)政治/指導者(リーダー)    聖人・君子/ 指導者〔リーダー〕像
  【 老子: 17章/ (54章)/ 49章/ (26章)/ (58章)/60章 】
    (淳風・第17章)  ≪ 指導者(リーダー)のランキング ≫ 
                  §.「太 上」 
    (任徳・第49章)  ≪ 儒学/孟子 に同じ! ―― 指導者〔リーダー〕像 ≫
                  §.「聖 人 無 常 心」
    (居位・第60章)  ≪ 理想の政治 ―― 「若烹小鮮」 ≫
                  §.「 治 大 国 」

 不戦(非戦)・不争  
  【 老子: 31章 】 (30章/81章) (*安岡正篤:「シュヴァイツァーと老子」 )
    (偃武・第31章)  ≪ 老子の平和主義 ―― 「戦勝以喪礼処之」 ≫ 
                  §.「夫 佳 兵」
   ◆コギト(我想う) ・・・ ≪ 老子の“現実的平和主義” に想う ≫ :
    → はじめに /老子の平和主義・反戦思想/老子とシュヴァイツァー&トルストイ/ 
    安岡正篤・「シュヴァイツァーと老子」/(空想的)平和主義・反戦/スポーツと戦い/
    結びにかえて 

 国 家 
  【 老子: 小国寡民/60章 】
    (独立・第80章)  ≪ 老子のユートピア(理想国家・社会)思想 ≫ 
                  §.「小 国 寡 民」 
   ◆原典研究 ・・・ 《「桃花源の記」》(『陶淵明集』より 陶 潜〔淵明〕) 


《 結びにかえて 》 ・・・ 『老子三宝の章』/「無名で有力であれ」「壺中天」(安岡正篤)
  【 老子・三宝: 67章/81章 】
    (三宝・第67章)  ≪ 老子の 「三宝」 ≫
                  §.「天 下 皆 謂」 


    ―――― 名で力であれ」 (安岡 正篤) ――――     


  ● 六 中 観   ぁ壺中  有り : どんな壺中の天を持つか

  ☆  《 壺中天 》 : 黄老の世界 ―― 現実の中にあって心中は隠者の世界に遊ぶ ・・・
                      ( 学ぶ → 楽しむ → 遊ぶ )    by.盧


(※オリジナル・テキストの具体的内容は、ブログ【儒灯】・定例講習「老子」で逐次〔ちくじ〕ご覧になれます。)

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 今回の研究発表を終わるにあたり、有名な「老子三宝の章」(§.67章)を扱いました。

そして、結びにかえて、老子のキーワードと他の思想のキーワードとの関連、
安岡先生のモットーであったという「名で力であれ」 と 
「六 中 観」の“壺中天有り ”について語りました。

そのテキスト教材の一部を、以下抜粋引用いたしておきます。


「所謂『老子三宝の章』といって有名な言葉であります。
今日のように全く老子と反対に枝葉末節に走り、徒に唯物的・利己的になり、
従って至るところ矛盾・衝突・混乱を来してくると、
肉体的にも生命的にもだんだん病的になる。
善復た妖となるで、元来善であり正である筈の文明・文化がそれこそ奇となり妖となる。
今日の文明・文化は実に妖性を帯びております

こういうことを考えると、我々は老子というものに
無限の妙味を感ぜざるを得ないのであって、
これを自分の私生活に適用すれば、この唯物的・末梢的混濁の生活の中に
本当に自己を回復することが出来るのであります。
こういう風に絶えず現代というもの、われわれの存在というものと結びつけて
生きた思索をすれば、読書や学問というものは限り無く面白く又尊いものであります
。」

(*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 pp.134-135引用)


【老子:むすびに】 ( ジ・ジン・ヒ・アイ )

老子【慈】 ≒ 孔子【仁(忠恕)】 ≒ 釈迦【悲(慈悲)】 ≒ イエス【愛】

「道」/無為自然 ≒ ☆ハーモニ/バランス ≒ *中庸/中和・時中

harmony 〔調和〕 / balance 〔均衡〕 
「中」の: 1)ホド、ホドホド  2)止揚〔アウフヘーベン〕


 ―― − − − − − − − − − − − − − − − − − − ――


―――― 名で力であれ」 (安岡 正篤) ――――

六中観

 
1.忙中  有り : 忙中に〔つか〕んだものこそ本物の閑である。
2.苦中  有り : 苦中にんだ楽こそ本当の楽である。
3.死中  有り : 身を棄〔す〕ててこそ浮ぶ瀬もあれ。
4.壺中  有り : どんな境涯でも自分だけの内面世界は作れる。どんな壺中の天を持つか
5.意中  有り : 心中に尊敬する人、相ゆるす人物を持つ。
6.腹中  有り : 身心を養い、経綸〔けいりん〕に役立つ学問をする。

   cf.1→「閑な時の読書身につかず」  3→「窮鼠〔きゅうそ〕猫をかむ」


「私は平生〔へいぜい〕 窃〔ひそ〕かに此の観をなして、
如何なる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、
精神的空虚に陥らないように心がけている。」

          ( 『安岡正篤・一日一言』、致知出版社 引用 )


☆ 《 壺中天 》 : 黄老の世界 ―― 現実の中にあって心中は隠者の世界に遊ぶ ・・・
                      ( 学ぶ → 楽しむ → 遊ぶ )      by.盧


                                                
 ( 以 上 )


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『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第3回)

※この記事は、『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第2回) の続きです。

『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想 其の2(第3回)

─── 変化の思想/「無常」/「変易」/陰陽思想/運命観/中論/
“居は気を移す”/兼好流住宅設計論( ── 「夏をむねとすべし」)/
“師恩友益”/“益者三友・損者三友”/「無為」・「自然」・「静」/循環の理 ───


【★第117段】   友とするにわろきもの 

《 現代語訳 》----------------------------------------------------

友とするのに良くないものが、七パターンあります。 

第一には身分が高く高貴な人、
第二には(歴年齢の)若い人、
第三には持病がなく(健康で)身体の丈夫〔じょうぶ〕な人、
第四には酒を好む人、
第五には強く勇み立っている武士、
第六にはうそをつく人、
第七には欲の深い人です。

(一方、)善い友には三パターンあります。 
第一には物をくれる友、
第二には医師、
第三には知恵のある友です。

--------------------------------------------------------------------

この段、兼好法師の人間・人生洞察深いものがあり、
私の学生時代から感銘を受けている段の一つです。

「友とするにわろきもの七つあり。 ── 」・「よき友三つあり。 ── 」 と
良悪の友を述べています。

いつの時代においても、人間形成・人生行路において、
“師と友”は大切です。

吉田松陰先生は、
「徳を成し材を達するには、 師の恩 友の益 多きに居る。
故に君子は交游を慎む。」
(士規七則) と述べられております。

この“師恩友益”は、
安岡正篤先生の“(関西)師友協会”の名称の由来となってもいます。
(現在、“関西師友協会”会誌の名前が“師と友”です。) 

私は、安岡先生が“師恩友益”と軸に書かれたものをよく目にしております。

さて『論語』に、「益者三友・損者三友」とあります。
この段は、これにヒントを得たものでしょうか?

○ 「孔子曰く、益者三友。損者三友。
直〔ちょく/なお・き〕を友とし、諒〔りょう/まこと〕を友とし、
多聞を友とするは、益なり。| 
便辟〔べんへき/べんぺき〕を友とし、善柔〔ぜんじゅう〕を友とし、
便佞〔べんねい〕を友とするは、損なり。」
 (『論語』・季氏第16−4)

〔孔先生がおっしゃいました。
「自分に有益な友が三種、有害な(損のある)友が三種あります。
正直な人(直言して隠すことがない者)を友とし、
誠心の人(誠実で表裏のない人)を友とし、
もの知り(博学で古今に通じている人)を友とするのは有益です。|
(反対に、)(便辟=)体裁ぶって直言しない者を友とし、
(善柔=)うわべだけのこびへつらい者を友とし、
(便佞=)口先ばかり達者で実のないものを友とするのは、有害(損)です」 と。〕


この段が、形式的には『論語』から思いついたにしても、
内容的には兼好法師自身のオリジナルでしょう。

「よき友三つあり」 で、それを現代に擬〔なぞら〕えれば。

「一つに物くるる友」は気前のいい金持ち・財界有力者の友、
「二つにはくすし」は医師、
「三つには知恵ある友」は学者教師(?)・ブレーン参謀・
法曹界のスペシャリスト(弁護士など)の友、といったところでしょうか。

ちなみに、ヨーロッパにもこんな話があります。

夜更け、突然に友人宅を訪れたところ、
その良き友人は“片手に剣、片手に金”を持って出てきて
「(必要なのは)剣か金か?」と言ってくれたというお話です。

平和な、当世わが国では(法治国家ですので)、
“剣”は、さしずめ、弁護士などの“法のPower”や
政治家のもつ“権力・人脈のPower”
といったところでしょう。

また、“ペンは剣よりも強し”で、
マス・メディアの“情報=口のPower”も物騒なものです。

とりわけ、現代大衆社会に於いては、マス・メディアの弊害は甚大です。

一方、“金=貨幣のPower”・“経済のPower”は、
一般に古今東西を問わないようです。

いつの世も、“ ── それにつけても 貨幣〔かね〕のほしさよ”ですね。!


「友とするにわろきもの七つあり。」 

→ 「二つには若き人」 について。

私も、若い頃(学生時代)には、
この文言〔もんごん〕の深意が今一つ実感できませんでした。

今の年齢・立場になってみると、つくづく、しみじみと実感されます。

若い人(=若さだけの人)は、老人の経験・英知を尊敬できず、
むしろ莫迦〔ばか〕にしています。

老人と若者とは、ものの考え方・道理の解し方・趣味嗜好が異なり
面白く交わることが出来ないの意で、一般には解せましょう。

「今時〔いまどき〕の若い者は、・・・云々〔うんぬん〕」と、一言するようになると、
自分が精神的にも老〔ふ〕けてきた証〔あかし〕であるナとは思います。

老いると、若者の未熟さ・愚かさ・傲慢さが
殊更〔ことさら〕に癇〔かん〕に障〔さわ〕るものです。

いつの世でも、才徳ある善くできた高齢者からみれば、
若者は浅薄で身勝手なものに見えるのでしょう。

とは言え、それにしても、今の時代の若者気質は
(自分の若かりし頃に比べても)ひどすぎます。

日本に来ている外国人は、
電車の中で(混んでいる時)優先座席に平然と座り、姦〔かしま〕しく喋っている若者を
不思議に思っているといいます。

道や通路の定められた片側も歩けず、自転車もまともに駐輪できずにいて、
自己中心的に(義務をワキにおいて)おのれの権利ばかりを主張する若者たちです。

“厚顔無恥なる新人類”といったところです。

『論語』に、後生畏るべし。焉〔いずく〕んぞ来者の今に如かざるを知らんや。」
(『論語』・子罕第9−23) とあります。

これは、若さによる未来の可能性だけの問題ではありません。
しっかりと、自己を研鑽〔けんさん〕し徳を磨いていればこその未来です

社会の未来は、次代を担うべき若者の中に“兆〔きざし〕”を読むことができるわけです。

一例をあげれば、わが国幕末“ペリー来航”(1853.6/1854.1)という大震の時期、
後の日本史上に輝く維新の英傑たちは、
当然ながら、青々とした若者だったわけです。 *補注1) 

孔子の弟子は、「蓋〔けだ〕し三千」(『史記』)ともいわれました。

然るに、「後生畏るべし」といえる弟子は顔回(顔淵)唯一人であったことも、
併せて知っておきたいものです。

私は、青少年を教えるという仕事がら、
数多〔あまた〕(おそらく数万人)の若者を知っていますけれども、
「後生畏るべし」 という青少年は唯一人しか知りません。

まったく文字どおり、“後世 恐るべし”の想いです。

物質文明の繁栄と反比例した、こころ・教育の貧しさの故です。

→ 「三つには病〔やまい〕なく、身強き人」 については。

健康で丈夫な人というものは、一般的に解すれば、
健康の有難みが実感できず、
病気の人や弱い人の気持ちや痛み・悩みへの理解に欠けるものがありがちだからでしょう。

確かに日常の経験からも、健康で丈夫な人は、
病人・弱者といった他者への同情や思いやり(仁=愛=慈悲)のないことがままありますね。

“一病息災〔いちびょうそくさい〕”という言葉があります。

歳を重ねるにつれて、一つくらい持病があって当たり前です。

むしろ、そのくらいの方が、善く自ら摂生〔せっせい〕して
“養心養生(性)〔ようじんようじょう〕”することで、
大過なく寿〔いのちなが〕し、というものです。

“少子化”“(超)高齢社会”がますます進展する、わが国平成の御世ですから、 *補注2) 
以上2つの「わろきもの」 については、
改めて、よくよく考えねばならないことだと想います。


補注1)

西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・山県有朋・福沢諭吉 ・・・etc. 
明治維新の英傑たちは、当時みんな若者だったわけです。

まさに、“後生畏るべき”若者輩が多士済々だった時期といえましょう。

なお、幕末の革新は、かれらニユーリーダーたちの
“若きPower”で推進されたと思われがちですが、そうではありません。

老若〔ろうにゃく〕相携えて、
二人三脚で “鼎新〔ていしん〕”し新しい時代を創ったのです。

だからこそ、一連の改革変化を“明治革命”といわずに“明治維新”と呼ぶのです

彼らが、長じた明治初期の新政府の陣容を推測してみますと。
当時のわが国は、弱小ひ弱な少年のような新興国家ではありました。

が、私は、明治天皇を中心に彼らが会議をしている場面を想像すると、
日本史上でキラ星のごとく人材が充実した会議であると圧巻に思います。

そして、その原因は、江戸時代・幕末期の教育と
明治以降・大東亜戦争以降の教育の差にあると認識せざるをえません。


補注2) ≪データ資料≫ 

日本人の平均寿命は、女性86.39歳(26年間連続長寿世界一)、
男性79.64歳(世界第4位) ─ (2010年) 

★【2011年;女性85.9歳(世界第2位)、 男性79.44歳(世界第8位)、
→ DOWNは東日本大震災による死亡のため】/
高齢化率(満65歳以上の人口比)は、23.1%。 ─ (2011年) 

cf.
高齢化社会:満65歳以上の人口比7%以上
高齢社会:満65歳以上の人口比 14%以上
超高齢社会:満65歳以上の人口比 21%以上
→ 2020年には26.9%(4人に1人)ともいわれます。/
年少人口(15歳未満)の割合、13.2%。─ (2011年)/
合計特殊出生率、1.39人─ (2011年)、1.25人─ (2005年)


*===========================================================================*

【第127段】   改めて益〔やく〕なきことは 

《 現代語訳 》----------------------------------------------------

改めても効果のないことは、(むしろ)改めないのがよいのです。



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。

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元号(年号) と 経書(四書五経)   その4

この記事は、元号(年号) と 経書(四書五経) その3 の続きです。



元 号(年号) と 経 書(四書五経)   その4

───  元号/平成・昭和・大正・明治 ・・・大化/「平成」と安岡正篤氏/
経書/“明治維新”/「貞観」と太宗/“日出づる処”の国  ───


《 経 書 ── 四書五経 》

儒学の重要な本を、経書〔けいしょ〕”・“経典〔けいてん〕”と呼びます。
“経”は、経糸〔たていと〕の意です。
“五経”は、国教となった漢代から儒学の根本経書(五大聖典)です。

── すなわち、『易経』・『書経』・『詩経』・『礼記』・『春秋』
(*失われた『楽経』を加え六経〔りくけい〕ともいいます)がそれです。

 “四書”は、“五経”とならぶ儒学の根本経書です。

南宋の朱熹朱子:1130〜1200)が、『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』 の四つの書を
高く評価しました。

朱子がその注釈書 『四書集注〔しっちゅう〕』 を著してから
経書としての地位が不動になりました。

朱子は、この“四書”や形而上学である 『易経』 を拠り所にして、
“朱子学”を大成
し東洋思想の大きな源流となりました。

“四書五経”は、儒学が官学となり、
“科挙”という国家官吏登用試験の受験科目となると、
受験者必修のテキストブックとなりました。

いやしくも、時代の指導者(リーダー/エリート)たらんとするものは、
皆、これらを学修して善しとしたわけです。

この九書に、幼くして学ぶ 『孝経』 を加えてちょうど 10 の必修経書です!


 “日のさす処:asu〔アズー〕 = アジア:ASIA ”が、
“儒学(朱子学)文化圏”を築き

平和で文化が馥郁〔ふくいく〕と香った一つの時代がありました。

主要三国が、中国(=明−清)・朝鮮(=李氏朝鮮)・日本(=江戸時代)と重なる
300年ほどの時代です。

この間、老若男女、一般人から大人知識人まで、
これらの経書(古典)を学修し実践したのでした。

アジアの古き善き時代でした。

 21世紀の現在、共産国の中国では(真意の程はともかく)、
儒学を再び国の教えと位置づけ、子弟は『論語』を熱心に学んでいます。

韓国では、その国旗(太極旗/テグキ)に太極と(四)卦象がデザインされているように、
今なお儒学的伝統が残っています。

 現代の日本はと言いますと、
この 10 の経書(古典)は一つとして教育の場で学ばれることなく、
忘却の彼方へ消え去ろうとしています。

ただ、僅かに、ささやかに『論語』学習のともし火が保たれ、
一般社会で少し再燃焼しかけた時勢です。 

 ── まさに、往時と隔世の感です。

易学的にいえば、【地下明夷〔ちかめいい〕】 卦です。

【明夷】 とは、地中の太陽(離)、“天の盤戸〔いわと〕隠れ”の象〔しょう〕にて、
明らかなもの、正しきものが傷つけられやぶれるの意です。

“君子の道 閉ざされ、小人はびこる”、後のない時代、蒙〔もう〕の時代です。

 四書・五経 の説明は、次の機会に譲るとして、一言のみ呈しておきましょう。

 欧米(キリスト教圏、ベストセラー著書)の『バイブル〔聖書〕』に対して、
東洋のそれは、『論語』であるといえましょう。

四書の筆頭・『論語』は、孔子とその門下の言行録です。

応神天皇16年、王仁〔ワニ〕によって伝えられたとされ、
以後 『孝経』とともに大学の必修となりました。

偉大な、“処世哲学の書”であり、“円珠経”とも“宇宙第一の書”とも絶賛されています。

 儒学経書(五経)の筆頭・『易経』 〔“The Book of Changes”〕は、
万物の変化とその対応の学。

東洋の源流思想であり、帝王(リーダー)の学です。

私は、“東洋のバイブル”が 『論語』なら、
“東洋の奇(跡)書”
と呼びたく思っております。

私見ですが、実践哲学の書『論語』と、形而上学の書『易経』とを、
“儒学経書の両翼”
との認識を持っています。 

 『易経』は、世界と人間(人生)の千変万化を、
“ 64卦(384爻)”のシチュエーション〔 situations 〕
(シーン〔 scenes 〕) にしたものです。 

「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。」(繋辞上伝) ですので、
それ(64卦・384爻)を ものごとを象〔かたど〕る“象〔しょう〕”と、
解説する言葉=“辞”とによって深意・奥義を表示しています。

 さらに「易経本文」に、孔子及びその門下の数多が(永年にわたって)著わした
「十翼」(10の解説・参考書)が合体します。

辞と象の、さらに易本文と十翼の融合合体が、『易経』の真面目〔しんめんもく〕であり 
“奇書”の“奇書”たるゆえん
でありましょう。

『易経』の真義を修めることにより、個々人から国家社会のレベルにいたるまで、
“兆し”・“幾”を読み取り、生々・円通自在に変化に対応できるのです。

 ── ちなみに、些事〔さじ〕を一つ加えておきましょう。

今では少々昔のこととなりましたが、古本屋で易書をあさっておりました時、
思わぬ掘り出し物を入手致しました。

“五経”の全11巻です。

文化9年の序・寛政庚戌年の序があるので、
今からざっと200年ほど前の江戸後期の代物です。

寺子屋や藩校での教科書となっていたものでしょう。

 “五経”の筆頭が『易経』 と言いますが、この“五経”の序文も『易経』にあるので、
やはりそうなのかナ、と納得した思い出があります。

そして、『易経』・2巻には「乾」と「坤」の文字が、
『書経』・2巻には「天」と「地」の文字が、
『詩経』2巻には「上」と「下」の文字が、
『礼記』・4巻には「元」/「亨」/「利」/「貞」 (乾為天の卦辞4文字)、
「春秋」・1巻には「完」の文字が、タイトルの下に書いてありました。

江戸の人々のデリカシーに感心いたしました。



《 むすびに 》 

最も重要にして大なる言霊であるともいえる「元号」の名称は、
以上のように専ら儒学・“経書”から採られています。

それは、東洋の優れた文化の精華が、“経書”(四書五経など)に集約されていて、
その儒学の思想が皇室と相俟って、
日本の“古き善きもの”を形成している
からに他なりません。

言葉・言霊の重厚さ品位において、
“至れるもの”は、必然的に“経書”に典拠を求めることとなったのです。
(とりわけ、『易経』・『書経』が多いように感じています。)

(伝)応神天皇16年。『論語』・『千字文』が伝来したことに始まり、
この優れた大陸(中国)の儒学文化 ── 易の専用語でいえば【離〔り〕】 ── を
受容吸収してまいりました。

その時から、わが国は大きく進化・発展したのです。

“智” を示す【離】は、同時に日・太陽であり、
聖徳太子の歴史的言霊「日出づる処」の国となったのです。

日本は、「倭・大和〔わ・やまと〕」の昔より、古く永く中国に学び、
近代はヨーロッパ諸国(列強: 英・仏・独)に学び、最近ではアメリカに学びました。

尤〔もっと〕も、ヨーロッパ列強については、
その植民地政策・外圧に防衛対抗するための富国強兵策としての“学び”でした。

対アメリカにいたっては、占領下に強制されたもので
毒され害されたものも多かったのです。

ここに、精神的(文化的)には半ばアメリカに占領されたままのような日本の現状があります。

このように、畢竟〔ひっきょう〕、古き善き中国に学んだものが、
アジア(“日出づる処”の意)人の DNA に根差した本源的なものを形成している
のです。

我々の先祖は、実に善く学び吸収し、活かしてきました。
それは、(山鹿素行の言葉を借りれば)“陶鋳力〔とうちゅうりょく〕”
すなわち非常に優れた独自の受容吸収力です。

例えば、漢語(中国語)を借りて表記し、日本語化し(漢文訓読)、
漢字から“ひらがな・カタカナ”を創始しました。

言葉は、文化の元始〔もとはじ〕まりに違いありません。

“「一〔いつ〕」なるもの”(不易なるもの)は、“受け継がれるもの“でもあります。

しかるに、日本人はこの貴重なミーム〔文化的遺伝子〕を、
敗戦後の被占領を契機に手放し始め、
平成の現世〔いま〕、まさに亡失の危機に瀕しています。

平成の時代は、尊いものを卑しめ・貶〔おとし〕めて平然としている人々が満ちている時勢です。

恰〔あたか〕も、大事故で一時的に、善き記憶を喪失して“呆〔ほう〕けている”ようにです。

事態は、(そうであることを多くの人が認識していない分)重篤です。

それでもなお、正しき(離)を説き、蒙(隅)を照らさんとする人はまだいます。

一本の燐寸〔マッチ〕の炎でも温存していれば、
やがて時を得て、大火となって燃え拡がり照らし輝かすことができます


かつて、シュペングラーが『沈みいくたそがれの国』を著し、
近代ヨーロッパ文明の消滅を予言してから久しいものがあります。 補注6) 

が、このままでは、わが国は、
滅びゆく“日の没する(たそがれの)国”に
なり下がってしまうのではないでしょうか


自国の文化・伝統・歴史を、おざなりにして大切に出来ないのは実に恥ずかしいことです。

“グローバル化”がますます進展する時勢の中で、
今、日本と日本人の“忘れかけているアイデンティティー〔自己同一性:自分は何か?ということ〕”が
問われているのです。


補注6)
ドイツの歴史哲学者 オスヴァルト・シュペングラー 〔Spengler 1880-1936 〕は、
その著 “Der Untergang des Abendlandes”〔『西洋の没落』 あるいは 『沈みいくたそがれの国』〕で、
資本主義社会の精神的破産と第一次大戦の体験から西洋文明の没落を予言し、
たいへんな反響を呼びました。
すなわち、近代ヨーロッパ文明は既に“たそがれ”の段階であり、
やがて沈みゆく太陽のように消滅すると予言したのです。


                                             ( 完 )



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元号(年号) と 経書(四書五経)   その2

この記事は、元号(年号) と 経書(四書五経) その1 の続きです。



元 号(年号) と 経 書(四書五経)   その2

───  元号/平成・昭和・大正・明治 ・・・大化/「平成」と安岡正篤氏/
経書/“明治維新”/「貞観」と太宗/“日出づる処”の国  ───


《 「昭和」・「大正」・「明治」 》 

 大正15年12月25日、大正天皇が崩御され(48歳)、
摂政・裕仁〔ひろひと〕親王が即位され昭和と改元されました。

「百姓照明、協和万邦」が典拠です。

“百姓(漢文ではヒャクセイと読みます)”とは、人民・一般ピープルのことです。
人民がそれぞれの徳を明らかにすれば、
あらゆる国々を仲好く和〔なご〕やかにさせることができるということ。

君民一致による世界平和の意です。

昭和」・「大正」・「明治」 の出典を整理すると次のとうりです。


【昭和】   
1926年 12月 25日 ─ 1989年(S.64) 1月 7日(平成元年)

出典 : 『書経』・堯典〔ぎょうてん〕 の 「百姓明、協2 万邦1。」
      (百姓〔ひゃくせい〕昭明にして、万邦を協和す)

cf.昭和維新 ・・・ 1930年代の日本で、軍部急進派や右翼がかかげた国家革新の標語。
明治維新になぞらえ,天皇親政の実現を目指しました。
 

【大正】
1912年 7月 30日 − 1926年(T,15) 12月 25日(昭和元年)

出典 : 『易経』・「地沢臨」卦・彖〔たん〕伝 の 「亨以、天之道也。
      (大いに亨〔とお〕りて以て正しきは、天の道なり。)
他に : 『易経』・「山天大畜」卦・彖〔たん〕伝 の 
      「剛上而尚レ賢、能止レ健、大正也。」
      (剛上りて賢を尚〔たっ〕ぶ、能〔よ〕く健を止むるは大正なり。)
      《陽爻が上爻に上っているのは五爻の君主が賢人を尚ぶ象〔しょう/かたちです。
      立派に健、すなわち乾の尊いものを止めているのは、
      大いに正道に適っています。》
    : 『易経』・「天雷无妄」卦・彖〔たん〕伝 の 「亨以、天之命也。」
      (大いに亨りて以て正しきは、天の命なればなり。)

 cf.ちなみに、大阪市に「大正区」、大阪環状線の駅に「大正」の名称があります。


【明治】
1868年(慶応4年) 9月 8日改元 ─ 1912(M.45) 7月 30日(大正元年)

出典 : 『易経』・説卦伝 の  「聖人南面而聴2 天下1 、※ 。」
      ( 聖人南面して〔位について〕天下を聴き、明に嚮いて治む。 )
       ※ 『尚書』 の 「明君の治」を 出典とする説あり
    : 『孔子家語〔けご〕』 の 五帝徳
      「長聡2五気1、設2五量1、撫2万民1、度2四方1、・・・」
      (長じて聡明、五気を治め、五量を設け、万民を撫〔ぶ〕し、
      四方を度〔はか〕り、・・・ )
      《 (黄帝は、)・・・成人してからも聡明で、五行の気を治めて、
      五量を定めて、すべての人々を思いやり愛〔いつく〕しみ、
      諸国を調査測量し、・・・・ 》

※ 当時の落書き: 「おさまる めい(明)、と下からは読む」


cf.明治維新  ・・・ 「維」は“これ”の意の発語、革新。 補注3) 
       
出典1: 「周雖2旧邦1、其命維新。」 (『詩経』・大雅 文王)
出典2: 「詩に曰く、周は旧邦なりと雖も、其の命維〔こ〕れ新たなりと。」
      「苟〔まこと〕に日に新た、日々に新たに、また日に新たなり。」 
                             (『大学』)

      ※ 「革命」: Revolution  と 「進化」: Evolution


補注3)
徳川幕府を倒し、近代国家を建設するに至る社会変革の過程を総称して
明治維新といいます。

易学は、世界(社会)と人間(人生)の維新の研究、
維新の学問にほかなりません


わが国の明治革命が、“革命”でなく“維新”と呼ばれるのは、
それが漸進的〔ぜんしんてき: 少しづつ善く変わる〕な、
進化のプロセスであったからに他なりません。

易でいえば、革命の語源になっている 【沢火革】の卦と
それに続く【火風鼎〔てい〕】の卦のことです。

【革】は破壊で、「革命」: Revolutionです。
【鼎】は建設で、「進化」: Evolution です。

ですから、変革・改新は、“革鼎”⇒ 鼎新 でなければならないのです。

わが国の明治の変革は、そうであったのです。

例えば、幕府は「大政奉還」し、江戸城は無血開城し、
江戸は戦火をまみえることもありませんでした。

新勢力が倒すべき旧勢力のトップ・将軍慶喜公は、殺されることなく、
悠々自適に専ら好きな“カメラ”で風流・優雅な余生をおくります。

“西郷 vs 勝”会談で、江戸城無血開城を実現した幕府代表の幕臣・勝海舟は、
貴族院の議員ともなり明治政府を側面からバックアップしています。

そして、若・壮年者(ニューリーダー)と古老(オールドリーダー)とが、
協力し和して幕末から明治の変革を推進していった点
も見逃せません。── などなど、
実にわが国の明治の変革は、世界に誇れる立派なものです。

これに対して、欧米の市民革命の中で、
唯一つ“名誉革命”( Glorious Revolution 1688-1689/無血革命) 
と名付けられたものがあります。

それは、裏を返せば、他の革命が血で血を洗うがごとき、
激しく急激な破壊と殺戮の【革】であったからに他なりません。

── 蛇足ながら、付言いたしておきます。
“維新”という語は、その言霊〔ことだま〕を慕って、
巷間〔ちまた〕でもよく使われています。
それも、残念なことに、安易・軽佻〔けいちょう〕にです。

私には、“維新”の言霊の品格が汚されているように感じられてなりません。

ローカルな話題で恐縮ですが、大阪府では、(橋下)知事が、
府議会の会派として “大阪維新の会”を設立しております。

今春(‘11.4)の統一地方選挙に向けて(知事選挙は1年後)、
自民党を中心に(離党して?)おおくの現職議員が加入し、
数において第一党になっております(’10.11〜)。

パフォーマンス豊かで、メディアも便乗してさかんに報じています。

私、想いますに。
知事はじめ“維新”を唱えるご歴々は、皆“大学”も出られて
表面的にはインテリなのでしょう。が、しかし、
実際、『大学』や『詩経』を読んでいるのでしょうか?

その経書に蔵された為政者の精神を理解〔わか〕っているのでしょうか?

易の、革鼎・漸進的進化がどこまで理解っているのでしょうか? 

その唱える変革に、“維新”がカッコづけに用いられているように思えてなりません。
そして、政治家の易卦【水沢節】にいう「節」(節操・志節)なきを想います。




《 大化 〜 慶応 》
 
645(皇極〔こうぎょく〕4)年 6月19日
中大兄皇子〔なかのおおえのおうじ〕・中臣鎌足〔なかとみのかまたり〕らは、
蘇我入鹿〔そがのいるか〕を飛鳥板蓋宮〔あすかいたぶきのみや〕で暗殺。

翌日には、父の蝦夷〔えみし〕を自殺させ、
ここにクーデターを成功させました(乙巳〔いっし〕の変)。 

6月19日、中国にならって日本初の年号を定め、
名を大化としました。

以後日本史は、大王〔おおきみ:=天皇〕を中心とする
中央集権国家の建設が推進されてゆくこととなります・・・


※ この続きは、次の記事(元号(年号) と 経書(四書五経) その3)をご覧下さい。

(・・・慶応〜大化/「貞観」と太宗/経書/“日出づる処”の国)




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元号(年号) と 経書(四書五経)   その1

元 号(年号) と 経 書(四書五経)   その1

───  元号/平成・昭和・大正・明治 ・・・大化/「平成」と安岡正篤氏/
経書/“明治維新”/「貞観」と太宗/“日出づる処”の国  ───


《 はじめに ・・・ 元号表記をめぐって 》
 
 「2011年」といったような西暦の表記か、
「平成二十三年」といったような元号(年号)表記か、
(あるいは両方併記か)をめぐって、さかんに論じられた時期がありました。

 私は、(東西)歴史全般を教えていますので、
「世界史」を講義していると西暦中心ですし、
「日本史」・「中国史」を講じていると元号中心です。

数字の西暦は、合理的でわかりやすい気がしますし、
漢字の元号は、親しみやすくイメージが広がり素敵です。

 若い世代には、西暦表記が何かしら新しいもの、一般的なもの、
良いようなものと錯覚しているむきがあるように思います。

また、尊いものを卑しめて平然としている風潮が横行している時勢です。

そもそも、甲論乙駁〔こうろんおつばく〕する問題ではなく、
文化圏の暦表記です。

 「西暦」は、キリスト教(文化圏)での暦です。
イエス・キリストの生誕を元年とする数え方です。

すなわち、イエスの生誕以前を BC.〔(英):ビフォアークライスト/紀元前〕、
イエスの生誕以後を AD.〔(ラ):アンノドミニ/紀元後・・・キリスト以後の意。
通常は面倒なので略されます〕とします。 補注1) 

イスラム教(文化圏)では、「イスラム暦」があります。
我国には、「皇紀」があります。が、今は普通用いられません。
それはそれで、時代の変化でよろしいかと思います。

ただ しかし、「皇紀」そのもののわからない人、
「皇紀」と聞いただけで天皇制軍国主義などとすり替えてしまう人がいるのは、
その偏、まことに残念に思います。

 私が考えますに、年号は、東洋・日本の文化です。
西暦のみにすり替えてしまうのは、いかがなものでしょうか。

日本は、かつて一時期(近代)、日本語そのものをなくして英語にしようとか、
フランス語にしようとかといった極論もありました。
(被占領時、GHQ による強い漢字廃止・ローマ字表記論もありました。)

 少なくとも、元号をなくしてしまうと、
ずい分、味気のない情のないものになってしまいます

例えば、“慶應義塾大学”・“明治維新”・“大正デモクラシー/ロマン”
・“激動の昭和”・“平成の世代” ・・・ などといった表現の情緒は消え失せて、
無機的な数字の羅列表現になってしまうのは、非常に寂しいものがあります。

“21世紀初頭”・“2010年代”・“2010年クーデター” ・・・ 
それこそ、無味灰色な歴史の受験勉強みたいですね! 

それでもそれで良しとする人がいたら、
無粋〔ぶすい〕、日本の“あわれ・をかし”を解さぬ人であると言いたいものです。

 今回は、このわが国の年号を、
儒学の経書との連関の切り口で考察してみたいと思います。  


補注1) 
イエスの誕生年と西暦元年には、数年のズレがあります。
また、西暦に「0」の考え方はありません。
1年から始まり、1年〜100年を 1世紀としました。
例えば、シャルルマーニュ(チャールズ大帝)の戴冠の 800年は、8世紀。
801年からが、9世紀です。

 

《 元号とは / 一世一元の制 》

 元号は、年号ともいいます。
古代中国で、BC.140年に前漢の武帝
(儒学を国教〔国の教え・教学〕化したことでも有名です)
によって制定された「建元〔けんげん〕」に始まります。

 我国では、645年の “大化の改新”による「大化〔たいか〕」が最初です
(645年6月19日 ※後述)。

701年の「大宝」以降は、途絶えることなく制定され続け、
現在の平成に至っています。

したがって、日本の元号は、1300年以上の歴史を持っているということです。

 一世一元〔いっせいいちげん〕の制は、
(中国では)皇帝一代を一年号とする制度です。

明〔みん〕の初代皇帝(太祖)・朱元璋〔しゅげんしょう〕の、
“洪武〔こうぶ〕”(帝)に始まります。

 わが国では、天皇一代の年号を一つだけに定めるものです
(:一代一号、在世途中で改元しない)。

1868年9月に、(明治新政府が)慶應を改め
明治と改元した詔〔みことのり〕で制定しました。

それまでは、年号は、瑞祥〔ずいしょう〕・災禍〔さいか〕といった
天変地異や暦の吉凶など、さまざまな理由で改元されていたのです。

 さらに、その元号は天皇の追号に用いられますので、
元号と天皇は不離一体の関係にあるといえましょう。

1979(S.54)年に、元号法が改正され、
現在元号制定についての権限は、内閣に属しています。

 

《 「平成」 と 安岡正篤氏 》

 昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御され(87歳)、
明仁〔あきひと〕親王が即位されました。

新しい元号は、「平成」となりました。 補注2) 

この時、小渕恵三氏(後に総理大臣、当時 竹下登内閣)が、
TVで “平成”と書いた紙を前に掲げているシーンは、
鮮明に脳裡に残っている人も多いのではないでしょうか。

 さて、新元号決定のプロセスで、
政府元号案は、「平成」・「修文」・「正化」の3つでした。

「平成」は、元号に関する懇談会と政府の双方から、
強く推〔お〕されて選ばれたそうです。

 この「平成」を考案されたのが、
東洋思想の泰斗・安岡正篤 〔やすおか まさひろ:
明治38、1898.2.13 〜 昭和58、1983〕先生です。

「決定当時は、極秘裏の事項として一般人には発表されませんでしたが、
何時〔いつ〕しか、関係者の間から話題となり、
今では公然の事として認められています。」 
(『瓠堂〔こどう:瓠堂は安岡先生の号〕語録集』引用、
以下「平成」の出典についての記述も、本書にもとづきます。)


出典1): 『書経』・大禹謨〔うぼ〕篇 の 「」 
      (舜〔しゅん〕、禹〔う〕に曰く、地平かに天成り
      六府三事よく治まり、万世永く頼りとするは、乃〔なんじ〕の功なり)

出典2): 『史記』・五帝本紀舜の項 の 「」 
      (舜、 ・・・ 五教を四方に布〔し〕かしむ。
      父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝たれば、 内平かに外成る

出典3): 『春秋左氏伝』・僖〔き〕公二十四年 の 「
      (夏書〔かしょ〕に曰く、地平かに天成る、とは称〔たた〕えるなり)
      *同上文公十八年に 「」・「」の両句


補注2) 
「平成」の典拠は、
地平天成」・「内平外成ということですが、
これを易卦で私〔ひそか〕に考えてみたいと思います。

その、意図するところ、希〔ねが〕うところは、
安泰・泰平の卦【地天泰〔ちてんたい〕】でしょう。
(上卦「坤/地」・下卦「乾/天」 : 易家のトレード・マーク、看板になっていますね) 

内(卦)〔下卦〕平らか = 「坤/地」、
外(卦)〔上卦〕成る = 「乾/天」です。

一見上が天で、下が地は、
自然の然〔しか〕るべき状態の象〔かたち〕をあらわしているようです。
が、そうではありません。

これは、【天地否〔てんちひ〕】の卦になります。
閉塞〔へいそく〕し交流せず、の意です。
(八方塞がり、天地交流せず、男女和合せず、暗黒時代、“君子の道塞がって小人はびこる”)

逆に、上が地で、下が天の組み合わせが【地天泰】です。
すなわち、天は上昇しようとし地は下降しようとし、
かくして動き、天地交わり交流し安泰となるのです。

私感ながら、「平成」の元号は、【泰】であれかし、と望んだものでしょう。
しかし、今、平成の御世を23年余経て、現実には、
易卦に示す【否】の時代であるように思えてなりません。

実際、敗戦後過半世紀を経て、日本の現状は内柔外剛」(【否】の象)です。

国内では、政治・経済・社会・人心あらゆる面において“陰・柔”。
国外(外交)では、中国・北朝鮮/韓国・ロシア
そしてアメリカ(のほう)が“陽・剛”です。

なお、易卦で“時”を解釈しておきますと、
“現在”が【否】卦であれば、“過去”(裏卦)は【泰】であり、
“近未来”(上下卦の入れ替え)も【泰】です!

 

《 「昭和」・「大正」・「明治」 》 

 大正15年12月25日、大正天皇が崩御され(48歳)、
摂政・裕仁〔ひろひと〕親王が即位され昭和と改元されました。

「百姓照明、協和万邦」が典拠です。
“百姓(漢文ではヒャクセイと読みます)”とは、人民・一般ピープルのことです。

人民がそれぞれの徳を明らかにすれば、
あらゆる国々を仲好く和〔なご〕やかにさせることができるということ。
君民一致による世界平和の意です。・・・



※ この続きは、次の記事(元号(年号) と 経書(四書五経) その2)をご覧下さい。

(・・・昭和・大正・明治 “明治維新” /慶応〜大化/「貞観」と太宗/経書/“日出づる処”の国)



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