儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

宰我

むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


2. 論 語 

■ 孔子とその弟子の言行録 /応神天皇 16年、王仁〔ワニ〕 によって伝えられる
10巻20篇。 / 『孝経』 とともに 大学の必修 / 
“綸語” ・ “輪語” ・ ☆ “円珠経” ・ “宇宙第一の書” / 
“論語読みの論語知らず” ・ “犬に論語” /
孔子75代嫡長孫 「孔祥楷」 氏、77代 「孔徳成」 氏


cf.世界史レベルでのベストセラーは? 【 聖書 と 論語 】、
   第2は? 【 老子 】

※ イスラーム文化圏では 『コーラン』 が多、童話では 『ピノキオ』 が多、
  最近では 『ハリー・ポッター』 (4億冊あまり) が多 ・・・



《 冒頭 ・ 「小論語」 》


○「子曰く、学びて時に之を習う、亦〔また〕説〔よろこ〕ばしからずや。
朋〔とも〕あり、遠方より来る(朋の遠方より来る有り)、亦楽しからずや。 
人知らずして?〔うら〕みず、亦君子ならずや。
」   (学而・第1)

“ The Master said, To learn and at due times 
to repeat what one has learnt, 
is that not after all a pleasure ? ・・・ ”

《 大意 》
 孔先生がおっしゃいました。
「(先人のおしえを) 学び、時機に応じて (折にふれて/機会あるごとに)
おさらいして自分のものにしていく、何と喜ばしいことだねエ。 
(道友・学友) が遠方からやって来る、何と楽しいことだねエ。 
他人〔ひと〕 が自分の学問 ・ 価値を認めてくれなくても不平不満を抱かない、
何と君子〔できた立派な人物〕 ではないか」 と。


・「子」 ・・・ 男子への敬称、先生。〜子/子〜子。 『論語』 では孔子のこと。
         『論語』 に登場する “〜子” は、曾子ほかほんの数名にすぎません。

・「 ・・・ 人間形成 ・ 人格完成の学。 徳をみがく根本の学。 聖賢の学。 
         ⇒ 今の教育は、「学」 の内容そのものに欠陥があります。

・「時習 ・・・ 『論語』 の冒頭から非常にむつかしい言葉です。
         結論的に言えば、「時に之を習う」 では訳せないので
         「時一習ス」 とそのまま読むのが善いです。

・「之」 ・・・ “学んだことがら” を指します。

・「朋」 ・・・ 同じ学問 ・ 道を志す “学友” ・ “道友” 。
         ( cf. 「どんな朋でしょうか?」 の質問に 「心やさしい友達」 と答えた生徒がいました。
          ちなみに、いまどきの造語として “タダトモ” に倣って
          “ガクトモ” ・ “ミチトモ” もアリ?!)

・「君子」 ・・・ 有徳の人、人格の完成した人。
          また、そのようにあろうと努力している立派な人。
          ⇔ 小人〔しょうじん〕  =ジェントルマン、士〔もののふ〕

・「人不知而不慍」 ・・・ 孔子の人生を踏まえて味わうと重く深いものがあります。
              孔子の生涯は不遇であり、儒家の教えは当時認められず 
              “負け組” であったのです。
              この説は次のように解釈できます。 ── 
              徳をみがき(内面の) 人格を高めた人が君子です。
              内面が確立しているので、他人の理解や評価に流されないで、
              感情を制御〔コントロール〕 できるのです。
              善く出来た人 ・ 人格者は、他人の軽薄な評価や
              いい加減な社会的評価に動かされることはないのです。

・「学而」 ・・・ 『論語』 の20の章分けは、
          便宜的に最初の 2文字をもって名称としています。

・「不亦 ── 乎 ・・・ 「なんと〜ではないか」 と詠嘆を表しlます。



※ 『論語』の文言に由来して名付けられた、日本史上の著名人 ?

(1)【 伊藤 博文 】 (2)【 山県 有朋 】 (3)【 広田 弘毅 〔こうき〕 】 (4)【       】

(1)    “博文約礼”= 「 博〔ひろ〕 く文を学び、之を約するに礼を以てすれば、
            亦以て畔〔そむ〕 かざるべきか。」 (雍也・第6)

(3) 「曾子曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。仁以て己の任となる。
    亦〔また〕 重からずや。 死して後已〔や〕 む。 亦遠からずや。」 (泰伯第8)
  ⇒ “志人仁人” / cf.広田弘毅 首相・外相 (A級戦犯として文官中ただ一人死刑となる)



3.孔子の弟子たち 

          *(配布資料 : “孔子の弟子” ダイジェストB4プリント1枚)

○ 「弟子は蓋〔けだ〕 し 三千。 身、六芸に通ずる者 七十二。」
   (司馬遷・『史記』/孔子世家)

十大弟子〔ていし〕” / 孔門の “十哲” / “四科十哲


孟子(軻) −−−  [ 亜聖 ]

曾子(参) −−−  [ 宗聖 ]

孔子〔丘〕 −−−  [ 至聖 ]

顔子〔回・淵〕−−− [ 復聖 ]

子思(子) −−−  [ 述聖 ]


★ 孔子の後継
1. 【 忠恕派 ・ 仁の重視 】 : 曾子 ── 子思 ── 孟子
2. 【 礼学派 ・ 礼の重視 】 : 子游/子夏 ── 荀子 ・・・ (法家)李斯/韓非子
        (*子游は “礼の精神” を重んじ、子夏は “礼の形式” を重んじた )




■ 孔子の弟子たち ──  1.顔回 

 顔子 ・ 顔回。 は名、 は字。 孔門随一の俊才 ・ 偉才で 徳の人です
(後、「復聖」 と尊称されます) が、惜しくも早世(32か42歳)。
20代の頃から髪がまっ白であったといわれています。 
顔回は、孔子が自ら後継ぎと託した偉大なる愛弟子〔まなでし〕だったのです。  
※ 孔子との年齢差 「30」才



1)あたかも愚物の如し ( 「如愚」 ) ・・・ 孔子の顔回への初印象。

・「子曰く、吾回と言うこと終日、違〔たが〕 わざること愚の如し。
 退いて其の私〔わたくし/し〕 を省みれば、亦以て発するに足れり。
 回や愚ならず。」  (為政・第2−9)

《大意》
  わしは、回と一日中(学問上の)話をしたが、
 (全く従順で)意見の相違も反問することもなく、
 まるで何もわからない愚か者のようであった。
 だが、回が退出した後に、くつろいだ私生活を観てみると、
 わしが話し教えた道理をしっかりと行いの上に発揮(活か)することができておる。
 〔大いに啓発するに足るものがある。〕
 回は愚かではないよ。


2)「箪食瓢飲 〔たんし ひょういん〕 」 ・・・ 孔子の顔回賛美

・「子曰く、賢なるかな回や。一箪〔いったん〕の食〔し〕
 一瓢〔いっぴょう〕 の飲〔いん〕、 陋巷〔ろうこう〕 に在り。
 人は其の憂いに堪えず。 回や其の楽しみを改めず。 賢なるかな回や。」 
  (擁也・第6−11)

《大意》
  回は、ほんとうにえらい〔賢い〕ものだね。
 食べるものといったら竹のわりご一杯のごはん、
 飲むものといったら ひさご一杯の飲み物、
 住む所といったらむさくるしい狭い路地暮らしだ。
 普通の者ならそんな貧乏の憂い〔辛さ〕にたえられないだろうに。
 回は、そんな生活の中でも、心に真の道を楽しむことを変えようとしない。
 〔この修養の高さはとうてい他人の及ぶところではないね。〕
 まったくえらい〔賢い〕ものだね、回は!

 ※ 「賢哉回也・・・ 回也賢哉 というところを語の位置を変えています (倒置)。
            孔子が大いに賛美していることがうかがえます。
 ※ 「食」 ・・・・・ 動詞の場合は「ショク」、 名詞の場合は 「シ」 と読みます

 cf.「シカゴ大学にクリールという教授がおる。 
     ・・・・・・ 然しこの人には顔回がわからない。
     『顔回はあまりにも貧乏であったために、自ずから万事控え目になり、
     引っ込み思案になったのだ』 と言い、
     最後には 『少し馬鹿だったのではなかろうか』 とまで疑うておるのでありますが、
     とんだ誤解です。一寸〔ちょっと〕 以外な浅解です。 」 (安岡正篤・『論語に学ぶ』)



■ 孔子の弟子たち ──  2.曾子 


 曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。
弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 
70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。
孝経』 ・ (『曾子』 ・ 『大学』)の著者としても知られます。
「宗聖」 と尊称されます。

 私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕 を亡くし、
絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした
(=Gift) のように思われます。

孔子の愛孫、「子思」 を薫育します。
地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。

 『論語』 の門人で、いつも 「子」 をつけて呼ばれるのは曾子だけです。
(有子 ・ 冉子〔ぜんし〕 ・ 閔子〔びんし〕 は、字〔あざな〕 でも呼ばれています。)



1) あたかもなるが如し ── 第一印象

○「柴〔さい〕 や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕 やガン〔がん〕。」 
  (先進 ・ 第11−18)

《大意》
 柴(子羔 / しこう) は愚か〔馬鹿正直〕 で、参 (曾子) は血のめぐりが悪く、
 師(子張) は偏って中正を欠き、由(子路) は粗暴 ・ がさつだ。

 ※  = 遅鈍、魯鈍の語がありますが、
   血のめぐりが悪い ・ にぶい ・ “トロイ” と言った感じです。
   「愚」 も 「魯」 も、味わいのある語で日本語に訳せません。
   孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、
   それを期待して指摘 ・ 表現したのでしょう。


2)「吾日三省吾身」 ── 三省の深意

○「曾子曰く、吾〔われ〕 日に吾が身を三省す
 人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。
 *伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
  (学而・第1ー4)

《大意》
 曾先生がおっしゃいました。
 「私は、毎日何度もわが身について反省します。
 人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。
 友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。
 (先生から) 伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。
 (あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。) と反省してみます。」

 ※「吾日三省吾身」 :
 ・「三省
    (1)みたび吾が身を省みる
        ( 三 = たびたびの意 / 二たびではダメですか ・ 四たびではダメですか!) 
    (2)以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕

 ・「
    (1)かえりみる、反省する
    (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)

   cf.政治も教育も、「省く」 ことが大切です。
      が、現状は、「冗」 ・ 「擾〔じょう〕」。
       (分散、駁雑〔ばくざつ〕) ばかりで、
       (統合、収斂〔しゅうれん〕) がなく、
      偏倚駁雑 〔かたよりごたまぜ〕 です。

   ex.文部科学などの「省」、「三省堂」の由来



■ 孔子の弟子たち ──  3. 子路 

 私は、孔子(と弟子) の言行録である 『論語』 が、優れた一面として、
文学性 ・ 物語性をも持っていると考えています。
(優れた歴史書 『史記』 もまた文学性 ・ 物語性 ・ 思想性を持っています。)

 そういう意味での 『論語』 を、人間味(情味) 豊かに飾るものが、子路の存在です。
『論語』 での登場回数も子路(&由〔ゆう〕) が、一番多いのではないでしょうか。
子路の存在 ・ キャラクター、その言動によって、
『論語』 は より身近により生き生きとしたものとして楽しめるのだと感じています。
子路のファンの人も多いのではないでしょうか。


 中島 敦〔あつし〕 の短編歴史文学 『弟子』 は、子路を描いています
(次々回述べる予定です)。
その波乱の生涯の中でその最後(膾〔なます〕 のごとく切り刻まれて惨殺される) も、
ドラマチックです。 ※注)

 子路は、姓を仲、名を由〔ゆう〕、字〔あざな〕 を子路といいます。
また別の字を季路ともいいます。 孔子とは、9歳差。
四科十哲では、冉有〔ぜんゆう〕 とともに
政事(政治活動) に勝れると挙げられています。

 子路は、元武人(侠客〔きょうかく〕のようなもの : 博徒・喧嘩渡世) の経歴で、
儒家 ・ 孔子派の中での特異 ・ 異色〔ユニーク〕 な存在です。
その性状は、粗野 ・ 単純 ・ 気一本 ・ 一本気の愉快な豪傑といったところでしょう。
殺伐物騒な戦乱の時代にあって、現実政治的な役割と
孔子のボディーガード的役割を兼ねていたのではないでしょうか。
“お堅い” ムードになりがちな弟子集団の中にあって、
豪放磊落〔ごうほうらいらく〕 なムードメーカー的存在でもあったでしょう。

 私は、『論語』 の子路に、『三国志』 (『三国志演義』/吉川英治 ・ 『三国志』) の豪傑 
“張飛〔ちょうひ〕” 〔劉備玄徳(と関羽)に従う義兄弟〕 を連想しています。
虎・虎髭〔とらひげ〕 と愛すべき単純さ(そして劇的な死) のイメージが、
楽しくまた鮮烈に重なっています。


 ※注) 孔子73歳の時(孔子の死の前年)、
     子路は衛の内紛にまきこまれて惨殺されました。 享年64歳。(後述)
     「由が如きは其の死を得ざらん( ── 得ず。然り。)。」 (先進・第11−13)
     (由のような男は、まともな死に方はできまい。/畳の上で死ぬことはできないかもしれない。) 
     と日ごろから言っていた孔子の心配が、予言のように的中してしまったことになります。



■ 孔子の弟子たち ──  4.子貢 

          
 孔子門下を儒家思想 ・ 教学の本流から眺めれば、
顔回と曽子を最初に取り扱うのが良いかと思います。
が、『論語』 を偉大な 社会 ・ 人生哲学の日常座右の書としてみる時、
子路と子貢とはその双璧といって良いと思います。
個性の鮮烈さ、パワー(影響力) において、
孔門 3.000人中で東西両横綱でしょう。
実際、『論語』 に最も多く登場するのが子路と子貢です。
(後述の) 『史記』 ・ 「仲尼弟子〔ちゅうじていし〕列伝」 においても
最も字数が多いのは子貢、そして子路の順です。 

 さて、子貢(BC.520〜BC.456) は字〔あざな〕。 姓は端木、名は賜〔し〕。
衛〔えい〕 の出身で裕福な商人の出とされています。
四科(十哲) では、宰与〔さいよ〕 と共に 「言語」 に分類されています。
孔子との年齢差は、 31歳。


 孔門随一の徳人が俊英 ・ 顔回なら、孔門随一の才人 ・ 器量人が子貢でしょう。
口達者でクールな切れ者。そして特筆すべきは、商才あり利財に優れ、
社会的にも(実業家として) 発展
いたしました。
清貧の門人の多い中、リッチ ・ Rich! な存在です。
孔子とその大学校 (※史上初の私立大学校ともいえましょう) を、
強力にバックアップしたと思われます。
今でいう理事長的存在(?) であったのかも知れません。
そのような、社会的評価 ・ 認知度もあってでしょう、
“孔子以上(の人物)” と取り沙汰され、
その風評を子貢自身が打ち消す場面が幾度も 『論語』 に登場します。



○子、子貢に謂いて曰く、
 「女〔なんじ〕 と回と 孰〔いず〕 れか 愈〔まさ〕 れる。
 対〔こた〕 えて曰く、
 「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る」 
 子曰く、※「如〔し〕 かざるなり。 吾れと女と如かざるなり」と。
  (公治長・第5−9)

※「汝與回也孰愈」 ── 
   頭がキレ弁(口)がタツ 子貢には、
   他人〔ひと〕 を評し比べるという性癖 ・ 趣味とでも言えそうなものがあったように思います。
   「問曰」 とシンプルに書き始められていますが、
   そんな子貢の口ぐせをよくよく承知している孔子が、
   くつろいでいる時に (半ば戯れに)、
   「おまえと顔回とでは、・・・ 」 と尋ねたのではないでしょうか?
   顔回の「一を聞いて以十を知る」 ということの意味は、
   1 に対して10倍というより、1つの端緒で全体を把握するということでしょう。
   十全を知る、あるいは是非曲直の結論を知るの意です。
   また、どの学者先生も書いていないかと思いますが、
   私は、易学の真髄である “幾を知る” に近いことだと考えています



■ 孔子の弟子たち ──  5.宰我 

 宰予〔さいよ:BC.552−BC.458〕、字は子我、通称宰我。
「言語には宰我・子貢」 とあり、子貢と共に “四科十哲” の一人で、
弁舌をもって知られています。 孔子との年齢差29歳。
子貢が孔子と年齢差31歳ですから、宰予と子貢はほぼ同年齢ということです。

『論語』 の中に表われている宰予は、子貢とは対照的に
悪い面ばかりが描かれ孔子と対立して(叱責を受けて) います。
宰予は、孔門の賢く真面目な優等生的多くの弟子の中にあって、
“異端児” ・ “劣等生” ・ “不肖の弟子”… といった印象を与えています。
が、しかし、“十哲” にあげられ、孔子との対立が敢えて記されていることからも
(逆に) 端倪〔たんげい〕 すべからぬ才人 ・ 器量人であったと考えられます。
孔子も、“ソリ” ・ “ウマ” はあわなくも、一目おいていたのではないでしょうか。

○宰予 昼寝〔ひるい/ひるしん〕 ぬ。
 子曰く、「朽木は雕〔え/ほ〕るべからず、
 糞土の牆〔しょう/かき〕はヌ〔ぬ/お・す〕」るべからず。
 予に於いてか何ぞ誅〔せ〕めん。」 と。 |
 子曰く、「始め吾、人に於けるや、其の言〔げん〕を聴いて其の行い〔こう〕を信ず。
 今、吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」 と。
  (公冶長・第5−10)

《大意》
 宰予が、昼寝をしていました。
孔先生が、これを叱責しておっしゃるには
「朽ちた(腐った)木には彫刻をすることは出来ないし、
土が腐ってボロボロになった(ごみ土/穢土) 土塀には
美しく(上)塗り飾ることも出来ない。
(そんな、どうしようもない奴だから)
わしは、宰与を叱りようもない(叱っても仕方ない)。」 と。 |
そして、孔先生は続けて、
「わしは、以前は、人の言葉を聞いてその行ないまで (そのとうりだと) 信頼したものだ。
が、しかし、今後は人に対して、その言葉を聞いても(鵜呑みにせず)
その行ないもよく観るてから信ずることにする。
宰予のことがあってから、人に対する方針 ・ 態度をそのように改めるに至ったのだ。」 
と、おっしゃいました。

 ・「不可」: 出来ない、不可能の意。〜する値打ちがない。



■ 孔子の弟子たち ──  6.子夏 


 “子貢〔しこう〕” と 字面〔じずら〕 が似ていて間違えそうですが ・・・ 。
子貢のように知名度が高くないので、ともすると子貢と同一視している人もいそうです。

 「文学子游子夏」 (先進第11)。
「四科(十哲)」 では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」 というのは、古典 ・ 経学のことです。
姓は卜〔ぼく〕、名は商。 子夏は字〔あざな〕です。孔子より、44歳年少

 謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。
文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長 ・ 総長といった感じでしょうか。
曾子が仁を重視する立場(忠恕派) なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派) です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 
長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったと伝えられています。

 子夏は、『論語』 でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。
というのは、“色”っぽい(?)弟子 ・ 子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』 は子夏の言に、
“色” にまつわる記述が多くあるように思われるのです。
私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」) としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子” としての印象なのです。




( 以 上 )



(この続き、第2講 「 易占 と 易学 」 は次のブログ記事に掲載しております。)


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

 



器量人・子貢 と 経済人・ロビンソン=クルーソー (その6)

※この記事は、器量人・子貢 と 経済人・ロビンソン=クルーソー (その5) の続きです。



4)  時間の大切さ  :

 「時間〔とき〕は貨幣〔かね〕なり :(Time is money.)」 という観念を生み出したのは、
当時のイギリスやアメリカの中産階級の人々(デフォーやフランクリン)です。

ロビンソン=クルーソーは、日時計を作り、漂着の日付を基準に年月日を記録します。


 面白いことには、一年目に漂流生活でのバランスシート(損益計算書)を作ります。

島での境遇を考え想って、“悪い点”と“良い点”を“貸方”と“借方”に分けて記し、
そして総合的に差引勘定して十分に良い(利益が出ている)と判断して、
神に感謝しているのです。

このことを、M.ウェーバーが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、
興味深く指摘しています。 ※補注1)

※ 補注1) 
  Weber,Max. 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 1904−05 :
  ウェーバーは、プロテスタンティズムの職業倫理(召命/Beruf, Calling)が、
  資本主義(産業資本)形成・発達の推進力となったと主張しました。
  新しい時代には、それに見合った新しいモラル〔倫理・道徳〕が生まれてきます。
  中世カトリック教会の清貧を中心としたモラルは、
  宗教改革によって、利潤獲得・富の蓄積が神の栄光を表わすものであるという、
  プロテスタンティズムの職業倫理へと変わってゆきます。
  そして更に、理性と自由を基調とする近代市民社会の倫理が形成されてゆくのです。


 一方、東洋の儒学(=易経)の根本的考え方に“中〔ちゅう:中論〕”があります。
“中”はものを産み出すことです(産霊:むすび)。

そして、“時”を重視します。
すなわち、時中〔じちゅう〕” 《時に応じて中す》 ということが大切です。


 例えば、儒学(孔孟)が重んじたものに、服喪〔ふくも:喪に服す〕があります。 ※補注2) 
親が亡くなった場合、3年の喪です。

この期間は、乳児(赤ちゃん)の時、
  親に抱かれ背負われ育ててもらった期間が論拠となっています。 ※補注3)

これに対して、子貢と同様「言語」をもって“孔門の十哲(四科十哲)”に挙げられている
宰我〔さいが/宰予〕と孔子との対立問答が有名です。


 それは、【1】 リーダー〔指導者〕が、その重責の仕事・役割を
3年もの間、休止していては(社会的に)マズいから、
1年で良いのではないかという主張です。 
【2】 (私感ですが、しかも“死んでしまった者”に対してのことです。) 


 さて、孔子も応答・反論できず、問題をすりかえて叱責〔しっせき〕しています。
ここに、(孔孟)儒学の限界・課題の一つがあると考えます。

子貢と宰我とは、当時の “孔門の新人類”=“経済的リーダー〔指導者〕”
であったといえるかも知れません。

※ 補注2) 
  現代日本では、特別な場合を除いて、喪に服する行為は
  “一年間 年賀のやり取りを控える“といった程度ではないかと思います。
  ところで、「黙祷〔もくとう〕(をささげる)」という慣習がよく行われます。
  専ら集団で、30秒から1分ほど無言のまま心の中で冥福を祈るものです。
  今回の、東日本大震災についても 様々な団体・場面でおこなわれていますね。
  (開設5周年・“真儒の集い”でも式典の最初に黙祷を捧げました。)
  ルーツは存じませんが、現代生活にマッチしていて良い慣習だと思います。

※ 補注3) 
  「三つ子の魂、百まで。」 ―― “三つ子”は何歳児? 
  現代発達心理学で、性格はほぼ何歳までに決まるとされていますか? 
  → (    ) 歳
  「三つ子」は、数え年による数え方なので、今の満年齢では 2歳児にあたります。
  発達心理学や教育心理学では、人間の性格はほぼ 2歳までに決まるとされています。
  洋の東西で、経験にともなう智恵と科学的学説が、ピタリと一致するわけです。

 

※ 【 宰我 と 子貢 】 
        
 宰予〔さいよ:BC.552−BC.458〕、字は子我、通称宰我。
言語には宰我・子貢」とあり、子貢と共に“四科十哲”の一人で、
弁舌をもって知られています。

孔子との年齢差29歳。
子貢が孔子と年齢差31歳ですから、宰予と子貢はほぼ同年齢ということです。


 『論語』の中に表われている宰予は、子貢とは対照的に悪い面ばかりが描かれ
孔子と対立して(叱責を受けて)います。

宰予は、孔門の賢く真面目な優等生的多くの弟子の中にあって、
“異端児”・“劣等生”・“不肖の弟子”…といった印象を与えています。

が、しかし、“十哲”にあげられ、孔子との対立が敢えて記されていることからも
(逆に)端倪〔たんげい〕すべからぬ才人・器量人であったと考えられます。

孔子も、“ソリ”・“ウマ”はあわなくも、一目おいていたのではないでしょうか。


○ 「宰我問う、三年の喪は期已〔すで〕に久し。君子三年礼を為さずんば、礼必ず壊〔やぶ〕れん。
  三年楽を為さずんば、楽必ず崩〔くず〕れん。旧穀既に没〔つ〕きて新穀既に升〔みの〕る。
  燧〔すい〕を鑽〔き〕りて火を改む。期にして已〔や〕むべし。|
  子曰く、夫〔か〕の稲を食らい、夫の錦〔にしき〕を衣〔き〕る。
  女〔なんじ〕において安きか。曰く、安し。 
  女安くば則ち之を為せ。夫〔そ〕れ君子の喪に居る、旨〔うま〕きを食らへども甘からず。
  楽を聞けども楽しまず。居所やすからず、故に為さざるなり。今 女安くば則ち之を為せ。|
  宰我出ず。子曰く、予の不仁なるや、
  ※ 子〔こ〕生まれて三年、然る後に父母の懐〔ふところ〕を免る。
  夫れ三年の喪は、天下の通喪〔つうそう〕なり。予や其の父母に三年の愛有るか。」  
   (陽貨第17)


※ 【服喪〔ふくも〕の期間 についての孟子の考え方】
 
○ 斉の宣王、喪を短くせんと欲す。
  公孫丑曰く、「朞〔き:一年〕の喪を為すは、猶已〔や〕むに愈〔まさ〕れるか」 と。 
  孟子曰く、「是れ猶、或る人其の兄の臂〔ひじ〕をネジ〔ねじ/=捩〕るに、
  子 之に謂いて、姑〔しばら〕く徐徐にせよと爾云〔しかい〕うがごとし。
  亦〔また/ただ =唯〕之に孝弟を教うるのみ」と。 | 
  王子に其の母死する者有り。其の傅〔ふ/もりやく〕は、之が為に数月の喪を請う。
  公孫丑曰く、「此〔かく〕の若〔ごと〕き者は何如〔いかん〕ぞや」と。
  曰く、「是れ之を終えんと欲するも、得可〔う・べ〕からざるなり。
  一日を加うと雖〔いへど〕も、已むに愈れり。
  夫〔か〕の之を禁ずる莫〔な〕くして為さざる者を謂うなり」 と。
   (『孟子』・尽心章句上)

《 大意 》
 斉の宣王は、(父母に対する3年の喪は長過ぎるので、1年に)喪を短くしたいと思いました。
公孫丑は、(宣王に頼まれて、孟子に)尋ねました。
「(3年の喪を)1年の喪にするのは、まったく止めるよりは勝〔まさ〕っているのではありませんか。」 

孟子がおっしゃるには、「これは、例えば、ある人が兄の腕をねじ上げているとして、
お前がこの者に向かって、まあまあ徐徐にねじ上げるのがよかろうと言うようなものだ。
(そうではなく、ねじ上げるのが悪いと知ったら)孝弟の道を教得て、
そのようなことは止めさせればよいのだ。
(1年でもやらないよりマシなどと言ってはいかん)」 と。

 (ところで、宣王の妾腹の)王子でその母(側室)の亡くなったものがいました。
その王子の守役〔もりやく〕が、(王子の心中を察して)
王子のために数月の喪につくことを王に請いました。
この事について、公孫丑は、「こういうのはどうでしょうか」と尋ねました。 
孟子がおっしゃるには、「こういう場合は、3年の喪を終えたいと思っても、
(妾腹の子なので)できないのだ。
仮に1日多く行うだけでも、止めて行わないより勝っているのだ。
前に言ったのは、(3年の喪を)誰もさし止める者はないのに、
自ら行わない者のことを言ったのだ」 と。 

 

【 参考 】  ミヒャエル・エンデの 『モモ』 ・・・ 『中庸』の「時中」に学べ 
         (H.22 真儒の集い・特別講演:“ 『グリム童話』と儒学 ”より)

・ (西)ドイツの児童文学者 ミヒャエル・エンデ 〔Michael Ende〕 は、
  1973(s.48)年 『MOMO〔モモ〕』 という作品を発表いたします。
  これは、単なる童話ではなく、世代・時代を超えた普遍性を持つ作品です。
  世界的に非常に高い評価を得ています。

  私は、学生時代の愛読書の一つ、フランスのサン・テグジュペリの 『星の王子さま』
  (“ル・プチ・プランス”:内藤 濯〔あろう〕の名訳です)に通ずるものを感じています。

  「大切なものは、目に見えない。」ということばを、悠〔はるか〕に覚え続けています。

  この歳になりまして、『中庸』に学び
  「その見えざるを観、・・・」ということと重ね合わせたり、
  易卦【観】の心眼で観ることに想いを馳せたりしています。

  さて、モモという主人公の女の子は、今風にいえば ホームレス(浮浪児)です。
  モモは大宇宙の音楽を聴き星々の声を聴く(東洋流にいえば“天の声を聴く”?)
  超能力の持ち主です。

  物語の舞台は、ある時代のある村。
  人々は日々、楽しく歌ったり踊ったり飲食したりしておりました。

  ある日、「時間どろぼう」がやって来て、時間の節約と労働によって、
  貨幣〔かね〕を儲け有名人になることを教えます。

  人々は、それに随って一所懸命努力し、富と名声を得ます。
  が、その代りにみんな孤独になってしまいました。

  そこへ、モモが現われて、「時間どろぼう」を退治します。
  人々は、以前の幸せな生活を取り戻すというストーリーです。

  そして、最後の部分で、このモモの物語を語った人が言います。
  自分は、このお話を過去に起こったことのように話してきましたが、
  これは未来に起こることと思っても良いのですよ、と。


* 「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語」

* 「おとなにも子どもにもかかわる現代社会の大きな問題をとりあげ、
  その病根を痛烈に批判しながら、それをこのようにたのしく、うつくしい
  幻想的な童話の形式(エンデはこれをメールヘン・ロマンと名づけています)
  にまとめる ・・・ 」


 ※ 時間・時計に支配(自己疎外)されている現代人 
        ――― 時間がない(時間を意識しないでよい)のが幸せ


 この作品は、わが国のオイルショックのころ書かれています。
普遍的なものですが、当時から現在の日本(人)の問題ある状況に
ぴったり当てはまるように思います。

 わが国は、おとなも子どもも、時間に追い立てられアクセクと生きています。

私は、日本が改めるべきは、目指すべきは、
「君子而時中」 (君子よく時中す:『中庸』第2章)だと思います。

 


(この続きは、次の記事をご覧下さい。)



※全体は以下のようなタイトル構成となっており、7回に分割してメルマガ配信いたしました。
  (後日、こちらのブログ【儒灯】にも掲載いたしました。)


●5月20日(金) その1 
                《 §.はじめに 》

                《 『論語』 と 子貢 について 》            

●5月23日(月) その2 
                《 D.デフォー と ロビンソン=クルーソー について 》 

                《 経済と道徳・倫理について 》

●5月25日(水) その3 
                《 子貢 と ロビンソン=クルーソー 》
                   1) 理想的人間(像)                

●5月27日(金) その4
                   2) 中庸・中徳                   

●5月30日(月) その5   
                   3) 経済的合理主義                 

●6月1日(水)  その6
                   4) 時間の大切さ                  

●6月3日(金)  その7
                   5) 金儲け(利潤追求)      

                《 結びにかえて 》



「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
※定例講習、吹田市立博物館における講演(全6回)のご案内も掲載しております。
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

 

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ