《 干支の易学的観想 / 【火沢睽〔けい〕☲☱】・【天水訟☰☵】卦 》
次に(やや専門的になりますが)、十干・十二支の干支を
易の64卦にあてはめて(相当させて)解釈・検討してみたいと思います。
※( → 資料参照のこと )
昨年の干支、「丙・申」は【火天大有☲☰】卦(先天卦【天山遯☰☶】)でした。
大いに有〔たも〕つ、大いなるものを有〔たも〕つの意。
「仲(冲)天の太陽」の象で、豊かで盛運の時を現していました。
今年の「丁・酉」は【火沢睽〔けい〕☲☱】卦、先天卦は【天水訟☰☵】となります。
【火沢睽】卦は、“そむ〔叛/背〕く”・“そね〔嫉〕む”。
背き離れるの意です。
【☲】と【☱】の陰卦同士ですので、二女反目・女性同士の背反です。
【離☲】女と【兌☱】女ですから、姑〔しゅうとめ〕と嫁・正妻と愛人・
職場などのお局〔つぼね〕(=先輩)と新人などといったところでしょうか!
また、火と水の背反です。
上卦の【離火】は燃えて上へ昇り、下卦の【兌沢】は流れて降り
乖〔そむ〕き離れる象です。
「睽〔ケイ〕」という文字そのものが、へんは「目」で離・陽の火、
右側は「癸」で陰の水で、火水の背反対立を表しています。
ちなみに、「背〔そむ〕く」という文字の「北」は、
二人の人間(「月(肉)」は人を意味します)が背中を向け合って
反目している象形です。
反対に【水地比☵☷】卦の「比〔した〕しむ」は、一人がもう一人の腰に
(後ろから)手をやって寄り添っている象形です。
しかしながら想いますに、“睽〔そむ〕くもの”・“相背反するもの”が、
必ずしも単に剋〔こく〕し合い損〔そこ〕ない合うというものではありません。
この卦の場合、中庸の徳をもって、2爻、5爻の中爻は相応じています。
下卦【兌☱】の和親・和悦の態度をもって、
上卦【離☲】の明らかなもの(明智・明徳)に付き従っていくという
善〔よ〕い面でも捉えられます。
2爻の【陰】は、(主爻で)【離☲】の中爻ですから、最高の明智・明徳です。
【離☲】女と【兌☱】女は、相応〔そうおう〕し補い合ってもいます。
二女は、バランス〔中庸〕は保っているのです。
また、火と水の背反についても。
五行思想では、水と火は相剋〔そうこく:ライバル関係〕です。
が、易では(中論・弁証法的に)水と火の相対立するものを
止揚・揚棄〔=中、アウフヘーベン〕して、
価値の高い新しいものが生みだされると考えます。
(元来、天地万物は、みな矛盾するところがあります。)
相反し、剋し合ってそれで終わるものではありません。
例えば、水と火の協力によってお湯が沸き、
生米から美味しいごはんを炊くことができ、
料理が作れるというものです。
ところで、『易経』は、殷末衰微の時代社会を背景として、
賢徳の帝王・文王によって、古〔いにしえ〕の聖人が創った“象”をもとに
書かれた壮大な物語です!
そこに物語られた文章=“辞〔じ〕”には、筆者によって巧みに隠された
(古代中国史上)実際のヒロイン〔女主人公〕の物語が織り込まれているのです。
私は、この女性の主人公を、女性の理想像ということで、
仮に“K女”/“KIMIKO”と呼んでいます。
“K女”は、殷の帝王(28代・太丁)の次男の妻でしたが
夫が戦死し未亡人になります。
そして、帝王の長男(奸未擦鵝諭Ц紊裡横溝紂δ覯機未討いい帖諭砲
妾〔しょう:=側室〕となります。
やがては、皇后に上りつめ、後の紂〔ちゅう〕王
(殷王朝最後の帝王・30代帝辛〔ていしん〕)を生むことになります。
【火沢睽〔けい〕☲☱】卦は、この妾の“K女”(【兌☱】)と正妻(【離☲】)とが二女同居し、
反目・緊張し同時にバランスを保っている状況をよく表していると考えられます。
私の執筆中の「易経秘色〔ひそく〕」から、
以下にその部分のあらましを抜粋してご紹介しておきます。
☆参考資料 ≪ 盧:「易経秘色〔ひそく〕」 抜粋引用≫
一方“K女”からすれば、もともと若い上にも若返って再婚し、
皇帝となった長男【震☳】(=義理の兄)と相通ずることで
大きく運命が転換することとなりました。
【地雷復☷☳】卦がそれです。
“一陽来復”、独〔ひと〕り服喪に過ごした冬の時代の終焉〔しゅうえん〕です。
【復】は冬至の卦ですが、 “K女”の人生は(冬の)陰が陽転していくのです!
ところが、この長男【震☳】の正妻が夫と“K女”との
親密な関係を嗅〔か〕ぎつけるところとなります。
【火沢睽〔けい〕☲☱】卦は、この二女同居し反目・緊張バランスの状況を
よく表しています。
○「二女同居 其志不同行 説而麗乎明 柔進而上行 得中而應乎剛」
(二女同居して、その志は行いを同じくせず。
説〔よろこ/=悦〕びて明に麗〔つ〕き、柔進みて上行し、
中〔ちゅう〕を得て剛に應ず。) (彖伝)
すなわち、下卦【兌☱】女は妾(=“K女”)、
上卦【離☲】は正妻、
互体(3・4・5爻)の【坎☵】は夫(奸當覯機、
2爻〜上爻は【離☲】と【離☲】で“目”と“目”、“睨み合い”。
「睽〔けい〕」の字“そむ・く”そのものが
「目」と「癸」=離・陽の「火」と陰の「水」です。
そして、下卦(内卦)の【兌☱】女は内に留まって悦び、
上卦(外卦)の【離☲】女は、疎〔うと〕んぜられて外に行こうとしている象です。
尤〔もっと〕も、反目ばかりで相互に剋〔こく〕し
損ない合うばかりのものでもありません。
中爻(九2と六5)において相応し補い合っています。
二女は、一時〔ひととき〕のバランスは保っているのです。
正妻と妾(“K女”)は、横目で睨み合いながらも
互いに慎むところもあったのでしょう。
ちなみに、夫からすれば、(【離☲】と【兌☱】)
【離☲】と【離☲】で二女が美しく着飾って並んでおり、
“両手に華”といったところでしょうか?!
なお、【睽】は、女性同士の背反の卦ですが、
先天卦【天水訟】は男性同士の背反の卦
(=長男と戦死した次男との反目・争い)になるのは、
なんとも興味深いですね。
――― 中 略 ―――
その後の展開は、
【風天小畜☴☰】/【天沢履☰☱】/【地天泰☷☰】などに物語られています。
“K女”は男子を出産し、皇帝のお気に入りとなり、
喪服を脱ぎ捨て公然と后妃になるのです。
正妻を追い出し、この【震☳】・帝乙との間に3男子をもうけます。
長男・微子啓、次男・中衍〔えん〕、三男・受徳です。
この末子・受徳こそが、殷王朝最後の帝王30代・“紂王〔ちゅうおう〕 ”です。

(by.盧)
☆参考資料 ≪ 盧:「『易経』64卦奥義・要説版」 pp.9・35・36 抜粋引用≫
38. 睽ケイ 【火沢けい】 は、そむく・異なる。
包卦(乾中に坎)
● 嫁と姑、二女反目。女性同士の背反 (先天卦「訟」は男性同士の背反)。
「小事に吉なり」 (卦辞)
■ 1)二女反目:
姑〔しゅうとめ〕と嫁(離女と兌女)、
下卦(内卦)の兌女は内に留まって悦び、
上卦(外卦)の離女はうとんぜられて外に行こうとしている象。
2)火と水で背反:
上卦の離火は燃えて上へ昇り、下卦の兌沢は流れて降り、
乖〔そむ〕き離れる象。
・中庸の徳をもって、2爻、5爻の中爻は相応じています。
兌の和悦をもって、【離】の明徳付き従ってゆく、と捉えられます。
cf.「睽ケイ」のへんは「目」で離・陽の火、右側は「癸」で陰の水。
○ 大象伝 ;
「上に火、下に沢あるは睽〔ケイ〕なり。君子以て同じくして異なる。」
(上卦に離火、下卦に兌沢があり、そむきあっています。
この象のように、君子は その志すところは一〔いつ〕ですが、
水火・陰陽のように表面的なものは同じではありません。
大同の中の異なるもの、を知っておかねばなりません。)
6.訟【天水しょう】 は、うったえる。
遊魂8卦
● 訴訟・矛盾、男性同士(陽と陽)の背反、“天水違行”の形
※「作事謀始」(大象) ・・・
事業は始め、教育は幼少時代、を大切に。
万事始めが肝腎!
cf.「訴えてやる!」(TV“行列のできる法律相談室”) ・・・
法的良悪と道徳的善悪は必ずしも同じではない。
道義的・倫理的責任。 “法(法治主義)と道徳(徳治主義)”。
■ 上卦 乾天は上昇の性、下卦 坎水は下降の性 ・・・ (天水違行)
1)“天水違い行くの象”(白蛾) ・・・
水は低きに流れ、天はあくまで高く、背き進む象。
2)乾は剛健にして上にあり、坎は苦しんで下にある象。
そして、両者相争う象。
○ 大象伝 ;
「天と水と違い行くは訟なり。君子以て事を作〔な〕すに始めを謀る。」
(乾天は上昇し、坎水は下降し、両者は相違った行き方をして争いが起こる。
この象に鑑みて、君子は、※ものごとが行き違い争いとならぬように、
事をなすにあたって、始めをよくよく慎重に考慮するのです。)
《 結びにかえて 》
昨年は、従来まで研究・執筆に隠遁〔いんとん〕していたのを、
意識して少々、外向きの活動も再開し始めました。
長年の【陰】生活を【陽】に転じ反〔かえ〕ろうかと想ったわけです。
易卦でいえば、【地雷復☷☳】ですね。
今年の私の年筮〔ねんぜ〕は、【山火賁☶☲】の得卦で
(動爻:4爻坤の乾変、上爻乾の坤変)【雷火豊☳☲】に之〔ゆ〕くでした。
(*中筮/擲銭〔てきせん〕法によります)
――これは、夕日の燦〔きら〕めき、晩年を賁〔かざ〕る・豊大の意です。
新年早々1月10日には、下関商工会議所青年部に招聘〔しょうへい〕されて、
下関市で儒学の講演を行ってきました。
(テーマ:「――古〔いにしえ〕よりの教え『論語』に学ぶ――
仁=忠・恕/孔子一貫の道」)
2月からも、「安岡正篤先生生誕120年/関西師友協会創立60周年記念大会」(2.25)
を始めとして各種行事に招かれており、
出来れし参加するつもりでおります。
ところで、人と会う機会が増えますと、
「お若く見えますね」とか「先生はお若いですから」などと、
まんざらお世辞ばかりでもなく(?)
褒〔ほ〕められる事が多くなってまいりました。
―― さりながら。
○「いつ見ても さてお若いと 口々に 褒〔ほ〕めそやさるる 歳ぞ悔しき」
という狂歌が伝わっています。
「お若く見える」とは、すなわち歳をとったということの証〔あかし〕に他なりません・・・。
歳を重ねることは、悪いことではありません。
が、さりとて改めて「若いですね」と褒められると、
喜んでばかりもいられません。
気(精神)は、まだまだ若いつもりでいても、
“私も歳をとってしまったのだナァ”と感慨一入〔ひとしお〕、
人生の晩節を善く全うせねばと自らに言いきかせています。
○「子曰く、知者は水を楽しみ、 仁 者は山を楽しむ。
知者は動き、 仁 者は静かなり。知者は楽しみ、 仁 者は寿〔いのちなが〕し。」
(雍也・第6)
と『論語』にあります。
孔子が73(74)歳で没したのも、当時の平均寿命を考えれば
極めて長寿といえましょう。
我が国の財界人に一例をとってみても、
明治の渋沢栄一氏(“右手に算盤、左手に『論語』”/“道徳経済合一説”)92才、
昭和の松下幸之助氏(“君子型経営者”/「経営の神様」)95才と長寿です。
私の身近でも、昨年末、『論語』などの古典講義を何度か受講させていただいていた、
お二人の仁徳〔じんとく〕ある老先生がご逝去〔せいきょ〕されました。
行年〔ぎょうねん〕、80歳と101歳でした。
寿命は天命です。肉体上の疾病〔しっぺい〕もありますので、
「仁者は寿〔いのちなが〕し」の言葉のままに、ともゆきません。
私は、余生を一年一年貴重なものと認識して、
この一年、価値ある仕事を進め晩年を賁〔かざ〕ってゆかねばならないと
改めて想っております。
( 以 上 )
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