※この記事は、『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第2回) の続きです。

『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想 其の2(第3回)

─── 変化の思想/「無常」/「変易」/陰陽思想/運命観/中論/
“居は気を移す”/兼好流住宅設計論( ── 「夏をむねとすべし」)/
“師恩友益”/“益者三友・損者三友”/「無為」・「自然」・「静」/循環の理 ───


【★第117段】   友とするにわろきもの 

《 現代語訳 》----------------------------------------------------

友とするのに良くないものが、七パターンあります。 

第一には身分が高く高貴な人、
第二には(歴年齢の)若い人、
第三には持病がなく(健康で)身体の丈夫〔じょうぶ〕な人、
第四には酒を好む人、
第五には強く勇み立っている武士、
第六にはうそをつく人、
第七には欲の深い人です。

(一方、)善い友には三パターンあります。 
第一には物をくれる友、
第二には医師、
第三には知恵のある友です。

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この段、兼好法師の人間・人生洞察深いものがあり、
私の学生時代から感銘を受けている段の一つです。

「友とするにわろきもの七つあり。 ── 」・「よき友三つあり。 ── 」 と
良悪の友を述べています。

いつの時代においても、人間形成・人生行路において、
“師と友”は大切です。

吉田松陰先生は、
「徳を成し材を達するには、 師の恩 友の益 多きに居る。
故に君子は交游を慎む。」
(士規七則) と述べられております。

この“師恩友益”は、
安岡正篤先生の“(関西)師友協会”の名称の由来となってもいます。
(現在、“関西師友協会”会誌の名前が“師と友”です。) 

私は、安岡先生が“師恩友益”と軸に書かれたものをよく目にしております。

さて『論語』に、「益者三友・損者三友」とあります。
この段は、これにヒントを得たものでしょうか?

○ 「孔子曰く、益者三友。損者三友。
直〔ちょく/なお・き〕を友とし、諒〔りょう/まこと〕を友とし、
多聞を友とするは、益なり。| 
便辟〔べんへき/べんぺき〕を友とし、善柔〔ぜんじゅう〕を友とし、
便佞〔べんねい〕を友とするは、損なり。」
 (『論語』・季氏第16−4)

〔孔先生がおっしゃいました。
「自分に有益な友が三種、有害な(損のある)友が三種あります。
正直な人(直言して隠すことがない者)を友とし、
誠心の人(誠実で表裏のない人)を友とし、
もの知り(博学で古今に通じている人)を友とするのは有益です。|
(反対に、)(便辟=)体裁ぶって直言しない者を友とし、
(善柔=)うわべだけのこびへつらい者を友とし、
(便佞=)口先ばかり達者で実のないものを友とするのは、有害(損)です」 と。〕


この段が、形式的には『論語』から思いついたにしても、
内容的には兼好法師自身のオリジナルでしょう。

「よき友三つあり」 で、それを現代に擬〔なぞら〕えれば。

「一つに物くるる友」は気前のいい金持ち・財界有力者の友、
「二つにはくすし」は医師、
「三つには知恵ある友」は学者教師(?)・ブレーン参謀・
法曹界のスペシャリスト(弁護士など)の友、といったところでしょうか。

ちなみに、ヨーロッパにもこんな話があります。

夜更け、突然に友人宅を訪れたところ、
その良き友人は“片手に剣、片手に金”を持って出てきて
「(必要なのは)剣か金か?」と言ってくれたというお話です。

平和な、当世わが国では(法治国家ですので)、
“剣”は、さしずめ、弁護士などの“法のPower”や
政治家のもつ“権力・人脈のPower”
といったところでしょう。

また、“ペンは剣よりも強し”で、
マス・メディアの“情報=口のPower”も物騒なものです。

とりわけ、現代大衆社会に於いては、マス・メディアの弊害は甚大です。

一方、“金=貨幣のPower”・“経済のPower”は、
一般に古今東西を問わないようです。

いつの世も、“ ── それにつけても 貨幣〔かね〕のほしさよ”ですね。!


「友とするにわろきもの七つあり。」 

→ 「二つには若き人」 について。

私も、若い頃(学生時代)には、
この文言〔もんごん〕の深意が今一つ実感できませんでした。

今の年齢・立場になってみると、つくづく、しみじみと実感されます。

若い人(=若さだけの人)は、老人の経験・英知を尊敬できず、
むしろ莫迦〔ばか〕にしています。

老人と若者とは、ものの考え方・道理の解し方・趣味嗜好が異なり
面白く交わることが出来ないの意で、一般には解せましょう。

「今時〔いまどき〕の若い者は、・・・云々〔うんぬん〕」と、一言するようになると、
自分が精神的にも老〔ふ〕けてきた証〔あかし〕であるナとは思います。

老いると、若者の未熟さ・愚かさ・傲慢さが
殊更〔ことさら〕に癇〔かん〕に障〔さわ〕るものです。

いつの世でも、才徳ある善くできた高齢者からみれば、
若者は浅薄で身勝手なものに見えるのでしょう。

とは言え、それにしても、今の時代の若者気質は
(自分の若かりし頃に比べても)ひどすぎます。

日本に来ている外国人は、
電車の中で(混んでいる時)優先座席に平然と座り、姦〔かしま〕しく喋っている若者を
不思議に思っているといいます。

道や通路の定められた片側も歩けず、自転車もまともに駐輪できずにいて、
自己中心的に(義務をワキにおいて)おのれの権利ばかりを主張する若者たちです。

“厚顔無恥なる新人類”といったところです。

『論語』に、後生畏るべし。焉〔いずく〕んぞ来者の今に如かざるを知らんや。」
(『論語』・子罕第9−23) とあります。

これは、若さによる未来の可能性だけの問題ではありません。
しっかりと、自己を研鑽〔けんさん〕し徳を磨いていればこその未来です

社会の未来は、次代を担うべき若者の中に“兆〔きざし〕”を読むことができるわけです。

一例をあげれば、わが国幕末“ペリー来航”(1853.6/1854.1)という大震の時期、
後の日本史上に輝く維新の英傑たちは、
当然ながら、青々とした若者だったわけです。 *補注1) 

孔子の弟子は、「蓋〔けだ〕し三千」(『史記』)ともいわれました。

然るに、「後生畏るべし」といえる弟子は顔回(顔淵)唯一人であったことも、
併せて知っておきたいものです。

私は、青少年を教えるという仕事がら、
数多〔あまた〕(おそらく数万人)の若者を知っていますけれども、
「後生畏るべし」 という青少年は唯一人しか知りません。

まったく文字どおり、“後世 恐るべし”の想いです。

物質文明の繁栄と反比例した、こころ・教育の貧しさの故です。

→ 「三つには病〔やまい〕なく、身強き人」 については。

健康で丈夫な人というものは、一般的に解すれば、
健康の有難みが実感できず、
病気の人や弱い人の気持ちや痛み・悩みへの理解に欠けるものがありがちだからでしょう。

確かに日常の経験からも、健康で丈夫な人は、
病人・弱者といった他者への同情や思いやり(仁=愛=慈悲)のないことがままありますね。

“一病息災〔いちびょうそくさい〕”という言葉があります。

歳を重ねるにつれて、一つくらい持病があって当たり前です。

むしろ、そのくらいの方が、善く自ら摂生〔せっせい〕して
“養心養生(性)〔ようじんようじょう〕”することで、
大過なく寿〔いのちなが〕し、というものです。

“少子化”“(超)高齢社会”がますます進展する、わが国平成の御世ですから、 *補注2) 
以上2つの「わろきもの」 については、
改めて、よくよく考えねばならないことだと想います。


補注1)

西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・山県有朋・福沢諭吉 ・・・etc. 
明治維新の英傑たちは、当時みんな若者だったわけです。

まさに、“後生畏るべき”若者輩が多士済々だった時期といえましょう。

なお、幕末の革新は、かれらニユーリーダーたちの
“若きPower”で推進されたと思われがちですが、そうではありません。

老若〔ろうにゃく〕相携えて、
二人三脚で “鼎新〔ていしん〕”し新しい時代を創ったのです。

だからこそ、一連の改革変化を“明治革命”といわずに“明治維新”と呼ぶのです

彼らが、長じた明治初期の新政府の陣容を推測してみますと。
当時のわが国は、弱小ひ弱な少年のような新興国家ではありました。

が、私は、明治天皇を中心に彼らが会議をしている場面を想像すると、
日本史上でキラ星のごとく人材が充実した会議であると圧巻に思います。

そして、その原因は、江戸時代・幕末期の教育と
明治以降・大東亜戦争以降の教育の差にあると認識せざるをえません。


補注2) ≪データ資料≫ 

日本人の平均寿命は、女性86.39歳(26年間連続長寿世界一)、
男性79.64歳(世界第4位) ─ (2010年) 

★【2011年;女性85.9歳(世界第2位)、 男性79.44歳(世界第8位)、
→ DOWNは東日本大震災による死亡のため】/
高齢化率(満65歳以上の人口比)は、23.1%。 ─ (2011年) 

cf.
高齢化社会:満65歳以上の人口比7%以上
高齢社会:満65歳以上の人口比 14%以上
超高齢社会:満65歳以上の人口比 21%以上
→ 2020年には26.9%(4人に1人)ともいわれます。/
年少人口(15歳未満)の割合、13.2%。─ (2011年)/
合計特殊出生率、1.39人─ (2011年)、1.25人─ (2005年)


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【第127段】   改めて益〔やく〕なきことは 

《 現代語訳 》----------------------------------------------------

改めても効果のないことは、(むしろ)改めないのがよいのです。



※ この続きは、次の記事に掲載いたします。

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