儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

「離」・「率」・「教」・「敬」 ・・・ 両面思考に想う

「離」・「率」・「教」・「敬」 ・・・ 両面思考に想う

 ─── 両(ニ)面思考/「離〔はなれ・つく〕」/「率〔ひきい・したがう〕」/
「教〔おしえ・ならう〕」/「敬〔うやまい・つつしむ〕」/儒学と民主主義 ───  


《 プロローグ ── 視点を変える(多角的に) 》
 
 「情〔なさけ〕けは人のためならず」の意味を学生に聞くと。
多く、“情けをかけて(手助けして)、甘やかすと本人のためにならない。
── だからノートを写させてあげるのはやめとこう。”などと理解しています。

真意は、全く逆で、情〔じょう〕=思いやり(仁) を人に施すのは、
(他人〔ひと〕から見れば自分は他人〔ひと〕なので) 廻り回って、
いつか自分も助けてもらえる。

つまり、他人に情けをかけろ、手助けせよ ということです。

高齢者・弱い立場の人に、電車の席を譲った青年は、
数十年の後に、孫か曽孫〔ひまご〕のような若者に席を譲られ親切にされるのでしょう ・・・ 。 

 幼児が、自分中心の世界(自分がいて、その世界に他人〔ひと〕がいる)から、
心が成長して、自分も他人(の世界)から見れば他人なんだということを認知するようになります。

“社会化”・社会性のめざめですね。

例えば、自分が自分の都合で他人を傷つけてよいなら、
自分も傷つけられてもよいということになります。 

── これは困る、と。

この他人というものの“認知”が、人間の大きな発達段階の一つであると
発達心理学で学んだことがあります。

昨今は、不思議と見かけはしっかり大人〔おとな〕になっているのに、
幼児的・自己中心的世界に生きている人が多い世の中です。

 さて、儒学の『易経』・『中庸』といった、
形而上学的オリジナル〔原典〕の字句・文言を解釈しておりますと、
(表面的には、漢字ですので複数の読み方・意味があるということですが)
思想的に全く対照的な視点・立場が加えられていることに気が付きましした。

両面(二面/反対)思考・相対的思考・弁証法的思考とでもいえるものかと思います。
それらを、少し整理してみましたのでご紹介したいと思います。

 

《 離: はなれ=つく /つき=はなれる 》  注1)

 易の八卦〔はっか/はっけ〕(八卦八象〔はっかはっしょう〕・小成卦)に、「離・り」があります。
離を 二つ重ねて(「重離」)、64卦(大成卦)では【離為火〔りいか〕】です。

 ついでに、命学、例えば九性(星)気学は、易の八卦八象のエッセンスを借用し、
それに中央位「五黄〔ごおう〕土性(星)」を加えて九性(星)としています。

その、運気の盛衰順は、【 坎〔かん:本厄〔ほんやく〕、最も谷の衰運〕 → 
坤〔こん:後厄〕 → 震 巽 → 中宮(五黄土性)〔最も山の盛運〕 → 
乾 → 兌 → 艮 →  → 坎 】の巡りです。

離は最衰運にむかう直前(前厄)の自粛の時です。
離婚・離職などが生じたり、それらの話を進めるとうまくゆくと判断したりします。

そして、(厄があけて、来るべき「震」からの盛運の時に向けて)次のステップへの準備の時でもあります。──

私は、今の離・別れは同時に次の新たなる出合いの始まりですよ、とアドバイスしています。
(この点、九性(星)気学が易の「終始」・「無終」・「循環」の理を取り入れ概説しているともいえましょう)

 さて、【離】卦の正象は「火」です。
火は、何か木や紙などの燃えるものに“(くっ)つき”ます(付着)。
火は、モノに離れ麗〔つ〕いて、炎上・燃え拡がってゆきます
(cf.発火の3要素:燃えるモノ・酸素・温度)。「離〔り〕」は、「麗〔り〕」です。

 はなれる、 離別・離婚・離職(リストラ)・倒産・不合格 ・・・ 。
離れ別れる時は、辛く、悲しく感じ、ブルーな(陰の)気分に落ち込むことが多いですね。
失敗・敗けと思い、マイナス思考で捉えるものです。

 しかし、それによって(その後)、新たな出合い・再婚・新しい職場・新規事業(会社)の立ち上げ ・・・ があります。

そういった、新しいものにつく時には、明るくうれしい(陽)の気分となりますね。
リベンジを果たした、挫折を乗り越えた、と思うプラス思考に転じて捉えるものです。

 逆にいえば、何かを新しく始めるためには、何かを捨て去る終わらせる必要があります。
時間を細にいえば、離れてからつく、つくためには離れなければならないともいえます。
が、大きくみれば、同時に起ると考えたほうが分かり易いでしょう。

 易の象〔しょう〕からみれば、【離為火】は、「火(離)」また「火(離)」の重卦ですから、
一方(下卦)の離火が他方(上卦)の離につくとも考えられます。

人も何に(→正しきものに)つき、誰につくかが大切です。
易の教えの、「明」を継ぐに「明」をもってするの美です。

 「離」の象意の深意に関しても、少しだけ触れておきましょう。
(※このテーマについては、近く改めて執筆したいと思っています)

 「離」は、学術・文化であり文化・文明です。
この、文化・文明そして学術そのものも、両刃〔もろは〕の剣で反対の意味を持っています。

 「財宝は子孫を殺し、学術は天下を滅ぼす」という言葉があります。
中庸を欠く貨幣〔かね〕(経済)は、子孫・人間をダメにし、
中徳を失った学術も世界を破滅させる悪です。 ── 兵器・核兵器に象徴されますように。

 文化・文明は、ひと燃えの“火”と一個の“石のカケラ” (高根造語)から始まりました注2)

大古、我々の祖先は、 “火”の暖と明を獲得し、
智恵を使って“石のカケラ”から「道具(=石器)」を作りだしました。

今では、“ナノ〔10億分の1m〕の時代”を迎え、
その「道具」は “アリの持てる携帯電話” すら夢ではなくなっています。

21世紀の現在、世界は易の【震:小ドラゴン】よろしくインターネットが飛び交い、
易の【乾:ドラゴン】よろしく ミサイル(&核兵器)が世界に満ちています。

それ(乾のドラゴン/ミサイル・核兵器)は、いつでも、飛べます。
地球を何個でも破壊できるパワーです。

注1) 「離」・「離為火」の詳細については、高根・ 『易経64卦解説奥義・要説版』 の
    「’08〜’09 「象」による64卦解説」参照のこと
    →
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50754711.html

注2) ファンタスティックな事実を加えますと、歴史時代よりはるか大昔。
    一個の“石のカケラ”=10kmほどの“隕石”が、全くの偶然に、地球に衝突しました。
    それは、巨大な恐竜の時代を終わらせ、
    (ネズミのような我々の祖先であった)哺乳類の時代をもたらしたのです。
    ‘10年、仮説の一つであったものが、実証され定説となりました。
    ちなみに、(米)映画にも巨大隕石の衝突による人類の終焉の危機(の回避)が
    テーマになっているものがありますね。
    “アルマゲドン”は、地球に衝突する小惑星を穴を掘って
    爆弾を埋め爆発破壊させるものでした。
    また、大小2個の隕石が接近し、小隕石は地球に衝突しましたけれども
    大隕石は破壊できた、というのもあったかと思います。

 

《 率: ひきいる=したがう 》

○ 「天の命ずる之を性と謂い、性に〔したが〕う之を道と謂い、道を修むる之をと謂う。」
 有名な、述聖・子思子の『中庸』の書き出しです。

「率性之謂道」。「率性」という語があります。
(性にしたがう。生まれつきの本性〔ほんせい:=誠〕にしたがうこと。)

1) この、「率」は、通常“ひき・いる”と読みますね。
   集団を「率いる」、生徒を「引率〔いんそつ〕」する、「率先〔そっせん〕」する、
   「統率〔とうそつ〕」する、といった具合です。
   統率者=師〔すい:かしら/おさ〕 です。
   (かつての君主)・政治家・社長・先生(師)・・・ といった指導者・リーダーの、
   視点立場からのことばです。

2) これと反対・対照的に、率いられる側、導かれる者の視点立場からの言葉が
   “したが・う”(順う、従う、随う)です。 
   ── この『中庸』の「率性」。
   「率服〔そつふく/そっぷく:付き従う、服従する〕」、
   「率履〔そつり:したがいふむ、国法を正しくふみ行う〕」。

優れて善く「率いる」者と、優れて善く「率う」者とがいて、秩序・平和は成り立ちます。
どちらが欠けてもダメです。

そして私は、その“匙加減〔さじかげん〕”・“balance〔均衡/統一〕”こそを、
東洋思想で“中庸(の徳)”という
のだと考えています。

 

《 教: おしえる=ならう 》

 先程の『中庸』の「修道之謂」。「教は效〔ならう〕なり」と注釈にあります。

 「教という字は、単に口で [おしえる] ばかりでなく、実践を伴う。注3) 
即ちお手本になる、人の [ならいのっとる] ところとなるという意味である。
だから『教は效〔ならう〕なり』という注釈があるわけです。
教育とは、教師が生徒のお手本になって、生徒を実践に導いてゆくことであって、
ただ言葉や文句で教えることではない。
言葉で教えるのは [] とか [] とかいうものであります。」 *[ ]内は原文は「、、、」です。
(安岡正篤・『論語に学ぶ』所収、「中庸章句」引用)

 敗戦前の教師(の権威)偏重、敗戦後の生徒中心教育に名を借りた教師の(軽佻)浮薄。
どちらも“中庸”を欠く偏倚です。

その弊害は、“めだかの学校”よろしく 注4)、“ミソもクソもごちゃまぜ”の平等観 注5)、
本〔もと〕も末も一緒くたの戦後教育にこそ具現していると思います。

古の英知、両面思考を思い出してほしいものです。


注3) 王陽明の“知行合一”、に通ずるものがあるかと思います。

注4) 「♪めだかの学校のめだかたち、だれが生徒か先生か、だれが生徒か先生か、
    みんなで元気に遊んでる♪(2番の歌詞)♭」

注5) 従来このような卑俗な表現は、品位の面から、私は決して用いませんでした。
    が、今は危機的状況から、あえて使うべき段階に入っているかと思い用いてみます。

 

《 敬: うやまう=つつしむ 》

○ 「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬す。」 (『孟子』・離婁上)

○ 「愛敬、親に事〔つか〕うるに尽くして、徳教、百姓〔ひゃくせい〕に加わり、
   四海に刑〔のっと〕る。」 (『孝教』・天子章第2)

○ 「故に母には其の愛を取り、君には其の敬を取る。之を兼ぬるものは父なり。」 
   (『孝教』・士章第5)

 『孝教』を読むと、ほんとうにしっかりと、」・「敬愛について書かれています。

敬(=陽)と愛(=陰)、家庭に在っては父と母が揃って、
その徳を発揮してこそ全き世界と人間があるのです。

現今〔いま〕、愛ばかりが言われて敬が忘れられ、失われています。

母(愛)が二人で父(敬)不在の家庭も多くなってまいりました。

家庭はその教育力を失い、ただの同居の場となり下がっています。

 その愛にしても愛情と“甘やかし”をすり替えているような世相です。
甘やかし 子を捨てる」とは、時代を超えてよくいったものです。
(おばあちゃんの)「舐犢〔しとく〕の愛」という古くて新しい言葉もあります。

 敬とそこから生まれる「」ということが、人間にとって一番の根柢的徳です。
西洋においても、例えばカントの道徳哲学においても、「敬」の概念は非常に重視されています。

さて。
1) この、「敬」は、通常“うやま・う”と読みますね。
   他者〔ひと〕が、うやまい、たっとんで礼を尽くすこと。
   「尊敬」・「崇敬」です。

2) 一方、尊敬の対象となっている吾人〔ごじん〕、
   自分自身はというと。 “つつしむ”、真心をこめてつとめるの意です
   「篤敬〔とっけい:人情に厚く慎み深いこと、徳実恭敬〕」・
   「敬忠〔けいちゅう:相手をうやまい真心を尽くす。また、つつしみ深く真心をつくる〕」です。

(※つつしみの貌〔ぼう・かたち〕にあるのを「恭」、心にあるのを「敬」といいます)

 いやしくも、敬される(立場)の人は、己をつつしみ、
いばったり傲慢であったりはしないということです。

人の敬に敬愛で応えるのです。

易も【地山謙】卦が、人に長たる者の謙虚・謙遜を教えています。

“稔〔みのる〕ほど頭〔こうべ〕をたれる稲穂かな”です。

 

《 結びにかえて ── 儒学と民主主義 》

 以上の両(ニ)面思考的視点を踏まえて、
“儒学”そのものと現代民主主義に想いを新たにして結びに変えたいと思います。

 敗戦後わが国では、一般に、儒学というと、
“封建制道徳”の権化〔ごんげ〕ように不当に扱われています。 注6) 

確かに、歴史的に、(江戸期の隆盛を極めた)日本儒学は、
封建制=君主制を支えた社会体制(一面的見方からすれば支配体制)でした。

徳川幕府(徳川家康)がその長期的安定の秩序として(自分にいいとこどりして)
国教として採用したのが儒学=朱子学でした。

中国も朝鮮も朱子学でした。

しかし、徳川幕府の時代を終わらせ明治の時代を拓いたのも、(外圧という背景はありますが)、
また、儒学=陽明学(孟子の革命思想・吉田松陰などの思想・・・ )でありました。
注7)

 ところで、貨幣価値の違いを無視して比較する話がナンセンスであることは、自明ですね。

例えば、100円のねうちは、今はパンの一つを買えるかどうかですが、
かつては(百円長者といって)家一軒が買えたころもあります。

 そもそも、古代奴隷制社会、中世封建制社会といったものを
現代のものさし(基準)をそのまま当てはめて、是々非々論ずるのは浅薄と言わざるを得ません。

● 民主制は最良か?
“民主主義政治体制”以上に優れた政治体制は無い、と聞いたことがあります。
が、私は、今の日本の民主主義社会が善く優れており、
中世封建制・君主制社会が悪く低い段階にあるとは、必ずしも思いません。
(私は、歴史学や政治学、経済学を専門に学んでまいりましたが) 
── 中世の社会と申しますものは、(実は)、随分住み易い社会であったのではないかと思っています。

そうでなければ、西洋でも東洋でも、幾百年にもわたって営々と続くはずがありません。
現在の我国の民主社会は、敗戦後65年余りですが、さて今後幾百年も続くでしょうか? 
それほどに、住み易い社会でしょうか。

「自由」や「民主」の名を騙〔かた〕って、放恣〔ほうし〕・利己主義がまかりとうり、
個人の都合・「権利」ばかりが主張され「責任」・「義務」が問われない無責任な社会。

この大衆民主主義社会の行く末には、嫌気すら覚えます。


● (本来の)儒学は民主的!
 わが国は、敗戦後、アメリカによる“占領政策”により、伝統的儒学道徳が否定され、
金科玉条に(米的)民主化が謳われ洗脳されてまいりました。

就中〔なかんずく〕、教育現場への弊害は、致命的に大なるものがありました。
(むろん米側からすれば、非常にうまく占領政策が進められたといえます。
その要〔かなめ〕は、教育(教職員)への介入政策にあったといえましょう。)

 私の想いますに、真の民主主義的思想のルーツは、むしろ儒学にこそあります。

それは、はるか、古代中国・春秋戦国の時代へと二千数百年も遡ります。
奇しくも、西洋で古代ギリシアで(奴隷制社会の中で)、民主政治が花開いた頃と重なります
(BC.5世紀ごろ)。

 ── 例えば、教育では、『史記』に3.000人ともいわれた孔子の学院は、
東洋史初の民主的私立大学(高等教育機関)
といえます。

“十大弟子”の中には、子貢のような“経済人〔ホモ・エコノミクス〕”の原型もいます。

孟子の王道論(徳治政治)は、経済生活の基盤・安定を説いています
(「恒産恒心〔こうさんこうしん〕」/梁恵王下)。

更に孟子は、民が主である思想
(「民を貴〔たっと〕しと為し、社稷〔しゃしょく〕これに次ぐ」/尽心下)
を展開し、西洋流の市民革命思想(「易姓革命」)
を唱えているのです。

 先述のように、江戸期の日本儒学(朱子学)は、徳川幕府が国教として儒学を採用するにあたり、
幕府の支配体制に都合のよい面だけ採り入れ、都合の悪い部分は導入しなかったということです
( ── そのことは、また戦国をようやく平定した覇者として当然のことではあります)。

そして、その“官(正)学儒学”を擁護する御用学者が出て、
徳川300年弱の御世の秩序を支えたというわけです。
日本の歴史の中に位置づけて然るべきことかと思います。

● 大衆民主制と儒学の調和♪
現今〔いま〕、日本の民主制・大衆社会は、伝統的儒学思想とどう調和させていくかを問われています。
想うにつけても、共産主義国・中国(中華人民共和国)も、
資本主義(経済)や儒学と不思議なミスマッチ〔異種融合:ハイブリッド/フユージョン〕?
を現出しています。注8) 

離れ=つく/つき=離れる、変易(変化)と不易とを改めて思います。

どのような組織にしろ、社会・国家にも指導者〔リーダー〕は必要です。
それも、優れた指導者が必要です。

優れた指導者をもてぬ人々、国家は惨めです。── 現代の日本は、何如〔いかん〕?

学校にしろ、会社にしろ、国家にしろ、
(少数の)指導者〔リーダー〕=【率いるもの】 と (多くの)導かれる者=【率うもの】 があって、
善き人間社会の秩序ではないでしょうか。

現代日本は、この両面を単純愚かにも同じにしてしまい、
“誤った平等”にしてしまっています。

俗に表現すれば“ミソもクソもごちゃまぜ”です。 注5) 

教育も教える者(師・先生)と教えられる者(弟〔でし〕・生徒)とがなく、同じです。

政治家もその道をおさめた指導者〔リーダー〕でなく、
“タダのひと”がバッジを付けています。

政道・学道・商道・医道 ・・・ 道を修めた然るべき指導者不在の時代です。 注9)

そして、【率いるもの】 と 【率うもの】を、
西洋的に支配・被支配の関係で単純に捉え表現してしまわぬことが大切です。

固定的な二元論ではなく、陰陽相対(待)論のように相対的に捉えるべきものです。

つまり、【率いるもの】 と 【率うもの】は、相対(待)的でチェンジ〔交代〕もするし、
同一人物でありながら立場・状況によりどちらにも成り得るのです。

注6) 補述として、旧来からよく見聞きする、愚見・曲解の一例をあげておきましょう。

○ 「子曰く、民は之に由〔よ〕らしむべし。之を知らしむべからず。」 (泰伯第8)

 敗戦後の進歩的文化人と称される人々や政治家が、さかんに引用したものです。
“今は民主的な世の中ですから、(以前のような)民に情報を知らせないで
強制的に従わせるような封建的なあり方は、改めねばならないのです、
云々〔うんぬん〕”といった調子です。

全くの浅薄なる誤解です。 孔子・儒学に対する“冤罪〔えんざい〕”?です。
 「不可使知之」は、禁止ではなく不可能の意です。

今でも“情報公開”や“説明責任”、“知る権利”など声高〔こわだか〕にメディアが唱えています。
けれども、国家百年の大計・判断や逆に細かなことは、なかなか皆に周知出来るものではありません。
いわんや、二千五百年前においてをやです。

ですから、真の意味は、
“(人に長たる者、指導者たる者は、徳を磨き修養を重ねて、)
皆が慕い寄って来るように信頼してまかせくれるようになれ
”ということです。

例えば、家の普請などの大きな買い物、難しい手術の判断などを、
担当営業マンや担当医師の“人物・人徳”に惚れ込んで託し任せるということがあるでしょう。

私には、「この件は、○○支部長に一任ということで・・・」、「西郷さんにおまかせいたす・・・」
といった何かのシーンの言葉が、脳裡に浮かびます。

この、孔子・儒学に対する冤罪ともいえる愚見・曲解は、
現今〔いま〕にいたっても、平気で新聞などのメディアで見聞きします。

まことに、残念なことです。

注7) 高根講演 「儒学と松下村塾の赤龍たち」(‘08 “真儒の集い”特別講演)参照のこと。

注8) 中共は、40年余り前の文化大革命の方向を180度転換して、儒学を国教化し、
    北京オリンピック(‘08.8)で世界に『論語』・“孔子”をアピールし、
    現在子供たちは熱心に『論語』を学んでいます。
    そして、中共は今や、GNP世界第2位、軍備大国に変じています。

注9) 易卦【地火明夷〔ちかめいい〕】: 地中の太陽、
    “君子の道 閉ざされ、小人はびこる”、徳のない蒙〔くら〕い時代。(高根)

                                               ( 完 )

 

天皇のお名前と「仁」

天皇のお名前と「仁」
    ─── 仁 / 愛 /〜子〔し/こ〕/ミーム/忠恕/
          明仁(H.)・裕仁(S.)・嘉仁(T.)・睦仁(M.) ───


《 はじめに 》

 幼少のみぎり、親父が知人と軽く談話していたのを聴くでもなく聞いていて、
その内容を何故かいまだに鮮明に覚えています。

それは、“(当時の昭和)天皇陛下のお名前は何というか”という内容です。

“天皇(陛下)”というのは、会社でいえば“社長”・“会長”などと同じで身分や地位の呼称です。
個人の名前ではありません。

 「そりゃ、キンジョウ陛下だろう。」と、その知人の人が言っていました。
“キンジョウ(コンジョウ)”は、“今上”ですから、今(当代)の天皇といっているだけですから
名前ではありません。

昭和天皇は“ヒロヒト”(陛下)というのだと、父が言っていました。

今、天皇のお名前を知らない若者が多いですが、親は子供にしっかりと教えられているでしょうか?
 (日本史上)最近の、天皇のお名前が言えますでしょうか。(敬称略)

・平成 ── 明〔あきひと〕    ・昭和 ── 裕〔ひろひと〕 
・大正 ── 嘉〔よしひと〕    ・明治 ── 睦〔むつひと〕 
・・・と申されます。

※ 明治以来、「一世一元の制」により天皇一代を一年号と定められています。



《 仁 とは 》

 お気付きのように、天皇のお名前には「仁」の一字が用いられています。

つまり、皇子〔みこ〕(天皇のお子様としてお生まれになった男子)には、
「○・仁」のように命名するわけです。

その出典は、元号(年号)と同じく儒学の経書からが多いです。

 平成天皇のお名前は、「明〔あきひと〕」。お子様の、「徳〔なるひと〕」さまは 
『中庸』から、「文〔ふみひと〕」さまは 『論語』から採られています。
(意図したのかどうか存じませんが)

今上天皇と皇太子と、父子で「明徳となります。
明徳は、大人〔たいじん〕の学 『大学』の三綱領の筆頭です。
「大学の道は明徳を明らかにするにあり。」です。

 秋篠宮〔あきしのみや〕(妃:紀子さま)家のご長男(親王)は、
「悠〔ひさひと〕」さま(‘06.9.6 生)。

「悠」を、“はるか”と読む名前も身近に 3・4人知っています。
“悠游〔ゆうゆう/悠悠〕”は私の好きな言葉・文字ですが、
悠久・悠然の悠で、ゆったり・長い・久しいの意です。 

 「仁」は、一般ピープルにも、永く広く浸透・普及しています。
歴史上の人物名などでご存知かと思います。

現在でも、お知り合いに何人かは「仁」のつく人や屋号などがあると思います。
男女の別を問わず、よく用いられていますね。
「仁」のつく名前の羅列は省略するとしまして ── 。

 TV.番組は、その時代時代の世相を反映しているという側面を持っています。
例えば、昨年度(‘09)私が楽しく見せて頂いたものを 2つ紹介しておきたいと思います。

「仁」が、主人公の名・兼ドラマタイトルに用いられているものです。

 1つは、「特命係長・只野 仁〔ただの ひとし〕」(高橋克典・主演)。
表向き、昼間の顔は、サエない平係長ですが、
社長の特命を受けて会社の平安無事を守るために超人的な活躍をする、
というコミカルな娯楽番組です。“ただの人”のシャレでしょうか。

 今1つは、「JIN − 仁 −」です。
幕末の江戸へいきなりタイムスリップした脳外科医・“南方 仁〔みなみかた じん〕”
(大沢たかお・主演)が主人公です。

その近代医術で、人々を救ったり幕末の英傑たちと交流するものです。
やがて、江戸に“仁友堂”を開院して結びとなります。

緒方洪庵〔おがたこうあん: 医師、適塾をつくる〕も登場しまして、
私には“医は仁術なり”のことばが連想されました。

 現在の「仁」ということば(文字)は、その意味内容の深意・重大性を離れて形骸化し、
大衆社会の弊害を背景に、知名度の理由だけで形式的に用いられているのでしょう。

さて、「」は、儒学(孔子)の考える理想的人間(君子)の徳目の中心です。
『論語』の中に、100回以上も登場します。

「仁」の字は、人が二人で対等・平等・人間相互のコミュニケーション
(親しみや人を思いやる愛情)をあらわしています。
また、種子の中の胚芽の部分で、なくてはならない一番大切なものです。

「果物の核〔さね〕を仁というが、この宇宙・人生を通じて、万物と共に生成化育していく。
その造化の徳が仁である。
この仁が発して、いろいろの枝や葉、花、実となるというふうに発展していくその根本が仁であり、
その仁から出る瑞瑞〔みずみず〕しい鮮やかな成果が文である。
だから文は文化・教養といってもよい。
 ・・・ 」
(安岡正篤・「人生の五計」引用)

 ところで、知るということについて、「学知」と「覚知/智」という語があります。
「学知」とは通常の一般的な読み書きで理解するものです。
「覚知/智」は、心の底・“腹の底からドンとわかる(智:さとる)”というものです。

「仁」のような形而上学的(抽象的・哲学的)概念は、覚知・覚智の世界で、
心眼・心耳にて、形なき形を観、声なき声を聴き、天から(天の働きを)自得しなければなりません。

東洋でいう悟りです

 悟りは、自得・体得するものですから、他者にことばで説明・伝達することは出来ません。
それで、孔子は『論語』の中で、弟子の能力・個性に応じて、さまざまな表現で「仁」を定義・説明し、
語っているわけです。

西洋でも、『(新約)聖書』を読むと、イエスさまが同様にさまざまな具体的表現で、
「(キリスト教の)愛」を語っているのがわかります。 

 このように、「仁」(・「愛」)というものを真に知るには覚知・覚智しなければなりません。

さりとて、人に教え示すのを業としていますと、一応は言葉・文字表現で説明して、
ある程度の理解をしてもらわなければなりません。 

── 例えば、次のとうりです。

 「仁」は、具体的には、まごころと思いやり(忠恕〔ちゅうじょ〕、
加えて孝悌〔こうてい〕)
を意味します。
人類愛・ヒューマニズム〔人間中心主義〕の思想そのものです。

結局のところ、儒学の「仁」、キリスト教の「愛」、仏教の「(慈)悲」は、
本質においてはみな同じと思われます


 人間にとりまして「仁」は、「一貫」する根源的で重大な本〔もと〕です
にもかかわらず、当世、忘却・放擲〔ほうてき〕されて、まさに“仁義なき時代”です。

何百年の後、日本の未来(があるとすればですが)から現在を眺める時、
さぞかし現状を愚蔑軽蔑の念をもって語られることと思います。



《 仁 と 愛 》

皇太子(妃:雅子さま)のご長女(皇孫内親王)は、御名を「子〔あいこ〕」さま、
称号を「宮〔としのみや〕」さまと命名されました。
(‘01.12.1 生) 出典は『孟子』です。

○「孟子曰く、君子の人に異なる所以〔ゆえん〕は、
  その心を存〔そん/かえり=省・みる〕する(心に存す)を以てなり。
  君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す。 |
  仁者は人をし、礼ある者は人をす。人を愛する者は人恒〔つね〕に之を愛し、
  人を敬する者は人恒〔つね〕に之を敬す。・・・ 」     (『孟子』・離婁章句下)

《大意》
 孟子がおっしゃるには、「有徳の君子が、一般ピープルと異なっているところは、
よくその本心を存して失わないということに(その心をたえず反省していることに)あるのだ。
君子は、いつも仁と礼の徳を修めて、本心を失わないようにする。(その心を反省する。)
そもそも、仁者というものはよく人を“”するし、礼ある者はよく人を(尊)“”するものである。
人を愛するものは、他人〔ひと〕もまた常にその人を愛するし、
人を(尊)敬する者は、他人もまた常にその人を(尊)敬するものである。 ・・・ 」と。


 当時、皇室の中に男性のお子さまがいらっしゃいませんでした(悠さまがお生まれになる5年前)。 
天皇になることを前提とする“仁”はつけにくく、“愛”にしたのではないでしょうか?
(現・皇室典範で天皇は男性と定められています → 変更すればよいわけではありますが) 

というのも、先述のように“仁”と “愛”は同じだからです。

『論語』にも、 「樊遅〔はんち〕 仁を問う。子曰く、人を愛す。」(顔淵第12) と
仁が人を愛すことであることが述べられています

 そして、「敬〔けい/つつしむ〕」。
母(陰)の“愛”に対して“敬”は父(陽)です。

敬愛そろって、人倫のよろしきが保てるのです。
『孝経』 の「天子章・第2」に、次のような記述があります。


○“子曰く、「親をする者は敢えて人を悪〔にく〕まず、
  親をする者は、敢えて人を慢〔あなど〕らず。|
  愛敬〔あいけい〕 親に事〔つか〕うるに尽くして、徳教百姓〔ひゃくせい〕※ に加わり、
  四海に刑〔のっと〕る(刑〔けい・のり〕す)。蓋し〔けだ〕し、天子の孝なり。 ・・・ ”

《大意》    
孔先生がおっしゃるには、「親を愛する者は、どんな場合も敢えて他人〔ひと〕を憎むようなことはない。
また、親を(尊)敬する者は、どんな場合も敢えて他人を侮る(バカにする)ようなことはない。
“愛”と“(尊)敬”の心が、親に事えるに際して発揮され尽くされれば、
徳による教え・教化が遍く万民(国民全体)に行き渡り、
四方蛮族の国々にまでもお手本としてマネるようになる。
これがまあ、天子たるものの孝というものだろうね。 ・・・・ 」と。


 “敬愛”の名称は、今でも、幼・小・中・高・大の学校関係をはじめ一般団体でも広く用いられています。



《 子〔し/こ〕の字 》

 本来、中国では、上につく“子〔し〕”は、男子の美称・尊称です。
日本では、“お富さん”・“お寅ばあさん”のように名前の上に“お”をつけて丁寧・尊敬を表わしますね。

 下につく“子〔し〕”は、成人男子の尊称で、〜先生・〜様の意です。

例えば、“孔子”は(孔が姓で)、孔先生の意です。
ですから、“孔子先生”や“孔子様”という用いかたは“先生様”と同じく重複で丁寧に過ぎます。

『論語』の「子曰く ・・・」は、「孔子曰く ・・・」を略したものです。
また、子は非常な尊敬を表わしますので、『論語』で子がつくのは“曽子〔そうし〕”ほかほんの数名です。

 従って、極めて敬意を表して“子”が上下につく場合もあります。 

 ── 例えば。

○「子程子〔していし〕曰く、不偏、之を中と謂〔い〕い、不易之を庸と謂う。 
   ── 中略 ── 
  子思〔しし〕其の久しうして差〔たが〕わんことを恐る。故に之を書に筆して、以て孟子に授く。」 

有名な『中庸』・序の冒頭です。“子程子”がそれです。
なお、“子思”は孔子の孫の名で『中庸』の著者です。
尊称する時は子思子となります。

“孟子”は孟が姓です。ついでに、『論語』の人気者・孔子の高弟“子路〔しろ〕”は字〔あざな〕です。

ちなみに、日本でも漢学の教養のある人は、“〜子”と称して敬意を表しています。
例えば、俳人 正岡子規の“子規”は名前(ペンネーム)ですが。
子規の親友 夏目漱石は、そのデビュー作品 『吾輩ハ猫デアル』 の中に
次のように子規を敬意を表して登場させています。

「僕の俳句における造詣と云ったら、子規子も舌を捲いて驚いた位のものさ」。

一方日本では、下につく子は“こ”と読んで、専ら女性の名前に使われます。

本来、〜様 という敬称で、身分の高い女性に付きました(一般の人々には付きませんでした)。

ちなみに、私の母の名は“秀子”で、
その母の一字と父の“義人〔よしと〕”の一字をもらって“秀人〔ひでと〕”と名付けられています
(それに“年”をつけ字し、易号として用いています)。
私の4人の姉・妹は、みな “○○子”です。

子供の命名には、流行〔はやり〕があって、
今は “〜子” は流行らないようでぐっと数は少ないようです。
しかしいずれまた、流行るかも知れません。

私が頼まれて命名したもので、良い出来だったと思っているものの一つに
“夏子〔なつね〕” があります。
夏生まれの女児でした。「子〔ね〕年生まれ」であったことと、“なつこ”と読んでも良いので、
将来成人するころには “〜子” が流行るかも知れないと遠き慮〔おもんばか〕りしての命名でした。



《 結びに 》

 (中国)大陸では、孔子の血脈が受け継がれ、
今時、79代直裔孔孫 孔垂長先生がご活躍と聞いています。

お子さまの、第80代直裔孔孫 孔佑仁さまが、H.18年1月1日にご誕生されておいです。

 我国では、天皇の血統が脈々と受け継がれ、
(神武天皇に始まる初期の代のころは、歴史的実証に疑問がのこるにせよ) 
今上陛下で、125代を数えるとされています。

一番古い皇室(※エチオピア皇室は数年前に追放されています)として世界が注目しています。

その永い歴史の間に、血統が絶えるかもしれないとの危機も幾度かありましたが、
途絶えることなく今日に至っているのは、奇跡的なことといえましょう。

日本の天皇を“世界遺産”に、との声もあるそうです。
実〔まこと〕に偉大、世界に誇れることではあります。

 応神天皇16年、我国に『論語』10巻と『千字文』1巻が伝来した(漢字・儒学の伝来)とされています。

この時以来の、我国の皇室と、天皇の御名に「仁」を冠することに象徴される〔シンボライズ〕
儒学との緊密な結びつきは、現在に至るまで連綿脈々と生きています。
※ 注) この皇室と儒学との結びつきの理由は、どのように考えればよいのでしょうか?

 その考えられる理由の第一は。 
当時、日本の王〔おおきみ〕・元首としての天皇が治世上、
先進唐土〔もろこし〕の儒学という優れた学術文化・治政思想を摂り入れた。
それを強力に普及するべく先頭に立った、という視点が考えられます。

 今一つは、本来アジアの聖なる思想・教学は、至れるもの同じであった。
中国儒家思想(理想像)と日本の天皇の思想(理想像)は
元々似かよっていたから(皇室に「仁」の心がすでにあって)、
自然に速やかに一体化・融合したという視点
です。

 外来文化というものは、固有の文化(神道など)とトラブル〔拒否反応〕を示すものです。
仏教、キリスト教 ・・・然りです。

例を想うに、医学面でも、異なるものが体内に取り込まれる(臓器移植など)と
トラブル〔拒否反応〕を示します。
が、近親者のものなどでDNA〔遺伝子〕が類似しているものなら自然と同化・一体化します。

「仁」の心=儒学の教えは、水が大地に沁〔し〕み込むように日本で吸収され一体化いたしました。

 私は、アジア民族のミーム〔文化的遺伝子:ここでは思想的遺伝子の意〕に想いを馳せて、
後者の視点に魅力を感じています。

そして、私共の祖先が持っていた、外来文化に対する類〔たぐい〕稀な優れた
“陶鋳力〔とうちゅうりょく: 受容・吸収力〕”が相俟っていたことも付言しておきたいと思います。


※ 注) 最近の事例として、皇太子さま50歳をお迎えになる前の記者会見。

《皇太子さまは、天皇陛下も50歳の誕生日会見で触れた
孔子の ※「忠恕〔ちゅうじょ〕」という言葉を引用。
『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、
世の中のため、人のためにできることをやっていきたいと改めて思っております」》 
(朝日新聞 ‘10.2.23) 

と述べられています。


※ 忠恕 ・・・ まごころと思いやり。曽子が、孔子“一貫の道”=仁 を具体的に表現したものです。(『論語』・里仁第4)


【*本稿、尊いお名前について多数ふれております。
記載ミスがありましたら、また敬称の省略など、お赦しいただきますよう。】


以 上 


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