(こちらは、前のブログ記事の続きです。)
《 干支の易学的観想 / 【火天大有 ☲☰】&【天山遯 ☰☶】卦 》
※(→ 資料参照のこと)
次に(やや専門的になりますが)、十干・十二支の干支を
易の64卦にあてはめて(相当させて)解釈・検討してみたいと思います。
昨年の干支、「乙・未」は【風地観☴☷】卦でした。
精神性重視、心眼で深く観る、“観光”といった意でした。
今年の「丙・申」は【火天大有〔たいゆう〕☲☰】卦、
先天卦は【天山遯〔とん〕☰☶】となります。
【火天大有】卦は、大いに有〔たも〕つ、大いなるものを有つの意です。
易では(陰陽のうち)“陽”を“大”としますので
“陽”を有つの意とも考えられます。
「仲(冲)天の太陽」の象で、豊かな盛運の時を表しています。
2爻には「大車以て載〔の〕す」。
上爻には
「天よりこれを祐〔たす〕く。吉にして利ろしからざるなし」
との辞があります。
しかるに、盛大・盛運な時と申しますのは、
凋落〔ちょうらく〕・衰運への可能性を孕〔はら〕んでいます。
十干・「丙」でも述べましたように、
“陽極まれば陰”で盛大・盛運に楽観し油断すると逆転してしまいます。
【大有】は、下卦【乾☰】の上に【離☲】があります。
5爻の“陰”は【離☲】の中爻ですから、最高の明智・明徳です。
つまり、【乾☰】の“陽剛” を「智〔知と徳〕」をもって有〔たも〕つのです。
社会のレベルでは文化と経済の、
個人レベルでいえば“文武両道”のバランスが大切です。
「天祐〔てんゆう〕」・“天恵” は最強で有難いものです。
『易経』384爻〔こう〕の中で最良でしょう。
「子曰く、祐とは助なり。」(繋辞上伝)とありますように、
それは“天助”に他なりません。
そして、その“天助”は、自然現象としてばかりではなく、
(具体的には)人からの協力・助力という形をとって現れもいたします。
「易」(=東洋源流思想)では、“天の思想”と“時”の理解が重要です。
“天”と“天の時”をよくよく認識して、
“天に応じて時じく行う”ことが肝腎なことです。
加えて、指導者〔リーダー〕の活動の指針として、
「順天休命」(大象)が述べられています。
「君子以て悪を遏〔とど〕め善を揚げて、
天の休〔おお〕いなる命に順〔したが〕う。」
すなわち、君子は、悪に対しては 刑罰をもってこれを防ぎ止め、
善に対してこれを称〔たた〕え揚げ賞し登用するのです。
このようにして、天の真に善にして美しい命に順うようにつとめるのです。
このことは、為政の道ばかりでなく、
個々人のレベルにおける“修身の道”もまた然りではないでしょうか。
次に、先天卦の【天山遯】卦は、解脱〔げだつ〕達観の卦です。
引退・隠居の意、現職を辞して新規事スタートの意、でもあります。
春は一般に、異動・変化の時(=【震】☳)です。
「時と與〔とも〕に行うなり」(彖伝)とありますように、
時をはかって(時のよろしきを得て)退くことが肝要です。
また、自分の世界=“壺中〔こちゅう〕の天”を持つことが大切です。
若者風にいえば“アナザースカイ”ですね!
もちろん、実際に山奥に隠遁〔いんとん〕するわけにはゆきませんので、
駁雑〔ばくざつ〕な俗世の中に在っても
そういった精神世界を持つ、ということです。
私には、「易」や老子の世界があり、
「美(への探究)」の世界があります。
おかげで、行き詰まり窮することがないし、
逆境辛苦の中にあっても致命傷を負わず心穏やかに過ごせています。
★参考資料 ≪ 高根:「『易経』64卦奥義・要説版」 pp.15・33 抜粋引用≫
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No.14.大有 【火天たいゆう】 は、大いに有〔たも〕つ。
3大上爻〔大有・大畜・漸〕、帰魂8卦
高根流 日の7(8)卦 〔(離火)・升・晋・豊・大有・旅・賁・明夷〕
● 中天の太陽、天佑あり、※「順天休命」(大象)
易は、“陰”を小とし“陽”を大とする。
大有は、陽を有つ意(=盛大)。
(大いに有つと、大いなるものを有つの意)
・2爻:「大車以て載〔の〕す。」 ・・・
A)ロールスロイスに財宝を山と積むように ── 。
B)重荷を積んでゆくようにすれば ── 。 「積中不敗」(象伝)
cf.「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し。・・・ 」
(徳川家康)
・上爻:「天よりこれを祐く。」 ・・・ 天の配剤、384爻中の最良
■ 下卦 乾天の上に、上卦 離火(=太陽)。
1)日、天上に輝く象。
2)1陰 5陽卦 :
5爻の1陰の天子は、大有の主爻。また、離の主爻。
陽位に陰爻あるは柔和な徳。離の明徳と中庸の徳を兼備し、正応・正比。
他の 5陽の剛健な賢臣たちが随従している象。心を1つに集めている象。
※ 離の中爻の陰は、離の主爻であり中徳を持つ。
なぞらえれば、離=炎 の中心は、虚にして暗く燃えていない、陰です。
○ 大象伝;「火の天上に在るは大有なり。
君子以て悪を遏〔とど〕め善を揚げて、天の休〔おお〕いなる命に順う。」
(離火が、乾天の上にあるのが大有です。離の明知・明徳と乾の断行です。
この象にのっとって、君子は、悪に対しては 刑罰をもってこれを防ぎ止め、
善に対してこれを称〔たた〕え揚げ賞し登用するのです。
このようにして、※ 天の真に善にして美しい命に順うようにつとめるのです。
〔為政の道ばかりでなく、修身の道もまた然りです。〕)
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33. 遯 【天山とん】 は逃れ退く。
精神性3卦 (観・无妄・遯)、
大卦(大巽)、消長12卦 (7月)
● 解脱〔げだつ〕達観、「時と與〔とも〕に行うなり」(彖伝)、
孤高、天国、“壺中〔こちゅう〕の天”
cf.朱晦庵〔しゅかいあん〕 = 朱子(朱熹)が自ら「遯翁」と号す
※ 明夷は地中に追いやられ、遯は高地にいる
■ 山の上に天。
1)乾の君子が高地(艮山)に隠遯している象。
2)また、二陰の小人(初爻と2爻)が勢いを増して陽の君子が押されていく、
が 「天地否」には至らぬ)象。
* 2爻と5爻が正応。
○ 大象伝;「天の下に山あるは、遯なり。
君子以て小人を遠ざけ、悪〔にく〕まずして厳しくす。」
(山は天に迫ってそびえていますが、山高くとも天にとどかずです。
この象にのっとって、君子は、小人を遠ざけるのに、憎しみをもってではなく
自然に近づくことが出来ないように、自分を厳正にすることが大切です。)
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《 おわりに 》
人生には、3つの“坂”があると言われます。
“上り坂”・“下り坂”・“ま坂〔マサカ〕” 注1)
がそれです。
時代・社会のレベルにおいても個々人のレベルにおいても然〔しか〕りです。
易学的に解せば、“上り坂”は“陽の時”、“下り坂”は“陰の時”とも言えましょう。
“ま坂”には吉凶両極の場合があるわけですが、
吉事の“ま坂”が 「天祐」とも言えましょう。
今年の私の年筮は、【沢水困☱☵】の得卦で(動爻:5爻乾の坤変により)
【雷水解☳☵】の動卦〔どうか〕でした。(中筮・擲銭〔てきせん〕法による)
この三難卦の一つ【困】卦を、“艱難〔かんなん〕汝〔なんじ〕を玉にす” 注2)
で【大有】同様才智・力量ある人には吉、と捉え
自らを励まし励まし乗り切って、問題解決・氷解の【解】卦に至るつもりです。
人生の3つの“坂”と吉凶両極の“ま坂”に想いを馳〔は〕せながら、
「天の休〔おお〕いなる命〔めい〕に順〔したが〕って」、
“陽”を有〔たも〕つ年にしたいものと想っております。
注1)
「まさか」は、本来“よもや・いくらなんでも”とんめいった意味で、
(打ち消し・反語などの語を伴って)予期しない仮定を表す副詞です。
「まさかの時」は、万一の場合をさします。
“ま坂”はゴロ合わせで、人生の予期しない奇想天外の出来事を指すのでしょう。
“ま坂”でふと思い浮かびましたのは。
人生ずっと“上り坂”であった羽柴(豊臣)秀吉が、
中国(=毛利)に遠征し対峙していた時、
“本能寺の変”で織田信長が明智光秀に討たれた状況です。
信長という巨大な後ろ盾を失い、大敵毛利を前方に光秀を後方にして
絶体絶命の大ピンチであったともいえます。大凶です。
反対に、一転して主君の仇・光秀を討ち、信長後継者の筆頭となり
一気に天下取りに躍り出て天下を統一いたします。むろん大吉です。
“ま坂”の時とその“ま坂”の吉凶は測り難いものです。
注2)
‘Adversity make a man wise.’
(逆境は、人を賢くする。)
神はその人(の能力)にみあった試練(苦労)を与えるものです!
( 以 上 )