儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

曾子

むかしの中国から学ぶ 第1講 「孔子と論語」 (その3)

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)


2. 論 語 

■ 孔子とその弟子の言行録 /応神天皇 16年、王仁〔ワニ〕 によって伝えられる
10巻20篇。 / 『孝経』 とともに 大学の必修 / 
“綸語” ・ “輪語” ・ ☆ “円珠経” ・ “宇宙第一の書” / 
“論語読みの論語知らず” ・ “犬に論語” /
孔子75代嫡長孫 「孔祥楷」 氏、77代 「孔徳成」 氏


cf.世界史レベルでのベストセラーは? 【 聖書 と 論語 】、
   第2は? 【 老子 】

※ イスラーム文化圏では 『コーラン』 が多、童話では 『ピノキオ』 が多、
  最近では 『ハリー・ポッター』 (4億冊あまり) が多 ・・・



《 冒頭 ・ 「小論語」 》


○「子曰く、学びて時に之を習う、亦〔また〕説〔よろこ〕ばしからずや。
朋〔とも〕あり、遠方より来る(朋の遠方より来る有り)、亦楽しからずや。 
人知らずして?〔うら〕みず、亦君子ならずや。
」   (学而・第1)

“ The Master said, To learn and at due times 
to repeat what one has learnt, 
is that not after all a pleasure ? ・・・ ”

《 大意 》
 孔先生がおっしゃいました。
「(先人のおしえを) 学び、時機に応じて (折にふれて/機会あるごとに)
おさらいして自分のものにしていく、何と喜ばしいことだねエ。 
(道友・学友) が遠方からやって来る、何と楽しいことだねエ。 
他人〔ひと〕 が自分の学問 ・ 価値を認めてくれなくても不平不満を抱かない、
何と君子〔できた立派な人物〕 ではないか」 と。


・「子」 ・・・ 男子への敬称、先生。〜子/子〜子。 『論語』 では孔子のこと。
         『論語』 に登場する “〜子” は、曾子ほかほんの数名にすぎません。

・「 ・・・ 人間形成 ・ 人格完成の学。 徳をみがく根本の学。 聖賢の学。 
         ⇒ 今の教育は、「学」 の内容そのものに欠陥があります。

・「時習 ・・・ 『論語』 の冒頭から非常にむつかしい言葉です。
         結論的に言えば、「時に之を習う」 では訳せないので
         「時一習ス」 とそのまま読むのが善いです。

・「之」 ・・・ “学んだことがら” を指します。

・「朋」 ・・・ 同じ学問 ・ 道を志す “学友” ・ “道友” 。
         ( cf. 「どんな朋でしょうか?」 の質問に 「心やさしい友達」 と答えた生徒がいました。
          ちなみに、いまどきの造語として “タダトモ” に倣って
          “ガクトモ” ・ “ミチトモ” もアリ?!)

・「君子」 ・・・ 有徳の人、人格の完成した人。
          また、そのようにあろうと努力している立派な人。
          ⇔ 小人〔しょうじん〕  =ジェントルマン、士〔もののふ〕

・「人不知而不慍」 ・・・ 孔子の人生を踏まえて味わうと重く深いものがあります。
              孔子の生涯は不遇であり、儒家の教えは当時認められず 
              “負け組” であったのです。
              この説は次のように解釈できます。 ── 
              徳をみがき(内面の) 人格を高めた人が君子です。
              内面が確立しているので、他人の理解や評価に流されないで、
              感情を制御〔コントロール〕 できるのです。
              善く出来た人 ・ 人格者は、他人の軽薄な評価や
              いい加減な社会的評価に動かされることはないのです。

・「学而」 ・・・ 『論語』 の20の章分けは、
          便宜的に最初の 2文字をもって名称としています。

・「不亦 ── 乎 ・・・ 「なんと〜ではないか」 と詠嘆を表しlます。



※ 『論語』の文言に由来して名付けられた、日本史上の著名人 ?

(1)【 伊藤 博文 】 (2)【 山県 有朋 】 (3)【 広田 弘毅 〔こうき〕 】 (4)【       】

(1)    “博文約礼”= 「 博〔ひろ〕 く文を学び、之を約するに礼を以てすれば、
            亦以て畔〔そむ〕 かざるべきか。」 (雍也・第6)

(3) 「曾子曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。仁以て己の任となる。
    亦〔また〕 重からずや。 死して後已〔や〕 む。 亦遠からずや。」 (泰伯第8)
  ⇒ “志人仁人” / cf.広田弘毅 首相・外相 (A級戦犯として文官中ただ一人死刑となる)



3.孔子の弟子たち 

          *(配布資料 : “孔子の弟子” ダイジェストB4プリント1枚)

○ 「弟子は蓋〔けだ〕 し 三千。 身、六芸に通ずる者 七十二。」
   (司馬遷・『史記』/孔子世家)

十大弟子〔ていし〕” / 孔門の “十哲” / “四科十哲


孟子(軻) −−−  [ 亜聖 ]

曾子(参) −−−  [ 宗聖 ]

孔子〔丘〕 −−−  [ 至聖 ]

顔子〔回・淵〕−−− [ 復聖 ]

子思(子) −−−  [ 述聖 ]


★ 孔子の後継
1. 【 忠恕派 ・ 仁の重視 】 : 曾子 ── 子思 ── 孟子
2. 【 礼学派 ・ 礼の重視 】 : 子游/子夏 ── 荀子 ・・・ (法家)李斯/韓非子
        (*子游は “礼の精神” を重んじ、子夏は “礼の形式” を重んじた )




■ 孔子の弟子たち ──  1.顔回 

 顔子 ・ 顔回。 は名、 は字。 孔門随一の俊才 ・ 偉才で 徳の人です
(後、「復聖」 と尊称されます) が、惜しくも早世(32か42歳)。
20代の頃から髪がまっ白であったといわれています。 
顔回は、孔子が自ら後継ぎと託した偉大なる愛弟子〔まなでし〕だったのです。  
※ 孔子との年齢差 「30」才



1)あたかも愚物の如し ( 「如愚」 ) ・・・ 孔子の顔回への初印象。

・「子曰く、吾回と言うこと終日、違〔たが〕 わざること愚の如し。
 退いて其の私〔わたくし/し〕 を省みれば、亦以て発するに足れり。
 回や愚ならず。」  (為政・第2−9)

《大意》
  わしは、回と一日中(学問上の)話をしたが、
 (全く従順で)意見の相違も反問することもなく、
 まるで何もわからない愚か者のようであった。
 だが、回が退出した後に、くつろいだ私生活を観てみると、
 わしが話し教えた道理をしっかりと行いの上に発揮(活か)することができておる。
 〔大いに啓発するに足るものがある。〕
 回は愚かではないよ。


2)「箪食瓢飲 〔たんし ひょういん〕 」 ・・・ 孔子の顔回賛美

・「子曰く、賢なるかな回や。一箪〔いったん〕の食〔し〕
 一瓢〔いっぴょう〕 の飲〔いん〕、 陋巷〔ろうこう〕 に在り。
 人は其の憂いに堪えず。 回や其の楽しみを改めず。 賢なるかな回や。」 
  (擁也・第6−11)

《大意》
  回は、ほんとうにえらい〔賢い〕ものだね。
 食べるものといったら竹のわりご一杯のごはん、
 飲むものといったら ひさご一杯の飲み物、
 住む所といったらむさくるしい狭い路地暮らしだ。
 普通の者ならそんな貧乏の憂い〔辛さ〕にたえられないだろうに。
 回は、そんな生活の中でも、心に真の道を楽しむことを変えようとしない。
 〔この修養の高さはとうてい他人の及ぶところではないね。〕
 まったくえらい〔賢い〕ものだね、回は!

 ※ 「賢哉回也・・・ 回也賢哉 というところを語の位置を変えています (倒置)。
            孔子が大いに賛美していることがうかがえます。
 ※ 「食」 ・・・・・ 動詞の場合は「ショク」、 名詞の場合は 「シ」 と読みます

 cf.「シカゴ大学にクリールという教授がおる。 
     ・・・・・・ 然しこの人には顔回がわからない。
     『顔回はあまりにも貧乏であったために、自ずから万事控え目になり、
     引っ込み思案になったのだ』 と言い、
     最後には 『少し馬鹿だったのではなかろうか』 とまで疑うておるのでありますが、
     とんだ誤解です。一寸〔ちょっと〕 以外な浅解です。 」 (安岡正篤・『論語に学ぶ』)



■ 孔子の弟子たち ──  2.曾子 


 曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。
弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 
70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。
孝経』 ・ (『曾子』 ・ 『大学』)の著者としても知られます。
「宗聖」 と尊称されます。

 私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕 を亡くし、
絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした
(=Gift) のように思われます。

孔子の愛孫、「子思」 を薫育します。
地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。

 『論語』 の門人で、いつも 「子」 をつけて呼ばれるのは曾子だけです。
(有子 ・ 冉子〔ぜんし〕 ・ 閔子〔びんし〕 は、字〔あざな〕 でも呼ばれています。)



1) あたかもなるが如し ── 第一印象

○「柴〔さい〕 や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕 やガン〔がん〕。」 
  (先進 ・ 第11−18)

《大意》
 柴(子羔 / しこう) は愚か〔馬鹿正直〕 で、参 (曾子) は血のめぐりが悪く、
 師(子張) は偏って中正を欠き、由(子路) は粗暴 ・ がさつだ。

 ※  = 遅鈍、魯鈍の語がありますが、
   血のめぐりが悪い ・ にぶい ・ “トロイ” と言った感じです。
   「愚」 も 「魯」 も、味わいのある語で日本語に訳せません。
   孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、
   それを期待して指摘 ・ 表現したのでしょう。


2)「吾日三省吾身」 ── 三省の深意

○「曾子曰く、吾〔われ〕 日に吾が身を三省す
 人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。
 *伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
  (学而・第1ー4)

《大意》
 曾先生がおっしゃいました。
 「私は、毎日何度もわが身について反省します。
 人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。
 友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。
 (先生から) 伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。
 (あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。) と反省してみます。」

 ※「吾日三省吾身」 :
 ・「三省
    (1)みたび吾が身を省みる
        ( 三 = たびたびの意 / 二たびではダメですか ・ 四たびではダメですか!) 
    (2)以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕

 ・「
    (1)かえりみる、反省する
    (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)

   cf.政治も教育も、「省く」 ことが大切です。
      が、現状は、「冗」 ・ 「擾〔じょう〕」。
       (分散、駁雑〔ばくざつ〕) ばかりで、
       (統合、収斂〔しゅうれん〕) がなく、
      偏倚駁雑 〔かたよりごたまぜ〕 です。

   ex.文部科学などの「省」、「三省堂」の由来



■ 孔子の弟子たち ──  3. 子路 

 私は、孔子(と弟子) の言行録である 『論語』 が、優れた一面として、
文学性 ・ 物語性をも持っていると考えています。
(優れた歴史書 『史記』 もまた文学性 ・ 物語性 ・ 思想性を持っています。)

 そういう意味での 『論語』 を、人間味(情味) 豊かに飾るものが、子路の存在です。
『論語』 での登場回数も子路(&由〔ゆう〕) が、一番多いのではないでしょうか。
子路の存在 ・ キャラクター、その言動によって、
『論語』 は より身近により生き生きとしたものとして楽しめるのだと感じています。
子路のファンの人も多いのではないでしょうか。


 中島 敦〔あつし〕 の短編歴史文学 『弟子』 は、子路を描いています
(次々回述べる予定です)。
その波乱の生涯の中でその最後(膾〔なます〕 のごとく切り刻まれて惨殺される) も、
ドラマチックです。 ※注)

 子路は、姓を仲、名を由〔ゆう〕、字〔あざな〕 を子路といいます。
また別の字を季路ともいいます。 孔子とは、9歳差。
四科十哲では、冉有〔ぜんゆう〕 とともに
政事(政治活動) に勝れると挙げられています。

 子路は、元武人(侠客〔きょうかく〕のようなもの : 博徒・喧嘩渡世) の経歴で、
儒家 ・ 孔子派の中での特異 ・ 異色〔ユニーク〕 な存在です。
その性状は、粗野 ・ 単純 ・ 気一本 ・ 一本気の愉快な豪傑といったところでしょう。
殺伐物騒な戦乱の時代にあって、現実政治的な役割と
孔子のボディーガード的役割を兼ねていたのではないでしょうか。
“お堅い” ムードになりがちな弟子集団の中にあって、
豪放磊落〔ごうほうらいらく〕 なムードメーカー的存在でもあったでしょう。

 私は、『論語』 の子路に、『三国志』 (『三国志演義』/吉川英治 ・ 『三国志』) の豪傑 
“張飛〔ちょうひ〕” 〔劉備玄徳(と関羽)に従う義兄弟〕 を連想しています。
虎・虎髭〔とらひげ〕 と愛すべき単純さ(そして劇的な死) のイメージが、
楽しくまた鮮烈に重なっています。


 ※注) 孔子73歳の時(孔子の死の前年)、
     子路は衛の内紛にまきこまれて惨殺されました。 享年64歳。(後述)
     「由が如きは其の死を得ざらん( ── 得ず。然り。)。」 (先進・第11−13)
     (由のような男は、まともな死に方はできまい。/畳の上で死ぬことはできないかもしれない。) 
     と日ごろから言っていた孔子の心配が、予言のように的中してしまったことになります。



■ 孔子の弟子たち ──  4.子貢 

          
 孔子門下を儒家思想 ・ 教学の本流から眺めれば、
顔回と曽子を最初に取り扱うのが良いかと思います。
が、『論語』 を偉大な 社会 ・ 人生哲学の日常座右の書としてみる時、
子路と子貢とはその双璧といって良いと思います。
個性の鮮烈さ、パワー(影響力) において、
孔門 3.000人中で東西両横綱でしょう。
実際、『論語』 に最も多く登場するのが子路と子貢です。
(後述の) 『史記』 ・ 「仲尼弟子〔ちゅうじていし〕列伝」 においても
最も字数が多いのは子貢、そして子路の順です。 

 さて、子貢(BC.520〜BC.456) は字〔あざな〕。 姓は端木、名は賜〔し〕。
衛〔えい〕 の出身で裕福な商人の出とされています。
四科(十哲) では、宰与〔さいよ〕 と共に 「言語」 に分類されています。
孔子との年齢差は、 31歳。


 孔門随一の徳人が俊英 ・ 顔回なら、孔門随一の才人 ・ 器量人が子貢でしょう。
口達者でクールな切れ者。そして特筆すべきは、商才あり利財に優れ、
社会的にも(実業家として) 発展
いたしました。
清貧の門人の多い中、リッチ ・ Rich! な存在です。
孔子とその大学校 (※史上初の私立大学校ともいえましょう) を、
強力にバックアップしたと思われます。
今でいう理事長的存在(?) であったのかも知れません。
そのような、社会的評価 ・ 認知度もあってでしょう、
“孔子以上(の人物)” と取り沙汰され、
その風評を子貢自身が打ち消す場面が幾度も 『論語』 に登場します。



○子、子貢に謂いて曰く、
 「女〔なんじ〕 と回と 孰〔いず〕 れか 愈〔まさ〕 れる。
 対〔こた〕 えて曰く、
 「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞いて以て十を知る。賜や一を聞いて以て二を知る」 
 子曰く、※「如〔し〕 かざるなり。 吾れと女と如かざるなり」と。
  (公治長・第5−9)

※「汝與回也孰愈」 ── 
   頭がキレ弁(口)がタツ 子貢には、
   他人〔ひと〕 を評し比べるという性癖 ・ 趣味とでも言えそうなものがあったように思います。
   「問曰」 とシンプルに書き始められていますが、
   そんな子貢の口ぐせをよくよく承知している孔子が、
   くつろいでいる時に (半ば戯れに)、
   「おまえと顔回とでは、・・・ 」 と尋ねたのではないでしょうか?
   顔回の「一を聞いて以十を知る」 ということの意味は、
   1 に対して10倍というより、1つの端緒で全体を把握するということでしょう。
   十全を知る、あるいは是非曲直の結論を知るの意です。
   また、どの学者先生も書いていないかと思いますが、
   私は、易学の真髄である “幾を知る” に近いことだと考えています



■ 孔子の弟子たち ──  5.宰我 

 宰予〔さいよ:BC.552−BC.458〕、字は子我、通称宰我。
「言語には宰我・子貢」 とあり、子貢と共に “四科十哲” の一人で、
弁舌をもって知られています。 孔子との年齢差29歳。
子貢が孔子と年齢差31歳ですから、宰予と子貢はほぼ同年齢ということです。

『論語』 の中に表われている宰予は、子貢とは対照的に
悪い面ばかりが描かれ孔子と対立して(叱責を受けて) います。
宰予は、孔門の賢く真面目な優等生的多くの弟子の中にあって、
“異端児” ・ “劣等生” ・ “不肖の弟子”… といった印象を与えています。
が、しかし、“十哲” にあげられ、孔子との対立が敢えて記されていることからも
(逆に) 端倪〔たんげい〕 すべからぬ才人 ・ 器量人であったと考えられます。
孔子も、“ソリ” ・ “ウマ” はあわなくも、一目おいていたのではないでしょうか。

○宰予 昼寝〔ひるい/ひるしん〕 ぬ。
 子曰く、「朽木は雕〔え/ほ〕るべからず、
 糞土の牆〔しょう/かき〕はヌ〔ぬ/お・す〕」るべからず。
 予に於いてか何ぞ誅〔せ〕めん。」 と。 |
 子曰く、「始め吾、人に於けるや、其の言〔げん〕を聴いて其の行い〔こう〕を信ず。
 今、吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」 と。
  (公冶長・第5−10)

《大意》
 宰予が、昼寝をしていました。
孔先生が、これを叱責しておっしゃるには
「朽ちた(腐った)木には彫刻をすることは出来ないし、
土が腐ってボロボロになった(ごみ土/穢土) 土塀には
美しく(上)塗り飾ることも出来ない。
(そんな、どうしようもない奴だから)
わしは、宰与を叱りようもない(叱っても仕方ない)。」 と。 |
そして、孔先生は続けて、
「わしは、以前は、人の言葉を聞いてその行ないまで (そのとうりだと) 信頼したものだ。
が、しかし、今後は人に対して、その言葉を聞いても(鵜呑みにせず)
その行ないもよく観るてから信ずることにする。
宰予のことがあってから、人に対する方針 ・ 態度をそのように改めるに至ったのだ。」 
と、おっしゃいました。

 ・「不可」: 出来ない、不可能の意。〜する値打ちがない。



■ 孔子の弟子たち ──  6.子夏 


 “子貢〔しこう〕” と 字面〔じずら〕 が似ていて間違えそうですが ・・・ 。
子貢のように知名度が高くないので、ともすると子貢と同一視している人もいそうです。

 「文学子游子夏」 (先進第11)。
「四科(十哲)」 では、子游と共に文学に位置づけられている大学者です。
「文学」 というのは、古典 ・ 経学のことです。
姓は卜〔ぼく〕、名は商。 子夏は字〔あざな〕です。孔子より、44歳年少

 謹厳実直、まじめで学究タイプの人柄であったといいます。
文才があり、殊〔こと〕に礼学の研究では第一人者です。
大学学長 ・ 総長といった感じでしょうか。
曾子が仁を重視する立場(忠恕派) なのに対して、
子夏は礼を重視する立場(礼学派) です。

儒学の六経を後世に伝えた功績は大なるものがあります。
(漢代の経学は、子夏の影響力によるものが大きいです。) 
長寿を得て、多くの門弟を育成しました。
その子を亡くした悲しみで、盲目になったと伝えられています。

 子夏は、『論語』 でしか知られることがない、といってもよい人です。
が、私は、非常にその文言に印象深いものがあります。
というのは、“色”っぽい(?)弟子 ・ 子夏としての意なのです。
私感ながら、『論語』 は子夏の言に、
“色” にまつわる記述が多くあるように思われるのです。
私、日本最初の 1級カラーコーディネーター
(’92. 現文部科学省認定「色彩検定」) としましては、
子夏は、孔子門下で “色の弟子” としての印象なのです。




( 以 上 )



(この続き、第2講 「 易占 と 易学 」 は次のブログ記事に掲載しております。)


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第二十四回 定例講習 (2009年10月25日) 前編

孝経  ( 広揚名章 第14 )  執筆中

― ― ―

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 曾 子 〔2〕 )

4) 夫子(孔子)「一貫〔いっかん/いつもってつらぬく・おこなう〕の道」

 ○ 子曰く、「参や、吾が道は一〔いつ〕以て之を貫く(或いはおこなう)」と。
   曽子曰く、「唯〔い〕」と。
   子出ず。門人問うて曰く、「何の謂いぞや」と。
   曽子曰く、「夫子の道は、忠恕のみ」と。
  (里仁・第4−15)

 《 大 意 》

 孔先生がおっしゃるには、
 「参や、わしの道は一〔いつ〕なるもので貫いておる(行っておる)。
 (その道がわかっておるか?)」 

 曽子はすぐに、「はい〔唯〕。(よく承知いたしております)」と答えました。

 他の門人たちが、(禅問答のようでさっぱりわからないので)
 「今のお話は、一体どういう意味なのですか。」と問いました。

 曽子は、「先生の説かれる道は ※“忠恕”
 ( ――思いやりといつくしみ・まごころと思いやり/造化の心、
 そのまま、限りなく進歩向上していくこと
 
 のほかにはありませんよ」と答えました。

 ※曽子は、敢えてと言わずに解り易く具体的に忠恕と表現したと考えられます。
 (→ 研究後述)

研究

 A.とは?

  ・思いやりといつくしみ (忠恕・愛・慈悲) / 
   「忠」【おのれ】は中する心、限りなく進歩向上する心 = 弁証法的進歩
   「恕」【人におよぼす】= 女の領域・女の世界 = 造化
  ・「一〔いつ〕なるもの」=「永遠なるもの」=「受け継がれるもの」
  ・“見えざるものを観、聞こえざるものを聴く”ことによって智〔さとる〕(覚智)

   cf.“女をば法〔のり〕のみくら〔御座〕といふぞげに
      釈迦も達磨もひょいひょいと出る”
      (一休和尚)  / ・神道 “産霊〔むすび〕”

 B.荻生徂徠〔おぎゅうそらい〕の理解

  ・荻生徂徠は、「吾道一以貫レ之」について、
   孔子が仁の実践によって天下を安んずる道を理想とし、
   仁をあらゆる徳の根本であると理解しています。
   そして、「忠恕」を仁を実践する手段であると考えています。
   以下の原典ご参照下さい。

 ○ 夫れ先王の道は、天下を安んずるの道なり。
天下を安んずるの道は仁に在り。
故に曰く、「一以て之を貫く」と。/
何を以て之を貫くと謂う。仁は一徳〔いっとく〕なり。
然れども亦〔また〕大徳なり。故に能〔よ〕く衆徳を貫くべし。
先王の道は多端なり。唯だ仁のみ以て之を貫くべし。
辟〔たと〕へば繦〔きょう〕の銭を貫くがごとく然り。
故に貫くと曰う。
一理や一心や誠〔せい〕やのごときは則ち一〔いつ〕なるのみ。
何ぞ必ずしも貫くと曰わん。/
故に曽子曰く、「忠恕のみ」と。忠恕は之を為す方なるが故なり。

(荻生徂徠・『弁道』)

 《 大 意 》

そもそも、古〔いにしえ〕の聖王の道は、
世の中を遍〔あまね〕く平安にするための道です。

世の中平安への道は、“仁”の実現・実践にあります。

ですから、孔先生は、
「わしの道は一〔いつ〕なるもので貫いておる」とおっしゃっているのです。

それでは、どうして“貫かれている”というのでしょうか。

“仁”は1つの徳ではありますが、
すべてのものに行きとどく大きな徳なのです。

だからこそ、他の多くの徳を貫くことが出来るのです。

古の聖王が説く道は、多岐にわたっています。

が、ただ“仁”だけは、それらすべてを貫くことが出来るのです。

例えば、“ゼニサシ”がいくつもの銭の穴を貫いて
1つにつなげられるようなものです

そこで、“貫かれている”というのです

一理・一心・誠などは、ただ徳の1つにすぎません。

ですから、必ずしもすべてのものを貫くとは言えないのです。

以上のことから曽子は、
「思いやりといつくしみのほかにはありませんよ」と言ったのです。

要するに、“思いやりといつくしみ”が
“仁(= 一つのもの)”を実践するための具体的手段であるからです

 

5) ※『孝経』 を著わす

○ 曽子疾〔やまい〕あり。
門弟子〔ていし〕を召して曰く、
予〔わ〕が足を啓〔ひら〕け、予が手を啓け。
詩に云わく、戦々兢々〔せんせんきょうきょう〕として、
深淵に臨むが如く、薄氷を履〔ふ〕無が如し、と。
而今〔いま〕よりして後、吾免るることを知るかな。小子。
 (泰伯・第8−3)

 《 大 意 》

曽子が病気にかかり危篤〔きとく〕状になった時、
弟子たちを集めて言いました。

「ふとん〔夜具〕を開いて、私の足を見てみなさい。
(では次に)私の手を見てみなさい。
身体のどこかに傷痕〔きずあと〕はないか。

『詩経』(小雅・小旻〔びん〕篇)の中に、
“深い淵〔ふち:谷の断崖〕にっ立って落ちるのを恐れるごとく、
薄い氷をふんで割れはしないかと恐れるように、
戦々として恐懼し兢々として戒慎する”とあるが、
(私は、父母からもらったこの身体を傷つけぬように大切に保ってきた。
大変だったぞ。)
こうして無傷で(親不孝せずに)あの世に行ける。

もう我が身を傷つけぬ責任から解放される。

やれやれだよ。お前たち。」

※ 『論語』は、曽子の弟子が主体になって作られたようです。(?)
『孝経』は、孔子が曽子に語るという形式で、
曽子の弟子がまとめたと思われます
。(ex.曽子曰く ・・・ )

cf.「詩云、戦々兢々・・・」
→ 「身体髪膚これを父母に受く、
  敢えて毀傷〔きしょう〕せざるは孝の始めなり。」

 

6) 「千万人と雖も吾れ往かん」 (『孟子』)

○ 「昔者〔むかし〕曽子、子襄に謂いて曰く、子、勇を好むか。
吾嘗〔か〕って大勇を夫子に聞けり。
自ら反〔かえり〕みて縮〔なお〕からずんば、
褐寛博〔かつかんぱく〕(=賤者)と雖も、吾惴〔おそ〕れざらんや。
自ら反みて縮くんば千万人と雖も吾往かん。」 

(『孟子』・公孫丑〔こうそんちゅう〕上)

 《 大 意 》 

昔、曽先生は、(弟子の)子襄に向かっておっしゃっている。

「お前は、勇を好むか。
私は、かつて孔先生から、大いなる勇というものにいついて聞いたことがある。

それは、自分でよく反省してみて正しくない場合には、
たとえ褐寛博のような(取るに足らない賤しい)者であっても、
恐れないことがあろうか(いや、ありはしない)。

しかし、自分でよく反省してみて正しい場合には、
たとえ相手が千万人であろうとも、恐れずにっ向かってゆくであろう、
ということなのだ。(これが、真の意味での大勇なのだぞ。)」

自反・・・自ら反〔かえり〕みて/反〔はん〕して
→ 反省してみて(「三省」)
「縮」 = 直、
「直」はまた「徳」の字(右側のつくり部)でもあります。

「千万人と雖も吾れ往かん」 の勇ましいのを孟子とカン違いしている人もいるようです。
原典のように、『孟子』〔もうじ〕の中の曽子の言葉です。
孟子が弟子の公孫丑との会話の中で、曽子の言葉を引用して自論を述べています。

 

7) 重き荷を負うて ・・・・

○ 曽子曰く、士は以て弘毅〔こうき〕ならざるべからず
任重くして道遠し。仁以て己〔おの〕が任となす。
亦重からずや。死してのち已〔や〕む。亦遠からずや。
(泰伯・第8−7)

 《 大 意 》 

曽子が言うには、「士(道を志す者)は、心が広く意志が強くなければならぬ。
なぜならその任務は重く、行くべき道は、はるかに遠い。

その任とは、最高の徳“仁”の道の体得と実践である。
何と荷が重いことではないか。

この仁という重荷を死ぬまで負っていくのである。
何とはるかに遠いことではないか。」

「士」= 「士」の字は、十人を一束にしてゆく力量のある指導者。
士を公務員・教養人・指導者(リーダー、エリート)と捉え、
そういった官僚・公務員の心構えを説いていると解してもよいでしょう。

弘毅 = 度量広く意志が強いこと /
不可以不 〜 
は、〜でなくてはならない。
二重否定を用いて肯定を強める慣用形。

※ 任が重いのは「仁」を実現させねばならないからで、
道が遠いのは死ぬまでその遂行が求められているからです。
志士仁人〔ししじんじん〕といわれ、人の任務の重大さを力説する文章です。

cf.★井上 毅〔こわし〕/犬養 毅〔いぬかい・つよし〕/
広田弘毅〔こうき〕
:極東軍事裁判でA級戦犯となり
文官中で一人死刑となりました

徳川家康家訓 : 「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし
急ぐべからず。不自由を常とおもえば不足なし。
心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基〔もとい〕。怒りを敵と思え。
勝つことばかりを知りて負くることを知らざれば害その身に至る。
己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり。」
(『東照君遺訓』)

 

8) 「託孤寄命章〔たくこきめいのしょう〕」

○ 曽子曰く、以て※六尺〔りくせき〕の孤を託すべく、
以て百里の命を寄すべく、大節に臨んで奪うべからず。
君子人〔じん〕か。君子人なり。 
(泰伯・第8−6)

 《 大 意 》 

曽子が言うには、
「15歳ほどの幼少の君(父を亡くした、みなし子)の将来を安心して頼める人、
一国の政〔まつりごと〕と運命を任せられる人、
国家の大事に臨んでも、節操・志節を失わない人、
こういう人こそ君子というべき人であろうか。確かに真の君子人であろうよ。」

※ 「六尺の孤= 2歳半を1尺といいます、
15歳の父を失った子。幼君。
曽子は、孔子の愛孫・子思を教育する。 / 「大節」 = 大変事

※ 「君子人與。君子人也。」 : 一度疑って後に決定 → 強め

cf.☆諸葛亮〔しょかつりょう〕孔明、
劉備の子(劉禅)を託される (出師の表)

☆加藤清正、秀吉の子(秀頼)を託される (家康との二条城での会見)

 

補説

親子2代の弟子 (顔回&曾子)

◇顔淵とその父・顔路: 顔路は、名を無繇〔むゆう〕といい、
孔子より 6歳少〔わか〕い。
孔子が始めて教えた時、学を受けています。
顔淵の死に際して、孔子の車を請い受け売って外棺〔そとかん〕を買おうとする話があります。

○「顔淵死す。顔路、子の車を請うて之が椁〔かく〕を為〔つく〕らんとす。」
(先進・第11−8)

◇曾子とその父・曾拭未修Δ擦〕: 曾燭蓮既にみたようになかなかの風流子です。
親子2代にわたる孔子に対する尊敬の念。
家庭の中で子に語る、家庭(父子)教育の大切さ。

(曾子完)

 

本学   【司馬遷と『史記』 ― 1 】  執筆中

 

易経   ( by 『易経』事始 Vol.2 ) & ( by 「十翼」 )

§.易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想)  【 ―(5) 】

C. 陰陽相対〔相待〕論(陰陽二元論)・・・続き



続きは、次の記事(後編)をご覧下さい。




                                         

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第二十三回 定例講習 (2009年9月21日) 前編

第二十三回 定例講習 (2009年9月)

孝経   ( 広至徳章 第13 )

§.前章に同じく、1章の「先王至徳要道有り」をうけて、「至徳」ということを申〔かさ〕ねて明らか(=広)にしています。
 『論語』に「君子の徳は風なり、小人は草なり。草、これに風を上〔くわ〕うれば必ず偃〔ふ〕す。」(顔淵第12)とあります。民草は風になびき、自然に感化されるということです。 儒学の教えは、“感化・教化”による教育であり、(お手本として)上に立つ者の大事さを説いています。

“ 子曰く、君子の教うるに孝を以てするや、家ごとに至って、(而て)日ごとに之を見るに非ざるなり。
※教うるに孝を以てするは、天下の人の父た〔為〕る者を敬する所以〔ゆえん〕なり。注1) 教うるに悌〔てい〕を以てするは、天下の人の兄た〔為〕る者を敬する所以なり。教うるに臣を以てするは、天下の人の君た〔為〕る者を敬する所以なり。|詩に云う、「ガイ悌〔がいてい〕の君子は、民の父母」と。至徳に非ざれば、其れ孰〔たれ〕か能く民を ※順にする(こと)、注2) 此くの如く其れ大なる者あらんや(ならんや)。” 

《大意》
 「昔の聖人といわれた立派な指導者(君主・王)が、人々に対して孝道(=至徳)を教える方法は、必ずしも一軒一軒、家に足を運んで毎日毎日会って教えたわけではない。|
民に孝道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その父というものを敬うようにさせたいからなのだ。 民に悌(=弟)道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その兄というものを敬うようにさせたいからなのだ。 民に臣道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その君というものを敬うようにさせたいからなのだ。|
だから、『詩経』(大雅、ケイシャグ〔けいしゃく〕)の中の句にも言っている。“楽しみ易〔やわ〕らぐところの君子(先生)は、(楽しく親しく徳があふれていて)民の父母とも仰ぎ慕われる立派なお方です。”と。
このような至徳・大徳〔この上もない孝悌の徳〕の持ち主でなければ、これほどまでに、人びとを徳化し柔順にさせることが出来ようか。(柔順にさせるに大なるものがあろうか。)」

・ 「家、日」=家ごと、日ごと(家々、日々)

・ 臣=臣道(忠敬)の意

ガイ悌〔がいてい〕の君子=ガイは楽しみ、悌は「易〔やわ〕」らぐ(和/やわらぎ)の意・「易簡〔いかん〕」の意で、天地自然のままの素直な易さです。すなわち楽易”の境地です。
 孝を教える者は、親のように親しく温かい心で教える ということなのでしょう。キリスト教の立派な神父さんや仏教の徳の高いお坊さんのお説教・法話をイメージすると分かりやすいでしょう。

cf. 「(中江)藤樹先生はガイ悌の悌を易と解し、易とは易簡の易としておられるが、此の易簡とは 蓋〔けだ〕し易伝に乾坤の徳を形容せる易簡であろう。所謂〔いわゆる〕天衣無縫、何等造作人為の煩なくして、為さざる無き大作用を起す所以〔ゆえん〕を言ったものであろう。先生の教が実に又此の易簡の二字を以て形容せられる。」  (『孝経啓蒙』、※現代かなづかいに改める)

※ 注1)  「教以孝、所以敬天下之為人父者也」 : 上・中・下点で返り、
       「所一以〔ゆえん〕」は熟語として扱い 一 (ハイフン)の左横に「下」点を打ちます。
       続く2ヶ所も同じです。

※ 注2)  A)順〔じゅん〕にする  B)順〔おし〕うる  C)順〔したが〕えんや などと読みます。

 

論語    孔子の弟子たち ―― 曾 子 〔1〕 )

§.曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。『孝経』・(『曾子』・『大学』)の著者としても知られます。「宗聖」と尊称されます。
  私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕を亡くし、絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした(=Gift)のように思われます。孔子の愛孫、「子思」を薫育します。地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。
  『論語』の門人で、いつも「子」をつけて呼ばれるのは曾子だけです。(有子・冉子〔ぜんし〕・閔子〔びんし〕は、字〔あざな〕でも呼ばれています。)


1) あたかも魯なるが如し ―― 第一印象

・ 「柴〔さい〕や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕やガン〔がん〕。」
                                (先進第11−18)

《大意》
 柴(子羔/しこう)は愚か〔馬鹿正直〕で、参(曾子)は血のめぐりが悪く、師(子張)は偏って中正を欠き、由(子路)は粗暴・がさつだ。

※ 魯=遅鈍、魯鈍の語がありますが、血のめぐりが悪い・にぶい・“トロイ”と言った感じです。
   「愚」も「魯」も、味わいのある語で訳せません。
   孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、それを期待して指摘・表現したのでしょう。


2) さすが親の子 ―― 曾子のお父さん

 “この親にしてこの子あり”で、曾子の父・曾セキ〔そうせき〕も立派な人でした。

・ 「 ―― 点や、爾〔なんじ〕は何如〔いかん〕。瑟〔しつ〕を鼓すること希〔や〕み、鏗爾〔こうじ〕として瑟を舍〔お〕きて作〔た〕ち、対えて曰く、三子者の撰に異なる。 子曰く、何ぞ傷〔いた〕まんや。亦た各々其の志を言うなり。 曰く、莫春〔ぼしゅん=暮春〕には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人。沂〔き〕に浴し、舞ウ〔ぶう〕に風して、詠じて帰らん。 夫子喟然〔きぜん〕として嘆じて曰く、吾は点に与〔くみ〕せん。 ―― 」  (先進第11−26)

《大意》
 孔先生は、「点(曾セキ)や、お前はどうだね。」と問われました。曾セキは、今まで低く弾いていた瑟を止め、カタリと置いて立ち上がり、お答えして言いました。「私のは、お三方〔さんかた〕の言われたような立派なものとは違いますが・・・。」 孔先生が、「いや、何でもかまわないよ。皆、ただそれぞれの志を飾りなく言ったまでのことだよ。(お前も遠慮なく言うがよい。)」とおっしゃいました。曾セキは、「春も終わりの頃、春着も既に整ったので、(それを着て)成人した若者5・6人と6・7人の少年を連れて、沂水〔きすい〕のほとりで浴し、雨乞いをする高台で涼風に吹かれて、歌を歌いながら(詩を吟じながら)家に帰ってきたいものです。」これを聞いて、孔先生は感に堪えぬといった様子でおっしゃいました。「私は、点に賛成するよ!」

  ※ 曾参のお父さんの人柄がよく現われている、『論語』の中でも少し調子の変わった部分です。
     孔子は、このように“悠游〔ゆうゆう〕”とした生活も決して否定していません。
     私も、儒学を修め、そして“風流子”もまたよしと思っています。


3) 「吾日三省吾身」 ―― 三省の深意

・ 「曾子曰く、吾〔われ〕日に吾が身を三省す。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。*伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
                                           (学而第1ー4)

 《大意》
 曾先生がおっしゃいました。「私は、毎日何度もわが身について反省します。人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。(先生から)伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。(あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。)と反省してみます。」

※ 吾日三省吾身 : 「三省」 
  (1) みたび吾が身を省みる
      ( 三=たびたびの意/二たびではダメですか・四たびではダメですか!) 
  (2) 以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕

・ 「」 (1)かえりみる、反省する  (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)

cf. 政治も教育も、「省く」ことが大切です。 が、現状は、「冗」・「擾〔じょう〕」。 (分散、駁雑〔ばくざつ〕)ばかりで、(統合、収斂〔しゅうれん〕)がなく、偏倚駁雑〔かたよりごたまぜ〕です。

注) ‘09.9 時事 : 従来は“動き出したら止まらない公共事業” → 民主党(前原国土交通相)は、143ヶ所のダム建設の(中止)見直し

ex. 文部科学などの「省」、「三省堂」の由来

※  「乎」 : 
   (1)伝え(られ)て習わざるか/伝わりて習わざるか〔新注〕
       → 伝えられたこと(聖人のおしえ)を、おさらいもしないでいるかの意
       cf.  ( 王 陽明 の『伝習録はこちらを採っています )
   (2)習わざるを伝うるか → よく習熟(おさらい)もしないことを、
                      (受け売りで)人に教えたのではないか〔古注〕

 

本学   【漢文訓読の基本 ― 2 】

§.訓点のおさらい・注意点と演習/重要語彙の充実 ・・・以下抜粋

● 返り点

 ○ 「レ 点」 ・・・ すぐ下の一字から、上の一字に返って読む時
 ○ 「一・二点」 ・・・ 2字以上を隔てて、下から上に返って読む時(三・四・・点もあり)
 ○ 「上(・中)・下点」 ・・・ 一・二点のついた句を中にはさんで、返って読む時
 ○ 「一とレ・上とレの組み合わせの点」 ・・・ レ点ですぐ上の1字に返って、
                             更に2字以上を隔てて返って読む時

 注1) 上(・中)・下 点 → さらに「甲・乙・丙 点」 → さらに「天・地・人 点」
 注2) 「レ点」は「一・上・甲 点」とは併用できますが、「二・下・乙 点」などとは併用できません
 注3) 熟語は「−(ハイフン)」で示す ex.「所―以〔ゆえん〕」・「教育ス」
     ※ ただし、実際には「−」がない場合も多いので要注意です!
     → 1字目と2字目の間(ハイフンの左側)に返り点をつけます
     

◆ 注意すべき漢字の読みと意味
 
・ 幾何 : いくばく − どのくらいか
・ 所謂 : いはゆる − いわゆる
・ 以為 : おもへ ラク − 思うことには
・ 所以 : ゆえん − 理由
・ 就中 : なかんづく − とりわけ・ことに
於レ是 : ここニ おイテ − そこで・こうして
是以 : ここヲ もつテ − そういうわけで
以レ是 : これヲ もつテ − このような方法で・このことによって
・ 若/而/汝/ : なんぢ − そなた・おまえ(二人称の代名詞)

※ 以下の語、おどり字がなくても重ねて読みますので要注意です!
・ 益 − ますます(益々)   ・夫 − それぞれ(夫々)
・ 数 − しばしば(屡)     ・各 − おのおの(各々)
・ 偶 − たまたま(偶々)   ・看 − みすみす(見す見す)
・ 愈 − いよいよ(愈々)   ・抑 − そもそも


◆ 和漢異義語 (※読みは現代かなづかいにいよる)

◇ 遠慮 : 漢)エンリョ ― 遠い将来まで見据えた深い考え(を巡らすこと)。
        和)えんりょ − 物事を控えめにすること。
◇ 稽古 : 漢)ケイコ ― 昔のことを考え調べること。学問・学習。
        和)けいこ − 武術・技芸などを習うこと。
◇ 故人 : 漢)コジン − 昔なじみ、旧友。  同)故知・故旧。
        和)こじん − 死んだ人。
◇ 人間 : 漢)ジンカン − 人の世・世間・俗世間。 cf.「人間到る処、青山あり。」 
        和)にんげん − 人・人類。
◇ 大人 : 漢)タイジン − 徳のある優れた人。年長者に対する敬称。
             cf. 聖人 ― 君子 ― 大人 − 小人 − (愚人)
        和)おとな − 成長した人。
◇ 小人 : 漢)ショウジン − 1)徳のないつまらないひと。 2)身分の低い人。
        和)しょうにん/こども − 1)子供。  2)背の低い人。
◇ 多少 : 漢)タショウ − 1)多いと少ない。 2)多い(少は助字)。 3)どれほど。
             cf.「 花 落 知 多 少 」(「春暁」)
        和)たしょう − 少し・幾らか。
◇ 百姓 : 漢)ヒャクセイ − 庶民・庶人・一般民衆。多くの人民。
        和)ひゃくしょう − 農夫・農民。農耕に携わる人。 
◇ 迷惑 : 漢)メイワク − 1)道に迷う。  2)心が乱れる。 
        和)めいわく − 厄介で困ること。面倒なこと。
◇ 包丁 : 漢)ホウテイ − 昔の有名な料理人の名前。料理人。 cf.『荘子』
        和)ほうちょう − 料理用の刃物。
◇ 経済 : 漢)ケイザイ − 世を治め人民を救う。「 民」の略。
             cf.Political Economy の訳 (by福沢諭吉)
        和)けいざい − 生活に必要な財貨の生産、分配、消費。
◇ 漸   : 漢)ヨウヤク ― しだいに。「ゼン」は順序、次第。 cf.易卦「風山漸」
        和)ようやく − やっと・しだいに。
◇ 大丈夫 : 漢)ダイジョウ − 一人前の立派な男子。 cf.女丈夫 
         和)だいじょう − たしかで、危なげがなく安心できる様。

 

易経   ( by 『易経』事始 Vol.2 ) & ( by 「十翼」 )

§.易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想)  【 ―(4) 】

C. 陰陽相対〔相待〕論(陰陽二元論)



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