儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

東洋思想

大難解 (やさしい) ・ 老子 (RAOTZU) 講   ≪序の言〔ことば〕≫


《 はじめに 》

私の執筆・制作中の「老子」講義用テキスト、
『大難解〔やさしい〕・老子講』 が間もなく完成いたします。

本稿は、私の主宰する“真儒協会”の“定例講習・「老子」”で、私が講じてきたものと
“関西師友協会・篤教講座”において講じた折に制作した教材・資料がベースになっております。

講義用に『老子』の原典・解説書を英文文献も交えて解かり易く書き下ろしており、
又「易学」の視点も盛り込んだ老子の総括的内容となっております。

(手前味噌で恐縮ながら)難解をもって知られる老子の思想を、
咀嚼〔そしゃく:よくよくかみ砕き味わうこと〕してポイントをまとめあげ、
そしてビジュアル化も図った労作です。

私はこの研究学修で、20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら
「老子」と“対話”してまいりました。

故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学した試みでもあります

今回、その「序の言」を書き終えましたので、紹介掲載しておきたいと思います。
なお、タイトルの“よみ”「大難解 ⇒ やさしい」は、次の意味からつけました。

★はるかに遠・大なるものは反(返)ります。 
── 極(至)大に難解なるものはやさしい〔易しい:simple〕のです。
これが、黄老(老子)思想の真髄です!


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《 序 の 言 〔ことば〕 》

儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、
その二面性・二属性を形成する
ものです。

国家・社会のレベルでも、個人のレベルでも、
儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。

また、そうあらなければなりません。

東洋思想の泰斗〔たいと〕、故・安岡正篤先生も述べられておられますように、
“易”と“老子”は東洋思想・哲学の至れるものであり行きつくものであり、
ある種、憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です


◎「
東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、
どうしても易と老子を学びたくなる、
と言うよりは学ばぬものがない
と言うのが本当のようであります。
又そういう専門的な問題を別にしても、
人生を自分から考えるようになった人々は、
読めると読めないにかかわらず、
易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。
(*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 p.88引用 )


私は、浅学菲才〔せんがくひさい〕に加えて、50代の若さにもかかわらず、
善き機会と場を得て「易学」と「老子」を二つながらに講じさせて頂いていることを、
まことに有り難く想っております。

別の言い方をすれば、「易学」と「老子」を二つながらに講じ“楽しみ”ながら、
いまだ命(身心)を健〔すこ〕やかに存〔ながら〕えている天恵に深く感謝し、
“しあわせ”を感じています。

さて、東洋の奇書、『易経』と『老子』は難解をもって知られます。

諸々の教養人の思想・学問的憧憬〔あこがれ・しょうけい〕である
一つの所以〔ゆえん〕でもありましょう。

とりわけ『老子』は、神秘に満ち謎めいていて、
解釈も難解を超えて諸説紛々〔ふんぷん〕意味不明という箇所も多々あります。

西洋の学、それも社会科学系(法学・経済学・商学)の専門教養しか持たなかった私が、
易や老子をライフワークにするに至ったというのは、
まことに“縁尋機妙〔えんじんきみょう〕”なる出合いでありました。

そして、それは自分自身の文化・芸術的DNAがそうさせたのだと想っています。
平たく申せば“ハマリ役”のように“むいていた”ということでしょう。

若き日、不思議に何かに導かれるように易に学び自修し、
(広く儒学=四書五経を学修し)
やがて、自ずから然るべく(「自然」に)“黄老”に至ったのでした。

私が、「老子」を全くの独学で、短期間に(一応)修められたのは、
やはり20余年に亘って独学で易学を原典〔オリジナル〕で修めていた
というベースがあったからだと思います。

そして、「易学」と「老子」を併せて修めてまいりますと、
至れる者同士、その重なる所が実に多くより確かに理解〔わか〕ってまいります。

「老子」への学修は、そんなごく小さな覚知〔かくち/覚り〕を
積み重ねていくようなものであった気がしています。

“易”と“老子”の世界は、私にとって、“壺中(の)天”です

しみじみと思い想うにつけても、
壮年期、窮することなく円通自在な易学に出合っていなかったら
私の後半生もどうなっていたかわからない気がします。

また、黄老の学がなければ、晩年が心平穏・豊かなものとはならず
惨めなものとなったに違いないと思います。

≪ 学ぶ → 楽しむ → 遊ぶ ≫ と学修は至って行きます。

黄老の世界は、私にとって、現実の中にあって
心中は隠者の世界に遊ぶような気がします。

ところで、E.H.カー は「歴史とは、現在と過去との対話である」と言い、
孔子は「温故而知新」(故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて
新しきを知れば、以て師となるべし)の名言を残しております。

そもそも、優れた古典を修める(修めねばならない)意味は
この言〔ことば〕の中に在ります。

現代を善くし未来を展望するには、優れた古典の思想・哲学が必要です。

殊に、現代は、価値観が錯綜〔さくそう〕し課題が多岐にわたっています。

大衆民主主義社会の弊害が蔓延〔まんえん〕し、
人間の「本〔もと〕」が忘れられ乱れてまいりますと
古典に救いを求めるしかありません。

指導者(リーダー)的立場にある者はなおさらのことです。

言葉を変えれば、古典を“活学”するということです。

本稿では、“帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の新発見による研究成果も踏まえながら、
20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、
「老子」と“対話”してまいりました。

故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりました
── 具体的には、“コギト(我想う)”や“トピックス〔時事〕”に述べてある試みがそれです。

老子の“現実的平和主義”に想う≫ /
≪ユートピア=理想郷(社会・国家)について≫ /
水【坎】 を楽しむ≫ などは、
かねてから文にまとめておきたかったテーマです。

本稿・「老子」の講義冊子は、私の主宰する真儒協会の定例講習や
特別講義(3年余 約40回ほど)で講じてまいりましたものと、
安岡正篤氏にちなむ関西師友協会・篤教講座(1年弱 連続4回)において
講じた折に制作した教材・資料がベースになっております。

その折々で一所懸命に、深慮取り組んだ内容です。

そのコツコツと【畜】〔たくわ〕えた精華を、
講義冊子(テキスト)として形にすることができますことを嬉しく想っております。

易卦に【水沢節】があります。
“竹の節〔ふし〕”・“節目〔ふしめ〕”の意です。
“節から(新たに)芽が出る”とも申します。

今回の『大難解〔やさしい〕老子 講』の編纂を、
私の易学と老子研究の大きな“節目”としたいと考えています。

また、晩節の始まりとしたいと考えています。

この、ささやかな労作は、殆〔ほとん〕ど顧みられることなく
著者の無名と共に埋もれてしまうでしょう。

それは、「老子」に学ぶ者にとって相応〔ふさわ〕しいことかも知れません。

それでも、ごく限られた数にせよ、活眼の人々や志徳ある若者に役立ち、
その精神の糧〔かて〕となることを期待しています。

それによって、“一粒の麦、地に落ちて死なずです。

微〔かす〕かな一本の“ろうそくの灯〔ともしび〕”にせよ、
“受け継がれ”、やがて時の宜〔よろ〕しきを得て、
燎原〔りょうげん〕の火の如く燃え盛り人々の心を照らし、
ユートピア社会を築く原動力となることがあるやもしれません ・・・ 。


高根 秀人年  (‘13/ H.25 春 )


( 以上 )

盧秀人年・ 「老子」 を発表す 【‘12.6.17】

 さる‘12年6月17日(日)、関西師友協会(大阪・心斎橋)の “篤教講座”の中で、
私 盧が 《 安岡正篤先生に学ぶ 「老子」 》 と題して発表を行いました。

篤教講座の様子1

3回シリーズの初回です。
(*第2回目は、10月第三日曜日。/ 第3回目は、12月第三日曜日です。)

 “篤教講座”は、東洋思想の泰斗〔たいと〕、故・安岡正篤先生の教学に学ぶもので
『易経』を中心とする講座です。

2ヶ月に一度、偶数月・第三日曜日に開催されています(8月は休み)。

 私が、斯講座で発表を務めますのは、これで三度目になります。
前2回は、易学・『易経』の内容で発表いたしました。

今回は、テーマに「老子」を選びました。

 儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、
その二面性・二属性を形成する
ものです。

国家・社会のレベルでも、個人のレベルでも、
儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。

また、そうあらなければなりません。

東洋の学問を深めつきつめてゆきますと、
行きつくところのものが“易”と“老子”です。 

―― ある種の憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です。

安岡正篤先生も、易や黄老(老子)の学について次のように述べられています。

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○ 「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、
 どうしても易と老子を学びたくなる、と言うよりは
 学ばぬものがない
と言うのが本当のようであります。

 又そういう専門的な問題を別にしても、
 人生を自分から考えるようになった人々は、
 読めると読めないにかかわらず、
 易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。

  大体易や老子というものは、若い人や初歩の人にはくいつき難いもので、
 どうしても世の中の苦労をなめて、世の中というものが
 そう簡単に割り切れるものではないということがしみじみと分かって、
 つまり首をひねって人生を考えるような年輩になって、はじめて学びたくなる。
 又学んで言いしれぬ楽しみを発見するのであります。」

 (*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 p.88引用 )
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 私は、浅学菲才〔せんがくひさい〕にもかかわらず、
善き機会と場を頂いて、「易学」と「老子」を二つながらに講じさせて頂けることを、
まことにありがたく感謝いたしております。

篤教講座の様子2

 テキストは、私のオリジナルで、A4/65ページ(“PART 1”)を執筆・作成いたしました。
(次回以降に用います“PART 2”も、概ね同じ程度のページ数になる予定です。) 

『老子』の原典・解説書を英文文献も交えて解かり易く書き下ろしました。

真儒協会定例講習・「老子」で、私が講じてきたものと今後講ずる予定の内容も含めて、
老子の総括的内容となっております。

(手前味噌ながら、)難解をもって知られる老子の思想を、
咀嚼〔そしゃく:よくよくかみ砕き味わうこと〕してポイントをまとめあげた、
そしてビジュアル化も図りました労作です。


---------------------------------------------------------------------
○ 「 ―― 『論語』の中に、孔子の温故而知新
 (故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)
 の名言があります。

 “帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の新発見による研究成果も踏まえながら、
 20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、
 「老子」と“対話”してまいりたいと思います。

 故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりたいと思います。

 (*テキストp.12: 黄老の学あらまし《 1.「老子」紹介 》 末文引用)
---------------------------------------------------------------------


なお、オリジナル・テキスト(“PART 1”)の内容項目のあらましは、
以下のとおりです。

『 安岡正篤先生に学ぶ 「老子」 (“PART 1”) 』 
                           
by.盧 秀人年

                             * カット: 横山大観・画

《 とびら 》 ――  「老タン〔ろうたん〕 道を行く」(高村 光太郎・『道程』)

《 プロローグ: はじめに 》
 §.機 圈^族正篤先生 と 老子(老荘思想) 》
 §.供 圈 判子百家” の中の 儒家と道家(老荘) 》

[ 黄老の学 あらまし ]
 §.機 圈 嶇兄辧廖‐匆陝 奸
 §.供 圈]兄卻語り(伝説) ―― “龍のごとき人” (司馬遷・『史記』) 》
 §.掘 圈ー学 と 黄老 ―― 安岡正篤・老荘本 抜粋 》  

[ 『老子道徳経』 ※(本文各論)解説 ]
● 宇宙論 / 道=無 
  【 老子: 25章 / 4章 】
   (象元・第25章)  “元始〔もとはじまり〕”の理 ―― 「道」とは?
   (無源・第4章)   ナゾのような末句 「象帝之先」 ―― 「道」とは?
● 道=無                                     
  【 老子: 1章 】
   (体道・第1章)     首章・冒頭  ―― 「道」とは?  
  【 42章 / 40章 】  《 【損益】の卦と「老子」 》 【 42/ 77/ 53/ 81章】
   (道化・第42章)    老子の “万物生成論“
   (去用・第40章)    「有生於無」  ―― 「道」の作用
  【 老子: 41章 】 /関連70章 ○「被褐(而)懐玉」 ◎「衣錦尚絅」(『中庸』)
   (同異・第41章) ―― 「道」のありかた/ 「大器晩成」 → 「大器免成」 注2)


※ オリジナル・テキストの具体的内容は、
  当ブログ【儒灯】・定例講習カテゴリ記事の「老子」で逐次〔ちくじ〕ご覧になれます。
  また、テキストの若干の残部につきましては、高値(?)にてお頒〔わ〕けできます。



参考 : 【 表 紙 】

篤教講座テキスト表紙



参考 : 【 中表紙 】

篤教講座テキスト中表紙



参考 :  【 図 】

● 「儒学」 と 「黄老」 イメージスケール (by.たかね)

「儒学」と「黄老」 イメージスケール



● POINT! 「明徳」 ・ 「玄徳」 / 「明明徳」  (by.たかね)


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( 以 上 )


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

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