儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

第50回 定例講習【特別講義】のあらまし (第1回)

第50回 定例講習(‘12.4.22 ) レジュメ
─── 【特別講義】 あらまし ───    (第1回)


《 はじめに 》

昨年(2011)は、本会開設5周年の節目にあたりました。

吹田市メイシアターで 「真儒協会開設5周年“真儒の集い”」 を催し、
多数のご来賓・参加者にお越しいただきました。

さて、本年・壬辰〔みずのえたつ〕年は、
易卦【水山蹇】 〔すいざんけん: 3大難卦、
包卦(=坤中に離、足止めストップの意〕 にあたり、
また私(高根)個人も年末年始に病を得たりもしました。

そのため、春恒例の“真儒の集い”は開催しないことといたしました。

それでも、この4月の講習は、年度当初であり、
また定例講習第50回目の記念すべきキリ良き月にもあたります。

そこで、盧秀人年・嬉納禄子・汐満未佐子 の3講師による
“特別講義”を行うことといたしました。

前半は、盧が 「老子と『易経』」 のテーマで、
後半は嬉納・汐満が 「陰陽相対(待)」 のテーマで講じました。

photo_20120422_1

“ティーブレイク”を利用して、恒例の“「干支色紙」授与”を行いました。

今年の十二支=「辰」を「龍」の文字で
私(高根)が、王羲之〔おうぎし〕風 と 最澄〔さいちょう〕風 との
ニ様で書いたものです。

受講生全員に好みの色紙を選んでもらい、
その場で筆記名し授与いたしました。

デモンストレーションとしては、恒例の“筮竹〔ぜいちく〕捌〔さば〕き”の披露

また、漢詩(孟浩然〔もうこうねん/モウハオラン〕・
「春暁」〔しゅんぎょう/チュンシャオ〕)を一同で朗誦し、
私が中国語で吟〔ぎん〕じ一興といたしました。

また、 “パーソナルカラー〔自分色〕診断” は、
プロのカラー・アナリストとして第─線でご活躍中の
汐満先生をお迎えしての折角の機会ですので、
未体験の老若男女みんなに体験して頂きました。

photo_20120422_2

“たかね(デザイン)研究所”作成、
101色オリジナル・ドレープ〔診断用色布〕を使って診断いたしました。

いつもの講義とは異なる彩〔あや〕の“賁〔かざ〕り”に、
とても好評を博しました。

photo_20120422_3

photo_20120422_4

通常の定例講習受講生に、新規の受講生3名、
今回の特別講習への参加者4名(児童1名含む)を加えて
賑やかに楽しく開催され、善き年度始めの講習会となりました。


《 特別講義 テーマ 》

【その1】  老子と『易経』   
   * 講師: 盧 秀人年 (真儒協会会長)
   ── 【損・益】の卦 と「老子」 / 【損・益】の深意・現代的意義を考える ── 

【その2】  陰陽相対(待)  
   * 講師:(真儒協会副会長・理事) 嬉納 禄子・汐満 未佐子 
   ── 陰陽相対(待)論 / 陰陽師・安倍晴明 / 陰陽思想とパーソナルカラー ──

   ★ 診断実演 :“パーソナルカラー〔自分色〕診断”
   (by.たかね研究所オリジナル101色ドレープ〔診断用色布〕)


《 特別講義 レジュメ/教材・資料 》


§.【その1】  老子と『易経』   教材・資料

≪ 【損・益】の卦 と 「老子」 ≫  【 老子 42 / 77 / 53 / 81章】


『易経』64卦、【山沢損☶☱(41)と【風雷益☴☳(42)。

この【損・益】の対卦は、
【泰・否】(11&12)と【既済・未済】(63&64) とともに、
『易経』のペア卦を代表するものです。

とりわけ、 【損・益】の思想は、現実社会の政治と経済に直結するものです

老子は、わけても、【損・益】の思想を自分の主張として取り入れて、
展開して述べています。

ここに、一般には隠者的思想と思い込まれているムキのある
黄老思想の現実的・政治的・為政者的(指導者・リーダー論的)側面が、
よく現れている
といえましょう。

私見ながら、この「損・益」は、老子の思想のベースに
易学があるという一つの例であると考えます。

「五経〔ごきょう〕」の筆頭として
儒学の専売特許のように位置づけられている『易経』です。

が、私は、この中国最古の奇書は儒学の源流思想であると同時に、
黄老の思想形成にもおおいにあずかって影響を与えていると考えています。

そして、現今〔いま〕の経済立国・日本は、
あたかも、たそがれて行く先を失い
道に迷い窮せんとしているが如き状態です。

現状の不慈不善を正し、日本の近未来の
(そしてその指導者〔リーダー〕の)あるべき姿を取り戻すためにも、
この“損・益の思想”は現代の光をあてて再考しなければなりません。

さて、 【損】と【益】は、“反卦〔はんか〕”/「賓卦〔ひんか〕」の関係です。

つまり、相手が対面していて(正面にいる)、
その相手から見ての卦(=卦を180度回転させれば良いことになります)です。

平たく例えれば、
自分が 一万円あげる・損する( ギブ:give/lose )のは、
相手から見れば一万円もらう・得する( テイク:take/get )です。

試合や勝負で、自分が負けるということは相手が勝つということです。

非常に、理に適っています。


◇以下、【損・益】の卦・思想について、ポイントをいくつか説明してみましょう。

( →詳しくは以下のURL《たかね・「易経64卦解説奥義/要説版》にて、
   《 41 & 42 のペア 》の枠内を参照のこと。 )

   http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50692222.html


まず、一言確認しておきますと。

易においては、 「陽」を以て余り有るものとし、「陰」を以て不足なるものとします

そして、上卦は為政者(政府)・指導者〔リーダー〕・金持ちであり、
下卦は大衆・一般ピープル・貧しい人々
、と考えます。

(両者の)相対的関係では、主体を下卦の大衆・一般ピープル・貧しい人々を基準に考えます・・・

※ この続きは、次の記事に掲載いたします。

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『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第4回)

※この記事は、『徒然草』 にみる儒学思想 其の2 (第3回) の続きです。

『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想 其の2(第4回)

――― 変化の思想/「無常」/「変易」/陰陽思想/運命観/中論/
“居は気を移す”/兼好流住宅設計論( ―― 「夏をむねとすべし」)/
“師恩友益”/“益者三友・損者三友”/「無為」・「自然」・「静」/循環の理 ―――


【第127段】   改めて益〔やく〕なきことは 

《 現代語訳 》----------------------------------------------------

改めても効果のないことは、(むしろ)改めないのがよいのです。

--------------------------------------------------------------------


「改めて益〔やく〕なきことは、改めぬをよしとするなり。」 : 
「益」は“ヤク”と読み、利益・効果・ききめ。

「益無し」は、無益だ・かいがない・つまらない、といった意味です。

メモのような一文のみの段で、前後の関係もなく、
読者には何が言いたいのかほとんど意図が不明です。

兼好は、“無益なことをするな”と処々に説いていますので、
その関連のメモなのかも知れません。

例えば、【第98段】には、
「しやせまし、せずやあらましと思ふことは、おほやうはせぬはよきなり。」
〔(そのことを)しようか、しないでおこうか、と思い迷うことは、
たいていはしないほうがよいものであるよ。〕 と述べています。

かつて、“(どちらか指す手に)迷った時には勢いのある手を指す”
と語っていた将棋の名人がいました。

勝負人(棋士)ならではの、“陽”・“動”の哲学です。

隠者・兼好には、これと逆の“陰”・“静”の哲学思想、
消極的意味における悟り(=あきらめ)を感じます

さてこの一文。その言いたかったこと、
兼好のこころに浮ぶに至った深層心理・潜在意識(無意識)にある
思想を探ってみるのも、また一興というものです。

―― 私が、思い想いますに、
これは黄老の“無為の思想”への同感なのではないでしょうか?

黄老思想の中で、最も要〔かなめ〕にして難解・特異な哲理は、
「無為」・「自然」・「静」でしょう。

これは、畢竟〔ひっきょう〕するに、
儒学でいう過不及をさける「中庸(中徳/時中)」と同じです。

“無為自然”とは、平たく言えば、ことさらな作為をなくすこと。
自然の法に逆らって無理を押さないということに他なりません。

例えば、大阪から東京へ行くのに、(ワラジばきで)歩いて行くのが、
江戸時代までであれば、それが「自然」であり「無為」であり「静」でありました。

が、しかし今ではそれは、“不自然”で“有為”で“動”です。

飛行機や新幹線や直行バスで移動するのが、
現代の「自然」であり「無為」であり「静」であるといえましょう。

更にもっと、当世という時に中してみれば、
家に居ながらにして、FAX.・TEL.(携帯)・
PC(インターネット)などで用件を片づけるのが、
なお一層「自然・無為・静」の意に適〔かな〕うというものです。

この、自然の命ずるままに任せて人知を加えないという
“無為の思想”は、『老子』全篇を貫いている信条です。


○「道は常に無為にして而〔しか〕も為さざる無し。 
 ・・・・・ 欲せずして以て静ならば、天下は将に自ずから定まらんとす。」

 (『老子』・第37章)

 〔道はいつも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為しているのです。
 (→ 道は何も働きかけていないように見えますが、
 全てのものはその理法の下にあり、道を離れては何物もありません。
 ですから全てのことは道が為しているとも言えるのです。)〕

cf.“Tao is eternally inactive, 
   and yet it leaves nothing undone.”

すなわち、 道=無為   であり、それによって万人が自然に感化されるので、
 道=無不為   といえるのです。


○「故に聖人云〔いわ〕く、我 無為にして民自〔おの〕ずから化し、
 我 静を好みて民自ずから正しく、 ・・・・・ 」 
(『老子』・第57章)

 〔そこで、古の聖人が言うには、私が何も為さないでいれば、 人民は自然と感化(純化)され、
 私が(無欲で)静けさを好めば、(天下)人民は自ずから正しく落ちつき、・・・・・ 〕

cf.“I will do nothing of purpose, 
   and the people will be transformed 
   of themselves.”


加うるに、黄老と対照(対峙〔たいじ〕)的に捉えられがちな儒学においても、
“無為”はしっかり尊重されています。例えば。


○「子曰く、無為にして治まるものは其れ舜〔しゅん〕なるか。
 夫〔そ〕れ何をか為さんや。
 己〔おのれ〕を恭〔うやうや〕しくして正しく南面するのみ。」

 (『論語』・衛霊公第15−5)

 〔(古の多くの帝王の中で、その徳がゆきわたり民が自然に化し、)
 自ら手を下すことなく、天下をうまく治められた人は、まあ舜だろうネ。
 いったい、舜は何をなさっていたのだろう。
 ただただ、ご自分の身を敬〔つつし〕まれて、真南を向いておられただけだヨ。 *補注) 〕


補注)

天子や諸侯といった君子の位は、
「南面」して(北に位置して)政〔まつりごと〕をとりました。

cf.“May not Shun be instanced 
   as having governed efficiently 
   without exertion? 
   What did he do? 
   He did nothing but gravely 
   and rever‐ently occupy his imperial seat.”


【第155段】   世に従はん人は 

《 現代語訳 》----------------------------------------------------

〔1〕世間なみに従って生きてゆこうと思う人は、
   第一に物事の潮時〔しおどき〕を知らなければなりません。
   物事の時機(順序)の悪いことは、人の耳にも逆らい、
   気持ちをも悪くさせて、そのことがうまくゆきません。
   (ですから)そういう、(そのことをなすべき)機会というものを
   心得なければならないのです。・・・



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