儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

謹賀乙未年  その2

(こちらは、前のブログ記事の続きです。)

《 未 → 羊 あれこれ 》

十二支・「未年」は、一般に「未〔ひつじ〕年」と言われ、
動物の“羊〔Sheep〕”に擬〔なぞら〕えられます。

羊ににちなむ言葉や言い回しについてをあれこれ述べてみましょう。


「羊」のつく(含む)文字は、「美」・「義」・「善」・・・など、
よい意味の文字が多いですね。


“姓名学”の世界で、名前に「美」の文字のつく人は、
長女である場合が多いと言われています。

私の身近にも“由美子”・“美子〔よしこ〕”・“久美(子)”・“良美” ・・・ 
などたくさんいらっしゃいます。

親御〔おやご〕さんは、初めての女子が生まれた時
“美しくあれかし”・“美〔よ〕くあれかし”などと思って
「美」の文字を用いて“命名”したものなのでしょう。

(符名〔ふめい〕と異なり)“命名”は、何よりの“言霊〔ことだま〕”ですから。

しかるに、“姓名学”的な見方からしますと、
「美」は“大きな羊”で、
(家の)犠牲になることを暗示していると考えられたりもしています。

「羊」は本来、祭祀〔さいし〕での“いけにえ”(捧げもの)に用いられましたので、
長女の場合、親の面倒をみるとか介護するとか家のために犠牲になることが多いからでしょう。


ちなみに、国名で“美国〔メィクオ〕”は“アメリカ合衆国〔The U.S.A〕”です。

これは、“阿利加〔アメリカ〕”・“利堅〔メリケン〕”の略で、
“音”を借りたものでしょう。 ── それはさておき。


■1.まず、「羊」“(神への)捧げもの”との視点から見てみましょう。

「羊」という動物は、洋の東西を問わず人間と神(信仰)に身近な動物です。

古代中国では、(天にたいする)祭祀〔さいし〕での
“捧げもの”・“供物〔くもつ〕”に用いられています。

「義」という文字は「羊」+「我」です

「我」はギザギザな刃のある“ノコギリ”の象形ですから、
羊を“捧げもの”として殺す様子、厳粛な礼法に適った振る舞いの意味です。


「いけにえ〔生け贄・生贄・犠牲〕」ということばがあります。

その歴史は古く、神に供え感謝の意を表したもの(=にえ〔贄・牲〕)で
生きたまま神に供えるものをさすものでしょう。

また「人身御供〔ひとみごくう〕」ということばがあります。

「いけにえ」として人間を神に供えること(=犠牲)です。

世界中で原始の時代から行われており、
ごく限られた地方によってはかなり近代に至るまで行われていたようです。

その「人身御供」人間は若い(美しい)女性である場合が多いようです。

想ってみれば、神話の世界で現在に残り伝わっている太古の風習ということです。

例えば、記紀神話の世界でスサノオノミコト〔素戔嗚尊〕が
ヤマタノオロチ〔八岐大蛇〕を退治して、
クシナダヒメ〔奇稲田姫/櫛名田姫〕を救い妃とするお話。

(クシナダヒメの姉7人はオロチの「いけにえ」になっていたわけです。) 

英雄ヤマトタケルノミコト〔倭建命〕を救うために、
オトタチバナヒメノミコト〔弟橘比売命〕が海辰鰺─未覆澄佑瓩茲Δ
荒れ狂う海に身を沈めるお話。

また西洋では、『ギリシア神話』で、
エチオピア王ケフェウスの王女アンドロメダ〔Andromeda〕は、
海神(ポセイドン)の送った怪物(クラーケン)への「いけにえ」として
岩壁に繋〔つな〕がれましたが、
英雄ペルセウスに救われその妻になるお話などたくさん思い浮かびます。


おそらくは、始めは人間であったこの「いけにえ」=「人身御供」
「牛」や「羊」に代えられたのではないでしょうか。


キリスト教でも「羊」は、旧約聖書の時代から
“神(エホバ/ヤーベ)”への“捧げもの”・“いけにえ”として登場しています。

尤〔もっと〕も、「羊」といっても細かくいえば「ヤギ〔山羊/野羊〕」で、
「贖罪〔しょくざい〕の山羊」=“スケープ・ゴート 〔scapegoat〕” 注) 
=「いけにえ」です。

新約聖書(イエス)の世界でも(救済される対象として)人間一般を「羊」で象徴して、
イエス・キリストを描く絵画に登場させたりしています。

(ex. レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」) 


注) 
現在、この「いけにえ」は、他人〔ひと〕の身代わりとなる者の意味で使われています。

「民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代わり。
社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が
排除や抑圧の対象に選ばれる。」(『広辞苑』)


■2.次に、食肉としての「羊」の視点から見てみましょう。

「美」には“うまい”・“よい” の意もあります。

“美味しい”と書いて“おいしい”と読みますね。

昔時〔むかし〕のとびっきりのスイーツ、和菓子の“ヨウカン”は、
“国語”で「羊羹」と書きますね。

小豆〔あずき〕(あん)と寒天を煮溶し、
長い積み木状に成形した馴染〔なじみ〕み深いものです。

さて、どうして“ヨウカン”(「羊羹」)の文字に「羊」が多用されているのでしょうか? 

「羔〔コウ〕」は“こひつじ〔小羊〕”の意です。

「羊羹」は“漢語〔中国語〕”で“ようこう”と読みまして、
本来は中国の食べ物で羊肉のあつもの(=スープ)のことを指すのです。

ちなみに、日本の“饅頭〔まんじゅう〕”も、本来 “まんとう”と発音して
中国がルーツの“肉まん(豚まん)”のことです。

“饅頭〔まんとう〕”は、三国「蜀」の名宰相、
諸葛亮〔しょかつ りょう〕・孔明の発案と伝わっています。

これも「人身御供」の代わりに考案されたと言われています。


「羊」の肉を“マトン〔mutton〕”といい、
(生後一年未満の)小羊の肉を“ラム〔lamb〕”といいます。

“ラム”は、西洋料理では高級食材です。

わが国にとって「羊」という動物と文化は外来(中国も含めて)のものです。

その独特の臭みからか、あまり好んでは食べられていません。

私は、以前(といっても、かれこれ20年以上前のことでしょうが)、
時折、スーパーで“羊肉(ラム)”のブロック(塊〔かたまり〕)を買ってきては、
自分で調理して食べていました。

他の肉よりずっと安価で、脂肪分が少なくヘルシーなのが魅力でした。

ショウガ〔生姜〕と塩・コショウ〔胡椒〕で臭みを消しながら
ショウユ〔醤油〕とみりん〔味醂〕ベースで味付け、ステーキでいただいていました。

その後いつのころからか、“羊肉”は、スーパーの精肉売り場から消えて
殆〔ほとん〕ど見かけなくなりました。


モンゴル民族など遊牧民族の間では、“マトン”は喜んで食され御馳走です。

“マトン”の焼き肉を“ジンギスカン(料理)”といって、
日本でも若い人を中心によく食べられていますね。

“ジンギスカン”は、大モンゴル帝国の創始者
“チンギス=ハーン〔成吉思汗〕:1162?〜1227”(“テムジン/太祖”)のことです。

(汗〔ハーン〕は遊牧国家の君主・大王の意です。)


中国でも「羊肉」は、トリや狗〔いぬ〕の肉より随分と高級肉の位置付けです。

わが国でも、「羊頭狗肉」〔ようとうくにく: 羊の頭を表の看板に出しながら
実は犬の肉を売るの意〕の語が広く用いられています。

原典は「懸羊頭売狗肉(ヨウトウをかけてクニクをうる)」(『無門関』)です。

中国と言えば、最近では、某〔ぼう〕ファーストフード全国チェーン店で、
中国から輸入のフライドチキンが賞味期限切れのもの(腐ったもの?)で
大問題となりました。

中国側のコメントに
「死にはしませんから(食べても命に別状はない)」というのがあって
(その大ざっぱな)文化の違いをあらためて感じました。

確かに自然界では、死肉(屍肉)・腐肉を食べる動物たちはいますが ・・・ 。


わが国でも、昔時〔むかし〕(私が直接体験する前のころですが)、
“牛肉の大和煮”の缶詰で中身が
“クジラ〔鯨:クジラ肉は、以前は学校給食でもよく登場する安価で庶民的なものでした〕”肉
ということがありました。

この“看板に偽りあり”は、道義の廃〔すたれ〕れつつある現代日本の商業界に
少なからず蔓延し、“不祥事”は後を絶ちません

先述のように、2007年の「今年の漢字」は「偽」でした。

食品偽装の“不祥事”が立て続けに発覚した年だからでした。


ところで、中国の話に戻りますが。

“「犬と猫、どちらがお好きですか?」 「そりゃ犬だね。犬のほうがおいしいからね!」” 
というブラックジョークのような笑えない会話を、
中国に関してのものの本で読んだことがあります。

かの国は、古来から犬や猫(“トラ料理”と称します)を食する文化の国です。

が、しかし、現在国際化の時代にあって、
世界のリーダー的立場あるべきことを慮〔おもんばか〕っていただき、
改めていただきたいものです。

2匹の犬(“メイ”と“トン”)を家族同様に飼っている私としてはなおさらのこと、
人に親近な犬を食するの(蛮行)は廃〔や〕めていただきたく望みます。

話のついでに、わが国の、半減したとはいえ、
今でも年間16万匹以上(2014.11.現在)の
犬猫の殺処分(の蛮行)も
廃〔や〕めていただきたく望みます

これは、第一に主権者たる日本国民の、第二に為政者の問題です。


なお、「羊」の「皮」については、“紙”が普及するまでの長きにわたり、
「羊皮紙〔Parchment; パーチメント〕」として重宝されました。

「羊皮紙(パーチメント)」は、柔軟で強く水を通さない高級記録材料で、
「羊皮紙 〔Parchment; パーチメント〕」(ベージュ・生成〔きな〕り色に近い)
という色名にもなっています。


■3.さらに、文学・思想の視点から見てみましょう。

「羊」は、洋の東西を問わず、古代から書物の中に登場しています。

東洋(古代中国)では『易経』の物語(ほぼ周代:BC.11世紀より前?)に 
【兌〔だ〕☱】 の象〔しょう・かたち〕として、寓意としてよく登場しています。 注1) 

『論語』にもよく登場していますね。 

( → 参考資料) 

羊を盗んだ父を“密告する(訴え出る)”か否かの“正直者論争”は、
(“治主義”を忘れ)病める法治主義(国家)のわが国にとっても
考えさせられるものがあります。


西洋でも、古くギリシアの時代(およそBC.5世紀前後)から、
作品の中に「羊」が登場しています。

『ギリシア神話』の“黄金の羊皮”、
『イソップ寓話』の“おおかみが来たぞ少年”のお話、など
世界中に知られています。  注2)


注1)
『易経』に登場する: 【雷天大壮】5爻 “羊を易に喪〔うしな〕う”/
【沢天夬】4爻 “牽羊〔ひかれるひつじ〕”/
【雷沢帰妹】上爻 “士羊を刲〔さ〕きて血无〔な〕し” 
○羝羊〔ていよう〕:【雷天大壮】3・上爻 ※牡羊〔おひつじ〕  
(高根・『易と動物』)

注2)
『ギリシア神話』 ex.「イアソンと黄金の羊皮」: 
テッサリアのイオルコスの王子イアソン(メディアの夫)は、
“黄金の羊皮”を求めてアルゴナウタイを率いて遠征します。

『イソップ寓話』 ex.「羊飼いの少年とおおかみ」〔“The Shepherd-Boy and The Wolf”〕/
「子羊とおおかみ」〔“The Lamb and The Wolf”〕/
「おおかみと羊」〔“The Wolves and The Sheep”〕/
「羊の衣をつけたおおかみ」〔“The Wolf in Sheep’s Clothing”〕/
などなど


■4.加えて、毛織物・羊毛製品の原料供給としての「羊」という視点から見てみましょう。

西洋近代には、「羊」は、専〔もっぱ〕ら食肉としてよりも
羊毛製品の原料(WOOL:ウール)供給として重要でした。


“産業革命”期より前の、英国のお話です。

従来、草を食〔は〕んでいたおとなしい「羊」が、獰猛〔どうもう〕になってきて、
人間を喰うようになってきた!! というお話です。

“犬が人を噛んでもニュースにならない”が
“人が犬を噛めばニュースになる”なるなどと“たとえて”いわれます。

尤〔もっと〕もこれは、「羊が人間を喰う」というショッキングな言葉で有名な、
トマス=モアの『ユートピア』に描かれた
「囲い込み運動」(第2次)“enclosure”〔エンクロジャー〕 のことです。

毛織物工業の原料、羊毛生産のため、農民を土地から追い出して、
土地を囲い込み「羊」を飼育しました。

このことが、来るべき世界第一のイギリス“産業革命”への蓄積・準備となったのでした。

( → 参考資料)


☆参考資料 ≪ 高根講演:「器量人・子貢と経済人・ロビンソン=クルーソー」 抜粋引用≫

 【 山羊〔やぎ〕 と 羊 】

○ 「爾〔なんじ〕はその羊を愛〔お〕しむ。我はその礼を愛しむ。」 
(『論語』八佾・ハツイツ第3)

(経済的)実益と(精神的)文化のどちらに重点をおくか、
という儒学(孔孟思想)での見解の相違です。

私は、社会科学的思考と人文科学的思考との並立・相異でもあるかと感じています。

※「羊が人間を喰う」 (トマス=モア・『ユートピア』): 

  土地をすべての基盤におこうと努め続けたフランスに対して 注1)
  イギリスでは、土地は利潤の手段にすぎませんでした。
  従って、資本主義は、イギリスにおいて典型的進展を示すことになります。

  “enclosure”〔エンクロジャー〕 注2) は、
  共同利用・共有財産的性格にクサビを打ち込み、
  私有財産に転化させました。

  人々は、土地という共通の基盤を失ってしまい、
  “1つの国民”は複数の国民になってしまったのです。 注3)


注1)
当時の農業(中心主義)国フランスの思想に学び、
これからの我国の「農業」を再考する時だと思います。

注2)
「囲い込み運動」(第2次) ── 「羊が人間を喰う」 (トマス・モア):
毛織物工業の原料羊毛生産のため、農民を土地から追い出して、
土地を囲い込み羊を飼育しました。
追い出された農民たちは都市へ流入し、工場労働者になって行きました。

注3)
現代日本は、格差社会が進展しています。
共通のモノサシ(社会的基準・規範)も失い、個々バラバラです。


■5.なお、最後に「羊」を現代の心理学的視点に照らしてみますと。

「羊」は、“弱いもの”・“可愛いもの”の象徴です。

したがって、“可愛い人”・“恋人”・“配偶者”などを
深層心理学的に現していると考えられます。 注4) 

「羊」の好きな男性・大切にしたいと思う人は、
愛妻家・愛情を大切にする人ということでしょう。


注4)
「牛」は貨幣〔かね〕・富や財産。
「虎」はプライド・権威。
「馬」はビジネス・仕事。
「猿」は子ども。など。


《 干支の易学的観想 / 【風地観 ☴☷】・【沢風大過 ☱☴】卦 》

まず、「未=羊」

「未」は、一般に動物の「羊」に当てはめられます。

動物の「羊」(の類い)は、文字の象〔かたち/しょう〕から、
「兌〔だ〕」・易八卦の【兌 ☱】に通じます

「兌〔だ〕」といいますのは(「忄」“りっしんべん”をつけた)
「悦〔えつ/よろこ・ぶ〕と同じです。

“喜悦〔きえつ〕”・“悦楽〔えつらく〕”などの「悦」です。

「悦」は、“笑い”でもあります・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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謹賀乙未年  その1

謹賀乙未年 〔謹んで乙未年を賀します〕 

───  乙・未・三碧木性/今年の漢字「税」/【震 ☳】=インターネット/
“美”・“義”・“善”・・・/「いけにえ」・「人身御供」・“スケープ・ゴート”/
「羊羹〔ようかん/ようこう〕・「羊頭狗肉」/「羊が人間を喰う」/
【風地観】・【沢風大過】卦/“心眼”・「観光」/“未来”/
【山水蒙】卦/“啓蒙照隅” 
 ───


《 はじめに ・・・ 干支について 》

明けて平成27年(2015)。新年を皆様と迎えますこと、大慶でございます。

私も“還暦”を経て、ふた回り目の暦となりました。

歳重ねの想いを新たに、例年のように干支〔えと/かんし〕から始めて、
いささか本年の観想といったものを述べてみたいと思います。


今年の干支〔えと/かんし〕は、(俗にいうヒツジではなく)
「乙・未〔きのと・ひつじ/おつ・いつ/び・み〕です。

干支は、十干〔じっかん〕(天干)と十二支(地支)です。

かつてはこの、10 と 12 の組み合わせで、
60干支〔かんし〕の暦を作っていました。


そして、本来十二支は、動物とは専門的には直接関係ありません。
が、動物のイメージ・連想は、人口に膾炙〔かいしゃ〕しています。

干支を「今年のエトは、ヒツジで ・・・ 」とメディアが薄々軽々と報じているところです。

また、干支は旧暦(太陰太陽暦:我国で明治維新期まで用いられました)ですから、
年始は 2月4日(立春)からで、2月3日(節分)までは、
まだ「甲・午〔きのえ・うま/こう・ご〕」です。

これらのことを確認しておきまして、
これから本年の干支「乙・未」年にまつわるお話をしてまいりましょう。


《 今年(‘14)の漢字 「税」 》

昨年・平成26(2014)年の世相をあらわす文字(「今年の漢字」)は「税」でした。
(一昨年は「輪」、その前は「金」。) 注) 

昨年4月から、消費税率が5%から8%に引き上げられました。

年末には、衆議院議員解散総選挙が行われ、その(一応の)大義名分が、
消費税率8%から10%への当初予定値上げの先送りの“信”を問う、
というものであったからでしょう。


“「悦」かと思ったら「税」だった。
税と悦をはかりにかければ片方が重く、
どこかで悦に化けてくれればいいのだが。」”
(12.13. 朝日新聞夕刊「素粒子」)

という新聞記事がありました。

大陸的(中国的)に、鷹揚〔おうよう〕に、文字を見れば
(“つくり”は)「兌〔だ〕」で同じです。

「兌〔だ〕」は、易の八卦【兌 ☱】で、
“悦〔よろこ〕ぶ”・“金〔かね〕”・“羊”などの象意〔しょうい〕です。

── 尤〔もっと〕も【兌 ☱】が象〔かたど〕る動物は、
来年(2015)の十二支ではありますが ・・・。


注)
“その年の世相を表す漢字を発表する「今年の漢字」
(日本漢字能力検定協会主催)が今年で20年目を迎える。

「今年の漢字」は1995年に始まり、毎年「漢字の日」の12月12日に
清水寺の森清範〔せいはん〕貫主〔かんす〕が揮毫し、
清水の舞台で発表されている。 ・・・ ”

◆ 歴代の「今年の漢字」
1995 「震」 (阪神・淡路大震災、オウム真理教事件)
1996 「食」 (O〔オー〕157集団食中毒)
1997 「倒」 (山一証券経営破綻〔はたん〕)
1998 「毒」 (カレー毒物混入事件)
1999 「末」 (世紀末)
2000 「金」 (シドニー五輪)
2001 「戦」 (米・同時多発テロ)
2002 「帰」 (拉致被害者の帰国)
2003 「虎」 (阪神タイガースのリーグ優勝)
2004 「災」 (相次ぐ台風上陸)
2005 「愛」 (紀宮さま成婚、「愛・地球博」)
2006 「命」 (悠仁さま誕生)
2007 「偽」 (食品偽装)
2008 「変」 (リーマン・ショック)
2009 「新」 (政権交代)
2010 「暑」 (猛暑日が連続)
2011 「絆」 (東日本大震災)
2012 「金」 (ロンドン五輪やノーベル賞)
2013 「輪」 (東京五輪開催決定)
2014 「税」 (消費税率8%に引き上げ)
                           (朝日新聞:2014.12.13 引用)


《 乙・未 & 三碧木性 の深意 》

さて、今年の干支「乙・未」には、どのような深意があり、
どのように方向づけるとよいのでしょうか。


昨年の“十干”「甲〔きのえ〕」は、(“十干”の最初で)
“はじまる”と読み、物事のはじめを表しました。

「甲」は、“よろい”・“かぶと”の意味で、“かいわれ(かいわり)〔甲拆〕”、
すなわち春になって草木の芽(=鱗芽)がその殻〔から〕を破って頭を出すという意味でした。

旧体制の殻を破って革新の動きがはじまるということ、
創造伸長することを教えていたわけです。


「乙〔きのと〕」は、「甲〔きのえ〕」が“陽干”であるのに対して“陰干”です。

春になって殻を破って頭を出した木の芽が、寒さや外界の抵抗が強いために、
強い生命力は持っているけれども、真っ直ぐ伸びられないで
曲がりくねっているという象形文字です。 

── つまり、改革・創造の歩みが、抵抗にあって苦労するけれども、
創造的に根気よく整えまとめてゆかなければならないということです。


“十二支”の「未〔み〕」について。

漢文の再読文字で、“いまだ”・“いまだ〜ず”・“いまだし/や”の意です。

“未来”の「未」で、“未来”は“いまだ来たらず”と読みます。


この「未」の本来の意味は、ご存じない方が多いように思います。

「未」の文字は、「木」の上に短い「一〔いち〕」が組み合わさり、
木の若い枝葉が伸び茂ることを表しています。

つまり、枝葉が繁茂〔はんも〕すると暗くなりますので、
これを“剪定〔せんてい: 切り整えること〕”して明るくすることを教えています
。 

── したがって、政治・経済活動では、時に合わなくなったものを片付け、
枝葉末節にとらわれずに、思い切って整理刷新する決断と努力が求められているということです。


以上のように「乙・未」年は、自信と英断をもって困難を切り拓〔ひら〕き、
創造的着実に事を進めてよろしきを得る年といえましょう

※(以上の干支の解説については、安岡正篤氏干支学によりました。 
『干支新話(安岡正篤先生講録)』・関西師友協会刊。pp.85─86、p.42、p.231 参照。)


また次に、九性(星)気学で今年は「三碧〔さんぺき〕木性」にあたります。

陰陽五行思想で“陰”の「四緑〔しろく〕木性」(=昨年)に対して“陽”の木性です。

従って木でも剛直な大木・大樹、「寄らば大樹の陰」といったイメージです。

易の八卦でいえば【震〔しん〕☳】が相当します。

【震】は、“雷”であり、“振であり動です。

【震〔しん〕☳】は人間でいえば、【乾〔けん〕☰】の“父”にたいして“長男”ですので、
さしずめ“小竜〔ジュニアドラゴン〕”・“小虎〔ジュニアタイガー〕”といったところです。


「三碧木性」には、伸び長ずる・烈しく動く・
音がする(=電磁波/TV./インターネットなど)・希望・青色(緑/青緑) ・・・ 
などの意味が考えられます。

とりわけ、“インターネット”は良きにつけ悪しきにつけ
大きな影響力を持つ時代となってまいりました。


そこで、今年の時勢を推し測ってみますと。

経済界は“アベノミクス”の善し悪しが取り沙汰されていますが、
今ひとつ振るわないようです。

政界は、昨年末の衆議院議員選挙につづき4月には統一地方選挙ですが、
与党・野党とも困難が予想され、議論噴出の年となりそうです。

国際的トラブルも(インターネットを介して)懸念されます。 注) 

── さはいえ、POWER〔パワー〕に満ちた年ですので、
従来まで積み上げてきた努力・苦労を活〔い〕かして、
社会情勢の変化にしなやかに対応することで
方途〔みち〕を切り拓〔ひら〕くことが出来ると思います


注)
新年早々、インンターネットを媒体にして、
中東・過激派集団(テロ勢力)“イスラム国”による
日本人を含む人質・殺害のシーンが世界中を飛び回りました。


《 歴史的に「乙・未」年を振り返る 》

歴史的に、前回の「乙・未」年つまり60年前は、昭和30年にあたります。

私の生まれた翌年なので、特に関心をもっておりました。

この年は、敗戦から10年を経て
「もはや戦後ではない」(経済白書、1955/s.30)といわれるほどに
戦後の復興が進みました。

経済界はこの年の前年末から“神武景気”
(神武天皇建国以来の好況期の意: s.29.11〜s.32.6)
といわれるほどの活況を示します。

政治面では“自由民主党”が成立し、
この保守合同と社会党統一による2大政党制となり、
いわゆる「55年体制」 注) ができました。


注)
自由民主党は衆議院の議席の3分の2を占め長期単独政権を続け、
社会党は憲法改正を阻止するために必要な3分の1の議席を維持して対抗し続けます。

この体制は‘93細川内閣成立まで継続されることとなります。


《 未 → 羊 あれこれ 》

十二支・「未年」は、一般に「未〔ひつじ〕年」と言われ、
動物の“羊〔Sheep〕”に擬〔なぞら〕えられます。

羊ににちなむ言葉や言い回しについてをあれこれ述べてみましょう・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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