儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

老子

老子講 『老子道徳経』 「有生於無」 ―― 「道」の作用 その7

こちらは、前の記事の続きです。

【一休禅師 (一休宗純)】

日本において、僧侶(仏教)は、教養として儒学(易学)・老荘の思想を学修していました。

とりわけ、禅宗においては、易と老荘の影響が大きいと考えられます。

私感いたしますに、その教えは“逆説の真理(論法)”を多分に含んでおり、「禅問答」などは、平行思考・右脳思考といえましょう。

座禅による覚り・覚知の世界も易と黄老の“神秘主義的傾向”と推測しています。

今回は、私たちに馴染みの深い、室町時代の禅僧・一休禅師について少々語ってみたいと思います。

1) まずは、モノの見方・発想・思考過程について。

一休さんと言えば、小坊主のころの“とんち”話で親しまれています。“この橋わたるべからず”に対して、「はし〔橋→端〕をわたらず真ん中を通りました」といったお話ですね。

ここで用いられているような前提条件そのものを変えてみるのが、平行思考、右脳的思考です。これらは易の思考プロセスと同じです

一休さんは、モノを角度(視点)をかえてみる、常識にとらわれない自由な考え方を大切にして、モノゴトの本質を見極めようとしたのです。“急がば回れ”的な、“発想の転換”です。

そして、その相対的見方・逆説の真理は、黄老に同じです

2) 次に、禅宗が重視している“覚り・覚智”の世界について。

「禅」(=「禅定」)は、梵語〔ディヤーナ〕の音訳で「静慮」(cf.黄老の「静」)と訳されています。

もともと“考える”という意味に由来するとも言われています。命題(迷い)をトコトン「考える」ことがポイントです。

易には第六感〔シックスセンス: 霊感・インスピレーション〕の世界があり、黄老にも (A.Waleyも言っていますように)ある種の神秘主義的傾向があります

平たく言えば、“学知”を超えた“覚智”の世界があるのです。

“見えざるものを観、聞こえざるものを聴く”ことによって智〔さとる〕(覚智)

○ 【一休さんの覚り】  《 夜カラス、カアと鳴いて 一休覚る 》 (by.たかね)

一休さんは、五年の間(“吾いかに生くべきか”の)覚りを求めて、ひたすら座禅と内職に専心いたします。27歳のある夜、カラスの鳴き声を聞いて覚りを開きます。

「夏夜鴉〔ア/からす〕有省」 ―― カラスも一匹・自分も一人、1人の道を歩こう、といったところでしょうか。

“覚る”とは、迷いから覚めることです。迷いのない人には、“覚り”もまたありません。そして、その“覚りのプロセス”は、ドーンと一気にすべてがわかるというものです

3) では、以上に述べた一休禅師の面目躍如たる“句”を紹介してみましょう。

○ 「女をば 法〔のり〕のみくら〔御座〕と いふぞげに 釈迦も達磨も ひょいひょいと出る」

釈迦は仏教の教祖、達磨〔だるま〕は禅宗の開祖です。お釈迦さま、達磨大師は偉大であるけれども(その母が生み育てたのですから)、おっかさんはもっと偉大だということです。

曾子は、「夫子〔ふうし/=孔子〕の道は忠恕のみ」と解しました(「孔子一貫の道」)。孔子(儒学)のいう「仁」とは、思いやりといつくしみ (忠恕・愛・慈悲)です。

「忠」【おのれ】は中する心、限りなく進歩向上する心 = 弁証法的進歩

「恕」【人におよぼす】 = 「女性(母)のクチ」ではなく「女性(母)の世界・領域」 = 造化

cf.「一〔いつ〕なるもの」=「永遠なるもの」=「受け継がれるもの」 / 神道 “産霊〔むすび〕”

○ 「漏地〔うろじ〕より 漏地〔むろじ〕へ帰る 一休〔ひとやすみ〕
雨ふらば降れ 風ふかば吹け」

漏地は、迷いのこと、漏地は迷いから覚めて“覚り”を開くこと。自分はそのどちらでもなく真ん中にいて一休〔ひとやすみ〕。迷いにも覚りにもとらわれない自由闊達な生き方が示されています。

「有」から「無」への“循環の理”が示され、バランスを保った“中庸”の徳が示されています。

雨・風(=風水、天地自然の代表)は、“無為自然” の境地でしょう。

*「一休」の名は、覚りを開いてからつけられた名前です。

○ 「たらいから たらいへうつる ちんぷんかん」

一休禅師、辞世の句です。昔時〔むかし〕は、生まれて盥〔たらい〕で産湯〔うぶゆ: 生まれた赤ちゃんを湯で清めること〕につかり、死んで盥で湯灌〔ゆかん: 死者を湯で清めること〕しました。死後のことは、ちんぷんかんぷんで分かりはしないという意です。死生観にも、また循環の理が現れていて、私には易的・黄老的なものが感じられます。

―― ちなみに、易数の「八」プラス「八」の八十八歳の長寿(=米寿)で亡くなったと伝えられています。


コギト(我想う)

≪ 一休さんと「易」の発想  ーー 「この橋わたるべからず!」 ≫

日本禅宗と老荘思想の関連が、深いものであることを述べました。ここで、「易」の発想・思考法との関連について付言しておきましょう。

先だっての11月11日(西暦‘11.11.11./元は、平成11年 11月 11日)を、“ポッキー(プリッツ)の日”といいます。タテに「1」が並んでいる象〔しょう/かたち〕からです。

10月10日を“目の日”というのもおもしろいですね。お分かりですか? 「10」を90度下に向けて、2つヨコに並べてみて下さい。易の【兌為沢】の象が“笑う少女”、【離為火】の象が“(両)目”・“めがね”であるのと同じです

音からの連想として、“耳の日(3/3)”・“虫歯の日(6/4)”・「焼き肉」(8/29)・「納豆〔なっとう〕」(7/10)・「豆腐〔とうふ〕」(10/2)の日や、さらに「いい夫婦」(11/22)の日というものまであります。

さて、一休さんといえば、小坊主のころの“とんち”で有名です。“この橋わたるべからず”と書かれた高札に対して、「はし〔橋→端〕をわたらず真ん中を通りました」と言ったお話は有名です。

これらのように、前提条件そのものを変えてみるのが、平行思考、右脳的思考です。これらは易の思考・発想法と同じです。そしてそれは、黄老のものの見方とも重なるところがあると、私は想います。

左脳ばかりを使って生きている人の多い現代。右脳的思考、左右の脳をバランスよく用いることが望まれます。とりわけ、指導者(リーダー)はそうです。そのことは、西洋の歴史に照らしてもよく解かります。

西洋古典文化の源、ギリシアの理想像は「調和のとれた人間」であり、その“再生”であるルネサンスは「普遍的人間」でした。

ついでに、この右脳的思考は、“ボケ(老人性痴呆)”の防止・“アルツハイマー性痴呆”の予防にあずかっているともいわれています。

超高齢社会の進展するわが国において、その意味でも重要と考えられます。


【大難解・老子講】 の目次は下のボタンをクリックしてください。

 ba_roushi


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

老子講 『老子道徳経』 「有生於無」 ―― 「道」の作用 その6

こちらは、前の記事の続きです。

研 究

其の2 ・・・ ≪ 「黄老」 と 「易」 と 「禅」(一休) ≫ 

【 黄老と易の思想 】

「老子」のオリジナル〔原典〕を読み、黄老の思想について考えておりますと、本質的に易の思想と同一(時代的に易が母胎)であることに気付きます。“易学”を「本〔もと〕」にしているとも、至れるもの(=形而上学)が易と「一〔いつ〕」であるともいえましょう。

具体的に両者の共通するものとしては、私が想いますに、A)「変化」と「循環の理」 / B)「逆説の真理(論法)」 / C)アプローチの方法としての“覚智の世界” 、がそれです。 A)B)とは、一体となって思想を形成し説き述べられています。以下、少々例示してみましょう。

※ 例1 ≪ 【泰・否】のペア ≫  ➔ 《 参考資料 》 3.参照のこと

まず、易の思想的原点・出発点は、“陰陽二元論(相対論)”です。陽=【乾〔けん〕】・天 / 陰=【坤〔こん〕】・地 です。この、陰陽の組み合わせの典型的・代表的な「象〔しょう・かたち〕」(3陰3陽の基本卦)が、大成卦【地天泰】 と 【天地否】とのペアです。

要するに、上に【乾】・天/下に【坤】・地が“自然”の善き有様であるようで、じつは全く逆であるということです。“上に天/下に地” では、「閉塞〔へいそく〕・“八方塞がり”、天地交流せず男女和合せず」【否】反対に“下に天/上に地”で、天は上に行こうとし地は下に行こうとして、「天地交流し、万物循環し、男女和合して安泰・泰平が実現」【泰】 します。

このことは、誰もが易理を学んで最初に感じる、新鮮な驚き・おもしろさ(興味深さ)ではないでしょうか。まさに、「変化」と「循環の理」を含んだ「逆説の真理(論法)」、平行思考ではありませんか。

※ 例2 ≪ 【離】・【離為火】 =「火」 ≫

八卦の【離】=「火」・64卦の【離為火】 も、“離れる”と同時に“麗〔つ〕く”と逆説的真理で説かれています。

そして、「火」は“はなれつき”移りつづけます。そのあたりのことが、『荘子』 に具体的に説かれています。

○ 「指窮於為薪、火伝也、不知其尽也」 (指は薪を為〔すす〕むるに窮するも、火は伝わる、其の尽くるを知らざるなり)。 ( 『荘子』・養生主〔ようせいしゅ〕/篇・第三)

難解な断章部です。指で薪をおしすすめて火を焚くことが出来なくなっても、火は伝わり続けまったく無くなることはないのだ、くらいの意味です。

『荘子』には、『易経』の教養がベースになっている箇所が多々あります。『易経』が最古の書であり、儒家の批判的立場から道家(老荘)が成立することを考えれば当然かも知れません。

『易経』によれば、【離】=「火」。「火」は、離れ麗〔つ〕くで、(木などの)モノにくっついて移ってゆきます。人間(生命)の不変なるもの(=「一〔いつ〕」なるもの)も、“徳”と“DNA〔遺伝子〕”の連続として捉えることが出来ます

※ 例3 ≪ 「火」と「水」 ≫

八卦の【坎】=「水」・64卦の【坎為水】 は、多くの古今東西の思想家・賢人が好んでいるものです。儒学思想(孔・孟)においてもそうですが、黄老思想においてとりわけ「水」は重要です。老子は、その思想の「象〔しょう〕」を「水」としました。至れる善は水のごとくして「道」に幾〔ちか〕い、“柔弱謙下”・“不争の徳”です。老子を「水」の思想(家)といってもいいでしょう。→ (※後述)

そして、「火」と「水」の関係においても、私は「逆説の真理(論法)」を強く感じるのです

五行思想では相剋〔ライバル〕の関係“水剋火”(水で火を消す)。その場合、火のパワーが強すぎると(「焼け石に水」で)水で消えない。あるいは水が蒸発してしまい“剋”が逆転する。 (・・・ 命学・九星気学・四柱推命など)

易の中論だと、水と火〔正・テーゼと反・アンチテーゼの異質・対立するもの〕を、統一・止揚して〔アウフヘーベン・中す〕、価値の高い新たなるもの〔合・ジンテーゼ〕を生み出します。〔ヘーゲル弁証法〕

元来 天地万物、皆 矛盾するところがあります。相反し、剋し合っておわるものではありません。 例えば、水と火の協力でお湯が沸き生米から 美味しいごはんを炊くことができます。男性と女性という全く異なる陰陽の融合で、子供という新しい生命が誕生いたします。

○ 「天地位を定め、山沢気を通じ、雷風相い薄(せま)り、水火相い射(いと)わずして八卦相い錯(まじ)わる。」 (説卦傳)

※ 例4  ≪ 循環の理 & “回帰・復帰”の思想 ≫

易64卦は、全体として宇宙・人生の偉大な 「変化」と「循環の理」です。シーンやスチュエーション〔場景や情況〕として各卦に示される「変化」と「循環の理」です。そして、そこには「逆説の真理(論法)」が展開されています。

易の思想は、無始無終、循環の理です。『易経』 64卦は、63番目が【水火既済〔すいかきさい/きせい〕】で、完成・終わりの卦です。 64番目、最終の卦が【火水未済〔かすいみさい/びせい〕】で、未完成の卦です。即ち、人生に完成というものはなく、また再び 1番目、上経最初の卦【乾為天〔けんいてん〕】(もしくは、31番目、下経最初の卦【沢山咸〔たくさんかん〕】)に戻り、こうして、永遠に循環連鎖いたします―― 円周的循環、黄老の“回帰・復帰”の思想です

循環の理法は、各卦の関係(対/ペア)にも現れています。たとえば、損・益、【山沢損】と【風雷益】。損と益は一つのもの、同一根です。日本語にも「損して得取れ」 という言葉があります。もともと、 「徳」=「得」 です。“Give and take.”〔まず与え、そして取る〕という英語がありますが、益(利益)を望めばまず損(投資)せよです。乾・坤、【乾為天】と【坤為地】もそうです。乾=剛(強)ならんと欲すれば、まず坤=柔になれです。

「陰極まれば陽、陽極まれば陰」の循環。 ―― 波状的循環です。これは、易の「之卦〔しか・ゆくか〕」の考え方(当該「爻〔こう〕」の陰陽を逆転して近未来の傾向を探る)の根拠にもなっています。

 

《 参考資料 》 3.

( たかね・「易経64卦解説奥義/要説版」抜粋引用)

《 11 & 12 のペア 》

11. 泰 【地天たい】  は、やすらか

3陰3陽の基本卦、
12消長卦 (2月)

● 安泰・泰平、天地交流し男女和合す、賓卦・裏卦とも「否」・先々(近未来=上卦と下卦の入れ替え)も「否」、“治にいて乱を忘れず”、女性上位、房事過多、易者の看板
・「小往〔ゆ〕き大来る。吉、亨る。」(卦辞) 
A)天地のあるべき位置が逆である
B)小は陰で大は陽、陽は上り陰は下る

■ 外卦 坤地は陰(=柔)、内卦 乾天は陽(=剛)

1)天地交流 : 天は上に地は下に、暖かい陽気は上に冷たい陰気は下に行こうとする
➔ 交流し、合体融合の象。成就の象。懐妊の象。

2)“外柔内剛”(と “内柔外剛”=「否」卦)の象。

3)女性上位の象。坤地 陰の女性が、乾天 陽の男性の上に位置している。

4)“健全なる精神は健全なる肉体に宿る”の象。( by 高根 ) ・・・坤の肉体の内に乾の(乾善なる)精神あり。


12. 否 【天地ひ】  は、ふさがる

3陰3陽の基本卦、
12消長卦 (8月)

● 八方塞がり、天地交流せず男女和合せず、賓卦・裏卦とも「泰」・先々も「泰」

“君子の道塞がって小人はびこる”、冬も極まればやがて春になる

“否泰は其類を反するなり。”(雑卦伝) :「泰」の“外柔内剛”と「否」の“内柔外剛”、先々(近未来)と裏卦(過去)の対応関係

・「否はこれ人に匪〔あら〕ず。」 ➔ 
匪人(罪人の意)に塞がる(by 安岡正篤)
「比」の3爻辞も 「比之匪人」

■ 外卦 乾天は陽(=剛)、内卦 坤地は陰(=柔)

1)天地交流せず : 天の気は上昇し地の気は下降しようとする ➔ 天地は交流しない。隔たり、塞がり、通じない象。

2)“内柔外剛”と“外柔内剛”(「泰」卦)の象。

3)男性上位の象。

4)「人に匪ず」 :内卦に坤の肉体、外卦に乾の精神 (健全なる精神が宿らぬ肉体、精神の宿っていないスポーツマン。 スポーツマンシップとは何か?)

5)“月 霧裏に臓〔かく〕るるの象”(白蛾) :乾を月・君子とし坤を霧・小人とみます。
「小人の道長じ、君子の道消するなり。」(彖伝)

小人の道長じ、君徳行なわれない ―― 小人闊歩〔かっぽ〕する時
・・・ 今の時代・我国のように思われます (by 高根)


(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


【大難解・老子講】 の目次は下のボタンをクリックしてください。

 ba_roushi


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

老子講 『老子道徳経』 「有生於無」 ―― 「道」の作用 その5

こちらは、前の記事の続きです。

《 参考資料 》 2.

§.付説     ―――  貝原益(損)軒の『養生訓』  ―――

*《序》 名前はご存知の方も多いでしょう。『養生訓』は、江戸時代(元禄)の大学者・貝原益軒〔かいばらえきけん〕の、最晩年・84歳のときの著作です。「益軒」は、最晩年の号〔ごう〕で、実は「損軒」ともうします。 漢方・本草学〔ほんぞうがく〕の大家でもあります。

(少子)高齢社会が急速に進展する現在です。(cf.満65歳以上の高齢者の占める割合23.1平均寿命:女子86.39、男子79.64 善き晩年の養心・養生のために(また自分自身のためにも)講じたいと思って、長年この『養生訓』について研究準備しておりました。今回、「五行(中国医学)」を講じることとなり、また受講者にこれから晩年を生きる方が多いことを踏まえまして、付説・補論として加えました。

今回、直接の原教材としては、安岡正篤・『易と健康 下 /養心養生をたのしむ』(所収の付録)を用いました。これは、かつて(S.39.8/私が10歳のころ!)安岡先生が講演されたものが講演録として編集・出版されているものです。簡にして要を得たものです。それを更に、抜粋して紹介させていただきました。以下、少々、教材を引用しておきましょう。

――― 抜 粋 ―――

“ なぜ損軒を益軒と直したか。これまた面白い問題であります。損益というのは易の卦〔け〕である。損の卦、山沢損の卦は「忿〔いかり〕を懲〔らし〕、欲を塞〔ふさ〕ぐ」というつまり克己修養、克己努力だ。損の卦の上九爻辞〔こうじ〕をみますと「損せずして之を益す」とある。すなわち自由に到達する。克己修養の結果、到達するところの自由の境地、その自由と委任の道を明らかにしたのが益の卦です。それで損軒先生、克己修養の努力を積んでだ、八十近くなって、ようやく自由という境地に自信を得たんでしょうね。そこで損軒よりも益軒を用いた。” 

“ 世間が考えておるような単純、あるいは頑固な人ではなくて、自由闊達〔かったつ〕、非常に豊かな生き生きした大人〔たいじん〕であります。そうして医学にも本草学〔ほんぞうがく〕にも長じた人が、これだけの体験と勉強を積んで、八十を過ぎて半生を省みて、後進の人々のために著してくれた『養生訓』であるから、これは世間でいうような簡単な養生学問とは違う。”

人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず。知恵いまだ開けず。古今にうとくして、世変〔せへん: 世の移り変わり〕になれず。言〔げん〕あやまり多く、行〔こう〕悔多し。人生の理〔ことわり〕も楽しみもいまだ知らず。五十にいたらずして死するを夭〔よう〕という。是れ亦た不幸短命と云うべし。長生すれば楽しみ多く益多し。日々にいまだ知らざることを知り、日々にいまだ能〔よ〕くせざることを能くす。この故に学問の長進することも、知識の明達なることも、長生せざれば得がたし。之を以て養生の術を行い、いかにもして天年をたもち、・・・・・ 。

“ 道教の一派になりますと、人間の全〔まった〕き寿というものを百六十としています、八十一を半寿という、八十と一を組み合わせると、半分の半という字になりますから。八十にいたらずして死するを夭という。ということは、我々はまだ死ねんわけで、死んだら夭折になってしまいます。
ともかく、長生すれば楽しみ多く益多し。我々もやっぱり年をとってみて、まさにごもっともであるとつくづく考えさせられる。”

人の元気は、もと是〔こ〕れ天地の万物を生ずる気なり。是れ人身の根本なり。人此の気にあらざれば生ぜず。生じて後は飲食衣服居処〔きょしょ〕の外物〔がいぶつ〕の助によりて、元気養われて命をたもつ。

 (「摩訶〔まか〕不思議」の「摩訶」と) 同じように元という文字も、時間的にいえば、発生的にいえば「始め」という意味である。ものの始めという意味。形態的にいえば「根本」という意味である。末に対して元という意味。それから、限定的なものに対して、部分的、限られたるものに対していうならば、これは「全体」という意味だ。だからこれを「大いに」と読む。そのいずれの意味にも限ることができませんから、「元」というのである。”

 “安岡正篤・『易と健康 下 /養心養生をたのしむ』
(所収の付録「貝原益(損)軒の『養生訓』」)


(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


【大難解・老子講】 の目次は下のボタンをクリックしてください。

 ba_roushi


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

老子講 『老子道徳経』 「有生於無」 ―― 「道」の作用 その4

こちらは、前の記事の続きです。

コギト(我想う)

≪ 【損・益】の深意  ―― 現代的意義を考える ≫

易の賓卦・反卦の【損・益】卦、五行思想の相剋〔そうこく〕関係【水】と【火】、陰・陽の相対関係を、矛盾・対立するものとして(弁証法的に)捉えるのは、西洋的かもしれません。

私が想いますに、今一つの考え方として、両者がペアで協力してはたらくという捉え方ができるのではないでしょうか。東洋的視点とも言えましょう。それは、車の両輪やコイン(紙幣)の裏表などと例えるよりは、「呼吸」のような関係に似ていると想います。―― といいますのは。

「呼吸」は、 (1)「呼〔はく〕」と「吸〔すう〕」が、反対の用(作用・はたらき)でありながら、お互いを助け合っています。「出入」〔人が出たり入ったり/食物の排泄と摂取〕、「終始」〔物事の終わりと始まり〕、「忘却と記憶」〔忘れることと覚える保持すること〕などの関係も、同様です。

(2)次に強調したいのが、両者の順序です。どちらが先行か、後行かです。深呼吸は、まず、しっかりと吐いて(汚れた空気を出して、肺を空にして)から、新鮮な空気を十二分に吸い込むのです。

ですから 「呼 ⇒ 吸」 です。食物も、まずお腹を空腹にして(宿便を)排泄してからしっかりと食べます。「出 ⇒ 入」です。

頭の中も、まず忘れてリセット(空〔から〕・無)にしてから、新しい知識や忘れたことを再び記憶します。記憶の定着は“憶え ー 忘れる”を17回以上繰りかえすと実現すると心理学でいわれていると聞いたことがあります。

つまり、記憶のコツは、忘却することにあるということです。ですから、「忘却 ⇒ 記憶」です。

また、ものごと、終わりは始まり。終わって始まります。『大学』に「物に本末有り、事に終始有り。先後するところを知れば、則ち道に近し。」とあります。英語の“コメンスメント”〔commencement:卒業式〕も始まりの意味です。「始終」といわず「終始」といいます。「終 ⇒ 始」です。

――― このように、【損・益】も【損】が先で【益】は後です。またかくあるべきなのです

さて、平成の大衆社会は、先賢の教えに学ばず、カケネなしの愚行を繰り返しています。全く、ちぐはぐ、トンチンカンな社会状況です。

己の利ばかりを思い、過陽 ”で “ わからぬ ” 状況が蔓延しております。企業・経済人は、まず(先に)ユーザーへの福音となるように社会貢献を考え、利益は後です。

公務員・教育の現場も“中庸”を欠き、駁雑〔ばくざつ〕に過ぎます。まず、よく省〔かえり〕み省〔はぶ〕き、空〔あき〕を創ってから新規事を益〔ま〕すのです。

なお、余事ながら付言しますと。人生にもリセットが大事かもしれません。まず、チャラ(白紙)にして、新しい人生が描けるのでしょう。

○ 「蘧〔キョ〕伯玉 行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す。」 ※補)

(『淮南子〔えなんじ〕』)

安岡正篤先生の著書〔講演録〕・『易と人生哲学』 (致知出版社) で知り、感銘を受けた文言です。私は、50の歳の時に奇〔く〕しくも、この言葉・この本に出合ったわけです。今にして想うにつけても、まさに、縁尋機妙」な出合いでした。

※補) 蘧伯玉〔きょはくぎょく〕という人は 孔子がたいへん尊敬していた衛〔えい〕の国の賢大夫です。その名言が これです。その意味は、今までの四十九年の人生が間違っていた と認識して、五十歳で人生を“リセット”したということです。なかなか出来ないことです。そして、「六十にして、六十化す。」と続きます。つまり、今までの人生が全部駄目だったと認めたうえで、そこから 自己改造して進歩向上させていくことが出来るものなのです。

 

《 参考資料 》 1.

( たかね・「易経64卦解説奥義/要説版」抜粋引用)

《 41 & 42 のペア 》

41. 損 【山沢そん】  は、へらす。

包卦(乾中に坤)

● “損益の卦”、上経の“泰否の卦”と好一対、賓卦 「益」、 「遜」にも通じへりくだり奉仕する、“損して得とれ”、“ Give and Take ”/“One lost, two found.”
―― まず与える 易は損が先、 正しい投資

5爻 「十朋〔じっぽう〕の亀〔き〕」(神占をするための高価な霊亀)登場、元吉

cf.貝原益軒・・・ 84歳で死ぬ1・2年前に 「益軒」を名のる、それまでは「損軒」、(『養生訓』)

■ 沢は地表面が減損したものですから、沢が深いほど山は高い。

1)地天泰であったものが、3爻の一陽を減らして上爻に益した象。即ち、内を損して外を益した象。

2)外、私の心を去って動ぜず(艮山)、内、悦んで(兌沢)修養努力する象。

○ 大象伝 ;
「山下に沢あるは損なり。君子以て忿〔いか〕りを懲〔こ〕らし欲を塞〔ふさ〕ぐ。」

(沢は地表面が減損して、それが山となっている、自然の理です。そこから君子は、損することの道理を悟り、自分を抑え怒らぬように節制し、私欲・欲望を抑え 塞ぎ止めるようにするのです。)


42. 益 【風雷えき】  は、ます・ふやす。

包卦(乾中に坤)

● 益する道、損(正しい投資)があって益あり、  賓卦 「損」
「損して已〔や〕まざれば必ず益す」(序卦伝)、 2爻 「十朋の亀」、永貞吉

■ 1)動いて(震雷)従う(巽風)象。

2)上より下にくだる。 「否」の4爻と初爻が入れかわったもので、上を損じて下を益すの象。 

3)雷(震)の裏卦が風(巽)で、陽陰共存の象。

○ 大象伝 ;
「風雷は益なり。君子以て善を見ればすなわち遷〔うつ〕り、過ちあればすなわち改む。」

(風と雷は、互いに助け益します。そのように 君子は、自分の徳義が益するように、善いと見れば就〔つ〕き従って動き、自分に過失があれば勇気をもって改めるのです。)

cf. 『論語』より ; 
「利に放〔よ〕りて行へば怨み多し。」 (里仁第4)
「君子は義に喩〔さと〕る。小人は利に喩る。」 (里仁第4)
「過〔あやま〕っては則ち改むるに憚〔はばか〕ること勿〔なか〕れ。」
(学而第1、子罕第9)


(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


【大難解・老子講】 の目次は下のボタンをクリックしてください。

 ba_roushi


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

老子講 『老子道徳経』 「有生於無」 ―― 「道」の作用 その3

こちらは、前の記事の続きです。

◆◇ 次に以下、『老子』のなかで、「損・益」について述べられているものを拾ってみますと。

( §42章 )

○ 「故物或損之而益、或益之損。

■ 故に物は或いは之を損して益し、或いは之を益して損す

《 大意 》

まことに、ものごとは、(※『易経』の【損・益】の卦に教えているように) それを損する(減らす)ことによってかえって益する(益す・増やす)ことがあり、(逆に)それを益する(益す・増やす)ことによってかえって損する(減らす)ことがあるものなのです。

 

( §77章 )

○ 「天之道、其猶張弓与。高者抑之、下者挙之、有余者損之、不足者補之。 |
*天之道、損有余而補不足。人之道則不然、損不足以奉有余。」

■ 天の道は、其れ猶〔な〕お弓を張るがごときか。高き者は之を抑〔おさ〕え、下〔ひく〕き者は之を挙げ、余り有る者は之を損じ、足らざる者は之を補う。 |
*天の道は、余り有るを損じて、而〔しか〕して足らざるを補う。人の道は則ち然らず、足らざるを損じて、以て余り有るに奉ず。」

《 大意 》

天の道(自然なあり方)は、あたかも弓に弦〔つる〕を張るようなものでしょう。上の端(高い上弭〔うわはず/末弭:うらはず〕)は下にひっぱり、下の端(下の下弭〔もとはず/本弭:もとはず〕)は上に持ち上げます。余り過ぎたら減らし、足らなければ継ぎ足し補います。(それでこそ、立派に調整ができるのです。) |
天の道は、このように、余り過ぎたものを減らして足りないものを(=ホドよく、中和させる)補うのです。(しかしながら)人の道(=やり方)は、そうではありません。足りない方をさらに減らして取り上げ、それを有り余っている者にさし上げる(たてまつる)ということなのです。 補注)※

*“It is the way of heaven to take from those who have too much, 
and give to those who have too little.But the way of man is not so.”    (Kitamura adj. p.252)

*この章は、共産主義(中国)にも資本主義にも利用されてきました。ここに老子の思想のスケールの大きさが感じられます。そして、所詮小さな“主義”を振り回すのみで、不平等を好み、
人の道は則ち然らず」で現在に到っています。

補注) 現代的に例えてみますと。貧しい人からの収奪(搾取?)・税金の徴収。金持ちに「金」が集まる→金が金を生む(利子や地代)。“持てる者と持てない者と”の格差の広がり。(東京大学合格者の8割は金持ち・・・ )
社会的「衡平: “累進課税”の制度。社会保障諸政策(生活保護、児童・子ども手当、高校授業料無償化、国立大学授業料低所得家庭への無償化 etc.)

★  盗夸  

◆ 「盗〔とう〕の夸〔おご〕り(盗夸〔とうか〕)、道に非ざるかな」(53章) “盗人〔ぬすっと〕のぜいたく(盗人のリーダー〔親分〕)” 、みちを踏み外すことはなはだしいものです。

 

( §81章 )

○ 「聖人不積。既以為人、己愈有。既以与人、己愈多。」

■ 聖人は積まず。既(ことごと・尽/すで・に)く以て人の為〔た〕めにして、己〔おのれ〕は愈々〔いよいよ〕有り。既く以て人に与えて、己は愈々多し。

《 大意 》

 聖人は、モノを蓄〔た〕め込んだりしません(/心に知を積め込まず空虚〔から〕です)。何もかも他人〔ひと〕のために出し尽くしながら、それでいてかえって自分がますます持つ(充実する)ことになります。何もかもすべて、他人に与えていながら、それでいてかえって自分はますます(心が/精神的にも物質的にも)豊かです。(*“ ―― he is richer still.”)

平成日本の(経済的)格差社会社会的“中庸”の実現/福祉国家・社会の実現

「高い席にいるものは、貨幣〔かね〕を出せ!安い席にいるものは、拍手を送れ!」

( ヨーロッパの古諺 )

(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


【大難解・老子講】 の目次は下のボタンをクリックしてください。

 ba_roushi


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

老子講 『老子道徳経』 「有生於無」 ―― 「道」の作用 その2

こちらは、前の記事の続きです。

研 究

其の1 ・・・ ≪ 【損・益】の卦 と「老子」 ≫ 

【 42 / 77 / 53 / 81章】

『易経』64卦、【山沢損:☶☱】(41)と【風雷益:☴☳】(42)。この【損・益】の対卦は、【泰・否】(11&12)と【既済・未済】(63&64) とともに、『易経』のペア卦を代表するものです。とりわけ、【損・益】の思想は、現実社会の政治と経済に直結するものです。

老子は、わけても、【損・益】の思想を自分の主張として取り入れて、展開して述べています。ここに、一般には隠者的思想と思い込まれているムキのある黄老思想の現実的・政治的・為政者的(指導者・リーダー論的)側面が、よく現れているといえましょう。

私見ながら、この「損・益」は、老子の思想のベースに易学があるという一つの例であると考えます。「五経〔ごきょう〕」の筆頭として儒学の専売特許のように位置づけられている『易経』です。が、私は、この中国最古の奇書は儒学の源流思想であると同時に、黄老の思想形成にもおおいにあずかって影響を与えていると考えています。

そして、現今〔いま〕の経済立国・日本は、あたかも、たそがれて行く先を失い道に迷い窮せんとしているが如き状態です。現状の不慈不善を正し、日本の近未来の(そしてその指導者〔リーダー〕の)あるべき姿を取り戻すためにも、この“損・益の思想”は現代の光をあてて再考しなければなりません。

さて、【損】と【益】は、“反卦〔はんか〕”/「賓卦〔ひんか〕」の関係です。つまり、相手が対面していて(正面にいる)、その相手から見ての卦(=卦を180度回転させれば良いことになります)です。平たく例えれば、自分が 一万円あげる・損する( ギブ:give/lose )のは、相手から見れば一万円もらう・得する( テイク:take/get )です。試合や勝負で、自分が負けるということは相手が勝つということです。非常に、理に適っています。

◇以下、【損・益】の卦・思想について、ポイントをいくつか説明してみましょう。( →詳しくは《参考資料》 参照のこと )

まず、一言確認しておきますと。易においては、「陽」を以て余り有るものとし、「陰」を以て不足なるものとします。そして、上卦は為政者(政府)・指導者〔リーダー〕・金持ちであり、下卦は大衆・一般ピープル・貧しい人々、と考えます。(両者の)相対的関係では、主体を下卦の大衆・一般ピープル・貧しい人々を基準に考えます。(民衆中心の思想〔民本主義〕)

 
blog_image_201217_1

No.1
【益】  《上を損して下を益す》

もと、【天地否 ☰☷/乾・坤】であったものが、上卦【☰/乾】の4爻〔こう〕の一陽が下がって下卦【☷/坤】の初爻に一陽(入れ替わって)生じ【☳/震】となった象〔しょう・かたち〕です。上の有余しているものから(減らし)下の不足しているところへ、一陽を益し与えています。【否】の塞〔ふさ〕がっている時(代)にあって、上より下に与え、皆が“悦び活気づき、巽順にして大いに活動します(=☳/震の象意から)”。

ex.企業活動: 寄付・利益還元・社会貢献・フィランソロピー・メセナ ・・・

※(4爻と初爻の移動関係は、“応爻”の関係ということです。小成卦=八卦を上卦と下卦の順で左右・横に並べるとその対応関係がよく解かります。)

【益】彖伝〔たんでん〕: 

「益は、上を損して下を益す。民 説〔よろこ〕ぶこと疆〔かぎ〕りなし。上より下に下る。その道大いに光〔あきら〕かなり。  ・・・・・ 益は動きて巽〔したが〕い、日に進むこと疆〔かぎ〕りなし。天は施し地は生じ、その益すこと方〔ほう〕なし。およそ益の道は、時と偕〔とも〕に行わる。」

No.2
【損】  《下を損して上を益す》

もと、【地天泰 ☷☰/坤・乾】の安泰の時にあって、下卦【☰/乾】3爻〔こう〕の一陽を減〔へ〕らして上卦【☷/坤】の上爻に益した象です。公共のため社会のために誠をもって自ら進んで減らし損するのです。損すべきときに損するに値する損をする、時幾が大切です。正しい損=投資はやがて反〔かえ/=返〕ってきます。自分の代でなくとも、子・孫の代にも反ってきます。。“情〔なさけ〕は、人のためならず”です。

ex.寄付・税金を納める・ボランティア(勤労奉仕)・国家会社に仕える、正しい投資 ・・・

【損】彖伝〔たんでん〕: 

「損は、下を損して上に益し、その道上行す。損して孚〔まこと/= 誠心〕あれば、元吉にして咎〔とが〕なし。  ・・・・・ 剛を損して柔を益すに時あり。

大象伝: 「君子以て忿〔いか〕りを懲らし欲を塞〔ふさ〕ぐ。」


(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


【大難解・老子講】 の目次は下のボタンをクリックしてください。

 ba_roushi


「儒学に学ぶ」ホームページはこちら
http://jugaku.net/

メールマガジンのご登録はこちら


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ

にほんブログ村

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ