儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

水【坎】 に想う  (その1)

水【坎】 に想う              

─── 水の思い出/水【坎】と火【離】/易(象)と水/
  孔子(/孟子)と「水」・「知者楽水」/老子と水・「上善若水」/
  水の「不争」・「謙下」/孫子と「水」・「兵形象水」/日本文化の「水」/
  水=川の流れ & 心・思想の象/鴨長明・『方丈記』/
  レオナルド・ダ・ビンチと「水」 ───


【サマリー】〔summary: 要約・概括〕 ; ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古代中国語の“水”は、“水”以外に“川”という意味もあります。
変化を水・川の流れに同一視するものは、儒学・黄老に共通しています。

否、それは古今東西を問わず、賢人に普遍〔ふへん〕するところとも言えます。


西洋。
古代ギリシアにおいては、(“7賢人”の一人)西洋哲学の始祖・父とされる タレスが 
「万物の根源は水である」 と言いました。

近代の幕開けルネサンスにおいて、“3大天才”の一人レオナルド・ダ・ビンチは、
水(流水)の研究に没頭し、水の流れで美と人生を哲学いたしております。

例えば。
「水は自然の馭者〔ぎょしゃ〕である。」 / 
「君が手にふるる水は過ぎし水の最期のものにして、
来るべき水の最初のものである。現在という時もまたかくのごとし。」
と。


東洋。
古代中国において、儒学の開祖・孔子は、『論語』で 
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。」 (雍也第6−23) / 
「子、川上〔せんじょう/かわのほとり〕に在りて曰く、逝〔ゆ〕く者は斯〔か〕くの如きか。
昼夜を舎〔お/や・めず/す・てず〕かず。」
(子罕第9−17) と言っています。

老荘(道家)の開祖・老子も水の礼讃者で、“不争”・“謙譲”を“水”に象〔かたど〕り
その政治・思想の要〔かなめ〕といたしました。

例えば。
「上善は水の若〔ごと〕し」「水は善く万物を利して争わず」 (『老子』・第8章) / 
「天下に水より柔弱〔じゅうじゃく〕なるは莫〔な〕し」 (『老子』・第78章) etc. ─── 

孔子は水を楽しみ
孟子(や朱子)は川の流れに智の絶えざる・尽きざるものを観、
老子は水の柔弱性と強さをその思想にとりました。

また、兵家の開祖として知られる孫子は、
「兵の形は水に象〔かたど〕る」 (『孫子』・軍争偏)と、
理想的戦闘態勢が、水のように形を持たず、
変化に対して流動的・柔軟に変化して対応するものであることを述べています。


日本においても、日本人に好まれる“美”というものは、
“水の流れ”や“時の流れ”といった 
変化するもの・流れるもの・循環するもの、の美です。

“時間”という目に見えない、形のないものです。

例えば、鴨長明・『方丈記〔ほうじょうき〕』 の冒頭、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。・・・ 」 にみられるように、
そこでは、 “無常観” (=変化)がながれる水(河)の象〔しょう/かたち〕となって
表わされています。


畢竟〔ひっきょう〕、東洋思想において賢人たちがその思想の徳象とした“水”は、
“水”を(有形・固定したモノとしてではなく)
変化”と“時間”(無形・移りゆくもの)で捉えるものです。

すなわち、水の流れ = 川(の流れ) として捉えるものであったといえましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


《 はじめに ── “水”の思い出 》

疲れた頭脳と身体を癒す入浴の一時〔ひととき〕。
人生の至福を感じます。

つくづく人間は“水”、私は自分が“水”の人間だナァと感じます。

 ── “水”にまつわる思い出を少々。


(たまたま、今年の干支〔えと・かんし〕は癸・巳〔みずのと・み:→ ミズとヘビ〕ですが)
昔日〔むかし〕、傷つけられた(死んだと思われた)大蛇〔だいじゃ〕を川に捨てると、
生気を取り戻し元気に流れに逆らって水面〔みなも〕を泳ぎだしました。

蛇は水の化身〔けしん〕、水には霊力があるのだと子ども心にも感じ入ったものです。

当時は、田植え前の水を張った水田にも“水蛇〔みずへび〕”が、
殊に夕暮れ時には、くねり滑るようにたくさん泳いでいたものです。

“水”も“蛇”も随分と身近なものでした。


そういえば、易の創始者とされている伝説の聖人“伏犧〔ふつぎ〕”は、
半人半蛇〔だ〕”と伝えられています。

神霊がずっと身近だった太古の時代の話です。

要するに、蛇つかいのシャーマンでしょう。

原始の農耕社会においては、 (雨)水=蛇 を司〔つかさど〕る人が
神秘的・カリスマ的存在だったのでしょう。

それはともかく。


壮年の頃、
「水を飲めば水の味がする」 という言葉を聞いたことがあります。

大病で入院して、脱水症状がでるほどの厳しい“摂水制限”を受けていた時、
何とも水が旨〔うま〕いと感じました。

殊に、(水の変化した)氷・氷入り水(ウォーターの水割り)は、
まさに“甘露甘露〔かんろかんろ〕”でした。

今では、かかる非常の体調の時でなくても、水の味が解かる人間になりました。

水の味は、味の至れるものです。

無の味です。(→ “無味”は、蒸留水=純粋な水 の味とは異なるものです。)


『老子』に 恬淡〔てんたん〕(『老子』・第31章)の語もあります。
心安らか、静かであっさりして執着しないこと、淡白・無欲なことです。

『荘子』の中にも、「虚静〔きょせい〕恬淡」・「恬淡無為」の語があります。

また、 「君子の交わりは淡きこと水の如し、
小人の交わりは甘きこと醴〔れい/あまざけ〕の如し。」
とあります。

淡交〔たんこう〕/水交」です。

要するに、 「上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水の若し〕」 (『老子』・第8章)で、
人間の交わりも含めて万事水の如くすべしです。


さて私は、“水”について想う時さまざまなものが想い起こされます。

私自身、本性〔ほんせい〕“水”の人間です
(ex.一白水性、“偏印”タイプ、知の人 ・・・)。

それもあって、水【坎☵】についての想いは、
私が長年文章でまとめておきたかったテーマの一つです。

今回、“水を楽しむ”つもりで、
“賢人と水”(「知者は水を楽しむ」)といった内容を中心テーマとしながら、
“水”についてそこはかとなく書き綴〔つづ〕ってまいりたいと思います。


《 水【坎】 と 火【離☲】 》

私は自分が、太陽の無限の“陽〔よう〕”の恵みと
水の本源的な“陰〔いん〕”の恵みによって生かされているのだと実感しています。


無論このことは、人間に限らず、生きとし生けるもの天地万物全てについて言えることです・・・


※ この続きは、次の記事に掲載いたします。


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「離」・「率」・「教」・「敬」 ・・・ 両面思考に想う

「離」・「率」・「教」・「敬」 ・・・ 両面思考に想う

 ─── 両(ニ)面思考/「離〔はなれ・つく〕」/「率〔ひきい・したがう〕」/
「教〔おしえ・ならう〕」/「敬〔うやまい・つつしむ〕」/儒学と民主主義 ───  


《 プロローグ ── 視点を変える(多角的に) 》
 
 「情〔なさけ〕けは人のためならず」の意味を学生に聞くと。
多く、“情けをかけて(手助けして)、甘やかすと本人のためにならない。
── だからノートを写させてあげるのはやめとこう。”などと理解しています。

真意は、全く逆で、情〔じょう〕=思いやり(仁) を人に施すのは、
(他人〔ひと〕から見れば自分は他人〔ひと〕なので) 廻り回って、
いつか自分も助けてもらえる。

つまり、他人に情けをかけろ、手助けせよ ということです。

高齢者・弱い立場の人に、電車の席を譲った青年は、
数十年の後に、孫か曽孫〔ひまご〕のような若者に席を譲られ親切にされるのでしょう ・・・ 。 

 幼児が、自分中心の世界(自分がいて、その世界に他人〔ひと〕がいる)から、
心が成長して、自分も他人(の世界)から見れば他人なんだということを認知するようになります。

“社会化”・社会性のめざめですね。

例えば、自分が自分の都合で他人を傷つけてよいなら、
自分も傷つけられてもよいということになります。 

── これは困る、と。

この他人というものの“認知”が、人間の大きな発達段階の一つであると
発達心理学で学んだことがあります。

昨今は、不思議と見かけはしっかり大人〔おとな〕になっているのに、
幼児的・自己中心的世界に生きている人が多い世の中です。

 さて、儒学の『易経』・『中庸』といった、
形而上学的オリジナル〔原典〕の字句・文言を解釈しておりますと、
(表面的には、漢字ですので複数の読み方・意味があるということですが)
思想的に全く対照的な視点・立場が加えられていることに気が付きましした。

両面(二面/反対)思考・相対的思考・弁証法的思考とでもいえるものかと思います。
それらを、少し整理してみましたのでご紹介したいと思います。

 

《 離: はなれ=つく /つき=はなれる 》  注1)

 易の八卦〔はっか/はっけ〕(八卦八象〔はっかはっしょう〕・小成卦)に、「離・り」があります。
離を 二つ重ねて(「重離」)、64卦(大成卦)では【離為火〔りいか〕】です。

 ついでに、命学、例えば九性(星)気学は、易の八卦八象のエッセンスを借用し、
それに中央位「五黄〔ごおう〕土性(星)」を加えて九性(星)としています。

その、運気の盛衰順は、【 坎〔かん:本厄〔ほんやく〕、最も谷の衰運〕 → 
坤〔こん:後厄〕 → 震 巽 → 中宮(五黄土性)〔最も山の盛運〕 → 
乾 → 兌 → 艮 →  → 坎 】の巡りです。

離は最衰運にむかう直前(前厄)の自粛の時です。
離婚・離職などが生じたり、それらの話を進めるとうまくゆくと判断したりします。

そして、(厄があけて、来るべき「震」からの盛運の時に向けて)次のステップへの準備の時でもあります。──

私は、今の離・別れは同時に次の新たなる出合いの始まりですよ、とアドバイスしています。
(この点、九性(星)気学が易の「終始」・「無終」・「循環」の理を取り入れ概説しているともいえましょう)

 さて、【離】卦の正象は「火」です。
火は、何か木や紙などの燃えるものに“(くっ)つき”ます(付着)。
火は、モノに離れ麗〔つ〕いて、炎上・燃え拡がってゆきます
(cf.発火の3要素:燃えるモノ・酸素・温度)。「離〔り〕」は、「麗〔り〕」です。

 はなれる、 離別・離婚・離職(リストラ)・倒産・不合格 ・・・ 。
離れ別れる時は、辛く、悲しく感じ、ブルーな(陰の)気分に落ち込むことが多いですね。
失敗・敗けと思い、マイナス思考で捉えるものです。

 しかし、それによって(その後)、新たな出合い・再婚・新しい職場・新規事業(会社)の立ち上げ ・・・ があります。

そういった、新しいものにつく時には、明るくうれしい(陽)の気分となりますね。
リベンジを果たした、挫折を乗り越えた、と思うプラス思考に転じて捉えるものです。

 逆にいえば、何かを新しく始めるためには、何かを捨て去る終わらせる必要があります。
時間を細にいえば、離れてからつく、つくためには離れなければならないともいえます。
が、大きくみれば、同時に起ると考えたほうが分かり易いでしょう。

 易の象〔しょう〕からみれば、【離為火】は、「火(離)」また「火(離)」の重卦ですから、
一方(下卦)の離火が他方(上卦)の離につくとも考えられます。

人も何に(→正しきものに)つき、誰につくかが大切です。
易の教えの、「明」を継ぐに「明」をもってするの美です。

 「離」の象意の深意に関しても、少しだけ触れておきましょう。
(※このテーマについては、近く改めて執筆したいと思っています)

 「離」は、学術・文化であり文化・文明です。
この、文化・文明そして学術そのものも、両刃〔もろは〕の剣で反対の意味を持っています。

 「財宝は子孫を殺し、学術は天下を滅ぼす」という言葉があります。
中庸を欠く貨幣〔かね〕(経済)は、子孫・人間をダメにし、
中徳を失った学術も世界を破滅させる悪です。 ── 兵器・核兵器に象徴されますように。

 文化・文明は、ひと燃えの“火”と一個の“石のカケラ” (高根造語)から始まりました注2)

大古、我々の祖先は、 “火”の暖と明を獲得し、
智恵を使って“石のカケラ”から「道具(=石器)」を作りだしました。

今では、“ナノ〔10億分の1m〕の時代”を迎え、
その「道具」は “アリの持てる携帯電話” すら夢ではなくなっています。

21世紀の現在、世界は易の【震:小ドラゴン】よろしくインターネットが飛び交い、
易の【乾:ドラゴン】よろしく ミサイル(&核兵器)が世界に満ちています。

それ(乾のドラゴン/ミサイル・核兵器)は、いつでも、飛べます。
地球を何個でも破壊できるパワーです。

注1) 「離」・「離為火」の詳細については、高根・ 『易経64卦解説奥義・要説版』 の
    「’08〜’09 「象」による64卦解説」参照のこと
    →
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50754711.html

注2) ファンタスティックな事実を加えますと、歴史時代よりはるか大昔。
    一個の“石のカケラ”=10kmほどの“隕石”が、全くの偶然に、地球に衝突しました。
    それは、巨大な恐竜の時代を終わらせ、
    (ネズミのような我々の祖先であった)哺乳類の時代をもたらしたのです。
    ‘10年、仮説の一つであったものが、実証され定説となりました。
    ちなみに、(米)映画にも巨大隕石の衝突による人類の終焉の危機(の回避)が
    テーマになっているものがありますね。
    “アルマゲドン”は、地球に衝突する小惑星を穴を掘って
    爆弾を埋め爆発破壊させるものでした。
    また、大小2個の隕石が接近し、小隕石は地球に衝突しましたけれども
    大隕石は破壊できた、というのもあったかと思います。

 

《 率: ひきいる=したがう 》

○ 「天の命ずる之を性と謂い、性に〔したが〕う之を道と謂い、道を修むる之をと謂う。」
 有名な、述聖・子思子の『中庸』の書き出しです。

「率性之謂道」。「率性」という語があります。
(性にしたがう。生まれつきの本性〔ほんせい:=誠〕にしたがうこと。)

1) この、「率」は、通常“ひき・いる”と読みますね。
   集団を「率いる」、生徒を「引率〔いんそつ〕」する、「率先〔そっせん〕」する、
   「統率〔とうそつ〕」する、といった具合です。
   統率者=師〔すい:かしら/おさ〕 です。
   (かつての君主)・政治家・社長・先生(師)・・・ といった指導者・リーダーの、
   視点立場からのことばです。

2) これと反対・対照的に、率いられる側、導かれる者の視点立場からの言葉が
   “したが・う”(順う、従う、随う)です。 
   ── この『中庸』の「率性」。
   「率服〔そつふく/そっぷく:付き従う、服従する〕」、
   「率履〔そつり:したがいふむ、国法を正しくふみ行う〕」。

優れて善く「率いる」者と、優れて善く「率う」者とがいて、秩序・平和は成り立ちます。
どちらが欠けてもダメです。

そして私は、その“匙加減〔さじかげん〕”・“balance〔均衡/統一〕”こそを、
東洋思想で“中庸(の徳)”という
のだと考えています。

 

《 教: おしえる=ならう 》

 先程の『中庸』の「修道之謂」。「教は效〔ならう〕なり」と注釈にあります。

 「教という字は、単に口で [おしえる] ばかりでなく、実践を伴う。注3) 
即ちお手本になる、人の [ならいのっとる] ところとなるという意味である。
だから『教は效〔ならう〕なり』という注釈があるわけです。
教育とは、教師が生徒のお手本になって、生徒を実践に導いてゆくことであって、
ただ言葉や文句で教えることではない。
言葉で教えるのは [] とか [] とかいうものであります。」 *[ ]内は原文は「、、、」です。
(安岡正篤・『論語に学ぶ』所収、「中庸章句」引用)

 敗戦前の教師(の権威)偏重、敗戦後の生徒中心教育に名を借りた教師の(軽佻)浮薄。
どちらも“中庸”を欠く偏倚です。

その弊害は、“めだかの学校”よろしく 注4)、“ミソもクソもごちゃまぜ”の平等観 注5)、
本〔もと〕も末も一緒くたの戦後教育にこそ具現していると思います。

古の英知、両面思考を思い出してほしいものです。


注3) 王陽明の“知行合一”、に通ずるものがあるかと思います。

注4) 「♪めだかの学校のめだかたち、だれが生徒か先生か、だれが生徒か先生か、
    みんなで元気に遊んでる♪(2番の歌詞)♭」

注5) 従来このような卑俗な表現は、品位の面から、私は決して用いませんでした。
    が、今は危機的状況から、あえて使うべき段階に入っているかと思い用いてみます。

 

《 敬: うやまう=つつしむ 》

○ 「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬す。」 (『孟子』・離婁上)

○ 「愛敬、親に事〔つか〕うるに尽くして、徳教、百姓〔ひゃくせい〕に加わり、
   四海に刑〔のっと〕る。」 (『孝教』・天子章第2)

○ 「故に母には其の愛を取り、君には其の敬を取る。之を兼ぬるものは父なり。」 
   (『孝教』・士章第5)

 『孝教』を読むと、ほんとうにしっかりと、」・「敬愛について書かれています。

敬(=陽)と愛(=陰)、家庭に在っては父と母が揃って、
その徳を発揮してこそ全き世界と人間があるのです。

現今〔いま〕、愛ばかりが言われて敬が忘れられ、失われています。

母(愛)が二人で父(敬)不在の家庭も多くなってまいりました。

家庭はその教育力を失い、ただの同居の場となり下がっています。

 その愛にしても愛情と“甘やかし”をすり替えているような世相です。
甘やかし 子を捨てる」とは、時代を超えてよくいったものです。
(おばあちゃんの)「舐犢〔しとく〕の愛」という古くて新しい言葉もあります。

 敬とそこから生まれる「」ということが、人間にとって一番の根柢的徳です。
西洋においても、例えばカントの道徳哲学においても、「敬」の概念は非常に重視されています。

さて。
1) この、「敬」は、通常“うやま・う”と読みますね。
   他者〔ひと〕が、うやまい、たっとんで礼を尽くすこと。
   「尊敬」・「崇敬」です。

2) 一方、尊敬の対象となっている吾人〔ごじん〕、
   自分自身はというと。 “つつしむ”、真心をこめてつとめるの意です
   「篤敬〔とっけい:人情に厚く慎み深いこと、徳実恭敬〕」・
   「敬忠〔けいちゅう:相手をうやまい真心を尽くす。また、つつしみ深く真心をつくる〕」です。

(※つつしみの貌〔ぼう・かたち〕にあるのを「恭」、心にあるのを「敬」といいます)

 いやしくも、敬される(立場)の人は、己をつつしみ、
いばったり傲慢であったりはしないということです。

人の敬に敬愛で応えるのです。

易も【地山謙】卦が、人に長たる者の謙虚・謙遜を教えています。

“稔〔みのる〕ほど頭〔こうべ〕をたれる稲穂かな”です。

 

《 結びにかえて ── 儒学と民主主義 》

 以上の両(ニ)面思考的視点を踏まえて、
“儒学”そのものと現代民主主義に想いを新たにして結びに変えたいと思います。

 敗戦後わが国では、一般に、儒学というと、
“封建制道徳”の権化〔ごんげ〕ように不当に扱われています。 注6) 

確かに、歴史的に、(江戸期の隆盛を極めた)日本儒学は、
封建制=君主制を支えた社会体制(一面的見方からすれば支配体制)でした。

徳川幕府(徳川家康)がその長期的安定の秩序として(自分にいいとこどりして)
国教として採用したのが儒学=朱子学でした。

中国も朝鮮も朱子学でした。

しかし、徳川幕府の時代を終わらせ明治の時代を拓いたのも、(外圧という背景はありますが)、
また、儒学=陽明学(孟子の革命思想・吉田松陰などの思想・・・ )でありました。
注7)

 ところで、貨幣価値の違いを無視して比較する話がナンセンスであることは、自明ですね。

例えば、100円のねうちは、今はパンの一つを買えるかどうかですが、
かつては(百円長者といって)家一軒が買えたころもあります。

 そもそも、古代奴隷制社会、中世封建制社会といったものを
現代のものさし(基準)をそのまま当てはめて、是々非々論ずるのは浅薄と言わざるを得ません。

● 民主制は最良か?
“民主主義政治体制”以上に優れた政治体制は無い、と聞いたことがあります。
が、私は、今の日本の民主主義社会が善く優れており、
中世封建制・君主制社会が悪く低い段階にあるとは、必ずしも思いません。
(私は、歴史学や政治学、経済学を専門に学んでまいりましたが) 
── 中世の社会と申しますものは、(実は)、随分住み易い社会であったのではないかと思っています。

そうでなければ、西洋でも東洋でも、幾百年にもわたって営々と続くはずがありません。
現在の我国の民主社会は、敗戦後65年余りですが、さて今後幾百年も続くでしょうか? 
それほどに、住み易い社会でしょうか。

「自由」や「民主」の名を騙〔かた〕って、放恣〔ほうし〕・利己主義がまかりとうり、
個人の都合・「権利」ばかりが主張され「責任」・「義務」が問われない無責任な社会。

この大衆民主主義社会の行く末には、嫌気すら覚えます。


● (本来の)儒学は民主的!
 わが国は、敗戦後、アメリカによる“占領政策”により、伝統的儒学道徳が否定され、
金科玉条に(米的)民主化が謳われ洗脳されてまいりました。

就中〔なかんずく〕、教育現場への弊害は、致命的に大なるものがありました。
(むろん米側からすれば、非常にうまく占領政策が進められたといえます。
その要〔かなめ〕は、教育(教職員)への介入政策にあったといえましょう。)

 私の想いますに、真の民主主義的思想のルーツは、むしろ儒学にこそあります。

それは、はるか、古代中国・春秋戦国の時代へと二千数百年も遡ります。
奇しくも、西洋で古代ギリシアで(奴隷制社会の中で)、民主政治が花開いた頃と重なります
(BC.5世紀ごろ)。

 ── 例えば、教育では、『史記』に3.000人ともいわれた孔子の学院は、
東洋史初の民主的私立大学(高等教育機関)
といえます。

“十大弟子”の中には、子貢のような“経済人〔ホモ・エコノミクス〕”の原型もいます。

孟子の王道論(徳治政治)は、経済生活の基盤・安定を説いています
(「恒産恒心〔こうさんこうしん〕」/梁恵王下)。

更に孟子は、民が主である思想
(「民を貴〔たっと〕しと為し、社稷〔しゃしょく〕これに次ぐ」/尽心下)
を展開し、西洋流の市民革命思想(「易姓革命」)
を唱えているのです。

 先述のように、江戸期の日本儒学(朱子学)は、徳川幕府が国教として儒学を採用するにあたり、
幕府の支配体制に都合のよい面だけ採り入れ、都合の悪い部分は導入しなかったということです
( ── そのことは、また戦国をようやく平定した覇者として当然のことではあります)。

そして、その“官(正)学儒学”を擁護する御用学者が出て、
徳川300年弱の御世の秩序を支えたというわけです。
日本の歴史の中に位置づけて然るべきことかと思います。

● 大衆民主制と儒学の調和♪
現今〔いま〕、日本の民主制・大衆社会は、伝統的儒学思想とどう調和させていくかを問われています。
想うにつけても、共産主義国・中国(中華人民共和国)も、
資本主義(経済)や儒学と不思議なミスマッチ〔異種融合:ハイブリッド/フユージョン〕?
を現出しています。注8) 

離れ=つく/つき=離れる、変易(変化)と不易とを改めて思います。

どのような組織にしろ、社会・国家にも指導者〔リーダー〕は必要です。
それも、優れた指導者が必要です。

優れた指導者をもてぬ人々、国家は惨めです。── 現代の日本は、何如〔いかん〕?

学校にしろ、会社にしろ、国家にしろ、
(少数の)指導者〔リーダー〕=【率いるもの】 と (多くの)導かれる者=【率うもの】 があって、
善き人間社会の秩序ではないでしょうか。

現代日本は、この両面を単純愚かにも同じにしてしまい、
“誤った平等”にしてしまっています。

俗に表現すれば“ミソもクソもごちゃまぜ”です。 注5) 

教育も教える者(師・先生)と教えられる者(弟〔でし〕・生徒)とがなく、同じです。

政治家もその道をおさめた指導者〔リーダー〕でなく、
“タダのひと”がバッジを付けています。

政道・学道・商道・医道 ・・・ 道を修めた然るべき指導者不在の時代です。 注9)

そして、【率いるもの】 と 【率うもの】を、
西洋的に支配・被支配の関係で単純に捉え表現してしまわぬことが大切です。

固定的な二元論ではなく、陰陽相対(待)論のように相対的に捉えるべきものです。

つまり、【率いるもの】 と 【率うもの】は、相対(待)的でチェンジ〔交代〕もするし、
同一人物でありながら立場・状況によりどちらにも成り得るのです。

注6) 補述として、旧来からよく見聞きする、愚見・曲解の一例をあげておきましょう。

○ 「子曰く、民は之に由〔よ〕らしむべし。之を知らしむべからず。」 (泰伯第8)

 敗戦後の進歩的文化人と称される人々や政治家が、さかんに引用したものです。
“今は民主的な世の中ですから、(以前のような)民に情報を知らせないで
強制的に従わせるような封建的なあり方は、改めねばならないのです、
云々〔うんぬん〕”といった調子です。

全くの浅薄なる誤解です。 孔子・儒学に対する“冤罪〔えんざい〕”?です。
 「不可使知之」は、禁止ではなく不可能の意です。

今でも“情報公開”や“説明責任”、“知る権利”など声高〔こわだか〕にメディアが唱えています。
けれども、国家百年の大計・判断や逆に細かなことは、なかなか皆に周知出来るものではありません。
いわんや、二千五百年前においてをやです。

ですから、真の意味は、
“(人に長たる者、指導者たる者は、徳を磨き修養を重ねて、)
皆が慕い寄って来るように信頼してまかせくれるようになれ
”ということです。

例えば、家の普請などの大きな買い物、難しい手術の判断などを、
担当営業マンや担当医師の“人物・人徳”に惚れ込んで託し任せるということがあるでしょう。

私には、「この件は、○○支部長に一任ということで・・・」、「西郷さんにおまかせいたす・・・」
といった何かのシーンの言葉が、脳裡に浮かびます。

この、孔子・儒学に対する冤罪ともいえる愚見・曲解は、
現今〔いま〕にいたっても、平気で新聞などのメディアで見聞きします。

まことに、残念なことです。

注7) 高根講演 「儒学と松下村塾の赤龍たち」(‘08 “真儒の集い”特別講演)参照のこと。

注8) 中共は、40年余り前の文化大革命の方向を180度転換して、儒学を国教化し、
    北京オリンピック(‘08.8)で世界に『論語』・“孔子”をアピールし、
    現在子供たちは熱心に『論語』を学んでいます。
    そして、中共は今や、GNP世界第2位、軍備大国に変じています。

注9) 易卦【地火明夷〔ちかめいい〕】: 地中の太陽、
    “君子の道 閉ざされ、小人はびこる”、徳のない蒙〔くら〕い時代。(高根)

                                               ( 完 )

 

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