2011年04月18日

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがありますが、僧侶に袈裟は付き物です。世の中の僧侶たちは、袈裟を着けていることが僧侶であるかのように、どこにでも袈裟を着けて出現します。バイクに乗って袈裟を翻すような醜態は論外ですが、外出をする時、法話や講演のような人前で話をする時、会合だけでなく、結婚式や祝賀会のような晴れの場に出る時など、いつでも袈裟を着けたがります。

 

一般人から見ると、別世界の人のイメージが更に強められ、近寄りがたい存在として映ります。が僧侶にはそのように見て欲しいという意識が少なからずあります。一般の人より多少は聖なる存在で、あなた達のような凡人ではないということを自分なりに主張したいのです。その反面、同じ人間だからもっと気軽に話しかけて欲しいという気持ちも持っています。

 

海外の仏教国の僧侶なら出家して、家族を持たず、僧院生活を送り、戒律を守り、日々仏道と布教にのみ時間を費やす生活です。一般の人とは明らかに異なる環境にいて、聖なる存在として認識されています。

 

日本の僧侶は在家のままの状態で、家族を持ち、一般人と全く同じ生活を送ります。意識は僧侶ではありますが、行動は一般人と何ら変わるところがありません。

 

それならば、普段は袈裟を着けることはやめた方がいいです、一般人と同じ存在だという感覚を持つために。袈裟を着けるとかえって誤った感覚に陥ることになりかねないのです。

結果的に僧侶はマイナスのイメージを与えることになります。

 

袈裟はほとけ様を拝む時にのみ必要な物と自覚しましょう。

 

蛇足ですが、首から袈裟を掛けて、まだその上に数珠まで掛けるような変な姿は、同じ僧侶として見たくないです。ほとけ様もビックリかも。



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2011年03月25日

情報によると、東電の藤本孝副社長は、今夏の電力需給ギャップを緩和するために、電力使用量の多い時間帯の値上げも検討する、と語ったらしい。

放射能汚染がますます広がりを見せ、大騒ぎしているこの時期に、早計に値上げ論を持ち出す神経がわからない。まったく感覚が世間とずれている。

犠牲者、被災者そして多くの国民に迷惑を及ぼしながら、反省はもう終わったかのような印象だ。

テレビを見て感じることだが、出てくる東電の社員は皆頼りなさそうな者ばかりだ。目が定まらず、話し方がおどおどしている。自信を持って語る者はいないようだ。

こんな人たちが原子力発電に携わっていたのかと思うとぞっとする。事故が起こったのは、どうやら巨大地震や津波のせいだけではないような気がする。






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2011年03月21日

岩手県宮古市田老にあった津波防潮堤は、高さ10m、幅3m、長さ2.4kmで二重に地区を囲む城壁のように張り巡らされ、世界でも珍しく、日本一と言われていた。

しかし今回の津波の前にはなす術がなかった。みんなは「想定外」のことと言った。

福島第1原発の施設の被害も専門家は、「想定外」のことが起きたと言う。

「想定外」とは一体どういうことなのか?あまりにも人間の自然に対するおごりではないのか。

わずか何百年の歴史を振り返って、お前たちの力はこのくらいのものだろうと見下していた。

仏教では、劫という時間の単位がある。一劫とは、3年に一度天女が舞い降りてきて大きな岩を絹衣で一回撫でて戻る。それを繰り返して岩がなくなる時間をいう。つまり人間にとっては無限の時間だ。

地球が誕生して46億年。大陸が生まれ、移動、分裂などを繰り返して今の五大陸になった。巨大地震も多数起きたことが容易に想像できる。

人間の一生は刹那(瞬間)に過ぎず、また自然に対しては全く無力だという自覚が必要だ。

原子炉は原子核の自然な力を人間がコントロールする。しかし原子核は常に自然の摂理に戻ろうとする。その力は人間の力をはるかに超えている。

今回の地震、津波、原子炉破壊による被害は甚大で深い悲しみを感じざるを得ないが、「想定外」と言うのはあり得ない。

自然の中に我々は生きさせてもらっていると強く感じる。

私たちはその自然を神(かみ)、仏(ほとけ)と呼んでいる。










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