2016年08月08日

住職がペンネーム「赤木じゅん」で実録小説を書き下ろしました。半生記を描いています。
タイトルは少々過激ですが、内容は、

1.人生はこんなに素晴らしい。
2.同じ環境にあっても、心の持ち方ひとつで、灰色の人生がバラ色に変わります。
3.またバラ色に変わると今度は周りの環境を変えることができます。
4.チャレンジ精神が湧いてきます。

人生に悩む現代人に送ります。

文芸社刊 2016.7.1 199ページ
全国の書店およびネット通販(アマゾン等)で購入できます。定価 1,296円(1,200円+税)



檀家に殺される

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2014年08月14日

8月13日ころのお盆の季節になると、ニュースや報道番組では、帰省者の様子や交通機関の渋滞などが毎年恒例のように伝えられています。それとともに、墓参で賑わう墓地や霊園などの映像も必ず放映されます。関西のテレビ局では、京都五条東山にある、浄土真宗の墓地での墓参の様子がよく放映されます。

この映像を見ていると、お盆の13日~15日は墓参をするものと映り、またそのような説明もまことしやかになされています。ちょっと変ですね。お盆の行事は墓参が中心なのでしょうか? お盆の行事をしない浄土真宗の墓参の様子を放映してなぜお盆の風物詩とするのでしょうか。?これはお盆の伝統文化を誤って伝えています。

お盆は先祖の霊が家に戻り、家族で先祖霊をお迎えし、おもてなしをするというのが目的です。そのためにお盆に入るまでに墓参をし、先祖霊を迎えに行きます。お盆の期間中は家に先祖霊が帰っているので、墓地には先祖はいない、ということになります。お盆が終わればまた墓地までお送りするというのが、お盆の伝統行事です。

7月あるいは旧8月7日に行われる七夕(たなばた)が先祖霊をお迎えする行事です。「たな」とは、先祖霊を祀る台のことで、「はた」は先祖霊が帰って来やすいようにとの目印の幡(旗)のことです。毎年7月か8月7日ころに墓参をして、先祖霊を迎えに行くというのがお盆の最初の行事です。七夕は7日の夕べという意味です。そのあとは家で先祖霊を供養することになります。季節のお供え物をし、僧侶にお経をお願いし、家族で詠歌をお唱えするということが一般的に行われてきました。

浄土真宗の場合、死者はすぐに阿弥陀如来の世界に行くので、先祖霊が家に帰ってくることは一切ありません。ですからお盆の行事を行わないのです。墓参は阿弥陀如来に対する感謝の意を捧げるものと解釈されています。お盆の期間中だからといって墓参をするのは、矛盾を感じます。

マスコミはこの辺の理解が全くできていないので、毎年同じ誤った報道を繰り返しています。マスコミによって日本の伝統文化がゆがめられています。日本の伝統文化をよく勉強して、正しい報道をしていただきたいと思います。



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2014年04月12日



葬儀の導師は誰でもいい。これがこの文章の結論です。

リードタイム(lead time)という言葉があります。製造会社などが受注から納品までの所要時間です。レストランや宅配会社でも注文から出来上がり、届けるまでの所要時間が大切です。
もちろん短い方が会社にとって良いこととされます。顧客がそれを望んでいるからです。

ところが最近は葬儀社もこのリードタイムの短縮に力を入れています。まるで物を扱う会社と同じ経営方針ですが、大きく異なる点は果たして顧客(遺族)や寺院がそれを望んでいるのかという点です。

家族葬や直葬が多くなり、葬儀の規模が小さくなりました。また自前の葬儀施設が必要とされ、設備投資に多額の費用がかかります。その結果、リードタイムの短縮が行われ、少しでも回転をよくすることが求められます。

葬儀の日取りは葬儀社の主導で決められ、遺族はうまく誘導されます。
慌ただしく葬儀を済ませた遺族はそれで納得しているのでしょうか?

もうひとつ、リードタイムのしわ寄せは寺院にも及んできます。突然の不幸は承知の上ですが、小規模な葬儀にも関わらず、日取りの決定権は葬儀社にあり、寺院もそれに従わざるを得ないのが現状です。

日程が合わなければ、葬儀社は他の寺院に依頼すると言います。何かと事情の分かっている葬儀社が言うならそれに従ったほうが段取りよく済ませられると遺族は判断します。


檀家制度が崩れてきているとは言え、菩提寺にとっては一大事です。永年築いてきた菩提寺と檀家の信頼関係は一瞬にして消えてしまいます。それを我慢して葬儀社の言いなりになる寺院も数多くあります。


葬儀本来の、導師・遺族・葬儀社の立場は完全に葬儀社・遺族・導師の順に入れ替わりました。いまこのような事例が全国で起こっています。人の死の尊厳さは表面上、セレモニーとして保たれているようですが、実態は物として扱われているのが現状です。


葬儀の意味をよく考えることが必要だと思います。




 


 



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