2006年01月19日

クロニクル2:超主観的人物伝。かわにんさん。

 クロニクルと言うわけで、思いつくままつとめてつれづれなるまま

に、小生とDDRにおいて関わって印象に残った方々をランダムに

書き記していきまっしょいとかそんな所存。


 と言う訳で、栄えある1発目は、かわにんさんです。


 背広姿のビジネスマンスタイルでのストリクトリービジネス

で一世を風靡し(関西圏)、関西DDRパフォーマーとして

は最古参の方です。当時守口組と言う「DDR〜〜組」と地名を

冠した団体名の先駆けとなった団体に所属しておられ、更には

KOFD(DDR2ndパフォーマンス全国大会)において

西の聖地、茶屋町チルコポルト代表として参加された経歴の

持ち主です。

 
 かわにんさんの「ビジネス」を初めて見た時、何がセンセー

ショナルだったって、当時(おそらく1.5時代)DDRって

のは踏むゲーム(後せいぜい回るくらい)と言う認識しか持ち

得ていなかった小生だったのですが、つり革(自作)、新聞、

携帯などビジネスマンと言うスタイルに準じた「小道具」を

使うことにより笑いとユーモアを生み出していたのに愕然とした

ものです。


 余談ですが、かわにんさんはビジネスにおいてはこれだけでは

なく、傘でゴルフの素振りをしたり、時代の流れを汲んで携帯で

メールを打ったりとマイナーチェンジもされてました。余談ついで

にいうなれば、それは完成を良しとしない、1つのネタでも更に

追求するリスペクトすべき精神の現われなのですが、「ビジネス」

から次のネタに進めなかった、と言えるかもしれません。それ

程かわにんさんにとってもかわにんさんの「ビジネス」を知る

ファンにとっても、「ビジネス」と言うのは大きな存在だった

のでしょう。


 さておき、小生はかわにんさんに感化され、「踏む」だけで

はないDDRにのめり込んでいったのです。小道具と言うコン

テンツだけではなく、踏むプラスアルファを求めて。例えば

衣装だったり。
 

 かわにんさんといえばもう一つ。「リトルビッチ」のEDIT

で「AHO1000%」と言うのがありました。

 2Pから1Pへ移動する譜面が延々流れ、それを多人数で踏み、

フットパネルをドーナツ状に皆で周回すると言うパーティプレイ

エディットでした。


 これまた目からウロコで御座いました。「DDRは2人同時

プレイまで」と言う既成概念を遥かに飛び越え、「フットパネル

上でのみプレイする」と言う暗黙の了解(と言う名の束縛)を

も凌駕してしまった訳ですから。


 小生は確信しました。語弊を恐れず申し上げるならば、「DDR

は上手くなくとも魅せる事は出来る」と。上手くなる努力は必ず

必要ですが、何より大事なのは「発想力」だと。


 「ビジネス」のインパクトから程無くして、家庭用DDRが発売

され、アーケードでも家庭用とのリンクバージョンが発売されま

した。DDR界にEDITプレイが誕生したのです。


 曲に合わせて自分の好きなパフォーマンスを考え、自由に矢印を

放り込める。既成譜面パフォとの方程式が全く逆転しました。

曲と矢印→パフォから、曲とパフォ→矢印へと。


 EDITの是非はまた機会を改めて述べると致しまして、この

1曲に対する可能性の爆発的飛躍は天命でした。


 真面目にアホが出来る腹部腸と、計測不能系アホのYou斬、

そして、人並み外れてアホが大好きだったワタクシ山岡。この

アホの核融合。たぶんメルトダウン。


 かわにんさんの「小道具」「多人数」「パネルに縛られない」

と言う発想にインスパイアされ、腹部腸は皿回しと言うスキルを

得て、小生は自由なEDITを構成して。You斬は上半身半裸

と道を誤っておりますが、まぁ彼に関しては推し量ろうとする行為

自体がナンセンスでありますから放っといて。



 かわにんさんと出会っていなければ、我々の3人ネタ、KOFD

出場ネタである「VAGABOND」は生まれてこなかったで

しょう。




 
 2002年大晦日茶チル大会にて、かわにんさんはマニアック

「AM−3P」を片足プレイと言う、とても古いネタを披露しま

した。関西DDRパフォーマーのフロンティアは、その自分で

開拓した地から先の新大陸には進めなかったと言う、悲しき史実

です。

 だがしかし。小生は言います。かわにんさんを、感謝の意を多分

に込めて、不変に尊敬しております。のでした。
jum_3636 at 22:07│Comments(1)TrackBack(0)DDRクロニクル 

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この記事へのコメント

1. Posted by かわにん@超昔の人   2006年01月24日 22:26
こんな時期にこんなことを書かれているのは何か意図があるか分かりませんが(笑
素直に「ありがとうございます」です。

山岡君をはじめ「上六組」は自分にとって唯一「完全敗北」を喫したDDRerであります。
忘れもしません、KOFDの一週間前のことです。同じお笑い系の上六に敵情視察をしに行きました。
ネタ披露を快諾してもらって見せてもらったのですが、まさしく晴天の霹靂でした。
自分は常日頃のネタを誰よりも深く掘り下げることでアピールしてたのですが、あの時見たものは、「既に深かった」のです。
ここからは感情込みですが、自分のDDR史上、あれほど面白いパフォはないですわ。ホンマに。
あれ以来、自分はもう主役じゃないと思いましたもん。だからその後のパフォ大会は、「優勝を狙う」ではなくて「自分の存在をアピールする」ことに徹したのですわ。
まだまだ山岡君は優勝狙える現役で頑張って下さいな。



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山岡死LAW
おおむね毛だらけ。DDRとか格ゲとか漫画とかが趣味。マニアック。仕事と家庭で頭いっぱい風味だが、まだまだ負けない。