やまやま再発見

大分市周辺の山を歩いた記録です。みんなが集まるメジャーな山からヤブコギチックな低山まで、その魅力を再発見します。

大分駅から古宮古墳・にじが丘・青葉台を経て かんたん港園へ

2023年11月4日(土)

 大分市の中心市街地の西側には標高100m前後の丘陵地帯が広がっています。この丘陵にはかつては一面のミカン畑が広がっていましたが(現在でも周辺エリアでは柑橘栽培が盛んで「志手ポンカン」といったブランド種も有名)、1970年代に入るとスカイタウン高崎・パークシティー青葉台・サンシャイン虹ヶ丘といった大型住宅団地が開発され、昭和の終わりから平成の初めにかけては中学校・小学校が相次いで開校するなど、一大ベッドタウンエリアとして成長しました。

今回歩いたエリアの航空写真

地理院地図

今回歩いたエリアの過去の航空写真

地理院地図(1974-1978)

   このエリアには山の中腹に造られた古宮(ふるみや)古墳や公園の中に設置された三角点・電子基準点がありますが、それらを訪ねながら丘を越え、西大分の  かんたん港園まで歩いてみたいと思います。

虹ヶ丘
本日の行程:大分駅→椎迫入口→古宮古墳→にじが丘→青葉台→大分西中→生石→かんたん港園

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11:13 大分駅 上野の森口(南口)  を出発

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地理院地図

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11:13 ホルトホールの前て横断歩道を渡り「大分いこいの道」に入ります。
   ※画像のモニュメントは建築家  塩塚隆生氏による「100年の樹」(2013年制作)

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11:16 大分駅と上野の森を結ぶシンボルロード「大分いこい道」(総延長444m、幅員100m)

 大分いこいの道は大分駅周辺総合整備事業にともなって2012年に供用が開始されました。南北に走る2本の市道の間は芝生広場となっており、週末は子どもたちや高校生などが遊ぶ姿が見られますが、災害時には避難場所として使えるように防災倉庫やマンホールトイレを備えているほか、ヘリの発着にも使えるように設計されています。

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11:18 県庁所在地代表駅の駅前とは思えない豊かな空間が魅力の「大分いこいの道」

 遊具こそありませんが市街地のど真ん中に子どもたちが走り回ったりボール遊びしたり(硬いボールは不可)できる空間があるのは素敵ですね。「大分いこいの道」を介することで大分駅から 上野丘こどものもり公園・大分市美術館まで連続した公園空間としてとらえることができそうです。

2019/7/15の記録→大分駅から上野の森を抜けて大分市美術館へ

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11:22 県道21号大分臼杵線に出たら北側の側道を西へ進みます。

 県道21号大分臼杵線といえば顕徳町から滝尾橋を渡って明野に行く道をイメージしますが、こちらは2008年(平成10年)9月に供用を開始したバイパスで、もともとは都市計画道路庄の原佐野線と呼ばれていました。交通量の多い道ですが、緩衝緑地のおかけで気持ちの良いウォーキングが続いています。

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11:32 国道210号(大道バイパス)と交差する椎迫(しいざこ)入口交差点を通過

 道路交通情報で毎朝耳にする重要な交差点です。高速道路の大分インターチェンジの入口でもあり、大分市街地の玄関口にあたる場所です。

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11:38 椎迫入口交差点から0.5kmで住吉川に架かる椎迫橋を渡ります。

 この年の春に住吉川を源流から河口までたどっており、ここで県道21号を横断したのは記憶に新しいところです。

2023/3/5の記録→住吉川を源流から河口までたどる (前編)

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11:41 椎迫橋から0.2kmほど歩き、県道北側の椎迫天満宮に立ち寄ります。

 何度も車で通った道ですが、ここに天満宮があったことは初めて知りました。こうした神社に参拝することができるのも市街地ウォーキングの醍醐味です。

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天満宮に隣接する椎迫地区公民館

 神社の敷地に集会所が建つ光景は地方ではよく目にします。神社前の道は大分インターチェンジへのアクセス道路となったため昼夜問わず多数の車が行き来していますが、1992年(平成4年)に高速道路が開通する前は地元の方しか通らないローカルな道だったはず。私はその頃の椎迫地区を知りませんが、境内に立つと昔ののどかな雰囲気が感じられる気がしました。

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天満宮境内に祀られた石の祠
小さいながらも狛犬様に護られており、信仰の篤さがうかがえます。

11:45 椎迫天満宮を出発

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11:49 天満宮から0.2kmでグリーンコープ西の台店
        古宮古墳へ行くには店舗に向かって左側の細い道に入ります(右側の広い道は私道)

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11:50 地理院地図では黒実線(軽車道)で描かれた道ですが、実際は徒歩道。

 グリーンコープ前の県道21号に設置された横断歩道(押しボタン式信号機付)でわかるように、この徒歩道は県道南側の鳥越地区から西の台小学校への通学路として整備されたもののようです(グリーンコープから小学校まで徒歩道経由だと550mだが、車道経由だと1300m)。

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11:50 フェンスに護られて丘へ登る徒歩道
   自然林の中の登山道とはまた違ったワクワク感があります。

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11:52 徒歩道を登りきると市道椎迫西ノ台線に出ます(画像奥のフェンスの先が西の台小学校)。
   ここは市街地方向へ戻るかたちで東へ進みます。

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11:53 季の坂(きのさか)入口バス停先を左折して季の坂方面へ
   正面に見えるこんもりとした小山の中腹に古宮古墳があります。

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11:55 バス停から170mで古宮古墳駐車場(海抜51m)に到着

 この駐車場は基本的に閉鎖されており、見学目的であっても特別な場合を除いて利用できないようです。近くに時間貸しの駐車場もありませんので、車での見学は無理。その意味ではハードルの高い古墳と言えるでしょう。

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11:56 ハードルの高さはアクセスだけではありません。
   駐車場からはまずこの階段を登らないといけないのです。

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11:57 階段上から振り返った駐車場
   スロープも用意されていますが結構急坂です。

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11:57 住宅街を左に見ながら遊歩道を進んだ右側が古宮古墳の入口です。
   古宮古墳は1996年(平成8年)に史跡公園として保全整備が完成しています。

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11:58 階段を下ると遊歩道が二分します。
   古墳は左を下りますが、展望広場が右にあるので寄り道してみます。

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11:59 急な階段を上った先にある展望広場(標高70m)

 季の坂入口バス停から見上げた小山の頂上にあたる部分ですが、周囲の木々が成長したためか、展望はほとんどありません。ここは行き止まりなのですぐに分岐まで引き返します。

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12:01 分岐から竹林を下っていくと小山の南斜面に造られた古宮(ふるみや)古墳に到着
   こちらの海抜が51mなので、駐車場と同じレベルまで下ってきたことになります。

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古宮古墳の解説板

史跡の概要
 古宮古墳はも丘陵の南側斜面にある南北約12.5m、東西約12mの方墳です。
 巨大な凝灰岩をくりぬいて造った横口構造の石棺式石室とよばれる、7世紀中頃前後に畿内(現在の近畿地方)の中級豪族のあいだで流行した石室が特徴で、九州では他に例がありません。
 このような特徴から、被葬者は大和政権と深くかかわり、672年の壬申の乱に活躍したことが「日本書紀」に記される大分君(おおいたのきみ)恵尺(えさか)・稚臣(わかみ)という2人の豪族のうち、とくに恵尺が有力な候補者として考えられています。
 なお、古宮古墳のある場所は、南側に川があり背後に山を背負うという風水の考え方(風水思想)に合っており、これに基づいて造られたのではないかと考えられています。

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 個人的には古宮古墳の真南120m地点に椎迫天満宮があることが気になります。現在は天満宮として祀られていますが、創建当初は古宮古墳となんらかの関わりがあったのかもしれません。

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古宮古墳の羨道(石室)の入口

 山の斜面に造られた古墳というものをイメージしにくかったのですが、斜面に横穴をほるだけではなく、きちんと四角に土が盛られています。入口に紙垂(しで)のついた注連縄が張られていることから、ここに葬られているとされる大分君恵尺は神様同様の扱いとなっているようです。
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 古宮古墳は行き止まりとなっているため、見学を終えたらまた標高差20mの階段を上り、同じだけの階段を下って駐車場に戻りました。

12:08 古宮古墳駐車場を出発。季の坂(きのさか)の住宅地を経由して西の台小学校をめざします。

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12:16 古宮古墳駐車場から0.5kmで西の台小学校の裏手を通過

 西の台小学校は住宅団地開発による児童数増加を受けて、1991年(平成3年)に春日町小学校・大道小学校から分離して開校した小学校です。「西の台」とはスカイタウン高崎・パークシティー青葉台・サンシャイン虹ヶ丘・スカイタウン高尾台・パークシティ季の坂など新興住宅団地の総称です。

 小学校名が決められた経緯はネット上ではわかりませんでしたが、仮に「大分西」「西大分」「城西」となるよりも校区エリアをイメージしやすい感じはあります。

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12:17 西の台小学校の校門前を通過 ※2023/1/4撮影
  裏から見ると高校のように殺風景ですが、こちらからだと新しい学校の雰囲気があります。

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 市道椎迫西ノ台線に出たら50mほど市街地方向に戻って右折。市道にじが丘二丁目1号線を西方向へ進みます。

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12:20 市道にじが丘二丁目1号線の歩道に等間隔で植えられたコキア

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12:21 正面に高崎山を望むにじが丘東公園前バス停を通過

 大分交通の青葉台線は基本的に  にじが丘・青葉台の団地内では循環ルートをとっており、青葉台行は市道にじが丘二丁目1号線、大分市街地行きは市道椎迫西ノ台線を走っています。このため、団地内では往路と復路の乗客が混在することになります。

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12:24 西野台小学校から0.5kmで にじが丘2丁目交差点に到着

 ここで市道高崎団地椎迫線とクロスします。この市道は県道21号の大分IC東交差点と国道10号の東生石交差点(フェリーさんふらわあ前)を結んでいますが、団地内を通るため特に登下校時間帯は細心の注意を払って運転したい道です。

 さて、目的の三角点と電子基準点は交差点の先に見える公園の中にあります。

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12:26 横断歩道を渡って虹ヶ丘西児童公園

 この公園は2段に分かれており、上(北)側がグラウンド、下(南)側が遊具エリアとなっています。画像は下の遊具エリアですが、虹をイメージした複合遊具が特徴で、いつ来ても(今回は3回目)子どもたちで賑わっています。

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12:27 遊具エリアのトイレ横に設置された標高70.3mの電子基準点(点名:大分)

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電子基準点の解説板

 「“建設省”国土地理院」と書かれているので、2001年(平成13年)の省庁再編以前に設置されたものと思われます。

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電子基準点の隣に設置された謎の測量点
三角点はここではありません。

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12:29 虹ヶ丘西児童公園の上(北)側のエリアに移動

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三角点は上(北)側エリアの西の端に設置されています。

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標高74.3mの四等三角点(点名:虹ヶ丘)

 四等三角点ながら4つの防護石で固められた立派な三角点です。ここは丘陵の稜線部でなく南側の中腹に位置していますし、公園内にあることから、1970年代以降に設置されたもののようです。

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虹ヶ丘西児童公園を彩るクロガネモチの実

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12:30 虹ヶ丘西児童公園北側に位置するにじが丘公民館
   保育所のようにメリハリのある色づかいの建物が目を惹きます。

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12:35 公民館前から市道椎迫西ノ台線に出て、西に350mで青葉台北バス停に到着 
   このバス停の北側はミカン畑となっています。

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12:37 青葉台北バス停先を右折してミカン畑沿いに北へ進むと十字路に出ます。

 左右方向の道は市道駄原中原線といい、この丘陵の稜線を東西に走る道です。ここを右折すると眺めの良い場所を通りますが、今回のルートから外れるので割愛します。
 さて、今回は十字路の西側を少し登った場所にある青葉ポケットパークまで寄り道してみます。

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12:42 青葉台4丁目にある青葉ポケットパーク(標高119m)
   ここに立ち寄ったのは海の眺めの良い場所が近くにあるからで。

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12:43 青葉ポケットパーク近くから眺めたスカイタウン高崎方面
   中央に見えるのがこれから通る大分西中学校です。
  ※当日は霞みが濃かったため2023/1/4撮影の画像で代用しています。

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青葉ポケットパーク近くから眺めた別府湾方面
眼下に見えるのは令和になって開発された住宅地、グレイスタウン青山です。
※当日は霞みが濃かったため2023/1/4撮影の画像で代用しています。

12:52 十字路に戻ってグレイスタウン青山方面へ進みます。

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12:52 十字路横に広がる苗畑
   これから建てられる住宅の庭木用に育てているのでしょうか。

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12:52 グレイスタウンの南西端にある青山公園
   なんとなく別府にありそうな地名ですが、ここは大分市です。

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12:59 グレイスタウンを抜けてスカイタウン高崎に入ると高崎四丁目バス停に到着

 ここは大分交通スカイタウン高崎線の終点で、バスの待機スペースがあります。パークシティー青葉台とスカイタウン高崎は隣接する住宅地ですが、中心市街地を結ぶバスの系統・経由地は大きく異なっており、両団地を結ぶバスは朝晩の一部便を除いてありません。

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13:02 高崎四丁目バス停から0.2kmで大分西中学校の下を通過

 大分西中学校は住宅団地開発による生徒数増加を受けて、1987年(昭和62年)に王子中学校から分離開校しました。中学校区は後に開校した西の台小学校区(の大半)だけでなく、従来からの八幡(やはた)小学校区・神崎(かんざき)小学校区・春日町小学校区(一部)も含まれています。校名選定の経緯は不明ですが、城東中・城南中に合わせて「城西中」としなかったのは校区が広かったからでしょうか。

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13:09 大分西中学校から北へ0.4kmでまるた屋温泉 西方の湯の横を通ります。

 大分市内でよくあるコーラ色のモール泉ですが、ゴールの  かんたん港園までもう少し歩くので入浴は見送って先へ進みます。

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地理院地図

 西方の湯から先は市道南生石3号線を北へ下ります。

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13:11 市道の左前方には別府湾越しに鹿鳴越(かなごえ)連山が霞んでいました。

 なお、画像中央に見える住宅街の奥には神崎温泉天海の湯があります。西大分界隈には王子温泉や新湊温泉もあり、温泉好きの方にはなかなか楽しいエリアです。

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13:12 市道の左後方を振り返ると高崎山(右奥には鶴見岳)が見えました。

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13:13 左前方に  かんたん付近の海が近づきました(画像中央はフジボウの工場)。

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13:15 今度は右前方の視界が開けて西大分港に停泊する「さんふらわあ」が見えました。

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13:16 右側方には大分の中心市街地が広がります。
   中央部は春日神社の森、左奥には日鉄大分製鉄所の高炉や煙突も見えています。
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 市道南生石3号線は幅員が狭いため、車で走ると非常に気を遣う道ですが、ウォーキングであれば左右に広がるパノラマを満喫することができます。ここはもっと空気の澄んだ日に歩きたかったですね。

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13:19 柿の実と「さんふらわあ」

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13:23 2度のヘアピンカーブを経てさくら公園まで下りてきました。

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13:24 市道南生石3号線は  さくら公園の先で市道高崎1号線に出ます。

 市道高崎1号線は先述の市道高崎団地椎迫線と一体化した道で、国道10号の東生石交差点と県道21号の大分インター東交差点を結んでいるため、交通量が多めです。

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13:25 市道高崎1号線を北へ向かうとすぐに日豊線中島踏切を渡ります。

 大分駅周辺総合整備事業の際、西大分駅を含むこのあたりまでの日豊線の連続立体交差化(高架化)の話も出ていましたが、貨物駅となっている西大分駅を高架化するとなると、コンテナターミナルを移転する必要があるため、費用面などで見送られました。
 踏切待ち中に隣のうなぎ屋さんからいい匂いが・・・

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13:28   中島踏切を渡った先を左折して北西へ進むと西大分公園があります。

 ここには1972年(昭和47年)に廃止された別大電車(大分交通501形、佐野植物公園に保存されていた電車と同型)が保存されており、山渓での買い物の際に目にしていましたが、2004年(平成16年)に解体されてしまいました。

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13:34 せっかく西大分へ来たのでクランベリーアトベ(跡部誠進堂)さんに立ち寄ります。

 シュークリームやどら焼が人気のお店ですが、日曜定休なので、このあたりをウォーキングする際は土曜日を狙っています。

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13:39 今日はJRに乗りませんが西大分駅を表敬訪問
   1911年(明治44年)の開業時からの木造駅舎が健在です。

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13:44 西大分駅前から国道10号を横断してかんたん港園(こうえん)にやってきました。

 かんたん港園は2006年に移転したダイヤモンドフェリー(現:フェリーさんふらわあ) のターミナル跡地を再開発した公園です。かつての桟橋はウッドデッキになっており、犬の散歩を楽しむ人々などでいつも賑わっています。

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かんたん港園のベンチでアトベさんのアップルパイを頂きます(どらやきはお土産)。
海を眺めながら優雅なひと時になるはずでしたが・・・・ 大量のハトに取り囲まれて退散。

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14:02 帰りのバスの通過時刻まで、かんたん界隈を散策することにしましょう。

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14:12   国道10号沿いのかんたんバス停から大分駅行きのバスで帰途につきました。

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 今回訪問したスポット(椎迫天満宮、古宮古墳、虹ヶ丘の三角点・電子基準点、青葉ポケットパーク)はいずれも駐車場がないため、近場ではあるものの行きづらい場所でした。そうしたエリアをじっくり見て回ったり、高台からの眺望をじっくり楽しんだりできるのもウォーキングの特権です。今回は日中の訪問でしたが、夕刻に歩いて温泉を楽しむのも良さそうです。

おまけ
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毎回メンツが異なります

佐賀関サイクリングロードを歩く (2023夏)

2023年8月27日(日)

 8月の下旬に入ると太平洋高気圧の勢力が弱まり不安定な天候が続くようになってきましたが、この日は久々に安定した晴天に恵まれそうだったので、2年ぶりに佐賀関(さがのせき)サイクリングロードを歩いてくることにしました。

 佐賀関サイクリングロードは、かつて日豊本線の幸崎(こうざき)佐賀関製錬所の間に走っていた日本鉱業佐賀関鉄道(延長9.2km)の廃線跡を転用したものです。

 この鉄道は第二次世界大戦中、製錬所の物資輸送を目的に計画されましたが、開業は戦後の1946年(昭和21年)にずれこみました。一時期は旅客輸送で活況を呈しましたが、モータリゼーションの進展によって開業から17年後の1963年(昭和38年)に廃止されています。

佐賀関鉄道
本日の行程:幸崎駅→道の駅さがのせき→大志生木→辛幸→古宮→佐賀関市民センター

2021/7/13の記録→佐賀関サイクリングロードを歩く(前編)   (後編)

 歩いたコースは2年前とほぼ同じ、歩いた季節も同じ夏ですが、今回は新たな発見があったので、お付き合いいただければ幸いです。

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9:37    日豊線の下り列車に乗って 幸崎(こうざき) までやってきました。

 前回は車で来て歩いたためゴールで乾杯できなかったのが心残りでしたが、今回は自宅から公共交通機関を乗り継いでやってきました。

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9:41 幸崎駅を出発。

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  Wikipediaによると佐賀関鉄道時代の幸崎~佐賀関の所要時間は25~30分だったとのこと。現在は国道197号を走る大分バスの路線バスで20分弱です。

 幸崎~佐賀関の公共交通区間としては路線バスのほうが歴史が古く、1933年(昭和8年)に省営バス(後の国鉄~JRバス)が路線を開設しています(JRバスのほうは2003年(平成15年)に廃止)。

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9:43 幸崎駅北側に広がる空き地(画像左奥がJR幸崎駅)

 日鉱佐賀関鉄道の幸崎駅はこのあたりにあったようですが、過去の航空写真からはホームの位置がわかりにくく、web上で写真もみつからなかったため正確な位置はわかりません。

 佐賀関鉄道と国鉄では軌間が異なる(佐賀関鉄道は762mm、国鉄は1067mm)ため、当時はこのあたりで貨物の積み替え作業が行われていたのかもしれません。

 佐賀関鉄道は戦時中に船舶での輸送が困難になった鉱石等を輸送する手段として建設されたそうなので、戦後に安定した海上輸送ができるようになると、非効率な鉄道輸送は廃れていったものと思われます。佐賀関鉄道の貨物輸送が廃止されたのは旅客輸送が廃止される3年前(昭和35年)のことでした。ただし、銅の精錬過程で生じた濃硫酸の輸送(製錬所→幸崎駅)はトラックに引き継がれて1996年(平成8年)まで続いています。

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9:47 駅北側に開発された住宅地 くすの木タウン幸崎 の一角から佐賀関鉄道跡が始まります。

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9:47 くすの木タウンの先に設置された さがのせきサイクリングロード→ の標識

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9:50 県道715号(木田神崎線)の旧道と交差する地点が本幸崎(ほんこうざき)の跡です。

 ちょうど佐賀関発(幸崎駅経由)大分駅行きの大分バスが通っていきましたが、JX金属(日本鉱業の現在の社名)のフルラッピングが施されており、日本鉱業佐賀関鉄道の後継にふさわしいいでたちとなっています。余談ながら、JX金属のキャラクターは「カッパーくん」と呼ぶそうです。

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9:50 本幸崎駅跡にはホームが残っています。

 佐賀関鉄道では幸崎駅と区別するため本幸崎の駅名を用いています。ちなみに、この地域の大字は大分市本神崎(ほんこうざき)。こちらは2005年に佐賀関町から大分市に編入される際、高崎山近くの神崎(かんざき)との混同を防ぐため、神崎(こうざき)から改称されました。

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9:52 本幸崎駅跡の先で鉄道跡は国道197号に吸収されます。

 右奥に見えるのは大分市立神崎小中学校(旧佐賀関町立神崎小学校→2005年より大分市立こうざき小学校→2018年より小中一貫校化)の東校舎(1~4年生用)です。現在の東校舎は神崎小学校時代の1984年(昭和59年)に建てられたもので、それ以前は鉄道跡の海側(画像左側)にありました。

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9:57  切り通しを抜けて築山古墳下を過ぎると国道が左に去って鉄道跡が復活します。

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9:58   国道との分岐部分に さがのせきサイクリングロード案内図  があります。

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9:59 国道から分かれるとすぐに湊川に架かるコンクリート橋を渡ります。

 佐賀関鉄道は戦時中に建設されたため、当時の鉄材不足を反映してかコンクリート橋が採用されています(コンクリートは自給可能だった)。

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10:09 鉄道跡は次の落水川のコンクリート橋を渡った先で市道を越えます。
  
 今回は市道に下りて鉄道跡を眺めてみましたが、鉄道跡の橋桁が薄い鉄製のものに交換されており、市道側の高さ制限が緩和されていることがわかります。

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10:14 続いて二又川のコンクリート橋を渡ります。

 佐賀関鉄道の軌間が762mm(黒部峡谷鉄道と同じ)だったこともあって、橋の幅は狭く、沿線の照葉樹が成長したことも相まって、ここに旅客列車が走っていたとはにわかに信じがたい雰囲気です。

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10:14 二又川の橋の上からはサイクリングロードに入って初めての海が見えます。

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10:14 対岸の国東半島の上に浮かぶ積雲。手前を横切るプレジャーボート。

 最近の夏は猛暑・酷暑といったネガティブワードが並びますが、忘れかけていた夏本来の清涼感を思い出させてくれる景色でした。

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10:21   二俣川の橋から400mほどで大平(おおひら)の跡に到着。
   ここにもホームが残っています。車両が小ぶりなせいか、ホームもかなり低いです。

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10:23 西大平川に架かるコンクリート橋の上からの眺め
   画像奥には文政7年(1824年)に架けられた石造アーチ橋である西谷(にしたに)が見えています。

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10:26 続く市道大平浜線との交差部分も橋桁が薄いコンクリート製に交換されています。

 このように鉄道跡をそのままサイクリングロードに転用するのではなく、立体交差部分の橋桁を交換・嵩上げするなどして、(鉄道廃止跡に普及率の高まった)自動車の通行に配慮していることがわかります。

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10:28 大平(おひら)バス停付近では鉄道跡の築堤にアジサイが植えられています。

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10:37 下大平(しもおひら)バス停付近の緩やかなカーブ
   タイムマシーンが実用化されたら行ってみたい場所のひとつです。

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10:38 道の駅さがのせき の手前で鉄道跡は国道197号と交差します。

 サイクリングロードはここで横断歩道を渡り、道の駅の建物の海側を回り込むように佐賀関方面へ続いていますが、とりあえず道の駅で休憩していくことにします。

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10:40 道の駅さがのせき  は1997年(平成9年)にオープンした道の駅です。

 別府湾~伊予灘~豊予海峡を一望できる好ロケーションにあり、関アジ・関サバ・関ブリ丼を廉価で食べられる施設です。駐車場が広くないため週末は混雑する印象ですが、徒歩や自転車なら気になりません。

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道の駅さがのせき  の展望デッキから西方向の眺め
日吉原の液化ガス備蓄基地の向こうの由布鶴見の山なみは夏雲に隠されていました。

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道の駅さがのせき  の展望デッキから北方向の眺め
大分の臨海工業地帯が控えているだけに貨物船・タンカーの姿が目立ちます。

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道の駅さがのせき  の展望デッキから東方向の眺め
豊予海峡を挟んで四国の佐田岬半島が見えています。

なお、画像右端の国道の法面下に見えているのが鉄道跡のサイクリングロードです。
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10:48 道の駅さがのせき  を出発。

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10:50 道の駅から大志生木手前までのサイクリングロードは道路改良工事のため通行止

 本来であれば波打際の風光明媚な区間を堪能できる区間ですが、おとなしく山側を迂回することにします。このあたりまでは新設された歩道を歩くことができるので安全なのですが・・・

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10:53 途中から未改良区間に入り、路側帯がないに等しいカーブの内側を歩かされます。

 本来の鉄道跡は大志生木の美しい砂浜を一望できるビュースポットなのに、国道歩きは命懸け。国道の拡幅工事ではその砂浜の一部が埋め立てられるため、完成後の眺めの変化が気になるところです。

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10:54 大志生木(おおじゅうき)地区の入口で鉄道跡は再び国道の山側に移ります。

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10:57 線路跡は旧大分市立 大志生木小学校(2016年春に現在の神崎小中学校に統合)の前を通ります。

 アジ サバ アジサイ の看板は、このアジサイが小学校の子どもたちによって植えられたものであることを紹介していました。

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10:59 小学校跡を過ぎたところが大志生木(おおじゅうき)の跡

 ここは幸崎駅と佐賀関駅の中間点にあたり、上下列車がすれ違える駅となっていたそうですが、当時の遺構は見つかりませんでした。

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地理院地図

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11:01 大志生木駅跡を過ぎると志生木(しゅうき)に架かる大志生木橋を渡ります。
   こちらは鉄道時代のものではなく、1994年(平成6年)に架け替えられたものです。

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11:03  大志生木橋を渡ると最初のトンネルである大志生木トンネルをくぐります。

 トンネルの先には小志生木地区がありますが、北側を並走する国道197号には歩道がないため、このトンネルが歩行者・自転車道として使われています。トンネル内部は照明が多く、側壁にタイルが貼られているため都会の地下道を歩いているような気分になります。

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11:05 トンネルを抜けると小志生木(こじゅうき)地区。美しく弧を描くビーチが迎えてくれます。
   ただし、この付近の線路跡は国道に吸収されてしまいます。

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11:07 国道197号はこの先で志生木トンネルに入りますが、サイクリングロードは左の旧道へ。

 この先の鉄道跡は砂浜と旧道の間を進み、画像左端あたりで小志生木トンネルに入っていましたが、現在は封鎖されていて通り抜けることができません。

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11:08 小志生木(こじゅうき)の跡は小志生木バス停になっています。

 待合室は上下線それぞれにありますが、佐賀関方面行きの待合室は砂浜に突き出して建てられており、非常に雰囲気の良いバス停となっています。

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小志生木バス停から眺めた砂浜

 大志生木海水浴場(有料)と異なりこちらは自由に出入りできる砂浜です。トイレもシャワーも更衣室もありませんが、地元の方々が思い思いに行く夏を楽しんでおられました。

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11:11 志生木トンネルを迂回する旧道から振り返った弁天鼻と小志生木の海。
   この夏も何かと話題になったジェットスキーの姿が・・・

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11:18 岬の鼻を回る旧道から見下ろした鉄道跡

 小志生木トンネルを抜けた佐賀関鉄道は急カーブで岬の先端を回っていたようです。海が荒れたら即波をかぶりそうな場所ですが、わずか60年前まで、こんなところを列車が走っていのです。五能線を彷彿させるようなシチュエーションなので、もし佐賀関鉄道が軌間1067mmの国鉄線として建設され、現在まで存続していたのであれば、観光列車が入ってもおかしくないような感じです。

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11:19 沿道のところどころで目にするダンチクと潮風の匂いが気分を盛り上げます。

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11:23 志生木トンネルを抜けた国道と合流すると線路跡は辛幸(からこう)地区に入ります。

 辛幸地区から先の国道197号は2007年(平成19年)に開通した佐賀関トンネル(延長1006m)で一気に古宮地区へ抜けますが、線路跡(サイクリングロード)は海岸線を丹念に回ります。

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11:26 辛幸駅跡に建つ旧辛幸バス停の待合室

 2020年7月より路線バスも佐賀関トンネル経由に変更されたため、辛幸バス停は現道上に移設されました。旧バス停の待合室横には東屋が建てられており、サイクリング時の格好の休憩スポットとなっています。

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11:30 辛幸駅跡から先の鉄道跡(サイクリングロード)は国道の旧道より一段下の磯辺を進みます。

 ここは佐賀関サイクリングロートの白眉ともいえる区間。車の音は消え去り、波の音と風の音、そして鳥たちの鳴き声がBGMとなります。

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11:35 踊鼻手前のベンチでひと休み。

 ここは自転車か徒歩でなければ訪れることのできない秘境感あふれる場所。沖に停泊するタンカーをぼんやり眺めていれば、5分や10分はすぐに過ぎてしまうでしょう。ただ、いかんせん日影がないので暑い。おなかも空いてきたので休まずに前進します。

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地理院地図

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11:35 ベンチからはJX金属 佐賀関製錬所の大煙突がドーンと迫ります。
   折しも三崎港を10:30に出た国道九四フェリーの「涼かぜ」が入港してきました。

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11:40  踊鼻を回ると前方に白砂のビーチが見えてきました。
 この付近は地元の方々のウォーキングコースとなっているようで、すれ違う方も増えてきました。

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11:44 入船出船。今日は日曜日ですが、製錬所は休みなく稼働しているようです。
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 さて、サイクリングロードは白砂のビーチの先で小さな岬をぐるりと回るのですが、鉄道跡は古宮(ふるみや)トンネルで岬の基部を抜けていました。鉄道廃止後、古宮トンネルはサイクリングロードに転用されることなく閉鎖されており、前回訪問時はトンネルの入口は深いヤブに覆われて坑口を確認することができませんでした。ところが、今回はちょっと様子が変わっています。

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11:47 なんと、ヤブが刈られて古宮トンネルの坑口が見えるではありませんか。

 封鎖されていたといわれる坑口の板かブロックも綺麗に取り払われています。バリケードに立入禁止の札が掲げられていたので、サイクリングロードから眺めるだけですが、もう見ることができないと思っていた古宮トンネルの坑口をこの目で確認できたのは大きな収穫です。

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古宮トンネル内には送水管が設置されていますが、今回はその更新工事のようです。

 ここまでの何枚かの画像に写っていますが、佐賀関鉄道の廃線跡に沿って工業用水の送水管が設置されており、JX金属によって管理されているようです。その関係で、サイクリングロードに転用されなかった小志生木トンネル前後の区間や古宮トンネル前後の区間も、送水管メンテナンスの関係で人が入ることがあるようです。

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11:49 岬を回るあたりから振り返った白砂のビーチ

 車が横付けできないプライベート感のある砂浜ですが、地元の方々が何組か楽しまれていました。なお、この先の古宮港周辺には無料駐車スペースはありません。

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11:54   古宮港(漁港)の先に国道九四フェリーの佐賀関港が見えました。

 この先で佐賀関サイクリングロードは終了します。ちなみに、本幸崎駅跡から古宮港までのサイクリングロードは市道古宮本神崎線として管理されています。

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11:55 古宮港の先で国道197号の旧道に出ます。

 ここには新旧3本のトンネルが並んでいます。佐賀関鉄道の古宮トンネルのこちら側の坑口を眺めてみたいところですが、例によって立入禁止なので諦めます。

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11:56 佐賀関トンネルを抜けた国道197号と旧道との合流点で鉄道跡は国道の山側に移動します。

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地理院地図

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11:57 国道の海側には国道九四フェリーのターミナルが見えます。
   ひと月前にはここからフェリーで四国に渡りました。

2023/7/29の記録→大洲市街地から冨士山を周回(前編)

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11:57 山側に入ると大分市立佐賀関中学校があります。

 前回は1本海側の道(現在の国道197号~国道217号の旧道にあたる道)を歩いて鉄道跡を見逃していました。中学校前の道が鉄道の跡です。

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11:58 佐賀関鉄道跡に造られた中学校の自転車置き場

 右にあるグラウンドとの段差が古宮駅のホームの跡のように見えますが、過去の航空写真を確認すると現グラウンドの場所には木造校舎が建っているので、ホーム跡という確信は持てません。

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12:01 続いて線路跡の右手に日鉱の社宅跡の更地が広がります。

 鉄道現役時は社宅から工場への通勤利用も多かったそうなので、古宮駅はこの付近にあったのかもしれませんが、やはり確信が持てません。なお、鉄道跡は市道田尻古宮線にとして管理されており、ここも自転車・歩行者専用となっています。

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12:03  社宅跡を過ぎると金山(かなやま)トンネルをくぐります。

 現在、このあたりの海側は埋め立て地となっていて佐賀関病院や消防署が建てられていますが、鉄道が建設された戦時中は海に突き出した岬となっており、迂回せずにトンネルを掘ったほうが好都合だったのでしょう。

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12:05 金山トンネルを抜けたところが金山(かなやま)の跡

 昔の航空写真を見るとこの付近にも日鉱の社宅が立ち並んでいたため、通勤用に駅が設けられたのでしょう。なお、この先の鉄道跡は大幅に改良された国道217号・県道635号佐賀関循環線に取り込まれてしまうため、痕跡をたどることができなくなります。

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地理院地図

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12:07 ラスト区間は金山港の岸壁に沿って歩きます。

 佐賀関の港湾は半島のくびれた部分の北側と南側に分かれていますが、こちらは北側の港で製錬所関係の貨物船が発着したり、四国へのフェリーが発着したりするエリアです。関アジ・関サバ・関ブリで知られる佐賀関漁港は南側のエリアに位置しており、漁協もそちら側にあります。

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12:12 佐賀関市民センター前の交差点に到着

  佐賀関駅の駅舎は交差点の手前付近に存在したそうです。鉄道廃止後、木造駅舎は国鉄バス(~JRバス)・大分バスのターミナルとして使われ、のちに塔のある駅舎に建て替えられていましたが、港湾の埋め立て工事にともなって撤去されました。

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12:13   佐賀関駅跡付近に建てられた佐賀関市民センター    

 佐賀関市民センターは大分市役所佐賀関支所佐賀関公民館を統合して平成20年(2008年)にオープンした複合施設で、佐賀関のバスターミナルも兼ねています。

 幸崎駅からの佐賀関市民センターまで約9.5kmの所要時間は休憩込みで2時間32分でした。

現在地はこちら

地理院地図

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佐賀関市民センターに隣接するセキストア
佐賀関製錬所の購買会を前身とするスーパーです。 

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今日の昼食は市民センター前の媛之屋食堂さんで

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久しぶりにジョッキで乾杯 
この瞬間を味わいたくて夏のサイクリングロードを歩いてきたのでした。

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佐賀関に行ったら  りゅうきゅう丼
なんでこんなに旨い食べ物が全国の和食店にないのか不思議なくらいです。

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バスの待ち時間は冷房の効いた佐賀関市民センター内で快適に過ごすことができました。

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13:27 佐賀関バス停より大分バスの大分駅行きに乗って帰途につきます。
   冷房の効いた車内が快適だったので、幸崎駅で電車に乗り換えずに街まで乗ってしまいました。
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 今回は2度目の佐賀関サイクリングロードでしたが、前回見ることのできなかった古宮トンネルの西側坑口をこの目で見ることができたのが大きな収穫でした。また、前回の疑問点だった市道との立体交差地点における橋桁の架け替えについても現地で解決できて良かったです。

 8月の山歩きとなると くじゅう連山や由布岳あたりでも日中は暑さで敬遠したくなりますが、佐賀関のような沿岸部は(日射しはきつかったものの)風通しが良くて、意外に快適なウォーキングを楽しむことができました。夏こそ海!といったところでしょうか。

沿道で見た花
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オオムラサキツユクサ(大紫露草) ツユクサ科・ムラサキツユクサ属

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サフランモドキ ヒガンバナ科・タマスダレ属

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ハナカタバミ(花片喰) (オキザリス) カタバミ科・カタバミ属

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カンナ カンナ科・カンナ属

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センニンソウ(仙人草) キンポウゲ科・センニンソウ属

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クサギ(臭木) シソ科・クサギ属

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ハマゴウ(浜栲) シソ科・ハマゴウ属

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ランタナ(和名:七変化) クマツヅラ科・シチヘンゲ属

学園台・野田周辺の溜池をめぐる (後編)

2023年11月19日(日)

学園台・野田周辺の溜池をめぐる (前編) からの続きです

野田・医大
本日の行程:富士見が丘入口バス停→豊後国分駅→国分新町→五所神社→まほろば公園→中尾池→学園台→医大ヶ丘→由布川小学校→倉本溜池群→天地庵→新賀来橋→桑原上バス停

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11:37 中尾溜池から眺めた雨乞岳(左)と由布岳(右)

 中尾溜池の水面に映る由布岳見るのが本行程の楽しみのひとつでしたが、この日は北風が強くて願いは叶いませんでした。

現在地はこちら

地理院地図

11:37 中尾溜池北側の丁字路で市道賀来・学園台線に出たら右折

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11:39 柿の実の彩る昔ながらの集落を東へ進みます。

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11:41 前方に大分市水道局の大分市賀来校区西部地区配水池が見えてきました。

 ここには円筒形と四角柱形の2基の高架水槽がありますが、学園台の下に位置するため周囲から見えづらいです。私もここを歩いて初めてその存在に気づきました。

11:42 配水池の手前を左折して学園台の住宅地に入ります。

 「学園台」というのは1978年(昭和53年)に開発の始まった分譲住宅地「サニータウン学園台」のことですが、住居表示としては東野台(とうのだい)が使われています(郵便局・公民館・公園名にも使用)。東野台の由来は大分市東院(とい)と野田にまたがる場所という意味でしょう。

 現在では不動産売買関係でも東野台が使われているため、そちらの方がメジャーになった感がありますが、「学園台」の名称はバス停やアテオ(旧トキハインダストリー)などの商業施設に残っています。

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11:45 住宅地内を北へ進むと最初の調整池に着きました。

 こちらの調整池は周囲250mもある大きなもので、住宅地として開発される以前は農業用溜池があった場所の近くです(正式には西側の なかよし公園側にあった)。

現在地の航空写真

地理院地図

現在地の過去の航空写真

地理院地図(1974-1978)

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フェンスの上端まで手を伸ばして撮った調整池

 手前の四角い構造物はオリフィスと呼ばれるもので、一定の高さまで水が溜まると内部に水が落ちて放流される仕組みになっています。

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11:46 調整池の横に東へ下る階段があるので寄り道してみましょう。

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11:47 階段を下ると左手にもう一つの調整池がありました(奥は賀来校区西部地区配水池)。
    ここはかつて谷間の田んぼだった場所を転用しています。

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フェンスの上まで手を伸ばして撮った下側の調整池
東野台に降った雨は2つの調整池でコントロールされているようです。

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11:49 階段を引き返して上側の調整池に戻ってきました。

 この角度から眺めると結構な水が溜まっていることがわかりますが、周囲の木々を見る限りオリフィスの上端まで水が来ることはなさそうです。オリフィスの中間部あたりに排水スクリーンがあるのでしょう。

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11:51 調整池の西側にある なかよし公園に上がってきました。
   かつての溜池はこのあたりにあったようです。

現在地はこちら

地理院地図

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11:51 なかよし公園の西端部は遊具エリアとなっています。
   昭和の頃に造られた公園は滑り台と砂場がセットになっていることが多いです。

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11;52 なかよし公園に隣接する東野台公民館の下から歩行者専用道を西へ進みます。

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11:57 アテオ学園台センターに到着

   1981年(昭和56年)にトキハインダストリー学園台センターとして開店した施設で、東野台・医大ヶ丘地域の核となる食品スーパーです。郵便局や各種テナントも同居している構成は、1979年に開店したトキハインダストリー富士見が丘店とよく似ており、経済が上り調子だった昭和後期の雰囲気を今に伝えています。

現在地はこちら

地理院地図

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11:58 アテオの前で県道207号大分挟間線医大バイパスに出ます。

 向かいに見えるのが大分大学医学部付属病院で、1981年(昭和56年)の開院以来、大分県の医療を支えてきました。

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12:00 アテオから西へ100mでローソンのある四差路に到着

 ここで左に東野台への市道、右に由布川方面への市道(400m先からは県道)が分岐します。なお、大分市と由布市挾間町の境界線は県道207号医大バイパスに沿って通っており、画像左側が大分市、右側が由布市挾間町となります。ここで県道を横断してローソン・ドラッグイレブン側に移動しておきます。

現在地はこちら

地理院地図

 ちなみに学園台エリアの由布市挾間町側の住居表示は医大ヶ丘となっています。これは1976年(昭和51年)の大分医科大学(現大分大学医学部)設置後に、旧大分郡挾間町東院(とい)・古野(ふるの)の一部から起こした表示です。

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12:02 ドラッグイレブンの西隣に学園台エリアで3つ目の調整池があります。

 ここもかつては農業用溜池だった場所で、中尾溜池から西北西方向に延びた谷がこのあたりまで達していました。

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12:03 3つ目の調整池の西側にあるふれあい公園

 医大バイパスの横にある公園ですが、一段上に位置しているため、乗用車からは見えません。今回の散策で初めて公園に気が付きました。こちらは由布市の管理する公園ですが、大分市の管理する公園と比べて遊具の色使いがビビッドなのは気のせいでしょうか?(大分市の公園の遊具はパステルカラーのものが多い)

現在地の航空写真

地理院地図

現在地の過去の航空写真

地理院地図(1974-1978)

 医大バイパス開通前で、医大ヶ丘の住宅地も開発されておらず、現ふれあい公園の横に農業用と思われる溜池が確認できる。

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12:07 ふれあい公園から南西に150mほど進むと4つ目の調整池があります。
   
 ここは前掲の航空写真によると開発以前に浅い谷だった場所です。地図で見ると医大バイパスのすぐ横にありますが、土手に遮られているため乗用車からは見えづらいです。なお、土手の上は桜並木が造られており、春はお花見を楽しめそうです。

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12:09 調整池の北側はファミリー公園として整備されています。

 ここには大分市内の公園では少数派のシーソーが設置されています(ここは由布市)。私の独断では昭和の頃に造られた公園の遊具の設置率は
滑り台 > ブランコ > 鉄棒 > ジャングルジム > 雲梯 > 登り棒 > シーソー 
です。平成以降の公園では複合遊具が登場していることや、可動部のあるブランコ・シーソーの設置が敬遠されるようになったことで、これからシーソーは貴重品となっていきそうです。

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12:17 医大ヶ丘の住宅街を北へ進むと由布川小学校(画像右奥)のクスノキが見えてきました。

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12:21 県道601号小挾間(おばさま)大分線に出ると小学校前バス停があります。

 この道は大分市南西部から由布川峡谷や由布岳・鶴見岳方面へのアクセスに便利な道です。周囲には学生やファミリー層向けのアパートが林立しており活気を感じますが、大分市街地方面へのバスの便数は非常に少ないため(平日2往復、土日祝日1往復)、便数の多い大学病院バス停まで700mほど歩く必要があります。

 さて、バス停前にはファミリーマート(旧エブリワン)があるのでちょっと休憩していくことにします。

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12:28 休憩後は県道そばの由布川小学校にやってきました。

 由布川小学校は旧大分郡由布川村の赤野・古野・東院などにあった学校を明治25年(1892年)に統合して成立した由布川尋常小学校を前身とする学校です。かつては木造校舎の小さな学校でしたが、昭和50年代の大分医科大学・附属病院の設置や学園台(医大が丘)の宅地開発によって児童数が増加し、現在でも400人を超える規模の学校となっています。

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地理院地図

 由布川小学校にやってきた目的は三角点探し。地理院地図で確認すると校舎のすぐ南側に標高111.1mの三等三角点(点名:古野)があるはずですが、敷地内にあるため部外者が立ち入るわけにはいきません。

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校門近くに残る二宮金次郎像 ※敷地外から撮影
この像があるだけで歴史の古い学校であることがわかります。

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地理院地図の記号と航空写真を照合すればサッカーゴールの後ろあたりにあるはず。
肉眼では確認できなかったので敷地外から写真だけ撮って撤収しました。

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のちほど、画像を拡大してみると三角点らしきものが写っていました。これでヨシとしましょう。

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12:34 由布川小学校から県道601号を東へ270mほど戻った川崎内科前の交差点を左折。

 正面は大分大学医学部附属病院ですが、屋上にはドクターヘリの機体が見えています。附属病院救命救急センターでは2012年(平成24年)10月より大分県ドクターヘリの運用が開始され、広域救急医療体制の充実が図られています。

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地理院地図

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12:35 左折した先も県道601号小挾間大分線です。

 由布市挾間町由布川地区から大分市街地へ行くには学園台のローソンまで出て県道207号大分挟間線医大バイパスを通るのが一般的で、県道601号はどちらかというと裏道といった印象です(賀来駅裏のセブンイレブンから城南団地入口交差点までの区間が狭いため)。

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12:39 川崎内科前から350mでサントピアふるの 入口の三差路に着きます。

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地理院地図

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12:39 三差路からサントピア側に少し入ると東側に倉本上溜池があります。
   訪問時は一面の水草に覆われていましたが、ここは現役の農業用溜池です。

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12:40 さらに進んだ田んぼの向こうに古我溜池がありますが、道路からは見えません。

 なお、古我溜池の上流、サントピア古野の北側に堤平溜池がありますが、ストリートビューで予習した限りでは竹藪に阻まれて見えないようなので、ここで引き返します。

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12:44 三差路に戻って県道を230mほど下ると北側に下倉本溜池があります。

 ここは森の中に満々と水をたたえており、近づくと河童に足を引き込まれそうな恐怖を感じます。この光景は何十年も前から変わっていないはず。溜池めぐりのラストを飾るにふさわしい場所でした。

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12:46 県道601号から振り返った大分大学医学部附属病院
   子どもの頃はあの煙突がなぜか怖かったです。

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12:46 さらに下っていくと倉本地区の棚田の先に賀来の市街地が見えてきました。
   このあたりの棚田は前述の4つの溜池によって灌漑されているわけです。

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12:56 中苑地区まで下ると左手に前編で紹介した「初瀬川」が寄り添います。

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12:56 由布川小学校前から1.8kmでそば処 天地庵さんに到着

 本行程の計画時から昼食はここで頂くと決めて頑張ってきました。日曜日の昼食時間帯とあって駐車場にはかなりの車がとまっています。人気店のようなので楽しみですね。

現在地はこちら

地理院地図

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天地庵のエントランスはここでなく、右手から庭を回っていくとのこと。

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お屋敷のような門をくぐって庭園へ。料亭のようでドキドキします。

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庭園内で実る柑橘。土佐文旦かパール柑でしょうか。そば屋さんとは思えない光景。

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初訪問なので ざるそば を頂きます。何もつけずに食べても瑞々しく香る蕎麦に満足しました。

 最初はここで日本酒でも、と考えていましたが、待っているお客さんが多かったので退席。またいつかゆっくり飲みましょう。

13:39 天地庵さんあとに市道木ノ上東院線を賀来駅方面へ進みます。

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13:47 前方に白山・九六位の山なみを眺めながらバス停をめざします。

 このあたりの市道木ノ上東院線は東院地区から賀来小中学校への通学路となっていますが、センターラインのない直線道路を飛ばす車も多いため、平日朝は歩行者・自転車専用となります。

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13:50 振り返ると由布岳・鶴見岳・高崎山の三点セット
   平地に下ってきたことを実感します。

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13:54 天地庵さんから1.0kmで県道207号医大バイパス沿いの新賀来橋バス停に到着
   市街地方面行の通過まで時間があったので、運賃節約のために歩くことにします。

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地理院地図

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13:56 医大バイパスに出てすぐに賀来(かく)に架かる新賀来橋を渡ります。

 この川は猪の瀬戸湿原・城島高原を源流とする由布川と志高湖・内成棚田を源流とする石城(せきじょう)が一緒になったもので、合流点から下流では賀来川と呼ばれています。

 また、新賀来橋は900m下流に架かる県道207号大分挟間線(旧道)の賀来橋に対応する名称です。

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13:58 新賀来橋左岸にある下角の前(しも  すみのまえ)バス停を通過

 ここから先は平成13年度から平成21年度にかけて施工された賀来西土地区画整理事業のエリアとなり、周囲に大型商業施設やアパート・新築住宅が目立つようになります。

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13:59 ダイソーとツタヤの前を通過

 県道の反対(南)側にはイオン(マックスバリュ・ホームワイド)が立地しており、医大バイパス沿いで屈指の商業エリアとなっています。

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地理院地図

現在地の過去の航空写真

地理院地図(1974-1978)

 医大バイパス開通前は一面の農地だった。久大線の西側の餅田川(放水路)もまだ造られていない。

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14:03 イオン入口の交差点を越えると上餅田(かみもちだ)バス停です。
   そろそろ通過時刻ですが、もうひとつ先まで頑張ります。

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14:05 医大バイパスは賀来跨線橋餅田川(放水路)久大線を一気に越えます。

 左下に見えるのは土地区画整理で造られた九反田(くたんだ)公園で、タカオ製の複合遊具が子どもに人気です。この遊具、滑り台に登る手段として階段のほかにロープ付の壁面・ボルダリング風の壁面・螺旋ポールが用意されているので、ちびっ子たちを将来、由布岳や大崩山に誘う入口としてはなかなかのスグレモノです。

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14:06 賀来跨線橋から眺めた久大線の賀来駅

 ホーム1本の無人駅ですが、国鉄時代は左の駐車場のあたりに貨物ホームや農業倉庫がありました。また、右に見えるのは餅田(もちだ)児童公園で、滑り台・ブランコ・雲梯・ジャングルジム完備の古典的な公園ですが、敷地内に標高15.4mの四等三角点(点名:餅田)が設置されているのが特徴です。

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14:08 賀来跨線橋東側の桑原上(くわばる  かみ)バス停に到着。
    待つほどもなくやってきたバスで帰途につきました。

現在地はこちら

地理院地図

   なお、医大バイパスは桑原上バス停で賀来神社の御神幸道とクロスします。御神幸道・餅田三角点・餅田川放水路については以下の記録をご参照ください。

2023/2/9の記録→賀来神社から御神幸道を柞原八幡へ (前編)

 本日は溜池めぐりをテーマとして 国分→野田→東野台→医大ヶ丘→東院→賀来と歩いてみましたが、何度も車で走った場所なのに、新たな発見がいくつもあったのは大収穫でした。

 特に印象に残ったのは イチョウの彩る  まほろば公園でしたが、これが春であれば五所神社参道・中尾溜池・ファミリー公園の桜並木がメインとなることでしょう。

 また、後半の東院あたりは駆け足となってしまったので別の機会に再訪したいですし、「初瀬川」についてもじっくり歩いてみたいところです。
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