2022年12月29日(日)
大分市街地周辺の丘陵地帯には昭和後期から平成にかけて大規模な住宅団地が造成されました。その数は開発面積20ha以上のものだけで27ヶ所あり、団塊世代の人々や産業構造の変化にともなって大分市に集まってきた人々の生活の拠点となりました。
一見、山歩きやトレッキングと関係なさそうな大規模住宅団地ですが、丘陵地を切り拓いて造成した場所が多いだけに、団地内に三角点が設置されている場所もあったり、まるで山頂のように見晴らしの良い公園が存在していたりします。また、周囲には造成前の里山の面影を伝える雑木林や古道が残っていたり、古くから信仰されてきた神社・寺院・石塔・石仏があったりします。そうした場所の多くには駐車場がなく、徒歩でしか訪れることができません。
年末年始はそうした場所を回り、これまで知っていそうで知らなかった地元の魅力を再発見したいと思います。
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今回は第2弾として稙田(わさだ)地区の雄城台(おぎのだい)・松が丘(まつがおか)・萌葱台(もえぎだい)を散策するとともに、西光寺五百羅漢と小野鶴八幡宮を訪問することにしました。
本日の行程:トキハわさだタウン→雄城神社→上宗方公民館→松が丘中央公園→西光寺五百羅漢→小野鶴八幡宮→稙田西中学校→稙田ふれあい公園→稙田中学校→トキハわさだタウン
13:28 本日の出発地はトキハわさだタウンバス停
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地理院地図
トキハわさだタウンの位置する玉沢地区は、かつては雄城台の丘と七瀬川に挟まれた広大な田園地帯で、東西に肥後街道(細川氏の参勤交代道で肥後藩では「豊後街道」と呼ばれていた)が通っていました。現在のわさだタウンバス停付近は雄城台の山裾を走る肥後街道に沿って民家の点在する農村でした。
平成8年(1996年)度に国道210号のバイパス(通称:ホワイトロード)が開通。大分市の「稙田新都心構想」によって平成11年(1999年)度には玉沢地区土地区画整備事業が始まり、平成12年(2000年)12月にトキハわさだタウンがオープンしました。
現在地の過去の航空写真
地理院地図(1974-1978)
13:28 わさだタウン北側を走る広い市道を外れて左の細道へ
この細道は市道上宗方玉沢線といい、わさだタウンができる前からあった道です。また、かつての肥後街道をトレースする道でもあります(バス停から東側260mの区間)。
13:29 わさだタウンバス停から130mで左折して雄城(おぎ)公民館方面へ進みます。
13:31 住宅街の坂道を登っていくと大きなサザンカが現れます。
大分市の名木に指定されてた雄城公民館のサザンカ
樹齢150年というのはいつが基準なのかわかりませんが、名木に指定された昭和49年から遡ると1820年頃になるので文政年間あたりになります。解説板には享保年間(1716-1736)と記されていますが、それだと現在の樹齢は300年前後となります。サザンカの中には500年ほど生きる株もあるそうなので、享保年間説も的外れではないでしょう。ただ、今となっては樹高が高すぎるので、溢れんばかりに咲く花を観賞しづらいのが難点ではあります。
サザンカの木の脇を登ると雄城公民館に到着
わさだタウンのフェスティバルタウン(映画館などが入った建物)から直線距離で北に160mしか離れていないのに、昭和40年代で時が止まったような佇まい。まるで山の中の分校の校舎と運動場のようです。なぜ分校と思ったのかと言えば、左奥に鉄棒が見えたからです。
雄城公民館敷地内の石塔群と石幢(せきどう)
石幢はこの地域でもよく見かける石造物で、地蔵菩薩を彫った六面石幢と八面石幢がありますが、こちらの石幢は二段になっており、よく見ると下段は八面のようです。こんな手の込んだ石幢は初めて見ました。これほどのものが文化財指定されず、わさだタウンの近くに佇んでいることに驚きを隠せません。石橋や摩崖仏の文化が根付く豊後の国の面目躍如といったところでしょうか。
同じく雄城公民館敷地内に八十八ヶ所の石仏群
舟形のある石仏とない石仏が交互に安置されているのが特徴です。石仏たちの姿勢・表情・持ち物はすべて異なっており、これを拝んでいるだけで半日過ごすことができそうです。
石仏群の西隣には金毘羅宮の石祠
三つの祠のうち、左側には仏像が祀られています。また、金毘羅宮の手前には地蔵菩薩の彫られた六面石幢があり、神仏習合の様相を呈しています。
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公民館(地区の集会所)の敷地内に石塔・石祠・石仏が祀られているのはよくあることですが、これだけ集まっている場所は珍しいです。あとで調べてみると、ここは大雄山常済寺という寺院の跡であることがわかりました。常済寺は源為朝が開いたという説もあり、後述する雄城神社との関連も伝えられています。
13:36 雄城公民館を出て雄城台高校へ続くコンクリート舗装の急坂を登っていきます。
年末の買い物客で賑わう わさだタウンのすぐそばに、数百年前から時間が止まったような(石造物群は市の文化財などに指定されていないようなので、いつの時代のものかわかりません)場所があるというのがおもしろいです。
ショッピングモールの人混みに出かけるより、仏像を眺めていた方が心が安らぐような歳になったということでしょうか。
左後方を振り返ると七瀬川に架かる国道210号(ホワイトロード)のななせ大橋が見えました。
その奥には白山・九六位の山なみが連なります。肉眼だと大臼山の西側の発電用風車がだいぶ増えてきたことがわかります。
13:37 雄城台高校へ向けて のけ反るような急坂を進みます。
この先に高校があるとは考えられないような山道ですが、非常ボタンや照明が完備されているので安心感が違います。また、この区間はストリートビューにも対応していますが、グーグルカーはよくぞこの坂を通ったものです。
13:39 丘に上がって左折すると雄城台(おぎのだい)高校の弓道場の横を通ります。
13:40 弓道場とグラウンドとの間にある雄城(おぎ)神社に到着
イチョウ・クス・スギなどの大木の繁る社叢は 雄城神社の森 として大分市の名木に指定されています。
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地理院地図
雄城神社の別名は 八幡社
祭神 応神天皇・源為朝
建立 皇紀1810年
由来 後白河天皇 仁平久寿年間 源為朝 当雄城ニ城ヲ築キ 台上ニ 三社ヲ創立ス
為朝 九州ニ西下セシガ 保元乱後 大島ニ流サレ後 琉球ニ逃ルト伝ヘラレ
里人 為朝ノ霊ヲ合祀ス
※ 皇紀1810年 は 西暦1150年
※ 後白河天皇の在位は 1155年~1158年、仁平年間は 1151年~1154年、久寿年間は 1154年~1156年
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雄城とは源為朝が築いた城のことであり、雄城神社は為朝がつくった神社であることが書かれています。為朝は弓の名手として知られており、霊山に棲む鬼と弓の腕を競った際、為朝が霊山から雄城まで飛ばした弓が当たったとされる石が雄城台高校の敷地内にあるとされています。
鎮西八郎と呼ばれた為朝の伝説は北部九州各地にありますが、このあたりでは伽藍岳にある「為朝の一刀塚」が知られています。
雄城神社境内のイチョウの大木
黄葉の時期にも訪れてみたいですね。
13:43 雄城神社の北西側には野球部のグラウンドがあります。
画像奥に見えるスコアボードのあたりに標高67.2mの四等三角点(点名:雄城ノ台)があるはずですが、完全に高校の敷地内となってしまうので、三角点訪問は諦めます。
13:44 弓道場前を東へ向かうとドコモ基地局の前で校門からの道と合流します。
13:47 校舎の東側を通って国道442号方面へ下ります。
こちらが雄城台高校へのメインエントランスとなっており、道幅の半分近くが歩行者用となっています。また、このあたりは以前は鬱蒼とした照葉樹林でしたが、右手の森が伐採されて下宗方方面の視界が開けるようになりました。
13:47 雄城台高校アプローチ路から眺めた下宗方(しもむなかた)方面
手前に広がる田園地帯は古代の条里跡とされています。
13:53 国道442号の雄城台高校入口バス停まで下ってきました。
ここで国道を横断して西側を並行する細い市道に入ります。
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地理院地図
豊和銀行の裏を過ぎると松ヶ丘へ行くバス通り(市道松ケ丘29号線)に出ますが、そこから松ヶ丘へ登らずにもう少し北へ進みます。
14:00 松が丘へのバス通りを横断すると左手に上宗方(かみむなかた)公民館があります。
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上宗方公民館前に掲げられた宗方校区ウォーキングコース案内
宗方校区ウォーキングコース案内の地図部分を拡大
先ほど参拝した雄城神社、これから参拝する西光寺五百羅漢・小野鶴八幡社が掲載されていますね。制作者と気が合ったようで思わずニンマリ。一方、“宗方コース”の大分川沿いにも見どころが点在していますが、そちらは日を改めて訪問してみたいと思います。
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上宗方公民館から北へ120m進んだ永寿山大楽寺の丁字路を左折して松ヶ丘を向かいます。
14:04 大楽寺から松が丘へ登る道を選んだのは地形図で溜池の表記を見つけたからです。
フェンスの奥がその溜池は水が抜かれており、竹藪と化していました。
「おおいたマップ」で道園ため池と表記された溜池ですが、周囲の宅地化や用水路の整備で役目を終えており、不法投棄を禁ずる看板や立入を規制する看板が掲げられていました。大規模な宅地開発で消滅した溜池も多い中、こうして姿を留めているだけでも奇跡的なことなのでしょう。
14:08 バス通りに出て松が丘団地の一角に上がると右上に公園があります。
14:09 公園の名称は松が丘小迫(こさこ)公園
標高が50m近くあって、なかなか見晴らしの良い公園です。
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地理院地図
小迫公園からバス通りを外れ、北に4ブロック進んだ十字路を左折して西へ進みます。
14:13 北側に見えるのは市立宗方(むなかた)小学校と宗方幼稚園
宗方小学校は高度経済成長期の大規模な宅地開発による児童数増加に対応して、1975年(昭和50年)に稙田小学校から分離して開校した学校です。
14:14 松が丘小迫公園から450mで松が丘中央公園に到着します。
14:15 松が丘中央公園の遊具群
タコさん型のジャングルジムに登りたい衝動にかられましたが自重しました。
14:16 松が丘中央公園の標柱
地理院地図によると、この付近に標高67.1mの三等三角点(点名:上宗方)があるようです。
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地理院地図
地形図と航空写真を照合するとフェンスが曲がったあたりに三角点があるようですが・・・
現地には防火水槽にホースを繋ぐ栓の蓋しか見当たりません。周囲の植え込みも探してみましたが三角点らしきものは無し。5分近く探しましたが、公園内で子どもたちも遊んでいることですし、不審者に間違われないうちに退散します。
14:20 本日2ヶ所目の三角点もゲットできず、ションボリした気持ちで松が丘中央公園を出発。
14:23 松ヶ丘団地内からは霊山や障子岳の姿が大きく見えます。
14:25 地形図とニラメッコしつつ松が丘団地の西端までやってきました。
ここから小野鶴方面へ下るコンクリート舗装の歩行者専用道に入ります。
14:25 桜が植えられた公園のような歩行者専用道を下っていきます。
14:28 歩行者専用道を2分ほど下ると左手に五百羅漢が見えてきました。
よく見ると前方2列(舟形のある石仏)は八十八ヶ所のようです。
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五百羅漢前に建てられた石碑
「大正九年四月」の文字が刻まれていますが、その時期に個人の方が自費で五百羅漢と八十八ヶ所を建立されたという意味でしょうか。
午後の陽を浴びる八十八ヶ所の石仏と羅漢様
こちらも一体ごとに表情・姿勢・服装・持物などが異なっており、ひとつとして同じものがありません。その意味で人間社会の縮図のようです。
さまざまな表情を見せる羅漢様
悟りきった表情の方は少なく、笑ったり、泣いたり、横を向いていたり、すまし顔をしていたり。とても人間くさい仏様です。
14:31 石仏たちの近くではこぼれんばかりのサザンカが・・・
14:33 由布岳・鶴見岳を望みつつ、西光寺の本堂に向けて下っていきます。
14:35 鐘撞堂と観音堂の間から入って本堂に参拝します。
14:36 山門越しに眺めた西光寺の本堂
西光寺は臨済宗妙心寺派の寺院で山号は来迎山です。
桜の季節に参拝すれば、また美しい光景が見られると思います。
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西光寺から西へ350m進むと市道木ノ上東院線(稙田と賀来を結ぶ道)に出るので、それを南へ150m進んだ場所を右折して西へ50mも進むと小野鶴八幡宮に着きます。
14:43 鳥居をくぐって小野鶴八幡宮へ
この森は小野鶴八幡社の森として大分県の特別保護樹林に指定されています。
※ 大分市内ではほかに 柞原八幡宮の森・春日神社の森・西寒多神社の森・日吉神社の森(木田)・鷹松神社の森
が指定されています。
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大分県の特別保護樹林を示す案内板
小野鶴八幡宮の拝殿の前に立つカヤノキ(左)とイチョウ(右)
カヤノキは日本では宮城県以西から屋久島にかけて自生する常緑針葉樹です。樹齢はわかりませんが、これだけの大きさだと数百年はあるのでしょう。
小野鶴八幡宮に参拝
近くを流れる大分川の水音が聞こえそうなほど静かな環境です。
14:48 小野鶴八幡宮から西へ70mも進むと大分川右岸の堤防に出ます。
対岸は国分団地から脇・中島のあたりで、画像右端には市立賀来小中学校が見えています。その奥には由布岳・鶴見岳・高崎山の三点セット。市民としてはこの三山が見えると落ち着きます。
14:49 大分川右岸堤防上の道を南(上流方向)へ進みます。
ここは歩行者・自転車専用道となっており、ウォーキングされている方が多数おられました。
14:50 大分川対岸(南西方向)には挟間・庄内方面の山と くじゅう連山を望むことができます。
15:03 堤防に出て1.3kmで右手に嘉永小野鶴井堰(かえいおのづるいせき)があります。
その名の通り、嘉永元年(1848年)に造られた灌漑用取水堰です。冬の澄んだ空気と清流が調和して透明感のある風景が展開します。何より印象的なのが大分川の水の音。この付近は意外と急流で、河口から13km地点にもかかわらず堰の上の水面の海抜は16mほどあります。
15:03 堰の横で並走する市道横瀬小野鶴線を横断し市立稙田西中学校前の道に入ります。
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15:06 稙田西中学校を過ぎると広々とした田んぼの中を東へ進みます。
前方にはこれから向かう萌葱台団地のある丘陵が見えてきましたが、結構な標高差があります。あの斜面をどうやって攻略することになるのか楽しみですし、不安でもあります。
15:12 田んぼを横切り終えると、山裾を走る市道木ノ上東院(きのうえとい)線に出ます。
当初の計画では向かいの森に続く階段道を登るはずだったのですが、完全にヤブに覆われています。今は冬なので登山装備で来ればヤブコギもできていたかとは思いますが、今日は散歩仕様のスニーカーです。そこで仲宗根病院のほうから迂回することにしました。
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15:16 仲宗根病院近くの不動明王堂
地元の人々に大切にされていることがわかる佇まいです。
このあと仲宗根病院の前で道を間違え敷地内道路を進んでしまったため、スタッフの方に萌葱台に上がる道を教えていただきました。ありがとうございます。
15:20 グラウンド脇の細道を登り、果樹園を抜けます。
15:21 最後は地理院地図にない小さな階段を登って萌葱台の北端に上がりました。
15:22 萌葱台の北端から眺めた由布岳・鶴見岳・高崎山
いつでも眺められる三山ですが、記録写真を撮るときに雲に覆われるのはちょっと残念です。
15:27 萌葱台の住宅街を東へ進むと稙田ふれあい公園に到着
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稙田ふれあい公園の標高は約61m
周囲の住宅街より一段高い場所にあるため、東屋にも山頂のような雰囲気が漂っています。
15:29 稙田ふれあい公園の最大の特徴はプールがあること
夏休み期間中(7/20~8/30)の10時から17時まで、なんと無料で利用することができます。ただし駐車場はありません。主たる利用者は近隣の子どもたちなので、それでよいと思います。
15:30 稙田ふれあい公園から眺めた霊山・障子岳・宇曽山のやまなみ
雄城台や松が丘から眺めたときにも感じましたが、平地から見上げるより、小高い場所から谷を挟んで眺めたほうが大きく見えますね。
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稙田ふれあい公園をあとに、バス通り(市道自由ヶ丘団地1号線)を横断して雄城台中央(旧称:雄城台住宅地)の住宅街を下ります。
15:33 雄城台なかよし広場の横を通過
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15:34 雄城台なかよし広場付近から眺めた霊山と稙田市街地
15:39 稙田ふれあい公園から700mで国道442号に下ってきました。
ここを右折して南に100m進んだ下芹(しもぜり)交差点を鋭角に左折し、県道623号下世利寒田(しもぜりそうだ)線に入ります。
15:43 市立稙田(わさだ)中学校の横を通過 ※北方向を振り返って撮影
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15:44 コスモスわさだ店と稙田公民館のある交差点を左折して市道玉沢東西1号線に入ります。
15:45 稙田公民館に隣接する大分市稙田市民行政センターの裏手を通過
今歩いている市道玉沢東西1号線も肥後街道をトレースする道ですが、それはまた別稿で。
15:50 トキハわさだタウンバス停に戻ってきました。
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本日の歩行距離は約9km、所要時間は見学も含めて2時間22分でした。
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本行程は稙田地区を散策しつつ神社仏閣や石仏を訪ねるものでしたが、標高60m級の丘の上り下りが3回あったことや、大半が舗装路歩きだったこともあり、意外とハードでした。
今や大分市内外から集まる大勢の買い物客で賑わう稙田地区ですが、メインルートから一歩外れると、悠久の時を刻む神社仏閣や石仏、そして巨木たちが迎えてくれます。それらは私たちにひと時のやすらぎを与えてくれたり、大きなパワーを与えてくれたり、今後の生き方を指南してくれたりします。
こうした場所はまだほかにもたくさんあると思うので、機会を作って訪問してみたいと思います。
大分市街地周辺の丘陵地帯には昭和後期から平成にかけて大規模な住宅団地が造成されました。その数は開発面積20ha以上のものだけで27ヶ所あり、団塊世代の人々や産業構造の変化にともなって大分市に集まってきた人々の生活の拠点となりました。
一見、山歩きやトレッキングと関係なさそうな大規模住宅団地ですが、丘陵地を切り拓いて造成した場所が多いだけに、団地内に三角点が設置されている場所もあったり、まるで山頂のように見晴らしの良い公園が存在していたりします。また、周囲には造成前の里山の面影を伝える雑木林や古道が残っていたり、古くから信仰されてきた神社・寺院・石塔・石仏があったりします。そうした場所の多くには駐車場がなく、徒歩でしか訪れることができません。
年末年始はそうした場所を回り、これまで知っていそうで知らなかった地元の魅力を再発見したいと思います。
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今回は第2弾として稙田(わさだ)地区の雄城台(おぎのだい)・松が丘(まつがおか)・萌葱台(もえぎだい)を散策するとともに、西光寺五百羅漢と小野鶴八幡宮を訪問することにしました。
本日の行程:トキハわさだタウン→雄城神社→上宗方公民館→松が丘中央公園→西光寺五百羅漢→小野鶴八幡宮→稙田西中学校→稙田ふれあい公園→稙田中学校→トキハわさだタウン
13:28 本日の出発地はトキハわさだタウンバス停
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トキハわさだタウンの位置する玉沢地区は、かつては雄城台の丘と七瀬川に挟まれた広大な田園地帯で、東西に肥後街道(細川氏の参勤交代道で肥後藩では「豊後街道」と呼ばれていた)が通っていました。現在のわさだタウンバス停付近は雄城台の山裾を走る肥後街道に沿って民家の点在する農村でした。
平成8年(1996年)度に国道210号のバイパス(通称:ホワイトロード)が開通。大分市の「稙田新都心構想」によって平成11年(1999年)度には玉沢地区土地区画整備事業が始まり、平成12年(2000年)12月にトキハわさだタウンがオープンしました。
現在地の過去の航空写真
地理院地図(1974-1978)
13:28 わさだタウン北側を走る広い市道を外れて左の細道へ
この細道は市道上宗方玉沢線といい、わさだタウンができる前からあった道です。また、かつての肥後街道をトレースする道でもあります(バス停から東側260mの区間)。
13:29 わさだタウンバス停から130mで左折して雄城(おぎ)公民館方面へ進みます。
13:31 住宅街の坂道を登っていくと大きなサザンカが現れます。
大分市の名木に指定されてた雄城公民館のサザンカ
樹齢150年というのはいつが基準なのかわかりませんが、名木に指定された昭和49年から遡ると1820年頃になるので文政年間あたりになります。解説板には享保年間(1716-1736)と記されていますが、それだと現在の樹齢は300年前後となります。サザンカの中には500年ほど生きる株もあるそうなので、享保年間説も的外れではないでしょう。ただ、今となっては樹高が高すぎるので、溢れんばかりに咲く花を観賞しづらいのが難点ではあります。
サザンカの木の脇を登ると雄城公民館に到着
わさだタウンのフェスティバルタウン(映画館などが入った建物)から直線距離で北に160mしか離れていないのに、昭和40年代で時が止まったような佇まい。まるで山の中の分校の校舎と運動場のようです。なぜ分校と思ったのかと言えば、左奥に鉄棒が見えたからです。
雄城公民館敷地内の石塔群と石幢(せきどう)
石幢はこの地域でもよく見かける石造物で、地蔵菩薩を彫った六面石幢と八面石幢がありますが、こちらの石幢は二段になっており、よく見ると下段は八面のようです。こんな手の込んだ石幢は初めて見ました。これほどのものが文化財指定されず、わさだタウンの近くに佇んでいることに驚きを隠せません。石橋や摩崖仏の文化が根付く豊後の国の面目躍如といったところでしょうか。
同じく雄城公民館敷地内に八十八ヶ所の石仏群
舟形のある石仏とない石仏が交互に安置されているのが特徴です。石仏たちの姿勢・表情・持ち物はすべて異なっており、これを拝んでいるだけで半日過ごすことができそうです。
石仏群の西隣には金毘羅宮の石祠
三つの祠のうち、左側には仏像が祀られています。また、金毘羅宮の手前には地蔵菩薩の彫られた六面石幢があり、神仏習合の様相を呈しています。
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公民館(地区の集会所)の敷地内に石塔・石祠・石仏が祀られているのはよくあることですが、これだけ集まっている場所は珍しいです。あとで調べてみると、ここは大雄山常済寺という寺院の跡であることがわかりました。常済寺は源為朝が開いたという説もあり、後述する雄城神社との関連も伝えられています。
13:36 雄城公民館を出て雄城台高校へ続くコンクリート舗装の急坂を登っていきます。
年末の買い物客で賑わう わさだタウンのすぐそばに、数百年前から時間が止まったような(石造物群は市の文化財などに指定されていないようなので、いつの時代のものかわかりません)場所があるというのがおもしろいです。
ショッピングモールの人混みに出かけるより、仏像を眺めていた方が心が安らぐような歳になったということでしょうか。
左後方を振り返ると七瀬川に架かる国道210号(ホワイトロード)のななせ大橋が見えました。
その奥には白山・九六位の山なみが連なります。肉眼だと大臼山の西側の発電用風車がだいぶ増えてきたことがわかります。
13:37 雄城台高校へ向けて のけ反るような急坂を進みます。
この先に高校があるとは考えられないような山道ですが、非常ボタンや照明が完備されているので安心感が違います。また、この区間はストリートビューにも対応していますが、グーグルカーはよくぞこの坂を通ったものです。
13:39 丘に上がって左折すると雄城台(おぎのだい)高校の弓道場の横を通ります。
13:40 弓道場とグラウンドとの間にある雄城(おぎ)神社に到着
イチョウ・クス・スギなどの大木の繁る社叢は 雄城神社の森 として大分市の名木に指定されています。
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雄城神社の別名は 八幡社
祭神 応神天皇・源為朝
建立 皇紀1810年
由来 後白河天皇 仁平久寿年間 源為朝 当雄城ニ城ヲ築キ 台上ニ 三社ヲ創立ス
為朝 九州ニ西下セシガ 保元乱後 大島ニ流サレ後 琉球ニ逃ルト伝ヘラレ
里人 為朝ノ霊ヲ合祀ス
※ 皇紀1810年 は 西暦1150年
※ 後白河天皇の在位は 1155年~1158年、仁平年間は 1151年~1154年、久寿年間は 1154年~1156年
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雄城とは源為朝が築いた城のことであり、雄城神社は為朝がつくった神社であることが書かれています。為朝は弓の名手として知られており、霊山に棲む鬼と弓の腕を競った際、為朝が霊山から雄城まで飛ばした弓が当たったとされる石が雄城台高校の敷地内にあるとされています。
鎮西八郎と呼ばれた為朝の伝説は北部九州各地にありますが、このあたりでは伽藍岳にある「為朝の一刀塚」が知られています。
雄城神社境内のイチョウの大木
黄葉の時期にも訪れてみたいですね。
13:43 雄城神社の北西側には野球部のグラウンドがあります。
画像奥に見えるスコアボードのあたりに標高67.2mの四等三角点(点名:雄城ノ台)があるはずですが、完全に高校の敷地内となってしまうので、三角点訪問は諦めます。
13:44 弓道場前を東へ向かうとドコモ基地局の前で校門からの道と合流します。
13:47 校舎の東側を通って国道442号方面へ下ります。
こちらが雄城台高校へのメインエントランスとなっており、道幅の半分近くが歩行者用となっています。また、このあたりは以前は鬱蒼とした照葉樹林でしたが、右手の森が伐採されて下宗方方面の視界が開けるようになりました。
13:47 雄城台高校アプローチ路から眺めた下宗方(しもむなかた)方面
手前に広がる田園地帯は古代の条里跡とされています。
13:53 国道442号の雄城台高校入口バス停まで下ってきました。
ここで国道を横断して西側を並行する細い市道に入ります。
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豊和銀行の裏を過ぎると松ヶ丘へ行くバス通り(市道松ケ丘29号線)に出ますが、そこから松ヶ丘へ登らずにもう少し北へ進みます。
14:00 松が丘へのバス通りを横断すると左手に上宗方(かみむなかた)公民館があります。
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上宗方公民館前に掲げられた宗方校区ウォーキングコース案内
宗方校区ウォーキングコース案内の地図部分を拡大
先ほど参拝した雄城神社、これから参拝する西光寺五百羅漢・小野鶴八幡社が掲載されていますね。制作者と気が合ったようで思わずニンマリ。一方、“宗方コース”の大分川沿いにも見どころが点在していますが、そちらは日を改めて訪問してみたいと思います。
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上宗方公民館から北へ120m進んだ永寿山大楽寺の丁字路を左折して松ヶ丘を向かいます。
14:04 大楽寺から松が丘へ登る道を選んだのは地形図で溜池の表記を見つけたからです。
フェンスの奥がその溜池は水が抜かれており、竹藪と化していました。
「おおいたマップ」で道園ため池と表記された溜池ですが、周囲の宅地化や用水路の整備で役目を終えており、不法投棄を禁ずる看板や立入を規制する看板が掲げられていました。大規模な宅地開発で消滅した溜池も多い中、こうして姿を留めているだけでも奇跡的なことなのでしょう。
14:08 バス通りに出て松が丘団地の一角に上がると右上に公園があります。
14:09 公園の名称は松が丘小迫(こさこ)公園
標高が50m近くあって、なかなか見晴らしの良い公園です。
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地理院地図
小迫公園からバス通りを外れ、北に4ブロック進んだ十字路を左折して西へ進みます。
14:13 北側に見えるのは市立宗方(むなかた)小学校と宗方幼稚園
宗方小学校は高度経済成長期の大規模な宅地開発による児童数増加に対応して、1975年(昭和50年)に稙田小学校から分離して開校した学校です。
14:14 松が丘小迫公園から450mで松が丘中央公園に到着します。
14:15 松が丘中央公園の遊具群
タコさん型のジャングルジムに登りたい衝動にかられましたが自重しました。
14:16 松が丘中央公園の標柱
地理院地図によると、この付近に標高67.1mの三等三角点(点名:上宗方)があるようです。
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地理院地図
地形図と航空写真を照合するとフェンスが曲がったあたりに三角点があるようですが・・・
現地には防火水槽にホースを繋ぐ栓の蓋しか見当たりません。周囲の植え込みも探してみましたが三角点らしきものは無し。5分近く探しましたが、公園内で子どもたちも遊んでいることですし、不審者に間違われないうちに退散します。
14:20 本日2ヶ所目の三角点もゲットできず、ションボリした気持ちで松が丘中央公園を出発。
14:23 松ヶ丘団地内からは霊山や障子岳の姿が大きく見えます。
14:25 地形図とニラメッコしつつ松が丘団地の西端までやってきました。
ここから小野鶴方面へ下るコンクリート舗装の歩行者専用道に入ります。
14:25 桜が植えられた公園のような歩行者専用道を下っていきます。
14:28 歩行者専用道を2分ほど下ると左手に五百羅漢が見えてきました。
よく見ると前方2列(舟形のある石仏)は八十八ヶ所のようです。
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五百羅漢前に建てられた石碑
「大正九年四月」の文字が刻まれていますが、その時期に個人の方が自費で五百羅漢と八十八ヶ所を建立されたという意味でしょうか。
午後の陽を浴びる八十八ヶ所の石仏と羅漢様
こちらも一体ごとに表情・姿勢・服装・持物などが異なっており、ひとつとして同じものがありません。その意味で人間社会の縮図のようです。
さまざまな表情を見せる羅漢様
悟りきった表情の方は少なく、笑ったり、泣いたり、横を向いていたり、すまし顔をしていたり。とても人間くさい仏様です。
14:31 石仏たちの近くではこぼれんばかりのサザンカが・・・
14:33 由布岳・鶴見岳を望みつつ、西光寺の本堂に向けて下っていきます。
14:35 鐘撞堂と観音堂の間から入って本堂に参拝します。
14:36 山門越しに眺めた西光寺の本堂
西光寺は臨済宗妙心寺派の寺院で山号は来迎山です。
桜の季節に参拝すれば、また美しい光景が見られると思います。
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西光寺から西へ350m進むと市道木ノ上東院線(稙田と賀来を結ぶ道)に出るので、それを南へ150m進んだ場所を右折して西へ50mも進むと小野鶴八幡宮に着きます。
14:43 鳥居をくぐって小野鶴八幡宮へ
この森は小野鶴八幡社の森として大分県の特別保護樹林に指定されています。
※ 大分市内ではほかに 柞原八幡宮の森・春日神社の森・西寒多神社の森・日吉神社の森(木田)・鷹松神社の森
が指定されています。
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大分県の特別保護樹林を示す案内板
小野鶴八幡宮の拝殿の前に立つカヤノキ(左)とイチョウ(右)
カヤノキは日本では宮城県以西から屋久島にかけて自生する常緑針葉樹です。樹齢はわかりませんが、これだけの大きさだと数百年はあるのでしょう。
小野鶴八幡宮に参拝
近くを流れる大分川の水音が聞こえそうなほど静かな環境です。
14:48 小野鶴八幡宮から西へ70mも進むと大分川右岸の堤防に出ます。
対岸は国分団地から脇・中島のあたりで、画像右端には市立賀来小中学校が見えています。その奥には由布岳・鶴見岳・高崎山の三点セット。市民としてはこの三山が見えると落ち着きます。
14:49 大分川右岸堤防上の道を南(上流方向)へ進みます。
ここは歩行者・自転車専用道となっており、ウォーキングされている方が多数おられました。
14:50 大分川対岸(南西方向)には挟間・庄内方面の山と くじゅう連山を望むことができます。
15:03 堤防に出て1.3kmで右手に嘉永小野鶴井堰(かえいおのづるいせき)があります。
その名の通り、嘉永元年(1848年)に造られた灌漑用取水堰です。冬の澄んだ空気と清流が調和して透明感のある風景が展開します。何より印象的なのが大分川の水の音。この付近は意外と急流で、河口から13km地点にもかかわらず堰の上の水面の海抜は16mほどあります。
15:03 堰の横で並走する市道横瀬小野鶴線を横断し市立稙田西中学校前の道に入ります。
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15:06 稙田西中学校を過ぎると広々とした田んぼの中を東へ進みます。
前方にはこれから向かう萌葱台団地のある丘陵が見えてきましたが、結構な標高差があります。あの斜面をどうやって攻略することになるのか楽しみですし、不安でもあります。
15:12 田んぼを横切り終えると、山裾を走る市道木ノ上東院(きのうえとい)線に出ます。
当初の計画では向かいの森に続く階段道を登るはずだったのですが、完全にヤブに覆われています。今は冬なので登山装備で来ればヤブコギもできていたかとは思いますが、今日は散歩仕様のスニーカーです。そこで仲宗根病院のほうから迂回することにしました。
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15:16 仲宗根病院近くの不動明王堂
地元の人々に大切にされていることがわかる佇まいです。
このあと仲宗根病院の前で道を間違え敷地内道路を進んでしまったため、スタッフの方に萌葱台に上がる道を教えていただきました。ありがとうございます。
15:20 グラウンド脇の細道を登り、果樹園を抜けます。
15:21 最後は地理院地図にない小さな階段を登って萌葱台の北端に上がりました。
15:22 萌葱台の北端から眺めた由布岳・鶴見岳・高崎山
いつでも眺められる三山ですが、記録写真を撮るときに雲に覆われるのはちょっと残念です。
15:27 萌葱台の住宅街を東へ進むと稙田ふれあい公園に到着
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稙田ふれあい公園の標高は約61m
周囲の住宅街より一段高い場所にあるため、東屋にも山頂のような雰囲気が漂っています。
15:29 稙田ふれあい公園の最大の特徴はプールがあること
夏休み期間中(7/20~8/30)の10時から17時まで、なんと無料で利用することができます。ただし駐車場はありません。主たる利用者は近隣の子どもたちなので、それでよいと思います。
15:30 稙田ふれあい公園から眺めた霊山・障子岳・宇曽山のやまなみ
雄城台や松が丘から眺めたときにも感じましたが、平地から見上げるより、小高い場所から谷を挟んで眺めたほうが大きく見えますね。
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稙田ふれあい公園をあとに、バス通り(市道自由ヶ丘団地1号線)を横断して雄城台中央(旧称:雄城台住宅地)の住宅街を下ります。
15:33 雄城台なかよし広場の横を通過
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15:34 雄城台なかよし広場付近から眺めた霊山と稙田市街地
15:39 稙田ふれあい公園から700mで国道442号に下ってきました。
ここを右折して南に100m進んだ下芹(しもぜり)交差点を鋭角に左折し、県道623号下世利寒田(しもぜりそうだ)線に入ります。
15:43 市立稙田(わさだ)中学校の横を通過 ※北方向を振り返って撮影
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15:44 コスモスわさだ店と稙田公民館のある交差点を左折して市道玉沢東西1号線に入ります。
15:45 稙田公民館に隣接する大分市稙田市民行政センターの裏手を通過
今歩いている市道玉沢東西1号線も肥後街道をトレースする道ですが、それはまた別稿で。
15:50 トキハわさだタウンバス停に戻ってきました。
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本日の歩行距離は約9km、所要時間は見学も含めて2時間22分でした。
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本行程は稙田地区を散策しつつ神社仏閣や石仏を訪ねるものでしたが、標高60m級の丘の上り下りが3回あったことや、大半が舗装路歩きだったこともあり、意外とハードでした。
今や大分市内外から集まる大勢の買い物客で賑わう稙田地区ですが、メインルートから一歩外れると、悠久の時を刻む神社仏閣や石仏、そして巨木たちが迎えてくれます。それらは私たちにひと時のやすらぎを与えてくれたり、大きなパワーを与えてくれたり、今後の生き方を指南してくれたりします。
こうした場所はまだほかにもたくさんあると思うので、機会を作って訪問してみたいと思います。