やまやま再発見

大分市周辺の山を歩いた記録です。みんなが集まるメジャーな山からヤブコギチックな低山まで、その魅力を再発見します。

豊後大野市 (犬飼・千歳)

犬飼駅から天面山・水ノ元を経て黒松阿蘇神社へ (後編)

2022年5月3日(火)

犬飼駅から天面山・水ノ元を経て黒松阿蘇神社へ (前編) からの続きです

天面山・水ノ元
本日の行程:犬飼駅→伊与床→天面山→水ノ元→黒松阿蘇神社→山田バス停 (路線バスで戻る)

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13:07 現在地は水ノ元の手前(北側)の十字路

現在地はこちら

地理院地図

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十字路に掲げられた道標

 天面山  3.5km とは西側の遊歩道入口までの距離のことで、山頂まではさらに遊歩道を0.7km歩く必要があります。また 栗ケ畑  4.6km  とは栗ヶ畑の尾平地区までのことで、栗の木バス停まではさらに1.5km歩かねばなりません(前回はこれで時間を読み間違え、全力で走らされることになりました)。また、これから進む黒松方面への距離の記載はありませんが、山田バス停まで5.9kmの道のりです(阿蘇神社を往復すると追加で0.4km)。

 なお、林道宇津尾木栗ヶ畑線を下ると 犬飼商店街 10km (犬飼駅までさらに0.9km)とありますが、先ほど天面山経由で歩いてきた距離が10.5kmでしたので、駅へ戻るならかえって遠回りとなります。

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十字路に佇む お地蔵様(道標を兼ねたもの)

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お地蔵様の道標の右側には
慶應辰四年 正月吉日 楠郡上且村 村■■(判読できず) 女ふじ 
と刻まれています。

 慶応4年1月といえば戊辰戦争の始まった時期。その年の9月に江戸時代が終わり、明治に改元されています。この時期に幕府(西国筋郡代)領 上且村(現在の玖珠郡九重町右田上旦(かみだん))の夫婦が、どういった理由で水ノ元に地蔵を寄進したのか気になるところです。

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13:08  十字路から南へ50mほどで右手に杉の巨木があります。

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巨木の下には弘法大師像が祀られ、その正面に丸い池があります。
これが水ノ元の名前の由来となった湧水です。

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丸い池とは別に杉の巨木の根元には小さな池がいくつかあります。

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こちらが根元に一番近い遊水地
杉の木から水が湧いているように錯覚しそうです。

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水の元の伝説

 大同元年(八〇五年)この地に弘法大師が訪れました。なにしろ高い所(標高五四八、五米)に登ってこられましたので喉が渇いて仕方がない、なんとかして水を呑みたいと思っていたところ、ふと村人を見つけました。大師様が「喉が渇いた、水は無かろうか」と所望しました。
 そのとき村人は「ハイすぐお持ちします」といってすぐさま下の谷まで駆けおりて、竹の筒に一杯の水を汲んでフウフウ言いながら汗ビッショリになって駆け上り、大師様にその水をさし上げました。
 大師様は、水をいかにもおいしそうにゴクリゴクリと一気に呑み干されて、その村人に「この地に水がないとは不便じゃのう。わしがお礼に水を出してあげよう」と、持っておられた杖で、地面を二、三回叩くと、あれふしぎや、この高い所に清水がコンコンと湧き出てきました。
 その後、この地に水が絶えることがありません。地方の人々は干ばつが続くと、雨乞いのためにここに水貰いに来るようになったと言うことであります。
 これは、土地の古老に語り伝えられている伝説を申しのべました。何か教えられるものがあります。

     昭和五十七年一月十五日   犬飼町長 大塚辰夫 建立


 村人に水を汲みに行かせる前に杖で叩いて水を出してあげればよかったのに、と突っ込みたくなるお話ですが、弘法大師様はこの村人の優しさに心打たれたからこそ、水を出してあげようと思ったのでしょう。
 ここは山頂からの比高が30mほどしかない場所です。地形的に谷になっているわけでもなく、集水面積は50m四方ほどしかありません。普通に考えると水が湧きにくい場所だけに、こんな伝説が生まれたのでしょう。
 杉の巨木はのちに御神木として植えられたものだと思いますが、この巨木が降った雨をキープして少しずつ水を湧き出させているのではないか?と考えたくなるほど神秘的な光景です。

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13:11 湧水のすぐ先の左手に広場があり、傍らに石碑が立っています。

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石碑は三岳道路開通記念碑

表面には 昭和四十九年五月竣工  犬飼町長 後藤栄 書 とあり、その下には
「元三ノ岳在住者」19名の名前が刻まれています。

 地理院地図の航空写真(1974-1978)で確認すると、当時  水ノ元の山頂付近に達している車道は黒松東地区からの1本のみなので、「三岳道路」とは今歩いている市道宮脇三ノ岳線を意味しているのでしょう。また、現在水ノ元や三ノ岳周辺に集落はありませんが、「元三岳在住者」と刻まれているのが気になって同じ航空写真で調べてみると、三ノ岳の東側の標高400~500m付近に集落があったことがわかりました。

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広場から眺めた犬飼町中心部方面

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同じ方向をアップで

 碁盤ヶ岳の横に見える白い山肌は石灰石採掘場、烏岳の左に見える茶色い山肌は小松製作所の実用試験場、中央手前の山肌は砕石場です。

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広場に掲げられた三ノ岳なかよしパークの案内図

 三ノ岳なかよしパークは1992年(平成4年)に開園した犬飼町営の公園で、かつてはバンガローや炊事施設のあるキャンプ場や各種遊具が設置された  こども広場がありましたが、2016年(平成28年)に休園(2年後に閉園)となりました。現在では管理棟を残して遊具類は撤去されており、当時の賑わいを偲ぶことは難しくなっています。

 なお、犬飼町の人々は水ノ元三角点(標高546.2m)546m標高点ピーク地形図に記載されている三ノ岳(標高536m)を総称して三ノ岳と呼んでいます。今回の私は三ノ岳ピーク(536m標高点)・三ノ岳三角点(標高493.4m)ともにスルーしますが、水ノ元三角点を訪問しているので、地元で認識される“三ノ岳”には登ったことになります。

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13:13 広場をあとに黒松方面へ進むとすぐ右手の法面に階段があります。
    水ノ元の山頂(三角点)を目指す場合は  この階段を登ります。

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この階段は三ノ岳尺間嶽の参道となっています。

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13:15 尺間神社に続く石段は水平距離30mで標高差22mというなかなかの急登です。

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13:16 石段を登った山頂部に三ノ岳尺間嶽がまつられていました。

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尺間嶽の鮮やかな天井画
犬飼の神社らしく、鮎の絵も描かれています。

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13:18 尺間嶽から南西へ60m進むと犬飼町防災行政無線中継施設があります。
   三角点は中継施設のフェンスの南側の木の下に設置されています。

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13:19 四等三角点(点名:水ノ元)   現在の標高は546.2mです

現在地はこちら

地理院地図

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三角点の南側の山頂部には犬飼星(いぬかいぼし)の見える天文台があります。
※「犬飼、星の見える天文台」でなく、「犬飼星、の見える天文台」

 調べてみると「犬飼星」とは わし座の α星「アルタイル」のこと(明るさの等級は一等星)。現在の日本では七夕伝説の「牽牛星」や「彦星」として親しまれていますが、奈良時代に七夕伝説が中国から伝わる以前は「犬飼星」と呼ばれていたそうです。

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犬飼星の見える天文台は1991年(平成3年)4月にオープンした県内初の一般入場のできる天文台です。

 当時は各種イベントも行われて来館者も多かったそうですが、気象条件の厳しい山頂部に立地していることで維持や修理に費用がかかることが多く、近年は町村合併による予算の削減もあって、2016年(平成28年)より休館となっています。

 夜空の星を望遠鏡で眺めることは叶いませんが、水ノ元の山頂部に立地するだけに、天文台の外周のテラスからは300度近いパノラマを満喫することができます。

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天文台から東方向の眺め

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天文台から南東方向の眺め

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天文台から南西方向の眺め
地形図での三ノ岳(標高536m)が間近に見えています。

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天文台から西方向の眺め

 ミニ天文台のようなドームが気になりますが、近づいても窓がなくて正体不明でした。なお、地吉の先には  大分市のつはる少年自然の家  があり、そちらにも天体観測ドームが設置されています。

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天文台から北西方向の眺め

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天文台から北方向の眺め

天文台から北東方向(海の方向)だけは木々に遮られて見えないのが惜しいです。

13:36 犬飼星の見える天文台を出発。南方向へ舗装路を下ります。

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13:38 舗装路から振り返った犬飼星の見える天文台
   規模は小さいものの、かつての乗鞍コロナ観測所を彷彿させるドームが印象的です。

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13:42 天文台から6分で市道宮脇三ノ岳線に合流
   天文台への舗装路はチェーンゲートが設置されているため、車両の乗り入れはできません。

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地理院地図

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13:57 市道宮脇三ノ岳線沿いに残る  ←三ノ岳なかよしパーク の標識

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地理院地図

 地形図に「三ノ岳」と記された標高536mピークの東側を巻くあたりです。現在、この付近はスギの人工林となっており人の気配はありませんが、前述のように、かつてこの付近には三ノ岳集落が存在していたのです。

現在地の過去の航空写真

地理院地図(1974-1978)

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14:02 かつて集落が存在したとは信じられないほど暗い杉林が続きます。

 前述の三岳道路開通記念碑 に「元三岳在住者」の名前が刻まれていることから、昭和49年の記念碑建立時点で三ノ岳集落から人々が離れていた可能性が高いです。

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14:05 こちらは標高493.4mの四等三角点(点名:三ノ岳)への取り付き点

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地理院地図

 三ノ岳は地形図に記載された山頂(標高536m)とは別の場所に同名の三角点があります。また、一般に「三ノ岳」と呼ばれるエリア(三ノ岳なかよしパーク・犬飼星の見える天文台)には標高546.2mの四等三角点(点名:水ノ元)があり、ちょっとややこしいことになっています。

 冬枯れの時期であれば、三ノ岳山頂や三角点を訪問してみたいのですが、マダニが活発な時期なのでやめておきます。

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14:07 三ノ岳なかよしパーク(≒水ノ元)から2km地点を通過

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14:15 市道左手に見えるのは  土砂災害発生監視システム  犬飼雨量観測局
 
 これは気象庁のアメダス(犬飼公民館近くに設置)ではなく、大分県三重土木事務所が設置したものです。同様のものは臼杵市野津町の白山神社近くでも見かけました。

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14:17 雨量観測局を過ぎると柴北川の谷を一望できるポイントに出ます。

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市道脇に建つ 展望台 の看板
そんな施設がありそうには思えませんが・・・

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14:18 市道脇の斜面の樹林の中に“展望台”を支える鉄骨が見えていました。

 この時期は前述の看板がないと展望台の存在に気づくことはないでしょう(仮に見えていても登ってみようとは思えないほど老朽化しています)。

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地理院地図

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14:18 “展望台”付近から眺めた柴北川の谷

 たしかに良い風景ですが、三ノ岳なかよしパーク・天文台まで行けばさらに好展望が楽しめますし、ここには駐車場がありません。この道を人が歩くのは旧長谷小学校の児童が遠足で訪れた時ぐらいでしょう。現在ではゴールデンウイークでさえ車が通らない道ですが、そんな場所に展望台を設けるだけのパワーが平成初期という時代には存在していたのです。

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14:19 展望台付近から眺めた千歳方面
   麓から全体像をつかみにくい石田山が、ここからだとよく見えます。

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14:20 三ノ岳なかよしパーク(≒水ノ元)から2.8km地点を通過
    秋の遠足ではこの看板に励まされた子どもたちも多かったことでしょう。

14:23-29  同行者の足が痛くなったのでちょっと休憩

 今日の行程は天面山の遊歩道(約850m)を除いて舗装路歩きなので、そうした道が苦手な方にはハードな行程と言えるかもしれません。

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休憩中に眺めた祖母傾の山なみ

 手前に見えるのは千歳町と大野町にまたがる低山群ですが、web上の記録を拝見すると  ある意味で祖母傾以上にハードな登山を強いられるようです。

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休憩中に眺めた柴北川の谷
県道632号中土師犬飼線の姿をはっきり捉えることができるようになりました。

 この先、市道宮脇三ノ岳線は昭和49年の開通と同時に造成された三ノ岳カボス園の中をヘアピンカーブを描きながら下っていきます。

14:58 民家の横を通過。ようやく里に下りてきたことを実感します。

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15:00 天文台から4.9kmで市道が二手に分かれますが、ここは右折します。

 センターラインの白線は左のほうに引かれていますが、市道宮脇三ノ岳線は右へ進みます。地理院地図の航空写真(1974-1978)に左の道は写っていませんでしたので、そちらは後年に建設されたバイパスのようです(道の名称は不明)。

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地理院地図

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15:04   三ノ岳なかよしパーク(≒水ノ元)から5.5km地点を通過

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15:11 15:00に通過した分岐から0.8kmで県道632号中土師犬飼線に出ます。

 市道宮脇三ノ岳線はここが起点。地形図に記載はありませんが、このあたりの小字を宮脇(阿蘇神社に因む地名か)と呼ぶのでしょう。ゴールの山田バス停は左折して0.2km先ですが、まずは阿蘇神社に参拝したいので右折します。

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地理院地図

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15:13 県道を西へ130mほど進むと右手にイチョウの木と鳥居が見えてきます。
   ここが阿蘇神社への参道の入口で、こちらは3基ある鳥居の最初のものです。

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この鳥居こそが南北時代に建立されたとされる鳥居です。

 建立年を示す文字は彫られていませんが、その特徴的な形状や阿蘇神社に伝わる文書から南北朝時代(1360年代?)に建立されたものとされています。

 鳥居の大きさと比較して二本の柱が妙に太かったり、その柱も角ばっていたりして、見るからに古そうな鳥居であることは分かりますが、それが戦国時代や室町時代を飛び越えて南北朝時代のものだったとは。建立から約660年ということは人間だと少なくとも20回は世代交代しているはずなので、途方もなく長い歳月ということになります。

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慶長地震も南海地震も耐え抜いた鳥居
素朴な形状でありながら、計算され尽した強靭さ感じます。また、額束の部分が丸いのが新鮮です。

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鳥居の隣の灯籠
昭味癸酉(みずのととり・きすいのとり・きゆう)八年 とあるので、昭和8年(1933年)建立のようです。

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15:16 参道を進むと二番目の鳥居があります。
   こちらは笠木の反りが大きく、今風の鳥居という感じがします。

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鳥居に刻まれた 奉 昭和三年四月十九日建立 の文字 
“今風”の鳥居といっても戦前のもの。南北朝時代の鳥居を見た後だと時代の感覚が違ってきますね。

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二つ目の鳥居の扁額には阿蘇神社と刻まれていました。

 黒松の阿蘇神社は南北朝時代~室町時代前期に肥後国の守護であった阿蘇惟村(あそこれむら)(出生年不詳-1406)によって創建されたとされる神社で、全国に約450社あるとされる阿蘇神社の一つです。当時の井田郷長谷村は阿蘇惟村の所領となっていましたが、惟村が所領を(肥後一の宮の)阿蘇神社に寄進した際にその分霊を勧請したとされています。

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15:17 二つ目の鳥居のすぐ先に三つ目の鳥居が建っています。

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三つ目の鳥居の扁額には 大明神 と刻まれています。

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15:17 狛犬の間を抜けて阿蘇神社の拝殿に参拝

現在地はこちら

地理院地図

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拝殿に掲げられた額
「敬」「神」はわかりますが、あと二文字は何と書かれているのでしょう。

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拝殿の天井画
こちらは草花の絵が多いようです。

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15:43 南北朝時代の鳥居の前を河面(かわも)行きのバスが通過

 折り返しの犬飼駅行きは26分後なので、そろそろ山田バス停に移動しましょう。

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15:51 阿蘇神社から県道を東へ0.4kmでゴールの山田バス停(標高84m)に到着
   バス停の目の前には長谷簡易郵便局と  たばこ店があります(飲料水の自販機完備)。

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地理院地図

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犬飼駅方面の乗り場は向かい側ですが、郵便局前のベンチを利用できるのがありがたいです。

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犬飼駅~河面線は平日5往復(うち1往復は山内で折り返し)、土日祝日2往復の運転です。

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16:17 山田バス停を出発。貸切兼用の豪華なバスで犬飼駅へ。
   約17kmの行程を歩き通した御褒美でしょうか。最後に遠足気分が盛り上がります。

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16:30 終点 犬飼駅で下車。山田からの運賃は260円でした(交通系ICカード非対応)
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 今回登った天面山水ノ元とも山頂近くまで車道が通じているため、車やバイクを使えば駐車地点から徒歩数分で三角点に到達できますが、こうした遠足スタイルで麓から歩いてみると、標高500m前後の山とは思えないほどのスケールの大きさを感じます。天面山の山城にこもった戦国武将たち、水ノ元へ額に汗して登った弘法大師、そんな大師に水を提供した村人。彼らの気持ちに少しでも近づくことができたのであれば、この山登りが成功であったのではないかと考えます。
 
 また、天面山・水ノ元 ともに他のハイカーに会うことはなく、予想通り静かな連休を楽しむことができました。一方、天面山の麓の伊与床地区、三ノ岳の麓の黒松地区には意外なほど人の姿が多く、予想と違って活気ある山里の光景を目にすることになりました。伊与床には深山流伊与床神楽、黒松阿蘇神社には浅草流黒松神楽がありますが、それらが末永く伝承されていくことを願ってやみません。

両村橋から石田山・田口山・白石・光昌寺山を経て河面へ (前編)

2022年3月6日(日)

 豊後大野市 大野町・千歳町・犬飼町を流れる 柴北(しばきた)川  (あかね)川 に挟まれた丘陵地帯に、石田山(標高249m)・田口山(標高321m)・白石(三角点)(標高292.7m)・光昌寺山(標高395.5m)という低山があります。

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豊後大野市千歳町石田から眺めた石田山

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豊後大野市大野町岡から眺めた田口山

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豊後大野市犬飼町長小野から眺めた白石三角点・白石神社のある山

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豊後大野市大野町菅田から眺めた光昌寺(こうしょうじ)

 いずれの山も日本中どこにでもありそうな平凡な姿をしており、周囲の丘陵と比べて突出したところはありません。植生が特徴的かと言えばそうでもなく、植林帯と自然林の混在する里山です。

 山頂に神社のある白石(三角点ピーク)を除けばまともな登山道・道標類はなく、地形図(今の時代はGPSアプリでしょうか・・・)を見ながらヤブを漕いで登るスタイルのようです。

 なぜこのように平凡な丘陵に「〇〇山」という名前が付いているのか不思議な気がしますが、「地形図に山名が記載されている以上、登らねばならん」との使命感にかられるのは登山趣味者のサガです。

 これらの山に登る場合、山頂どうしの距離はさほど離れていないため、冬枯れの時期にまとめて訪問するのが効率的です。ヤブ山と言えども一つの山に要する時間は短そうですし、せっかくなので4つの山を一本の線で結んで歩いてみましょう。

石田・田口・光昌寺
本日の行程:両村橋バス停→石田→石田山→横脇バス停→田口山→牧原東公民館→白石神社→牧原西公民館→小切畑支線入口バス停→光昌寺公民館→光昌寺山→岩杉バス停→河面バス停

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今回のスタート地点となるのは県道632号(中土師犬飼線)沿いにある両村橋(りょうそんばし)バス停

 県道632号には大野竹田バスの犬飼駅~河面(かわも)が通っており、ゴールの河面バス停からはバスで戻ってくる予定です。

現在地はこちら

地理院地図

 両村橋は県道632号から分岐する市道石田1号線が柴北(しばきた)を越える橋で、1999年(平成11年)に現在の橋に架け替えられる以前は、上下の画像の旧橋が使われていたそうです。

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こちらが両村橋(りょうそんはし)の旧橋にあたる両村橋(ふたむらはし)

 現橋の下流側に架かる石造アーチ橋で竣工は1939年(昭和14年)。漢字は同じなのに読みが異なるのがユニークです。橋名は竣工当時の長谷村(現在の豊後大野市犬飼町西部エリア)井田村(現在の豊後大野市千歳町北部エリア)を結んだことに由来していると思われます。

 両村橋が架かる市道石田1号線は豊後大野市犬飼町長谷(ながたに)地区と豊後大野市中心部(三重町方面)を結ぶルート上にあるため、古い石橋では交通量の増加に対応できなかったのでしょう。

 なお、両村橋近くに駐車スペースがないため、車は市道石田1号線を千歳支所方面に0.2km進んだ広い駐車帯にとめておきました。

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10:52 駐車場所から振り返った両村橋
   それでは最初の目的地、石田山に向かって出発。

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10:54 市道石田1号線を千歳支所・新殿(にいどの)方面へ
    この市道を登山の格好で歩いている人って、これまでにいたでしょうか?

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11:02 両村橋から0.9kmで右の集落内の道へ入ります。
   石田山を示す道標はもちろんありませんが、ここで初めて石田山が見えてきます。

現在地はこちら

地理院地図

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11:03 集落内を抜けて農道を下ると石田山が近づきました。

 今見えているのは東側の尾根の一部で、石田山最高点は裏側にあります。余談ながら、石田山は奥まった位置にある超低山のため、その全体像を望むことができる場所がほとんどありません。

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11:07 地形図にない農道を西へ進むと山裾を走る権現尾林道に出るので左折します。

 この先で、石田山の取り付き点を探してウロウロ。林道沿いから山頂まで人工林が続いていればラクに登れそうですが、あいにく林道沿いは下草のうるさい雑木林ばかりで、「これだ!」と言える地点が見つかりません。

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11:14 林道に入って250m(市道から右折して0.7km)で石田山方向へ続く作業道を発見。これだ!

現在地はこちら

地理院地図

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11:15 入口付近にササのうるさいエリアがあるものの、総じて明瞭な作業道。
    このまま山頂近くまで導いてくれるといいのですが・・・

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11:17     作業道は3分弱で終了。ここで左折して石田山の急斜面に取り付きます。

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11:20 作業道終点から尾根までの比高は80mほど。荒れ気味の雑木林を登ります。

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11:23 花粉対策のマスクをしたままではとても息が続かない急斜面。
     周囲は二次林のようですが、伐採を免れた巨木に心が和みます。

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11:24 突如現れた  境界見出標 熊本営林局 のプレート
            およそ地味な里山に似つかわしくない光景です。

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11:25 急登を終えて尾根筋に上がると現れるコンクリートの境界杭
   これも里山の私有林では見られないアイテムです。さらに、ピンクテープも登場。

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11:26 登山道はありませんが、テープや杭に導かれるように山頂方向へ。
   明らかに登山者以外の人の手が加わった山です。

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11:29 西側から延びてきた尾根との合流点付近。
    下山時は要注意ポイントです。

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11:32  尾根に乗ると北西側からの風を感じるようになりました。山頂近し。

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11:34 地形図と照合するとこの奥が石田山の249m標高点がある場所のようです。

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11:35 それらしき場所が見えてきました。
   展望は皆無ですが、照葉樹主体の自然林の雰囲気は悪くありません。

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3重に巻かれた赤テープが石田山最高点(249m標高点の目印)。山頂標は見当たりませんでした。
権現尾林道沿いの取り付き点からの歩行距離は0.6km、所要時間は21分でした。

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地理院地図

 ところで地理院地図を見ると、石田山249m標高点の南側(直線距離で)420mの位置に標高220.8mの四等三角点があります。点名を調べてみると“石田山”。ここも最高点(一般的に山頂と言われる地点)と三角点が離れた位置にある山だったのです。
例:大分市の霊山、別府市の大平山(扇山)、豊後大野市三重町の木ノ元山など

 最高点と三角点の間には谷があるため、尾根を「C」の字型に迂回するしかなさそうですが、ここまで来てスルーするわけにはいきません。チャレンジしてみましょう。

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11:40 石田山最高点から往路を戻らず西の尾根へ。
   次の鈍頂にもコンクリート杭がありましたが、ピンクテープは見えなくなりました。

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11:44 鈍頂から南西へ0.2kmほど進んだ地点。

 三角点へ行くにはここを左折して南側の鞍部に下りますが、GPSを持っていませんし、三角点のある尾根が目視できていないので、ここは慎重に行動します。

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11:47 鞍部付近は細い竹の密集地帯。ただ、ひと一人が進む隙間はあります。

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11:48 鞍部には東西方向に杣道が通っていました。

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11:50 鞍部から軽く登り返して三角点のある尾根に出ました。これを東へ進みます。

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11:52 三角点手前で現れる立ち枯れエリア。石田山に入って初めて見た空です。
   この後、画像奥に見える荒れた雑木林の中で三角点を探しますが、なかなか発見できません。

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11:56 四等三角点(点名:石田山) (標高220.8m)
    コシダの中に埋まっていたため、撮影用に手直ししておきました。

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地理院地図

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石田山三角点から南側の眺め
南東側0.6km地点に中九州道が通っているはずですが、まったく見えません。
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 さて、今日は路線バス利用の片道登山なので、権現尾林道に戻る必要はありません。次の田口山に行くことを考慮すると、南側の溜池方面に下ったほうが好都合です。

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12:02 三角点の南西側に下草のない谷がありました。これを下ってみましょう。
 
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12:03 あまり手入れのされていないヒノキ林ですが、歩いて下る分には問題なし。

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12:05 雑木林に入ると杣道らしきものが現れました。  
   左下には早くも田んぼが見えてきましたし、下山は楽勝でしょうか・・・

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12:08 最後にとんでもないヤブが待ち構えていました。
   手のひらにトゲが刺さり、マダニを一匹引き連れて、ほうほうのていで車道へ。

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12:08 石田山最高点から1.1km(三角点経由)、33分で辻久保林道に下りてきました。
   電柱のところから出てきたわけですが、こちらからだと登ろうという気が全く起きません。

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12:09 林道沿いの大乗妙典地蔵尊にお参りして、無事に下山できたお礼を伝えました。

 真新しそうな林道沿いに、歴史のある地蔵尊。一見すると不思議な光景ですが、江戸時代の岡藩の参勤交代路(岡城~犬飼港)は現在の県道57号の通る茜川の谷ではなく、菅田~牧原~田口~石田~高添の台地を通っていたため、田口と石田を結ぶこの林道が参勤交代ルートだった可能性があります。

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12:11 すぐ先の溜池の堤の上で休憩。衣服・ザック・靴のマダニチェックは欠かせません。
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 下山後に豊後大野市のハザードマップで調べてみると、石田山一帯は国有林であることがわかりました(境界見出標の「熊本営林局」がその証)。国有林は所有者不明の土地を国有化したところもありますが、その多くが江戸時代の藩有林に由来するものです。石田山エリアではまとまった面積があることから、岡藩の藩有林だった可能性があります。
※大野町史には、岡藩藩有林として三宅山(竹田)・城山(朝地)・代三五山(大野)などが紹介されている。

 石田山の名がいつごろから呼ばれていたのか不明ですが、公的な土地であれば(たとえ地味な低山であれ)他との区別のために山名を付けるのが合理的です。

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12:15 溜池を出発。次なるターゲットの田口山を目指します。

 この付近の林道の路面は堤頂より低いため、満水時に越水しないよう、コンクリートのガードが設けられています。

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12:23 辻久保林道に出て0.8kmで貯水タンクのある峠を通過。
   
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12:24 田口川の谷へ向けて急坂を下っていくと前方に田口山が見えてきました。

 標高321mの低山なのに、この角度からだと壁のようにそそり立っている感じです。一般的には反対側(西側)の牧原東地区から登るようですが、それだとかなりの遠回りとなります。今見えている田口地区側の山腹には人工林と照葉樹林(いずれも下草が少ない)が見られるため、攻略は可能と判断しました。

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12:27 峠の水タンクから0.3kmで田口川沿いを通る県道668号(山内新殿線)に出ました。

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県道に出たところから振り返ると 辻久保林道 の標識が。
今 歩いてきた道の名前はこれで判明した次第です。

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12:32 県道に出て0.4kmで北平地区への道が左に分岐します。

 田口山に向かうには左折したほうが近いのですが、田口山の全体像を見てから攻略を開始したいので、もう少し県道を歩きます。

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豊後大野市コミュニティバスの北平バス停

 現行の時刻表が剥がれて10年前(平成24年)の時刻が見えていますが、当時は週2日(各日2往復)の運転だったようで、運転区間は千歳支所~田口となっていました。

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12:35 前方に田口(横脇)地区と田口山が近づいてきました。

 平安時代(10世紀中ごろ)に編集された和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)には大野郡には4つの郷(田口・大野・緒方・三重)があったされています。田口とはそれほど歴史のある地名で、現在の豊後大野市犬飼町・千歳町あたりを総称するものだったようです。

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12:40 北平バス停から0.4kmで横脇バス停。ここを左折して舟木方面へ進みます。

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豊後大野市コミュニティバスの横脇バス停

 現行ダイヤ(2022年春時点)では運転日が木曜日のみになった代わりに、運転区間が 三重町中心部~千歳支所~田口に延長されています。2016年春にAコープ千歳店が閉店したことも影響しているのでしょうか。三重町市場や下赤嶺の商業施設群にアクセス可能となり利便性が向上したようです。

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12:44 横脇バス停から集落内を抜け、0.3kmで溜池の下の分岐へ。

 集落の裏山は避けて、ここから田口山に取り付くことにします。溜池下から山頂までの比高は140mほどです。

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12:50     田口山は国有林でないためルート詳細は省きますが、比較的歩きやすいです。

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12:55 直登方向にヤブが見えたので右へ水平移動

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12:57 立ち木につかまりながら田口山の急斜面と格闘します。

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13:02 山頂エリアが近づくと気持ちの良い照葉樹林となりました。

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13:03 あと少しで山頂、というところで笹藪に行く手を阻まれます。
    ここは一旦右(東側)に下って迂回します。

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13:05 笹藪を迂回して山頂エリアに戻ると立派なカゴノキが迎えてくれました。

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13:06 巨木の幹に田口山の山頂標を発見。平坦な森の中の山頂は水口山に通じるものがあります。
   取り付きの溜池横からの歩行距離は0.7km、所要時間は22分でした。

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森のヌシのような巨木が田口山の山頂
幹に寄りかかって読書でもしたくなるような気持ちの良い場所です(マダニが怖いのでしませんが)

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13:08 田口山から牧原東公民館方向へは目印のテープが導いてくれそうです。
   なお、田口山山頂を境に豊後大野市千歳町(旧千歳村)から大野町エリアに入ります。

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13:11 山頂の北でルートは西へ大きく向きを変えます。

 この先でテープは疎らになり、尾根筋に笹藪が現れます。突破は困難と考えて少し戻り、南側の溜池に下ることにします。

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13:18 溜池方向にもテープがついていますが、あくまで“備忘録”的なもの。
   ここが確定ルートというわけではなく、短いながらササコギを強いられます。

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13:19 溜池奥の作業道に下りてきました。

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13:21 溜池の堤の上は綺麗に草が刈られていました。現在でも農業に欠かせない池なのでしょう。

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堤の上から振り返った田口山。こちら側からの比高は40mほどしかありません。

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13:22 溜池から先の作業道も綺麗に草が刈られていました。ありがとうございます。

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13:24 溜池からの灌漑水路に沿って西へ。夏場だとササヤブが厳しそうな感じです。

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13:25 南側に代三五(だいさんご)方面の丘陵が見えました。

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13:27 小さな石祠の前で尾根筋からのルートと合流。

 先ほどヤブに阻まれて進めなかった尾根筋ルートですが、そのまま下ると別の祠や鳥居を経てここに至るようです。

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13:27  さらに30mで市道高牟礼線に出ますが、ここに牧原(まきばる)東公民館があります。
   田口山山頂からの歩行距離は0.8km、所要時間は21分でした。

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両村橋から石田山・田口山・白石・光昌寺山を経て河面へ (後編) へ続きます

菅尾駅から菅尾石仏を経て白鹿山へ (後編)

2019年1月14日(月)

菅尾駅から菅尾石仏を経て白鹿山へ (前編) からの続きです

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本日の行程:菅尾駅→菅尾石仏→柴山→鹿道原→妙覚寺→白鹿山→石井→高添バス停

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12:29 白鹿山(はくろくさん)(標高266.7m)の南西側中腹に位置する臨済宗白鹿山妙覚寺

 妙覚寺が創建された年代は不明ですが、宝暦年間(1751年~1764年)に再興されたそうです。

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これが有名な石造アーチの山門です。建造年は不明ですが、江戸時代のものと伝えられており、豊後大野市の有形文化財に指定されています。山門もさることながら、手前にある二基の石幢にも注目です。

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山門に刻まれた文字。「山鹿白」とはちょっと違う気がするのですが、ネット上で調べても詳しいことはわかりませんでした。

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本堂側から眺めた山門。中央部に仕切壁のようなものが挿入されていますが、扉は取り付けられていません。石造りの山門ということで中華風のもの連想していましたが、これは当時の豊後国~大分県で多く造られた石造アーチ橋の技術を応用したものです。優秀な技術者(石工)に加え、周囲に材料となる阿蘇の溶結凝灰岩が多く存在したことも影響しているのでしょう。

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山門を抜けると右手に3つの石の祠が見え、その先に展望の開けた場所がありました。ベンチが置かれていることから、ここで展望を楽しんでくださいという趣旨なのでしょう。

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12:30 妙覚寺から南側の眺め。眼下に大野川、対岸に国道326号が見えます。

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12:30 妙覚寺から東側の眺め。先ほど列車で通過した鉄橋が見えます。念のため犬飼駅で列車の時刻を調べたところ、12:50に上下列車が犬飼駅ですれ違うことになっていたので、12:45頃に下り、12:55頃に上り列車がやってくるはずです。まあ、山頂まで行けばもっと眺めが良いかもしれないので先に進みましょう。

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12:31 駐車場に戻って白鹿山山頂(一の峰)を目指します。道標がなく取付点が見つからなかったのですが、適当に探していたら、赤矢印のように進めばよいことがわかりました。

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12:32 トイレの裏手に遊歩道が隠れていたわけですね。画像右奥の地点で遊歩道が二手に分かれますが、直進するのが巻道で、右折するのが山頂(一の峰)への道です。

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12:33 踏面がコンクリート舗装された木の階段を登っていきます。駐車場まで車で上がってくれば何ということのない階段ですが、菅尾駅から歩いてくるとさすがにきついです。

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12:37 駐車場から6分、標高差60mを登って白鹿山(一の峰)の山頂に到着しました。電波施設のほかに立派な祠があり、この山も神仏習合といった趣です。

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白鹿山の三等三角点(点名:妙覚寺山)と山頂標。

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12:38 白鹿山(一の峰)の山頂周辺には多数の桜が植えられており、春は花見を楽しめることでしょう。ただし、周囲の展望はそれほど良くなく、南側の展望が開けている程度です。期待した豊肥線の鉄橋は見えません。列車の通過時刻まであと数分。この先、二の峰・三の峰からの展望も期待できそうにないので、一旦妙覚寺に戻ることにします。
 
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12:44 妙覚寺に戻って大野川の鉄橋を通過する大分行きの下り列車を見送りました。光の当たり方がイマイチなので、列車を撮るなら午後遅い時間のほうが良いかもしれません。

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12:51 本日2度目の登頂となる白鹿山一の峰。妙覚寺から7分で戻ってきました。

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12:51 一の峰から眺めた二の峰。この先、壊れた防獣柵を越えて荒れ気味の遊歩道を下ります。

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12:53 一の峰・二の峰の鞍部で左手から巻道経由の遊歩道と合流します。

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12:56 二の峰山頂直下にも別の巻道がありますが、ここは鋭角に右折して二の峰へ。夏場だと草に悩まされそうな場所です。

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12:57 分岐から1分で二の峰に到着。北側と東側が木々に覆われているため、展望はパッとしません。

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二の峰から振り返った一の峰。

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二の峰から眺めた鹿道原。KBツヅキ(旧都築紡績)大分工場の建物が目をひきます。雲がなければ日平山の奥に大船山が見えるはずです。

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二の峰のクロガネモチの実

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12:58 二の峰山頂から一旦12:56に通過した分岐まで戻ろうかと思っていたら、防獣ネットの先に三の峰への道を見つけました。夏場にボランティアの方によって草刈りが行われたようで、快適に歩くことができました。ありがとうございます。

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12:59 二の峰と三の峰の鞍部でも巻道経由の遊歩道と合流します。既視感のある光景ですね。

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13:01 三の峰への遊歩道はササの切り開きの中を登ります。ここは毎年の草刈りが行われなければ通行不能になりそうな場所です。

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13:02 一の峰から二の峰を経由して11分で三の峰の山頂に到着。千歳デジタルテレビ中継局が建っていましたが、こちらも山頂からの展望はサッパリ。空しか見えません。三の峰の北側から巻道に下る遊歩道もあるようですが、探しても見つからなかったので、二の峰・三の峰の鞍部に引き返します。

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13:06 二の峰・三の峰の鞍部から数十秒も下ると中腹の巻道に出ました。一般的にはここを左折して妙覚寺の駐車場に戻るのですが、私は車で来ていないので直接林道白鹿山線に下ることにします。

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13:08 巻道を北に向かっているとト字分岐があったので、鋭角に左折。白鹿山の遊歩道には道標がありませんが、低いほうに続く道に入れば大丈夫です。

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13:09 次の分岐は右へ。巻道は下の段にも存在するようです。このあたりは遊歩道というより、林業用に作業道といった感じでしょうか。

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13:10 荒れた作業道を下っていくと林道白鹿山線に出ました。ここは事前にグーグルストリートビューで目星をつけていた場所です。予想が当たると嬉しいですね。ヤブが深くて林道に下ることができなかった場合、一旦妙覚寺の駐車場に戻ることを考えて時間を逆算していたので、バスの時刻まで20分ほどの余裕が生まれました(ここから高添バス停までは1.5km)。

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13:18 アスファルト舗装の林道白鹿山線を下っていくと大野川中流広域農道に出ました。大分市方面から車で白鹿山にアプローチする場合はここから左折することになります。

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分岐に立つ「林道妙覚寺線案内板」 ただし、ここで分岐するのは林道白鹿山線です(林道妙覚寺線は林道白鹿山線を950m進んだ先から分岐します)。

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林道白鹿山線の分岐点に立つ鹿のオブジェ。私が普段山で会う鹿は石を落としたりしてカワイクナイのですが、オブジェの鹿は普通に可愛いです。しかし、ここは白い鹿にしてほしかったところ。

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13:19 林道白鹿山線分岐点から広域農道を犬飼寄りに70m進んだ丁字路を左折。石井・高添方面に向かいます。ここを直進しても犬飼の大野川河川公園まで3.2kmなのですが、まあ、路線バスがあれば利用したいです。

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13:25 石井地区を抜けて緩やかな下ります。地理院地図では黒実線(軽車道)で描かれた道ですが、数年前に拡幅が行われたようで広い道に生まれ変わっています。

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13:28 石井橋(昭和47年3月竣工)で茜川を渡れば県道57号(旧国道57号)に出ます。

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石井橋の手前に立つ「石井橋記」。高度経済成長期の橋には不釣り合いな石碑ですね。碑文には「昭和二年」とあります。ということは・・・

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現石井橋の上流数メートルの場所に旧石井橋を発見。石造の二連アーチ橋、いわゆる眼鏡橋です。県道57号(旧国道57号)は何度も車で走ったのに、ここに眼鏡橋があるとは気づきませんでした。

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現石井橋から眺めた旧石井橋。間隔が近すぎて全貌がカメラに収まらないのですが、たしかに二連アーチの石橋です。

 石碑の横から旧石井橋にアクセスする小道があるので、橋そのものは渡ることができるのですが、現石井橋ができた時点で当時の国道57号との接続を切られてしまったので、大きな段差ができてしまい、対岸に抜けられません。また、河原に下って眼鏡橋の全貌を撮りたいと思ったのですが、両岸が切り立った崖になっていたため、下ることはできませんでした。その意味で、旧石井橋の開通は地元の方々にとって画期的なことだったのでしょう。

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13:33 石井橋を渡ると県道57号(竹田犬飼線、旧国道57号)に出ます。ちなみに現国道57号は中九州道(正式名称は「中九州横断道路」)が名乗っています(2016年4月1日に名称変更)。

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13:35 石井橋から東に100mでゴールの高添バス停に到着(大分方面は反対側から乗車します)。

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13:50 大分バスの大分県庁前行きに乗車。道の駅おおの 始発ですが、私が乗車した区間では貸切でした。大野町から大分市内へは同じ運賃で特急「やまびこ号」を利用できるので、各停便の利用者は少ないのでしょう。

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13:55 「町口」バス停で下車。

 大分バス便は犬飼駅に入らず、犬飼大橋を渡って国道10号に出るので、ここで下車する必要があります(高添からは大野竹田バス便もあり、そちらは犬飼駅まで入るため、次の「犬飼」バス停で降りたほうが近い)。高添からの運賃は190円でした(大分バス便は交通系ICカード利用可、大野竹田バス便は交通系ICカード利用不可)。

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14:00 車をとめた大野川河川公園に帰着。
 
 犬飼は江戸時代の明暦2年(1656年)に岡藩の港(川港)が開かれて以降、交通の要衝として栄えた町です。参勤交代時、藩主の中川公はここから船に乗り換えて大野川を下り、三佐の港を目指したそうです。
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 菅尾石仏と妙覚寺・白鹿山を結ぶ遠足はこれにて終了。行程の大半は舗装路歩きでしたが、山あり谷あり台地あり、トンネルも橋もあって変化に富んだ風景を楽しむことができました。前後の列車とバスも良いアクセントになったと思います。

 菅尾石仏・妙覚寺山門・旧石井橋と石の文化を余すことなく楽しめたのも大きな収穫でした。地元に住んでいると摩崖仏や石造アーチ橋は特に珍しいものではありませんが、九州外ではなかなかお目にかかれるものではありません。大分県が誇る石の文化を紹介するコースとして県外の方にもお勧めしたいところです。

 さて、メインの白鹿山ですが、妙覚寺を除く各山頂からの展望はあまり良くありません。その代わり、各山頂付近にはモミジやサクラが多数植樹されており、草刈り等も行われています。地元の方々に愛されている山なのでしょう。遊歩道を三の峰まで周回する際は冬場から春先にかけての訪問が無難でしょうが、春の桜や秋の紅葉の時期に訪問するのも楽しそうですね。

天面山・水ノ元 新緑 RUN (後編)

2017年5月7日(日)

天面山・水の元 新緑RUN (前編)  からの続きです。
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本日の行程:竹中駅→天面山→水の元→栗の木バス停

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14:22 林道天面山線から左折して林道小中尾線に入ります。「三ノ岳なかよしパーク」(水ノ元)まで、あと1.5kmです。

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14:25 アザミの蜜を吸うクロアゲハ。アザミは大型の蝶に人気のようです。

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14:29 分岐から550mで大分市と豊後大野市犬飼町の境です。ここで林道の管理者が変わるため、林道名も「林道小中尾線」から「林道天面山・水ノ元線」に変わります。このあたりは水平距離1kmで標高が100mほど上がるため、ダラダラとした登りが続いて苦しい区間です。

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14:42 東九州幹線42号鉄塔下の四差路に出ました(本当はもう一本林道があるので五差路ですが、既に廃道化しています)。天文台のある水ノ元のピークは直進します。

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14:43 四差路のすぐ先に大きな杉の木があり、その下に「水の元」の名前の由来となった湧水があります。その横にはこの水を湧き出させた弘法大師様が祀られています。

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14:43 「水の元の伝説」です。このような伝説は姫島(拍子水)や大入島(神の井)にもありますが、こちらは標高546mの山頂直下で水が湧き出しており、とても神秘的です。

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14:44 「三ノ岳なかよしパーク」上の広場からの眺め。鉄塔群の向こうには、先ほど登った天面山が見えています。

   「三ノ岳なかよしパーク」には以前は このような遊具があったのですが、老朽化に伴い現在では撤去されています。近年は無料で遊べる遊具を設置した公園が市街地に増えたため、こちらの利用者が減少したことも影響しているのでしょう。

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14:45 四差路から200mほどで右に擬木階段が見えます。ここが水ノ元山頂・天文台への登り口です(正規ルートはもう少し先です)。なお、車道を直進すれば約6kmで山田バス停に下ることができます。

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14:47 擬木階段を登り詰めると山頂広場の「犬飼星の見える天文台」に到着です。

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14:47  天文台は残念ながら2016年3月末をもって休業となってしまいました。

 「犬飼星の見える天文台」が休業となった経緯や運営に携わってこられた方々の思いについて、大分合同新聞のこちらの記事で詳しく紹介されています。ちなみに「犬飼星」とは わし座の一等星 アルタイル(彦星)の和名とのことです。

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14:47 天文台の北側の花壇の中に「水ノ元」の四等三角点・安武さんの山頂標が設置されています。

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14:48 こちらは「大平はつらつ山歩会」の山頂標。後方は犬飼町防災無線の送信設備です。

 天面山から4.2kmの道のりを53分かけて水ノ元に到着。平均時速は4.8km/hでした。

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14:49 水ノ元山頂から東側の眺め。碁盤ヶ岳右手の石灰石採掘場が白く光っています。視界の良い日には臼杵湾~豊後水道、さらに四国の山なみまで見えますが、この日は黄砂の影響で展望が今ひとつでした。
 
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14:49 水ノ元山頂から南側の眺め。右手には祖母傾山系も見えました(こちらも黄砂に霞んでいたため撮影していません)。

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14:50 水ノ元山頂から西側の眺め。平成森林公園周辺の山々の向こうに、うっすらと くじゅう連山が見えました。

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14:50  水ノ元山頂から北側の眺め。大分市民にとっては馴染みの山々ですが、この角度から眺めると新鮮です。

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14:51 水ノ元山頂のシンボル、犬飼星の見える天文台 (休業中)です。ここで星空はもちろん、初日の出を見るのも楽しそうです。ただし、それらを見るには夜の林道を運転しなければならないので、訪問のハードルは高そうです。

14:59 展望を楽しんだので、そろそろ下山を開始します。栗の木から乗車するバスの時刻は15:59。本日の最終便です。

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15:02 先ほどの四差路まで戻ってきました。

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15:02  四差路の標識。栗ヶ畑(栗の木地区を含む大字地名)まで4.6kmとあります。こちらの標高が510mで栗の木バス停の標高が155mなので、爽快なダウンヒルを楽しむことができそうです。なお、バスの時刻まで57分もあるので走るまでもなく余裕で到着しそうです。

 気持ちよく下り始めたものの、林道宇津尾木栗ヶ畑線は等高線をなぞるように進んでいるため、なかなか高度を下げてくれません。

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15:23 地形図を見るとショートカットできそうな軽車道が描かれていましたが、実際はご覧の通り。ヤブに覆われている以前に私有地らしいので通行できません。

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 しかも、この先で嫌がらせのように標高差で40mもの登り返しがあります。こりゃ意外に時間がかかるかも。

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15:25 林道脇の木に巻き付いていたフジの蔓。これだけビッシリ咲いていると香りも濃厚です。

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15:25 林道脇でよく見かけるニシキウツギ。紅白の花が咲くことから「二色空木」となったのですが、「錦空木」と書いても納得できるほどの美しさです。

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15:33 やっとのことで林道天面山線の「峠」から下ってきた道と合流しました。既に水ノ元を出発して30分以上が経過していますが、地形図を見ると栗の木バス停までは、まだかなりの距離があります。これは急がないと危ないです。

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15:44 最初の民家が現われました。ここが大字栗ヶ畑の尾平地区です。

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 振り返ると「林道宇津尾木栗ヶ畑線」の青看板に、「三ノ岳なかよしパークまで4.6km」とありました。四差路に記してあった「栗ヶ畑 4.6km」とは栗の木バス停ではなく尾平地区までのことだったのです。ダマされた! というより都合の良い解釈をしていた自分がバカだったのですが、栗の木バス停まではあと2km近くあります(帰宅後の調査で1.7km)。残り時間は15分。もうなりふり構わず走ります。

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15:53  バス停が見えてきました。ラストスパート。

15:55 栗の木バス停到着。水ノ元からの距離は6.5km、所要時間は56分で、平均時速は7km/hでした。

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15:59 ストレッチをしていたら犬飼駅からのバスが到着。栗の木バス停で折り返すため、バックで進入してきました。

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 栗の木バス停は犬飼駅~河面間の路線の支線となっており、午前は犬飼駅行の便、午後は河面(かわも)行きの便しか立ち寄りません。この時間に犬飼駅に行くためには、河面行きに乗車して(分岐点の)栗ヶ畑入口で一旦下車し、河面で折り返してきた犬飼駅行に再び乗車することになります。運賃は栗の木~栗ヶ畑入口が110円、栗ヶ畑入口~犬飼駅が340円でした。こんな乗り方をする人はまずいないと思われるので、運転手さんにその旨をしっかり告げました。

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16:02-17 栗ヶ畑入口バス停で下車(精算)してバスが河面を往復してくるのを待ちます。ログハウス風の待合所は雑草に侵食されつつあり、この地区からの日常的な利用者がいないことを伝えています。

16:35  犬飼駅に到着。

 竹中駅→天面山→水の元→栗の木 のコース(15.7km)を休憩を入れて3時間半で踏破することができました。地形図で見ると結構遠く感じられましたが、コースの大半が林道をたどるため、テンポよく進むことができ、普段の山歩きとは異なる達成感を得ることができました。この日はGWの最終日でしたが、出会ったのは乗用車1台、クロネコヤマト1台、ツーリングのバイク1台。帰りのバスも貸切状態で、大型連休の喧騒とは無縁の山旅となりました。


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