エドモントンブログ

エドモントンというバンドで岡崎を中心に活動しています。。
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コピバン大会「夏のレプリカ計画」

何者かになりたいあなたも、
何者にもなれなかった僕らも、
本当は、何者でもない自分自身を見て欲しい胸の内も、
みんな揃って一緒になって、震える足で大見栄切って、
「俺は俺だ!」と言い張るための祭典、
コピーバンド大会「夏のレプリカ計画」。
どこから来たのかも聞かないし、どこへ向かうのかも問わない。
たまたま家が近くだったとか、席が隣だったとか、そんな理由で友達になって、その後何十年も互いに救われたりするように、僕らはたまたまこのイベントに集まったという理由だけで、一緒に笑いあっていいはずだ。
なんとなく笑いあって、ただ好きな音楽の話をしたりする、そんなどこにでもある普通の放課後みたいな時間。
そんな、誰にでも与えられるような普通の放課後を、自ら闘い取らなければならなかった全ての人達に捧ぐ。

好きな人たちと好きなことをして笑うのは、
どうしたって手に入らない望外な贅沢なんかじゃない。
普通のことさ。

僕らは普通に出会おうぜ。
ライブハウスで。

とかなんとか、大げさに宣言してみてもいいのだけれど、実際は、僕がBUMPのコピバンを楽しくやりたかったという理由だけで開催されるコピバンイベント。
しかしたったそれだけのことに僕は今すべての情熱を捧げている。
情熱ひとつが切符になった、そんな年齢ではとっくにないけれど、そもそもそんな遠くへ行きたいわけではないし。ただちょっと、気分転換にいつもと違う景色が見れたらいいなとか、そんな感じで。
BUMPのコピバンなんていっても所詮は付け焼刃で、でもそんな付け焼刃でも思いっきり振り回したらこの漠然とした薄い閉塞感くらいは切り裂けるかもしれなくて。なんて14歳でもないんだし、そんなリリカルなことを言ってる場合でもないんだけれど、14歳の頃夢中になったBUMPのコピバンを34歳になる僕が初めてやる(ギタボではということだけれど)というのも面白い話だし、そうやってみんなで面白おかしくバンドやれたら、それはまあまあ最高だよなって感じ。

目を離したらすぐにでも消えてしまいそうな青春の残り火に、時間とか元気とかその他諸々大事な色々を全部くべてなんとか目の前を照らして生きているのだ。

コピバン大会「夏のレプリカ計画」。
この篝火が、せいぜい派手に燃えることを願うばかり。

残るものは灰だけか。
いや、そうとも言えぬ。

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連休最終日

連休中はひたすらこれを読んでいた。
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まだ全部は読めてないけど、今日で連休は終わり。

この一週間ずっとこの1Q84を読んで過ごした。外の空気が吸いたくなったら徒歩ですぐの神社まで行ってベンチに座って読んだ。誰も来ない森みたいなところで満足するまで本を読むのが一番好きかもしれない。村上春樹の1Q84は一見荒唐無稽のように見えて細部に妙なリアリティがあって不思議な読み心地がした。今のところはとても面白い。まだ読み終わってないから、あくまで”今のところは”ということだけれど。でも、だいたいにおいてこういう感想が覆されるケースは少ない。人の感想なんて、出来不出来よりも満足したかどうかが優先されるからだ。結末がどうであれ、僕はすでにこの小説に結構満足しているし、実際この数日間はとても濃密な読書体験だった。

誰も来ない地元の小さな神社だけれど、今日は一人だけ参拝客が来た。
20代後半くらいの男性で、お洒落な服を着て、お洒落な髪型で、知的な眼鏡をかけていた。
珍しいなと思った。彼はどう考えてもこんな裏寂れた神社より、どこか都会的なストリートを歩いていた方が似合う雰囲気を持っていたからだ。しかし彼は一人で神社に来て、迷う事なくまっすぐ本殿に向かい、深く簡潔なお祈りをし、また迷う事なくまっすぐ帰っていった。ちょっと喉が渇いたから冷蔵庫に牛乳を取りに来たというような感じの、ラフで親密で個人的な参拝だった。
木陰とはいえ、こんな裏寂れた神社のベンチに座って本を読んでいる僕もまあまあ不信ではあった筈だけれど、こちらには見向きもしなかった。

ほう、と思った。
この神社は駅から遠い。わざわざ訪れる様な知名度もない。それでも彼はここに来て、小さな祈りを捧げて帰っていった。それは”信仰”というよりは、もっと切実で生活に則した実際的な願い事のように思えた。きっと、何かうまくいって欲しいことがあるのだろう。思わず神頼みしたくなるような何か。しかしそれには無責任さは無くて、人事を尽くして天命を待つような潔さといじましさを感じた。やることはやった、だけどただ待つのはそわそわして落ち着かないから、とりあえず神頼みでもしておこうというような。大晦日に友人連れで行くお参りとは違う、ノリや勢いではなくハッキリと意思を持った参拝だった。

なんとなく、その姿勢に好感を持った。誠実さを感じたのだ。何かこう、その願い事に対する。
だって、こんな名も知れぬ神社に願ったところで、何かが叶うなどと本気で信じているわけでもあるまい。でも願ったのだ。やっても無意味かもしれないが、そうせずにはいられなかったのだ。

きっと大事な願いなんだな、と思った。
こういう願い事が叶えばいい、と思った。

いいじゃないか、それくらい。

だって世の中には、何かもっとすごく悪いことをして私腹を肥やしたり、ズルいことをして他人を傷付けている人がいるんだろ?
まがりなりにもそいつらは世界から何の制裁も受けず、のうのうと暮らしているんだろ?
だったら、
それが許されるんだったら、こんな風に誠実に願う誰かの願い事が、奇跡みたいに何の苦労もなくサクッと叶ったっていいじゃないか。それが許されたっていいじゃないか。
そう思った。

キラリ流星群を書いたときと同じだ。
あの時も、本屋の入り口の笹に吊るされた短冊に書いてあった「努力が報われますように」という願い事を見て、この願い事が叶わなきゃ嘘だろと思ったんだった。

神社に碌な街灯はない。だから日が暮れると本は読めない。
薄暮しかない。
長い長い一日の末に訪れた、心優しく懐かしい薄暮だ。

そうしたらもう帰るしかない。
帰ってまた、同じ本の続きを読むのだ。

春とテリワン

完全に春の匂いがしていた。
小学生のころ、春の公園で友達とゲームボーイのテリワンやってた時のこと思い出した。
ドラゴンクエストモンスターズ・テリーのワンダーランド。
春の匂いは、僕にとってテリワンの匂いだ。
僕はテリワンを中古で買った。当時のゲームショップってすげーわくわくしたのを覚えてる。
スーファミもゲームボーイもプレステも、良ゲーから謎ゲーまで膨大な数があって、安いソフトを適当にジャケ買いするのは楽しかった。
僕が買ったテリワンには、セーブデータが残っていた。
消してしまうのももったいないので、最初はそのデータから遊んでみたのだ。
今ならヤバイことがわかるのだけど、当時は所見プレイで何もわからなかったので、まずパーティーにいたゴールデンゴーレムとローズバトラーを配合した。
ふゆうじゅが誕生した。
生まれた時から攻撃力が700くらいあった。
最強だと思った。
それからセーブを消して自分で冒険を始めたので、しばらく最強のモンスターはふゆうじゅだと思って生活していた。
友達には「ふゆうじゅ?なにそれ」って言われた。
プロフィール

植村

音楽とか小説が好きです。
エドモントンというバンドをやってます。
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