2008年09月03日

イノベーションのジレンマ

いっせいが面白いこと書いてたので自分のViewを。

標準化すると、サポートする環境が充実して、その環境の恩恵を受けられる。また準拠したものが増えることで乗り換えが容易になる。それらのスパイラルとして競争原理で質の向上も見込めるので、いいことだらけ。

いちばん最後の競争原理のところが自分はDoubt。
というのはデファクトスタンダードとなると、いっせいが書いているように周囲の環境が充実してくる。逆に変えるためには対応しなくちゃいけない多くのことが出てくる。
そうするとそのあと出てきたものが単体ではより優れているかもしれないけど、スイッチングコストの関係でなかなか採用されない。たとえばWindowsから「ただ優れている」という理由でMacに全てが変わるかというと、少なくとも企業ではないでしょう。
だから結果としてイノベーションは減衰していくと思う。

最近それが大きく変わったのがゲーム。ゲームは各世代で一番の勝者が決まって、そこのソフトが売れる。ファミコン→スーファミ→PS→PS2→Wiiと来ているわけです。
ここで面白いのがPS→PS2は互換性がある、そしてそのときはGame Cubeとか同じゲームという枠組みで勝負していたように見える。一方でPS2→Wiiは互換性がない。よく言われていることですが、今までのゲーマーの軸(高精細画像とか)から外れたところで勝負したから取って代わった。
多分スティッキーなものに対しては別な価値観提示するのが一番の戦略なんだろうな。
ここらへんのことはイノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
に詳しく書いてありますが。。。

ちなみにデファクト抑えたあとの成長、っていう意味ではWintelでもIntelとM$は大分違います。株価チャート、この二つを比較すると面白いよ。この違いを生んだのは何でしょう?
Intel and MS
ただそろそろM$って成長しなくなるんじゃないかなと思っています。というのはPCってもうツールになってしまって、いまやりたいことをやるためには新しくしないでも大体の人にとっては十分だから。昔はメモリが足りないとか遅いとかPC自体の成長を欲することはあっても、最近はあまりないのでは?だから以前よりもPCの交換サイクルが長くなって、OSのバージョンアップサイクルも「必要性」という観点では長くなって然るべき。「皆で新しいOS出たらそっちに買えよう、それが当たり前!」という空気が崩れて、PCの数の成長が終わったときが成長の終わり。
PCはツールとなったときに、ツールを使って求めていくのがWeb上にあるコンテンツ。どこからでも同じ作業を実現したいとかとなってくると、今PCに入っている機能がWebに移っていく。Google Apsとかはそれの典型。そうするとOSに依存しなくなるから極端な話、OSなんていうものを誰も気にしなくなる。
そうなるかはわからないけど、おそらくこれがGoogleが狙っているシナリオなんでしょうし、M$が避けたいシナリオなんでしょう。
もし成功すれば別基準の提示、パラダイムシフト。

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2008年07月27日

最後の授業

ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ぜひ見てください、本当にお勧め。

最後の授業

色々心を動かされることはありますが、Key take aways。
・楽しむ、仲良くする
・やりたいことをあきらめない
・誠実に生きる
・お互いのいいところを生かしあい、助け合う
・指摘してくれる友を大切にする
・ユーモアを大切にする
・やったことを死の淵で後悔することはなくても、やらなかったことは後悔する

技術の発展というのは本当に素晴らしい。今までは情報が閉じていたゆえに広がることができなかったものが、どんどん広がることができて広くに影響を与えられる世界になってきている。



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2008年07月20日

Review: 20-July

久しぶりの日記。

ちょっといいサービス
最近ふと感じたり、見かけたいいサービス。
・美容室で200mlのお茶パックを出しているのを見かけた
・レストランで食事したあとにお会計が終わって店を出たら、下りエレベータを用意してくれていた
・ホテルに泊まったら読書コーナーやちょっとしたお菓子があった
どれもコストがすごいかかるものでもない、でもあると新鮮だったり気持ちが嬉しくなること。例えばサービスチャージとか取るよりも、それを含めた値段にして「このサービスいいな」と利用者に思ってもらえるサービス、ファンになってもらえるサービスをしたほうが、結果としていいのではないのかと思う今日この頃。
それって結局利用者目線の話だったり、マインドセットの問題だったり、いかにそういう考え方・気持ちを作っていくかという雰囲気作りに行き着くのかな。
同時に思うのが、サービスって結局人と人との関係。だからサービスして良かったと思えるようなサービスの受け手になりたいなと思う。日々精進。

20代でできる事
お酒飲んだり夜出歩いたりお金を一杯使ったり、昔は大人じゃないとできないことというのが色々自分が考える中で数として多かった。でもこの歳になると逆に若い間しかできないことの数のほうが自分の思考の中で増えてきている気がする。
学生の間は、社会のシステムとしてある程度満遍なくその歳でないと経験できないことを経験させる仕組みとなっている。それ以上やることももちろん可能だけど、でも「学生であること」をこなしているだけでもある程度の刺激を受けることができ、腹八分目くらいにはなるのかもしれない。
一方で、社会に出てから思うのは最初のしばらくは新しい経験だけど、その後は自分で切り開いていかなければ刺激がどんどん減っていく。感動が薄くなったり、人や環境の変化が少なくなったり、安定を求めたり。そしてその間に年齢があがっていくということが起こって、選べるオプションが過去に経験していることからしか導くことができず、新しいオプションを選べなくなったり。
まだ20代のうちは、リスクが限定されているにもかかわらずある程度オプションがあるのかなというのが最近の観察からくる自分の直感。転職してそろそろ1年、30代まであと4年。この4年をどう使って生きたいのか、最近考え中。
動いている世界のど真ん中にいるから、刺激はあるし、楽しんでいる。でも今やっていることへ戻るビザはある気がする一方で、若いうちにしかできないことがどこかにあって、それをつかまないうちに歳を重ねているんじゃないかという怖さもある。

MBAの意義
そういうことを考えている中で、一つのオプションとしてMBAとかも考えている。
お付き合いさせていただいている証券会社の営業マンでMBAホルダーの方に取って何が良かったかと聞いたのだが二つおっしゃってくれた。それを自分なりに解釈するとこんな感じ。
一つは日本で働いていると日本が視野の基準になるけど、色々なバックグランドを持っている人と勉強する中で価値観ややり方、仕組みなど他の国でどう行われているのかがにじみ出てくるから視野が広がる。働いている場所が日本なのだから、日本という基準を忘れてはいけない。だけど、広い視野から日本を見ることで、また適用できることがあるかもしれない。
もう一つは、利害関係がない人たちと一生懸命に何かを成し遂げるというプロセスから得られる信頼、絆。それがあるからこそお互いにフィードバックできる関係になるし、その関係が人生の肥料、水となっていく。

Tangible Value
翻って自分の現在の仕事のことを考えてみる。
前の仕事で満たされなかった好奇心、今はとても満たされている。世の中や会社の仕組みを学んだり、あとそれに対する人々の期待や不安をマーケットみることで肌で感じている。
その一方で仕事が変わって感じるのは、自分は何か目に見える価値を出すことが好きなんだということ。なにか皆でやったり、タイムラインが迫っている中で異様なテンションで普段はできないようなパフォーマンスを皆が出す、そしてやりきって結果が出た瞬間にとてつもない快感を感じる。
どの株を買うべきかという決断とその結果どれだけ儲かったかというのは確かに明確な数字になってくる。情報の共有もしているからチームワークも必要だと思う。ただ、ゴールがなく(あえて言うなら常にパフォーマンスを出すというゴールが常にある)、また結局マーケット次第でチームワークがどんなに良くても勝てるわけではない。年金資産を預かって、もっと言えば人様の老後の資産を預かっているわけだから、自分のお金を運用するよりもはるかに責任は重い。
ただ一般に考えられる責任の重さや数字の明確さ、それが必ずしも自分の純粋なところでのやりがいとか達成感に対してすごい重要なファクターかというとそうではない模様。そもそも責任に重い・軽いとかっていうのは結構嫌いで責任を与えられたのであればそれはどんなことであっても達成しなくてはいけないこと。昔の日記で書いてあって自分でびっくりしたのだけど、それはAdd ValueではなくてProvide Valueという給料の対価としてしなくちゃいけないこと。
楽しい人生を送るためには原資が必要。なので給料が責任に比例していると考えるのであれば、ある程度の給料が必要なので、ある程度の責任は重要だと思う。ただ、給料は楽しい人生を送るための手段でしかなくて、やはりある一定満たされればよい。
自分がやったことの結果は運用成績という明確な形で自分には見える。でもそれが明確な形で受益者にどういうメリットが出ているのか、感情を感じるものではない。多分そこらへんがTangibleに見えないところが、自分が満ち足りていないと感じている部分なんだろうと思っている。

株式市場の意義
ただ、株式市場というものは本当に興味深いものでそこに仕事として関われていることは本当に幸せだと感じている。
投資と投機、その区分けは難しい。でもそれら全てが混在しているのが市場。リスクがあるからこそ対価の平均値が大きく、かつ仕事としてやっているのだからその平均値を超えることが責任。そのために投機にのらなくちゃいけないという部分も仕事の一部かもしれないけど、やっぱり投機より投資のほうがリスクリターンのバランスがいいと信じたい。
そんな両面を知れるお勧めはこの二つ。
「相場に勝つ」株の格言 (日経ビジネス人文庫)

株式市場は現在進行形


理想状態
このキモい言葉を使うのは久しぶりですが、KESSで学んだことは未だに血となり肉となり、自分の中に根付いているようです。
悩むからこそ、やすひろフォーマットを参考にちょっと書き出してみよう。

<理想状態>
『自分が幸せに、周りを幸せに、自分たちを構造的に幸せに』
・自分が幸せと感じるから、周りを幸せにできる
・周りが幸せと感じるから、自分はもっと幸せになれる
・互いにWin-Winであるから、輪が広がって「自分たち」が幸せになっていく
・構造があることで、持続的に幸せになれる

<幸せって?>
・感謝されること、必要とされること、信頼されること
・構造・本質を考えること、好奇心を刺激されること、学ぶこと、理解すること、人と議論すること
・切磋琢磨、異なる人・文化・バックグランド、互いに良い点を引き出しながら成長すること
・ポジティブになれること、ウキウキすること

<必要なことは?>
・平等性、オープン、公平、行動、責任や期待に対する結果、原理原則
・情報の摂取、咀嚼、発信のサイクル
・Give and Given、刺激を与えもらう、自主性、自発性、魅力ある人になる
・楽しむ

<興味がある分野>
・教育
・技術
・投資
・日本と世界の間

まだ肉付いていないけど、育てていこう。


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2008年05月09日

Review: 9-May

色々凹んでいますが、ボチボチやっています。

リストラ
チームのリストラがあり、自分は生存したけど、やはりきつい。
こういう業界に入ったから、そういう覚悟はしていたし、その話があったときも「来たか」という感覚だった。だけど実際に人がいなくなると、すごい寂しい。パフォーマンスを出すための新陳代謝は必要な一方で、皮膚を無理やり剥いたらもちろん壮絶に痛い。あらためて、パフォーマンスありきということを痛感。それは自分はもちろん、チーム全体として。チーム全体としてポジティブな結果を出せていなければ、自分たちの運命を自分たちで舵を取る権利さえも得られない。辛いし、分かっていたことだけど、二度と味わいたくない辛さ。これを忘れないように。
色々な責任をさらに持つようになって、それをチャンスだと自分に言い聞かせる。それが自分の本心でないことは分かっているし、そして騙そうとしていることも分かっているし、騙せていないことも分かっているんだけど、でもまずはそうやって騙し騙しやっていきます。

脳・歳・Debate・好奇心
脳みその衰えを感じるようになったのは大学生になってからだろうか、いかんせん覚えられなくなっている。それ以来寄る年波に勝てず、日々退化を痛感する毎日。
そんな中、GW中に脳に関する番組を茂木健一郎がやっていたのを見て(録画なので放映は前だが。。。)、一縷の希望を見出す。曰く、口に出すという作業は海馬を通して大脳に刻み付けるという作業を促進するらしい。。。
そんな中思ったのが、これってDebateの時にやっていたことじゃんということ。本を読んで、気になる記事を一字一句まず日本語でパソコンに打ち込み、その後英訳、そして読み練習。それだけ入出力の刺激を脳に与えればそりゃ色々覚えるはず。改めて、Debateのときにやっていたことの方法論のすごさを実感。
あと、もう一つ脳に関して。新卒が隣のチームに入っていて、ますます寄る年波を実感する日々ではあるのだが、ずっと仲良くしていただいている高校のときの予備校の先生のときと話していて、好奇心を抱いていることが若さの秘訣なのではという結論に。これも脳科学とある程度一致していて、外界の情報を刺激として捕らえているうちはどんどん脳みそに刺激を与えていくから、少なくとも退化をやらないよりは食い止めることができる。一方でもし外界からの情報に対して何も感じずにそのままやり過ごしてしまえば、何もかもが新鮮に見える子供に比べれば、無論のこと脳みそは細胞学的な退化ということに輪をかけて加速度的に退化していく。
好奇心を持って、脳みそに刺激を与えて生きたい。

集中力
GW中、KESS友達とアスレチックに行って、子供に混じって本気でアスレチックをしようと思っていたのだが、あいにくの天気で結局ボーリング・ダーツ・焼肉という具合に。
自分の中では結構いいスコアがどちらでも出たのだけど、不思議と気持ちが良かったのはスコアよりも自分の脳みそ。なんというか集中したいところで集中力のピークを出す、っていうコントロールができていたこと。集中力にも色々なものがあって、一瞬、10分くらい、1時間くらいとそれぞれ求められる質が違う気がする。一瞬は大分できるようになっている気がするのだけど、10分とか1時間とか、そういうのはまだ。考えてみると小さいときはそれこそすぐに物事に集中して、そして集中しているときは長時間他のことが全く目にも耳にも入らなかった気がする。昔できたのに、今できないことって結構あるものだ。



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2008年03月30日

Review: 30-Mar

大分間を空けてしまった。自分の記録のためにやっていることだから、あとで振り返れなくなってしまうから、ある程度周期的にやらなくては。反省反省。


土日に合計三箇所でお花見。日本って四季があって本当にいいなと思うけど、その中でも一番やっぱりいい季節なんだなと実感する季節。
特に日本では春は色々なことの始まりの季節。ふと気がつけば働き始めて三年で、明後日には四年目になる。金曜日には明後日から働き始める後輩と、ちょうど就職活動を終えた後輩とご飯。土曜日は奥さんと、日曜日は友達とお花見。
働き始める前に持っていた志とか、自分がこれまでやってきた環境、今いる環境、そのときには新鮮で感謝をもって接していたことを、当たり前と勘違いしていた自分を反省。色々なことに気づき、考えさせられ、反省するいいきっかけとなった。

日々を楽しく過ごすこと、当たり前に過ごすこと
ここ4年間くらいで、多分自分は色々なことをPositiveに見ることができるようになって、そのおかげで昔も楽しかったけど、もっと素直に生きるということを楽しめるようになったのかなと思う。ただそれは友達の言葉を借りるのであれば「アンテナを鈍く」した結果。
ただその一方で、アンテナが鋭かったゆえに、強迫観念的に自分を推し進めてきた負けないこと、がんばること、怒ること、熱中すること、そういう昔出来ていたことが徐々にできなくなってきていて、薄々気がついていたけど、楽しく過ごせるようになったというのを免罪符に、自分の心の中の違和感をごまかしていた。
そして楽しいと思っているうちに、その楽しさが当たり前となっていき、楽しさの源泉となっているものや、昔あった楽しさの源泉を忘れてしまっていた。
気づいたら今まで自分を自分たらしめていた多くのものを忘れ、ある意味では成長したけど、ある意味では退化し、トータルではどうなのか分からない状態になっていた。

ごまかし
ごまかしていたのは、何かを達成するために苦しいことに向き合ったりすること。その結果として出てきた結果に自分ですっきり感じなかったり。特に、がんばることと苦しいことに向き合うことというのは別で、ゴールセッティングも自分をがんばらせることがメインになってきて、その設定がそもそもなぜ十分なのかとか、そういう視点から外れてきた。だからゴールを達成できても、それが満足感につながらず、満足感につながっていないことが自分の中で分かっていても、でもゴールは達成しているというトートロジー的な言い訳が整理してしまうセッティングになっていたり。
むろんそれは自分の心の違和感に対する答えにはならなくて、結局自分が本当に正しいと思うゴールを設定して、それに向かって愚直に実行しつつ、常にゴール修正を行っていくっていうサイクルを正直にやるしかないんだよね。

両立とその礎
それと同時に、色々なことをPositiveに捉えられるようになったというのは失いたくないこと。だから、いかにしてそれを両立させていくか、そこをもっと掘り下げるのがしなくちゃいけないこと。
そして自分のことなのに、自分で気づけなかったこれらのことを気づかせてくれたのは自分の周りにいる大事な人たち。大事な人たちなんだから大切にしないといけないし、関係をより充実させていくために努力を忘れず、当たり前と思わず、常にマメに注いでいくこと。
それを気がつかせてくれた皆様(この週末話した人も話してない人も)、ありがとうございます。

言葉の力
最近読んでいる本をいくつか紹介、そしておそらく自分が今捜し求めている答えもあることを期待して。
つながるテーマは、色々な経験をした人の言葉が載っていること。それらは楽天的・Positiveである一方、細部にまで精緻だったり心配性だったり。

ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く!
カンブリア宮殿 村上龍×経済人
プロ論。 情熱探訪編 (徳間文庫 ひ 21-1)


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2008年01月12日

Review: 12-Jan

最近思ったこと、考えたこと。

消費する構造
ハワイで思ったこと。それはアメリカという国には『消費する構造がある』ということ。(アメリカという国というよりは、拡張していけば先進国全般なのかもしれないけど…)
借りたレンタカーが大きくて面倒くさいと乗り始めは感じていたら(サイズとしては選べる中で一番小さいくらいのだったのに)、周りに日本だったら目を引くような大きなSUVとかが一杯走っているから、そのうちあまり大きく感じなくなったところから始まった。
食事をしていても、一人分でこれだけの量かよ!というような量が出てくるのは想定内だけど、でもやっぱりそういう量が出てくる。
そしてモールに行くと、日本の倍とかありそうな冷蔵庫とかが整然と売られている。食料品も肉100グラムとか200ぐらむなんて分量は打っているはずもなく、どでかいパックばかり。テレビを見ていても、ただでさえ家とか大きいはずなのに「みんなものが一杯でスペースが足りないんじゃないかい?でも大丈夫、この物置小屋だったらばなんでも保存できちゃう、さぁ皆今すぐフリーダイヤルだ!」というようなCMを大量にやっている。
ようは社会全体が大量に消費するように最適化されている。一杯買って一気に運んで大量に貯蔵できてて一杯食べる。これを消費とグルーピングすれば、消費をするために稼ぐというインセンティブが働く。一方で消費が増えることで儲かる人がいる。だから儲かる⇔消費するというループ構造がもう社会に埋め込まれている。おそらく価値観としても『大きいこと(大量に使うこと)は良いことだ』というか規模の経済に対する絶対肯定性というかも表面的にも潜在的にも埋め込まれている感じ。だから大量消費に対して個人個人のレベルで違和感を抱かないのも自然なのだろう。
逆も真で、消費しない⇔儲からない。規模の経済を追求するように最適化されているから、一旦ループが逆方向に戻ると設備過剰に陥って、儲からなくなって強烈なバックラッシュを食らう。
クレジットカード社会(らしい)だから、消費に対して麻痺していく。特にカード会社としては儲けたいから好況時にはゆるゆるだろうし、逆に不況時にはしっかり取り立てなくちゃいけない。払えなくなってクレジットポイントが落ちればその人の消費にいきなり強烈なストップがかかる。それがマクロレベルでかかれば強烈なバックラッシュになるんだろうなぁと思ったり。
休暇中にちょっとケインジアンとかを勉強して、そしてそういう視点で消費や経済をみると面白い。

マクロ・ミクロ・平等性
物事を考えるときにMECEできると簡単に把握できる。でも正しくポイントを抽出する、MECEするためには何度も試行錯誤が必要。それは多分ミクロレベルを考えて、ミクロから賢い人間の脳が共通点とか相違点を抽出していくうちにまとまっていくのだろう。
そこからマクロにいったとしても、でも「そのマクロ」は「さらにでかいマクロ」の中ではミクロ。そうするとその「さらにでかいマクロ」を完全な形にするためには「他のマクロ」を描く必要があって、そのためにはもう一度そのためのミクロを考える必要がある。
こういう部分部分が無限にあるし、その中で互いに影響しあう部分があるから一貫したロジックを構築することは不可能。そうすると一部のマクロを絞って考える必要がある。でも人間は自分が考えたこと、知っている情報が実は全体のわずかでしかなくても偏って信頼する傾向がある。結果として本来あるべきマクロの形から歪んだものになってしまうことがすごい多い。
平等に見ないことにはキーとなるポイントを完全に正確につかめないし、でも全てを平等に見ることは物理的に不可能。多分そこでキーとなるポイントをある程度のレベルで正確にすばやくつかめることが勘・感覚・経験なのかなぁ。
どうやったらそういう感覚を養成できるのだろう。

引っ張る、デンと構える、包み込む、つなぐ
リーダーシップの話。
例えばもう全てを指示してめちゃくちゃ厳しいトップダウンで進めていく「引っ張る」タイプのリーダーもいる。とりあえず部下にまかせておいて、問題があるときだけほいきたと出て行く「デンと構える」タイプのリーダーもいる。その中間にある程度指針は出すけれども基本的には任せておいて管理をメインでやるような「包み込む」タイプのリーダーもいるだろうし、その人自身は特定の意見を最初には持たず色々な人をつないでいって総意を作っていくような「つなぐ」タイプのリーダーもいるだろう。
多分そのリーダーがどういう組織の中のリーダーで、他人にどう認識されていて、本人の価値観・感覚に無理なくフィットするのがどのスタイルなのかでどれが一番適しているのかという部分でどういう形をとるべき、もしくはどういう人がリーダーになるべきというのは変わってくるのでしょう。
でも本人の価値観・感覚というのはそう簡単に変わるものではないし、組織を作っているのは人だから他人にどう認識されているのかという部分もあまり変えられない。そうすると結局そのリーダーシップの形にあう組織を選ぶか(先に組織ありき、その中にあてはまるリーダーを選ぶ)、リーダーシップの形に合う組織を作るか(リーダーありき、そのリーダーがやりやすいように組織を作ったり変えたりする)のどちらかなんだろうなと思ったり。
ただちゃんと機能しているリーダーシップの元では、リーダーシップの形にかかわらずリーダーが信頼されているのだろう。だから独裁的で厳しくてもついていくし、任されたら期待を裏切らないようにがんばろうと思ったり、失敗してもなんとかしてくれるという安心感があるからリスクを取れる。
コンスタントに成果を出せる組織というのは決まったリーダーシップの形・文化があるし、それも時代に応じてしなやかに変わっていくし、次のリーダーを育てていく土壌がある。逆にコンスタントに出せない組織は個人頼みで、いいリーダーのときだけ結果が出たり、もしくは大きい組織の中では一部の恵まれたところだけ結果が出たりする。ただ、結局それは個人頼みで組織のプロセスとして組み込まれていないから、安定性がないものになってしまう。
あ、別に何かあったわけじゃなくて本を読んだりしているうちに気づいたことのメモですので。。。

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2008年01月03日

あけましておめでとうございます

ちょっと遅くなりましたが。。。あけましておめでとうございます!本年もよろしくお願いいたします。

2006年は『成長を実感できた年』(こういうとき、Blogに記録を残してあるっていいね!)だったらしい。あと、人生の大方針として『胸を晴れる人生を過ごしたい』というのがクリアーになったらしい。

2007年、それを形にできたのかなと思います。そして形になったという意味で自分の今後の人生の中でとても大きな位置を占めていくであろう二つのことが起こった年でした。
2006年に成長し撒いた種が形となって結実していって成果が出るようになり自信がつき、そして自分の人生の中で仕事がどういう位置づけなのか、仕事に何を求めるのかがクリアーになった。
その結果として転職という第一のイベントが発生。自分が仕事で求めることは好奇心の追求、ワークライフバランス、そしてそれが結果として人生の価値観として『胸を晴れる人生』につながるということ。転職した投資顧問という仕事はそれらを満たすのに、少なくとも現時点では、最高の環境に思える。預からせていただいているお金を運用することで、色々調べるという自分の好奇心を満たせ、お金をよりよい未来へつながる会社へ投資できれば社会に還元でき、また預からせていただいている方にもキャピタルゲインとしてプラスな結果を返すことができる。もちろんやっていく上でいいことばかりではないだろうけど、でも仕事の本質の部分として自分が求めているものにぴったりはまる仕事に出会えたと心から思っている
そして出会い。もう大分伝えたかと思いますが、2008年の早い時期に結婚することとなりました。一緒に楽しみと苦しみを共有して、楽しいことはより楽しく、つらいことはすこしでも少なく、一生過ごして生きたいなと思えるパートナーと出会えたことは、本当に自分のこれからの人生に大きいものだと思っています。関係というのは放置しておいて醸成されるものではなくメンテナンスしてより良くしていくもの。これからさらに醸成していきたいと思っています。

年の最後に皆で鬼ごっこをして、飲んで、お祝いしてもらって、本当に多くの方の支え・優しさ・暖かさに囲まれて生活しているんだなと実感した一年でした。本当にありがとうございます。
人生にとてもポジティブなイベントが二つあって、人生をとてもポジティブに捉えられた一年、支えていただいた多くの方に還元できるように成長していければと思っています。


では2008年どんな年にしたいか。
大きな変化が二つあった後の一年、その環境の中でリズムを作っていく。仕事を覚えて一人で回せるようになって、今まで違った環境で育ってきた二人で新しい自分たちの生活のペースを作っていく、そんな一年にできればいいなと思っています。
新しいことが多くてまだ具体的にはできていないけれども、2009年の目標にしっかり具体的なことが書けるように成長していければと思います。やりたいこと、やらなくちゃいけないことは一杯あるけど、でもあせらず地道に、しっかりとした土台を築く年にします!




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2007年12月09日

Review: 9-Dec

大分間を空けてしまった。
無事三ヶ月を突破した模様です。前の会社にいた最初の三ヶ月と同じ感じで「無我夢中」な三ヶ月だったのかなと。ただ前は思っていた社会人・会社というものと実際のギャップに戸惑っていた部分が多かったのに対して、今回は学ばなくちゃいけないことが多かった三ヶ月。
次の三ヶ月、骨身にしっかり染み込ませて、効率的に物事をやっていけるようにしていきたいものです。理解していくことと効率性の追求を行き来する感じでがんばっていこう。(何か書いておかないと自分の備忘録にならないので)

スープ
最近はまっているのがスープ。全く自炊する癖がなくなっていたのですが、新しい仕事始めてから前に比べたら家で朝食食べたり、帰ってきてから料理するようにしている。
夏は讃岐うどん(冷凍の麺をお湯の中に一分、あとは納豆・キムチを刻んだものをのっけたりとかお手軽美味しい)とか、秋は一人暮らしの王道炒め物(大体豚肉とたまねぎと茄子)。そして最近は野菜スープです。
たまねぎ、にんじん、じゃがいも二つくらいを買ってきてピーラーでさっと皮むいて鍋に入れる。お水を具が浸るくらいに入れて沸かして、沸かし終わったところでコンソメ二欠けくらい、あとソーセージとか水炊き用鶏肉を投入。あとはグツグツ煮込むだけ。30分も煮込めば十分美味しいけど、もっと煮込んでも全く問題ない。
野菜不足気味な方はおすすめ!

育ってきた環境
ふとしたことで育ってきた環境ってすごい常識・基準に影響を与えるのだなぁと最近良く思う。例えば自分はマメだと大学に入るまで思ったことがほとんどなかった。でも大学で委員改選の自己分析とかでマメと言われたり、会社で仕事をしていて言われたりとか。
なんで思えないかというと、我が家の中で自分が圧倒的にマメではないから。ただその我が家の人たちのマメさが異常であって、自分は世間一般ではそこそこマメなほうなのかもしれない。
仕事をするときとか、なんでこんなことも通じないんだろう、と思うことは前よくあったけど、家族の違いだけでこれだけ差があるのだから、国や文化が違えば尚のこと。そういう違いを違いとして受け止めて、でも良い方向にEnergizeできていくのが大人な人なのでしょう。目指せ、大人な人。

理系とは
書きたかったメインのテーマ、「理系ってなんでしょう?科学ってなんでしょう?」
タミコのBlogに書かれていてちょっと自分がずっと考えていたことを反芻してみた。

〕系は好奇心が重要
何か事象を見たときなんでだろうって思う気持ちがなければ観察ができないし、観察できなければ法則や解決策を探すことができない。
覚えるのが嫌いな人って結構理系に多いのもこれがあるかなと思います。好奇心が強いから覚えることより新しい物事に興味を持ってしまう。

具象⇔仮説⇔抽象
おそらく具象から仮説を元に抽象を検証し、その抽象をまた具象に戻すという作業をしている。それが事象の解明であれば理学だし、問題の解決であれば工学。

社会科学
経済学・経営学は事実に基づいて事象を解明したり問題を解決するという意味では完全に理系。
世の中に解決すべき問題や分からないことはいくらでもあって、それも人間という変化する存在がいるからすごい面白い科学だと自分は思っていて、ディベートだったり今の投資顧問という仕事がとてつもなく面白いのはそれゆえ。
ただ、残念なことに上記の定義での理系(事実に基づいて解明・解決)という認識が特に日本だと定着していない。でももっと科学して合理的な結論を出していかないと、検証に基づかない行き当たりばったりの社会運営になってしまうのではないかというのが懸念。

ざ軌
やっぱり行き着くところは教育。歴史はすごい重要、でもそれは覚えることじゃなくて過去の失敗・成功から抽出することが意義。
なのに学校では「AとBという歴史的事件での共通性、現在への適用性」などということは全く考えた記憶がない。そうすると覚えることが嫌いな好奇心が強い人は、世間で文系と認識されている分野への絶対量として供給が減っていくわけで。。。よろしくない!

ネ系人数の減少
ニュースで理系進学者の人数減少というのを聞く、そしてすごい残念だなぁと思う。というか好奇心を追求したいという絶対人数の減少が残念。
文系・理系というカテゴリーに関係なく、好奇心をもって色々調べたりやってみたりすることが楽しいと思うし、そういう試行錯誤があって世の中が少しずつ良くなっていくと思う。でもそうではなくてすでに豊かな国だから何もしないでレールにのってもある程度の生活はできる。もし社会全体がそうなってしまってイノベーションがなくなってしまったら未来はないのだろうなぁ。
国として豊かさとしてはある一定の水準に来てしまった以上、もっと充実した生活ってなんだろうとか、どういう生活が楽しいかとか、それをするためにはどういうことをすればいいのか、そういうことを考えさせる教育にしていかないといけないのかなぁと思う。
逆にどうやったらより楽しい生活ができるだろう、と考えていく中でイノベーションとか生活がドキドキするようなものもでてくるのかな。多分それは昔のソニーにあったもので、今のアップルにあるもの。同じものを使うんでも、ドキドキを提供できるか否か、それってすごい重要。

以上、雑多な記録でした。



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2007年11月04日

Review: 4-Nov

入社して二ヶ月、二ヶ月前は「安西先生、仕事がしたいです」と言っていましたが予想通り「安西先生、休暇がほしいです」モードに(失笑)
別に死にそうには全くなっていないけど、大分疲れはたまっているようなので今週末はゆっくりしていました。

分からないことが分かる
最初は何も知らなかったけれど、二ヶ月経ってくると分かってくることもある。そして分かってくることが増えるほど、自分がどれだけ分かっていないかということが分かる。
例えば見方が浅かったり、別の見方を以前二つ教わったうち一つの方向でしか見えていなくて自分の見方に固執していたり。バランスよく物事を見れるには訓練が必要。。。

福澤杯
Questionerなるものをやらせていただきました。卒業してからもディベートのジャッジだったりさせてもらったけど久しぶりのKESSマネージを見て、あーそうだったと思い出すこと一杯。
久しぶりのエールを見たり、久しぶりに若き血歌ったり楽しかった!でもその直後に疲れを感じてしまうあたりに年も感じました(汗)
実行委員の方々は本当にありがとうございました、そしてお疲れ様でした。そしてクロージングで言った事(やっぱり日本語は事象!?色々自分でも悩んだ結果なので許してやってください。。。)が何かしら伝わってくれていればこれ以上幸せなことはないです。変えることを怖がっちゃいけないし、でも全力でやってもらいたいし、何で変えるのかという目的の部分、原理原則を大事にしてください。(別に福澤に限った話では全くないのですが。。。)

がんばること、バランスをとること
ちょっと福澤で一つ思ったことが最近自分必死になっているのかなということ。バランスとることはすごい大事なのだけれども、でもやっぱり心の底からもっとがんばったりしなくていいのか、どこまでがんばるべきなのか、ということ。
限界なんて作っちゃいけない、というのも事実な一方、限界があるのも事実。現状の自分はバランスとることに偏りすぎていて、自分に甘くなっている気がすごい最近する。厳しくしても自分がちゃんと自覚していれば視野のバランスは取れるのだろうか。
どこら辺が自分が負っている責任から考えて十分な匙加減で、自分自身にとって適切な匙加減なのか。答えがあるものでもないのだけど、ちょっと最近考えていることを備忘録代わりにメモっておこう。



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2007年10月15日

ちょっとした思いやり

週末にディズニーランド、もといディズニーリゾートへ。

本当に久しぶりだったのだけど、サービスにすごい感動。
・ともかく綺麗。風景に関しては後述するが、そういう意味ではなくて清掃が行き届いているということ。
・パークの中から外の景色が見えない。現実離れした世界に現実を入れると一気に興ざめしてしまうが、そうならない工夫がされている。非現実的な世界を当たり前のような空間に錯覚させることを徹底している。
・値段設定がにくい。例えばレストランとか中で食べるしかないのだからもっと高くすることもできるけど、そうじゃなくしてまた来てもいいと思える値段にする。あとはポップコーン入れが1000円だったら買う気がなくなるが、800円に設定してストラップ付きのを1000円にすることで、結果的に200円の差だったら持ちやすさとか考えてストラップ付きのを買ってもいいかなと思わせる。ストラップ付きのを売らないで全部1000円だったらあんなに売れるかな?
・ファストパスの仕組み。流量コントロールもできるっていう運営メリットもあると思うが、やっぱり効率的に回れると気持ちがいいのでストレスフリー。絶対量が決まっているから待たざるを得ないけど、別に列に並んで待ってもらう必要はなくて、その間カフェにいたりするほうがゲストも気持ちいいし、キャッシュも落ちるから運営上もいい。あと長い列が並んでいるより見た目も良いし。

残念だったのは、喫煙場所が部屋になっていなくてあたりにタバコのにおいが漂ってしまっていたこと。
他が完璧なだけに特に気になってしまったというのはあるけれども、でもやっぱり子供とかが一杯来る場所だからそういうことは気をつけてもらいたいかなぁと思った。
最近の禁煙化とかの流れに乗っていない気がして、ちょっと残念。

帰ってきて会社の中期計画とか株価を見てしまうのは職業病。
ここしばらく凹み気味だったのだけど、やっぱり今の仕事を楽しそうと思ったのは世の中に対する好奇心だったし、実際に行ってみてこう調べると楽しい。
そんなことを思い出せたのがすごい嬉しいし、またがんばろうという気持ちに!

と、そんなところからちょっと一つ思ったことがあったのでDebateネタで一つ。
前からジャッジインビテをもらうたびに、一つ不思議に思っていたことがあります。なんでインビテメールを送信できるのに、返信フォーマットに「お名前」や「メールアドレス」があるんだろう?
もちろんジャッジをする側はお金をもらう側だから文句を言うわけではないのだけど。。。ただ現状としてジャッジが一杯有り余っているという状態ではないというのが認識。
そんな中で大会運営者は大会参加者からお金をもらっているわけで、それに対する責任はしっかり運営すること。その一つの要件としてジャッジをちゃんと集めることがある。
できる限り集めるために「面倒くさい」と思われることを一つでも少なくしたりするのって必要なことだし、それ以上に思いやりなのではと思う。ジャッジ側としても現役の方、運営される方への思いやりってすごい重要(だから、OBだからって何をやってもいいというものではまったくない)。同時に運営される方も、気持ちよくジャッジに来たいなとかやってもいいかなと思ってもらえる工夫をするのも重要ではないかな。
お互い気持ちよくやれることほど楽しいことはないし、そのために必要なのはかしこまったメールの文面ではなくて、失礼にならない程度に丁寧で、必要以上のことをやらないことじゃないのかな。

日程とかの部分に関してフォーマットがあるのは、ないと必要最小限のことさえも書いてもらえずにメールのやり取りが必要だったりとか分からなくもないのだけど、メアドとかは変更があったら。。。っていう形にすればいいだろうし。
ちょっとどのインビテを見ても同じ内容があったので、書いてみました〜。

jun_beko at 00:12|PermalinkComments(2)TrackBack(0) days | debate