筆者の青春時代のスーパースターであり、アンチヒーローでもあったディエゴ・アルマンド・マラドーナ御大が亡くなってしまったニュースはヨハン・クライフ様が亡くなってしまった時と同等、若しくはそれ以上の衝撃がありました・・・・
今回は訃報を聞いた直後に書き殴った記事に加え、過去に御大について書いた記事をかさねてみます^_^
(亡くなった直後に書き殴った記事)
久々の投稿と相成ってしまいましたが、筆者にとって衝撃的なニュースがあり、キーボードをたたいている次第です。
「11月25日。我らがディエゴ・マラドーナ御大ご逝去!」
サッカー界の偉大なるアイコンであり、筆者にとってはこれまでスーパースターと呼ばれている御仁、例えばペレ氏、クライフ様と言った現役時代をオンタイムで感じていなかった方達とは違い、オンタイムで初めて触れたスーパースターでした。
筆者がサッカーを始めた小学校4年生(1981年)当時のサッカー仲間の話題といえば、ダイヤモンドサッカーにて放送される海外サッカーの話題が一番であり、夢のまた夢の存在であったW杯やヨーロッパ選手権は必見という空気があり、オンタイムで見れずとも、書籍やお金持ちが持っていたビデオデッキで録画して後で見せてもらったり、中学校の部活動顧問の先生にビデオにて録画してもらい後程皆で拝見する事となります。
試合は録画放送でしたが、試合結果など当時はオンタイムで報道されていた時代ではなかったのでワクワクしながら見ていました。
セリエAが世界最強リーグと所以される以前、外国人枠が解放され、各国のスター達が集まり始めていた1980年代初頭の世のスーパースターと言えば、ブラジル、フランス、アルゼンチン代表にて各々10番を背負っていたジーコ氏、プラティニ氏、マラドーナ御大の時代でした。
当時の日本ではクラブでの活躍より、代表での活躍の方がクローズアップされ易かった時代でしたので(ジーコ氏は82年W杯の黄金の中盤のリーダー格として、プラティニ氏は84年ヨーロッパ選手権優勝の立役者として、そしてマラドーナ御大はメキシコW杯の主役として)W杯がある度に要注目選手のうちの一人が御大だったのですが、ミラニスタな筆者がアンチな存在として認識していたのが御大であったのです。
しかし、御大の存在は凄まじいものがありました。
そんな御大が亡くなってしまいました・・・・
(過去記事2010年12月1日投稿)
先日ブロ友の「ベルント・シュスター」さんに薦められて観たDVD「マラドーナ」を一寸紹介したいと思います。
実は印象に残っている選手企画にていつかマラドーナをやろうとしていたのですが、自分のブログ運営方式が「思いつき」がベースとなっておりますので、ミランのライバルであったマラドーナの投稿が後回しになってしまってました^^良い機会と思い紹介をさせていただこうかと思いました。この映画を観て過去の記憶が次々と甦ってきました・・・・。
・・・・完全ノンフィクションで2005年~2007年位までのマラドーナに対し、カンヌ映画祭などで審査員をする映画監督のエミール・クストリッツァが密着取材し、インタビューと監督の主観を交えマラドーナの過去の映像と共に、生まれてから現在に至る「神の子」の人生を振り返るのですが、非常に破天荒です^^
私も触り程度は知っていましたが、彼の人生は苦悩の連続であったのだと・・・・よ~く解かりました!!
生家を訪れるところから始まり、幼少、アルヘンティノス、ボカ~バルセロナ~ナポリそして彼を神の存在へと押し上げることになった86年W杯の対イングランド戦の2ゴール「神の手ゴール」と「5人抜きゴール」は繰り返しマラドーナの神格化の象徴として流されます。
ジョージ・W・ブッシュを公然と批判し、キューバ革命の功労者フェデル・カストロとチェ・ゲバラを愛し、彼らの肖像を身にまとっている一見「左派」とも取れる言動や行動は「強者の都合を押し付ける体制への批判」なのだと、「右派」とか「左派」と分類するものではない主張なのだとわかります。(劇中にてNATOの元事務総長のハビエル・ソラナを「スペインの社会主義野郎」となじる場面がありました^^)
また、アルゼンチン国内では「マラドーナ教」という宗教が存在し、多分キリスト教の一派として扱われているのだと思うのですが、けっしてコミカルではなく大真面目です^^信者になるための洗礼式はサッカーゴール前で
左手にて「神の手ゴール」を決めることができれば入信可能です^^ここのシーンは本当に笑えました^^繰り返しになりますが、やっている本人達は大真面目ですからね・・・・。
ナポリへの帰還は感動的でした!全盛期当時はミランのライバルチームとして覇を競った相手チームでしたので、正直好きか嫌いかと聞かれれば「嫌い」な方だったのですが、今思い出してみると、マラドーナは本当にすごかった!マラドーナの全盛期はやはりナポリ在籍時なのだと・・・・バルセロナ時代もすごかったのでしょうが、自分の中ではナポリ=マラドーナの印象は一生変わることが無いでしょう!実際ナポリではいまだヒーローとして崇められていて、ナポリで新興宗教開いたら五万と人が集まるのではないでしょうか?
でもたしかこの時過去の脱税容疑で逮捕されませんでしたっけ?
レッドスター・ベオグラードのマラカナスタジアムにも訪問します。内戦の傷跡が癒えていない状態での訪問で、マラドーナがクストリッツァ監督に「こうなった責任者は誰だ?」と聞き、クストリッツァ監督は考えに考えた末「NATOだ!」と答えたところ、先の発言につながるわけですが・・・・。マラドーナはバルセロナ時代にレッドスターと対戦していたのですね!カップウイナーズカップでしょうかね?見事なループシュートを決めていたようです。
最後はマラドーナを敬愛する人たちの集会が開催され、その中で自分を讃えている歌を自ら歌いながら伴侶としてマラドーナを支えまくった^^クラウディア婦人と子供達に囲まれ涙を流しながらエンディングになります。
しかし、これほど絵になるサッカー選手は過去現在存在しないでしょうね!
サッカーは紳士のスポーツであり、選手はジェントルマンであれ・・・・と言われておりますが、マラドーナはそういった定義の逆の住人です。
麻薬中毒になり、肥満のため心臓に負担がかかりすぎ、一時死の淵を彷徨ったこともありました。彼が未だあのような元気な姿を見せているのは「神の啓示」なのでしょうか?この映画を見た後そう思えてなりませんでした・・・・。マラドーナはアルゼンチン国内ではボカ・ジュニアーズの元選手として、W杯優勝に導いたスーパースターとして多大なる影響力を持っていましたが、以前代表監督時代にファン・ロマン・リケルメを非難してボケンセから総スカンを喰らっていたことがありました^^
でも、今でもやはり神様なんですね!
イタリアにて数々のスキャンダルにより、サッカーの第一線から完全に身を引くのですが、その原因となった「コカイン騒ぎ」は当時のイタリアサッカー協会会長のアントニオ・マタレーゼの陰謀だと叫んでおりました^^90W杯にて地元イタリア代表を破ってしまった腹いせにマラドーナとカニーヒアを貶めたと言うのです。あながち間違っていないかも知れませんよね・・・・。
サッカーの神様「ペレ」とは対照的な存在で、一時ペレとの不仲も囁かれていましたが、現在は仲直りしたようですね!代表監督のミッション遂行は失敗してしまいましたが、そこがマラドーナらしいと思います。(あのまま優勝してたら返って「らしくない」と思います。)今後も健在でいて欲しいですね!いつか日本にも来てほしいものです。
私の中では、サッキのミランの戦術に真っ向から対応できた個人で、マラドーナは「個」で「戦術」を打破できる限りなく「聖人」に近い存在でありました・・・・。
ブロ友「ベルント・シュスター」さんのブログ。ベルントさん良い映画紹介してくれてありがとうございます!diamondsoccer12のブログ
*本日の通勤車中のBGMは「Human League」の「「Crash」でした。youtube Human League "Human"
今回は訃報を聞いた直後に書き殴った記事に加え、過去に御大について書いた記事をかさねてみます^_^
(亡くなった直後に書き殴った記事)
久々の投稿と相成ってしまいましたが、筆者にとって衝撃的なニュースがあり、キーボードをたたいている次第です。
「11月25日。我らがディエゴ・マラドーナ御大ご逝去!」
サッカー界の偉大なるアイコンであり、筆者にとってはこれまでスーパースターと呼ばれている御仁、例えばペレ氏、クライフ様と言った現役時代をオンタイムで感じていなかった方達とは違い、オンタイムで初めて触れたスーパースターでした。
筆者がサッカーを始めた小学校4年生(1981年)当時のサッカー仲間の話題といえば、ダイヤモンドサッカーにて放送される海外サッカーの話題が一番であり、夢のまた夢の存在であったW杯やヨーロッパ選手権は必見という空気があり、オンタイムで見れずとも、書籍やお金持ちが持っていたビデオデッキで録画して後で見せてもらったり、中学校の部活動顧問の先生にビデオにて録画してもらい後程皆で拝見する事となります。
試合は録画放送でしたが、試合結果など当時はオンタイムで報道されていた時代ではなかったのでワクワクしながら見ていました。
セリエAが世界最強リーグと所以される以前、外国人枠が解放され、各国のスター達が集まり始めていた1980年代初頭の世のスーパースターと言えば、ブラジル、フランス、アルゼンチン代表にて各々10番を背負っていたジーコ氏、プラティニ氏、マラドーナ御大の時代でした。
当時の日本ではクラブでの活躍より、代表での活躍の方がクローズアップされ易かった時代でしたので(ジーコ氏は82年W杯の黄金の中盤のリーダー格として、プラティニ氏は84年ヨーロッパ選手権優勝の立役者として、そしてマラドーナ御大はメキシコW杯の主役として)W杯がある度に要注目選手のうちの一人が御大だったのですが、ミラニスタな筆者がアンチな存在として認識していたのが御大であったのです。
しかし、御大の存在は凄まじいものがありました。
そんな御大が亡くなってしまいました・・・・
(過去記事2010年12月1日投稿)
先日ブロ友の「ベルント・シュスター」さんに薦められて観たDVD「マラドーナ」を一寸紹介したいと思います。
実は印象に残っている選手企画にていつかマラドーナをやろうとしていたのですが、自分のブログ運営方式が「思いつき」がベースとなっておりますので、ミランのライバルであったマラドーナの投稿が後回しになってしまってました^^良い機会と思い紹介をさせていただこうかと思いました。この映画を観て過去の記憶が次々と甦ってきました・・・・。
・・・・完全ノンフィクションで2005年~2007年位までのマラドーナに対し、カンヌ映画祭などで審査員をする映画監督のエミール・クストリッツァが密着取材し、インタビューと監督の主観を交えマラドーナの過去の映像と共に、生まれてから現在に至る「神の子」の人生を振り返るのですが、非常に破天荒です^^
私も触り程度は知っていましたが、彼の人生は苦悩の連続であったのだと・・・・よ~く解かりました!!
生家を訪れるところから始まり、幼少、アルヘンティノス、ボカ~バルセロナ~ナポリそして彼を神の存在へと押し上げることになった86年W杯の対イングランド戦の2ゴール「神の手ゴール」と「5人抜きゴール」は繰り返しマラドーナの神格化の象徴として流されます。
ジョージ・W・ブッシュを公然と批判し、キューバ革命の功労者フェデル・カストロとチェ・ゲバラを愛し、彼らの肖像を身にまとっている一見「左派」とも取れる言動や行動は「強者の都合を押し付ける体制への批判」なのだと、「右派」とか「左派」と分類するものではない主張なのだとわかります。(劇中にてNATOの元事務総長のハビエル・ソラナを「スペインの社会主義野郎」となじる場面がありました^^)
また、アルゼンチン国内では「マラドーナ教」という宗教が存在し、多分キリスト教の一派として扱われているのだと思うのですが、けっしてコミカルではなく大真面目です^^信者になるための洗礼式はサッカーゴール前で
左手にて「神の手ゴール」を決めることができれば入信可能です^^ここのシーンは本当に笑えました^^繰り返しになりますが、やっている本人達は大真面目ですからね・・・・。
ナポリへの帰還は感動的でした!全盛期当時はミランのライバルチームとして覇を競った相手チームでしたので、正直好きか嫌いかと聞かれれば「嫌い」な方だったのですが、今思い出してみると、マラドーナは本当にすごかった!マラドーナの全盛期はやはりナポリ在籍時なのだと・・・・バルセロナ時代もすごかったのでしょうが、自分の中ではナポリ=マラドーナの印象は一生変わることが無いでしょう!実際ナポリではいまだヒーローとして崇められていて、ナポリで新興宗教開いたら五万と人が集まるのではないでしょうか?
でもたしかこの時過去の脱税容疑で逮捕されませんでしたっけ?
レッドスター・ベオグラードのマラカナスタジアムにも訪問します。内戦の傷跡が癒えていない状態での訪問で、マラドーナがクストリッツァ監督に「こうなった責任者は誰だ?」と聞き、クストリッツァ監督は考えに考えた末「NATOだ!」と答えたところ、先の発言につながるわけですが・・・・。マラドーナはバルセロナ時代にレッドスターと対戦していたのですね!カップウイナーズカップでしょうかね?見事なループシュートを決めていたようです。
最後はマラドーナを敬愛する人たちの集会が開催され、その中で自分を讃えている歌を自ら歌いながら伴侶としてマラドーナを支えまくった^^クラウディア婦人と子供達に囲まれ涙を流しながらエンディングになります。
しかし、これほど絵になるサッカー選手は過去現在存在しないでしょうね!
サッカーは紳士のスポーツであり、選手はジェントルマンであれ・・・・と言われておりますが、マラドーナはそういった定義の逆の住人です。
麻薬中毒になり、肥満のため心臓に負担がかかりすぎ、一時死の淵を彷徨ったこともありました。彼が未だあのような元気な姿を見せているのは「神の啓示」なのでしょうか?この映画を見た後そう思えてなりませんでした・・・・。マラドーナはアルゼンチン国内ではボカ・ジュニアーズの元選手として、W杯優勝に導いたスーパースターとして多大なる影響力を持っていましたが、以前代表監督時代にファン・ロマン・リケルメを非難してボケンセから総スカンを喰らっていたことがありました^^
でも、今でもやはり神様なんですね!
イタリアにて数々のスキャンダルにより、サッカーの第一線から完全に身を引くのですが、その原因となった「コカイン騒ぎ」は当時のイタリアサッカー協会会長のアントニオ・マタレーゼの陰謀だと叫んでおりました^^90W杯にて地元イタリア代表を破ってしまった腹いせにマラドーナとカニーヒアを貶めたと言うのです。あながち間違っていないかも知れませんよね・・・・。
サッカーの神様「ペレ」とは対照的な存在で、一時ペレとの不仲も囁かれていましたが、現在は仲直りしたようですね!代表監督のミッション遂行は失敗してしまいましたが、そこがマラドーナらしいと思います。(あのまま優勝してたら返って「らしくない」と思います。)今後も健在でいて欲しいですね!いつか日本にも来てほしいものです。
私の中では、サッキのミランの戦術に真っ向から対応できた個人で、マラドーナは「個」で「戦術」を打破できる限りなく「聖人」に近い存在でありました・・・・。
ブロ友「ベルント・シュスター」さんのブログ。ベルントさん良い映画紹介してくれてありがとうございます!diamondsoccer12のブログ
*本日の通勤車中のBGMは「Human League」の「「Crash」でした。youtube Human League "Human"