junchang & the MFF

S.S.C. Golzies 見る人が見ればわかる・・・・自己満足の世界  オーストラリアPERTHのフリーマガジン「The Perth Express」にて「蹴球戯言」連載させてもらってます!

(懐古)左足と左手に神を宿す「神の子」・・・・Diego Maradona

筆者の青春時代のスーパースターであり、アンチヒーローでもあったディエゴ・アルマンド・マラドーナ御大が亡くなってしまったニュースはヨハン・クライフ様が亡くなってしまった時と同等、若しくはそれ以上の衝撃がありました・・・・

今回は訃報を聞いた直後に書き殴った記事に加え、過去に御大について書いた記事をかさねてみます^_^

(亡くなった直後に書き殴った記事)
久々の投稿と相成ってしまいましたが、筆者にとって衝撃的なニュースがあり、キーボードをたたいている次第です。

「11月25日。我らがディエゴ・マラドーナ御大ご逝去!」

サッカー界の偉大なるアイコンであり、筆者にとってはこれまでスーパースターと呼ばれている御仁、例えばペレ氏、クライフ様と言った現役時代をオンタイムで感じていなかった方達とは違い、オンタイムで初めて触れたスーパースターでした。

筆者がサッカーを始めた小学校4年生(1981年)当時のサッカー仲間の話題といえば、ダイヤモンドサッカーにて放送される海外サッカーの話題が一番であり、夢のまた夢の存在であったW杯やヨーロッパ選手権は必見という空気があり、オンタイムで見れずとも、書籍やお金持ちが持っていたビデオデッキで録画して後で見せてもらったり、中学校の部活動顧問の先生にビデオにて録画してもらい後程皆で拝見する事となります。

試合は録画放送でしたが、試合結果など当時はオンタイムで報道されていた時代ではなかったのでワクワクしながら見ていました。

セリエAが世界最強リーグと所以される以前、外国人枠が解放され、各国のスター達が集まり始めていた1980年代初頭の世のスーパースターと言えば、ブラジル、フランス、アルゼンチン代表にて各々10番を背負っていたジーコ氏、プラティニ氏、マラドーナ御大の時代でした。
当時の日本ではクラブでの活躍より、代表での活躍の方がクローズアップされ易かった時代でしたので(ジーコ氏は82年W杯の黄金の中盤のリーダー格として、プラティニ氏は84年ヨーロッパ選手権優勝の立役者として、そしてマラドーナ御大はメキシコW杯の主役として)W杯がある度に要注目選手のうちの一人が御大だったのですが、ミラニスタな筆者がアンチな存在として認識していたのが御大であったのです。
しかし、御大の存在は凄まじいものがありました。

そんな御大が亡くなってしまいました・・・・




(過去記事2010年12月1日投稿)
先日ブロ友の「ベルント・シュスター」さんに薦められて観たDVD「マラドーナ」を一寸紹介したいと思います。
実は印象に残っている選手企画にていつかマラドーナをやろうとしていたのですが、自分のブログ運営方式が「思いつき」がベースとなっておりますので、ミランのライバルであったマラドーナの投稿が後回しになってしまってました^^良い機会と思い紹介をさせていただこうかと思いました。この映画を観て過去の記憶が次々と甦ってきました・・・・。

・・・・完全ノンフィクションで2005年~2007年位までのマラドーナに対し、カンヌ映画祭などで審査員をする映画監督のエミール・クストリッツァが密着取材し、インタビューと監督の主観を交えマラドーナの過去の映像と共に、生まれてから現在に至る「神の子」の人生を振り返るのですが、非常に破天荒です^^
私も触り程度は知っていましたが、彼の人生は苦悩の連続であったのだと・・・・よ~く解かりました!!
生家を訪れるところから始まり、幼少、アルヘンティノス、ボカ~バルセロナ~ナポリそして彼を神の存在へと押し上げることになった86年W杯の対イングランド戦の2ゴール「神の手ゴール」と「5人抜きゴール」は繰り返しマラドーナの神格化の象徴として流されます。
マラドーナ(映画)1
 ジョージ・W・ブッシュを公然と批判し、キューバ革命の功労者フェデル・カストロとチェ・ゲバラを愛し、彼らの肖像を身にまとっている一見「左派」とも取れる言動や行動は「強者の都合を押し付ける体制への批判」なのだと、「右派」とか「左派」と分類するものではない主張なのだとわかります。(劇中にてNATOの元事務総長のハビエル・ソラナを「スペインの社会主義野郎」となじる場面がありました^^)

また、アルゼンチン国内では「マラドーナ教」という宗教が存在し、多分キリスト教の一派として扱われているのだと思うのですが、けっしてコミカルではなく大真面目です^^信者になるための洗礼式はサッカーゴール前で
左手にて「神の手ゴール」を決めることができれば入信可能です^^ここのシーンは本当に笑えました^^繰り返しになりますが、やっている本人達は大真面目ですからね・・・・。
マラドーナ教 

ナポリへの帰還は感動的でした!全盛期当時はミランのライバルチームとして覇を競った相手チームでしたので、正直好きか嫌いかと聞かれれば「嫌い」な方だったのですが、今思い出してみると、マラドーナは本当にすごかった!マラドーナの全盛期はやはりナポリ在籍時なのだと・・・・バルセロナ時代もすごかったのでしょうが、自分の中ではナポリ=マラドーナの印象は一生変わることが無いでしょう!実際ナポリではいまだヒーローとして崇められていて、ナポリで新興宗教開いたら五万と人が集まるのではないでしょうか?
でもたしかこの時過去の脱税容疑で逮捕されませんでしたっけ?
レッドスター・ベオグラードのマラカナスタジアムにも訪問します。内戦のマラドーナ(バルセロナ時代)傷跡が癒えていない状態での訪問で、マラドーナがクストリッツァ監督に「こうなった責任者は誰だ?」と聞き、クストリッツァ監督は考えに考えた末「NATOだ!」と答えたところ、先の発言につながるわけですが・・・・。マラドーナはバルセロナ時代にレッドスターと対戦していたのですね!カップウイナーズカップでしょうかね?見事なループシュートを決めていたようです。


最後はマラドーナを敬愛する人たちの集会が開催され、その中で自分を讃えている歌を自ら歌いながら伴侶としてマラドーナを支えまくった^^クラウディア婦人と子供達に囲まれ涙を流しながらエンディングになります。

しかし、これほど絵になるサッカー選手は過去現在存在しないでしょうね!
サッカーは紳士のスポーツであり、選手はジェントルマンであれ・・・・と言われておりますが、マラドーナはそういった定義の逆の住人です。
麻薬中毒になり、肥満のため心臓に負担がかかりすぎ、一時死の淵を彷徨ったこともありました。彼が未だあのような元気な姿を見せているのは「神の啓示」なのでしょうか?この映画を見た後そう思えてなりませんでした・・・・。マラドーナはアルゼンチン国内ではボカ・ジュニアーズの元選手として、W杯優勝に導いたスーパースターとして多大なる影響力を持っていましたが、以前代表監督時代にファン・ロマン・リケルメを非難してボケンセから総スカンを喰らっていたことがありました^^
でも、今でもやはり神様なんですね!

イタリアにて数々のスキャンダルにより、サッカーの第一線から完全に身を引くのですが、その原因となった「コカイン騒ぎ」は当時のイタリアサッカー協会会長のアントニオ・マタレーゼの陰謀だと叫んでおりました^^90W杯にて地元イタリア代表を破ってしまった腹いせにマラドーナとカニーヒアを貶めたと言うのです。あながち間違っていないかも知れませんよね・・・・。

サッカーの神様「ペレ」とは対照的な存在で、一時ペレとの不仲も囁かれていましたが、現在は仲直りしたようですね!代表監督のミッション遂行は失敗してしまいましたが、そこがマラドーナらしいと思います。(あのまま優勝してたら返って「らしくない」と思います。)今後も健在でいて欲しいですね!いつか日本にも来てほしいものです。

私の中では、サッキのミランの戦術に真っ向から対応できた個人で、マラドーナは「個」で「戦術」を打破できる限りなく「聖人」に近い存在でありました・・・・。 

ブロ友「ベルント・シュスター」さんのブログ。ベルントさん良い映画紹介してくれてありがとうございます!diamondsoccer12のブログ 

*本日の通勤車中のBGMは「Human League」の「「Crash」でした。youtube Human League "Human"  

(懐古)サッカーネタその1


このブログを始めてはや10年以上が経ちました。
始めた頃は時間が空けば駄作を連発して下書きをし、夜に推敲して披露するルーティンがあり、いくら書いてもネタが尽きなかった感覚だったのですが、いつの日か自分がジャーナリストにでもなったかの様に内容に凝り出しまして・・・・

別媒体で連載をさせていただいたり、調子をぶっこきまくりな時期もあり、暫くノータッチな時期もありましたが、いい機会なのでこの場で過去を振り返る意味で過去に披露させていただいた記事を再掲載させていただきます。

時期にそぐわないのは当然ですが暖かく見守っていただけますと幸いです^_^多少加筆修正はいたしますので^_^

この記事は内容に迷走していたときに初めてサッカーをネタにした記事です。
2010年4月19日掲載

サッカー好きを自称して、サッカーネタがなかったので1つ

私はサッカーを溺愛しておりました。

私は小学校のときに「キャプテン翼」の影響で、サッカーを始めました。
そのときはまだ野球人気のほうがぜんぜん高くて、Jリーグがないのはもちろん、日本代表もW杯出場は絶対にありえない時代でした。

日本リーグはありましたが、客も少なく、完全な企業スポーツでしたね。
高校サッカーが唯一人気がありました。

海外サッカーの情報を仕入れる媒体も月刊のサッカー雑誌が2,3社、テレビがダイヤモンドサッカーのみでしたね、たしか。

自分で経済力もない時代でしたから、もっぱらダイヤモンドサッカーと、たまにキリンカップで来日する海外チームの試合を、親に頼み込んでお小遣いをもらい、友達たちと見に行ってましたねぇ。当時は日本代表と海外のクラブチームが対戦してました。海外の代表チームがまともに相手をしてくれなかったんですね。

高校生になると多少自由にできるお金ができて、サッカーダイジェストを購入していたことを思い出します。あの当時は月刊誌で、海外サッカーのカラーページが一番多かったので選んでました。(今でもその当時のサッカーダイジェストは実家にありますよ。)

そして、今は故人であるジャンルカ・トト・富樫こと「富樫洋一」さんのコラムに出会いました。

富樫さんのコーナーは秀逸で、あくまで客観性を貫くジャーナリストが多く、情報伝達媒体としてみていなかった雑誌の視点を変えてくれた人物です。(カラーページとか、ヨーロッパ各国情報しか観てなかったなぁ・・・・)
こんな楽しいコラムはないなぁと思いました。
それとチヅルガルシアさん。たしか、あのころだったと思います。サッカーで飯を食べることが難しい時代でしたので、また、プロサッカー選手になるという夢を持つほど、サッカーのプレイ自体にはこだわりを持っていませんでしたから、サッカージャーナリストになれたらいいなぁと漠然と考えていましたねぇ。

また、サッカー自体もヨーロッパサッカー、特にイタリアセリアAに夢中になっており、マラドーナやプラティニがプレーしていた時代ですから、ものすごく華やかでしたねぇ。

その中でも私が一番好きだったのがA.C.MILANです。

一世を風靡したオランダトリオやバレージ、マルディーニ、コスタクルタ、タソッティ、アンチェロッティ、ドナドーニ今でも懐かしいメンバーがサッキ監督の戦術「ゾーンプレス」のもと、すばらしいサッカーをしていました。実際ビデオの収集をはじめたのはWOWWOWでセリエAを放送するようになってからです。(その当時放送された分はほぼビデオテープに録画してあります。)
そのときはサッキ監督からカペッロ監督に代わってしまっていまして、サッキ監督はアズーリの監督になっていましたので・・・・

それでもすごかったなぁ・・・・確かあのときのミランは無配優勝をしたシーズンで、ファンバステンが半端なくすごかったぁ。ミランがパルマのアスプリージャにFKを決められて負けたときは、ニュースにもなってましたよ。

それからはJリーグもできて、ドーハの悲劇もあり、サッカー人気が最高に盛り上がって、現在はW杯にでて当たり前になりましたけど、
本当に人気がないスポーツだったんですよ。
今はプロ選手を目指す子供もいますし、プレー人口も野球よりも多いと聞きます。

昔からは信じられない環境になりました。

2010のW杯がまもなく始まるけど、あまり過度な期待はせずに、見守っていこうと思います。(まぁここのところの日本代表のだめだめさ加減で過去にないほど期待度が低い大会だと思いますが・・・・)


そこで、私が好きな選手・監督・解説者・実況者を発表します。
実際私が目にした事のある範囲ですが・・・・

選手  マルコ・ファン・バステン選手

マラドーナもすごかったけど、インパクトで言ったらやっぱりこの人ですな。オランダ代表では88EURO以外はあまりインパクトなかったですけど、背はでかくて、足も速くて、足元もうまくて、FKもできて、本当に万能でした。FWでしたが、将来はMFをやるんじゃないかと思ってました。
怪我で引退残念でした。


監督  リヌス・ミケルスさん

監督もオランダ系ですいませんが、EURO88でオランダを優勝させただけでなく、74W杯のチームを作ったということで、サッキかクライフかこの人だったんですけど、インパクトの強さはやはりミケルスさんです。
故人ということで・・・・

解説者  加茂周さん

この人はWOWWOWで結構解説することが多かったのですが、
判り易かったですねぇ。ゾーンプレスを信仰していて、横浜フリューゲルス時代にも同じ戦術を試していましたよねぇ。監督をしたらほしい外国人は誰?って質問には「ミランの3人のオランダ人。この3人がいたら絶対優勝できる。」と答えてました。痛快でした。
日本代表監督就任はものすごく期待してたのですが、残念でした。

実況  NHKの山本浩さん

この人の実況で一番印象的なのが、86W杯のイングランドVSアルゼンチン戦のマラドーナの5人抜きです。
それ以外でも、冷静でいて、情熱的であり、神経をさかなでない「ゴール」の絶叫も良かったなぁ。

ダイヤモンドサッカーの明白楽コンビだった岡野さんと金子さんは僕からすれば神様みたいなものなので別格で^_^


ちなみに日本代表の監督になってほしい人は

ヨハン・クライフさんです。

以上、ちょっと暇だったので自己満足でした。あ~気持ちいい・・・・

死ぬまでに行きたいスタジアム・・・・Vol.4 日本編

かつて妄想を文字化するべく投稿したシリーズもの。

筆者の大好きな国であるイタリア。サッカーの母国であり高潔で気品あふれる国であると信じているイングランド。そしてカオスの権化たる南米及び中南米。

『死ぬまでに行きたいスタジアム・・・・Vol.1イタリア編』

『死ぬまでに行きたいスタジアム・・・・Vol.2イングランド編』

『死ぬまでに行きたいスタジアム・・・・Vol.3南米、中南米編』

実際に足を運んだことは無く、ただただ妄想の世界にふけっていた時代に、いつか実現しようと考えていたにもかかわらずいつの間にか妄想で終わってしまうこと間違いなしな企画となってしまいました^^

今回はかつてに比べると、かなり環境の良くなったと想像でき、しかも前シリーズに比べると妄想を実現するためのハードルがかなり低めであろう「日本」にて妄想してみようと思います。

以前にも申しましたが筆者は約20数年前位には度々サッカーを観にスタジアムを訪れていた時代がありましたが、これまでに足を運んだことのあるスタジアムはある程度限られています。

国立競技場・・・・つい先日2020年の東京オリンピックの為に建て替え工事が完成し、お披露目となったスタジアムですが、幼少期の頃から度々訪れていた思い出深いスタジアムです。毎年お正月の風物詩として訪れていた天皇杯決勝&高校サッカー開会式、ジャパンカップ等の親善試合、トヨタカップ(トヨタカップ時代は結局スタジアム観戦は叶いませんでしたが、雰囲気だけでもと思いスタジアムの回りをうろうろとしていたことがありましたので・・・・^^)それと開幕直後のJリーグの試合は結構行っていました。

西が丘サッカー場(現味の素フィールド西が丘)・・・・高校サッカーの東京都予選、JSL等、国立競技場に次いで観戦回数が多いスタジアムでした!
大宮サッカー場(現NACK5スタジアム)・・・・高校サッカーの埼玉県予選等、唯一埼玉県出身の筆者が中学生時代の県大会で実際にプレーしたことがあります!(初めての芝生の上でのプレーは格別のものがありました!)

三ッ沢競技場(現ニッパツ三ッ沢球技場)・・・・ジャパンカップ、Jリーグ等

山形県総合運動公園サッカー場・・・・サラリーマン時代にJリーグ等を観戦したことがありました。

埼玉スタジアム2002・・・・つい何年か前に家族でナビスコカップを見に行ったのが初めてでした!その後ロシアW杯最終予選のサウジアラビア戦を観に行きました。

以上です・・・・(汗)

サッカー馬鹿ゾウなどとほざきながらこの体たらく^^



それでは妄想開始・・・・

まず現在一番行ってみたいスタジアムは・・・・

ガンバ大阪のホームである「吹田スタジアム」です。


「吹田スタジアム」

直近で一番新しいサッカー専用スタジアムであり、クラブ主導でクラブの理想を詰め込むことができたスタジアムではないでしょうか?
吹田スタジアム





企業と個人の寄付金で建設費のほとんどを賄ったという、今までには無い経緯で建設されたことも目新しいのですが、観戦者の反応を見ても「ピッチと観客席が近く臨場感が半端ない」といった感想も多く、リバプールのアンフィールドに近いのかなぁ?といった筆者の思いもあり、是非一度訪れてみたいスタジアムの筆頭となっております。
サッカー観戦した後は大阪の街並みを満喫したいです。大阪滞在経験はありながらなかなか満喫する時間を取れなかったのでほぼ初体験です^_^

「県立カシマサッカースタジアム」

Jリーグ創設時に初めて「サッカー専用スタジアム」として建設された、当時から是非一度は行ってみたいスタジアムでした。
加島スタジアム




プロサッカー勃興期に「サッカー専用スタジアム」として羨望のまなざしを送っていたことを思いまします。それまで「鹿島」という地名を小学生時代の地理の時間にしか聞いたことのなかった筆者にとって、筆者以外にとっても「サッカーの町」と認識を変えるきっかけになったのではないでしょうか?現在も比類ないサッカークラブとして君臨する「鹿島アントラーズ」の礎ともいえるベースだと思います。訪れることができた際は試合観戦のみならず有名なスタジアムグルメを満喫したいと思っています。

「豊田スタジアム」
吹田スタジアム





スタジアムが出来上がった頃是非一度は訪れてみたいと思っていたスタジアムでした。
サッカー専用の近代的な、Jクラブの規模に相応しいスタジアムが少なかった時代に慣れれていた筆者にとって「カシマサッカースタジアム」と同様羨望のまなざしを送っていた対象でもありました。
愛知県(名古屋)も滞在経験はありますが、もうかれこれ20年以上前の話なので当時訪れた環境とは変わってしまっているのでしょうねぇ。

「味の素スタジアム」

加島スタジアム




「豊田スタジアム」と同じでJクラブに相応しい規模のサッカー専用スタジアムとして出来上がった頃に是非訪れてみたいスタジアムとして名前で上がっていました。
先日行われたラグビーW杯の会場となっており、なお一層馴染み深くなったかもしれません。

そして最後に訪れることを是非かなえたいスタジアムと言えば・・・・

やはり国立競技場です!

「国立競技場」
国立競技場






昔チアホーンを持って数々の試合を観に行っていた時代が大変懐かしくあります・・・・
先日テレビにて天皇杯決勝を観ましたが陸上トラックの存在はやはり気になってしまいました(汗)また、Twitter等で実際にスタジアムに行った方たちのレビューを観ましたが、前述のスタジアムに比べると・・・・サッカー観戦には向いていないのかもしれません・・・・。

しかし2020年に行われるオリンピックのメインスタジアムであり、今後数々の重大な試合はここで行われることが予想され、最も妄想が実現する可能性が高いスタジアムでもあります。

「千駄ヶ谷の駅から人の流れに乗り、ぽくぽくと歩いて行きながら同行者らとサッカー談議に明け暮れる。」

そんなシチュエーションを望んでいます。

以上他にも是非訪れてみたいスタジアムはありますが、腰の重い筆者では到底すべてのスタジアムを訪れることなど敵わないだろうと予想し、締めさせていただきます(笑)


Jリーグの外国人選手・・・・Vol.1 噂のあった選手達

W杯が終了し、世界中を駆け巡ったニュースソースのあったJリーグ中断期間を経て、ビッグネームが堂々とプレーする環境・・・・リーグからは様々な野心を感じています。
アンドレス・イニエスタ選手がヴィッセル神戸にて、フェルナンド・トーレス選手がサガン鳥栖にてプレーをしていると言う信じられない環境が実現しています。

世界的なビッグネームはこれまでも来訪してくれました。


「わざわざ日本に来てくれる!」

と完全お客様扱い、おまけに揉み手にて気を使ってしまっていました。
ただその選手が日本のクラブに在籍してくれる事実のみで満足をしてしまっていた過去が筆者にはありました。他のリーグに比べ経済的に恵まれていた時代を含め、あえて日本を選んでくれた優越感にて満足してしまっていたのですね(笑)

実績面では当然成功例、失敗例がありますが、それはプロサッカークラブの常、リスクを承知で獲得をする訳ですからその選手一人の責任として片づけることはできませんでした。鳴り物入りで加入したにも関わらず全く活躍してくれずにいつのまにか消え去ってしまった選手も多かったのでした。

様々な選手が思い出されます・・・・。

しかし・・・・

今回は、あえて噂にはなったけど実際に来てくれなかった・・・・筆者が是非日本で見てみたかった選手たちをあげてみようと思います。

カルロス・バルデラマ
ディエゴ・マラドーナ
ロベルト・バッジョ
ダヴォル・シューケル
カフー
アレッサンドロ・デルピエロ
・・・・
バルデラマバルデラマ氏はスペインリーグのレアル・バジャドリッド挑戦が大失敗に終わり失意の帰国を余儀なくされており、当時の日本の報道では本人が日本に売り込みをかけているとなされていた記憶があり、日産横浜マリノスが獲得候補にしていると報道がなされていた記憶があります。まさに当時の日本が「夢の国」だった故の現象でしょう。結局訪日してくれることはありませんでしたが、あの飄々としたパスをスタジアムで見てみたかった選手です。



マラドーナ
ディエゴ・マラドーナ御大はJリーグ開幕前のタイミングで日本に来てくれるかも?との空気がありました。Jリーグ参入を目指していたPJMフューチャーズが御大の弟君であるウーゴ・マラドーナ氏を獲得しており、訪日確率はかなり高いと報道されており、当時落ち目であった御大ですが、まだまだスーパースターとしてのカリスマ性は薄れておらず、移籍してくれたら確実に直に見に行こうと楽しみにしていました。結局コカイン疑惑(イタリアサッカー界の陰謀だと吠えていた御大でしたが^^)により薬物犯罪に厳しい日本が入国を認めるわけもなく、残念な結果となってしまいましたが・・・・。




バッジョロベルト・バッジョ氏はエースとして君臨していたユベントスから追い出された後、イタリア国内の数々のクラブを渡り歩きました。当時のイタリアは戦術至上主義ともいえるファンタジスタ苦難の時代で当時有能とみられていた監督からは氏は煙たがられる存在であり、ビッグクラブでは中々存在感を発揮できませんでした。そんな折、完全なブラフとも言えましたが、冷遇されているイタリアを出て、イングランドもしくは日本へ移籍か?と報道がありました。けがを克服するために仏教へ改宗し、キャプテンマークには「必勝」の文字が。Jリーグのオールスター戦へゲスト参加してくれたりと中々の親日ぶりを発揮していたこともあり、いつかは日本へ来てくれるだろうと筆者は勝手に期待していたものです^^。



syu-keruダヴォル・シューケル氏はそれまでW杯の得点王が必ず日本の地を踏んでいる前例から勝手に筆者が期待していただけでした。
86年得点王ガリー・リネカー氏(名古屋)、90年得点王サルヴァトーレ・スキラッチ氏(磐田)、94年得点王フリストフ・ストイチコフ氏(柏)と結果的に日本に来てくれました。そして98年の得点王としてシューケル氏が連なってくれるのではないかと・・・・物凄い勝手な期待でした^_^
サッカー好きな者同士の勝手な妄想でした。






カフーカフー氏はローマ時代、かの中田英寿氏と同僚だったこともあり、当時の日本でもかなり名前が知れた存在でしたが横浜Fマリノスが獲得すると発表され現役のセレソンが日本に来てくれると喜んだのも束の間、ミランがかっさらう形で訪日がキャンセルされてしまいました^_^
ブラジル人サイドバックの日本での過去の活躍度合いから言っても他選手へ与える影響力は大きいと思っていたので非常に残念でなりませんでした。









デルピエロアレッサンドロ・デルピエロ氏もバッジョ氏と同様親日家であるが故必ず一度は日本に来てくれるのではないかと思い込んでいました^ ^オーストラリアへの移籍が発表された際は少なくない落胆を感じてしまいました。
故ジャンニ・アニエッリ氏から「ピントゥリッキオの様だ」と所以されたアーティストを直に見てみたかったですね~・・・・。






っと言うように日本の潤沢な資金を自分の価値を上げるために、上手くマスコミを利用していた側面もありましたが、筆者に夢を見させてくれました^^

選手だけではありません!
日本代表が初めてW杯へ出場を果たした1998年以降、W杯終了時に必ず代表監督が退くというサイクルが存在する日本代表は必ず代表監督が誰になるか?と議論を呼び起こし、新任監督が中々決まらないという事を繰り返して来ました。
euro88マルコファンバステン

2010年W杯終了後、報道が二転三転している時期に「マルコ・ファンバステン監督就任か?」と報道がありました。
現役時代の優雅なプレーに惚れていた筆者は監督時代の実績関係なく、心の底から監督就任を望んでおりました^_^
就任してくれていたら確実に日本代表のキャンプを見学しに行き、サインを欲した事でしょう^_^

現役時代のプレーを直に見たいという欲求を果たせなかった筆者は監督として訪日してくれればと期待をしてしまったのですね〜個人の欲求の為に、実績関係なく就任を望んでしまった訳です。

・・・・
それからも数々のプレーヤーの獲得報道がストーブリーグを賑わせました。
シーズンオフ中の盛り上がる話題の一つはやはり選手獲得報道ですので信憑性の有無関係なく報道されてしまうのは致したかないと思いますが、筆者の様に踊らされてしまう人間は多かった事でしょう^_^

ただし、今後もある程度の信憑性を持った報道にて筆者をワクワクさせてほしいものです。



顔の見えなくなったクラブオーナー・・・・パトロンからビジネスマンへ

さて、ぼちぼち今まで書きなぐってきたダメダメ下書き記事を推敲し、徐々に投稿していこうかなと・・・・全くタイミング外れの内容はご容赦ください^^ 

 先日筆者の心のクラブであるA.C.Milanのオーナーが代替わりした投稿をさせていただきました。

選手や監督と同様、クラブのオーナーも世代交代が存在し、オーナーが変わることによって筆者が抱く「クラブの印象」も変わってしまうことを実感しています。

筆者は80年代から90年代のイタリアサッカーからオタク化したせいか、クラブオーナーがそのクラブの印象作りに大変寄与しており、特に良いキャラクターの多かったイタリアのクラブオーナーに対しては思うところが多々あります。

いわゆる「金も出すが口も出す」独善的なオーナーが、名誉欲を満たすがためにポケットマネーを出し惜しみせず投入し、かえって混乱を巻き起こす的な記事を度々拝見したせいか、世間一般にあまり好意的に取られていなかったように思います。いえ、好意的に取られていなかったのは一般庶民のセレブに対する「やっかみ」が存在したからなんですけどね^^セレブたちの「無駄遣いの極み」として取られていた側面もありましたので・・・・。

それでは筆者が夢中になっていた頃、色々と書物をあさり得ていた情報からの印象でしかないのですが、各クラブのオーナーによって筆者はどのような印象を持っていたのでしょうか?

『Juventus F.C.』  
イタリアの準国営企業(これは筆者が当時感じていた印象です)のFIATが戦前辺りから経営に参画しており、中でも印象深いのがFIATの総帥であった故ジャンニ・アニエッリ氏です。
イタリア経済界の重鎮であり、イタリアサッカー界のドンと言われるほどの存在感がありました。(当時のイタリアサッカー協会長マタレーゼ氏よりも権力は強かったのではないかと言われていましたので^^)ジャンニ氏が勇退後もFIATの息のかかった方たちがオーナーを務め続けています。筆者は流石!「イタリアの貴婦人」と所以されていただけあって、そこはかとなく上品さを感じていました。それはジャンニ・アニエッリ氏という変えの利かない優雅で華麗なカリスマセレブの存在以外にミッシェル・プラティニ選手という優雅で華麗なプレーをする将軍の存在が際立っていたおかげでもありましたが・・・・^^


『A.C.Milan』
1980年代のいわゆるトトネロ八百長事件におけるオーナーであったフェリチェ・コロンボ氏から紆余曲折を経てシルビオ・ベルルスコーニ氏がミランを買収し筆者の「サッカークラブのオーナー」の印象を劇的に変えました^^覇を競うように選手を漁りまくり、特にユベントスのジャンニ・アニエッリ氏との「やりあい」は客観的に見ていて非常に見応えがありました^^(よかったら見てください。 『アニエッリ VS ベルルスコーニ・・・・サッカー界の「仁義なき戦い」』
筆者の「サッカークラブのオーナー」に関する先入観はこの御仁とアニエッリ氏に構成されたといっても過言ではなく、アニエッリ氏の対極の存在(アニエッリ氏には生まれながらのセレブとして男のカッコよさを感じたこともありましたが、ベルルスコーニ氏に対しては一代で巨大帝国を作り上げた「成り上がり者」の印象を持っていました。)として、筆者の比較対象になっていました。

よって、筆者のクラブに対する印象は「ベルルスコーニ氏という独裁者が率いる成り上がり者」といった感じでした。
筆者がミランに心酔するのはアリーゴ・サッキと3人のオランダ人、フランコ・バレージ以下イタリア代表の面々が披露してくれた比類なきカリスマによるものでした・・・・。


『Internazionale Milano F.C』
かつてのパトロンであったアンジェロ・モラッティ氏の系譜を引き継ぐオーナーが多かったように思います。筆者がイタリアサッカーに夢中になっていた時代のエルネスト・ペッレグリーニ氏、アンジェロの後継者マッシモ・モラッティ氏・・・・無駄遣いを限りなくしていましたが非常に親しみを感じるオーナーが多かったのでした^^当時のイタリアサッカー界があまりにも上述の2人の存在が飛びぬけていて、特にペッレグリーニ氏は2人の陰に隠れがちであり筆者のクラブに対する印象は「同じミラノに居を構えるミランの引き立て役」といった印象でした。
それ以外にも90年のW杯で大嫌いになった^^西ドイツ代表トリオの存在も大きく、完全に筆者の崇拝の真逆の存在でありました。

それ以外にもロベルト・バッジョをユベントスへ放出してしまったがために結果会長職を辞任したフィオレンティーナのフィラヴィオ・ポンテッロ氏^^マラドーナ御大の獲得に成功しナポレターノに夢を見させたコッラード・フェッライーノ氏^^・・・・
ちょいと後の時代になりますが、大手の食品会社のオーナーでもあったラッツィオのセルジオ・クラニョッティ氏、ミラクルパルマと呼ばれた時代の世界的乳製品企業であったParmalatのカリスト・タンツィ氏などはカルチョにあまりにも入れ込みすぎて本業を破綻させるという・・・・非常にイタリアらしい衰退の仕方で印象に残っているオーナーでありました。

筆者にとっては皆「^^」がついてしまいますが、思い出深く、時には選手たちよりも目立っていた存在だったのです。
当時の筆者にとって実績面やプレー内容以外の「オーナー劇場」が存在したのです!

そのおかげで当時の選手たちがどれほど「守られて」いたことか(オーナーが矢面に立つことにより、選手達を批判等から守っていたのではないかと思っていた側面もありましたので)・・・・現在では信じられないでしょうねー^^


 90年代後半あたり、ちょうどアメリカの実業家がイングランドのマンチェスター・ユナイテッドを買収したあたりから・・・・オーナーの顔が段々と見えなくなってきました。
「顔が見えない」というよりも「何を考えているのかわからない」といった方が正しいかもしれません。
イングランドがプレミアリーグ化してからその傾向はより顕著になりました。
オーナーは貴族層やセレブ層が民衆に娯楽を与える存在から「自らの投資目的、もしくは金儲け」の為にクラブを欲しがり、じゃぶじゃぶお金を使い選手を捨て駒の如くあてがい、マーケットを世界に広げ、金が金を生む勝者のサイクルを作り出してきたのです。

マスコミ等に劇的な登場の仕方にてオーナーが顔見えする事は少なくなり、「オーナー劇場」はいつしか筆者にとって存在しなくなりました。
古き良きパトロンのにおいをオーナーから感じることもなくなり、顔も見えにくくなってしまい、いつしかサッカー界が「金満臭」に溢れてしまいました・・・・。

・・・・

 筆者は特に「回顧主義的思想」を持っており、特にこのブログにて「昔は良かった」的な記事投稿が多かったのは昔ほどサッカーに触れる機会が無くなっているからであって、決して現在のサッカー界を全面否定する訳ではありません。
確実に世界にサッカーは浸透しており、W杯もかつてない程の規模になり、定期的に日本代表が出場している実績は筆者の人生の楽しみの一つとして糧になっています。また、世界的なメジャーリーグに我らが日本人がプレーしている実情は夢のようであります。

ただ、90年代からのサッカー界の急激な「金満拝金」な風潮は、ビジネス臭がきつく、あまり好ましいものでないと思っているのも事実です。

そして、現在のサッカークラブからオーナーによる印象の違いは全く感じることができず、かつて楽しみにしていた「オーナー劇場」が無くなってしまったのは寂しい限りです。
また、オーナーは下々へ娯楽を提供するパトロンから金を集めることに長けたビジネスマンに変貌してしまったと筆者は感じていました・・・・。

今回ベルルスコーニ氏が完全に勇退するニュースを聞いた際に「いつか来るとは思っていたが、当時を知る者にとって寂しいなぁ・・・・」と思い書きなぐっていた下書きであることを付け加えさせていただきます。
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