昨日、20141113日は母を見送って50日の祭りの日。
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我が家の葬祭は神式。

母より一足先に逝った父と、50日の間は一緒に祀ることもできなかったが、
やっと、2人が一緒の社に入ることになった。

母の逝った924日から50日間、家族は喪に服した。
昔は1年と1ヶ月、喪に服す習わしだったようだが、
今では50日祭でお祓いを受けて、通常の日常生活に戻る。
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母は、アルツファイマーと診断されて10年余り。
父を自分の主人だと認識ができず、
優しい顔立ちの父を、
「おばあさんが居る!」と言って、近づこうともしなかった。
車いすに座る父の膝にかけていたショールを見て、
「あれは、私の!」と取りに行く。
父は、
「おまえのだよ!」と母に渡してやっていた。
病気の精とは分かっていても2人のやりとりが悲しかった。
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母を病院に連れて行く道中も歌ばかり歌っていた。
歌うのはいつも決まって「赤とんぼ」。
 「ゆうやけこやけの赤とんぼ
  おわれてみたのは いつの日か」
「上手だね」と手をたたいて褒めると、
病院に着くまで、ずうっと歌っていた。

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母が栃木県那須塩原にいた時も、

高知から塩原のバス停に着いた私を、
小さくなっていく体で、痛い足を引きずりながら、
坂道を下って途中まで必ず迎えにくる。
でも話は、同じことを繰り返えしてばかり・・・・・。


そんな母を高知に連れてきたのだが、
病状は環境が変わるごとに進んでいった。
治ることなく進むしかない病気なら、
たとえ進んでいっても側にいられる方が良い・・・・。

そんな母は、ついに私のことも分かってくれなくなった。
歌うことも話すこともしなくなった。
せめてもう一度、母の声を聞きたいと、
弱りゆく母に輸血もしたのだが、
母にとっては苦痛だったのかもしれない、
残された者のエゴだったのかもしれない・・・・。

でも、天に召される最後の日、
横たわるベットの左右の家族を、
言葉こそないものの、ゆっくりと目で追っていた。
そして、大きく息をして静かに目を閉じてしまった。

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多くを語らない家族、
語ればまだ悲しくなるから・・・・・・。


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