2012年06月20日
jungogo at 17:59 Permalink
世界遺産
11:00〜 「6月定例議会一般質問 世界遺産に向けた取組について」
場所:本会議場
◆今日は一般質問2日目のトップバッターとして質問に立ちました。今回の一般質問は、福岡県が誇る歴史的貴重な遺産である大宰府政庁跡・水城跡・大野城跡の一連の遺産群を世界遺産登録に向けて取り組めないかと問うものです。
今年3月、福岡県防衛議員連盟の会長として、久留米市にある陸上自衛隊幹部候補生学校の卒業式に出席する機会があったとき、卒業式で会った現役司令官が、私が大野城出身であることから話しをされたことが今回質問に立つきっかけとなりました。
それは、「私たちが、この幹部候補生学校で研修を受けるとき、必ず学ぶ実地研修がありました。それは、水城の堤防跡であったり、日本最古の山城大野城跡でした。防衛上、国を守る築城のあり方など地勢学的に学ぶことができる研修だからです。」と言われたことです。

四王寺山の大野城跡に立つとよくわかります。博多湾が一望でき、水城が築かれた場所は、平野の最も狭くなるところで、交通の要衝にあたるこの部分に、全長約1.2キロメートル、幅80メートル、高さ13メートルの人工盛土の土塁、そして博多湾側に幅60メートルの濠を築くことで、効率よく敵の侵入を防ぐことができたことが考えられます。
また、大野城をはじめとする古代山城は、7世紀中頃に、当時の北東アジアの国際関係が緊張する中で、日本の国を守るために築かれた施設です。これらの古代山城は、西日本各地に22ヶ所存在し、古の時代から一つ一つの山城が独立して存在するのでなく、対馬から近畿に至るまで、全ての城が連携して機能していたと言われています。
再来年は、太宰府市の水城跡が築堤1350年を向え、その翌年には大野城跡が築城1350年を向かえす。
九州に国立博物館をと、岡倉天心が唱えた夢から百年。九州の人々の熱望と歴史的背景を踏まえて、日本文化の成り立ちをアジア諸地域との関わりで捉える博物館は、福岡県・福岡県議会などの誘致活動をはじめとする県民の熱い思いが成就し、平成十七年秋に九州国立博物館が開館しました。
以来毎年、文化交流展と特別展が企画され、その魅力からリピーターも多く国の内外から訪れています。先月、開館からこれまでの入館者数は、973万人を超えました。1千万人突破も目前にせまっています。
また、先週には、太宰府市国分の国分松本遺跡から、人名や身分など戸籍の内容を記した国内最古の木簡が出土されました。国家統治の基となる戸籍制度が、律令国家体制を整える大宝律令以前から機能していたことを示す「戸籍木簡」で、この発見は、人名や住民異動が判る奇跡の発掘ともいわれています。
このように、この地域には国家運営の根幹をなす重要な智の宝庫であり、まさに国を守り、九州を治め、文化の花開かせた「西の都」であったのです。学ぶものも多く後世に語り伝え、残さなければならない重要な歴史的遺産群です。
福岡県においては、平成21年に、九州・山口の近代化産業遺産群と宗像・沖ノ島と関連遺産群が日本の世界遺産、文化遺産の暫定リストに登録されました。
現在、日本の世界遺産(文化遺産)は、法隆寺地域の仏教建造物や姫路城をはじめとする12件、日本の世界遺産(自然遺産)は、屋久島をはじめ最新の小笠原諸島など四件であります。暫定一覧表には、彦根城をはじめ12件が登録されています。
また昨年、5月25日、田川市と福岡県立大学が共同で申請した山本作兵衛氏の炭坑の記録画及び記録文書が、日本で初めて世界記憶遺産に登録されました。この登録された喜びから地元田川はもちろん、福岡県の観光遺産として脚光を浴びています。
明治時代後期から筑豊の炭坑業では、まだ産業革命が継続していた20世紀後期までの日本の発展状況を裏付ける記録は、福岡県にとっても誇りであり、この価値は、次の世代を担う子どもたちにとっても貴重な教育的資産として大きな貢献を果たしていると考えます。山本作兵衛氏により世界に田川という地名が世界に発信されました。
このようなことから、小川知事に対して、この大宰府政庁跡一連の遺産群を歴史的遺産として後世に残していくために、日本の世界遺産として、登録に向けた動きができないか。知事はどのような所見をもっているか。また登録に向けたハードルがどこにあるのか。杉光教育長には、大宰府政庁跡・水城跡・大野城跡の歴史的価値について、どのように捉えているかを。問いました。
知事からは、東アジア世界の中での外交、軍事、文化交流を考える上で、歴史的に極めて貴重な文化遺産であると認識している。
世界遺産への登録にあたっては、文化財としての価値はもとより、顕著な普遍的価値を証明するなど世界遺産としての登録要件を満たす必要がある。
現在、暫定リストに12件の文化遺産が記載されており、ユネスコへの推薦は1年に1件と限られていることから、さらなる暫定リストへの追加は難しい状況となっている。
登録に向けては、地元市町村において、暫定リスト記載に必要な世界遺産としての価値を証明するための調査など積極的な取り組みが必要となる。また、地元の気運の盛り上がりも重要である。
そのような地元の取り組み状況や今後の国の動向を見ながら対応してまいりたいとの回答でした。
教育長からは、歴史的な背景と大宰府政庁跡・水城跡・大野城跡が、1300年余りの時を経て、現在、国の特別史跡に指定されていることは、歴史的に大きな価値があるとの回答でした。

「おおの山城大文字まつり」のときに灯される”大”の文字。縦百メートル、横百メートルあります。
偶然にも今日の新聞報道で、国の文化審議会が豊前市の求菩提(くぼて)の農村景観を重要文化的景観に選定するよう文部科学大臣に答申したとあり、特別史跡の大野城跡も範囲を広げるなど追加指定するように答申したとあります。
場所:本会議場
◆今日は一般質問2日目のトップバッターとして質問に立ちました。今回の一般質問は、福岡県が誇る歴史的貴重な遺産である大宰府政庁跡・水城跡・大野城跡の一連の遺産群を世界遺産登録に向けて取り組めないかと問うものです。
今年3月、福岡県防衛議員連盟の会長として、久留米市にある陸上自衛隊幹部候補生学校の卒業式に出席する機会があったとき、卒業式で会った現役司令官が、私が大野城出身であることから話しをされたことが今回質問に立つきっかけとなりました。
それは、「私たちが、この幹部候補生学校で研修を受けるとき、必ず学ぶ実地研修がありました。それは、水城の堤防跡であったり、日本最古の山城大野城跡でした。防衛上、国を守る築城のあり方など地勢学的に学ぶことができる研修だからです。」と言われたことです。

四王寺山の大野城跡に立つとよくわかります。博多湾が一望でき、水城が築かれた場所は、平野の最も狭くなるところで、交通の要衝にあたるこの部分に、全長約1.2キロメートル、幅80メートル、高さ13メートルの人工盛土の土塁、そして博多湾側に幅60メートルの濠を築くことで、効率よく敵の侵入を防ぐことができたことが考えられます。
また、大野城をはじめとする古代山城は、7世紀中頃に、当時の北東アジアの国際関係が緊張する中で、日本の国を守るために築かれた施設です。これらの古代山城は、西日本各地に22ヶ所存在し、古の時代から一つ一つの山城が独立して存在するのでなく、対馬から近畿に至るまで、全ての城が連携して機能していたと言われています。
再来年は、太宰府市の水城跡が築堤1350年を向え、その翌年には大野城跡が築城1350年を向かえす。
九州に国立博物館をと、岡倉天心が唱えた夢から百年。九州の人々の熱望と歴史的背景を踏まえて、日本文化の成り立ちをアジア諸地域との関わりで捉える博物館は、福岡県・福岡県議会などの誘致活動をはじめとする県民の熱い思いが成就し、平成十七年秋に九州国立博物館が開館しました。
以来毎年、文化交流展と特別展が企画され、その魅力からリピーターも多く国の内外から訪れています。先月、開館からこれまでの入館者数は、973万人を超えました。1千万人突破も目前にせまっています。
また、先週には、太宰府市国分の国分松本遺跡から、人名や身分など戸籍の内容を記した国内最古の木簡が出土されました。国家統治の基となる戸籍制度が、律令国家体制を整える大宝律令以前から機能していたことを示す「戸籍木簡」で、この発見は、人名や住民異動が判る奇跡の発掘ともいわれています。
このように、この地域には国家運営の根幹をなす重要な智の宝庫であり、まさに国を守り、九州を治め、文化の花開かせた「西の都」であったのです。学ぶものも多く後世に語り伝え、残さなければならない重要な歴史的遺産群です。
福岡県においては、平成21年に、九州・山口の近代化産業遺産群と宗像・沖ノ島と関連遺産群が日本の世界遺産、文化遺産の暫定リストに登録されました。
現在、日本の世界遺産(文化遺産)は、法隆寺地域の仏教建造物や姫路城をはじめとする12件、日本の世界遺産(自然遺産)は、屋久島をはじめ最新の小笠原諸島など四件であります。暫定一覧表には、彦根城をはじめ12件が登録されています。
また昨年、5月25日、田川市と福岡県立大学が共同で申請した山本作兵衛氏の炭坑の記録画及び記録文書が、日本で初めて世界記憶遺産に登録されました。この登録された喜びから地元田川はもちろん、福岡県の観光遺産として脚光を浴びています。
明治時代後期から筑豊の炭坑業では、まだ産業革命が継続していた20世紀後期までの日本の発展状況を裏付ける記録は、福岡県にとっても誇りであり、この価値は、次の世代を担う子どもたちにとっても貴重な教育的資産として大きな貢献を果たしていると考えます。山本作兵衛氏により世界に田川という地名が世界に発信されました。
このようなことから、小川知事に対して、この大宰府政庁跡一連の遺産群を歴史的遺産として後世に残していくために、日本の世界遺産として、登録に向けた動きができないか。知事はどのような所見をもっているか。また登録に向けたハードルがどこにあるのか。杉光教育長には、大宰府政庁跡・水城跡・大野城跡の歴史的価値について、どのように捉えているかを。問いました。
知事からは、東アジア世界の中での外交、軍事、文化交流を考える上で、歴史的に極めて貴重な文化遺産であると認識している。
世界遺産への登録にあたっては、文化財としての価値はもとより、顕著な普遍的価値を証明するなど世界遺産としての登録要件を満たす必要がある。
現在、暫定リストに12件の文化遺産が記載されており、ユネスコへの推薦は1年に1件と限られていることから、さらなる暫定リストへの追加は難しい状況となっている。
登録に向けては、地元市町村において、暫定リスト記載に必要な世界遺産としての価値を証明するための調査など積極的な取り組みが必要となる。また、地元の気運の盛り上がりも重要である。
そのような地元の取り組み状況や今後の国の動向を見ながら対応してまいりたいとの回答でした。
教育長からは、歴史的な背景と大宰府政庁跡・水城跡・大野城跡が、1300年余りの時を経て、現在、国の特別史跡に指定されていることは、歴史的に大きな価値があるとの回答でした。

「おおの山城大文字まつり」のときに灯される”大”の文字。縦百メートル、横百メートルあります。
偶然にも今日の新聞報道で、国の文化審議会が豊前市の求菩提(くぼて)の農村景観を重要文化的景観に選定するよう文部科学大臣に答申したとあり、特別史跡の大野城跡も範囲を広げるなど追加指定するように答申したとあります。