November 05, 2010

奄美災害豪雨への支援活動等(関西、中部、東京奄美会)を紹介します。

奄美地方は20日、記録的な豪雨に見舞われました。被害に遭われた方々の救援と一日も早い復旧を願い、奄美集中豪雨災害義援金を募っております。
南海日日新聞社で義援金を募っておりますので、どうぞ皆様のご支援お願い申し上げます。

画像豪雨災害戸口 009
龍郷町戸口の漁港に積み上げられたゴミ(生活必需品や家屋破壊の瓦礫の山)、豪雨災害の爪痕。
http://www.nankainn.com/

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October 24, 2010

奄美は豪雨災害が深刻です。皆さんの力を貸してください。

blogYosakoi

10月24日関西空港 りんくうタウン「泉州よさこい」祭りに出展しました。
奄美物産&奄美集中豪雨災害義援金の活動を開始しました。


この度は、奄美集中豪雨の災害報道で知り、胸を痛めております。

奄美の親類縁者の家族の方や友人…集落の安全状況が確認できず、心配されていることと思います。

弊社のスタッフの実家(住用村)は半壊。すでに奄美に入り応援に行っておりますが、シマのお年寄りの方々の「今」が気になっております。

10月24日は関西の泉州地区で「よさこい」の祭りがあり、島の特産品を紹介する物産展を開催させていただいておりました。

Blogyosakoi01

そこで大阪よさこいの方々、関西奄美会会長と一緒に「奄美豪雨災害義援金」を募っているところです。今後も2次、3次災害が心配です。友人のマンゴー畑、野菜畑は水に浸り、土は流され作物は全滅。実りの時期に収穫するものが無いと言う事は、今一瞬の問題ではなく、雨が去ったその後の暮らしが一番大変だということを私も思い知らされました。


心豊かな長寿の島の暮らしを支えることは島を愛するものとして当然だと思っています。皆さんに呼びかけをし、微力ではございますが島の復興に役立てられるよう励みます。




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October 23, 2010

奄美手帳2011

今年も奄美手帳のシーズンがやってきました。
皆様に支えられ今年で3年目間発行させて頂いている「奄美手帳」です。「島の暮らしの豊かさを知ってもらいたい」という願いで制作をしております。

毎年内容を深め、さらに更新してゆきます。

今年から奄美手帳制作会として委員が増えましたので、やっと一人から解放されます。
皆様には発送等でご迷惑をおかけしたと思いますが、その点はだいぶ改善されると思います。

blogamamitecyou2011


…。ただ、突然の災害に見舞われた奄美。

今回の発売時期ですが、この災害の最中2011年度発売時期を見直しております。私も義援金の活動に時間を頂きつつ制作→印刷→発送の手配をさせていただきます。

奄美手帳の注文は全てファックスにてご予約を承ります。

新たに奄美手帳委員を配置しました。

12月1日まで頭に集計し25日着で順次発送する形で、お手元に届くようにさせて頂きたいと思います。皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご対応よろしくお願いします。

奄美手帳製作委員会 事務局
注文ファックス番号  0997−73−1318

ポケットサイズ 1050円
B5サイズ デスク型 カバー付き 2980円
カバーなし 2100円

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October 10, 2010

名古屋名城大学天白キャンパスにおいて写真展

主催は「NPO法人在宅ケアを支える診療所市民全国ネットワーク」16回全国の集いin 名古屋2010。在宅看護やケア、ヘルパー、医療、医者の方々の勉強会の場。テーマは「家族を大切にできる地域づくり」でした。「見た目には一人暮らしであっても、内面では万物とつながりあっているから、「孤独」ではない」島の生命(いのち)溢れる生命力をテーマにしたchirashi


特別企画展として 山中順子写真展「ドゥクサー」

「ドゥクサリョンナー、ドゥクサシーモユウナー」と、声をかけるお年寄りの姿が浮かんできた。

「ドゥクサシュッド、ゲンキシュッド」て、その言葉に元気で返す。

シマの言葉は前後左右に感情や余韻がふんだんに詰まっている、後ろ髪を引かれるようなシマ唄や言葉には、リズムと間合いがあるからなのでしょうね。

美しい。

イメージ写真は森チエ姉。三者一体のリズムと唄半学の話をしました。「ミショレ―、どうぞ食べなさい、人にあげるのが一番大好き、これが私の世界ですよ…」といつも私に言ってくれます。生活の中に唄があり、来て下さった人をおもてなしするのがシマのおバーチャン、チエ姉の元気、ドゥクサーです。大切な人に声をかける、大切な言葉です。

…………………………
名城大学と言う空間を生かして作品展をする。学生にとってはただの通路だった道が、生命の道になるようにしたいと思いました。
珊瑚、シマの草も持ってきたが、下に敷き詰めるのはNGだったので、目隠しのパネルを作り生命の生活空間(組み写真)の裏に置いて「匂い」を漂わせた。
もっと手触りの空間を作りたかったので、「生命の道」と題して、窓から差し込む光と人が動くときに流れる風も味方にしてくれるだろう。


山中順子写真展chirashi
         
奄美コンサート  唄:朝崎郁恵さん
「アラセツ」   舞:花柳鶴寿賀さん
         語り:山中順子

blogtaidan


朗読       元NHKアナウンサー山田誠浩さん「老い」
対談       山中順子「100歳。母なるシマ、生命の島」

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天井に麻ひもをはわたし2800×150の布にプリントされた写真、伝統の祭り5点と自然5点を窓辺に下げた…。

100歳写真や今井権現祭りで自然(神)繋ぎの儀式、阿世知さんの写真 の大パネル計6点1m×1mを「祈りのある暮らし」として展示。

blog100

「100歳のコスモロジー」として組み写真、死から生を見る風葬とシャーマンの世界を紹介しました。
「目に見える今の暮らしは、見えない過ぎ去りし暮らしと共存することによって、実りある地域社会を創造していく。

島のアラセツは、目に見える便利な暮らしを追い求めつつ、何かが、足りないと心乾く私たちに、足りないものが何であるかを、教える」。

「自然(神)と伝統が生きる暮らし」を映像と写真で紹介しながらシマを語りました。

アラセツのショチョガマ、平瀬マンカイの映像からチジンが響く佐二の八月踊り。一番かっこいいのはシマノ高齢者、図書館のような存在で、手踊り、唄、チジン、味わいのある動きはまねできない。ユーモアがあり大らか、お年寄りは共通して心の豊年を見ることができる。長寿、五穀豊穣は心が豊年でないと実現しない。阿木名集落からお借りした、十五夜の幟を天井から2本下げました。目に見える物と見えないものの「シンボル」を幟で伝えられました。衣食住において私たちは「あれがない」、「これがほしい」とみんな「目に見えるもの」を求めます。福祉においても、施設の整備、在宅ケア・介助の充実など、目に「見えるもの」が中心です。もちろん、それらは大事なことですが、そればかりではありません。長寿の群島・奄美では代々受け継いできた、リズムと間合いを大事にし、祖先や自然を敬う暮らしを続けています。それら 「見えない存在」と日々の暮らしの中で、つながり合って生きています。

 ですから、見た目には一人暮らしであっても、内面では万物とつながりあっているから、「孤独」ではないのです。


blog02


私のもう一つの特徴は「味=嗅ぐ」五感の一つ
世界一長寿の島の物産展 モノとしてではなく、モノ(人)つくりを紹介し暮らしの中から生まれた食を伝えることで、立体的になる。





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October 09, 2010

写真展の紹介が中日新聞社にて紹介されました。

中日新聞 掲載記事
blognews


人が生きるとは、どういうことなのでしょうか。生き続ける生命の輝きとは何でしょうか。その問いかけを胸の奥に秘めて、外海の離島・奄美で一世紀を生き続ける長寿者を訪ねる旅を10年近く続けています。

100歳の長寿者は世界中にいらっしゃいますが、人が何かを始めるのには、無心に熱く反応する存在との出会いがあります。

偶然の導きのようで必然的であるような、突き動かされる出会い。私の場合、奄美の100歳のアンマとの出会いが、それでした。深いしわが生み出すたおやかな微笑。一見、平穏な暮らし。しかし、その人生は厳しい自然の中で悲惨な戦争や飢えを生き抜き、辛い多くの別れを経験した中から生まれたもの。

100歳の微笑は、100年の労苦の中から生まれた、生命の輝きだったのです。

生き続ける生命の輝きにゴールはなく、ゴールを求めずに、求め続けることが答えなのでしょう。シンプルで重い答えです。

奄美の暮らし、自然がいつまでも輝きますように。

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December 24, 2009

奄美手帳2010年 空港、書店に並びました

b>奄美群島の到着ロビー、空港出発の書籍コーナーに奄美手帳が並びました。

奄美空港

鹿児島空港、沖永良部の書店にはまだ届いておらず(営業不足)ご迷惑をおかけいたしております。沖縄もまだ情報が届いておりません。

今年で2年目の奄美手帳、毎年内容は充実してまいります。

奄美空港
 
喜界島空港

徳之島空港

沖永良部空港

与論空港

一部訂正のお知らせ
2010ポケットサイズで間違えているところがB5サイズでは直してあります。旧暦祭り一覧も喜界島、徳之島ページ1P以上追加してあります。


校閲ミスでご迷惑をおかけいたしております。念入りにチェックしてまいりますので、よろしくお願いします。


集落名一覧:恩勝→思勝に訂正
有料老人ホーム:住用の里→住用の園
奄美の主な人物:島尾ミホ 場所のところ、加計呂麻島呑之浦→押角 
             内容のところ、加計呂麻島押角生まれ
        島尾敏雄 内容のところ、加計呂間島→加計呂麻島
        昇 曙夢 場所のところ、加計呂麻島芝



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November 25, 2009

奄美手帳 

ダイアリー参考
2010スペシャルダイアリーの中身をちょこっと公開
P138_地図_奄美北部のコピー

ポケットサイズとは中身は異なります。
群島それぞれの地図
奄美大島北部、南部、加計呂麻島、請島 与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島

P092_羅針盤型_奄美暦のコピー
シマのコスモロジー 写真とコラムページ
ミハチガツ(奄美の夏正月)
豊年祭、八月踊り、
グンギン、イビガナシ など・・・
円形のシマ暦など

徳之島の方言


限定1000冊のスペシャルでお届けいたします。

皆さんの大好きな「シマ」を持ち歩いてください。( ´∀`)つ
sawan@d7.dion.ne.jp



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November 01, 2009

奄美手帳2010 2タイプで予約販売開始します

 ご報告遅くなりました。   ̄_ゝ ̄)ノ

奄美手帳2010
発売開始です。( ´∀`)
A 奄美手帳2010 ポケットサイズ 1050円(送料・手数料別)
 (211P レザータイプ 箔押し)

B 奄美手帳special diary 2010 2980円(送料・手数料別)
 限定 3点セット 1000冊のみ発売
(B5サイズ160P・マブライラバーカバー・奄美マブライ大学ノート付)
 
 ご注文はsawan@d7.dion.ne.jpメールにてご連絡ください。
 
 ※メールに、名前、住所、電話、年齢、お仕事、AかB、注文数
  出身地、
  初めての方は奄美手帳を何でおしりになったか
  愛用者は、使い心地や要望
  「奄美と私の記憶」のコラム(旅、感想文など・・・)
  (奄美手帳を共に、もしくは子供の時、旅の記憶などをお聞かせください。
  今後、皆さんの記憶を出版物やブログで紹介するかもしれません)
  上記を明記の上、お気軽にご依頼ください。

奄美手帳2010WEB

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October 01, 2009

皆既日食は奄美に微笑をもたらした

皆既日食の「笑顔」
掛け始めweb

   
 皆空を見上げていた、

    あたりは暗くなってゆく、太陽が笑顔になてゆく、
  
   新しい光を求め
皆既日食 異国人の浜


奄美に人が押し掛けた1週間。世界中の人々が注目し奄美大島の神秘なパワーと自然現象を満喫していました。

浜には、今後一生出会えないであろう外国人、都会人の方々、色とりどりの人種が浜を埋め尽くしていた。

奄美エリアとしてブースを担当。笠利のいっちゃりょん会と並んでの開催。
シマウタ、チジン、八月踊り、食、徒根屋の空間アート、100歳写真が会場を添えてました。(16日からセッティングし3日間かけてトネヤを作りました。) 皆既日食音楽祭が開催されていました。(2009年7月18日から23日)

トネヤとは・・・
奄美の歴史にノロ(琉球王から任命された祝女)神様がいらっしゃいます。そのノロ様が住む家(祭りの振り出しの場所)をトネヤと言います。
ノロが神事や祭事を担当し、集落の催事を司ってきたのです。
奄美では大和村大棚、宇検村阿室しゅうらくにノロガ数名残っています。

トネヤを漢字で徒根屋としたのは、「徒」は「仲間」(共に)、「根」は物事の元、大事な幹の部分。物事のはじめや根・幹部分を共有する屋・店(時空間)という意味で名づけました。自然(神様)の恵や幸を皆で「共有できる場所」。大地・海・人の恵みや情報と人々が集まる場所。真心で手造りしたシマの恵みを「繋ぐ空間」を願って名づけました。

皆既日食の前日から毎朝6時23日まで、奄美の地元紙南海日日新聞社の「皆既日食特集号」21日号と22日号を販売させていただきました。
(広告業界も驚く作品に仕上がっていています
DSC_3215

200セットほどストックしてあります。
皆既日食限定発売された限定新聞をどうしても欲しい方

3点セット(月刊奄美200円+日食特集号2部200円合計400円です)
※奄美手帳ご注文された方のみ、特別手配させていただきます



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July 22, 2009

皆既日食記念 奄美100歳  母なるシマ 生命の島 写真集発売

2009年7月は奄美にとっても、私にとても「新しい生命」の始まりの月、日となりました。

・・・。写真家としての初めての響き「生き神様」との出会いの記録が、写真集という形で圧倒的な生命力を映し出してくれた。写真集にするつもりで撮影していなかったから、編集が大変だった。今よりも5〜6年以上さかのぼって奄美歩き、100歳の方々との出会いをさかのぼってセレクトした、現像してみると今の深まりとは違う、別な世界観の写真。鮮度が蘇ってくる。

( ̄∠  ̄ )ノまっすぐに、響いて、ひたむきに感じ、写した時間が詰まっていた。

表紙は105歳で亡くなったシャーマンでノロのアンノフおばーちゃん。
自然信仰と祈りの木霊が、暮らしの中に息づいている、
視線の先の光に包まれた世界は、どこへ向かっているのか・・・
新聞掲載用a

写真集や本の出版、イベントや写真展の開催、情熱や衝動、興味以外の理由が解らなかった、情熱のままやり続けてきたけれど、今も制作中・・・・。

続けてみないと解らない感度と感覚、手づかみできない感覚を「今」も追いかけている。今の私にとって奄美は「鍵」かもしれない、

                    光に向かって

皆既日食 
多くの人々が奄美に集中しシマ(集落)の生命力を知ることになるでしょう。

  太陽と月の唄掛け
親ユタ(シャーマン)の阿世知さんは太陽と月の結婚と例えた。

私は新しい生命の誕生の瞬(とき)と例えた。

特別な日だったけれど、特別ではなかった。奄美の当たり前の一日の、新しい一日。昔から興味のある月や太陽に願い、暦にも興味を抱いていた。

奄美と出会い「奄美手帳」が生まれ新暦と旧暦の世界を深め、横浜や仕事で各地に出かけている時でも、空を見上げると月があり、離れていてもそこには奄美があった。必然的導きで奄美の7月22日新月に奄美にいた。

 皆既日食の日、写真集を出版していた。
新聞掲載用ab
<

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April 17, 2009

奄美と私の今年

806712e5.jpg今年2009年は「形」の年なのかもしれませんね。

奄美は皆既日食カウントダウンという流れもあってか・・・
町の看板や道路までもが顔を変えはじめています。
私は相変わらず自分ペースで  ̄_ゝ ̄)ノ 響いたことに真っ直ぐに、
ひたむきにとでもいいましょうか、ただただ情熱を燃やしつつですが・・・

2000年の神の子の渚(なぎさ)では 「ここなのよ」と、
導かれ、私にできることは何でもやってきました。
アーティストとしての活動だけでなく、写真の仕事以外に、奄美ブランドの商品企画、物産展のイベント、全ては「私にできること」が、キワードになっていたように思う。
加計呂麻島で102歳の上田ハルさんと出逢いことばでは無く、視線で瞬間に繋がってしまう出会いがうこんきび酢の番組企画と販売に繋がってしまったり。

住用村の子供たちと出会いバレーボールと相撲が盛んなことを知り、友人の日本代表選手甲斐君を招き奄美でバレーボール教室を開いてもらったり。

最近ではお相撲さん(横綱)を奄美で案内したり、かと思えば古仁屋中学校で道徳の時間にお話しし絵をみんなで描いたり・・・。

ま〜色々とですが奄美がいつもそばにありまして・・・。山中さんは何屋さんなのとよく言われましたが、何なんでしょうね( ´_ゝ`)ノ私が聞きたいぐらいですョ。オホホってね(^_ゝ^)関わっている所のそのとき必要なことや物、人が偶然に繋がってしまう。時が来ると用意されているというか・・・。そんな感じです。

物といえば「奄美ビール」が最初でした。奄美を取材し歩いていたら、80歳以上の方々がよく言っていました。「昔奄美は酒造っていたんだよ、各家々でね、そうそうビールもあったよ、戦前だったかな〜、戦後もあったんじゃないかな、麦も作りよったよ・・・」と、よく聞きました。何故奄美には沖縄のオリオンビールがあるのかな〜と不思議に思っていましたし、奄美の可能性をいつも模索している思考回路があって「何か」探していました。
ヾ(´ω`=´ω`)ノ
探すといえば、初めて奄美に来た日の最終日に宝物でお守りのアンバーの指輪を笠利の海岸で無くしたんです。はずしたことの無い指輪です。手に握っていてしばしぼ〜ッとしていたら無くなってしまった。←嘘じゃないですよ、本気です。
で・・・、
「還っていったんだ」と、無くしたとは感じなかった。この島が私の宝物になり、お守りになる。宝物をまた探しにこようと心に決めて横浜に戻ったのです。

・・・で話に戻りますが「何か」という響きと「宝物」は同じ意味なんですよ、私にとってはネ。だからその宝物を見つけ育てるわけです。形は様々ですが。・・・。
意地でも造ります。なぜならそれは響いたことが作品であり、自分そのものだからです。物を作るのも、写真を撮るのも、例えば料理をするのも、仕事するのも恋するのも全て響いているからです。理由は後からついてきます。お金も後からついてくるでしょう・・・と、願うのデシタ( ̄∠  ̄ )ノ

2007年ミハチガツの頃、奄美と横浜の汀(みぎわ)で 「あちらへゆきましょう」と、、風が吹いてきた。
想えば、潮風のようだったきがするな〜


2008年は3カ月おきに写真展やイベントを抱え、生み出すことは楽しいはずなのにイベントを開催している最中から何もかもが空虚で、いつも寂しさとの戦い、何のためにやっているのかわからなくて、辛さだけがつのってゆきましたから・・・。
勿論成長はすごく、たくさん、あります。
やればやるだけ深みが増し、全て自分に返ってきます。で、またしばらくすると表現はしたくなるんですよね・・・。( ´∀`)つ

誰かに見せたいとか(勿論お客様にきていただきたいのですが)発表しようとか賞をとろうとか、そういう思いでは無くて、
今の自分を確かめたいというか、どこまでできるのかとか、〜ん〜ん
よくわからないのですがそんな感じなので、妥協したくないのです。

「私が、私に、挑戦状をつきつけ、私はわたしに負けるので、悔しいわけです。

2009年は「形」といいましたが、すこしづつ私らしさの空間が造れる様になってきましたので、最近はすこし心が「楽」をしています。
今年の最初の夢は奄美のお仕事でした。奄美の観光物産展をやりたいと昨年から願っていました。写真展の時に空間のひとつとして味わう空間は用意していましたが、物産展に写真や世界観を取り入れ物を売るのではなく手造りの「手」を売ろうと考えたからです。それが2月にやった「奄美の食と文化」ロビンソン百貨店での催事でした。人に任せて仕事にすることもできたかもしれないけれど、私はその手法ではない。

自分が体験し、全てをやって「苦も、楽も、あじわう」はじめてやったといえるから
です。やってみないとわからないことがあるからです。2週間毎日同じ時間に出勤し12時間働いて物売りをして一日中奄美PRし、お金を戴き販売する。

( ̄∠  ̄ )ノ足の血液が痛いという感覚を始めて体験した。

「一人でできることをやる」と、決め込んでいたので仕入れ、POP、装飾、用意すべてだった。とはいえ家族の手伝いや仲間の手伝いが入りなんんとか2人体制でイベントを終えました。この内容は、地元の新聞「南海日日新聞社」でも取り上げていただき、ご存知の方も多いと思います。
 商品を造っている人の顔や家族、集落の人たち、奄美の背景を知っているから、関わることでもっと知りたいから、喜びに変えできたことです。
「お預かりした商品は全てPRし販売して帰るぞ」という気持ちが支えていました。きっと島から行商や販売に来ている方々も昔の人たちはそう思って仕事したのではないでしょうか。

こうやって写真とは直接的には関係ないように思えることも実は繋がっているのです。撮影したおばちゃんがサトウキビで黒糖を造っていて、凄く美味しかったから「何とかしたい」販売先を探したり。この素材を使って新しいシマブランドの商品を作りシマをPRし販売の手伝いになればと思ってブランドを造ったりしています。

「世の中にあって、売れていて、奄美の素材を生かし、奄美に無いもの」それが私流シマブランドの「形」です。奄美手帳・奄美ビール・奄美 島サイダー・キラキラきび酢・・・などプロデュースする商品の続々と誕生します。

ひとりでは何もできませんね、
私は子供(ブランド)を生む海だとしたら、皆さんは育てる(マインド)太陽や月だと思っています。


5月6日グリーンストア名瀬入舟店(24時間営業)に徒根屋(とねや)がOPENします。
奄美の新ブランドの発進基地になるよう提案して参りますので、お楽しみに。
是非、立ち寄ってみてください。詳細は後ほど・・・あまみんブログの方も更新してますので観てください。只今ドイツ「群島奄美・100歳の記憶」写真展開催中です。

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April 16, 2009

奄美 皆既日食カウントダウンイベントに参加しました

4f25324c.jpg 奄美の皆既日食は最近メディアでも騒がれるようになってきました。
たまたま、本年初めにご紹介戴きFMラジオに招かれ、奄美手帳のお話しや奄美を題材にした活動などをお話し、たまたま奄美手帳を持っているというリスナーとのLIVEとーくなど楽しいラジオ出演がありました。
 今回はFMさん主催の皆既日食記念イベントということで写真家な私は出演依頼されましたが、野外ということと日中ということで、空中から写真が吊るせないのかとか
・・・、わがままなことを言っておりましたが  ̄_ゝ ̄)ノ「おもいっきり無理」だということで、・・・

しばし考えまして・・・・〜〜〜( ̄∠  ̄ )ノ

         シマ語りをすることにしました。

 久しぶりのブログタイム。かなり忙しくてなかなかPCの前に座る余裕がありませんでした。ほとんど、ブログとしての本来の機能は無視していますが、先日のイベントでも遠くの方から聞こえてきました声

  「たまには更新しろ〜」  と、

見て下さっているんだと実感した次第。と、言う声にお答えして( ´∀`)つ一気に最近の情報をお知らせします。かなり色々と奄美のことをやっておりますのでご覧になってください。また、ブログ休憩中がやってはきますが、見て置いてください。こんな性格ですいません。(^^)


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April 12, 2009

皆既日食のイベントに参加し、奄美の唄者とコラボです

182213cc.jpgレインボータウンFMに奄美の情報番組があるんです。 
14:00〜15:00「シンクロ+」
14:40〜15:00 「ぬ〜でんあまみ」というコーナーがあります。
v( ̄∇ ̄)v

2009年4月12日に開催された「皆既日食カウントダウンイベント」に出演してきました。

見慣れた顔の皆様にお会いできたこと、

奄美にご興味を持った人々が集いお会いできたこと、

まったく見ず知らずの江東区の方々に出逢えたこと、

今日も全ての偶然の恵みに感謝し、精一杯できることをやってきました。

出演者
歌手:築秋雄・偵一馬・安田竜馬
唄者:牧岡奈美
写真・語り:山中順子
主催:レインボータウンFM 14:00〜15:00「シンクロ+」


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January 20, 2009

奄美手帳 2009年版限定発売!関東は完売

4cabed30.jpg「奄美手帳」は2008年12月1日予約スタートし、12月20日に奄美から発売。南海日日新聞社、奄美新聞、奄美テレビ、西日本新聞、南日本新聞、奄美市東京事務所かわら版等で紹介。

 2009年1月18日東京奄美会新年会では来場者にチラシ配布して頂きました。皆様のご声援、ご協力により東京は完売致しました。
 奄美大島空港売店、ブックス十番館、楠田書店、あまみ庵、TUTAYA名瀬店、グリンストア入船店(24時間)、徳之島おかばやし商店、喜界島空港に各島々の書店、観光地に残りわずかとなり、奄美を想う方々の手に「奄美を持ち歩いて」いただいているようです。

 この場をお借りして、お礼申し上げます。トウトゥガナシ、有難うございました。今後も皆様の声を参考に、充実させて行きたいと想います。

 奄美手帳を制作するにあたり、私自身がたくさんの学び、歩きをしてまいりました。今も学びの途中ですが(笑)。私の活動に響いてくださったシマの先輩、100歳の活動を通じ出会ってきたご家族や集落の皆様、写真を支援してくださっている皆様、私の発想、創造の発露を、いつも瑞々しく支えてくださっていることに心から感謝しております。この出会いを下さった奄美群島そのものの引力に、あらためて深い感動を覚えます。

 奄美手帳は奄美群島そのものの多様性がコンパクトに詰まっています。奄美の深い世界観や歴史、暮らし、祭、伝承の心、長寿者の記憶の声が詰まっています。旧暦といってもついこの前まで日本人が使っていた暦なのです。私たち現代人にとって必要な情報が「かつて」の暮らしに詰まっています。

 失われた記憶の歴史でなく、今現在も日本人の失われてゆく心が、祭や信仰を奄美そのものが持ち備えています。原初の彩りは現代人に響く音や色、匂い、味・・全てが残っています。
(もちろん奄美だけでなく、稲作が残っているところには今も多く残っています。)

奄美手帳は毎年限定で発売致します。奄美を愛する奄美人、奄美の方々、島(自然とともに)のリズムで生きる方々へ・・・「手渡し」ができる情報として、皆様の手に届けてまいります。2010年もご期待ください・・・。
(奄美手帳ご予約は2009年9月1日より承ります。2010年度版 発売予定日11月1日)


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December 17, 2008

奄美手帳 販売店紹介

bba50a4a.jpg初の奄美手帳出荷日は12月20日となっています。クリスマスのお届けといたしまして2008年12月22〜25日より奄美手帳は下記店舗にて取扱っております。

東京でのお取り扱い店
あまみの家(亀戸)
出版元 襯汽錺鵐襦璽 奄美手帳メール受付 sawan@d7.dion.ne.jp


関西でのお取扱店
現在無し

鹿児島でのお取扱店
現在無し

奄美でのお取り扱い店
楠田書店、あまみ庵、奄美大島空港 売店 等
TUTAYA 名瀬店、セントラル楽器
大島紬村、夢おりの郷、グリーンストア名瀬店
コーラルパームス、ばしゃ山村、奄美観光ホテルなどのリゾートホテル
瀬戸内酒販、前川酒店などのお土産品店など
亀徳新港 徳之島観光協会、伊仙町おかばやし商店など
徳之島空港売店、喜界島空港売店などでも取り扱っています。

奄美群島にお立ち寄りの祭は最寄の店舗にてお求め下さい。
限定部数の為ご用命はお早めに・・・。





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奄美手帳が月間奄美12月号で紹介されました。

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December 16, 2008

初の「奄美手帳」発売開始 予約受付中!

26c4d394.jpgこの一冊で奄美がわかる
  奄美手帳発売中

奄美群島の姿が一目で分かる
ポケットサイズの便利帳


旧歴で行われる群島のシマ(集落)の伝統の祭りと意味を収載
2009年7月22日の「皆既日食」データ
日々の予定を記録する1週間見開きダイアリー
新暦、旧暦、月の満ち欠け、干支、曜日、24節気、雑節
年間の潮汐や日の出、日の入り、月の出、月の入り一覧
シマユムタ(方言)週間格言集
旧暦にちなんだ奄美の季節・気候「奄美12季」
農・海産物の収穫期
奄美群島の概況、人口、面積や指定文化財などのデータ
主な人物と島唄巡礼ページ
公共施設、産業、観光、暮らしの電話帳
加計呂麻・請・与路島航路の時刻表
群島の海と空のダイヤなど多彩なデータが満載!

価格1050円(税込み)

お申し込みはメールにて承ります。


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October 11, 2008

皆既日食 奄美

128c7d58.jpg今世紀最大の皆既日食「3分42秒、神秘の天文現象」
新暦 2009年7月22日 旧暦6月1日 10:55:47
 

 日本に限り、皆既日食が観察できるのは1963年7月21日の北海道東部で見られた皆既日食以来46年ぶり。2009年の皆既日食は、インド西部から始まり中国を横断してトカラ列島を通り小笠原・硫黄島そしてポリネシアまで至ります。ほとんどが海上での皆既となります。2009年7月22日午前10時57分頃、鹿児島県のトカラ列島(十島村)、種子島南部、屋久島、喜界島、奄美大島笠利、龍郷の北部などで観測可能。皆既日食とは、月と太陽が重なって見える現象で、月が太陽を完全に覆い隠します。金環日食では月の周囲に太陽の光が輪になって残って見えます。皆既の間は数分間辺りは急に昼間でも夜の闇ような景色となります。コロナ(太陽の大気)が明るいので月夜くらいの明るさで、青紫色がかった空の美も観ることができ、皆既に近づくにつれ気温が下がり夏などは10度くらい下がることもあり、動物たちが騒ぎだすと言われています。目・耳・肌の全身の器官を揺さぶり、5感でその神秘を感じることができる天文現象です。普段見ることができない太陽から吹き出すコロナやプロシネンスも観られます。次回日本国内で皆既日食が観測できるのは26年後の2035年、同じ地域で皆既日食が見られるのは300年に一度とも言われています。太陽が全て隠れる直後(直前はリングにあたるコロナが見えないので)のみ、太陽の光が一ヵ所だけ漏れ出て輝く瞬間、これを「ダイヤモンドリング」と言う。
       
 太陽の隠れ方の違いによって次の3つの種類があります。
皆既日食 :太陽が月に完全にぴったりと重なり隠れるもの。(月と地球の公転軌道は厳密な円ではないため見かけ上月のほうが大きい場合)
金環(日)食 :太陽と月がきれいに重なるが完全に隠すことができず,太陽がリング状に残って見えるもの。(見かけ上の大きさが、太陽の方が大きい場合)
部分日食 :太陽の一部分だけが月に隠れるもの。上記2つの日食の前後にも起こります。2009年7月の日食では、日本各地で部分日食が観測されます。部分日食は一般的に皆既日食帯に近いほど、大きく欠けて見られます。

 太陽がさんざめき、漆黒の闇は月の光を奏でさせる奄美の海と森。宇宙の神秘の瞬き「3分42秒の神秘」闇の木霊に包まれる時空間を体感できることでしょう。

2009年度版 「奄美手帳」製作中です。




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October 09, 2008

南海日日新聞記事より 「永遠のマブライ―群島・奄美の世界観」

d3b39d40.jpg南海日日新聞取材記事より
港ヨコハマに深い感動の風
山中順子さん「永遠のマブライ―群島・奄美の世界観」
写真、映像、唄、語りなどで多様な奄美を表現

奄美を撮り続けている写真家山中順子さん(三七)の写真展「永遠(とわ)のマブライ―群島・お奄美の世界観」が、このほど横浜市で開かれた。青い月明かりと写真で構成した空間にシマの聖地を作り、映像や島唄、舞い、語り、食など多彩なイベントを盛り込んで多様で深い奄美の世界を表現。訪れた港ヨコハマの観客に感動を与えた。
写真展は三日から十一日まで、横浜市の中心街にある「ZAIM」(財務)であった。テーマの「マブライ」は、徳之島に残る「自然の神々に守られ、祖先に導かれて今の恵みがある」という考え。
会場は月明かりを意味する青で統一され、五十点の写真で長寿、食、産業、ユタ(シャーマン)、トゥール(古墓)、祭り、聖地など九つのコーナーを配置。正面の壁には満月の夜に撮った立神の写真(縦一叩横三叩法C羆には奄美から取り寄せたサンゴの石垣や白砂、野草でグンギン(神石)を造り、その周辺を歌や踊りのステージとした。
独自に撮影した映像も常時上映されたほか、加計呂麻島で撮影したディゴの老木を横二叩高さ三辰瞭誕腑廛螢鵐箸靴深命燭人目をひいた。さらに、島のカフェ」としてトーグラ(台所)のコーナーも設置。うこんキビ酢、黒糖菓子、黒糖焼酎、よもぎ餅、ミキなどが観客に振る舞われた。
ステージでは、加計呂麻島出身で横浜在住の唄者朝崎郁恵さんが島歌を響かせたほか、朝崎さんが主宰する十五夜会のメンバーが八月踊りや六調を披露。観客も入って、会場は奄美一色に染まった。
また、奄美の文化との新たな共演として、女優の小川知子さんに語りや女優でダンサーの更紗の踊り、国内外で活動している津軽三味線の久保田祐司さんの演奏もあった。山中さんは、二〇〇〇年から「生命」をテーマに奄美各島に通い続け、百歳の長寿者や新生児を中心に撮影している。最近は長寿者が暮らすシマの環境、島人の置き方、古くから伝わる考え方などシマの深みや多様性を撮り続け、独自の企画と構成で新たな奄美を発信し、注目されている。

永遠のマブライ」展を終えて
「生命を生きることの深み」を学んだ奄美

私と奄美の最初の出会いは浜の潮風に含まれている波の音、シュナリ(潮鳴り)でした。奄美で生きる方々にとってシュナリの音は生まれてから亡くなるまでずっと傍にある記憶の音なのでしょう。
横浜で生まれ育ち、ハマっ子の私にも汐の風が寄り添っています。多様な人や文化、情報が混ざり合う港ヨコハマで異国の文化と触れ、他国の方々と交流するハマの自由さが身体に沁(し)み込んでいるからなのでしょうか。十代は湘南、グアム、沖縄。二十代はハワイ、与論島、香港、オーストラリア、シアトル、ニューヨークなどアメリカを中心に旅をしました。
一番の長旅はマイアミからルート10号を走り、ニューオーリンズ、メキシコ、赤に染まる雪のグランドキャニオン、ラスベガス各地を回ってロス、サンタモニカまで二カ月近い車の旅でした。その他、シンガポール、フィリピン、ドミニカ共和国、カリブ海などさまざまな土地を巡りました。二十代後半はタイの寺院や宗教心に触れアジアの生命感を感じる旅をしていました。
その頃は、写真家になろうなどとは一瞬たりとも思わず、趣味の域にも達していませんでした。写真は撮りませんでしたが、各地への旅で感度を広めたことで、肉体のシャッターで一瞬を切り取り、全て記憶の倉庫にしまって熟成しています。
写真家として、二〇〇〇年から「生命」をテーマに、奄美群島の百歳以上の長寿者や沐浴、新生児など、奄美の精神世界、聖地、祭り、シャーマン、暮らしなどを撮り続けてきました。それは身体に響く場所、人、シマに潜む言葉に触れる旅でもありました。
奄美に出会う前から、響いた場所には出向いていましたが「こころの帰る場所」が見つからないでいました。また、写真家を名乗りながら自身の感性は「写真の域」にとどまらず、映像、絵、音楽、詞、香り、味、手作りなどに響いていて、表現の形にこだわっていないと思いつつも写真を通じてエンターティエメントの仕事をしていました。
そうした中での奄美との出会い。奄美が心の眼(故郷、母)となって、死生観や生命(いのち)を見ている、そのことに響き、拘(かか)わりをもっている、いのちを戴き、死を迎えることが本当に美しいことだ、と感じさせられました。
徳之島で「マブライ」という不思議な響きのある言葉に出会いました。自然の神々に守られ、祖先や親に導かれて、他者の方々の導きで幸や恵、生きる喜びを頂くという考え方です。他者をはじめ、生命ある万物に感謝し生きる人をマブライムンと言う、と。 
心の根に響く言葉でした。その言葉が持つ意味の深さを知りたいと思うようになり、さらに奄美へ通い続けました。マブライの世界観を記した徳之島町徳和瀬集落の民俗研究家・松山光秀さんに会いに行きました。しかし、松山さんは急逝されていて、奥様にお話しを聞くことにしました。徳和瀬の集落や祭りの浜、墓、干瀬とイノーの浜などを歩きました。
やがて、マブライの記憶の色は「青の刺繍」となって焼きつき、自然も人も全ては繋がっていることを、知識としてではなく、身体の記憶として学びとることができました。奄美に触れた者の一人として、この世界観を私なりに確かに伝えたいと思いました。それが今回の「永遠のマブライ」です。写真、映像、音、空間、私自身に寄り添った記憶の数々を表現してみました。奄美という多様で深い群島で私が頂いた、たくさんの導きや恵、生命感を現代人の内面に添え、いつの時代にも色褪(あ)せない深い眼差しや身の置き方をお感じになっていただきたい、皆さんに永遠のマブライがありますように、そう願って「青」の空間をつくりました。
出会の一瞬に感じたものは、時間に醸成された後に、やがて「ああ、そうだったのか」と私の内に入ってきます。「後繋がり」です。おそらく、この積み重ねが私の世界観となっていくのでしょう。
「私とは何か、何処へ行くのか、私は何のために存在しているのか、私はどこへ帰るのか」。まだ掴めないでいますが、これからもマブライが秘めている世界観を追求し、表現してゆきたいと、深く思いを奄美に寄せています。
どんなに遠くにいても、いつでも一緒にいてくれる奄美。あなたはあなたのままで素敵だよって言ってくれている奄美。私が私になれる場所に出会えたことが、生命(いのち)を生きる喜びになっています。
「joy of life  生きていること、私の人生の喜び」。「Maburai...blest and guided by ancestors and the many gods of mother nature.(ご先祖様と多くの導き、母なる自然の神々によって授けられ、導かれたマブライ)。


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July 19, 2008

マブライ(生命) ヌチ ドゥ タカラ  奄美のことば

87d4645d.jpg マブライとは自然の神々や祖先、親に守られて導かれ、幸や恵を頂くことをマブライといい、恵をいただく人のことをマブライムンといいいます。

 ヌチ(いのち)を頂いて今日の生命(いのち)を生きる。
命こそ宝、命をキミ、アナタ、ボク、ワタシに置き換えてみたら・・・。気がつくでしょう。マブライをえて私たちは生きている。辛いことも嬉しいことも表裏一体で、その全てがあって今、この瞬間の恵に喜び、感じることができる。ささやかな喜びが忘れられない記憶の扉に入り込む。

 生きることは命を頂くこと。
最近、睡眠と食事をしっかりとらない生活が続いていた。元気を出そうと焼肉屋さんにいきました。レバー刺し、豚焼きを頂く。「2日以上、肉は生のままおかないから新鮮だよ・・・」と女将さんが言った。新鮮。この豚は最近まで生きてたんだと思いながら、一気に豚をゴマ油とお塩につけてたべました。命の色は赤いんだね、私の血になりました・・・。いただきますと言うことばには、ほかの命が含まれていることに気がつきました。言葉では分かっていたけれど、実感するのは本当に必要になり、体も心も欲しいと叫んだ時に、肉体に響く言葉が導き出されてゆくのですね。頂きますという日常に命の恵があるのですね。

ヌチ ミショレ(命を召し上がれ)

写真展の詳細
私の奄美の紹介ページです。


リエンタの「クールシーン」にアーティスト紹介で奄美観や私観を取材していただきました。

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July 18, 2008

山中順子 マブライ 作品展 奄美の世界

e98f6794.jpg奄美五感アートミュージアム 〜学び、遊び、導き〜
山中順子展群島奄美の世界感・゜・☆。・゜。・。
。・゜☆・゜・ ・。。・。。。・゜゜・☆。・。゜・。
        ・。。・。・。・。○o。・・。:。☆ ・゜。・。☆・゜・。
マブライ 。・゜☆・゜・ 。・・゜・。 。 ☆・゜・。・。’。・゜・
生命 〜ヌチ ドゥ タカラ〜  

生きる命と書いて「生命」と呼ぶ。
大地を抱え、天に傘さす常緑樹。
しじまの闇に眠る白骨。
たゆたう海を静かに見つめるお年寄り。
笑顔さんざめく子供たち…。
それぞれに生命がそよいでいる。
命の灯が燃え尽きたものたちは次代の記憶に生き続け、
大地に還った生命は新たな生命の養分となって生き続ける。
変わらぬ想いの添わせと瑞々しい眼差しの光があれば、
命は永久に生き続け「生命」となる。
「ヌチ ドゥ タカラ」(命こそ宝)。奄美の島々に残る短く深い言葉。
海、森、川、木、岩、山、星そして祖先…。島の人々は「大自然に守られ、祖先に導かれて今の私が生きている」というマブライの世界観を内に秘め、あらゆる存在に想いを添わせ、時にそれらを神々として崇め、清らかな眼差しを注ぐ。
声高に主張することなく、ゆるやかに、はにかみつつ生きる、その身の置き方から静かに発酵するしずくのひとつひとつを、1人の写真家が8年かけてすくい、独自の感性をそよがせて提示する生命の深い淵。
「ヌチ ドゥ タカラ」「マブライ」
今夏、二つの柔らかな星があなたの胸を流れる天の川にそっと寄り添う。

。・゜☆・゜・ 。・・゜・。 。 ☆・゜・。・。’。・゜・

青く光る闇、月夜の世界、生命の色を五感でお感じになってください。  
会場では観る、聴く、触れ、嗅ぐ、味わう五感立体アート。
学び 遊び 導きの時空間でひと時を過ごし下さい。                
7月18日〜7月21日、7月24日〜7月27日 
第1話 干瀬のガジュマル 〜海と森のゆりかご、シャーマンの神祭り〜 
7月31日〜8月 3日、8月14日〜8月17日 
第2話 シマ、ワタシ 〜シマ(集落)の宇宙、カミミチ、土俵〜  
8月21日〜8月24日、8月28日〜8月31日 
第3話 ヌチ、100歳 〜誕生(沐浴)、ヌチ(いのち)の食、100歳の眼差し〜 

開催期間2008年7月18日(満月)〜8月31日(新月) 毎週木曜〜日曜
場所は東大前になります。

〒113−0024 東京都文京区西片2−22−21 B01
筍娃魁檻僑牽娃機檻苅毅沓
ギャラリーVoice box
東京メトロ南北線 東大前下車 本郷弥生交差点から1分

写真展の情報何度詳しく載っていますのでReENTA Tasteをご覧になってください。
大人のエンターテイメント・ライフを提案する情報サイトReENTA Tasteにて詳細はご覧になれます。

私の奄美ページもご覧になってください http://www.amamine.jp


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May 21, 2008

皆既日食 奄美 月の話

c4034e4a.jpg(livedoor 地図情報)

 月から連想するものはなんでしょうか?。私の場合は暦であったり、旬の食であったり、銀河、シンボル、女神、女性の体、母・・・などたくさんのイメージや影響を持つ存在のひとつです。

 来年,奄美の北部で皆既日食を見ることができる。今世紀最大といわれる皆既日食です。2009年7月22日。詳しくは、amamine.jpあまみんブログで紹介します。昨年の10月やっと奄民暦として、月のマブライ、月の暦を作りました。是非御参考にしてみてください。注文等はメールで受け付けています.

★奄民暦 月下美人カレンダー             1200円
「奄美旧暦 月のマブライ(自然の神々の守護と導き)」
裏面はポストカードとして、リビングを旧暦の奄美に導いてくれます。

 旧暦は自然にもっとも近い月暦(つきごよみ)。奄美の各集落(シマジマ)では、伝統の祭りや潮見(干満)、月見などはほとんど旧暦で行われています。旧暦が生きているということは、自然と共に生きる島人の身の置き方が今も生きているという証し。旧暦は、これからも受け継いでいかなければならない先人からの大切な知恵の贈り物なのです。詳しくは 奄民(あまみん)で・・・

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月 風 水 太陽 奄美  永遠のマブライ写真展

ありがとう、ありがとう、ありがとうございました。

 5月3日から11日までマブライを開催することが出来、たくさんの響鳴者の皆様、スタッフの皆様、ボランティアスタッフの皆様、後援:協力の皆様、導きで来場してくださった皆様。本当にありがとうございました。

 今回の作品展は、「永遠のマブライ」というタイトルでしたが、私自身奄美とであって、多くの守護と導きがあって、マブラッテ、今が繋がってきています。
マブライ(自然の神々や祖先の守護と導き、他者から頂いた恵)をひとつひとつ、大切にし形にしてきました。

月夜の闇の浜、群島を旅して獲た色、青の刺繍、やわらかな風、草木の匂い、聖地(グンギン、イビガナシ)

奄美巡礼、群島奄美の世界観、私の世界観をお感じになっていただけましたでしょうか、会場は暗い闇を表現していました。奄美へ行くようになって、太陽の大切さ、月の大切さ、自然と生ている喜びを感じながら、旅を終え飛行機の小窓に写る景色は、しだいに明るくなる街灯に照らされた海、街の明かり、都会のネオンの闇でした。私が生きている時間や世界は明るい。24時間自然光ではなく、電飾に照らされた明るい景色でした。続きはあまみんブログで・・・

奄美の家さんでも、写真展の御紹介いただいております。とても素敵な奄美の方々、奄美を愛する方々が募るお店です。東京の亀戸にあります。お近くの方は是非言ってみてください。鹿児島県奄美市鹿児島県奄美市

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May 04, 2008

朝崎郁恵さんが写真展のシンボル「聖地」でLIVEを行いました。

facb0879.jpg月の祭 ミハチガツ 「ハマオレ」 山中順子写真展×朝崎郁恵ライブ響声の時 5月4日(19:00〜)に、開催しました。
聖なる祭り「ミハチガツ」闇夜に浮かぶ満月に照らされ、ハマの象徴立神(タチガミ)が浮かび上がります。
潮の風と野の香りに心の根の奥の声は、今宵淡い月の光りがこぼれる浜辺に風波となって奏でられます。
奄美のウタシャ朝崎郁恵さんの魂の響声が、私のの世界観「永遠のマブライ」と混交し新たな生命を響かせる時空間でとなり、神祭りと朝崎さんはお話されていました。
15夜会の皆さんが聖地を囲んで、踊る。朝崎郁恵さんの太鼓の音で音が、共鳴する。シマの匂いと、写真が木霊し、ひとつの奄美時間が創造できたと感じています。
月闇の夜、青の刺繍の世界でした。


朝崎郁恵さんのブログ、楽屋写真が載っています

ライブの詳細は朝崎さんのホームページでご覧になれます。

※5月4日は旧暦の3月29日ハマオレの日。ハマオレとはお弁当を持ち寄りハマで遊ぶことの意

続きは奄民でご覧になれます。 http://www.amamine.jp/
奄民★あまみんblog 奄美対談、異話響談、奄美の24節気「食の話」、群島奄美 百歳の話など・・・。


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May 01, 2008

奄美を題材にした写真展での、響演者たち

430d3340.jpg響演の時 月の祭 「ミハチガツ」 5月3日、4日、5日 18:00〜

タイトル 舞 音 語 マイネガタリ「月のマブライ」「カンツメ物語」「神の上に水がある」
響演の時 5月3日(16:00〜・18:00〜)
「響き合い、円環する生命」をテーマに、五感の響演。
それは・・・・「舞音語り」願いは、奏でられ、舞い、永遠の愛を語らう。
※マイネガタリとルビを入れてください。

タイトル  「ハマオレ」    響声の時 5月4日(19:00〜)
5月4日は旧暦の3月29日ハマオレの日。闇夜に浮かぶ月。潮の風と野の香りに心の根の奥の声は今宵、風波となって奏でられる。奄美のウタシャ朝崎郁恵さん魂の響声が永遠のマブライと混交する時空間です。 入場3000円

「es」         響声の時 5月5日(19:00〜)
天から舞い降りた美声。アコースティックで優しく野の月夜に、触れるような音声を響かせます。山中の作詞した、永遠のマブライを唄っていただきます。

タイトル    『あまんゆ』 UTSUSHIE写絵 阿麻弥耶 
動と静・光と影、記憶の 奥にある懐かしさ。 目に見えない闇の中にある世界を五感で感じる作品。
言葉を超えた想い、宇宙感を巨大襖絵5メートルに描き(写絵)ました。

タイトル    トーグラ(島のカフェ)
五感カフェ。観る、嗅ぐ、触れ、聞く、食すアート空間。
ゆったりとくつろぐマブライカフェ。
夜光貝のお守り作りや玉石、聖地の白砂にも出逢えます。
★石の鑑定士が、貴方と石の波動を結びつけてくれます。

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山中順子写真展 「永遠のマブライ」

c083f15f.jpg山中順子写真展
永遠のマブライ 〜群島・奄美の世界観〜

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開催日:2008年5月3,4,5日(土日月)
12:00〜21:00
月の祭「ミハチガツ」 18:00〜21:00
場所:横浜ZAIM 日本大通り 横浜スタジアム前(旧財務所)2F大ホール(288屐
「母なる島、生命の島」〜群島・奄美 長寿・百歳の世界観〜201ホール(150屐

好評につき追加開催のお知らせ 開催期間延長:2008年5月11日まで(日)201ホール
12:00〜20:00

永遠のマブライ 
 …あなたの存在やあなたの今お感じになっている「恵み」は、どなたから戴いたものでしょうか。
一般的には、周囲の方々のご協力や自身の努力と能力などによって私の今があり、幸せがあると考えるのかも知れません。
 奄美の島々では、その幸や恵みは大自然や祖先に守られているからだ、と考えられています。
マブライ(自然、祖先や神々の守護と導き)といいます。自然が無為に教えてくれた心の根のことばです。「自然や祖先、ウヤフジ(親)に導かれて今の私があり、恵みや幸がある」という考え方です。自然や祖先から外されることがないように、生命ある万物に感謝し、恵みを戴く人、それを「マブライムン」と呼びます。深い、深い世界観です。

「愛」に変ることばが見つからないでいました。
心の奥の奥、深いところから音として響く根のことばです。

観る、聴く、触る、嗅ぐ、食す。

予感・・・。

「響き合い、円環する生命」 

それは・・・・、

「写す、撮る、舞い・奏で・語る」立体アート展。
マブライの響演者は、聖なる光りとなって浮き上がります。
雲間から差し込む可能性の月光のように、

あなたに…、きみに…、「永遠のマブライ」がさんざめく。
願いは、奏でられ、舞い、永遠の愛を語らう時空間。

奄美から届けられた、野、浜、聖地・・・。
闇に光る月、森、波、暮らし・・・。

五感や六感をそっと開放してみてください。

マブライとは、自然の導きによって出逢うもの。
大切な人から頂いた、時間や想い・・・。

あなた、きみ・・・、

皆さんに永遠のマブライが訪れますように・・・。

マブライとは「自然の神々に守護され、導かれている」という意味。


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February 20, 2008

2008シニアライフEXPO  群島・奄美 長寿・100歳の世界観

5ea7bc6c.jpg

特別企画 山中順子写真展
「母なるシマ、生命の島」
〜群島・奄美 長寿・100歳の世界観〜

2008シニアライフEXPO in 東京ビックサイト東4ホール
2月27,28,29 3日間開催されます。

今回の見どころと・・・・

鹿児島と沖縄の間に浮かぶ奄美の島々。人口13万人の群島ながら、これまで2人の「長寿世界一」(ギネスブック)が輩出したほか、現在も100歳以上の長寿者が100人以上も暮らすなど名実ともに「長寿の島」である。その群島に写真家・山中順子が7年間通いつめ、島の人々と寝食を共にしながら、自身の野生の器官が響くままに長寿者を撮り、取材してきた。一体、奄美の長者はどのような空間で、どのような身の置き方をしてきたのか。その生命力を育んだ奄美とはどのような島なのか。それは、現代に生きる私たちや未来の暮らしへどのようなメッセージを送るのか。群島・奄美と一人の写真家の共鳴が奏でる深い優しさと永遠の生命の響き……。

★昨年に引き続きビックサイトで写真展を開催することになり、今回は6×12メートルの8ブースを使って特別企画展となりました。昨年の表参道スパイラルでのアマミズム2007(主催:奄美群島広域事務組合)での写真展のテーマ「母なるシマ、生命(いのち)の島」を立体的に表現します。奄美の聖域であるカミミチ、ミャー(祭り広場)には集落安泰、豊作祈願、自然崇拝のイビガナシやグンギンを展示。長寿の方々の身の置かれた時空間を実際に五感で感じ、視覚、触覚、味覚、臭覚、聴覚が少しでもお感じになれれば・・・と、思っております。6感も開かれるかもしれませんね。当日は奄美の幻のお酢「うこんきびす」、徳之島の奇跡「長寿のシマの水」長寿の秘訣カルシウム「骨密度測定」など試飲・サンプル・体験といったイベントもおこなっておりますので御来場ください。

なぜ奄美の長寿なのか・・・チョコット話
潮鳴りの導き
 2000年夏、私は奄美大島北部にある「神の子」集落のハマに足を浸し、優しくも懐かしい波の音色(シュナリ=潮鳴り)の響きに触れていました。まろやかな潮の香り、おたおやかな風、果てしないエネルギーを密封した光…。瑞々しい鮮度の自然に抱かれ、全身が震えつつ再生していくのを覚えました。その感覚は、人から聞いた知識やメディアで得た情報の確認とは明らかに異なる、島の自然の記憶のようなものと私の「野生の身体」が響き合い、感応したものでした。「この響きを、この感応を追求してみたい」。そこから私の奄美通いが始まりました。
 7年通い続け、100人余の長寿者を撮ってきました。さらに、2007年9月末から足掛け2カ月間、これまでの総括と長寿者の世界観、奄美のシマジマの小宇宙、島の入り口と可能性などを求めて歩き直しました。私の手足は、これまで私自身が撮りためた長寿者の手やまなざしの先にある存在や長寿者が身を置いたシマの空間や世界観をまさぐりはじめていました。「生」と同居する聖地や古墓など、もう一つの世界を無心になって撮り続けていました。それは、死から生を見るようなことであり、私自身が新しい未来へ歩いていくような発見と手ごたえの旅でもありました。
どうぞ、お立ち寄りください。

※徳之島では自然の恵みに守られて生きることを「マブライ」と言います。次の私のテーマです。5月横浜ZAIMにて行うの写真展で「永遠のマブライ」として表現いたします。

続きは奄民でご覧になれます。 http://www.amamine.jp/

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February 18, 2008

キリボシ  〜ハマの畑からハマの食卓へ〜

413da78e.jpg何かを始める時、いつも自身に問いかける言葉がある。例えば、料理を作りに台所に来た、とする。「家庭料理とは何か」「私は何のために家庭料理を作るのか」と問いかける。そうした答えに久しぶりにフィットする導きがあった。

08年1月26日、奄美大島奄美市笠利町節田集落のハマに立ち寄った。浜辺に沿って茂る防風林のアダン。そのわずかな空間に、海に向かって造られた三角形の小屋があった。一目して手作りと分かる。人が背をかがめて通れるほどの、狭い小屋の空間の中央に白く眩しいものがぶら下がり、かすかに揺れている。
「なんだろう」。近づくと、クリーニング屋さんから届けられる針金のハンガーに、両股開きになってつるされた切り干し大根だった。近くの家庭菜園には、大根のほかホウレンソウやレタス、ニンジン、ジャガイモ、フル(ニンニクの葉)、ブロッコリー、フダンソウ、ネギ、キャベツなどありとあらゆる野菜が彩りを添えていた。海辺の菜園は豊作だった。
やがて、民家からビーチサンダルのおばちゃんがゆっくり近づいてきた。私も間合いを詰めていく。「こんにちは〜」「何処から来たの〜?シマの人ね?」。シマの暮らし人とまれびとの、いつもの切り出しである。針金ハンガーを活用する生活の智恵のリサイクルに話を弾ませながら、切り干し大根の作り方を聞いた。奄美の切り干し大根は各家庭によって多少の差はあるが長くて、太い。
この方の作り方は2日間風通しの良い場所にぶら下げた後、一回ゆでてまた干す。「ゆでて干すのが」のがコツだ。ゆでておくとやわらかく、戻した時に料理しやすく、味もいいらしい。何年でも持つ、という。大地から抜け出た大根は、切り干しされ、最初は白く艶光りしているが、乾燥するにつれ、薄い黄金色を醸し出し、優しく日焼けしたおばちゃんの笑顔の肌の色に戻る。
…と、ここまでは、どこにでもある食の話だが、奄美の場合はここからドラマが始まる。切り干し大根が揺れていた小屋。そこは昨年、96歳で逝ったウタシャ(シマ唄の名手)里英吉さんが毎日、サンシン(三味線)を弾き、海の彼方に向かって歌っていた空間だった。

あん雲の下だろや
 あわ吾かなしゃる人や
 あん雲の下だろや
 (あの雲の下でしょう 私の愛しい人は あの雲の下でしょう)

海を隔て、離れて暮らす二人。そばに居て体温を共有することのない愛しい人を、「あの雲の下に…」と、裏の声で切々と歌う奄美のシマ唄「朝花節」である。英吉さんは、折につけてこの唄を歌っていた。「あの雲の下」には喜界島が浮かぶ。実は、英吉さんは船乗りあった20代のころ、あの雲の下の島に住む女性と恋に落ち、女児を授かっていた。しかし、両親の反対で成就することなく、二人は別々の人生を歩むことになった。以来、里さんはサンシンを弾きつつ、彼方の島へ向かいひたすら唄い続けていたのだった。
やがて、その姿は地元の新聞に載り、さらにテレビが取り上げ、偶然その画面を見た大阪の女性が「もしや私のお父さんでは…」と、英吉さんのもとを訪ねる。実に68年の歳月を経て出会う親子の初対面であった。
運命の出会いから2年後、英吉さんは静かに旅立った。お墓は、「あの雲の下の島」が一望できる小高い丘に建つ。アダン林の小屋では、英吉さんに代わって風に揺れる切り干し大根が「あの雲の下に…」を奏でているのだった。

続きは奄民でご覧になれます。 http://www.amamine.jp/

奄民★あまみんblog 奄美対談、異話響談、奄美の24節気「食の話」、群島奄美 百歳の話など・・・。

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February 09, 2008

なぜ群島なのか

c042cd2e.jpgシマ。深遠なる宇宙。

奄美は、母であり、生命そのもの(野生の感度)を呼び起こし、本能を開かせてくれる群島です。8つの多様な島々が交流し、海で繋がりあっている。多様で独特なことば(方言)、シマウタ、踊り、民話、聖地などの色彩があって一つの奄美群島なのです。
奄美という群島は、シマで構成されている。シマは集落、人々の精神の寄りどころです。奄美の人々が出会うと「あなたのしまは何処ですか?」と真っ先に尋ねる。この場合の「しま」は島(アイランド)ではなくシマ。島の人々にとっては島という存在の前にシマがあるのです。人々は命を頂き、成長し、個性をつくり、天に召されるまで自分の生まれたシマを母として暮らしています。
島を訪ね、さらにシマに入ってゆくと長寿の方々の暮らしと匂いが漂ってきます。やがてカミヤマ、カミミチ、アシャゲ、イビガナシ、グンギンなどの人々が精神のよりどころとする聖地に出逢い、ページをめくるように人々の瞳の奥の奥にある世界観が見えてきます。シマの深遠に触れずして島は語れないのです。

参考までに・・・
奄美は鹿児島県の南部に位置する有人島。喜界島・奄美大島・加計呂麻島・与路島・請島・徳之島・沖永良部島・与論島の8島の群島・奄美といいます。気候は、全体が亜熱帯に属しています。東京羽田から奄美空港までは約2時間のフライト。JAL一日一便です。




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January 11, 2008

私にとって奄美とは

59324781.jpg★奄美の存在。
 切なさ、愛しさ、懐かしさが潜み、太陽と月。闇と光りが輝き可能性の閃光を放つように、奄美は私の心の奥の情熱が湧き上がる器官に話しかけてきます。偶然と必然がつながり合い自然が導き出してくれる場所で、出会いの恵がおとづれるのです。生きとし生ける全てのものが支え合い、生と死の円環する宇宙、奄美。その深く、多様な彩りは豊穣な泉のように汲めども汲めども汲め尽くすことができません。私の奄美の旅はまだ入り口ですが、本物が残る時代だからこそ、原初の残る奄美の人々の暮らしの中から生まれた知恵や経験、感性、言葉を残してゆきたい。それが、奄美の可能性であり私自身の可能性だと考えてます。

 私は東京にいるときは、いつもビルの隙間から空を見上げて、月と星★太陽と雲を探しています。月や太陽は毎日色が違うのです。赤、白、銀色、緑、青、ゴールド、茜色や神々しい色を自然は毎日表情を変えて、ココロの声を呼び覚ましてくれます。東京の空は、ネオンの明かりで明るくて、星が数十ほどしか見当たらない。けれど、奄美の空の記憶を思い出し、自身に問いかけると、感覚の扉が「ふぅ〜」とやさしく開き、たちまち言葉や創造性が沸き出てくるのです。奄美とは自身に「何か・・・」という大きな生命を与える母なるシマなのです。

写真 節田タチガミ。カミの寄りしろ。

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January 01, 2008

私と群島・奄美

f3f14d9e.jpg★なぜ、奄美なのか

潮鳴り(シュナリ)や人々との出会いと共鳴
2000年の夏、神の子のハマ。その優しく懐かしい始めて聞こえてきた・・・音。
いや・・・、響いてきた音は波の音でした。初めて奄美の浜に立ったとき、その音に触れていました。全身がふるえ、時の風や潮、光の音の感覚。人から聞いたとか、本を読んで知ったとかではないのです。土地の記憶のようなものと私の身体が感じたものであり、光や風、砂浜の自然の手触りであり、足の裏で「すくい撮った」感じたものなんです。昨年9末から10月のやく2ヶ月はそれらがよみがえってくるような歩き方をいたしました。過去に戻るのではなく、未来へ歩いていくような、新しい私自身の奄美の入り口を探し歩くという感じで・・・感覚が捉えましたが言葉が見つからないでいました。
ある日このことシマの友人にそのことを打ち分け、お話をしたら、それはシュナリというんだよ・・・と、教えてくれました。じいちゃん、ばーちゃんが海の彼方を見つめ、物思い暮らしているまなざしの音。シマは海に囲まれ出会いと別れが常に表裏しており、生きることが海と交わって暮らすことなんだよ・・・と。心の根の部分に響いている音、記憶の音がシュナリと言うそうです。深い深いこころの根を探ることばの響きでした。それらは、情感を育てている音なんでしょうね。シュナリは私を奄美の精神部分の入り口に立てる、音の導きだったのです。私を育む音だったのです。

シュナリ(潮鳴り)の音は3重奏
リーフ(奥から打ち寄せる大きな音)/ 沖
イノー(平瀬の波の風の音)/ 干瀬(ひせ)
波打ちぎわ(汀のはじける泡の花の音)/ 砂浜 

海・ネリヤの彼方からの波の音の導きで、南風(ハエ)が潮風を運ぶ。
潮鳴(シュナリ)が胸に染み入るのを目・耳・肌・匂いで聞いた。
シュナリ(潮鳴り)は、シマ人のこころ根に響き、切なさ、優しさ、寂しさ、苦しさ、いとおしさなどの無数の心のひだ(情感)を育んでゆく。
記憶の奥の、記憶の奥に導かれるようにして・・・。
シマに潜んでいる音を聞く。
2000年初めての奄美の波音から、その音に再会したのが2007年10月13日徳之島・金見のハマでした。そして、2008年冬。潮鳴りの願立ての浜は、白い泡の波の花を咲かせ、私の足元から記憶を運び、マブライ(自然の神々の守護と導き)の地となりました。


junkoyamanaka at 05:04|Permalinkclip!ライフワーク 

December 08, 2007

奄美は可能性の光りがさんざめくシマ〜南海日日新聞社取材記事

9c5e3b90.jpg南海日日新聞社 12月21日 掲載インタビューより ―表参道という東京の中心地で広域事務組合主催の奄美イベントが行われましたが、いかがでしたか。
山中 AMAMISM2007に参加させていただき、誠にありがとうございます。正式にイベントへの参加は今年の9月にお話が決まりましたので、それから急いでシマに伺い、皆様にはたくさんの協力をしていただきました。今回のイベントに彩を添えていただき素晴らしいイベントになりましたこと、この場をおかりして御礼申し上げます。ありがとうございました。会場に来られなかったシマの方々の協力と郷土の思いがあったからこそ、私の目や手を通してですが、シマの世界観が関東の方々に伝えられたと、心から想っています。私一人ではできませんでした。初めてシマに来てから7年という月日が流れておりますが、それまでに出会った方々の、シマを愛する思いや私にシマという寛容な心で接してくださっている方々の思いと導きの繋がりがあって、過去も今現在も私は支えられております。遠距離恋愛のようにシマを思う気持ちが、シマと‘体話‘し、語らい、撮り続けた結果、今日の作品に繋がっているのだと心から実感しています。
 ―この企画、最初は「奄美学」だったようですね。
★山中 ええ。確かに一つの「学び」としての「奄美学」ならいい言葉だと思っていましたが、私が表現するなら奄美は「民(庶民)の文化」ですから奄美学より「奄民学」だな、「民」を残したいな、と思いました。既に奄美には「奄美学」の著作もありますし、到底、私が背負えるものではない、私はもっと身近な「声」とか「記憶」の部分、シマの方々との触れ合いで感じた土地の「におい」を触っていきたい、それが私の役割だと改めて感じました。私は「記憶の記録」として百歳以上の方々の「声をとらえる」活動してきていましたから、「学」は私らしさではないですし、私は奄美の「入り口」を表現していこうと思いましたね。
 ―奄美の入り口とは。
山中 七年前、初めて奄美と出会った時の記憶やその後の足取りを、もう一度歩き直してみたら奄美群島という入り口に立てるのではないかと考え、九、十、十一月と奄美を歩いてみました。そこから群島の持っている母性やシマが持つ生命観が少しずつ見え、人と自然との距離感などが本能的に見えてきて、今回のタイトルである「母なるシマ、生命の島」へと結びつきました。
 ―奄美の精神世界を表現するということは、自分の中にもシマのその部分と響き合うものがあるということだと思います。これまで奄美を歩かれた中で呼応するものがあったのではないですか。
★山中 そうですね。初めて奄美の浜に立った時の風や潮、光の音の感覚ですかね。その後の軌跡が私にどう影響したかと言いますと、それは人から聞いたとか、本を読んで知ったとかではないんですね。土地の記憶のようなものと私の身体が感じたものであり、光や風、砂浜の自然の手触りであり、足の裏で「すくい撮った」ものなんです。ですから、それらがよみがえってくるような歩き方をしました。過去に戻るのではなく、未来へ歩いていくような、新しい私自身の奄美の入り口という感じで・・・感覚が捉えました。それらが出た時、奄美の精神部分の入り口に立てる、写真に撮れてお見せできるのではと思ったんです。
 ―ずっと長寿の方々を撮られてきて、今回はそのお年寄りたちの背後にある世界観を描こう、とされたわけですね。で、成果は。
★山中 正直言って三割程度ですね。まだまだ「私自身が三割」なんでしょうね。到底満足できるものではなく、文字通り入り口に立ったという感じです。入り口を撮ると言いましたが、実際やってみて「入り口」でしかなかったし、自分自身も入口にしか立っていない。なんだか恥ずかしいですね・・・。奄美は多様で可能性がさんざめくシマ。表現者として「これだっ・・・」とその瞬間思っても、次々に、奥のもっと根の深い世界が見えてきますから・・・、その深さと謙虚に向き合いたいと、思うようになりました。
 ―そのことが見えるということは、奄美の深さや自分の進むべき方向性が見えてきたことでもあるのでは。
★山中 私が撮り続けてきた百歳以上の長寿の方々のお顔や手、生き方、目線の光の先に、過去から受け継がれてきた、見えない土地の記憶や人々の暮らしがあり、その中に八月踊りや平瀬マンカイなど神々とつながる祭りがあり、集落を見守るグンギンの石の目があり、大島紬や黒糖、きび酢などの地場の産業があり、さらに私が長寿と合わせて撮り続けてきた新生児(新たな生命の誕生)があるということが見えてきたんですね。ですから、私の手がそれらと触れ合って爐垢い撮った瓩發痢∋笋竜粟廖△修良分は少しお見せすることができたかな、と思っています。
 ―今回の試みを通してご自身の中で何が起き、どういう奄美が見えてきたのでしょう。
★山中 最初は十六点の入り口(写真)を用意していました。入り口には集落の安泰を祈願するイビガナシを展示し、写真は立神から始まって最後はトゥールまで、過去現在、未来をつなぐシマの宇宙観としての奄美を用意し、生き神様(百歳を超えた方々)やその中に現在の暮らしの背景、自然(神)と人の繋がりなどを組み合わせてみました。私が思う奄美の色とはどんな色なのかを自分でも探って見るためにも、六十五点に写真を増やしました。海からの神を向かえて、生き神様(長寿の方)の手が伝える魂の記憶と現在シマに生きる自然や営みを表現いたしました。・・・「見えた」というより「見えつつある」と言った方が正しいですね。
 ―それは何でしょう。
★山中 瞳の中にある眼差し(記憶)の閃光のようなものでしょうか。生きることは食もそうですが、歩いてきたこととか、手に取ってきたものとか、とても「身近にあるもの」ですよね。精神でいえば、お年寄りが身近な自然とどう向かい合って生きてきたかとか、自然との狢力鱈瓩了妬とかですね。私自身、そういうことが好きでしたから、それが見えてきたのかな、と思っています。例えば、私が初めての奄美で聞いた「潮(シュ)鳴り」。三段階に分かれていて、海の彼方(ネリヤカナヤ)からの風のような波音、真ん中は珊瑚のリーフにぶつかるシュクを頂く生命の波の音、手前の浜では、渚に波がぶつかり溶けていく泡の音。この3っが混ざり合って心に染み込んでくるのが、自然の潮音。それは海や自然とのかかわりが自身の身の置き方になって情感が育まれ、それが土地の記憶や手触りとなっていく。お年寄りの記憶とはそういうものではないかということが少し見えてきました。それからシマと島の違いも感じさせられましたね。「しま」って簡単に言ってはいけないな、と。
 ―写真以外にも、黒糖を使った奄美の地ビールを開発したり、キビ酢の売り出しをプロデュースしたりと違う角度からも奄美とかかわっていますね。写真表現だけでなく、現実の島の生活を見据えて、物づくりの面からも何とか奄美を表現しているところが山中さんの特徴のような気がします。写真と物づくりを含めた現実の暮らしへの提案、この二つの手法ですね。いずれも手仕事です。
★山中 物づくりは、写真を撮っていたから出会えたことなんですね。例えば、今回展示しました奄美ビールで言えば、昔、奄美には麦畑があり麦酒があったという話を聞いた事や、加計呂麻島のサトウキビとの出会いで、「新たなシマブランドができたら雇用や産業の発展にもつながるし、何とかならないものか・・・」と思う気持ちから生まれました。「夜光花」(ヤコウカ)の香水は、写真を撮るため与論島を歩いていた時、漂ってきた衝撃的な香りでした。その時、「この香りを多くの人に届けたらもっと奄美を好きになってくれるのではないか」と思って「月夜ノ香」として作ったものですし、奄美の木で作った下駄は、昔正月用に下駄を作っていたという文献もあり、「大島紬に合わせるなら下駄が似合う」と思い、琉球松を泥染めし龍郷柄で手縫いした鼻緒をつけて手作りしました。私の中では写真も物つくりも全部つながっています。シマの人達も器用な方が多いですよね、なんでも身の回りのものを手作りしたり、アイデアも豊富ですね。私は奄美に昔からあるものにしか触れていなし、食のプロデュースにしても化学調味料や添加物が入っているものなど、その土地にないものは触れていません。
 ―島の文化は奥まったところで潜んでいましたが、ここ数年、表に引っ張り出され、多くの人々に知られるようになりました。人を呼び込んで観光など地域振興に役立てようとの試みも盛んです。一方、そのことによって島歌に見られるように暮らしの中の歌から舞台化していく歌へと変貌していくケースも見られます。
★山中 本来シマが持っているシマ観を損なわないように、原初の人の手が入っているけど、できるだけ原初が残る形で光が当てられないかということですね。そこは私も課題だと思っています。例えば、先ほど私が話しました「奄美学」から「母なるシマ、生命の島」へと変わったように、心の根っこや記憶に響くような発信の仕方が奄美にはあるとおもいます。現に都会人=観光客の方々やシマに着目している方々は、シマのその部分(原初)に共感し、求めているのではないでしょうか。月の満ち欠けからなる旧暦で行われるシマの祭り、神々の宿る自然界との身の置き方や食文化、暮らしに着目しているように思いますが・・・・。
 ―今のところ、自然も文化も残っています。しかし、経済は疲弊しています。本来、奄美が持っている価値や潜んでいて表に引っ張り出された存在が人々の経済を支えるところにまで至っていないですね。
★山中 そうですね。実際、私の写真が精神的な支えになって光を差し込むことができたとしても、その事によって島の経済が潤うわけではありません。ですから手づくりし、物づくりによる還元を常に考えています。よく島の人は沖縄のようにはなりたくない、でも鹿児島にも守られてたくない。奄美らしく発信にしたい」と言いますが、物づくりを継承し継続する力は奄美にはあります。なぜそう思うのかと言うと、私自身の深化がこのシマにあり、私が私らしさを育むことができ、奄美に出会った意味やマブライを感じ、内面から喜び輝けるからです。シマに導いてくださっている方々と共に生きるという事なのです。これからも人生のコラボレーションを奄美と送りたいと思っています。自然と人々の記憶が共に暮らす奄美でありますように・・・記憶を手でなぞるような、足で触れるような、彼方を見つめる目線を大切にしたいと思います。表現者としてだけでなく、私は手作りで今後も奄美にかかわっていきたいですね。


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