ハイブリッド手術室の稼働について平成30年(1月〜12月)における火災の概要について

2018年12月30日

【追悼】平松俊輔氏に捧ぐ

 佐藤正久参議院議員と一緒に
 
 伊藤純子です。いよいよ「平成」最後の年の瀬を迎えました。来年は天皇陛下がご退位され、皇位継承、すなわち「御代替わり」に伴い、様々な儀式が行われます。ここに改めて、皇室の伝統、天皇を戴く日本の歴史に対する認識を新たにしていきたいと考えています。また今年は、アメリカによる従来の対中姿勢・政策を全面的に見直す動きが表面化し、「新冷戦」と囁かれるほど国際情勢が激変した年でもありました。さらには災害被害の激甚化など、日本が国家として存立していけるか否か、まさに日本は、時代の大きな局面を迎えるものと予想いたします。

 「Facebook」の登場により、ブログ更新がおぼつかなくなるなか、当ブログが多くの方の目に留まり、ご愛読いただいたこと、管理者としてとても嬉しく思います。誠にありがとうございました。これからも、私、伊藤純子の議会・政治活動に対するご理解、ご支持賜りますよう、ここに謹んでお願い申し上げます。

 暦が変わらないうちに、恒例の「10大ニュース」を書き留める予定でしたが、去る12月22日、敬愛してやまない後援会長の平松俊輔氏がご逝去されました。今はただ、深淵のような深い悲しみに閉ざされています。故人を偲び、哀悼の誠を捧げるとともに、これまで共に歩んできた道のりを振り返ってみたいと思います。 

 平松俊輔氏、享年73歳。陸上自衛隊武器科に所属され、職歴は群馬地方連絡部、相馬ヶ原駐屯地後方連隊など。退役軍人で構成される「群馬県隊友会」伊勢崎支部長、防衛省自衛隊群馬地方協力本部曲南会会長、そして私の後援会長を務められるなど、私たちにとって平松氏はなくてはならない存在でありました。

 平松会長が亡くなったという、思いもよらぬ知らせを受けたのは23日朝のこと。亡くなる日の前日も電話で話し、その前の日も、平松会長と行動をともにし、楽しく語り合ったばかりでありました。あまりに突然の訃報に接し、今はただ、世の中の無常を恨むばかりであります。

 平松会長が選んだ自衛官としての使命は、国の平和と独立を守ること、そして、国と地域の安全を保つこと。ひょうひょうとした痩せた体の奥に、鋼鉄のような強い闘志と情熱がみなぎり、ときに凄みを感じさせられることもありましたが、平松会長ほど、ロマンティストでリアリストだった人もありません。強い責任感、そして何より卓越したリーダーシップを兼ね備えた人物像は、自衛隊関係者のみならず、地域に住む多くの人々の尊敬のまなざしを集めました。ただ一口に、後援会長と地方議会議員という間柄だけに留まらず、「国防思想」の教えを説く師匠と弟子のようなもの、平松会長は、なくてはならない存在でありました。

 先日、私が運転する車のなかで、「故郷は新発田でも、最後の住処が伊勢崎で良かった」と言ってくださったことを嬉しく思いましたが、この言葉が、平松会長と交わした最後の言葉になるとは、夢にも思いませんでした。

 最近、「会長職の後任を考えなくては」などと、話しておられた平松会長の思いを察するに、平松会長ご自身が体の異変を察知していたのかもしれません。そんな会長の変化を、身近にいたこの私が気づいて差し上げることができなかったことが、一番の心残りであります。

 変転定めなし、とは申しながら、別れはつらく、名残つきません。会長という大きな存在、個性を失い、視線が宙をさまようような私たちでありますが、平松会長から受けた真実の、力ある生き方を、将来に結実してゆきたいと考えております。

 こうしているうちに2018年が烏兎怱怱と暮れて行きます。親しい方との永遠の別れは、切々とした無常観を感じさせられます。これまでのご厚誼に深謝いたしますとともに、積年の疲れを癒され、安らかにご昇天あらんことをお祈りいたします。





junks1 at 15:28│Comments(0)全般 

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