知覧特攻平和会館……。




近代史を勉強していて以来
どうしても訪れたかった場所





































先日やっと訪れることができたので 
忘れぬうちにここに新たに知ったこと、思ったことを記す。

ここで太平洋戦争に向かっていった時代、そしてなぜ特攻という作戦が行われたのかを整理
する。


1941年 日本は 米国からの経済封鎖にあって石油が入らなくなる。
年間の日本の原油輸入は3716万バレル、一方、1941年の日本の国内原油生産は310万バレルという記録があり。つまり国内生産は年間消費量の12%のみ。逆の見方をすれば日本の石油輸入依存度は88%ということになります。このうち80%がアメリカからの輸入

日本は開戦を見越して備蓄をすすめようとしていたため、実際の年間消費量は2,600バレル程度

その石油を供給してくれるアメリカとの戦いを挑む日本

つまりアメリカからの石油がストップすれば、早く代替供給元を確保しない限り、1年くらいで海軍は動けなくなってしまうわけです。日本海軍が開戦の判断に慎重を期していた理由はここ

戦争回避に尽力するが結局は世論に負け 開戦

連合長官 山本五十六は
乾坤一擲の策

短期決戦を狙い先制攻撃によって
出鼻を挫き早期講和というストーリーを作り
ハワイの真珠湾に先制攻撃を掛ける。


これが逆にアメリカ国内の世論を高めることになり
逆撫でしてしまう。

序盤は 日本はガソリンを確保するために
欧米諸国が抑えていた東南アジアを制圧しその勢力を拡大

大東亜共和圏を掲げ

アジアはアジア人でと解放を訴えていき
支持を受けながら

と突き進む

が徐々に物量、燃料の勝るアメリカ軍に圧され劣勢

ミッドウェー海戦で 壊滅的な被害を受ける。

ここで日本は この圧倒的不利な状況を打破するために

特別攻撃隊

いわゆる特攻作戦を立案

軍がこれを認めた為に推し進めることになった。

圧倒的な物量のアメリカに

精神力で対抗するというもの。

精神力とは尽忠報国の意思を持って命をかけて敵艦へ突撃する事。

もうこのまま行くと負けるので、気合いと根性でどうにかせい! というもの………。

当時、航空機パイロットは操縦・戦闘・航法・ 電信とすべて一人でやらないといけないので、 優秀な者でないとなれない

100人に1人の確率で難関の試験に突破した

その次世代の国家を築くとても優秀な若者の命を 犠牲に行なった特攻作戦

平和記念館の中で 色々お話をうかがってきて、また見てきた。


遺書を読むと

10代から20代の独身の男子はみんな お母さんにあてた手紙の内容が多い。
婚約者、妻に向けてかいたものもあった。

自分の大切な人たちを守るために平然と自分の命を懸ける。

人間は自分のためというより
人のため、自分の大事な人のため という所にこそ
大きな力を発揮し、犠牲にするのだ・・・

自分のことなどで悩んでいるのは
とっても小さいことで、この時の自分より20歳ぐらい若い子たちは
平然と 自分の大事なことのためだけに 命をかける。

よく死ぬ気でやれという事はよく聞くが
死ぬ気でやれでなく 死んでくれ、死ぬけどやってくれ である。

その状況が想像できない

その中でも知った 藤井中尉の悲しい話。

特攻隊に志願し、奥様を説得した藤井中尉
主人の覚悟を知り この世への未練があっては本懐のさまたげと
1歳と3歳の子供とともに入水自殺した奥様

天国の子供たちに向けて
書いた藤井中尉の遺書

藤井中尉はパイロットの経験がなく 特攻の志願を軍は認めなかったが
奥様が自殺後、小指を切り 自分の血を使って血判状に特攻隊への志願の思いを提出。

軍も特例として認め藤井中尉の特攻作戦の参加を認める。
知覧に行き 血のにじむような 死ぬための訓練をする。
思わず 涙がとまらない・・・。

藤井中尉

http://matome.naver.jp/odai/2139426479599366901

http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/fujiichui.html

この人々の犠牲の上に今の生活があるのを忘れてはならない