啓蒙主義の時代

17世紀後半から18世紀のヨーロッパは、啓蒙主義の時代(啓蒙時代)といわれる。

神学や聖書ではなく、理性を働かせて得た知識や情報によって世界を理解、把握しようとする文化運動の時代であった。

18世紀後半にもなると、啓蒙主義は自由・平等・博愛を旨とする人権思想へと発展し、アメリカ独立宣言やフランス革命を産んだ

これら世界に関する知識や情報の拡大という環境の変化が、人間にとって自然との関係を見直す大きな契機となったのは確かである。

イギリスで産業革命と呼ばれる経済の急成長がはじまり、自然破壊が進みつつあった。働く場や新しい居場所を求めて、農村から都市へ大量に人々が移動したことで、人間関係もコミュニティも大きく変わった。貧富の差も拡大した。

この状況はフランスやドイツ、そしてアメリカでも起こり、動物と人間の関係を劇的にかえていくことになる。


動物虐待の街角

残酷の4段階(ウィリアム・ホーガス/1751)
http://www.daito.ac.jp/gakubu/keiei/Institute/zuroku/44-47.html

「動物を殺す人間はやがて人を殺すようになる」というホーガスのメッセージは現代日本にも通じる。しかし最も注目すべきは、この時代は動物虐待がありふれた行為であったことである。

動物を苦しめる娯楽は、都市化と関係があるようです。産業革命によって都市に労働者階級がうまれると、こういう人たちの休日の娯楽としてブルベイディング(bull-baiting : ウシいじめ)などが盛んになりました。ブルベイディングとは杭につないだ牡牛に数頭の犬をけしかけ、ウシが苦しむのをみて楽しむ見世物です。ブルドッグなどはブルベイディングのために作られた犬で、牡牛の唇か鼻にかみつくよう訓練されていました。人々の目につくところで、動物虐待が遊びとして行われていたのです。
自動車のない時代、人や荷物を運ぶのは馬車でした。ロンドンからエジンバラに通じる道路で暑い夏の日、疲れ果て、水も与えられずむち打たれ、力つきて倒れている馬車馬が1日に何頭も見られたということです。また、当時のと場ではウシを即死させる習慣がなく、腱と鼻孔に通した鉄鉤(てつかぎ)で吊して首に傷をつけ、徐々に出血して死ぬまで放置しました。その間、ウシは断末魔の悲鳴を上げ続けていたということです。

(愛玩動物飼養管理士2級講座教本第1巻P29より引用)

変わる人びとの意識


18世紀末から19世紀初頭にかけて、植民地アメリカの独立をはじめ、イギリスを取り巻く政治的、経済的環境が激変する。道徳改善、社会改良を目指す運動が盛んに行われる中、子供や女性、貧民や病人、奴隷といった社会的弱者に対する意識も大きく変わる。

動物虐待防止運動は、この時期に精力的に実行に移された社会改革運動の中に位置づけられる。


動物虐待防止法の成立

1800年に「ウシいじめ禁止法案」が提出(通過せず)され、1809年には「動物に対するいわれなき虐待抑圧・防止協会」ができ、1821年には「残酷で不当な家畜使用を禁止する法案」が提出される。

1822年、イギリス初(世界史上初)の動物虐待防止法(畜獣の虐待および不当な取り扱いを防止する法律)が議会を通過。法案を提出したリチャード・マーティン(Richard Martin)にちなんで「マーティン法」と呼ばれる。

この法律はイギリスにおける近代的な動物愛護の出発点ではあるが、適用対象はあくまで家畜に限定され、犬も猫も対象外であった。

犬が虐待防止の対象とされるのは「動物関連法」(1835)、猫への適用は1849年の同法の改正を待たなければならない。


動物愛護団体RSPCAの誕生とヴィクトリア女王


マーティン法成立の2年後、動物虐待防止協会(SPCA:Society for the Prevention of Cruelty to Animals)が結成される。マーティン法の遵守と適切な施行をめざし、違反者の監視と告発を重視した活動を展開した。

世界で初の民間の動物愛護運動が展開され、女王となったヴィクトリア二世によって1840年、「王立(Royal)」の照合を許可され「RSPCA」となり、今日に至るまで活動が継続されている。

http://www.rspca.org.uk/home


動物愛護の進展と児童虐待防止

RSPCAは保護対象を家畜以外にも拡大していく一方、動物実験や生体解剖などにも改革のメスを入れていく。

これらイギリスの動物虐待防止の動きはすぐさまアメリカにも伝播し、1877年にはアメリカ各州で動物虐待防止法が制定された。しかし皮肉なことに、人間の子供は虐待防止の対象にすらなっていなかった

メアリ・エレン・ウィルソン事件

1874年4月にニューヨーク市で起きた当時8歳であったメアリ・エレンに養母のメアリー・マコーマック・コノリーが約6年に及ぶ心身的虐待を行ったという事実が世間に出ることに至った事件。

メアリー・エレン・ウィルソンは義母と義父であったコノリー夫妻により虐待されていた。これを見かねたコノリー夫妻が住んでいた住居の大家であった ビンハム夫人はケースワーカーであったエタ・ウィーラーにそのことを相談した。エタ・ウィラーはその虐待についての調査を行い、アメリカ動物虐待防止協会 の創始者であるヘンリー・バーグに報告をした。そしてヘンリー・バーグの呼びかけを受けた警察によりメアリー・エレンは保護された。事件は法廷に持ち込ま れ、メアリー・エレンの義母であったコノリー夫人はメアリー・エレンに対する傷害罪の実刑判決を受け、一年間刑務所に送られた。

コノリー夫妻のもとでメアリー・エレンは夜間に庭に出る以外は外に出ることを許されず、牛革製の鞭で毎日叩かれ、体中と頭中にはあざと傷跡が絶えず、額にはハサミで殴られたことにより作られた大きな傷跡が残っていた。

この事件がきっかけとなり児童虐待防止法が生まれ、同じ年に世界で初めての児童を虐待から救う目的で作られた団体であるニューヨーク児童虐待防止協会が創立、児童を虐待から救う活動が世界中に広がっていく。

(Wikipediaより引用)

1875年、ニューヨーク州に児童虐待防止法が制定、児童虐待防止協会が設立される。1884年にはロンドンに児童虐待防止協会が設立。



動物愛護から動物解放論へ


1911 動物保護法(イギリス) ペットや家畜のみならず、広く動物に苦しみを与える行為を犯罪と見なす。
1951 ペット動物法(イギリス) 公共の場でのペット販売を全面禁止。
1964 ヘルシンキ宣言 
研究に使用される動物の福祉は尊重されなければならないと明言。
1973 動物の保護および管理に関する法律(日本) 日本初の動物愛護に関する法律。


 → 動物の保護および管理に関する法律
  http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S48/S48HO105.html