動物愛護社会化検定 専門級 受験対策

特定非営利法人動物愛護社会化推進協会実施の「動物愛護社会化検定 専門級」の 受験対策です。

人間社会とペット文化

都市生活における人間とペット / 現代社会とペット

ペット可の集合住宅が増えてきたのは1990年後半から

身体障害者補助犬法により、公共の施設や公共交通機関、さらには飲食店やスーパー、ホテル等の一般施設でも、身体障害者の補助犬(盲導犬・介助犬・聴導犬など)の同伴を拒むことはできない。

さらには、大型ショッピングセンターやホームセンター等で、補助犬はもとよりペットの同伴ができる施設も増えている。
身体障害者補助犬法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14HO049.html

80年代はまだ、集合住宅でペットを飼うことが認められない場合が多かったが、90年代後半からはペット可の集合住宅が増えてきた



中高層共同住宅標準管理規約の改正(1997年)
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/07/070123_3_.html

これにより規約を定めればマンションなどの集合住宅でのペットの飼育が可能となり、以来「ペット可能」マンションが増えたとされる。

また、当時バブル経済崩壊によって日本経済が低迷期にあり、売れ行きが伸び悩む不動産・マンションにあって「ペット可」という付加価値をつけて販売を活性化させようという動きがあった。

1995年の阪神淡路大震災で自宅を失った被災者が集合住宅に入居する際、ペットとともに住むことを求めたということも影響したとされている。


ペットの増大、過密化はペットの「都市化現象」の現れ


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日本における近代以降のペット文化の成立 / 野生から家畜、さらにペットへ

犬や猫の目を通じて文明批判をした魯庵と漱石

幕末から明治にかけて外国人居留地に住む欧米人が急増、洋犬も多数連れてこられるようになった。

私邸できちんとしつけられて飼われ、洋装の婦人に連れられて散歩する姿は、犬とそのような関係を築いてこなかった日本人に大きなカルチャーショックを与えた。

以降、上流階級を中心に、洋犬を飼うことが文明開化の一つのシンボルとされるようになった。

犬や猫の目を通して当時の社会や世相を風刺的に描く小説に、内田魯庵の「犬物語」、夏目漱石の「吾輩は猫である」などがある。


明治以降の飼育概念の浸透とペット文化

犬について大きくまとめると、支配階級の権力の象徴として飼われてきた唐犬のような大型犬、愛玩動物として室内で飼われた狆のような小型犬など、一部の犬を除けば、多くの犬は「飼育」や「ペット」という概念からは遠い存在として、人間とさまざまな関わりを持ちながら生息してきた。

明治時代の村社会では、犬が特定の家庭に飼われる習慣はまだ成立していなかった。しかし都市圏においては、大正時代には犬を飼う習慣が浸透していたことを物語る実話がある。「忠犬ハチ公」である。

猫と人間との関係も、現在よりもはるかに淡々としたものだったようだ。そもそも猫は、特定の人間を主人として飼われという習性になじまない。特定の家に飼われるより、犬同様に、なんとなく村や町に居ついた「村や町の猫」が圧倒的に多かった。


キリスト教的価値観とは異質の日本人の動物観


犬も猫も、多くの場合、特定の個人や家庭が所有するより、人間のコミュニティの周辺に生息し、互恵関係を保ちながらなんとなく共存関係を形成してきたといえる。

飼い主の責任が法的に問われるようになったのは、1973年成立の「動物の保護および管理に関する法律」以降のことである。

第二次世界大戦下、食糧事情が悪化するにつれて犬猫不要論が高まる。そんな中1944年12月発令の国の通達によって進められた「犬猫の献納運動」はその極端な例である。家庭で飼われている犬猫を、兵士の防寒用毛皮や食糧に利用するため軍に提出することを強用したものであるが、むしろ物資逼迫の窮乏時期に、ペットを飼う奢侈を禁止する意味合いが強かったともいえる。

西欧における人間中心の動物観とは異なるかたちでの関係が築かれてきた。

近代日本人と犬猫との関係 / 野生から家畜、さらにペットへ

将軍・大名は唐犬、大奥や姫君、遊女は狆を

犬は縄文時代に日本列島の外から導入されて以来、海外種との交流が少ないまま生息してきた。しかし16世紀なかばにポルトガルやスペインとの南蛮貿易がはじまると、海外から多くの犬が運ばれ、幕府が鎖国政策をとる17世紀前半までは、将軍、大名、半の重臣などの支配階級にしばしば献上された。このような洋犬は「唐犬(からいぬ)」と呼ばれ、平安時代に中国から輸入された「唐猫(からねこ)」を王朝貴族が珍重したように、将軍や大名たちの権威を示すものとして飼われるようになった。

武士の街として建設された江戸では、少なくとも初期には、猫を飼う習慣は一般化していなかったと推測される。しかし上方では「猫のノミ取り屋」が商売として成立するほど猫を飼う習慣が定着、それが江戸にも波及したと考えられる。

大型の唐犬が支配階級で飼われる一方、大奥や上流階級の女性、それに上流階級の女性と同等の教養を有する最高位の遊女の間では、小型の狆が室内で抱き犬としてペット的に飼われていた。

古代以来、犬が室内で飼われる習慣はなかったが、この狆だけは例外であった(狆:小さい犬の総称)。

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古代・中世の日本社会における人間と動物 / 野生から家畜、さらにペットへ

古代における日本人と動物

地球上に生息する動物のうち、学名がつけられたものだけで150万種以上とされるが、実際に人間が直接関わってきた動物はかなり少ない。その中でも日本人にとって近しい存在は、犬、猫、ウシ、ウマだろう。

日本最古の犬の骨は、約9500年前と推定される横須賀市の夏島貝塚から出土している。犬は狩猟のパートナーであり、食用でもあった。

日本書紀や風土記には、犬が狩猟犬としてよく登場する。


仏教文化と動物表現

仏教文化の伝来によって、動物表現はさまざまな展開を見せる。動物園も写真も図鑑もなかった時代には、涅槃図などの仏教画が、動物イメージの形成に大きな影響を与えた。


平安王朝文化におけるペットとしての猫と半野良の犬

犬は銅鐸や埴輪に表現され、日本食にも登場するが、猫が記録に登場するのはかなり遅く、平安前期の仏教説話集「日本霊異記(りょういき)」である。

伝説以外で明らかに猫が飼われていた記述が登場するのは889年、宇多(うだ)天皇の日記「寛平御記」で、天皇が中国から渡来した猫を大切に飼育していることが丹念につづられている。

平安時代、王朝文化が花開くとともに、宮廷では貴族の間でペットとして、猫を紐でつないで飼う習慣が定着した。当時の猫は中国から渡来した外来種がほとんどで、文学にも高貴で優雅な象徴としてしばしば登場するが、逆に犬は無粋な存在として登場する。

平安時代、犬は飼われることはまれだった。この時代ほとんどの犬は特定の個人に飼われることなく、半野良のまま、市街はもちろん御所内をも事由に徘徊していたらしい。


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西洋における動物愛護 / 野生から家畜、さらにペットへ

啓蒙主義の時代

17世紀後半から18世紀のヨーロッパは、啓蒙主義の時代(啓蒙時代)といわれる。

神学や聖書ではなく、理性を働かせて得た知識や情報によって世界を理解、把握しようとする文化運動の時代であった。

18世紀後半にもなると、啓蒙主義は自由・平等・博愛を旨とする人権思想へと発展し、アメリカ独立宣言やフランス革命を産んだ

これら世界に関する知識や情報の拡大という環境の変化が、人間にとって自然との関係を見直す大きな契機となったのは確かである。

イギリスで産業革命と呼ばれる経済の急成長がはじまり、自然破壊が進みつつあった。働く場や新しい居場所を求めて、農村から都市へ大量に人々が移動したことで、人間関係もコミュニティも大きく変わった。貧富の差も拡大した。

この状況はフランスやドイツ、そしてアメリカでも起こり、動物と人間の関係を劇的にかえていくことになる。


動物虐待の街角

残酷の4段階(ウィリアム・ホーガス/1751)
http://www.daito.ac.jp/gakubu/keiei/Institute/zuroku/44-47.html

「動物を殺す人間はやがて人を殺すようになる」というホーガスのメッセージは現代日本にも通じる。しかし最も注目すべきは、この時代は動物虐待がありふれた行為であったことである。

動物を苦しめる娯楽は、都市化と関係があるようです。産業革命によって都市に労働者階級がうまれると、こういう人たちの休日の娯楽としてブルベイディング(bull-baiting : ウシいじめ)などが盛んになりました。ブルベイディングとは杭につないだ牡牛に数頭の犬をけしかけ、ウシが苦しむのをみて楽しむ見世物です。ブルドッグなどはブルベイディングのために作られた犬で、牡牛の唇か鼻にかみつくよう訓練されていました。人々の目につくところで、動物虐待が遊びとして行われていたのです。
自動車のない時代、人や荷物を運ぶのは馬車でした。ロンドンからエジンバラに通じる道路で暑い夏の日、疲れ果て、水も与えられずむち打たれ、力つきて倒れている馬車馬が1日に何頭も見られたということです。また、当時のと場ではウシを即死させる習慣がなく、腱と鼻孔に通した鉄鉤(てつかぎ)で吊して首に傷をつけ、徐々に出血して死ぬまで放置しました。その間、ウシは断末魔の悲鳴を上げ続けていたということです。

(愛玩動物飼養管理士2級講座教本第1巻P29より引用)

変わる人びとの意識


18世紀末から19世紀初頭にかけて、植民地アメリカの独立をはじめ、イギリスを取り巻く政治的、経済的環境が激変する。道徳改善、社会改良を目指す運動が盛んに行われる中、子供や女性、貧民や病人、奴隷といった社会的弱者に対する意識も大きく変わる。

動物虐待防止運動は、この時期に精力的に実行に移された社会改革運動の中に位置づけられる。


動物虐待防止法の成立

1800年に「ウシいじめ禁止法案」が提出(通過せず)され、1809年には「動物に対するいわれなき虐待抑圧・防止協会」ができ、1821年には「残酷で不当な家畜使用を禁止する法案」が提出される。

1822年、イギリス初(世界史上初)の動物虐待防止法(畜獣の虐待および不当な取り扱いを防止する法律)が議会を通過。法案を提出したリチャード・マーティン(Richard Martin)にちなんで「マーティン法」と呼ばれる。

この法律はイギリスにおける近代的な動物愛護の出発点ではあるが、適用対象はあくまで家畜に限定され、犬も猫も対象外であった。

犬が虐待防止の対象とされるのは「動物関連法」(1835)、猫への適用は1849年の同法の改正を待たなければならない。


動物愛護団体RSPCAの誕生とヴィクトリア女王


マーティン法成立の2年後、動物虐待防止協会(SPCA:Society for the Prevention of Cruelty to Animals)が結成される。マーティン法の遵守と適切な施行をめざし、違反者の監視と告発を重視した活動を展開した。

世界で初の民間の動物愛護運動が展開され、女王となったヴィクトリア二世によって1840年、「王立(Royal)」の照合を許可され「RSPCA」となり、今日に至るまで活動が継続されている。

http://www.rspca.org.uk/home


動物愛護の進展と児童虐待防止

RSPCAは保護対象を家畜以外にも拡大していく一方、動物実験や生体解剖などにも改革のメスを入れていく。

これらイギリスの動物虐待防止の動きはすぐさまアメリカにも伝播し、1877年にはアメリカ各州で動物虐待防止法が制定された。しかし皮肉なことに、人間の子供は虐待防止の対象にすらなっていなかった

メアリ・エレン・ウィルソン事件

1874年4月にニューヨーク市で起きた当時8歳であったメアリ・エレンに養母のメアリー・マコーマック・コノリーが約6年に及ぶ心身的虐待を行ったという事実が世間に出ることに至った事件。

メアリー・エレン・ウィルソンは義母と義父であったコノリー夫妻により虐待されていた。これを見かねたコノリー夫妻が住んでいた住居の大家であった ビンハム夫人はケースワーカーであったエタ・ウィーラーにそのことを相談した。エタ・ウィラーはその虐待についての調査を行い、アメリカ動物虐待防止協会 の創始者であるヘンリー・バーグに報告をした。そしてヘンリー・バーグの呼びかけを受けた警察によりメアリー・エレンは保護された。事件は法廷に持ち込ま れ、メアリー・エレンの義母であったコノリー夫人はメアリー・エレンに対する傷害罪の実刑判決を受け、一年間刑務所に送られた。

コノリー夫妻のもとでメアリー・エレンは夜間に庭に出る以外は外に出ることを許されず、牛革製の鞭で毎日叩かれ、体中と頭中にはあざと傷跡が絶えず、額にはハサミで殴られたことにより作られた大きな傷跡が残っていた。

この事件がきっかけとなり児童虐待防止法が生まれ、同じ年に世界で初めての児童を虐待から救う目的で作られた団体であるニューヨーク児童虐待防止協会が創立、児童を虐待から救う活動が世界中に広がっていく。

(Wikipediaより引用)

1875年、ニューヨーク州に児童虐待防止法が制定、児童虐待防止協会が設立される。1884年にはロンドンに児童虐待防止協会が設立。



動物愛護から動物解放論へ


1911 動物保護法(イギリス) ペットや家畜のみならず、広く動物に苦しみを与える行為を犯罪と見なす。
1951 ペット動物法(イギリス) 公共の場でのペット販売を全面禁止。
1964 ヘルシンキ宣言 
研究に使用される動物の福祉は尊重されなければならないと明言。
1973 動物の保護および管理に関する法律(日本) 日本初の動物愛護に関する法律。


 → 動物の保護および管理に関する法律
  http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S48/S48HO105.html

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