February 14, 2011

P1000795福岡都市高速から西九州道へ乗り継ぎ、今宿インターで降りる。糸島半島へ入り、海づり公園方面へと向かう。25年前は、1週間に1度は行っていたのではないかと思われるほど通い慣れたドライブコース。ほとんど景色も変わらない。実に久しぶりに牡蠣を食べに行ってみた。それほど暇でもないので時間が気になったが、往復の道のりと食事で4時間、慌ただしいスケジュールながらも十分に楽しめた。ほんとは、海もゆっくり見たかったし、イチゴ狩りというのも気になったのだが、それは次回ということで...次回かあ、ゴッホ展見逃してしまったし。P1000793

1時半すぎに到着したのだが、まだまだお客さんは多かった。以前来た時よりもずいぶんスマートな感じのサービスになっているような気がした。気のせいかもしれない。それにしても、いろんな客層の人たちがやってきているようだった。
 
「一人1400円かあ」と帰りに妻が独り言を言っていたので、多分そのくらいのコストになるのだろうと思われる。一人牡蠣10個程度に、牡蠣のみそ汁、牡蠣ご飯、さざえ一盛りなど入れてその程度というところ。ナイフや軍手は貸してくれる。ナイフは持ち帰りOKである。

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January 11, 2011

P1000773昨年11月、自宅から程近い場所に九州歴史資料館が太宰府市から移転してきた。西鉄三国ヶ丘駅から遊歩道を使って徒歩10分(とある)。小郡高校の西側に位置する。高校南側の桜並木通り(サニー)側からアクセスすると、小郡市埋蔵文化財調査センターの手前から右折後、しばし直進で別世界の中に資料館が現れる。なお、JRでアクセスすると、原田駅下車でタクシー5分といったところ。

この施設、ほとんどこの手の歴史に関心がない私にとっては、太宰府天満宮のところにある、あれねっていうほどの関心しかなかった。太宰府にある時には、一度入った事があったような、なかったような、そんな感じである。もっとも九州国立博物館の開館ブームで、どうなるのかなあと案じていたのも事実。いくらなんでも近すぎるからね。

で移転という事になったわけだけれども、まあ都合の良い場所がありました。われわれが暮らす街は、九州で最大のニュータウンだけれども、どうやらそれは歴史的にそうらしく、ニュータウン開発にともなって実に多くの埋蔵物が出土されている。その関係から小郡市の埋蔵文化財調査センターが置かれているのであろう。そしてなんとその施設の裏には、県が所有する「簡保レクセンター跡」という使い勝手の悪い広大な土地がありましたとさ。ということで建物も立派であるが、土地の余裕もある。すばらしく立派な施設である。

この九歴(九州歴史資料館)は、これまで大宰府政庁跡の調査をメインで行ってきた施設であるらしい。したがって、移転後のオープニング特別展は、「大宰府〜その栄華と軌跡」と銘打たれている。もっとも施設を迎え入れているわれわれにとっては、これが大宰府の研究だけに費やされる施設だと考えると、少しばかり寂しいというのが正直なところ。広く福岡やその名の通り、九州全域に関わる仕事をする施設に発展することを楽しみにしている。

今回は車で行ってみたけれども、桜が咲いて暖かくなったら歩いて行ってみようと思う。

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September 19, 2010

今朝ジムで血圧をはかると尋常ではない数値。機械が数値をアナウンスするので、スピーカーの部分を思わず押さえようとしたほど、がっくりな数値。飲み会の後はこのような始末。もっとも別府で開催された学会には自動車でいったので、ノンアルコールビールを飲んだだけなのだが。

今年の夏休みもとうとう終わり。夏の総括。というか久しぶりのブログ。まあいいか。論文の準備、ゼミの合宿などは例年の夏休み通り。それに加えて、この出不精の私が、福祉関連施設のための視察旅行に同行、さらに1年生のゼミ生をつれて流通関連施設の視察旅行と画期的な行事をこなした。なんとなくそのような気分だった模様。

それで、飲み会に戻る。どういうわけか、ガールズコレクションの話しになった。どうでも良い話しだけれど、「それって、福岡でもやってますよね」と言ったが反応がいまいちだったので、一応確認しておこうという次第。秋冬物は、zepp fukuokaで今月26日開催の模様。http://www.fukuoka-asia-collection.com/index.html

来週から講義だ。少しだけノートを変えてみようかなと思う。

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May 04, 2010


口コミについての研究は古くから行われてきた。販売される、あるいは購買される財やサービスをめぐって、いかに口コミのネットワークが形成されるのかが議論の中心であった。ネットワークを架橋している関係性の中身と同時にネットワークのハブの役割など古くから議論されてきた。また口コミの重要性の高まりが、サービス製品にみられる購入の特殊性や、一般財におけるサービス・ソフト化部分の相対的な拡大によってもたらされてきたことも忘れてはならない。インターネット環境の充実と、blogやtwitterといったbuzz marketingに利用可能なツールの開発は、口コミネットワークの拡大を押し進める役割を果たしているのは確かだけれども、マーケティング・ツールの利用策だけをあれこれしてみたところで、マーケティングの成功が導きだされるわけではないのである。

と、前置きが長くなったが、カシオG-shockのマーケティング、ブランド戦略について考えてみようと思う。とはいえ、まったく情報が不足。聞きにいけば良いではないかと言う声が聞こえてきそうだが、絵日記のような研究は旨としていないので、しばらく限られた素材をもてあそぶ所存である。

G-shockは、「実用性が高く、それでいて衝撃に強い」スポーツ用の腕時計として、1983年に誕生。いち早く、海外でブームとなる。米国においては、アイスホッケーのパック代わりにしても壊れないという宣伝文句が物議をかもす。TV番組で検証され、本当に壊れないことが実証されることに。お約束の流れとでもいおうか当然のように人気に火がつく。とにかく丈夫さにこだわった開発と、世界中で多くの特殊部隊員が使用しているといった話しは、先のTVショーの実験とともに、G-shock神話を形成するのに大いに役立ったに違いない。

もっとも、マーケティングの成功をG-shockヒットの理由とする説明もあるので聞いてみよう。ヒットの秘密は「少量多品種で期間限定。デザインは20代中心に若者をターゲットにディスコなどで販促活動をする」(小野佳男取締役1998年当時)ことにあったとされる。日本でのヒットは、1997年とされ、同年国内のみで240万個を売り上げている。『スピード』など多くの映画での使用や有名芸能人の使用が効果的であったとされる。

地道なbuzz戦略が組まれている。「17歳に火をつけろと言ってね。原宿や渋谷に古着を扱うようなお店があるでしょう。フリーペーパーを作って、そうしたお店においてもらい、米国の流行や文化を伝えた。それによってスケーター、ミュージシャンと言ったカッコいい奴らがGショックを身につけていることを、日本の若者にも見せていった」(伊藤重野典国内営業統括部時計推進部部長2004年当時)。10代の若者文化を知るためにエイベックスを訪ねたともされる。(続く)


「カシオGショック『宴の後』の死角」『週間東洋経済』1998年10月10日号。
「最新技術を取り込み原点の『強さ』を主張」『週間東洋経済』2004年2月14日号。
「G-SHOCK」Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/G-SHOCK

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April 07, 2010

tantanmen太宰府の担々麺を食べさせる店、黒船亭に行った。知らなかったのだが、熊本の植木が最初で、ここが2件目らしい。場所は国道3号線沿いで、都築コンツェルン・ビル群のやや南側。なかなか繁盛していた。人気「アーティスト」がよく行くお店として知られているようだ。食べたのは、パーコー担々麺。それほど辛いものを苦手とするわけではないが、汗をかいた。辛いので何がなんだか良くわからなかったと言うのが正直なところ。夏ともなれば、汗がスープのなかにも滴るのではないかと思われる。とにかく辛いのが好きという人には良いかもしれない。おそろしく辛いので当然水を飲む。しかし、何が悪いのか、水がおいしく感じられなかった。これがマイナス。氷が足りないし、グラスが古かった。ついでに建物も、うまく使っているのだが少し古かった。店員さんは良かった。これはプラス。

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March 31, 2010


明日から、いや今日から新年度のプログラムが始まる。休み中は、用事がなければ朝はジムに行っていた。ちょうど時間帯的にBSで世界のドキュメンタリーというのをやっている時間帯と重なった。イヤホンは持っていかないので、ランしながら、画像だけ追っていた。

この間、大変面白そうな映像が流れていた。ギャレス・マローン(Gareth Malone)というイギリスの指揮者が、冷えきった街に合唱で灯をともすというプロジェクト。サウスオキシーは、理由あってロンドン郊外にも関わらず置き去りにされた街。住民たちは街に誇りを持てない。ギャレスは、街から依頼され合唱団づくりに乗り出す。この動画は、コンサート前のリハーサルシーンである。

合唱団づくりなど、それがイギリスであってもうまくいくはずもなく、団員募集に苦労する。ギャレスは一人の男に注目する。彼はボクシングジムのオーナー。ギャレスは、街で人望の厚い彼を仲間に引き入れるために、ボクシングジムでスパーリングする。はじめて人を殴ったよと言うシーンは、微笑ましくも逞しい。

ひたすらポジティブ。こんな男がいるんだなあと思った。ギャレスもこのシリーズも大変人気らしく、The Choir: Unsung Townで、ググってみられることをお勧めしたい。もちろん、実際のステージを見ることもできる。しかし、残念ながら、第一話で、合唱団が街の商店街でファーストステージを飾るシーンの動画は、ついに見つからなかった。

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March 24, 2010

clinton-timexこれは、ビル・クリントンの大統領時代の写真。左手首の時計に注目されたい。Timex、アメリカ唯一と言われる時計メーカーのものである。googleの画像検索で確認したが、多くの場合、ビルはTimex Ironmanを着用している模様。Ironmanは、スポーツ用デジタル時計で、長年低迷していたTimexを立て直したシリーズ。私も3〜4年ほど使っていたことがある。

Osama-timex次は、みなさんおなじみの国際テロリスト、オサマ・ビン・ラディンの写真。これは、記憶が確かであればテロ遂行後にさかんに放送されていたシーンの一コマであろうと思う。で、今度は彼の右腕に注目されたい。やはりTimex Ironman。

ニューエコノミー時代を牽引した大統領と、反米国際テロ組織のリーダーが同じブランドを身につけているとはなんと皮肉なことか。ほんの50ドルで買えるプラスティック時計。情報化とブローバル化を体現しているブランドであると言えよう。

これって講義の持ちネタだったのだが、すでにwikipediaにも出てる。これでは面白くない。学生にはwikipediaは論文に使わないようにと言っている。あくまで辞書なので、前提にしかならない。もちろん、辞書的な理解はこうだがという使い方はあるのだろうけれども。

それはともかく、少し考えてみたいのは、我が国のプラスティック時計ブランド、casio G-shock。すでに発売開始から30年近い年月が経過している。ちなみに、ビン・ラディンの映像が流れた際には、時計について諸説流れたが、当初はG-shockという見立てもあった模様。

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March 18, 2010

2.「原点回帰」戦略



これは、三浦春馬を起用してヒットしたCM「畑づくりから」篇。高品質な原料の安定調達と生産の効率化、生産農家の育成に取り組んでいる姿勢を表現している。お茶の生産者が開発した緑茶飲料。世界ではじめて缶入り緑茶を開発販売して以来、この商品ベネフィットは、度々喚起され、マインドシェア1位を維持し続けてきた。そしておそらく、ここに「伊藤園」という商号の醸し出す本物感が、効果的に作用してきたことであろう。

伊藤園は、1986年に中央研究所を設立するなど、そのお茶に関する技術開発力は、農林水産省の茶業試験場と並ぶ水準を誇っているとされる。したがって、お茶の原点に帰るという戦略は、これまでにも何度も繰り返されてきた。第2次緑茶戦争で、サントリーが老舗福寿園と組んで大ヒットした「伊右衛門」に対抗するに際しても、堂々と味で勝負に出た。発売18周年を迎えて中身を刷新。パッケージには「おいしさは香り」と、味にこだわる原点を譲らなかった。

3.「コンビニ生活同期化」戦略

果たしてそれだけなのか。いやはや、良いものが良いブランドであるという、馬鹿でも言える結論であるならば、ブランドについて語る必要などないのである。良いものが売れると、言っておけば良い。果たして、「伊藤園」なり「お〜いお茶」なりに、ブランドとして語るべきものがあるとするならば、それは何か。あるいはそのきっかけは何なのだろうか。

87-drinksalesこれは1987年を起点とする、各種飲料水の生産量の推移を示すグラフである(全国清涼飲料工業会)。注目すべきは、緑茶を示す緑色の線である。左下からほぼ対角線上に右上へと生産量をのばしている。さて我々は再び1980年代に舞い戻った(ウォークマンの分析参照)。

伊藤園の商品企画本部、商品企画一部長中島和彦氏(2008年時)は、「コンビニと言う業態がなければ果たしてこれほど普及したかどうか・・・。コンビニの”お弁当文化”と一緒にのびてきました」(『コンビニ』)と語っている。そこで次に、コンビニの店舗数の推移を見てみよう。conviniences
お互いがお互いを助け合ったとでも言うべきか。緑茶飲料の生産量とコンビニ店舗数は、ほぼパラレルに成長していったことが明らかである。このことを前提にしながら、これまでのブランドストーリーを再度見直すならば、全く異なるブランド戦略の全貌が明らかになるのではないか。

それをなんと呼ぶべきか、ここではひとまず「コンビニ生活文化」とでも呼ぶことにしよう。伊藤園、そしてお〜いお茶のブランド戦略は、ことごとくこの「コンビニ生活文化」に自らを同期させていくことにあったのではないか。この生活文化の浸透なくしては、飲料化比率の設定は描けなかったであったろうし、原点回帰の原点とは、コンビニグルメにおけるおいしい生活にあると考えることはできないだろうか。

緑茶飲料は、1980年代の助走期を経て、1990年代には安定成長期を迎える。都市では飛び地的に開発されたインテリジェントビルを中心に新エリート層が誕生し、彼らのライフスタイルに注目が集まる。他方、この流れに取り残された圧倒的多数の人々は、炎天下の都会のオアシスたるコンビニに足を運び、コンビニグルメのドリンクとして安全安心の天然カテキン入りの緑茶飲料を手にする、という構図である。
(ひとまず完)


「伊藤園 企業CM「畑づくりから」篇、「CO2を減らす」篇」『宣伝会議』2008年7月号
「伊藤園vs.サントリー 因縁の対決 熱いぞ!茶葉戦争」『週間東洋経済』2005年7月9日号
「お茶の高技術を背景に飲料文化を創造する伊藤園」『NOMURA SEARCH
』1993年4月号
「伊藤園お〜いお茶 緑茶 無料が常識だったお茶がコンビニ飲料になるまで」『コンビニ』2008年12月号

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ブランド論的に伊藤園あるいは「お〜いお茶」にアプローチしたいと思って、しばらくいろいろと考えた結果、いまのところここまでしか出てこない。もう少し粘るつもり。

伊藤園は、前身のフロンティア製茶を設立した1966年にはじまる。69年に伊藤園の商号を東京上野のお茶屋さんより譲り受けている。当初、製茶卸売業者として成長したが、1979年にウーロン茶を販売開始、1981年に缶入りウーロン茶を開発販売して大きな転機を迎える。

初代社長の本庄正則氏は、1963年に大学を卒業し、自動車のセールスを経験後、起業している。この時代に大学を出て自動車のセールスを経験しているというのは、この後の、自らのビジネスを形づくっていく上で大きな意味を有していたのではないかと思われる。

定価販売へのこだわり。ルート販売、自販機販売へのこだわり。長期戦略に基づく製品開発へのこだわり。ネーミング、TVCMでの活躍。スキがない。マネジリアルマーケティングの教科書を地でいく正統派。教科書通りきちんとやれば成果は出るんだなと思わせる優等生といっても良い。じたばたせず長期的利潤を追求するスタイルそのものが教科書通りである。

ということで、こまってしまったのである。これでは書くことがないではないか。しかし、このままでは講義ネタにするにしても苦しいので、お〜いお茶を中心にしてもう少しだけ展開してみよう。ポイントは3つ。1つ目は、「飲料化比率」政策。2つ目は、「原点回帰」戦略。そして3つ目は、「コンビニ生活同期化」戦略である。

1.飲料化比率政策

伊藤園は、1985年に缶入り緑茶を開発販売する。ウーロン茶に続き、世界初の開発であった。したがって、伊藤園の缶入り緑茶の歴史が、缶入り緑茶の歴史そのものである。ということで、マインドシェアは著しく高いものと思われる。市場占有率も30%を維持し続けている。

とはいえ、数度の「緑茶戦争」を経験してきている。代表的なのは、2000年のキリン「生茶」をきっかけとする第1次緑茶戦争。そして2004年のサントリー「伊右衛門」をきっかけとする第2次緑茶戦争である。

伊藤園の言う飲料化比率とは、全国で飲まれているお茶の総量のうち、缶やペットボトルといった容器で飲まれている量の比率である。伊藤園では、緑茶の場合、飲料化比率は将来的に30%を超えると想定している。これに対して、第1次緑茶戦争の2000年時点で9.6%、第2次緑茶戦争の2004年時点で18.7%というのが現実の数値であった。
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(伊藤園HPから)

したがって、伊藤園は、数度にわたる緑茶戦争にも動じず、トップブランドとして横綱相撲をとり続けてきたのである。この長期的視点から見れば、緑茶戦争は、緑茶市場の全体パイを増やしていくプロセスにしかすぎない。ここで戦略的には短期的な視点で動くのではなく、茶葉生産プロセスの安定化、安全安心の本格緑茶としてのブランドイメージの維持に資源を配分するという意思決定がとられ続けることになるのである。(続く)

伊藤園公式HP(http://www.itoen.co.jp/)
伊藤園wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%9C%92)
石井淳蔵「20年間シェア一位『お〜いお茶』に学ぶ市場の創り方」プレジデントonline(http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2010/20100118/13437/13445/)
「緑茶戦争の舞台裏??消費者への情報伝達で激戦続く」ITpro(http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20050529/161664/)
吉田満梨「不確定な環境における市場予測と遂行的実践〜株式会社伊藤園 飲料化比率を参照点とした市場創造の事例〜」『マーケティング・ジャーナル』第29巻第3号、2010年
「伊藤園、緑茶離れにめげず2ケタ成長」『日経ビジネス』1986年1月20日号
「お茶の高技術を背景に飲料文化を創造する伊藤園」『NOMURA SEARCH
』1993年4月号
「伊藤園vs.サントリー 因縁の対決 熱いぞ!茶葉戦争」『週間東洋経済』2005年7月9日号
「伊藤園お〜いお茶 緑茶 無料が常識だったお茶がコンビニ飲料になるまで」『コンビニ』2008年12月号



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March 13, 2010


これは1981年に放映されていた伊藤園の水だし煎茶のCM。ここ数日、伊藤園関連の記事を読んでいる。経済誌の記事などよほどのことがないと読まないので、それ自体勉強になる。

伊藤園、関わりがあるわけでも、フリークであるわけでもないが、日本のブランドねえ...と考えた時に、まあねえ、とか思った次第。スペシャルにマーケティングが好き、あるいはマーケティングがうまい企業という印象がある。

そしてこのCM。覚えてなかったのだけれども、ずっと流していたらしい。このCMのフレーズから「お〜いお茶」の名称が作られた模様。

speedyjy_speedy at 18:36│コメント(0)トラックバック(0)この記事をクリップ!