「硫黄島に行きたい!」という方のために

こんにちは。久しぶりの更新です。
先日の安倍総理の硫黄島訪島の直後、当法人へのアクセスが急増しました。
硫黄島に行ってみたいという方は、多くいらっしゃるのではないでしょうか。そこで今日は、私が知るかぎりの硫黄島に行く方法 を紹介致します。

1.硫黄島で働く
現在、硫黄島では海上自衛隊、航空自衛隊の基地が有り、隊員の方が働いていらっしゃいます。自衛隊員として硫黄島で働く、これが1つ目の方法です。ただし自衛官になるのには年齢制限がありますが。。。また硫黄島では、防衛省や厚生労働省から契約を受けた建設会社などの民間企業の方も働いていらっしゃいます。具体的な会社名は、防衛省や厚生労働省がホームページで公開している資料から知ることができます。

2.小笠原村立中学校
小笠原村の中学校では、継続的に中学生硫黄島訪島事業を行なっています。小笠原村のHPからその様子を見れますよ。⇒中学生が硫黄島を訪島しました

3.慰霊巡拝事業
厚生労働省では、戦歿者ご遺族の方を主体として慰霊巡拝事業を行なっています。硫黄島に行きたくても慰霊巡拝事業の存在を知らないご遺族の方も多いのではないでしょうか。⇒戦歿者慰霊事業の実施(厚生労働省HP)
 
4.遺骨帰還事業
この遺骨帰還事業こそが私達が取り組んでいる事業です。私達以外にも、多くの団体が遺骨帰還事業に取り組まれています。例えば今年2月の硫黄島遺骨帰還特別派遣には、財団法人日本遺族会、公益財団法人大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会、 NPO法人JYMA日本青年遺骨収集団、硫黄島協会、小笠原村在住硫黄島旧島民の会、NPO法人国際ボランティア学生協会、水戸二連隊ペリリュー島慰霊会、厚生労働省が直接公募した人(将来の指導者層として政府の遺骨帰還事業に協力することが可能な人)が参加しました(団体名は厚生労働省ホームページより。敬称略)。
ただし遺骨帰還事業に参加する場合は、真摯な態度で取り組まなければなりません。観光旅行、物見遊山ではございません。厳しい制約もございます。御遺骨をお迎えするわけですから非礼のないような態度が必要です。ご遺族の方にとっては大切な肉親です。こういった方々への配慮も遺骨帰還事業では求められます。
去年、故高松宮殿下が硫黄島に訪島された際のエピソードをご紹介致しました。殿下と同じように取り組むのは難しいですが、もし硫黄島遺骨帰還派遣に参加するならば、殿下と同じような気持ちを持って取り組むべきだと思います。
少し堅苦しい事を書いてしまいましたが、JYMA日本青年遺骨収集団は1年を通して団員を募集しております。
応募フォームよりご応募お待ちしております。


 

大西瀧治郎海軍軍令部次長最期の地を探して

あまりにもブログの方をほったらかしていたので、私も存在を忘れていたこのブログですが、ふと思い出したのでなにか書こうと思いました。最近、遺骨帰還派遣で行った硫黄島について書こうかと思ったのですが、いまいち進まなかったので、最近調査した大西瀧治郎軍令部次長最期の地についてのレポートを載せます。

大西瀧治郎中将とは
 大西中将の生涯を書くだけで数冊の本は書けるでしょうから、ここでは詳しくは書きません。Wikipediaでも見て頂ければ概ね分かって頂けるでしょう。
一般的に「特攻隊の生みの親」として知られている大西中将は、終戦後の8月16日未明、渋谷区南平台の軍令部次長官舎にて"死を以って特攻の英霊に謝す"という趣旨の遺書を遺し、割腹自殺を遂げました。
Ohnishi
 8月18日読売新聞朝刊

 大西中将は私が好きな軍人です。ずっと最期の地を訪れてみたいと思っていました。しかしながら渋谷区南平台で自刃した事は本に書いてあるのですが、南平台のどこかはどの本にも書いてないし、公文書も見つかりませんでした。そこでせっかく渋谷区民なので調査して見ることにしました。

映画『あゝ決戦航空隊』
当時の軍令部次長官舎を調べるにあたって、最も参考になったのは昭和49年(1974年)公開の東映映画『あゝ決戦航空隊』でした。この映画では鶴田浩二が主人公大西瀧治郎を演じています。
終戦から29年後の公開された当時は大西中将が自刃した軍令部次長官舎は残っており、この映画のラストに官舎が写されます。
ahkessenkoukuutai1b

『あゝ決戦航空隊』より
この映像から軍令部次長官邸はどこにあるのか考察しました。
1.後ろにあ
る道路は南平台に沿った国道246号線である可能性が大。
2.軍令部次長官舎は坂にある。
この条件に当てはまる所をGoogle マップ及びストリートビューで探した結果、現在の東急電鉄本社ビルのあたりが有力でした。
 googlemap
マップで言うと矢印で指した所
googlestreetview

左手のビルが東京急行電鉄本社ビル。国道246号線までの距離感

実地検分

幸い東急電鉄本社ビルまでは歩いて行けるので、実地にて検証してみました。P1000731

ストリートビューで見るのと実際に行ってみるのではだいぶ違う事が多いのですが、実際に立ってみてここで間違いなさそうだとう確信をもてました。

航空写真の検証
昭和49年に撮られた渋谷区航空写真からも検証してみました。赤丸をつけた建物が当時次長官邸として使われていたと思われます。

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国土交通省国土制作局ホームページより引用

ahkessenkoukuutai2

上記の画像が『あゝ決戦航空隊』のラストで取り上げられる当時の次長官邸です。
この二枚の画像を比べてみると恐らく同一の建物であろうと言えると思います。

インターネットからの情報

先述した通りインターネットからは決定的な情報を得ることは出来ませんでした。
しかしながら「映画・シナリオ研究」という個人の方が運営されているブログから「あゝ決戦航空隊」の脚本家笠原和夫のインタビューをみることができました。引用させていただきます。
◎僕は行ったんだけど、東急本社の裏手に元満州財閥の人の大邸宅があるんだよ。当時、そこを海軍軍令部次長の官舎にしてたんだけど、そこで切腹しましてね。
   (昭和の劇 笠原和夫 外著 2002年太田出版刊 339頁)
http://5111.blog.eonet.jp/ky/cat3272819/
当時の東急本社は現在のセルリアンタワー東急ホテルに当たります。現在の東急本社はちょうど裏手にあたります。

いつ旧軍令部次長官舎は取り壊されたか
昭和49年(1974年)の段階では現存していた官舎ですが、いつまで残っていたのでしょうか。Wikipediaによると東急本社ビルの竣工が平成2年(1990年)だそうなので、それまでには取り壊されたか事になります。具体的にいつ頃なのか航空写真で検証した所、昭和54年(1979年)には更地になっていたので49年~54年までの間にとり壊されたのでしょう。

まとめ
大西瀧治郎中将最期の地は、現在の東急電鉄本社ビルである
 
お勧めの本・映画

日本海軍の爆弾―大西瀧治郎の合理主義精神 (光人社NF文庫)
帝国海軍の爆弾を通して見た大西瀧治郎の生涯といったところでしょうか。大西中将が「神がかり的精神論者」ではなく、徹底した「合理主義者」であった事をこの本は解き明かしてくれます。旧軍の精神主義の局地のように言われる「特攻」ですが、当時としてはそれが一番合理的な作戦であったというのもまた事実です。
大西中将が「神がかり的精神論者」ではない事は、「軽挙は利敵行為」と諌めた遺書を読んでも明らかだと思います。

あゝ決戦航空隊 [DVD]

キャストがとにかく豪華な映画です。鶴田浩二、菅原文太、金子信雄、渡瀬恒彦、山城新伍、松方弘樹、北大路欣也、、、と当時の東映映画の名優が勢ぞろいしてます。『仁義なき戦い』シリーズともキャストが大分重なっていますね。
内容も割りと忠実に作られていると思います。中島正少佐や猪口力平大佐、城英一郎大佐、小園安名大佐、玉井浅一中佐など一般的に有名でないし、多くが当時まだ存命中の軍人がボンボン出てくるのは凄い。
菅原文太演じる小園安名司令が印象的です。


何か新しい情報や異論などがございましたらコメントよろしくお願い致します。
 

アジア歴史資料センターのご紹介

アジア歴史資料センター」というのをご存知でしょうか?アジア歴史資料センター(通称アジ歴)ではインターネットを通じて、外務省外交図書館、防衛省防衛研究所が保有する資料の多くが公開されています。
アジ歴で公開されている資料の一部を紹介したいと思います。

まず最初に12月8日の真珠湾攻撃時の空母「赤城」の航空部隊の戦闘調書

指揮官:淵田美津雄中佐
pearlharbor



C08051579600、昭和16年12月~昭和17年6月 赤城飛行機隊戦闘行動調書 より引用



昭和16年12月10日、元山空のマレー沖海戦の行動調書(マレー沖海戦は美幌空と元山空と鹿屋空の共同)

princeofwales

 

  C08051612100、昭和16年12月~昭和17年5月 元山空 飛行機隊戦闘行動調書 より引用



坂井三郎さんの、「大空のサムライ」で有名な昭和16年12月10日、空の要塞B-17初撃墜時の台南空の戦闘調書
 b-17
C08051601300、昭和16年12月~昭和17年1月 台南空 飛行機隊戦闘行動調書より引用


 
昭和17年6月5日ミッドウェー海戦の時の赤城飛行隊の調書
midway
C08051579700、昭和16年12月~昭和17年6月 赤城飛行機隊戦闘行動調書 より引用


昭和20年3月20日、栗林忠道中将、大将に昇進
kuribayashi
A03023553200、公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第十一巻・昭和二十年 より引用


今日、取り上げたのはごくごく一部に過ぎませんが、このように貴重な資料がインターネットで簡単に見れます。
便利な時代になりましたね。
 
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