ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2008年05月

墓石に水かけても良いの・・・1

b7f7dd0a.jpg昨晩、檀家の方から法事の予約を受けた。その時雑談の中で「うちの家内が細木数子に呆けてしもうて、神様みたいに言いよるんですわ。この間も墓参りして先祖の墓に水向けしょうと思ったら、お父さんあかんでぇ。細木はんが言うとった・・・こない言うて止めるんですわ。おっさんそれはほんまでっか。」と尋ねられた。

私は「そんな事はありませんよ。水は閼伽〔あか〕といわれ、六種ある供養の一つでして、感謝の施しです。 不浄を洗い流し清める意味もありますから遠慮なくして頂いて結構ですよ。」と言ってあげると安心された。

また、亡者は喉が乾いているので喉を潤すという意味もあるのだが、それは言い忘れた。また、霊園によっては水をかけるのを禁じているところがあるとも聞いた事がる。

ほんとうに困ったことだ。昔からの良き風習でもある。細木という方がどんな言い方をしたのかしらないのでそれについてどうこう言えないが、影響力のある方が少なからず迷うような言い方は避けなければならないと思う。



ちょうどお不動様の縁日5

df9f2cc8.jpg今日は月末の水曜日ということで定例の護摩を焚く日であった。ちょうど28日でお不動様の縁日と重なって有難かった。
以前はこの28日にしていたのであるが、土日に法事などがあって日を変えないとできないことがあったりしたので、数年前から月末の水曜日にするようになった。

今日は午後から雨という天気予報ではあったが、幸いにも午前中は良い天気であった。しかし雨が近くまで来ているらしく、生暖かい風が強く吹き荒れ蒸し暑い。

そのせいでもないが、身体がだるくて集中力が出ない。10時30分を過ぎると参拝の方々に入堂してもらって添え護摩に移るが、それまでは1時間の前行をして火天段に入り、三段ぐらいまで修法するのがいつもの習わしだ。

今日もいつものように9時に入堂して前行に入ったのであるが、どうもやる気が出ない。これではいけないと思い、約二十分余り瞑想をすることにした。

外の滝の音と強い風の吹き抜ける音、そして護摩堂の換気扇の音・・・それらの音が狂想曲のように感じる。そして十数分経ったであろうか、ようやくそれらの音が気にならなくなった。

正面のお不動さまが笑っているように見えた。約20分ほど前行をカットしたが、私にとっては集中力を養う貴重な時間となった。その後はいつもよりスムーズに作法が進み、火の勢いもあったのであるが少し波動が少ないと感じていた。

そんなことを思っていたら参拝の方々が入いって来られた。修正する間もなく、添え護摩に入らざるを得なかった。添え護摩木が約百本近くあるのですぐにしないと時間がかかり過ぎてしまうからだ。

参拝の方はお年寄りばかりなので、護摩堂に30分程度居るのが精一杯である。それ以上は負担になるので臨機応変に対処している。従って四段目以降はカットした。

結局、体調が悪かった割には最終的にまずまずの護摩となった。添え護摩の中頃にはとても良い波動が出たように思う。今まで何が何でも前行をしなくてはと焦ってしていたように思う。ある程度の心の準備をする意味でも瞑想は必要であると感じた。

忌明けまで仏壇は?

4823b8a4.jpg今日は二七日のお参りをさせて頂いた。午後七時からお願いしますということで、ちょうど五分前に着いた。すでにたくさんの人が集まっておられた。

初七日の時に、逮夜の大切さや故人にとっても送る側にとっても二度とないことですから・・・と話をしていたのでその甲斐があった。

喪主は私より一つ年下で小中学校も一緒で良く知っている。三年余り前に父親を、そして今回は母親と立て続けである。一つ違うのは喪主は一緒であるが、供養などの実質的な事は母親が仕切っていたことである。

その母親が元気でそんな死ぬというような気配もなく、突然の寒波の襲来と共に体調をくずし入院し二日後に息を引き取ったもので、そのショックや心労は相当なものである。まだ七十三才と若い。

そんな中、今日の二逮夜である。約十五分余りのお経であるが、心を込めて唱えさせていただいた。お経が終り、少し話しをさせて頂いて帰ろうとした時、喪主の妹さんが「お坊さん、仏壇に父親が祀ってあるのに手を合わす事は駄目なんですか・・・」と憔悴しきった声で質問を受けた。

私はその質問がとても嬉しく、いつになく饒舌に話をしてしまった。当然の事ながら、本来は中陰壇の後ろに十三仏の掛け軸か本尊の掛け軸を掛けて供養するのが本当である。

残念な事に、ほとんどの場合お骨と白木の位牌を拝んでいることが多い。その場合、その家の仏壇の本尊を召喚して供養する。そしてご先祖様にもそのご報告をして加護を祈るのである。

このように、思い込みや迷信などで誤った認識を持ちがちである。しっかりと正しい供養が伝われば良いのにと思った次第である。




おばぁさんの散歩2

白い純白のコデマリの花がとてもきれいに咲いている。境内の大きなケヤキの下にあって少し日当たりが悪いせいか、ようやく満開だ。

そんな花の写真を撮っていると、百メートルぐらい先の参道を手押し車を押して登ってくるおばぁさんがいる。

誰だろうと思い眼を凝らして見ると、時々観音様へお参りされている近所のおばぁさんであった。ゆっくりゆっくりと手押し車にもたれかかるように、曲がった腰をさらに深く曲げて登って来られる。

ようやく近くまで来られたので、私は「良い天気になりましたね。」と声をかけるとおばぁさんは「ほんまでんなぁ・・寺まで登ってきたら汗がでますなぁ・・・。」としわくちゃの人懐っこい顔を紅潮させて言われた。

毎日ではないが、天気の良い日には散歩がてらによくお参りされている。腰が曲がってはおられるが、元気で畑を耕し自分の作った野菜を持ってきてお供えされている。

このおばぁちゃんがいつもお参りされるのは、決まって参道の途中にある子安観音様だ。自分の孫が不登校というか、引きこもりになっておられるのを心配して熱心に拝んでおられるのだ。

その観音堂の前で汗を拭いて休まれているおばぁさんの顔は、その子安観音様に似ておだやかなやさしい顔をしておられる。もう確か八十五歳になられていると思うが、
十歳ぐらいは若く見える。

汗をぬぐって一息つかれると、「おじゅっさん、わしは幸せもんでなぁ・・・」と話を切り出し、三十分余りもしゃべり続けられた。私は途中で少し疲れてきたので、ちょっと用事を思い出したということでその場を退散した。

少し悪いことをしたかなぁと思ったが、五分おきに同じ話に戻られるのでこれも仕方ないことである。「寂しいというよりも、老人性の何とか・・・というものやなぁ・・」と勝手に独り言を言っている自分が滑稽であった。
  • ライブドアブログ