ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2009年02月

「おくりびと」・・・

「おくりびと」がアカデミー賞を受賞した。納棺師という特殊な職業を持つ主人公を描いたものだ。死が見えにくい現代社会にあって、この映画の受賞はほんとうに嬉しい。

私は職業柄、亡くなった方を拝み顔を拝見する。しかしながら、納棺に立ち会ったのは二回しかない。父親が亡くなった時と叔母が亡くなった時である。

父親の時は田舎ということもあり、そんな特殊な職業の方がいないので葬儀社の方と家族で行った。ある程度の知識があったのでそれなりにできたと思う。

驚いたのは、叔母の葬儀に行った時のことである。死に化粧などきれいに病院でしてもらっていたのでそのまま納棺するものと思っていた。ところが若くして亡くなったせいもあって、二人の娘さんの希望で衣装や装飾品を用意して別に納棺師を手配していたのである。

そして納棺する二時間前から「ゆかん」や「化粧」など一連の仕事を淡々としていく姿を初めて見ることとなった。遺族の心情を汲み取りなが粛々と進めていく姿に思わず感動したのを思い出す。

現代は核家族化の影響もあってか、死に対して余りにも希薄になっている感がある。生者(家族)と死者の絆を確認できるのはこの送る瞬間ではないだろうか。

この受賞は、宗教や人種の違いを超えて死の崇高さを再認識させられた。そしてやがて来るであろうその時の為に自分と向かい合って考えることのできるすばらしいものとなった。

二つの大日如来

腰の曲がったおばぁちゃんがぼけ封じ観音さんにお参りされている。誰かなと思って落ち葉拾いをしているといると「おじゅっさん、今度の大師講はいつになりましたん?」と声をかけて来られた。毎月十八日の観音さんの縁日に時々お参りされている檀家のおばぁさんだ。

もう八十歳を過ぎているのに元気である。私は「えーと、今年は少し遅くなってしもうて三月の八日になりましたよ。」と答えると「あーそうですか、楽しみにしてます。」としわくちゃの顔に満面の笑みで応えられた。

そして「ところでおじゅっさん、仏壇の本尊さんの真言はどない言うたらええんでっしゃろか・・?」と更に質問される。

私は「大日如来には二種類ありまして、仏壇や本堂に祀っているのは金剛界の大日如来です。昔の忍者がドロンと忍術を使う時のような印を結んでいますやろ、あれは智拳印と言いまして法力の強さと知恵の象徴を表しているんですわ。」

そして「もう一つの大日如来さんは余り仏像でみかけることは少なく、曼荼羅などに出てくることが多いんです。手は座禅する時のような法界定印という印をしています。」とゆっくりと説明してあげた。

しかしながら、おばぁちゃんにとってはそんな事より早くどない真言を唱えたら良いか知りたかったようである。「仏壇の本尊様には、オンバザラ ダドバンと唱えてください。ちなみにもう一つの大日如来さんは、オンアビラ ウンケンです。」

そう言ったら急に「おじゅっさん、悪いけど頭が悪いんで紙に書いてもらえへんやろか・・・」私は何となくその言葉が予想できた。

本堂へお参りされている間に紙に大きく書いて渡してあげた。考えてみると檀家さんの中でも本尊さんが何という仏様か知らない人もいる。おばぁちゃんにとっても本尊さんの名前を聞いたのは初めてだったのかも知れない・・・。

クロッカスの花・・・5

d664b6e5.jpg庭のクロッカスの花が咲いた。毎年この二月中旬頃に花を咲かせる。黄色い可憐な花を見ていると幸せな気持ちになってくる。

昨日は予約の専願護摩を焚いた。これまで年に一回か二回のペースで不定期ではあるが何回か焚いている女性の方である。約束の午前十時半にピッタリと来られた。

私は十時頃から支度をして護摩堂で待っていた。「どうぞお上がりください。」と声をかけ、すぐに修法できる態勢から最近の様子や本日の祈願内容をお伺いした。

最近自分の体調が良くないことや亡くなった自分のおじぃさんの事など機関銃の如く早口に約十五分余り一方的に話される。少し精神的にも疲れておられるようだ。

自分の体調が悪いのは、亡くなったおじぃさんが自分を恨んでいるからと思い込んでいるところも気にかかる。とりあえず、今回の護摩の祈願はおじぃさんを含めた「先祖供養」と施主さんの「心身健康」を祈願することとした。

本人は除霊を希望されていたのであるが、見たところ全くその必要もないのでその旨を説明して修法に入った。

約一時間余り、とても充実した修法ができた。何の支障もなく、この方の先祖霊が迎えてくれてとてもやりやすかった。焚き終えて女性の顔を見ると全く別人のように生き生きとされていた。

少し修法中に感じた事をお話していたら満面の笑みで「今日帰ったらお墓参りに行って誤ってきます・・・。」と明るく話されるので、こちらも嬉しくなった。

女性が帰られた後に時計を見たら十二時半になろうとしていた。私の気持ちも庭のクロッカスのようにさわやかな幸せ気分になった。

節分星祭り・・・5

84804976.jpg今日は節分星祭り・・旧暦の元旦に当たるとてもたいせつな行事である。
朝九時三十分から本堂の隣の部屋に特設の星供檀を儲け、星曼荼羅を掲げてそれぞれの祈願者の星供養を行った。

一年に一回の事で事前に予習をして臨んだ。二年前に奈良まで講習を受けに行ったのであるが、なかなか思うようには行かない。慣れない真言に詰まりながら何度も読み直す。

ようやく慣れてきた頃には、修法も終わりに近づいていた。約四十人余りのお参りの方々にはそれも気が付かれることなく無難に終わってしまった。

続いて十時半、護摩堂に移り大護摩供養に入った。信者さんには寒いので希望される方はクライマックスの十一時過ぎに護摩堂へ入ってくださいと言っておいた。

護摩堂は予想通りかなり冷え込んでいた。冷たい風は、行法に入った私の髪のない地肌むきだしの頭を容赦なく襲う。冷え込みでトイレに行きたいのを我慢しながら何とか護摩を終えた。

思ったよりお参りの方の感度が良い・・・

その後に豆まきをして、少し挨拶をさせて頂いた。例年になく信者さんの顔に笑顔がある。一生懸命にこの一か月余り準備をしてきた甲斐があったように思えて嬉しくなった。今年も良い年でありますょうに・・・
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