ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2009年03月

大師講と総会3

14259c6c.jpg昨日は大師講があった。本当は二月の行事であるが、法事などでこの三月にずれ込んだので寒さもやわらぎ雨も上がって良かった。このところの雨で境内を流れる谷川も勢いよく水が流れている。

この大師講は年度末の総会も兼ねているので私にとっては毎回緊張するし、家内にとっても前の日から当番の方々と食材の切り刻みをして準備するので大変だ。当番の方々も前日の午前中に檀家を回り食材を集め、午後からは当日の炊き出しの用意で忙しい。

以前にも書いたが、百年近く続いているこんな風習もだんだんと簡素化の方向へ向かっている。当番は五軒から六軒の檀家さんで構成されているが、当番の組によっては後継ぎがいなく高齢で出れない家が目立ち始めた。

普通は夫婦で当番に出るのであるが、この組は諸般の事情で女性が三人しか出れないので家内が主体になって準備をするが、いつもより時間がかかっているようだ。その組を仕切る組長さんの段取りも大きく左右する。

少し心配していたが何とか無難に大師講が終わった。毎年この行事が終わるとホッとして春がやってくる実感が湧いてくる。

戒名はどうしているの?

先月の寺の役員会の時に、ある役員から「戒名はどうしてもつけなあかんもんでっか?」とぶしつけに質問を受けた。

私は寺の役員さんからこのような質問をされたことに、内心はショックで複雑な気持ちであったので思うように言葉が出なかったことを後悔している。

少し間をおいて「戒名は必要です。亡くなられると葬儀で引導をしますので俗名ではできません。」と簡単に答えるのが精一杯であった。

戒名は生前に与えられるものであり、仏教の戒律を受けた仏弟子に授けられる称号なのである。仏弟子になることによって迷わずに浄土へたどりつけるもので、仏教でするお葬式には必ず必要になってくる。

都会の葬儀などでは、戒名をつけずに俗名で仏式の葬式をしている場合があるように聞く・・・施主さんの希望とはいえ、もう少し僧侶が毅然とした態度で臨み説得しなければいけないように思う。

キリスト教などは生前に受戒を受けてクリスチャンネームというか、仏教の戒名にあたる名前をもらっている。また、イスラム教は「コーラン」という聖典で厳しく戒律を定めて毎日の生活の行動規範にしている。

仏教はお釈迦様から派生したもので本来一つのものである。しかし日本では多数の宗派に分かれ、戒律もその宗派によって見解が違ってくる。仏教でも引導をしない宗派もあるし、受戒をしない宗派もあるのだ。

これは余談であるが、昔の人はお見合いをした時に相手方の仏壇を拝ませてもらうらしい。そしてお位牌の戒名を見てその家柄を判断していたということを聞いたことがある。昔は戒名をつける側も家柄や人柄を見てしっかりとつけられていたことを物語っている。

これから先、ほんとうの仏弟子としての戒名を希望される方が少なくなって行くだろう。つける側ももらう側ももう少し戒名についての議論が必要だ。宗派や寺、僧侶によっても考え方が違うように感じる。




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