ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2009年11月

涙の納骨法要

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(山裾はススキでいっぱいになっている。)

随分と前から昨日の天気を心配していた。というのも、祥月命日に一周忌をして納骨をしたいと五ヶ月も前から予約を受けていたのである。昨年、四十七歳という若さで亡くなられたご主人のお骨のことで、喪主である奥さんのお姉さんから相談を受けたことがあった。亡くなられたご主人は四人兄弟の末っ子で、奥さんの方の両親と同居されていた。性も元のままで奥さんや子供もご主人の性になっているので養子ではないが、玄関には二つの表札がかかっていて実質はそれに近い状態であったのかもしれない。亡くなられたご主人のお母さんは八十歳近くになられているが、十年ほど前に交通事故で夫を亡くし、そして今回の息子の急死と相継ぐ不幸に悲しみ憔悴されていた。特に末っ子であるこのご主人を可愛がっておられたようで、奥さんに「養子に出した覚えはない。お骨はこちらの墓へ入れる」と言われていたようで、心配された姉さんから相談を受けていただけに昨日の納骨は感慨深いものであっただろう。

奥さんの姉さんから相談を受けたのは四十九日法要の数日前であったので、法要が終わった後の法話で、亡くなられたご主人が建てられたお墓についての思いをお話させて頂いた。その墓を建てられたのは、奥さんの父親が亡くなったので納骨する為でもあるが、いずれは自分達も入るつもりで建立されている。だから墓石には当家の名前は入れず、「南無大師遍照金剛」と刻み、側面には赤字で建立者である自分の名前を入れている。そうした思いを説話を交えて話し、その日はまだ納骨もしないのであるが、先祖様へのご報告ということでそのお墓へ一同でお参りするようにしたのである。それからであろうか、母親の気持に変化が出てきたようで、今回の納骨へと繋がったのである。

奥さんからもご主人を亡くされた直後の逮夜参りで相談を受けたこともあった。まだ母親とのお骨の問題が出る前のことで、「主人のお骨をこのまま仏壇に祀ったまま置いときたいんです・・・」と寂しそうに言われる。その心情が痛いほどわかるだけに私は、「納骨される時に、ほんの少しだけ分骨して仏壇などに祀り、自分が亡くなったら一緒に納骨して欲しいと子供に託す方もおられますよ」と話すと、私もそうしたいと今回、とてもきれいな小さな陶器を用意されていた。奥さんも、三人の娘さんも涙涙涙の納骨法要であったが、祥月命日が日曜日にちようど当たり、その上心配していた天気も良くて万事がうまく行った。寺から一時間半余りかかる高速道路を運転して帰る私の気持ちも晴々としていた・・

百歳のおばぁさんのお葬式

kareha(枯葉がクモの巣にひっかかっていた。)

昨日は十一月最後の土曜日ということもあってか、以前から予定がびっしりと入っていた。そこへ二日前に亡くなられた百歳になられるおばぁさんのお葬式が突然入ったので、それまでの予定の時間変更をお願いして早朝に回させて頂いたのである。お葬式までに予定の大部分を済ませることができたので、気分的に少し余裕を持って葬儀に集中できた。ただ、このお葬式も土曜日の為に各お寺さんも予定が入っていて忙しく、なかなか人数が集まらずに前日まで調整が続いた。私のお寺では普通は五人でお葬式をするのが一般的であるが、施主さんの篤い思いがあって僧侶八人という盛大なお葬式となったのである。施主さんは普段は物静かな方で、私が住職になった時に高野山へ一緒に参拝したのであるが、その時はほとんどお話する機会がなかった。

今回、訃報を聞いて枕経に行かせて頂き初めてその篤い人柄に触れたのである。少し人見知りをされ無愛想のようにも見えるが、人に対する気遣いと母親に対する思いを感じ取ることができた。二十四年前に亡くなった父親と同じように見送ってやりたいというやさしい気持ちに感銘を受けたのである。また、葬式には亡くなられたおばぁさんからみれば小学生や中学生のひ孫かやしゃごであろうか、十数人も参列されていた。火葬場へは五十人近くの親戚一族が見送りとてもにぎやかで、ちょうど百歳で大往生をされたおばぁさんにとっては大変な喜びであったに違いない。そして施主家一族の血縁の強さと結束力を感じる。それも亡くなられたおばぁさんの人徳なのであろう。私にとってもおばぁさんの仏縁で施主さんの人柄に触れ意義ある葬儀であった。

握手の効果

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(朝方の霧でわずかに残った紅葉が濡れている。)

数年前、私の学生時代に同級生であった友人と二十年ぶりに再会したことがあった。知り合いのお寺さんの落慶法要に招かれて行った先でのことで、彼は仏師になっていたのである。そこのお寺の本尊を頼まれて制作した関係で招待されていたのであるが、久しぶりに会うと学生時代の内向的な性格とは全く違い、その変貌に驚いた。会うなり「よう、久しぶり」と右手を差し出してきたのである。私は一瞬ためらいながら手を出すとギュッと握りしめ、もう一方の左手で私の右手の甲を包むようにしてきたのである。今から思えば親愛の表現であるが、そうしたことに慣れていない私は唖然とした。彼は京都に工房を持っていて、仏像に興味のある外人さんがよく尋ねてくるので自然と握手する習慣が身についたらしいが、芸術家としてのポリシーもあるようだ。

「仏像は手の表現で良し悪しが決まる」と彼が言うように、仏像の手は言葉のように様々な思いを語りかけてくれる。また、手の角度やその状態によって仏像の心を汲み取ることができる。それを彼はわかっていて、敢えて西洋式の握手をしたのかも知れない。以前に父親が入院をしていた病院で看護婦さんが、「麻酔が効かなくて痛みで苦しんでいる患者さんを見ていたら辛いんですけど、そんな時そっと手を握ってあげるんです」と言われていたのを思い出した。そうすると少し安心されるのか落ち着かれるそうである。母親が小さな子供を寝かせる時に手を握ってやるとスーと眠りにつくのと同じなのであろう。どちらにしても相手の手を握るということは、言葉以上に効果的な親愛表現ではないだろうか。

大往生と二十三回忌

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(この季節あたり一面落ち葉だらけで、被写体が見つからない。)

この土曜日の二十八日に合同法事をするのであるが、昨日はその塔婆を書いていた。二十本ぐらいあるのでで少し疲れてしまい、気分転換に買物に出かけたのである。ちょうど家内が夕ごはんの材料を買いに出かけるところで、タイミングが良かった。その帰り道に携帯電話がかかってきたので驚いて応対すると、寺にいる母親からで檀家のおばぁさんが亡くなったと言う。寺まで五分ぐらいのところまで帰ってきていたので、すぐに寺に到着してあわてて衣に着替え枕経に行かせて頂いた。すでに葬儀社の方や親戚の方が来られていて、枕飾りもしてあった。長生きされていたおばぁさんであるが、私自身正直なところ、このおばぁさんの存在を知らずにいた。私が住職になってこのおばぁさんを一度も見かけたことがなかったせいもあるが、施主である息子さん夫婦も七十歳近くになられているのですでに亡くなっておられると思っていたのである。枕経が終わり、葬儀の打ち合わせをしていてその話をすると、「見つからんように隠してましたんや」とジョークを言われた。長生きされたおばぁさんで、ちょうど百歳で大往生されたからこそ言えるジョークである。死に顔はとても美しく、眠るように息を引き取られたのか、安らかな良い顔をしておられる。まさに仏様のようだ。

寺に戻って、書きかけになっていた塔婆を書こうと座りかけると、私の後を追いかけるように施主さんが軽トラックで来られた。合同法事におじぃさんの二十三回忌を申し込まれているのであるが、葬儀の日と重なって出席できないので先にお布施を持って来られたのである。その時に私はやっとその二十三回忌の故人が、今日亡くなられたおばぁさんのご主人であることに気がついた。「何んと間抜けやなぁ」と一人つぶやきながら、先ほどの塔婆を書いている場所へ戻った。そして書きかけの塔婆を手にした時、私はハッとした。その塔婆はそのおじぃさんのものであった。申し込み用紙の施主の名前を確認して塔婆に書き入れる時に気がついたのであるが、全くのその偶然が何か不思議で仕方なかった。二十八日はおじぃさんの二十三回忌を含めた合同法事を午前中に終わらせ、午後一時からのおばぁさんの葬儀をするのであるが、偶然のタイミングに何かおじぃさんが「もうそろそろこっちの世界へ来いよ」とおばぁちゃんを呼ばれているような気がした・・・

千社札(納札)について

kumonosu(境内の枯れ木にクモの巣が朝露に濡れていた。)

昨日は月末の二十八日に近い水曜日ということで、定例の不動護摩を焚かせて頂いた。朝方からすごい濃霧で、玄関を出るとすぐ目の前にあるはずの護摩堂が霞んで見える。二日前に焚いた護摩の掃除とこれから焚く護摩の用意をしながら、今日は良い天気になるだろうと予感していた。予定通り午前九時から壇前に座り、前行に入ったのである。以前までは添え護摩までに三段の修法をしていたのであるが、添え護摩木が多すぎて釜が満杯になってしまうので一段のみにして前行の観想の時間を長くとっている。少し煙ったが、定刻の十一時に護摩が終わり、閉め切っていた戸を開けるとまぶしい光が一気に差し込んできた。一足先にお参りされていた方々は本堂へ戻られているはずなのに、一人だけおばぁさんが護摩堂の入口の柱を見上げておられる。私は「どうされたんですか」と尋ねると「おじゅっさん、あの貼ってある紙は千社札とちゃいますやろか」と指さされる。良く見てみると確かに千社札で「隠し貼り」されているようだ。それにしても私の寺のような田舎の小さな寺にはめずらしいことで、思わずおばぁさんと一緒にしばらくそれを見つめていた。

四国八十八カ所霊場や西国観音霊場などの大きな寺院のお堂や山門などの柱や梁などには、住所、指名、年齢、屋号、雅号、職業などを刷り込んだ紙札が貼ってあるのを見かけることがある。納札や千社札と云われ、千ヵ所の神社仏閣に貼ることによって信心の功徳があるとされ、貼ってある間は自分の身代りになってそこに「おこもり」していると信じられてきた。一番目につくところに貼るのを「人見」(ひとみ)と言われている。「隠し貼り」というのは、風雨にあたらず日陰の目立たないところに貼るのであるが、末長く保てる事が多いので慣れておられるベテランの方に好まれる。美観を損ねるので寺によっては禁止しているところもあるようなので、住職などの了解を必ずとって頂きたい。最近はパソコンなどで手作りのカラフルなものを見かけるようになったが、商品や会社の宣伝、自己宣伝などに貼られているものもあり、信心とは無関係なものがある。納札(千社札)は、あくまでも信仰に基づいて巡拝した証に心を込めて貼るものであるということを認識して良識ある巡礼を心がけてもらいたいと思う次第である。

観自在と観世音

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(朝露に濡れた南天の実を撮った。)

昨日は、近くのお寺さんから役僧で招かれてお葬式に行かせて頂いた。葬儀会館であったのであるが、入口を入る時に祭壇を見るとかなり若い方の遺影が祀ってあった。しばらくして導師様が来られたのでお聞きすると、まだ十九歳という若さであり、一昨日のお通夜は同級生などたくさんのお参りの方が来られていたそうである。葬儀も僧侶六人と盛大で、遺族の思いが伝わってくる。無事にお葬式も終わり、寺院控え室で着替えをしていたら霊柩車が「パァウォーン」と物哀しいクラクションを響かせて火葬場へ向かって行った。役僧という気楽な立場ではあるが、立場は違っても若い方のお葬式は辛く悲しい。

霊柩車が出発すると、出席されていたお寺さんが「お先に」と言いながら帰って行かれ、私ともう一人のお寺さんだけになってしまった。その方が葬式の「野辺の送り」の部分で読経している「観音経」に関連して、「普段、私は観音経を読む機会がないんですが、久しぶりに読むのもいいもんですなぁ」と話しかけられた。そして続けて「般若心経に出てくるのは観自在やけど、観音経に出てくるのは観世音になってますんやなぁ」と言われるので、私は「そうですねぇ、訳し方の違いでしょうかねぇ」と応じた。話はその程度で終わり、少し別の雑談をしてその方と別れたが、私自身は良く観音経を頻繁に使う。観音経のもつ響きというかフレーズが大好きだからである。

葬儀から帰って先ほどの「観自在」と「観世音」について少し気になったので調べてみると、元々はサンスクリット語(梵語)でそれが中国に入り漢訳される時に鳩摩羅什(くまらじゅう)という方が「観世音菩薩」と訳しており、それより三世紀も後に玄奘三蔵が「観自在菩薩」と訳しているのである。現在の般若心経は玄奘(げんじょう)が訳したものが一般的であり、それで「観自在」となっているのであろう。

公孫樹の見学マナー

ityokoyou(堰堤の向こう側に自生した銀杏の木が黄葉している。)

昨日は連休最後の日ということで、近くの紅葉の名所であるお寺へはたくさんの観光客が来られていた。そのうちの極一部の方が私のお寺へも流れてポツリポツリと来られているが、お参りの方は一組だけでほとんどが大公孫樹を目当てのようである。駐車場には数台の自動車が止まっているのであるが、境内に見向きもせず一目散に山へ登られているようだ。今年は一週間ぐらい紅葉が早いようで、すでに常瀧寺の紅葉も散ってしまっているのでそれも仕方ない。山の中腹にある大公孫樹は、一週間前に登った時はまだ先端の一部しか黄葉していなく、月末ぐらいではないかと思いながら下山した。その時にジュースの空きビンやのど飴の小さな空き袋が途中に散乱していてそれを持ち帰ったのであるが、一部の人のそうした行為が残念に思えた。

さらに昨日は朝の十時から専願の護摩の予約が入っていて修法していたのであるが、境内に乗り入れ禁止の看板を立てているにもかかわらず観光客らしき自家用車が入って来たらしく、パターン、パターンとドアの開け閉めの音が聞こえてくる。厳粛な修法中の事で静まりかえった護摩堂内部にも良く響いていた。しばらくすると同乗者の声であろうか、「ここに停めとったら具合悪いんと違うか」と大きな声がする。そして何度も切り返しをしてUターンするエンジン音が聞こえて徐々に静かになった。わずか三分ぐらいのことであるが、精神を集中させている時に水を注された格好になり、護摩が終わった後で施主さんに謝罪したのである。観光で来られているので仕方ないのかもしれないが、最低限のマナーを守ってほしいと願う。大公孫樹のある場所は常瀧寺発祥の地であり、奥の院というべきところである。また大イチョウは千三百年余り経つ霊木でもある。そうしたことを考える時、わずかでも信仰心をもってマナーに心がけてほしいと願うばかりである。

大師講に感じた事

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(撮るものが見当たらず、キンロバイの葉っぱの水滴を撮った。)

昨日は11月の21日に近い日曜日ということで、大師講を行った。前日から当番の組(班)が夫婦でご出仕頂き、野菜などの切り刻みをして準備を行うので大変である。当日も朝早くから大釜で焚き込みをしてケンチン汁やナマスなどを作りお大師様にお供えし、全員でお勤めをした後に食事を頂くのが百年余り続いている恒例行事となっている。当番の組は全部で14組あるが、一年に春と秋の二回するので、7年に一回の割合で当番が回ってくることになる。当番の組によっては都会へ出られたり、後継ぎがなく空家になっているところもあり、少ない人数で仕方なくされている組も見受けられるようになった。また高齢化が進み、家によっては都会へ出られている子供が田舎へ戻る意志がなく、いずれは夫婦どちらかが亡くなれば村を出て子供のお世話にならなければいけないようなところも少なからずあるようだ。いつまでもこうした形式の大師講はできないであろう。食器も汁茶碗やお皿、ごはん茶碗に至るまですべて木製の漆塗りで、そのお椀でお酒を頂くと良い香りがして美味になる。こうした風情も次の住職の代には味わえなくなるのかと思うと少し寂しくなってくる。

お葬式などを見ていても、村の助け組があっておにぎりや煮しめなどを作って炊き出しを行うのであるが、市内でも私の寺のある村を含めてわずかになってしまった。先日お葬式があって同じ市内の隣町から来られたお寺さんが、「ここはまだ焚き出しやなぁー、他はほとんど弁当で味気ないけどやっぱりこれが良いですわ」と言って、美味しそうに煮しめを食べておられたのが印象に残っている。田舎も葬儀会館が出来て、ゆっくりではあるが会館葬が増えてきている。世代が完全に変われば一気に都会並みになるであろう。昨日の当番さんなどは今までになくてきぱきと仕事をされていたので、「この組はとてもチームワークがいいですね」と話を向けると、男性の方が「いつも村のお葬式などで炊き出しをしたりしているので、お互いの気心がわかるんですわ」と自慢気に話された。そうした意味では近隣との交友が出来て良いのであるが、今後はそれも維持していくのは難しくなるであろう。今、田舎の寺や村は、高齢化や少子化の影響もあって過疎化に拍車がかかっている。こうした良き風習はもう見れなくなるどころではなく、寺の存続さえも危なくなってきている現状を私は一番危惧している。

お年寄りに学ぶ生活の知恵

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(鉢植えのシクラメンを撮った)

昨日は二十一日でお大師様の縁日であった。境内で仏様に供えるしきびの花を切っていると、いつもお参りされている檀家のおばぁさんがゆっくりと参道を登って来られている。そのおばぁさんを見ていると、「八十半ばの歳でこの坂を登って来られるのはすごいなぁ」といつもその元気な姿に感心させられ、「私も少しは歩いて運動しなければ・・」と思うのであるが、ついつい近くでも自動車に乗ってしまうので反省させられる。戦前、戦中、戦後の厳しく困難な時代を生きて来られ、ぬくぬくと戦後を生きてきた私などには計り知れない精神力や生きる知恵を持っておられるのである。

いつであったか忘れたが、正月の鏡餅を切って保存しておいたのがカビて困っていた時、ちょうどそのおばぁさんがお参りに来られていて、「きれいな桶の中に酒を少し塗ってその中に餅を入れといたら良い」と教えて頂いた。その通りにしてみたら、日が経ってもカビは生えることがなくなったのである。また、絹で作った施餓鬼幡に文字を書いていた時、何度やってもにじむので困っていたのであるが、その時も「生姜の絞り汁を墨に摺って混ぜると良い」と教えて頂き、さっそく試してみたらバッチリにじむことなくうまく書けたのである。そんなこともあって私はこのおばぁさんには大変お世話になっている。

長い人生で培われた生活の知恵や我慢、辛抱、倹約などお年寄りが大切にされてきた徳目に、私たちも見習わなければいけないところがたくさんあるのではないだろうか。そんなことを思っていたら急に姿が見えなくなった。じばらくするとチーン、チーンとおりんをたたく音が聞こえる。参道の脇にある観音さんを拝まれているようだ・・・

おじぃさんの精神的変化

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(季節柄ひっそりとした庭の隅で、四季咲きのなでしこの花が咲いた。)

先日、私の留守中に檀家のおじぃさんからおみやげを頂いた。受け取った母親が「住職に食べてもらって下さい」と渡されたと言うのでお礼の電話をかけたのであるが、畑に出られていて留守であった。仕方なく家人に「よろしく伝えて下さい」とお礼の電話をしてそのままになっていた。昨日、偶然に通りかかった道ばたで見かけたのでその時のお礼を言うと、嬉しそうに話して来られてしばらく談笑させて頂いたのである。毎年行かれている霊場の参拝に行かれておみやげを買って来られたらしい。おじぃさんにとっては何度も行かれている参拝であるが、今回はかなり身体がきつかったようだ。「おじゅっさん、八十を過ぎたら体がいうことを聞きまへんわ、もうお参りもこれが最後やと思いましてなぁ・・」と寂しそうに話される。私は「まだまだ大丈夫ですよ、前に何とか寺の薬師さんを拝んだら元気になるって言われてましたけど、そこへは行かれんかったのですか」と話を向けると「行ったんやけど、わしにはちっとも効きまへんのやぁ、あんなもんあきまへんわ」と吐き捨てるように言われた。よほど今回の旅行が堪えたのであろう。少し別の話をした後「今度の日曜日は大師講ですから、お参りして下さいね」と言って別れたが、おじぃさんにとっては自分の身体と年齢を自覚する参拝となったに違いない。

私は別れた後、数年前におじぃさんが「・・寺のお薬師さんはご利益がありますんや」と生き生きと話しておられたのを思い出していた。その当時と比べて外見はそれほど変わりないが、明らかに精神面での変化を感じる。「鰯の頭も信心から」ではないが、「ありがたい」と受け取る感じ方ができなければ、どの仏様を拝んでも無意味になる。またそれを受け取る仏様も、心のない参拝をされてもご利益を与えてあげようという気持ちにはなれないであろう。そんな事は十分わかっておられるはずやのに、老化現象と違うやろか・・・きっと身体の具合が良くなれば精神的な余裕もできて元の信心深いおじぃさんに戻られるかもしれへん。そうなって欲しい。そんな事を想いながら寺の参道を登っていたら、さっき掃除したばかりの道が枯葉で一面になっていた・・・

尊像の心に触れて

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(裏山の大イチョウを見に行った。まだ少し黄葉は早いようだ。)

私のところの檀家さんの家にある仏壇は、最初から家を建てる時に作られたものが多い。従ってご本尊がなかったり、掛け軸が古くなって破損しているお家もある。あまりこちらからは押しつけがましいと思われるので、新しくご本尊様を新調された方が良いですよと言うことはないが、寺の行事などでお参りに来られた方には時々そうした法話をすることがあるので、最近ポツポツとご本尊を新しくされる家が出てきた。そうした方の中で時々「どんなごものにしたら良いですか」と相談されることがあるが、私は二つの事を必ず言う事にしている。一つは「できれば掛け軸より尊像がいいですよ」とアドバイスする。掛け軸は一時的な色合いが強く、小さいこともあって一目見て有難いという気持ちが湧きにくいが、尊象であると仏様自身の功徳や心が伝わりやすく崇高な気持ちになれるからである。二つ目は「同じ仏像でもお顔はそれぞれ微妙に違いますから、ご自分の好みで一番良いと思われるお顔を選んでください」とアドバイスする。ご本尊は一度開眼すると、自分の末代まで長く当家を見守って下さるもので、親しみや愛着を感じながら毎日拝んでいると生きた仏様になり、その心が伝わってくるようになる。

数年前に、私の寺へ高さ七十センチもあるかという大きな不動明王の尊象を持って来られた方がいた。かなりボロボロであったが、事情を聞いてみると亡くなられた祖母が拝み屋さんであったらしい。その祖母がお不動様を丁寧にお祀りされていたのであるが、亡くなられて遺族としてはこんな大きな像をとてもお祀りすることはできず、困って私の寺へ持って来られたのである。「古くてボロボロですのでお性根抜きをして処分して下さい」ということであったが、私は一目見てそのお不動様の持つ法力を感じた。処分せずに私の寺で祀ってあげようと思い、運搬する為に取り外された光背や台檀を組み立てた。そして開眼供養をしている、とうっすらとお不動様の目が潤んでいるように見えたのは私だけではなかった。持ち込まれた遺族も一様に驚かれ、供養の後に「有難うございました」と何度もお礼を言われた。今も私の父親を祀る仏壇を置いている部屋でしっかりと守護して下さっている。


寺に来た初めての外人さん

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(石垣に生えるツタも紅葉し始めた。)

数年前のことであるが、わたしの寺の寺へ日本人の男性に連れられて外人の方がお参りされていた。私のところみたいな田舎の小さな寺へ外人の方が来られるのは初めてのことであるのでよく覚えている。市内に住まれている男性のところにホームスティされているアメリカ人で、日本の神社や仏像に興味を持たれているらしく、休みの日などによく神社や寺を参詣されているということであった。たまたまその前の日曜日に京都へ連れて行ってもらい、その寺でぼけ封じ観音霊場」のパンフレットを見られ、住まれている近くにも同じ観音様を祀る寺があることを知られたようだ。日本へ来られて三ヶ月ぐらいらしいが、流暢に日本語をしゃべられる。私のような外人恐怖症というか、英語の苦手なものにはとても有難くしばらく談笑することができた。その方はカトリック系のキリスト教徒で、洗礼を受けてクリスチャンネームをもらっているという。週末には家族全員で教会へ出かけて祈りを捧げ、半日をそこで過ごすのが小さい時からの習慣であったらしい。日本へ来られて寺院などを拝観していると、週末というのに田舎の寺にはお参りの方がほとんどいないのに驚かれているようであった。その理由を聞かれたが、私はどう説明したらわかってもらえるのか躊躇しながら「日本の仏教徒の家庭には仏壇というものがありまして・・・」と一応は一通りの説明をしたのである。しかし、そうした信仰上の違いは到底理解し難いであろうと感じた。

話していて、特に死を見つめた時の考え方が全く仏教とキリスト教では違うように思える。仏教では死が近くなると「極楽浄土から仏様がお迎えにくる」といったような感じで仏様にすべておまかせする信仰になるのであるが、キリスト教では派によっても違うが、キリストの復活を堅く信じることによって救われるという考え方で根本が全く違うのである。つまり、信仰する対象に対しての帰依の仕方が仏教では「おまかせ」のような客観的信仰で浅く、キリスト教では「堅く信じる」のような主体的信仰で熱心になるのである。その背景には、仏教では小さい時から信仰が生活の一部となっている家庭は少ないが、キリスト教徒は洗礼を受けてクリスチャンネームをもらい、信仰が日常生活の中に完全に溶け込んでいるせいではないだろうか。私の寺の本堂の脇に掛けてある曼荼羅を見ながら、この曼荼羅に興味を持たれて何枚も写真を写して行かれたその外人さんを懐かしく思い出していた・・・

呼吸の大切さ

mochinoki1(昨日は一日中雨・・・庭のモチの木の葉が一枚宙に浮いていた。)

昨日、風呂に入って鼻からをシュンと息を吐き出したら、真黒い鼻水が飛び出した。エッ、と思ってよく考えてみると、昼に護摩堂の釜の燃えカスを掃除したのである。口を開けていたらこの真っ黒いススが空気と一緒に肺に流れ込んでいたのかと思うとゾッとした。私たちが生きているということは、息をしているということである。母親の胎内からこの世にオギャーと第一声を発してから、一日に二万六千回余りの呼吸をする。息を吐いて、吸う。当たり前のことであるので、そんなに気にも留めないでいる人がほとんどではないだろうか。ところが、風邪などをひいたりして呼吸器系に異常が出ると、マスクをしたり加湿器をつけたりしてその有難さに気づく。特にこの季節はインフルエンザの大流行で、マスクなどをして保護している人をよく見かけるようになったが、呼吸は油断をしていると病気を招く大切なものである。朝起きると喉が痛い、声が出にくいという経験は誰しも一度や二度はあるだろう。寝ているうちに知らず知らずに口から息を吸って喉を痛めているのである。そうした時、鼻から呼吸をする大切さを改めて感じるのではないだろうか。人間の鼻というのはフィルターのように細菌やほこりを濾過してくれるし、適度な湿気も加えてくれる非常に有難いものなのである。

真言宗には「阿字観」呼ばれるものがある。いわゆる「真言禅」といわれる座禅の瞑想法であるが、それは三段階に分かれていて、一番最初の段階は「数息観」といわれる呼吸法から入いる。数息とは字の如く、数を数えながら呼吸をするのであるが、心を落ち着かせ集中力を養うので必ずこれをマスターしてからでないと次の段階へ進めない。座り方は半跏座又がお勧めであるが、リラックスできる座り方で、腰を伸ばし、肩の力を抜き、目は半眼に開き、一メートル前方を見る。あごを引いて、丹田から出る息を「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」と数える。一回の呼吸の長さは五秒ぐらい、それから少しずつ十秒、二十秒、三十秒と伸ばしていく。一から十まで数えたら、また一から繰り返す。数と数との間には力を抜いて、軽く息を吸い、吐き出す時に心の中で「ひとつ」と数える。一度の瞑想は十五分程度として、慣れてくると線香が一本燃え尽きる(四十五分程度)ぐらいまですると良い。初心のうちは、途中で雑念があって数を忘れたりするが、その時は最初から数え直す。呼吸は鼻から息を吸い、鼻から息を吐く。いつも出る息に心を集中させていると、無心になって心が落ち着き、活力が湧いてくるのを感じとれるようになるだろう。

ひらがなと漢字の活用

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(裏庭のアオキが可憐な赤い実をつけている。)

私は字があまり上手でないせいか、漢字よりもひらがなの文字を書くのが特に苦手である。施主様の名前などにひらがなの文字があるとそれだけで気が重い。とは言ってもそれまで漢字社会であった日本に初めてひらがなが登場したのは画期的なことであったに違いない。それが「いろは歌」であるが、作者については弘法大師という説の他にもあるようである。それよりも、日本語を形成する四十七字をもって、一字も重複や欠如することなく「涅槃経」の有名な四句の偈を今日のような歌詞のようにしたところに大きな意義があり、学習する上で便宜なものとなった。ただ注意しなければいけないのは、句読点を間違えたり、なかったりするととんでもない意味になったりすることである。ひらがな書きだけで文章を作る時は相手に意思が伝わるように注意する必要がある。

近松門左衛門の作と云われているトンチ話に、
「どんな数珠でも注文通りに、約束した日までに必ず仕上げる」
と自慢する数珠屋がいました。
その自慢が和尚には気にくわなかったのです。
「それでは、わしの注文する数珠を作ってもらおうか」
和尚は数珠屋に、次のような書きつけを渡しました。
「ふたえにまげてくびにかけるじゅず」
「かしこまりました」
数珠屋は喜び勇んで注文書を持ち帰り、期日までに立派な数珠を作ってきました。その数珠は、「二重に曲げ、手首に掛ける」のにはちょうど良い長さの数珠でした。しかし和尚は、このときばかりにいいました。
「なんだこれは、わしの注文とはちがうではないか」
数珠屋はびっくり仰天してしまいました。
「わしが注文したのは、こんなものではない!」
「二重に曲げて、首に掛ける数珠だ!」

ひらがな書きで、しかも句読点のない文では「首に掛ける」のか「手首に掛ける」のか、わからない。結局立派な数珠を作っても和尚を納得させることはできなかったことになる。勿論、それが和尚の狙いであったのであるが、書き言葉はひらかなだけでは相手に伝えることは難しいという笑い話である。普段何気なく使っている漢字とひらがなであるが、書き言葉にする時は漢字とひらがなをわかりやすく組み合わせることによって意志の疎通が図れるのではないだろうか。

ガンジス川の光景

ochiba3(雑草の葉っぱに落ち葉が・・木々の枯葉も残りわずかになった。)

まだ私が大学生の頃、インドを旅行する機会に恵まれお釈迦様の四大聖地を巡礼させて頂いた。その一ヶ月余りの旅行の中でベナレスという町が今でも強烈に私の脳裏に焼き付いている。インドの大河であるガンジス川が流れていて、その岸にはたくさんの人が沐浴をしている。水は褐色の濁流で、独特の異臭が漂っていた。岸にはたくさんの小屋が立ち並び、中には煙突から煙が立ち昇っているものもある。川の中央付近を何か白い固まりのようなものが時折流れて行く。私は見たこともない不思議な光景にしばし茫然として見とれていた。

その後、ガイドさんにその立ち昇る煙や白い固まりが何であるか説明を受けてより一層の衝撃を受けたのである。その説明によると、インドはカースト制があり貧富の差が激しく、火葬するお金のない貧乏人は亡くなるとこのガンジス川に流して「水葬」するそうである。現実に目の前を流れていた白い固まりは死体であったことと、その傍で平気で頭からその水をかぶり沐浴をしていることに驚きを隠せなかった。また、岸で立ち昇っている煙は死体を焼いて「火葬」しているのだそうである。人口が百万人もいるという大都市では考えられない異様な景色であるが、ガンジス川を母のように慕い敬虔な祈りを捧げる人々の姿に、忘れかけようとしている何か人間の原点のようなものを感じたものである。昨日偶然に書店でインドを紹介している雑誌に目がとまってパラパラと立ち読みさせて頂いた。その当時とそんなに変わっていなくて懐かしさが込み上げてきた・・・



霊場巡りの基本

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(境内の紅葉も終わりに近づいている。半分以上散ってしまった。)

昨日は土曜日ということもあって、近くの紅葉の名所である高源寺というお寺はたくさんの観光客で一杯であった。その一部が流れて私の寺の方へも来られていたようだ。一昨晩に降った雨で谷川の水が増水していて、大きな滝が出来てゴウゴウとうなりをあげて流れている。いつもであれば池の方の小さな滝の音だけで比較的静かであるが、自然の力はすごい。午後から暖かい日差しであったので、私は本堂の横の軒下で護摩木にする材木を割っていた。すると、本堂の方で何やら声がする。よく聞いてみるとお経の声で、しかも良い声で熱心に唱えておられる。この季節、観光の方が多いので納経に来られる方は少ないのであるが、霊場巡りの方らしい。母親が納経帳に朱印をしている間に、本堂の前でお経をあげておられるようだ。お経の声がしなくなったので私は護摩木を作る手を休めて見ていると、ちょうどこちらへ向かって歩いて来られるところであった。手に数珠をもたれて合掌し深々と挨拶をされて私の前を通り過ぎられる。私も頭を下げてそれに応じながら、通り過ぎられた後姿を目で追っていると、護摩堂の方へ向かわれた。

また私は黙々と材木を割っていると、さっきと同じように良い声でお経が聞こえる。私はその時、何かジーンとくるものがあったので納経所にいた母親に確認に行くと「ぼけ封じ観音」の霊場を巡っている方であると言う。予約の団体の方にしか渡さない参拝記念品を手に持って護摩堂の方へ行くとすでに姿はなく、「ぼけ封じ観音」の前でお経をあげられていた。お経が終わって帰られる参道で、その粗品を渡すとまた丁寧に合掌して挨拶して下さったのであるが、急いでおられる様子であったので話をする間もなかったのが残念である。まだ年の頃は四十歳前後のような感じであったが、神妙に各所で丁寧にお経をあげられる姿は印象に深く残った。最近は霊場巡りの方が納経所に来られてもほとんど本堂を始めその他のお堂をお参りされる方はめったにない。納経の朱印が終わるとすぐに帰られる方が多いのに感心なことである。

霊場巡りの基本は、先ず目的の寺院に到着すると身を清め、口や手を洗う。水がなかったら塗香などで浄める。 そして真っ先に本堂へ行き、次に諸堂や目的の仏様を拝んで灯明、線香を供え、お賽銭納めて般若心経などのお経をあげる。 最後に納経所に行き納経帳に朱印を頂くというのが基本である。久しぶりに「霊場巡りの達人」というような方に出会えて心がときめいた感があった。きっと良いご利益があるに違いない・・・

厄年について

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(きれいな落ち葉が輝いていた。)

先月の事、水子供養に来られた女性が「女性の厄年に流産するとその後は子供ができにくくなると祖母が言うのですが、本当ですか」と尋ねられた。私は「全くそういったことはないですよ」と否定したのであるが、子供が欲しくて仕方ない女性にとっては気になるのは当然であろう。昔の人は厄年というと体調に変化がある時なので「気をつけなさいよ」という意味で言われたのかもしれない。特に女性の33才というと大厄で、その前後の年も前厄、後厄といって恐れ慎む風習からきている。それは宇宙の月や星の運行が人間の運勢に大きく影響を及ぼしていると考えられてきた。私たちの人生は、成長、安定、衰退という循環がある。その循環を何度も繰り返しながら一生を過ごすのであるが、衰退期間にある時に、悪い星に遭遇すると、思わぬ事故にあったり、病気になったり、突然の災難にあったりすることが多いのである。

また、潮の満ち引きは人間の生死と大きく関係している。人間が息を引き取る時刻というのが、千年以上も前から「知死期」(ちしご)というものが陰陽師によって作られていた。それによると、月の出入りと潮の満ち引きから成り立っている。つまり、人が生まれる時は満潮の時で、死ぬのは引き潮の時なのである。不思議なのは女の子の初めての生理を初潮と言うが、初潮のある時は必ず満潮に向かっている時なのだそうだ。そして月の自転は28日で、女性の生理の周期も28日である。「月経」という呼び方があるのもこうしたところからきているのであろうか。もう一つ、女性の子宮の中で生命が誕生するが、それを育む羊水も海水の成分と同じであるということは非常に興味深い。太古の昔、この地球での初めての生命は海からであることを考えると、私たちの生命の源がそこにあって宇宙の天体の周期と関連しているのであろう。
http://jyoryuzi.aki.gs/hoshiku.html

先祖に想いを馳せて

kiku3(庭の遅咲きの菊が満開になった。)

一昨日の風雨で境内はまたあちこち落ち葉だらけになってしまった。境内の中央を流れる谷川は水かさを増し勢いよく、それまで溜まっていた落ち葉を一掃している。参道には風がきつかったのか、老木になった桜の枝が数本折れて転がっていた。仕方なく掃除していると、はるか向こうに人影が見える。誰かなと思って見ていたがなかなか近づいて来ないので、またひたすら落ち葉を掃除していた。参道はすぐにかたずいたので境内の落ち葉を掃き集めていると、さっきの人影が大きくなって石段の下まで来られていた。護摩には必ずお参りして下さる檀家のおばぁちゃんである。石段の手摺りをにぎって一歩登っては休み、一歩登っては休みと石段を登って来られる。その間に私は何カ所かにかき集めていた落ち葉を一ヶ所にまとめていた。そして石段の近くへ戻ると、おばぁちゃんがようやく一番上の石段を登られたところであった。私が軽く挨拶をすると、「いつもお世話になってまして・・・」と頬を紅潮させながら挨拶された。自分が畑で作られた野菜をわざわざ私に持って来て下さったのである。

石段を登ったところにある鐘楼堂の基礎石に腰をかけ、おばぁちゃんとしばらく雑談していたらヒラヒラと枯葉が次々と舞い落ちている。「方丈さん、大変ですなぁ・・」、「いやーこの季節は毎年のことなんで・・」などとたわいもない話をしていると、急におばぁちゃんが今登ってきた石段を見つめながら「少し前まではこの石段を何も思わんと登っとったんですけど、年を取ってきたらえろうなってきましてなぁ・・一段一段が堪えますけど、登っとったらご先祖さんが私のたよりない足をしっかりと持ち上げて下さっているようで有難いですわ・・」と感慨深げに話される。おばぁちゃんにとってはこの石段の石がご先祖様に見えたのかも知れない。石段の最上段に上り着いて下を見下ろした時、はるか下まで続く石段の一つ一つが自分を今まで支えてきてくれた先祖様のように見えたのであろう。

信仰の厚いおばぁちゃんのこの言葉に、私は思わずハッとさせられた。この石段のように、私たちの足元には気の遠くなるようなご先祖様が繋がっている。その多くのご先祖様を土台として今生き生かされている。当たり前のことであるが、感謝の気持ちで生きておられるからこそ、そうした想いを馳せることができるのではないだろうか。時折石段の下から吹き上げてくる木枯らしに目を閉じながらも、おばぁちゃんとのわずかなひとときを楽しんでいた・・・

送る側の気持ちの差

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(昨日は雨が一日中降っていて、仕方なく庭のユズを撮った。)

僧侶になってたくさんのお葬式をし、たくさんの方の死に顔を見てきた。枕経に行って亡くなられた方の死に顔を拝見させて頂いていると、亡くなった方の人生観みたいなものが垣間見えて尊厳たる気持になる。そして一日か二日後にお葬式となるわけであるが、季節やその日の天候によっては送る側の印象が大きく違ってくる。春や秋などのちょうどよい気温で快晴であると「穏やかでやさしい」ような印象を受けるし、真冬や真夏のように気温が異常に低かったり高かったりして天気が悪いと「厳しく難儀」なような印象に映るものである。亡くなって逝かれる方は日を選べるわけではなく全く関係ない事であるが、故人の命日の季節や天候は送る側の気持ちに大きく影響するようだ。

今年の二月に法事をさせて頂いた時のことであるが、喪主である息子さんが「うちのおやじが亡くなった日も大雨やったけど、やっぱり今日も雨やなぁ」とぽつりと言われ、それに反応するように故人の弟さんが「兄さんらしいなぁ」と懐かしむように話されながらお墓に向かった。冷たい雨が一段と激しくなり、線香も供えることができず、参列者に軽く手を合わせて頂くだけの短い墓参りとなってしまった。天気が良ければしっかりとお経をあげれるのであるが仕方ない。私の父親に至っては一月二日に亡くなったのであるが、お正月のことで檀家さんに申し訳く、その上にお葬式当日は大雪で吹雪の中の寒い式となった。除雪はしたものの降り続く雪で足元が悪く、これ以上に最悪のお葬式はないだろうというぐらいの強烈に印象に残るものとなった。そして父親の法事も一周忌は曇りの天気であったが、三回忌は大雨で師走ということもあって親戚のお参りも少なく寂しいものとなった。やっぱりこれも故人の業というか何か因縁があるように思えてならない。

それに比べると、先日にさせて頂いた法事などはさわやかな良い天気で、紅葉した木々を鮮やかに太陽が照らしていてとてもきれいであった。参列者の顔が一同にほころび、それぞれが晩秋の暖かい日差しを楽しみながら故人を偲んでおられた。そんな光景を見ていると、命日の季節や天気で送る側の気持ちに随分と差が出るのは一目瞭然である。できるなら祥月命日に近い日にしてあげたいという方と、かなり早めて季節の良い時にしてあげようという方の二通りの考え方に分かれるが、三回忌ぐいまでは祥月命日の一ヶ月以内ぐらいの範囲でしてあげることが望ましいと思う。これから寒くて厳しい冬を迎えるに当たって、ふとそんなことを思った。

赤ちゃんの無垢な心

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(モミジの紅葉に隠れてツバキの花が寂しそうに咲いている。)

以前に逮夜のお参りに行った先の家で、三才ぐらいの女の子が「ジィジィはチョウチョウになって遠いところへ行ったの・・・」と話してくれたことを思い出す。私はその時そんなに気にもとめなかったのであるが、アメリカの心理学者がなどが書かれた本を最近読んでいたら、その三才の女の子がしゃべったことはもしかしたらイメージとして頭の中に描いていたことを話してくれたのではないかと思うようになった。生れて間もない赤ちゃんから三才ぐらいまでは、純粋で清らかな仏様の心と変わらない。おそらくその女の子にはおじぃちゃんの魂が蝶に変化して極楽浄土へ飛んで行くように見えたのであろう。稀に言葉をしゃべり出したばかりの二、三才の小さな子供が、生れてくる前に亡くなって知っているはずもない祖父母などのことを話たりすることがある。これは潜在意識中で亡くなった祖父母の魂と接触しているからではないかと考える方が自然ではないだろうか。

三年前のことであるが、亡くなられたお爺さんの一周忌の法要のおときの席で這い這いしながら数珠をおもちゃのようにして遊んでいる赤ちゃんがいた。亡くなられたお爺さんの孫娘の子供で、亡くなられる前から子供が生まれてくるのを楽しみにしていたという。その孫娘さんが私の席へお酒のお酌に来られて「私はお爺さん子で小さい時からよくかわいがってもろうたんです、ちょうどお爺さんの誕生日が初七日忌と一緒で、その日に生まれものですから見てもらえんかったのが残念なんです」と話され、一人で機嫌良く遊んでいる赤ちゃんを見つめながら、「あの子はお爺さんの持っていた数珠が大好きなんで、何か不思議な縁を感じるんです」と続けられた。私も同感であった。まさに生まれ変わりというか、お爺さんの魂が乗り移っているように思えた。

こうした赤ちゃんもやがては成長とともに世間の垢に染まり、普通の人になって行くのであろう。お大師様は「心清浄なる時は、即ち仏を見、もし心不浄なるときは、即ち仏を見ず」と云われている。心が静かで清らかであれば、いろいろなものが見えてくるし仏様の声も聞こえてくるが、心が不浄になると仏様を見ることができなくなるという意味である。赤ちゃんのような純粋で美しい心はとても無理であるが、不浄なりにも蓮のようにきれいな花を咲かせるようになりたいものである。


「菩提心」を持とう。

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(この晩秋にめずらしくヘビの子供がいた。お腹が空いて冬眠できないのであろうか。はっきりと写さずに、手前の草木を入れてぼかしぎみに撮った。)

先日、近くのホームセンターに買物に行った。買い物を済ませて車に戻って来ると、すぐ横に車が止まっている。運転席の男性が少し背もたれを倒し、足をダッシュボードの上に乗せて携帯電話をしながらタバコを燻らせていた。窓の開いたその車の横にはタバコの吸い殻が四、五本落ちていてその内の一本はまだ火がついて煙が出ている。私は見て見ぬふりをしながら自分の車に乗りそのまま立ち去ったが、内心は穏やかでなかった。男性に注意する勇気もなく、何かモヤモヤとしながら自宅へ向けて車を走らせていると信号待ちで止まった。すると今度は、前を走っていた自動車の助手席から缶コーヒーの空き缶が田んぼのあぜ道に投げ入れられたのである。さっきの件もあって私の怒りは沸点に近くなっていた。しかしどうすることもできず、そのうち信号も青に変わり何もなかったように車を走らせるしかなかった。自動車を毎日運転しておられる人ならこのような経験は少なからずあることであろう。

どうして自分に害が及んだわけではないのにそんなに腹が立つのであろうか。自分勝手な無責任な行動を見て、自分はしないでおこうと思い偽善ぶっている自分と、勇気を出して注意できないもう一人の自分にいら立ち、そのはざ間で妙な正義感みたいなものが湧いてくることに気がつく。そうした気持ちが腹を立たせるのかも知れない。仏教では「如実知自心」という言葉がある。実の如く自分の心を知るという意味であるが、それは「まず自分の中の菩提心を確認せよ」というお大師様の言葉にも直結する言葉である。菩提心とは「悟りを求めて仏道を行おうとする心」を言い、密教では「悟りの根源的な心」を指す。どこか殺伐とした現代社会にあって、各人が自分の本来持っている仏性に目覚めようと内面を見つめ菩提心を呼び覚ますことが大切である。そうした人が少しでも増えれば大きな社会の活性化につながるのではないかと思うのであるが・・・「人こそ人の鏡」と云うが、そんな場面に遭遇した時いつも曇らない鏡にしておきたいものである。
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