ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2010年04月

五月病

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(山裾にシャクナゲの花が咲いていた。)

この春から一人暮らしをしたばかりの息子が自宅へ帰ってきた。十日ほど前にも所属していた地元の道場の試合に出る為に日帰りしたばかりである。この連休中は遠征や練習があるので休みがなく、29日の一日だけ休みになったので帰ってきたのだと言う。私は「それくらいの休みやったら下宿でゆっくりしといたら良かったのに」と何も思わずに言ってしまったが、母親は後で私に「きっと五月病やわ」と耳打ちしてきた。そういえばどことなく元気がない。自分の予想していたよりも先輩との上下関係が厳しいようで、公立高校の和気あいあいとした剣道部にいた息子にとってはかなりの戸惑いもあるようだ。同じ高校から行った友達がサークルなどに入って楽しそうにしているのを見ると余計に落ち込むようであるが、平日は帰りも遅く朝は五時に起きて早朝練習があるので、寝過ごさないように部員数人で一ヶ所に泊まり込む合宿のような生活であり、疲れてそんなことを考える余裕もないらしい。しかし休日前になって一人になると「五月病」が出るようである。

家から初めて外に出て最初に味わう心の病気であるが、私はこれも試練で必要なことではないかと思った。名残惜しそうに昨夜の最終便で帰って行ったが、母親の携帯のメールに「今着きました。いろいろとありがとう。とりあえず今できることを頑張るので心配しないで下さい。」と書いて送ってきているのを今朝見せてもらった。少しは親に感謝しているのだろう。五月の弱々しい若葉も夏には灼熱の太陽に照らされて青々とした葉っぱになるのであろうか・・・

お不動様への思い

renge(護摩堂の横にレンゲソウが咲いていた。)

私の生まれ年は申年で、守り本尊は大日如来である。しかしながらその大日如来の使者でもある不動明王を信奉している。二十年ほど前に交通事故で九死に一生を得た時に、薄れていく意識の中に何かスーと光みたいなものを感じて現世への道を先導してもらった。あの時迷って三途の河を渡っていればと思うとゾッとする。その時はその光みたいなものがお不動様であったと全く気がつかなかったが、意識が戻って現場検証に立ち会い自分の乗っていた大破した自動車を見た時で、警察の方から「よくこれで生きておられたのは奇跡的ですよ」と言われ、初めてその縁に気づいたのである。それ以来、仏門に帰依し不動明王をパートナーとして仏道を歩ませていただいている。不動明王の力強いエネルギーを自分に取り込み、祈願者の心にシンクロナイズさせることができたらという思いでやってきたが、最近ようやく自分の納得のできる儀軌へと昇華しつつある。これも貧乏寺の住職であるが故に余暇がたっぷりとあるので、多忙な寺ではできない個別の護摩をたくさん焚いてきたおかげなのであろう。修行時代に師僧から、「良い護摩を焚こうと思ったら次第を自分のものにせなあかん」と言われていたが、今になってその真意が理解できるようになった。昨日は午後から少なくなった護摩木を切り出して檀木にしていたら、春の陽気に汗が噴き出してきた。その汗をタオルで拭いながらお不動様への思いを馳せていた・・・・・

季節の循環

ooinunofuguri(雑草のイヌノフグリの種類と思うが、小さな花がかわいい・・・)

今日は月末の水曜日、定例の不動護摩の日であるが、ちょうどお不動様の縁日と重なった。一年のうちでも二回か三回ぐらいしか重なる日がないので貴重な日である。昨日までの暴風雨がウソみたいに晴れ上がり、境内の新緑がまぶしくキラキラと輝いている。そういえば先月の定例護摩は三月の三十一日の水曜日で、五分咲きの桜の花が寒の戻りでしぼんでしまい冷たい雨が降っていた。一ヶ月経ってその桜の花もすっかり散ってしまい葉桜となったが、それに合わせるかのように境内の落葉樹が新芽を出し始めている。確実に季節は初夏へ向かっているようだ。冬の季節にも春を感じ、春の季節にも夏を感じ、寒暖を繰り返しながら季節は巡る。

「徒然草」に「春暮れてのち、夏になり、夏はてて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋は、即ち寒くなり・・・」と書かれている。春の季節のうちに夏の気配があり、夏の季節のうちに秋の気配が準備されているというのであるが、この一年の季節のように私たち人間も生きているように思える。この季節がキラキラと光る青春期なら、真夏が壮年期であろうか。その夏にも老年期に向かう秋の気配を感じるのであろう。

大文字と五大

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(裏庭の菜の花にハチが飛びまわっていた。)

この春から息子が京都の大学へ行った関係で、その大学が主催する一般向けの講習会などに参加したりする機会が増えた。宗門は違うが同じ仏教系ということで、そのご縁に感謝している。先日、自宅に忘れていた物や米などを下宿へ持って行ってやったのであるが、京都市内の西大路通りを走っていると正面の少し左側に大文字の大の字が山肌にあるのを見つけた。息子の下宿へ行くのは三回目でようやく余裕ができたのであろうか、今までは気がつかなかったのである。大文字焼きの八月十六日は忙しく実際の送り火を見たことはないが、テレビのニュースなどで見る情緒ある風情を思い浮かべていた。この「大文字」の大の字は、元々人間の五大を表している。よく寺の住職が病気で亡くなると「四大不調につき、空に帰す」と言ったりする。人間の身体は四大(地・水・火・風)によって構成されているが、その調和がくずれると病気になると言われている。それに「空」を加えて人間を構成する元素である「五大」としている。大文字焼きはその「五大」に火をつけることによって、病魔を焼き尽くす修験道の儀式と云われ、お盆の風物詩として精霊を送る「送り火」となったものである。

ちなみに密教ではこの「五大」に「識」を加えて「六大」を重んじている。「識」は仏教では対象を識別する心の働きであり、「五大」を統一して安定させる役割を担っている。つまり、人間の身体をコントロールする心の働きが「識」であり、法身大日如来の象徴とも云われている。たとえば護摩祈祷などもこの「識」に働きかけて善導を請うものである。

お香の種類

yamabuki(ヤマブキのような花が咲いていた。)

昨日、水子供養に来られていたご夫婦に連れられて小さな姉妹が一緒に参拝されていた。供養をしている間もおとなしくしていたので、お経が終わり振り返って「賢かったねぇ」と声をかけるとニコッと笑う顔がとてもかわいい。私は「これから母体加持をさせていただきます」と言いながら、塗香器から一つまみのお香をそれぞれの手の平に配り、「このように手を洗うように塗って下さい」と見本を示すと、姉妹のお姉ちゃんの方が「アッ、バニラの匂いがする」と言うと、妹が「ホンマやー」と無邪気に笑っている。普段何気なしに使っている塗香であるが、確かに甘い香りがしてバニラのようでもある。子供の素直な感性にその場が和んだ。

お香は形態から焼香と塗香に分けられる。この塗香は、本来は浄水にまぜた練り香であるが、現在では乾燥させた抹香を使用している。行者や施主の身体を清める為に使うのであるが、密教では用途によって五種類に分けられる。一つは「香水」で閼伽(浄水)にお香を入れたもの。二つ目はこのように手に塗る「塗香」、三つ目は「含香」といって口中に香気を満たすために用いるお香。四つ目は「焼香」で護摩などに使う「丸香」も焼香の類である。五つ目は「線香」であるが、一般に言う線香とは違って線香立ての灰をならしてコの字型などに溝を作りそこに抹香を盛る「盛香」である。

法事の手持無沙汰の解消

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(神戸の森林植物園のツツジがきれいに咲いていた。)

この二年ぐらいのことであるが、、法事の時にそれぞれの回忌や施主家の状況に合わせてB4程度の大きさの紙に法要の次第や法話、歳時記、クイズなどを掲載して参列者に渡すようになった。それまでは年に二回程度「常瀧寺通信」なるものを発行していたが、寺にお参りされた特定の方しか行き渡らずわずかに数十枚で足りる有り様に、いつもガッカリしていたものである。「常瀧寺通信」を発行するようになって五年余り経っているにもかかわらず、檀家総代すら全くそれを知らないのである。これでは何の意味もないと思い一昨年に止めてしまった。代わりに法事の時であれば檀家さん以外の方や若い方も読んでくれると思い、施主家の法事の回忌などに合わせて原稿を書いて渡している。一つには私の話下手もあり、読経の後に話をしても「早く終わって」と言わんばかりの顔をされている方が多いので形式的な短い挨拶程度に留めるようになったこともある。約四十分余りの読経をただ聞いているだけでは手持ち無沙汰であるが、書いたものがあると自然と読まれるであろうし、その次第を見て読経がどのあたりかわかるので退屈しないで済むのではないかと思ったのである。なぜB4の大きさかというと、A3の大きさになるとコピー代が少し高くなるせいもあるが、原稿を作る上でB5一枚ぐらいが書きやすく、B5版を二枚書いてそれをコピーしてB4になるこの大きさがちょうど良いのである。まだ始めて二年足らずであるが、少しでも多くの方に仏教のすばらしさを理解してもらえたらと願っている。

薬師三尊と浄土

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(寺の池の淵に咲いていたツバキの花が落ち、鯉がエサと思い近づいた。その向うにに大きな鯉と手前にメダカがいる。)

三体で一体を表わしているのを三尊仏というが、すぐに思い浮かべるのが阿弥陀三尊である。観音菩薩と勢至菩薩を従えている。釈迦如来には文殊菩薩と普賢菩薩が脇侍として祀られ釈迦三尊といわれる。薬師如来は日光菩薩と月光菩薩を脇侍として薬師三尊といわれるが、この日光と月光の菩薩は単独で造像されたり、薬師如来と分離して祀られることはない。どうして日光菩薩と月光菩薩が信仰の対象として単独で祀られないのであろうか。字の如く「日光菩薩は太陽の象徴で、月光菩薩は月の光の象徴とされ、薬師如来の威徳がいつでも人に及ぶように、それぞれ昼夜を分担して如来の教えを守護している」と云われ、それぞれ単独では役目をなさないのである。釈迦三尊や阿弥陀三尊が十三仏に登場するのに、薬師三尊は薬師如来だけであるのはその為なのだろうか。十三仏の来迎図を見ていて、ふとそんなことを思った・・・
薬師如来の東方瑠璃光浄土と阿弥陀如来の西方浄土、それぞれの浄土はどんなところなのだろうか。何十年か先に行ってみたいものである。

観音講と世代交代

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(岩の上の苔から数本の長い雑草のようなものが生えていた。)

今日は朝から時折激しく雨の降る最悪の天気であった。運の悪いことに観音講の行事予定が入っており、朝から少しでも小降りになってほしいと願っていたが、全く小康状態になる気配すらなかった。当番の方が十時頃に娘さんの車で送ってもらって三人来られ、やがて一般の方々もポツポツと傘を差して雨の降る中来られたがいつもより少ない。とは言っても元々たくさん来られても檀家さんの三分の一程度の三十人くらいで、今日はその半分程度であった。天気のせいもあるが、そればかりではなく私の母親がまだ仕切っているので、どうしてもその世代の八十歳前後の方々ばかりなのだ。年々少しずつ退会されて行くが、今までの母親とのつきあいもあってそれができない人もいるのである。当然のこと若い世代は入りずらく、世代交代はできないのである。母親は「もっと若い人に入ってもらわなあかんなぁ」とぼやくのであるが、母親が仕切っている以上それは無理なことである。「密教婦人会」という組織もあったのであるが、同じように高齢化で現在は休止している。この観音講もいずれ一旦休止して新しく刷新し直さなければいけない時に来ているのであろう。母親の生き甲斐を奪うわけにはいかず、私としてもしばらくは成り行きを見守るしかない。

枕飾りについて

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(護摩堂の裏に生えているシャガの葉っぱに朝露が光っていた。)

現代は人生の終末を自宅で迎えたいと思ってもなかなか難しく、病院で迎える方が多いようである。亡くなられて病院から自宅へ帰る場合、専門業者の寝台車が必要であるが、それは葬儀屋さんと連携していることが多くそのまま葬儀の打ち合わせに入ることもあるようである。都会では自宅へ向かわず、葬儀屋さんの会館へ直接運ばれることが多く、そんなこともあって枕飾りなどはすべて葬儀屋さんがしてくれるので何もすることはない。昔は自宅で亡くなると近隣の人や親戚の長老などが指示して枕飾りをしたものであるが、今は田舎の方でも枕飾りの仕方やその意味を知らない方が多くなってきている。枕経に行っても枕飾りがまだ出来ていないところもあり、親戚などが集まっておられても昔からのそうした風習は忘れかけられようとしている。

枕飾りは亡くなられた方の枕辺に、小さな机(経机)か木箱に白い布をかけて、その上に三つ具足(線香立て、ローソク立て、花立)の他に、浄水、一膳飯、枕団子などを供える。三つ具足は、香炉を中央に置き、花立には樒を一枝入れて向かって左に置き、ローソクは右に立てる。枕団子は地方によっても違うが、普通は六個で上新粉を蒸すか茹でて作る。浄水はコップか湯呑茶碗に入れて供える。一膳飯は焚きたてのご飯を茶碗二つにしっかりと詰めて入れ、片方の茶碗をもう一つの上に返して盛り、その上にお箸を立てて供える。箸を立てるのは葬式の場合だけで、このご飯は死者のものであるというしるしであると云われている。死者は息を引きとるとすぐに善光寺参りに行くと信じられていて、そうしないと成仏できないという信仰があった。枕団子や一膳飯はその時のお弁当であるらしい。枕飾りの基本は六種供養からきているので今ここであらためて説明することもないが、昔から習俗的に行われてきた枕飾りについて少しでも理解していただければと思う次第である。

坊さんのツルツル頭

snow1(境内の池の淵にスノードロップが咲いている。)

先日、「どうしてお坊さんは頭がツルツルなの?」とお母さんに連れられてお参りに来ていた小学一年生か幼稚園ぐらいの女の子に尋ねられた。私は「それはね、仏様にお仕えしていますよということで髪の毛を剃っているんだよ」と言うと、「フーン。でも髪の毛のあるお坊さんもいるよ」と言い返してくる。これは参ったなと思いながら「ほんまやねぇ、髪の毛のあるお坊さんも立派なお坊さんで、芯の強いお坊さんなんだよ」とわけのわからない返事になってしまった。正直なところ、「それじゃお坊さんは、芯が弱いお坊さんなの?」と言われたら、「そうだよ、元に戻れないように坊主頭にしているんだよ」と答えるつもりでいた。ちょうどお参りを済まされたお母さんが「マキちゃん」と呼ばれて、小走りに母親の方へ行ってしまったのである。子供は純心で、思ったことを正直に言ってくるので答えるのに困ってしまう。大人に説明するような言葉ではわからないと思い、わかりやすく言おうとすると言葉に詰まってしまってうまく言えない。わずか一分足らずのやりとりであったが、小さな子供の素直さに戸惑ってしまった。

そういえば一昨年のお盆参りに行った時のこと、拝んでいると後ろから「ツルツルやー」と小さな子供に頭をなでられたことを思い出す。何回もしつこくしてくるのであるが、お経を唱えているので注意することもできず、家の人は私に出すお茶を用意されているのか、なかなか来られない。私の頭がツルツルなのがよほど気に入ったらしく何回も撫で回すのには困った。合掌していた手を解き、思わずハエを払うように右手を振り払うと子供の手にちょうど当たってしまい、痛かったのか泣きだしてしまったのである。修行が足りないというか、大人げないことをしてしまったという思いで一杯になった。読経を中断して「ゴメンね」と謝りたかったが、ちょうどその時母親が来られたらしく泣きやんだのでそのまま最後まで読経した。終わって子供の顔を見ると何事もなかったようにニタニタと笑っている。「おっすさんの頭は気持ちよかった?」と聞くと、「ウン」と大きな返事で、その場が和んだ。子供にとっては坊さんのツルツル頭は興味深く親しみやすいものなのであろう。

護摩供養の限界

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(クサノオウというめずらしい花を撮った。)

昨日は午前中に水子供養の予約が入っていた。家族四人で約束の時間に来られたのであるが、予想に反して護摩供養を選択された。普通の供養であれば三十分程度で終わるのであるが、護摩供養になるとその用意もさることながら修法に一時間もかかるので大変である。できるだけ他の供養を薦めているのであるが、何としても護摩を焚いてみたいというオーラが出ていたのでその意思を尊重した。というのはその前日にも水子供養があって護摩を焚いていたので、まだ護摩壇の掃除が出来ていなかったのである。水子供養での護摩は一年間でもそんなにあるわけではなく偶然二日続きとなったが、実を言うと常瀧寺の五種類の水子供養の中でも、この護摩供養が一番供養をした感じが強くお得感があるのである。少し信仰のある方やマニアックな方には一対一のこの護摩はたまらない達成感があるようで、水子供養で来られた方が別の機会に護摩を焚いてほしいと再度来られる方も多い。添え護摩の形式であれば体力的に大丈夫であるが、この専願の護摩は肉体的な疲労が激しい。こうして来て頂くのはありがたいことであるのでできるだけ続けて行きたいが、次第に年齢とともに疲れが増すようになり、午前に一回、午後から一回の護摩が限度になってしまった。何とか還暦を迎えるまではと思っている今日この頃である。

仏教徒としての在り方

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(京都の植物園のチューリップが満開になっていた。)

私の住んでいる田舎でも最近は会館でする葬儀が増えてきた。それでも施主が五十五歳以上になると、「住み慣れた自宅から送ってやらんとかわいそうや」という考えをもっておられる方が多く、費用などの問題もあってまだまだ全面的に会館でするには至っていない。自宅葬の場合は仏壇が必ずあるのでそのご本尊をお迎えして拝むというスタイルであるが、会館の場合はそれができない。ほとんどの会館で祭壇の中央に小さく本尊の名前を書いた掛け軸が掛かっているだけなのである。本来なら私の宗派であれば十三仏の掛け軸をかけて頂きたいのであるが、スペースの関係かなかなかそれも難しいのであろう。葬儀に参列されている方々も本尊に手を合わすのではなく、白木の位牌や遺影を拝まれているようである。本尊や教義が何であろうとそれほど関係なく、会葬して人を悼み弔うことに目的がある。それは人としてとても大事なことであるが、本来はご本尊を拝んで故人の冥福を祈るのが仏教徒としての在り方でもある。法事や仏事も同じであるが、ほとんどの方は位牌や遺影、遺骨を拝み、わずかに僧侶だけがご本尊を拝んでいるというのが実情で、先祖崇拝の典型的な日本人の宗教観ではないだろうか。これからの葬儀はますます仏教的な宗教色は薄くなり、家族葬や友人葬のようなお別れ会になって行く可能性を秘めている。多くの日本人の心の中に培われてきた仏教の持つ意味やその果たしてきた役割を今こそ見つめ直して欲しいものである。

笈摺(おいずる)に思う

tutuji(山裾にツツジが咲いていた。)

先日、「ぼけ封じ観音」さんへお参りされていた初老の方が納経所へ笈摺(おいずる)を持って来られた。普段は納経帳に朱印を押すことが多くたまに掛け軸があるぐらいなのでで少し戸惑っていると、「朱印を押す場所がなかったら重ね判でかまいませんので・・・」と話される。笈摺を広げてみると無数に朱印が押してあってどこに押したら良いか迷ってしまったが、わずかに袖口のあたりに空間があったのでそこに押印させて頂いた。「これはすごいですねぇ」と話しかけると、人懐っこい顔を綻ばせながら「西国のお寺さんを回ってましたらぼけ封じの観音さんがあると聞きましてなぁ、おかげさんでこれで最後の十番になりました」と話され、「自分が亡くなったらこれを着せてもらいますんや」と嬉しそうに話されていたのが印象に残っている。

私の父親は僧侶であったので紫の衣に着替えさせ袈裟をかけてあげて納棺し見送ったが、他の方々はどうして納棺しているのであろうか。僧侶は納棺の時に立ち会うことはないので詳しいことを知る由もないが、遺族の故人を思う気持ちでそれぞれ変化するだろうし、宗教によっても違ってくるのだろう。昔は仏式であれば経帷子(きょうかたびら)に着替えさせて数珠を持たせて納棺し見送ったものである。その時に、四国八十八か所霊場などの掛け軸や納経帳などがあれば一緒に入れてあげたのであるが、今はそうした風習もだんだんと薄れてきつつあるのではないだろうか。この方のように自分の着る死装束の笈摺(おいずる)を用意するような熱心な仏教徒が世代の若返りとともに減少しているのも一因するのであろう。

五輪塔について

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(パンジーの花が裏庭できれいに咲いていた。)

最近「五輪塔」について相談されることが多くなった。五輪塔というと真言宗や天台宗の仏塔のように思われている方も多いと思うが、それは大きなまちがいである。高野山の奥の院には宗派に関係なく歴代の諸大名が権力を誇示するかのように大きな五輪塔をたくさん建立している。五輪塔は供養塔として最も宇宙の理にかなったものであるということは言うまでもない。卒塔婆は朽ち果ててしまうが、五輪塔は永遠に苦界に沈んでいる祖霊を救い、成仏や解脱に導くもので供養の最高の形である。下から四角形は地を表し、円形は水、三角形は火、半円は風、最上部は宝珠形で空を表している。自然界を構成する五元素を表しているのであるが、卒塔婆と同じ意味合いなのでここでは触れないでおく。前述したように五輪塔という形にも供養の要素はあるのであるが、大事なことはそれぞれの形に適切な梵字を刻んでこそ宇宙の真理に沿った供養塔となるのである。宗派によっては漢字を刻むところもあるようであるが、本来の趣旨からは離れており供養の意味も薄くなる。梵字はインドの言葉でお釈迦様の教えを説いた原語である。それらはそのまま中国に伝わり、梵本経典が翻訳されたのであるが、陀羅尼や真言などはそのまま音写され、呪力を持つ言霊のようなものになったり、仏や菩薩を表す「種子真言」として現在に至っているのである。

五輪塔は梵字を四面に刻むことによって、発心、修業、菩提、涅槃の仏教教理が得られる。つまり、故人の霊魂が仏心を起こして解脱するまでの過程を示しており、霊魂の証果を図り導いてくれる大変ありがたいものなのである。当然のことではあるが、梵字でないと四面に二十種類の文字を彫ることはできない。これは正道で宗派によって変わるものではない。私たちは生まれた時は、「赤心」といって仏様に近い心で生まれてくるが、俗世間で次第に汚れて我欲や煩悩が生じ罪障を重ねて行く。それが成仏や解脱の妨げとなり苦しみの原因となるのである。だから発心して修業を積み、菩提の境地を経て涅槃に到達できるようにと誓願するのであるが、それこそが五輪塔の四門の本願なのである。まだこの五輪塔について認識不足の方が多く、ただ五輪塔を建立すれば功徳があるように思っておられる方や、梵字は彫らなくても良いと思っておられる方が一部におられるのは残念なことである。一番多く見かけるのは正面だけ梵字を彫った五輪塔であるが、発心門だけで他の表示がないので祖霊を成仏に導くことができず、供養塔としては中途半端である。調和のとれた梵字を四面に刻むことで生命の循環がおこり活力のある本当の供養塔となるのである。五輪塔はこの世とあの世を結ぶアンテナでもあり、家運の繁栄と安穏が自然に現れるに違いない。

焼香の作用

yukiyanagi(小雨の中、池の淵にしがみつくようにユキヤナギが咲いていた。)

よく火葬場の告別式などで時間の短縮の為に、「焼香は一つまみ一返でお願いします」という案内をされているのを聞くことがある。焼香は普通には三返で仏、法、僧の三宝に供養する為で、略すと一返というのは誰も知っていることであるが、なぜ右手の親指と人差し指と中指の三本でお香をつまむのかということは知らない方が多いのではないだろうか。
焼香は普通右手の三本の指でするのであるが、いつであったか左手で焼香されていた人を見たことがある。おそらく左利きの方であると思うが、仏教では左手は凡夫で不浄なものとされているので必ず右手を使わなければいけない。ではなぜ右手の三本かというと、仏教では五本の指に小指からそれぞれ地、水、火、風、空と名前がつけられていて、焼香をつまむ三本の指は親指が空で人差し指は風、中指は火である。つまり、中指の火で点火され、次の人差し指でこれが消えないように風を送り、親指の空でその香りが法界に遍満されることになるのである。
お大師様は「性霊集」の中で「身は花とともに落つれども、心は香りとともに飛ぶ」と言われている。人の身体はいつかは花の散るさまと同じで諸行無常であるが、身体が滅びてもその魂(心)は仏の命として死後にも生き続け香りとなって飛ぶと云われている。「心は香りとともに飛ぶ」の香は仏に供えるお香のことであるが、その香煙に乗って天に昇り、弥勒菩薩の浄土に往生するのである。焼香をする時の心構えとして、亡き人の菩提を祈りながら香煙にそうしたことを観想したいものである。

木魚について

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(裏庭にひっそりと咲いていたスイセン。)

昨日法事の後のおトキの席で男性の方が、「私もこの年になりましたらたくさん法事やお寺参りをさせてもらってますが、ほとんどの宗派で木魚を使うのに真言宗は使わないのですか」というような質問をうけた。以前に仏壇を新調された知り合いのおばぁちゃんが法事をされた時に、「木魚は法事の時に必要ですよと仏壇屋さんに言われて買ったんやけど、おじゅっさんはあんまり使いはらへんなぁ」と言われたことを思い出した。その時も「真言宗の正規の法要では木魚は使うようになっていませんので・・・」というようなことを言ったように思う。私の知るところでは、禅宗、天台宗、浄土宗などは本堂にも置いてあるし、日常のお勤めでも使っているが、真言宗では道場にも置くことはしない。ただ地方の寺院では非公式に使っているところが多く、私の寺にも置いてあって寺参りの時やお勤めに使っている。しかし法要やお葬式など正式な儀式で使うことはなく、おリンのみで読経するのが習わしである。

木魚は読経のリズムをとるのに中国で創案されたもので、それを穏元禅師が日本に伝えたと云われているが、元々はお寺の食堂や庫裡に吊るされていて時間を知らせたり、行事を知らせる為に打ち鳴らす「魚鼓」や「魚板」からヒントを得てリズムとり用に作られたものである。なぜ「魚」の姿を刻んであるかというと、魚は昼夜を問わず、昼も夜も決して目を閉じることはなく、「仏道修行者も、また常にかくあるべし」と、それにあやかったものと云われている。眠気を覚ます役目をしているのであるが、逆に「ポックリ、ポックリ!」と単調なリズムを聞いていると余計眠くなりそうになるのは私だけであろうか・・・。

仏事の伝承

ooinunofuguri(オオイヌノフグリがかわいい花を咲かせていた。)

最近は生活様式の変化であろうか、昔からの仏事の伝承が薄れかけてきている。核家族化になり近所とのつきあいも薄くなってきているせいか、作法やしきたりが伝承される機会が激減してきているのである。昨年のお盆のお参りをしていた時のことであるが、ムクゲの花やキョウチクトウを仏壇に供えておられる家があった。庭に咲いていたので色花として供えられたと思うが、仏前には供えてはいけない花である。バラやアザミのようにトゲのあるものや、キョウチクトウのように毒のあるもの、ムクゲやトケイソウのような一日でしおれる花は供えてはいけないということは、お年寄りがおられる家であれば昔からの伝承がなされてきたことであるが、最近はお年寄りも知らない家庭が増えているのである。同じようにお料供膳なども精進料理でなければいけないとわかっていても、見栄えを重視するせいかネギやチリメンジャコやカマボコなどが添えてあったりする。また、漬物の代わりにラッキョが供えてあったり、小鉢に青唐辛子の炒め物が供えてあったりする家もあった。これは確かに野菜類ではあるが、仏前には供えられないものである。「五辛」と呼ばれるもので、ニラ、ニンニク、ネギ、ラッキョ、ハジカミである。他に玉ねぎや唐辛子のような刺激臭の強いものや、カラシやワサビ、ショウガなどの香辛料もいけないので注意して頂きたい。このようなことは仏事の細かい一部のことであるが、基本的な昔からの仏事の伝承を語り継いで欲しいと願っている・・・・

「願」と「行」の両立

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(ハナモモの花が満開になっていた。)

お大師様の「般若心経秘鍵」という本の中に、「迷悟我にあれば即ち 発心すれば即ち到る 明暗他にあらざれば即ち 信修すればたちまちに証す」とある。迷いや悟りも我が心の働きであるので、これを信じて発心すれば速やかに覚りに至ることができる。すぐれた智慧も煩悩も我が心を離れて他にあるわけではないので、それを信じて修行すればたちまちに覚り(仏果)を得ることができると云われているのであるが、私の修行時代に師僧から何度も聞かされた言葉でもある。物事を始める時、何をするにしても「発心」しなければ何も起こらない。自分はどうしたいのか、どのようになりたいのか明確な目標や願望がなくては前に進まないのである。「願」を立てたら、それを実現するための「行」が必要となる。願と行と共にそなわってこそ、もの事は成就されるのである。

先日お参りに来られていた顔馴染みの女性の方が、本堂の前に置いている「やる気」と書いた杓文字を持っている貯金箱のお地蔵さんにお賽銭を入れておられたので「ようお参り下さいました」と挨拶して少しお話をさせていただいた。「最近仕事が忙しいんで仏壇もほったらかしで、バチが当たりますわ・・・」と開口一番に言われるが、この方の独特の照れ隠しというかジョークである。しばらく雑談した後にさりげなく「また、これお願いします」と分厚い封筒に入った写経を差し出された。熱心なお不動さんの信者さんで一年に一回の専願護摩と毎月のお参りを欠かされたことはない。その度に写経を奉納されているのである。もう知り合って六年余り経つが、最初はホームページを見ての相談メールであった。自律神経失調症で何もする気にもならず随分と悩まれていたのであるが、その数年前に亡くなられていた父親の供養と合わせて当病平癒で専願の護摩を焚かれたのが信仰のきっかけであった。三年余り毎月焚かれてすっかり元気になられたのである。この方の特徴は「堅実心合掌」というスタイルで両手をしっかりと合わせ、指先をピンとすべて伸ばし、拝んでいると指の先端が自分の鼻の高さから更に上へ上へと上がっていくのである。護摩を焚きだして一年ぐらいで自然とそうしたスタイルになられたようで、気を指先に集中して無心に祈りを捧げ仏様を敬う気持ちがよく出ている。普段はほとんど私の留守中にお参りされていて、先日出会ったのは昨年の十一月以来のことであったが、「願」と「行」がうまくいっているのであろう。彼女のはにかんだ顔が充実感で溢れていた・・・

老いの覚悟

mokuren(モクレンの白い花が青空に生えていた。)

今年満七十九歳になる母親を見ていると、何か急に年を取ったなぁと思うことが多くなった。本人に多少の認識はあるようではあるが、敢えてそれを受け入れようとはしない。今まで寺の大黒さんであったので人の年齢は数え年で言っていたのに、昨年ぐらいから満年齢で言うようになった。考えてみると、自分が八十歳という年齢になることに抵抗があるようだ。母親の中では、八十歳からはおばぁさんという線引きがあるのかも知れない。面白いのは、母親とそんなに変わらない同年代の方を見て「・・・さんは腰が曲がってよう老けてきたなぁ」とか「・・さんは忘れっぽくて困るわ」とよく人のことは言うのであるが、自分もそんなに変わらないということに気がついていないのである。自分の事を客観的に見れなくなるのも老化現象の一つではないだろうか。自分の老いを見つめ、それを受け入れて行くことは難しいことなのであろう。これも長寿であるからこそで、私もやがてそんな時が来るであろうが、今から覚悟して準備をしておくことも必要ではないかと思った。

余談であるが、自民党を抜けて新党を立ち上げた人の年齢を見ていると七十歳前後の方ばかりで、まだまだ若いと思っておられるのはいいことであるが、引き際も大事である。後継者を陰から支えるのも努めではないかと思うのだが・・・

灌仏会(花祭り)に思うこと

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(常瀧寺の参道にある三本の桜が満開になった。)

今日は四月八日、お釈迦様の降誕を祝して「灌仏会」という法会が行われる日である。「仏生会」とか「花祭り」とも云われ、昔からお釈迦様の誕生を祝う行事が各寺院で行われていた。私の小さい時は「花祭り」と称して、花で飾った小さな花御堂を作り、水盤にお釈迦様の像(誕生仏)を安置して小さな柄杓で頭上から甘茶をそそいで祝ったものである。ところが、いつの頃からかお参りする子供が少なくなって自然消滅してしまった。原因は少子化だけではなく、花飾りに使っていたレンゲソウやヒメシャガなどの花が少なくなってしまったこともある。花が揃わないので旧暦の五月八日にこの行事をする寺院もあるようであるが、昔ほど多くはない。私の寺の甘茶の木も裏庭で栽培していたがいつの間にか枯れてなくなり、花御堂にするお堂も蔵の隅で出番がなく、数年前にバラバラになって壊れてしまって処分されたようである。檀家さんの中でも団塊世代の方々は、子供時分のこの行事をよく覚えておられ懐かしむ人が多い。物資や娯楽が少なかった時代、寺へ遊びに来て誕生仏に甘茶をかけ、その甘茶とお供えのお菓子をもらって帰るのが嬉しかったと子供の頃の思い出を話される方が多いのである。昔は小さい時分から寺で遊び、こうした行事にも参加して子供の心の中には寺院が身近なものとして感じられていたようであるが、今の子供にとって寺院はどのように感じられているのであろうか。もしかすれば親族が死んでから行くところという感覚か、あるいは存在感の薄いものに感じられているのではないかと思う。この花祭りのような子供が参加できる行事を後世に残したいものであるが、時代の流れでなかなか復活は難しいようだ。

目線を下げる効果

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(ユキヤナギの花に生まれて間もない蝶がとまっていた。)

ようやく木々に新芽が出始め、生き物の活動の時期を迎えた。私にとってもこれからの時期は楽しみである。寒い冬の時期は何か寂しく写真を撮っていても被写体を探すのに苦労するが、この春は生き生きとした躍動感があって胸が高鳴る。二、三年前から趣味で写真を撮るようになってから自然の美しさと花や小さな生き物に感動するようになった。それまで何とも思わなかった雑草や路傍の小さな花に気がついたり、その前にしゃがみ込んでじっとしていると自然の営みが少しながら見えるようになってきたのである。写真の技術は全くないが、そうした自然の営みの感動を少しでも表現できればいいと思いながらシャッターを切っている。また私は田舎の山野で育った割にはあまり興味がなかったせいか植物や昆虫の名前をほとんど知らなかったのである。しかし、こうして写真を撮った植物がどんな名前なのか、図鑑などを見て調べるようになると少しはわかるようにもなってきた。興味を持ったものを調べることで自然への愛着が生まれるようになったのかも知れない。

最初の頃は、小さな花や小さな昆虫をなかなか見つけることができずにいた。自然をきれいに撮ろうとする気持ちが先にたってしまい、上から見下ろしていたように思う。童心に帰り子供の目線のように低い位置から見ると、それまで見ることのできなかった花や昆虫に出会えるようになったのである。とは言うもののまだまだ初心者であるが、少しながら自然の営みを発見できるようになった。私達の社会生活も同じようなことかも知れない。ちょっと目線を下げて心の扉を開くと、新しい自分が発見できるのではないだろうか。
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