ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2010年05月

新しくなったふすま

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(木陰の草におしりに長いひげのようなものがついているトンボのような虫と、孵化したばかりのまだ身体の白い虫がいた。)

寺のふすまが新しくなった。いつからかわからないが、私が生れる前からあるので少なくみても五十年以上は経っている。行事の度に外したり入れたりするので、ボロボロでかなり傷んでいた。本堂は明治七年に再建されて、屋根は茅葺きから瓦にやり替えているが、建物は当時のままである。屋根の重さもあって前に七センチ程度傾いている。ふすまを垂直にすると柱に対して左右に上下七センチ余り隙間ができるので、その柱に直角三角形の傾斜のついた板を取り付けて垂直になるように隙間を埋めていただいた。今までふすまの開け閉めには腫れ物にさわるように扱ってきたが、これでやっとその煩わしさから解放される。以前の古いふすまと違って軽くスムーズであるが、真っ白の無地であるので何処となく寂しいような気もする。本当は少し柄の入ったものにして欲しかったのであるが、無地が一番安いということで仕方ない。

それにしても、ふすまを新しくすると本堂が明るく見える。今まで茶褐色に汚れたホロポロのふすまであったので、真っ白いふすまになると見違えるようだ。本堂にいるとふすまだけが新しく、他の部分はボロボロでちょっと釣り合いがとれないが、このふすまもやがて数年すると汚れて周りと同化するのであろう。ふすまを見ていると私達人間のようにも思えてきた。このふすまと同じように、私達の身体も歳をとるごとにボロボロになり、心の汚れも少しずつひどくなって行くようだ。このふすまのように真っ白な純粋無垢であった頃が懐かしい。有難いことに仏法に触れながら少しではあるが、自分の心の汚れに気づかせて頂いていることに感謝したい。ふすまは貼り替えればきれいになるが、私達の心はそうはいかないので時々はリフレッシュして心の洗濯をする余裕を持ちたいものである。




高野槇の存在感

hanatomu(花の中に小さな生まれたてのバッタがいた・・・まだ身体は薄茶色のままである。)

本堂に活けている高野槇の一本が枯れてしまった。毎年の師走に祥月命日のお参りに行かせて頂いている信者さんからお供えとしてもらったものである。都会に出られている信徒さんで、七年前に父親のお葬式をして以来毎年お盆のお参りの時と、十二月のお参りには必ず高野槇をわざわざ取り寄せて奉納して下さる。高さ一メートルぐらいの立派な高野槇で、水さえ切らさなければ半年ぐらいもつのであるが、花立に水が入っていても人間の血管と同じで、不純物やぬめりなどで茎の細胞が詰まって枯れてしまうようだ。時々は茎の末端を少し切ってやるのであるが、今回はそれでも駄目で一対の一つが枯れていた。

しかし片方の高野槇は新芽を出してしっかりと生きている。本堂の正面に祀っているので、高さが低いと不釣り合いで見栄えが悪く、片方の枯れた高野槇の代わりに畑に植えている大きな樒を切って活けておいた。回りに色花を活けているので、パッと見るとそれほど違和感はないが、やっぱり高野槇の方はシャンと立っていてきれいで存在感がある。こうした太い大きな高野槇は高価で、私のような貧乏寺ではとても買えないのであるが、信者さんのお気持ちが有難く尊い・・・わざわざ高野山から取り寄せて奉納して下さったお気持ちを大切にして、枯らさずにいつまでも立てておきたいのであるが、周囲の気温やその木の持っている生命力など様々な条件によって寿命も決まるようだ。

雨漏りと油断大敵

syakuyaku
(シャクヤクの花が咲いていた。)

寺の本堂と庫裏の間にある天井が雨漏りでめくれあがり、その下に掛けていた白衣が濡れてしまった。一昨日の大雨で瓦と瓦の境目から雨が入ってきたようだ。白衣は天井裏の汚れで茶色い染みが出来ている。その光景を見ていたら、ふとサラリーマン時代の嫌な思い出が頭の中を駆け巡った。私は住職になる前に空調設備の会社に勤めていたのであるが、その時にあるテナントビルの空調機の取り換え工事請け負ったことがある。定休日を利用しての工事で十数台の空調機を取り換えたのであるが、新たに天井カセット型の空調機に加湿器を組み込んだ。冷媒配管工と水道配管工数名が天井裏で交錯しながら何とか一日で工事を終え、最後に両方の配管に耐圧テストも済ませた。そして試運転も異常はなく引き渡したのであるが、一週間程経った時に施主から突然呼び出しを受けた。給水配管から分岐して空調機に組み込んだ加湿器に銅管で接続しているのであるが、その銅管の締め付けが悪かったのであろうか、一台の室内機からポタポタと水漏れしていたのである。それが天井裏に溜まり、天井ボードのわずかな隙間から漏れて下に展示してあった商品を濡らしていた。その店舗が着物屋で、高価な着物が濡れたのであるが、幸い工事保険で弁償して大事には至らなかった。

冷媒配管工の職人さんの親方は「うちの若い子のフレアーの切り方が悪かったんですわ、すんまへん」と謝って来られたが、耐圧テストをしたので大丈夫と油断して最終チェックをしなかった現場監督である私のミスである。まだポタポタぐらいで済んだからよかったものの、給水管が夜中に抜けたりしていたら大変なことになっていたであろう。最後の詰めである最終点検の重要性をひしひしと感じた。「千畳の堤も蟻穴から崩れる」と云われるが、ほんのわずかな油断や不注意は大きな失敗や損害に繋がることを教えられた経験であった。

定例護摩の見極め

ayame(護摩堂の前にアヤメの花がきれいに咲いていた。)

昨日は定例の護摩焚きの日であった。あいにく朝から小雨が降っていたが、十名ほどの常連さんがお参りされていた。少し若い方が昨年ぐらいから来られているとはいえ、八十歳前後の方も多く私の母親に気を遣って無理やり参られている方もいるようだ。この定例の護摩供養は二十五年余り母親が仕切っていて、唯一これだけは自分の仕事と思っている。護摩を焚くのは私しかできないのであるが、添え護摩を勧誘して添え護摩木を作るのが自分の仕事と思っているのである。多い時には百本近くもあり、焚くのに苦労するのであるが、一向にそんなことはおかまいなしである。「私がおらへんなったら誰も参って来んからね」と言うのが口癖であったが、今年ぐらいから少し変わってきた。護摩が終わった後お参りの方々に接待している定番のちらし寿司も、酢加減がわからなくなってきているようで、私の家内に任せるようになった。テレビの音量もかなり大きくするようになってきて、確実に五感の衰えが目立つ。それでもまだ護摩木の売上げは、一切を自分が管理してそれだけは任せようとはしない。母親が強引に信徒さんを勧誘して焚かせているような感じもあるので、私自身は止めて欲しい思っているが今しばらく成り行きを見守るしかないのであろう。

母親も来年八十歳である。明らかに今年に入って物忘れも多くなり、老化現象は加速しているようだ。長きに渡り寺の大黒さんとしてやってきたプライドがあって、まだ素直に私達に任せることはできないのかも知れない。特にこの定例の護摩は本人の毎月の生き甲斐にもなっているので、無理やり取り上げるとその反動は何処かに返ってくるのは必至である。母親の方から「あなた達に任すから」という言葉は絶対に出ることはないと思うが、いつかは無理になる時が来るだろう。その時に今焚いておられる方々の真意を尋ねて、新たな形で継承して行きたいと思っている。

五種類の水子供養

tuyu6(昨日は大雨洪水警報が出る荒れた天気で、小降りになった時に枯れた草木についた雨を撮ったが、水滴が何かの実のようである。)

先日水子供養に来られた方が、「いろいろインターネットで調べてみたのですが、私の方で供養を選べるお寺はここしかなかったので来させていただきました」と挨拶もそこそこにに言われた。早速に申し込み用紙に必要事項を記入してもらいながら、「こちらへ来られるには時間がかかったでしょう」と話を向けると、「少し道に迷ったものですから二時間近くかかってしまいました」と少し顔を紅潮させながら応じて下さった。まだ若い女性である。一人でこんな山奥の寺まで供養をしに来るにはよほど強い思いがあったのではないかと推察できる。私は五種類の供養を説明して「どの供養にされますか」と聞くと、四番目の室内用のお地蔵さんをお祀りするタイプの供養を選択された。「この水子地蔵さんは寺で永代供養もできますし、持ち帰りもできますが、どうされますか」と尋ねると、「持ち帰りしたいのですが、仏壇がなくてもできますか・・・」と言われるので、「大丈夫ですよ、机や棚に祀って頂き、百円ショップなどで売っている小さな容器で水を供えられたらいいですよ」と言うと、安心されたように微笑まれた。女性によって水子に対する思いは様々である。彼女の微笑みを見ていると、少しでもその人の思いに沿った供養をしてあげたいという私の方針が間違っていなかったように感じられて嬉しくなってきた・・・

鳥沙摩(うすさま)明王について

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(昨日は一日中雨で仕方なく、雑草についた雨露を撮った。)

一昨日のブログに掲載した伐木祈祷について親交のある禅宗のお寺さんからメールを頂いた。鳥沙摩明王(うすさまみょうおう)というと不浄除けが有名で、伐木の祈祷に鳥沙摩明王を本尊とすることに驚かれたようである。不浄除けの守護神として便所などに祀られ、「大小便時 当願衆生 蠲徐煩悩 滅除罪法」の偈文と、その横にうすさま明王の小呪「オン クロダノーウンジャク」と書かれたお札が便所などに貼ってあるのを見かけた方もおられるのではないだろうか。ウスサマ明王は、こうした不浄除けの他に枯木の精や毒蛇の害、その他諸悪鬼のたたりなどを防いだりする力があるとされている。一般的には「オン シュリマリ ママリマリ シュシュリソワカ」という解穢真言がよく唱えられている。

鳥沙摩明王の真言には「根本真言」「大心真言」「解穢真言」「大呪」「小呪」などたくさんあり、メールを頂いたのは「伐木祈祷」にはどの真言を用いたら良いかという問い合わせであった。これは鳥沙摩明王の大呪で「オンバサラ クロダ マカハラ カナラ フンシウフン ビキビマナセイ ウジンボクロダ ウンウン ハッタハッタ ソワカ」を用いる。

言葉の難しさ

yukinosita(二日前まで何もなかったのにユキノシタが急に花を咲かせた。)

小学校時分に先生から、「自分の気持ちを素直に表現できるようになりましょう」と言われたことを思い出すことがある。その頃は母親のしつけが厳しく、抑圧されていた感があり内向的であった。大きくなるに従ってそれもなくなったように思うが、どうしても人見知りする傾向があるようで会話はどちらかというと苦手である。会議や講演などで理路整然と話しをされている人を見るとうらやましくなるが、私にはなかなか真似できない。そんな人間が住職になったものだから、人前でしゃべる機会が特に多くて困ってしまう。通夜や法事などの仏事の硬い決まり切った法話は何とかできるようになったが、普段のお参りの方にする話はユーモアを交えたやわらかい話がしたい。その思いはあるのであるが、持って生れた性格というかなかなかまだ自分を表現できるスタイルができあがるまでには至っていない。

「言葉なんかよりも、気持ちが大切だ」と言われる方もいるが、その気持ちを伝えるにはやはり言葉が必要である。かといって言葉は自分の気持ちを衝動的に発するととんでもないことになったり、相手を傷つけたりする。一呼吸置いて言葉を発すると少しはましな話ができるのかもしれないが、すぐ感情的になってしまい失敗することが多い。言葉って本当に難しいと住職になって思うことが多くなった。まだまだ一人前の住職になるには修連がいるようだ・・・

地鎮祭と伐木祈祷

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(庭のツツジにアマガエルがいた。)

先日、都会に住んでおられる信者さんから頼まれて「地鎮祭」と「伐木祈祷」の修法に出かけた。祖父の持っておられた土地に新しく家を新築されるそうで、昨年のお盆参りをさせて頂いた時に相談されていたのである。その土地に立派なしだれ梅があって、それを何とか残しておきたいと設計士さんにいろいろプランを出してもらったのであるが、いずれも使い勝手が悪くなるので伐採するということであった。私は先代の時からある古い立派な梅で、しかも枝が垂れ下がる樹木には様々な精霊が宿ると云われるので地鎮祭の時に伐木祈祷をしたらどうかと勧めた。施主さんも快くそれを聞いて下さり今回の修法となったのである。事前に施主さんから施工業者の電話を聞いていたので、直接電話して神式と同じ祭壇を作ってもらうように頼んでおいた。

こうした儀式は午前中にするのが一番良く、午前十時からということで約束したが、高速道路が思ったより空いていて約束の二十分前に着いた。すでに業者さんは来られていたので打ち合わせをしていると、しばらくして施主さんも到着された。用意してきた次第を配り、簡単な説明をして儀式に入った。地鎮祭は何度もしているので難なく十五分余りで終わったが、問題は伐木祈祷である。梅の木の前に祭壇を移し、三礼をして祈祷に入ったが、この祈祷をするのは初めてで本尊の鳥枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の大呪が詰まってうまく言えない。それでも観想しながら何とか唱えたが、事前に練習してきた印がうまく結べず苦労した。鳥枢沙魔明王の真言を一字一句間違えずに唱えなければという意識があって、手に印を結ぶことがおろそかになっていたのである。冷汗をかきながならどうにかこうにか無事に終えた。業者の方は仏式の地鎮祭を見るのが初めてのようで、終わった後に「ほとんど流れは神主さんと変わりませんが、仏式の方が丁寧に感じました」と言って頂いた。その言葉に呼応するかのように、施主さんは私のことを業者に自慢されるのでちょっと恥ずかしくなったが、内心は嬉しかった。五月にしては真夏のような暑さで額から汗がボタボタと落ち、背中の襦袢はビッショリと濡れてはいたが、時折吹く風が心地よかった・・・

娘の剣道

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(鐘楼堂の裏に生えているオオテマリが満開になった。)

一昨晩の事であるが、夜の十時半頃に母親と高二になる娘が帰宅した。剣道の道場に練習に行っていたのであるが、娘の目が真っ赤である。どうしたのかと思い後で母親に聞くと、身体の調子が悪くて私服で見学に来られていた一人の先生が、娘の為にわざわざ着替えを取りに帰られて練習をつけて下さったことが嬉しくて泣いていたのだと言う。娘は高校に入ってから対外試合では全く勝てず長いスランプが続いている。中学生の時に同級であった別の高校に通う男子生徒からは、「おまえは高校に入ってから凄く弱なったなぁ、全然練習してへんやろ!」と辛口を言われる始末である。娘の通う高校は進学校なのでほとんど部活をしていないと思われているようだ。毎日部活をして帰宅するのは午後七時過ぎで、それから軽く食事をして八時半から十時まで週に二回道場へ通う。道場のない時は帰宅して一時間余り、走り込みと素振りを欠かさない。努力しているのは親が一番知っているが、結果がついてこないのである。先月の末にあった高校総体の地方予選も、娘が負けた為に決勝へ進めなかったらしくトラウマになって苦しんでいるが、親は見守るしかない。

剣道は精神スポーツであり、勝つのが最終目的でないということはわかっていても、どうしても目先の勝負にこだわってしまうのは誰しもであろう。中学になって初めての部活に剣道を選択した時、担任の先生から「大丈夫なの?」と声をかけられたことがあった。娘の気の優しさと不器用さをわかっているからである。本人もそれは良くわかっているようであるが、今は「育ててもらった道場の先生に恩返ししたい」という一心でやっているようである。そしてそれが剣道をやめずに続けて行くことであることを十分理解しているようだ。体調が悪いにもかかわらず自分の為に練習をつけて下さった先生の思いを汲み取ることができるのも、剣道をしてきた成果であろう。その気持がある限りいつか小さな花が咲く時が来るに違いない。そんなことを思っていると、剣道独特の防具の異臭がプゥワーンとリビングに漂ってきた・・・

服装は心の人相

odamaki(オダマキの花が雑草にまぎれて咲いていた。)

数日前に買い物に出かけたのであるが、道路が渋滞していてなかなか前に進まない。ノロノロ運転がしばらく続いた後、ピタッと止まってしまった。どうしてかなと思い先を見ていると道路工事で片側通行になっている。ガードマンが数人いるのであるが、主に仕事をしているのは二人で後の数人はボサーと立っているだけである。その内の一人は暑かったせいもあるが、制服をはだけて中の下着が丸見えである。しかも派手なオレンジ色の下着がよく目立つ。まだこの仕事に慣れていないのであろうか。まだ若い青年であったが、仲間の誰かが注意してあげれば良いのにと思いながら通り過ぎた。

「服装は心の人相である」と誰かが言われていたが、まさにプロ意識や回りの人への配慮があれば外見にも気を配ることができるであろう。中には「外見よりも中身が大切だ」と言う人もいるが、そのだらしない格好を見て仕事ができるとはとても思えない。制服はその会社や所属団体を表すものでもあり、一人がだらしない格好をすることによってその制服を着ている全員に迷惑がかかることを認識しなければいけないと思う。外見をキチッとすることによって仕事に対する姿勢や取組方も違ってくるし、心も自然と連動してくるのではないだろうか。

剃髪と坊主頭

kumagaisou(一昨年に檀家さんに植えて頂いたクマガイソウが花をつけた。)

僧侶になりたての頃は頭の毛を一週間に一回程度剃っていたが、今では一週間に二回か三回剃らないといけなくなってきた。ひげと同じで毎日のように剃っていると濃くなり、生えてくるスピードが速く感じる。この歳になると白髪とハゲが同居するので一ミリ程度でも伸びると気になってしょうがない。短髪の「坊主頭」ではみっともなく、髪を剃って頭を丸めないと落ち着かないのである。

以前に夏の暑い時にお参りに行ったら心やすい檀家さんから「おっすさんは頭が涼しそうでよろしいなぁ」と言われたことがあった。その時そっけなく、「いゃー直接なんで熱さは堪えますよ」と言っておいたが、真冬の凍りつくような寒さや真夏の直射日光は、地肌に直接で保護する髪がないので辛いものがある。修行中などは頭にしもやけが出来る始末であったが、最近はようやく抵抗力がついたのか平気になってきた。唯一のメリットは自分で剃るので散髪代がいらないことであろうか。丸刈りの短髪の時は少し伸びても全く気にならなかった頭であるが、剃り出すと妙にツルツル頭にあこがれてしまう今日この頃である。

新緑の大イチョウ

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新緑の大公孫樹を見に裏山を登った。昨年の夏の大雨で登山道は、登り口から百メートルあまり荒れた道が続く。少し上まで登ると荒れた道はなくなり普通の登山道となる。以前であれば二十分程度で登っていたのであるが、年をとると息切れするのでゆっくりと参道途中にあるお地蔵さんに挨拶しながら登った。寺から距離にして六百メートルぐらいであるが、登りなので三倍ぐらいの距離があるような感覚になる。残り百数十メートルまでくると向かいの山の尾根と手前の新緑が重なり、その新緑の隙間から常緑樹に巻き付いた山フジの花がきれいだ。

いつもより倍近く時間がかかって大公孫樹にたどり着いた。一番に大イチョウの下に祀られているお大師様の石造にお経をあげていたら、歓迎してくれているかのように近くで野鳥の鳴き声がする。推定樹齢千三百年と云われる霊木を前にしていると、その大きな雄姿もさることながら不思議な霊気に引き込まれて異次元にいるような気がする。ちょうど差し込んできた朝日にイチョウの新緑の葉が透き通って見えてとても美しく、その光がその傍らのお大師様をやさしく照らしていた・・・

「道」の大切さ

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(エビネの花が鳥のように見える。)

お大師様が京都の東寺に「綜芸種智院」という日本で初めて庶民の学校(大学)を開かれたのはご存じの通りであるが、その時「物の荒廃は必ず人に由る、人の昇沈は定めて道に在り」と云われている。つまり、すべての物事が興隆したり荒廃したりする原因は、必ず人に由来している。そして、人が優れた者となるのも、ならないのも、すべてその道の学び方にあると言われているのである。

「道」と言えば仏教では仏道である。僧侶であれば修行に励み、人々を教化していくことを目的とするが、お大師様は身体的認識(体得)を通して実践的な人間教育を行うこと、それが「道」を学ぶことであると言われている。勿論、実践重視というわけではなく、知識を身につけた上でそれを生かす実践的な応用力を養わなければならないということである。私は大学時代に怠惰な生活をして卒業してからもそのままサラリーマンをしていたので、その空白を埋める為にかなりの努力が必要であった。その「道」の大切さを最近になってつくづくと感じ、それを一人でも多く次の世代へ伝え教えていかなければお大師様に申し訳ないと思うようになった。先日、高野山教報という宗門の新聞が送られてきたが、それによると高野山大学の学生が激減している。さぞかしお大師様は憂いておられるに違いない。








ケヤキの木の若葉

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(ハチが花にとまって蜜を吸っている)

常瀧寺の境内にある三本の大きなケヤキの木がみごとに新芽をつけている。落葉樹の中では遅い新緑であるが、このケヤキの木が葉をつけてようやく常瀧寺の境内に「風薫る」という表現がピッタリとくる。半年後には落ち葉となってやっかいものになるのであるが、この新緑の季節はひときわ存在感があってきれいだ。太い幹の傍でケヤキの木を見上げると、幹も枝もまっすぐとたくましく伸びている。細い小さな若葉をたくさんつけていて、そのわずかな隙間から太陽の光がキラキラと輝き、時折吹くそよ風はその若葉を揺らしサラサラとやさしい音を奏でている。その下にいると、自分自身を縛っている執着心やこだわりから解放されて行く感じがする。ここだけゆっくりと時間が流れているようだ。光に透けて輝く若葉の緑はやさしく私を包み、薫る風は生かされている感動を運んでくれている・・・

突然の水子供養

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(ベニバナポロギクが散って白い花火のようである。)

昨日の昼過ぎ、突然電話が鳴った。「もしもし、水子供養をしてほしいのですが・・・」と男性の声である。私は「いつがよろしいですか」と応対すると、「今からは無理ですか」と言われる。私は他に用事が入っていなかったので、「それでは一時間後の二時半に来てもらえますか」と言うと、「わかりました、その時間に行かせて頂きます」と言われ電話を切った。本堂で用意をして待っていると、約束の時間ちょうどにやって来られたが、男性一人である。しかも徒歩で来られているので、「車はどうされたんですか」と尋ねると「下の公民館のところへ留めてきました」と言われる。どうも大型の車で来られているようで、登り口が狭く感じられ用心の為に歩いて来られたようだ。日焼けした顔で「先ほど電話した・・です」としっかりとした口調で言われる。一見して誠実そうな好青年に見えた。手には数珠とお布施の包み紙を持っておられる。そしていきなりそのお布施を渡されるので、「供養が終わった後で結構ですよ」と言いながら申し込み用紙に必要事項を記入してもらった。私のところでは五種類の供養の中から好きな供養を選択できるが、すでに決めてきておられるようだ。供養に入る前に「少し時間が長くなりますから、しびれないように足を崩してもらって構いませんよ」と言ったのであるが、供養が終わり振り返って見ると、背筋を伸ばしてきちっと正座をされたままである。男性の真摯さが垣間見える。女性でないと「母体加持」はできないが、罪障を消滅させる為の加持とお守りの開眼をさせて頂き、少しお話をさせて頂いた。二年前にその当時つき合っていた彼女との間の水子であるが、その当時は若くてどうしたら良いかわからなかったらしい。ずっと気になっていて、たまたま友人にその話をしたら近くに良い寺があるよということで紹介してもらったという。「今日来させてもらって良かったです」と深々と挨拶をされて帰って行かれたが、しばし新緑のさわやかな風と共に何か爽快な気分にさせて頂いた・・・。

ぼけ封じ観音の参拝

zassou3(散歩中に見つけた花・・・名前はわからない。)
昨日は、ぼけ封じ十楽観音霊場の法要が京都の大報恩寺であった。私の寺も十番札所になっていて、十九名の参拝者を連れて小型バスでお参りさせていただいた。大報恩寺というとあまりピンとこないが、正式には千本釈迦堂大報恩寺と言い、通称「千本釈迦堂」の名前で親しまれている。十二月に行われている「大根焚き」の供養は中風除けとして有名である。真言宗の智山派に属し、鎌倉初期に開創され本堂はその当時のままの貴重なもので国宝に指定されており、他にもたくさんの宝物を有している。私はこのお寺に参拝するのは初めてであったが、都会の住宅街の真ん中にこれほど古い木造の建造物が残っていることに驚いた。以前にお会いした時に、「うちは民家に囲まれているので、行事の時には近所の方が協力して助けて下さるんです」と言われていたのを思い出した。それを裏付けるかのように私が到着した時、数名のご婦人が「ご住職さん、何かお手伝いすることはありませんか」とやって来られていた。近隣の方から自分達の寺のように慕われ守られている様子がよくわかる。檀家のない寺ということもあるが、ご住職のやさしい人柄も影響しているのであろう。昨日は寒の戻りか時期はずれの肌寒い風が本堂を吹き抜けていたが、近隣の方の心温まる接待が気持良くさわやかであった・・・

僧侶紹介システム

yukinoshita(ユキノシタの新芽が動物の顔のように見えた。)

昨日の朝、テレビの「朝ズパッ」を見ていたら、大手のイオングループがお坊さんの紹介業を始めたと報じていた。よく聞いてみると、お葬式の時のお坊さんのお布施がバラバラでわかりにくいので、お布施の額を明示してお坊さんを紹介するというものであった。チラッと見ただけなので記憶違いかも知れないが、二十五万、三十五万、五十万といった三種類の額ではなかったかと思う。葬儀と初七日法要と戒名料を含む額であるが、田舎寺の住職をしている私にとってはとても高額なお布施のように感じた。都会では葬儀屋がそれぞれお抱えの僧侶を持っていたりするし、下請けの寺院も多いようである。そうしたところにお布施の額を不透明にしている一因もあるのであろう。今一つこのシステムがわからないが、なかなか興味深い制度ではないかと思うが、仏事は僧侶個人の宗教観によっても大きく違ってくる。質の高い僧侶をどれだけ集めることができるかによってこのシステムの成功がかかっているような気がする。ただそうした僧侶にとってはお布施の額ではなく、初七日以降にどれだけ本当の供養をして行けるかということであり、一見客で終わるならしない方がましである。しかしそうしたシステムを利用される方は、むしろその時だけを望まれているのかも知れない。

昨年少し離れた地方の町へ客僧として呼ばれたことがあった。葬儀会館の寺院控え室には五名の僧侶が来られていたが、私は全く知らない方々であったのでおとなしくその方々の世間話を黙って聞いていた。するとこの地方では葬式の後に初七日をすると、その後は何もなく三十五日目に満中陰忌をするらしい。通夜もほとんどないということであった。時代の流れとはいえ、そこまで簡略化になっているのかと驚いた。僧侶にとっては葬式の当日と満中陰忌法要だけで終わるならこんな楽なことはないが、遺族と僧侶の関わりが薄くなり仏法のすばらしさを説く機会も減ってしまう。ますます遺族と寺院の隔たりができるのではないかと思った。この僧侶紹介システムも、現代の寺院離れを助長する結果にならなければ良いのであるが・・・

小さな子供の仏性

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(枯葉の中からアマガエルが冬眠から覚めたのか、顔をだしていた。)

昨日は隣町で法事があった。私の寺のある村の一番奥に住んでおられたのであるが、三十年ほど前に隣町へ移り住まれていた。施主さんと私は一学年違うが、一緒に小学校へ通った幼馴染みである。六年前に父親を亡くし、二年前にその後を追うように元気だった母親が亡くなった。今回は父親の七回忌と母親の三回忌の法要を行ったのであるが、父親の方は一年余り早い七回忌である。おしどり夫婦で仲の良かったので法事も一緒にしたいという施主さんの思いもあって併修の法要となった。施主さんの母親の葬儀の数日前に生まれたばかりであった長男の子供は女の子で二歳半になっている。お経を唱えていると後ろで一人ブツブツとハイテンションでしゃべっている声がしていた。大人ばかりの中にあって一人愛嬌をふりまいているようだ。私の唱えている理趣経というお経は、木魚などは一切使わず、十九節に分かれている切れ目におりんを打ち鳴らすのであるが、そのおリンの音が面白いらしくその度にキャッキャッと笑うようである。そしてお経の間は私の声に合わせて何やらブツブツと言っているが、本人はお経のつもりなのかも知れない。生れてきた時には亡くなっていて顔も知らないおじいちゃんとおばぁちゃんであるが、小さな彼女の体には間違いなく一族の血が流れている。彼女にとって何もわからないうちに経験した四十九日、一周忌、三回忌と続いた三回目の法縁であるが、とってもすばらしい仏性が育っているように思った。きっと亡くなられた施主さんの両親もあの世で微笑まれていたのではないだろうか。自宅での読経を終えて、施主の息子さんの車の後部座席に母親とその女の子が座り、私は助手席に乗せて頂きお墓へ向かったが、好天に恵まれ新緑がまぶしかった・・・

塔婆建立の功徳

ohebiichigo(オヘビイチゴの黄色い花があちこちに咲いている。)

私は新しくお墓を建てたりする方には、「塔婆立てを作っておかれた方がいいですよ」とアドバイスすることがある。最近の墓は墓石店などがサービスでつけてくれるところもあってほとんど備えているが、少し古い墓になると塔婆立てがないので墓石の後ろに立てかけるか、寝かせて置くぐらいしかできなかった。強い風が吹くと散乱してしまうのですぐに塔婆を処分される施主家も多かったのである。また、霊園によっては美観が悪いので長く立てさせてくれないところもあるようだ。お墓参りをさせて頂いていると、「この塔婆はいつまで立てていたら良いのですか」というような質問を受けることが多い。私は「昔は朽ち果てるまで立てていたものですが、今はそうはいかないと思います。供養の証ですから少なくとも一年ぐらいは立ててあげて下さい」と答えている。

塔婆は仏様の身体そのものと考えられ、それを建立する五つの功徳が経典に説かれている。それを紹介すると、「一つは、塔婆は仏様の姿であるので、一基建立することは、仏像を一体建立するのと同じ功徳がある。二つ目は塔婆を建てることにより、仏様に対する崇敬の念と、霊位に対する報恩と感謝の念を増すことができる。三つ目は塔婆を見ることは、人と仏様とは五輪の姿、形として根本において同じであることを教え、仏心を目覚めを促すはたらきを持っている。四つ目は塔婆供養は、回向するところの霊位を安楽の境界に導き、仏果を増す。五つ目は塔婆は志すところの霊位だけでなく、それを目にするものすべてに同じく利益を及ぼし、あの世とこの世を結ぶアンテナの役割を果たす。」

行年と享年の違い

ebine(山草の一つであるエビネというランが境内のあちこちで咲いている。)

先日お参りに行った先で、「お位牌の裏に行年と彫ってあるものと、享年と彫ってあるものがありますが、どちらでも良いのでしょうか」と尋ねられた。その二つの位牌を見ながら私は「ほんまですねぇ、位牌を製作した仏具屋さんが違うので書き方も違っているんですけど、どちらでも意味合いは似たようなものです」と答えた。

「行年」は経過した年数という意味で、この世に生きながらえた年数を意味し、「享年」は天から享けた年という意味で、死んだ時の年である。勿論仏教では行年も享年も数え年で、生まれてきた年を一歳と数える。母親が受胎した時を生命の始まりとし、母胎で成長する期間を入れて出産した時を一歳と数えるのである。よく新聞などにはほとんど満年齢で掲載されていることが多い。そうした場合、亡くなった月日までに誕生日がきていれば一歳を足せば良いが、誕生日がまだであったら二歳を足せば数え年になる。

近畿楽寿観音霊場会の総会

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(石垣の隙間にキキョウの花が可憐に咲いていた。)

昨晩は近畿楽寿観音三十三ヵ所霊場会の総会が琵琶湖を一望できるホテルであった。今年で創設二十二年目であるが、このところ総会への出席寺院が減っている。霊場会発足時の住職も数人亡くなっていることもあり、その熱い思いが薄れてきているようだ。せめて一年に一回の総会ぐらいは全寺院の方々に出席して欲しいと願ってきたが、私が事務局を引き受けたこの六年間で半数どころか三分の一にも満たない状況であった。今回は新役員を決める大事な会議であるが、ほとんど今までと変わらず予想通り寂しい総会である。ただ私としてはこの霊場会のキーマンである事務局を降りることができたのは何よりも嬉しく、心なしか気持ちは弾んでいた。

この霊場会の良いところは、真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗、浄土宗といろんな宗派の寺院が入っておられ、いろいろな情報交換ができるところである。今回会長様になられたのは、曹洞宗の方で七十二歳というお歳であるが、艶々としておられバイタリティーがあり十歳ぐらいは若く見える。曹洞宗の近畿ブロックの役職もしておられ、今年一年はその役職とダブルらしいが、お引受けしていただいたのは本当に幸運なことであった。設立当時からこの霊場会に熱心に携わってこられ、まさに適任である。同じ宗門の若い方が事務局を引き受けて下さったのもこの会長のすばらしい人柄を慕うが故のことで、師弟関係のような強い絆が垣間見える。今までこうした人事はなく、新しい会長と事務局に大いに期待が持てるし、私も陰ながら支えて行きたいと思った・・・。
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