ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2010年09月

多忙な合間に

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(セリの花が咲いていた。)

この九月は今までになく大変忙しい。本当はそれどころでないのであるが、重苦しい胸の内を吐露することもできず、粛々と檀務に励まなければならない。これも仏様からの試練であろう。昨日も檀家様のお葬式があり、法事や水子供養などとも重なって目一杯の一日であった。前日の通夜も、いつもであれば短い法話をさせて頂くのであるが、そんな心境にはなれずお経が終わると一目散に帰って家内の体調を気遣わずにはいられなかった。おかげさまで、周囲の知人や皆様の祈りが効いているのか、まだ大きな痛みは出ていない。二十四日のPET検査で、手術はできないので入院して抗がん剤の投与を告げられていた。医者に罪はないが、些細な事務的な言葉が私たち夫婦の心には辛く厳しいものとなって突き刺さった。現実を受け止めていたつもりであったが、やっぱり動揺が走る。娘の高校が二学期制の期末テストで二十八日まであるのと、私自身も火曜日に遠方で法事が入っていてどうしょうもできないので、水曜日の二十九日からの入院にして頂いた。本当は一日でも早い方が良いのはわかっているが仕方ない。希望をもって頑張らなければ・・・



本当に言いたかった事

zizou3(病気平癒を祈って特別に作って頂いたお地蔵さん。顔の表情がとてもかわいい・・・手に五つのハートを持っている。家内の親友から今日届き、感激して掲載。)

今日は、月末の水曜日に焚く予定であった毎月定例の護摩を一週間繰り上げて行った。来週の予定がわからないのでなるべくできるうちにと思い、一週間前に常連の方々に連絡して予定を早めたのであるが、彼岸入りの三日目で十五夜でもあり、思ったよりたくさんの方々がお参りして下さった。その中に一人の常連のおばぁちゃんが護摩堂に最後まで残られ、何か私に言いたいようであったが、そんな間もなく修法が終わり本堂へ向かって歩いているところに小走りに近寄って来られた。「おじゅっさん、後で話しを聞いて欲しいんですけど・・・」と言われるので、「あーそうですか、何か怖いてすねぇ。食事の後にそちらへ行きますわ。」と言ってその場を別れた。本堂でのお勤めを済まし食事の接待をしていると、母親が「・・さんが水子霊園に屋根をつけて欲しいと言ってはるわ」と話しかけてくるので、「話というのはそのことやなぁ」とすぐに思った。

食事が終わった頃にそのおばぁちゃんの横へ行くと、「皆で話していましたんやけど、若いうちは良かったんやけど年を取ってきたらもう水子地蔵さんの面倒を看れしまへん。あそこに屋根をつけてもらえませんやろか」と言われるので、「そうですね、もう何年も前からそう思ってましたんで、早急に見積もりとってそんなに負担にならないようにさせてもらいます。」と言うとニコッと微笑まれた。はっきりものを言われる性格であるが、信仰心は人一倍強い。私はすぐに思った。おばぁちゃんの言いたいことはこれだけではないはずであると。一緒に水子霊園を見に行ったら案の定、「おじゅっさん、今まで書きためたお写経が、今日でちょうど千巻になったんですわ」と話される。私は「すごいですねぇ、とてもそんな真似はできませんわ、ほんまに頭が下がります。」と言うと、「この間、米寿になりましたんやでぇ」と更に言われるので、「それは凄いですねぇ、私も見習わなあきませんねぇ」と返すと、満面の笑みになっておられた。おばぁちゃんの生き甲斐はお写経で、昔から私に褒められることがとても嬉しいようである。初秋のさわやかな風が吹き、午後の日差しが私たちをやさしく照らしていた・・・。

充実の護摩

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(草むらにイワギボウシの花が咲いていた。)

この九月は例年になく法事が多い。四十九日の満中陰忌の法要が二つも入ったせいもあるが、月に七つもの法事は今までなかったことである。幸いにも高二の娘が二学期制の期末テスト前で、この連休中は家に居て母親と楽しそうに過ごしてくれているので安心して檀務に集中できる。十八日と十九日はそれぞれ法事があり、いずれも午後三時から専願護摩が入っていた。今日は何も予定が入っていなかったのであるが、二日前に毎月焚かれている常連の方から護摩の予約を受けた。次の週でも良かったのであるが、家内の病気がどうなるか不安な為、早目にしておこうと思い、三日連続で護摩を焚くこととなったのである。さすがに三日連続の護摩は身体に堪える。朝から身体が重く倦怠感があるが、なぜか食欲は旺盛で美味しく朝食を頂き少しずつ元気を取り戻した。朝九時からの護摩に備えて前日の護摩の燃えカスを掃除していると、お不動様やお大師様の尊像の前に真新しい茶陶器が供えられていて、その横に母親愛用の線香が置いてある。気がつかなかったが、母親も私の知らないうちに家内の病気平癒を祈ってくれているようだ。有難い。

今日の施主さんは、毎月の護摩を焚き始めてもう五年以上経つ。一年に十二回、合わせると六十回以上の専願の護摩を焚いていることになり、熱心なお不動様の信者さんである。あれほど重かった身体が、護摩に入ると不思議なものでものすごい気力が漲って軽く感じられた。これもひとえにお大師様やお不動様のご加護のおかげであろうか。施主さんは私と同世代であるが、十年ほど前に乳ガンを患われ九死に一生を得て現在も定期的に通院しておられる。私は今までそうした事情を踏まえて一生懸命に病気平癒を祈念して護摩を焚いてきたつもりであるが、今日の護摩は少し違った。家内が同じような病気になったことに関連するのかも知れないが、施主さんと修法する私とお不動様が三位一体に感じられ、今までにない高い火柱が上がる中にはっきりとお不動様のエネルギーを観じれたのは大変な驚きであった。本当の意味で、今までの施主さんの辛さや苦しみを理解できていなかったのである。その思いを共有できたことで今日の護摩は大きな意味があり、初めて大慈悲のようなお不動様の心に触れた満足感があった。施主様の専願ではあるが、私の心の中に同じ共有の二つの病気平癒があったことは否めない。仏様はきっと大慈大悲の広い心で観ていて下さるに違いない。

孫の弔辞

batta3(一週間前に撮ったもので、庭にいたバッタ)

昨日は檀家様のお葬式があった。昨年より体調を崩されて養生されていたのは知っていたが、家族もこんなに早く逝かれるとは思っておられなかったようで、私自身も訃報を聞いて大変驚いた。今年の厳しい残暑と急激な朝夕の温度変化の影響もあったのであろうか。とても個性の強い方で、ユニークなしゃべり口調と独特な笑い声が強く私の印象に残っている。昨年の夏の豪雨で、経営されていたあまごの養殖場に被害が出て廃業を余儀なくされたことも心労の一つになっていたのかも知れない。昨日は斎場に隣接する会館で式が行われたが、たくさんの参列者で会場に入れない方々がロビーに溢れていた。そんなこともあって開始時間をわずかながら早目にして、役拝の奉読などは式が終わってからするように配慮した。

いつものように内式と外式の二部形式で式は始まったが、故人には遠方に嫁いでおられる娘さんがあって、八人の孫がおられる。その内の小学生ぐらいの男の子が孫の代表として弔辞を述べることになっていた。前半の内式が終わり、後半の引導作法に入るその合間に弔辞が組まれている。私は棺の前に座っていてその後ろでの弔辞で、後ろを振り返るわけにはいかず全く様子を見ることができなかったが、会場内のスピーカーから聞こえてくる声はしっかりとしたかわいい子供の声である。毎年のお盆には必ず遠方から遊びに来ていたようで、亡くなられたおじぃちゃんとの思い出やエピソードを語ってくれた。私はその弔辞を聞きながら、孫と故人の血縁の深さだけでなく、母親からの愛情をしっかりと受けて優しい子供に育っておられるなぁと感心していた。勿論のこと、一番喜んでおられるのは故人に違いない。孫の心の中でしっかりとおじぃちゃんは生きておられる。

ふと思うに核家族化と高齢化社会にあっては、子供がお葬式に参列すること自体が少なくなっている。ましてやこのような形でお葬式に参加できることはとても貴重な体験であろう。身近な祖父の死を悼むことで、命の大切さを知る機縁ともなり、また更に大きく成長されるに違いない。すばらしい弔辞で私の諷誦文も霞んでしまったが、それよりもさわやかな慈愛に満ちた孫の声の余韻に酔いしれていた・・・。


前向きに一歩ずつ

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(裏庭にひっそりと今年二回目のキキョウの花が咲いていた)

ここ数日、突然のお葬式などが入り法事と重なったりして忙しくしていた。たくさんの方々から有難い励ましの言葉を頂き、お礼と近況報告をしなければと思いながらも何かパソコンに向かう気にならないでいたが、ようやく落ち着き始めている。先週の悶々とした辛い一週間に比べると気持の上でも断然違い、少しずつ前向きに考えられるようになった。五年前に咽頭ガンで逝った私の父親の看病をしてきただけに、自分も同じようになるに違いないという恐怖心もあってか、終末論を言うようにもなっていた。私自身もそんな彼女を励ましながらも、心のどこかに絶望観のような重苦しいものを払拭できないでいたのである。しかしたくさんの方々の励ましに加え、家内の親友がわざわざ遠方から激励に駆けつけてくれたりして、家内に笑顔が戻ったことが何よりも大きい。元々笑うことが大好きな彼女だけに、学生時代の親友との談笑はこの上もない特効薬になったであろう。まだまだこれからの道は険しいが、とりあえず二十四日の病院の検査以降も希望を持って前向きに生活して行けるに違いない。回りの方々の温情に感謝しながら・・・

ちょうど一週間前に専願の護摩を焚き、当病平癒を祈念した。前日に県立のガンセンターで初診を受けたあくる日で、まだ本人の身体が元気なうちにあわてて修法したものである。それから思えば一週間経ってお互いに随分と気持ちの変化があったことに驚く。その時はどうしてすぐに処置をしてもらえないのだろうかという不満と現実逃避の気持ちがあったように思う。なかなか火勢が出なかったところにその苦悩が現れていた。次回からは私だけの単独の祈願となるが、私にできることはしておきたいと思っている。

読者の皆様には激励のメールなどを頂き、心から感謝申し上げます。  知憲 拝



末期の子宮ガン

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(おんぶバッタが裏庭の豆の葉っぱにいた。)

お盆が明けた頃、家内がちょっと違和感があるので産婦人科へ行って来ると言って出かけた。帰ってきて「どうやった」と聞くと、「卵巣の腫瘍かもしれへんわ、紹介状を書いてもらったので来週に柏原病院へ行って調べてもらうわ」と軽い口調で、本人もそんなに深刻に考えていなかった。紹介された病院で精密検査を受けてすぐに「今から予約を取りますので、明石のガンセンターへ行って下さい」と言われ、その事態の重さに改めて気がついたようである。その時に問診を受けながら、担当医の書いているカルテを見たら「子宮体ガン、骨に転移の疑いあり」という文字が目に入ったと言う。自宅へ帰ってきて専門書などで調べてみると、すでに最終のステージまで進行していることがわかった。ある程度覚悟していたこととはいえ死刑宣告を受けたような気持で愕然となった。家内は今まで病気一つなく健康体であっただけに油断があったのであろうか。まだ四十四歳で、来年は子宮ガン検診を受けないかんなぁと話していた矢先のことで悔やまれる。

その紹介された県立のガンセンターの予約日が九月七日であった。仏様は私たち家族に試練を与えて下さっている。末期の子宮ガンであることが判明して、そのガンセンターの予約日が来るまでのその一週間は長く長く重い重い時間に感じた。私も家内も泣き尽くし、精神的に不安定で様々な思いが胸裏を駆け巡る。「なぜ私の家内がこんなに早く逝かなければならないのだろう」という思いもあって、不条理な現実を受け止めるのに数日かかった。しかし、子供の為にもくよくよしていられないという気持ちがお互いにあり、寺の本堂の仏様や仏壇に手を合わせていると不思議と気持ちが楽になって行った。私たちは仏様に生かされていると思えば、その命は大変有難い。それは人と比べるものではなく、自分自身の定命をしっかり生きることではないかと考えれるようになった。病気も同じである。病気にならなければ見えないことがたくさんある。人間の弱さ、やさしさ、家族の絆など今まで気がつかなかったことを今思い知らされている。だからこそこの辛く悲しい思いは私たち家族の心を一つにし、これからのそれぞれの人生にプラスに作用するに違いない。

九月七日、わずかな希望を抱いてはいたが、予想通り最終段階の末期のガンであることが医師から説明された。後は何処まで全身にガン細胞が回っているかの最終検査を九月二十四日にして、治療方針が決定されることとなる。おそらく抗がん剤の投与しかないのではないかと思うが、それまでのこの十七日間の貴重な日々は仏様からの贈り物のようだ。まだ肉体的には何の症状も出ていない。それだけに家族だけでなく、今までお世話になった人とのふれあいが出来ることは彼女にとってどれだけ嬉しいことであろうか。そんな中、昨晩「この写真を使ってくれる」と、住職になった時に高野山へお参りにして一緒に撮った写真を手渡された。「これ何?」と聞き直さなくてもそれが葬式の遺影写真であることはすぐに推察できた。思わず家内の手を握りしめ、「何を心配しとるんや」と言うのが精一杯で、ポタポタと自然に涙がこぼれて落ちた・・・。時限爆弾を抱えているようなものでいつ爆発するかわからないが、こうなったら残された日々を有意義に過ごしたい。かすかな望みを捨てずに・・・  合掌

大きな闇の渦

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(キバナコスモスにセセリチョウが蜜を吸いにやってきた。)

我が家に大きな事件が起きようとしている。平穏無事の生活から一転するに違いない、大きな闇の渦に巻き込まれているかのようだ。九月七日にその結果がわかるまでのこの一週間は、どうすることもできない悶々とした苦痛の時間である。一筋の光明が射すことを祈りつつ日々の檀務をしているが、内心は穏やかでない。この数日間で家族の絆はより強固になったが、この先どうなるのだろうかという不安で一杯である。また、数日後に内容を書ける心境にあれば、私の人生で最も大きな出来事になるかも知れないが、必ず記録に残して置こうとは思っている。今は現実を受け止めるのが精一杯であるが、ただただ幸運を祈るしかない・・・合掌。

水子供養の電話

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(木の枝にいるカエルを狙って痩せたシマヘビの子供がそっと近づいていたが、この後カエルは逃げてしまった。)

昨日の午後三時頃、男性の方から一本の電話がかかってきた。「あのー、そちらで水子供養をしてもらえるんですか」と切り出されるので、「ハイ、させて頂きますが・・・」と答えると、「どういうふうにして供養してもらえるのですか」と更に質問された。私は少し妙なことを聞いて来られるなぁと思いながら供養の内容を伝えたが、本当は実際に来て頂き体験してもらわないとわかるものではない。よくよく聞いてみると、三回目の水子供養らしい。一回目はわずか十分程度の読経だけで何か物足りなさを感じたという。二回目は受付で規定の水子料金を払い、今日は忙しいので後日に供養して御札を送らせてもらいますと言われ愕然とされたらしい。そうしたこともあって今回は慎重になられていたようだ。特に女性にとってはデリケートな問題で、ただ読経だけすれば良いというわけではない。水子供養をされようと思われる方は、心の何処かにせっかく宿った命を闇に葬ったという罪悪感がある。そうしたことを踏まえて施主さんと向き合い、傷心を癒す供養内容でなければ意味がない。

単に水子供養といっても、一般の年忌法要と全く変わらないぐらいの労力がいる。私の寺は田舎寺でそんなに多くはないが、それでもたまに二つ続けて水子供養が入ると疲れてクタクタである。昨今、水子供養をしているお寺が増えたことは良いことであるが、施主さんの心のケアなどはなおざりのような気がしてならない。供養に来られた仏縁をもっと生かしていかなければ、単なる片手間にしているアルバイトのようなものになるだろう。今までの経験からおそらく昨日の電話の方は私の寺へは来られないと思う。何故なら、私の寺では最低二回は寺へ来て頂くシステムをとっているからである。一回目は予約されて水子供養に来られた時と、二回目は予約なしでその時に開眼して授与したお守りを返却に来られる時である。お守りにご利益の期限があるわけではないが、およそ一年から一年半ぐらいを目安として、もう一度寺へお参りして頂き返却箱へ返して頂くのである。面倒かも知れないが、「ありがとうございました」という感謝の気持ちを仏様に伝えることによって、より確かな供養になるからである。現に水子供養に来られた三分の一ぐらいの方は、一年のうちに何度もドライブがてらに水子霊園をお参りされ、水子地蔵さんの前におもちゃやお菓子、花がたくさん供えられている。それが本当の供養の姿ではないだろうか。昨日の電話で最後に「私の寺では最低二回はお参りしてもらうようになっています」と、普段は絶対に言わないことを話の流れで言ってしまったことを、後から少し反省していた・・・。



浄土ってあるの ?

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(フラフラと何処からか飛んできたアゲハ蝶の模様が鮮やかだった。)

まだ住職でなかった頃、都会のお寺へ役僧として勤めていたのであるが、その時に「うちのおばぁちゃん今頃どこに行っていますやろか」と尋ねられたことがある。大変家族から慕われていた優しいおばぁちゃんだったようで、初七日は勿論、七日ごとの逮夜参りをきっちりと親族一同が全員集まって勤めておられた。ちょうど四七日のお参りをさせて頂いた時であったが、私は突然の質問に「そうですねぇ、大変情が厚い普賢菩薩さんが四七日の守り本尊ですので、きっとおばぁちゃんに慈悲を垂れて寂光浄土へ導いて下さっていると思いますよ」と言った記憶がある。その時にとっさに思いついたことを言ったのであるが、本来なら私は仏様でも神様でもないので、おばぁちゃんの行き先などわかるはずもなく正直に、「私にはわかりません」と答えるべきではなかったかと悔やんだこともあった。しかし私は今でもたまに同じような質問をされると、「私もまだ死んだ経験がありませんが・・・」と前置きしながら、私の学んできた宗教観と拝んでいる時に感じたことを言うようにしている。自分の学んできた仏教の教えに基づく信念と観想を率直にお話することで、少しでも親族の気持ちに誠実な対応になればと思っているからである。唯我独尊・・・少し傲慢であろうか。

同じ仏教でも宗派によって死後の考え方が違うが、一般的には阿弥陀如来の「西方浄土」がよく知られている。私の宗派では「密厳浄土」又は「密厳仏国」といい、大日如来を中心として諸仏の浄土は十方にあり、阿弥陀如来の西方浄土、あしゅく如来の東方妙喜世界、薬師如来の東方浄瑠璃世界、弥勒菩薩の兎卒天なども含まれている。四十九日の忌明け満中陰忌では薬師如来に導かれ、東方浄瑠璃世界で仏教の新人研修を受けてこれからの長い修行生活に入られると私は信じている。すべては仏様任せであるが、死後の浄土の世界を信じることで、より良い現世を送れるのではないだろうか。浄土宗であれは白木の位牌に阿弥陀如来を表す「キリク」という梵字を書き、真言宗であれば大日如来を表す「ア」という梵字を書く。これはそれぞれの浄土の仏様のところへ帰入することを意味している。宗派によっては浄土の世界に否定的なところもあるようだが、浄土を受容し帰る世界がある方を私は信じて生きたい。その信心から逮夜参りを重要視しながら、亡くなられた故人の気持ちと供養する側の気持ちが一つになることで、残された親族にも安心が生まれ良い仏縁が育つことを願っている。


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