ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2010年10月

墓地に玉砂利を入れたい・・

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(岩陰に生えていたノジギク。)

昨日は金曜日で平日であったが、四十九日の満中陰忌の法要が入っていた。納骨の予定もあり接近している台風の影響を心配していたが、幸いにも曇り空で何とかできそうである。自宅で法要をしていると一匹の蝶が白木の位牌のあたりから飛び出し祭壇の横に立てている塔婆にとまってジッとしている。法要が終わる頃にはいつの間にか何処かへ行ったらしくいなくなっていた。何か故人の旅立ちに合わせたかのようでもある。納骨法要も無事に済んで、その後すぐに寺へ仕上げ参りに来て頂き、予定時間を二十分程度オーバーしていたが、法要をした施主家に戻った。中陰檀もきれいにかたずけられ、その後に整然とお膳が並べられている。そのお斉(とき)の席で、私の左側に座っておられた方から、「おじゅっすさん、ちょっと教えてほしいんですけど」といきなり声をかけられた。法要の時から後ろの方で般若心経など大きな声で唱和されていて、仏事に慣れておられるようで好意的に感じた。

尋ねられたのは、お墓に草が生えて困るのでシートを敷いて玉砂利を入れても良いかということであった。私は「草の生えない黒いシートを敷くとお墓の中の空気の流れを遮断することになり、余りよくありません。玉砂利ぐらいなら良いと思います」と答えた。お墓のカロートにはお骨があり、自然の程良い湿気や空気が入ってこそ生きているお墓となり、草や苔が生えるのも自然の姿である。墓地には天地自然の生気の循環が必要で、その循環が遮られると生命力が失われ良くない。コンクリートなどで塗り固めるのは最も良くなく、地の生気を殺してしまって家運も衰退してしまうことがある。玉砂利も厚く敷くと自然の循環を妨げるので薄く撒く程度にされたら良いだろう。面倒ではあるが、墓石を洗い草抜きをすることでご先祖様も喜ばれるに違いない。いつであったか、墓参した時に「墓石に水をかけても良いのですか」と聞かれたことがあった。テレビで有名な占い師が石塔に水をかけるのは良くないと言ったことを受けてのものであるが、先祖代々墓参した時には石塔に水をかけてあげ、少しでも早く土になり水になって自然に還って欲しいと祈ったものである。水は万物の生命を育む為に必要なもので、ご先祖の喉を潤し自然への速やかな還元になるもので多いに水を手向けてあげて欲しい。

他にもいろいろと尋ねられたりしたが、美味しい幻の焼酎を頂いていたせいもあってほろ酔い気分で余り覚えていない。亡くなられた故人もお酒の好きな愉快な方であったので、お酒も自然と弾んだのであろう。いつもの法事よりも一時間余り長居をしてしまった・・・

寺に祀られた中陰檀

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(境内の満中を流れる谷川の淵にシュウメイギクが満開になっている。)

先週に亡くなられた檀家のおばぁさんのお骨と、それを祀る中陰壇を持って今日葬儀屋さんが寺へやってきた。後継ぎである息子さんは都会に自宅を持っておられ、田舎の実家へは戻って来られない意向である。おばぁさんが亡くなられて四日間は実家で過ごされて祀っておられたのであるが、そう長くは会社を休むわけには行かず、かといって誰もいない実家にそのまま祀っておくわけにもいかず相談を受けていた。親戚もこの村にたくさんあり、本来なら身内のところでお祀りしてあげるのが一番良いが、それぞれ事情があるのであろう。幸いにも逮夜のお参りが日曜日に当たっており、二七日のお参りの時間の約束をして帰られた。

十一月は月例の護摩、水子大祭、大師講、合同法事とたくさんの行事があり、何もこんな時期に預からなくてもと母親の愚痴も聞こえてきそうであるが、誰もいない家に祀ることだけは避けなければいけないという妙な僧侶の使命感みたいなものが沸いてきたのである。母親は毎日、朝昼晩と三回のお膳を亡くなった老僧の仏壇に供えているのでついでにと思ったが、なかなかそう容易いものではないようだ。私としては一日に三回も供えるのは大変なので一回にしたらと言うのであるが、生きている人間と同じようにしてあげなければという拘りが強い。確かに今までたくさんの中陰壇を拝んできたが、しっかりとお供えをされてよく拝まれているところは満中陰忌の法要の時に何故かお経の声がよく出るし、お薬師さんの姿をはっきり観想できることが多い。そして気持ちよく彼岸へ渡って頂くことができるが、逮夜のお祀りや読経が不十分であれば満中陰忌がきてもウロウロと迷って魂はこの世にとどまり不成仏霊となることもある。

この方のように相談してもらえたから良かったが、誰もいない家に祀られて、何も知らずに日曜日ごとのお参りをしていたかも知れない。そう思うと、私の母親には気苦労をかけるが、これで良かった。お葬式が終わるとほっとされて、後のことがおろそかになりがちであるが、本当の供養はこれからで、毎日のお供えと気持ちが大事であることを、逮夜参りをしながら伝えて行けたらと思っている。

納骨のハプニング

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(ススキが朝露に濡れていた。)

先月のことであるが、都会へでておられる檀家さんの納骨法要をさせて頂いた。都会の霊園にしては手続きが簡単で、霊園の事務所に埋葬許可書を提出しておくだけで後は勝手にどうぞといった感じであった。霊園の方が立ち会うでもなく、石屋さんも来られずに施主さんまかせである。石塔を建てて二十年余り経っているので、当時の担当者もいないのであろうか、都会の納骨ではめずらしい光景だ。仕方なく私が指示して納骨の準備が進んだが、カロートのフタを開けてみるとすでに四つのお骨を包んだ袋がある。墓碑には三人の戒名しかなく、施主さんの父親を含めて四人目で一つ多い計算になる。施主さんはそれを見て「もしかしたら・・・」と口を濁された。何か思い当たるふしがあるようだ。よくよく聞いてみると三年前に九州で伯母が亡くなったが、一人暮らしで身寄りがなく、もしかしたら父親が遺骨を引き取ってこのお墓へ入れたのかも知れないということであった。今となってはそれを確認するすべもなく、どれがどの方のお骨なのかもわからない。

施主さんは私に「どうしたら良いでしょうか」と聞いて来られるので、私は「まさか赤の他人のお骨でもないと思いますし、少なくとも当家に縁のある方と思いますのでこのままにしておかれてはどうでしょうか。俱会一処という言葉がありますように、多くの人々がともに一所に集まり会うのが仏の世界ですから・・」と言うと、「そうですね。今さらどうしようもできないですものねぇ」と苦笑いされていた。昔は土葬でこうしたことはなかったが、今はほとんど火葬である。火葬にしたのはいいが、身寄りがないとお骨の引き取りに困ってしまい、親類縁者などが仕方なく引き取って寺へ預けるか、こうした方法になってしまうのであろう。思わぬハプニングに驚いたが、亡くなられた施主のお父さんの人の良さを感じる出来事であった。持参した組み立て式の机を設置して、携帯式の線香立てに焼香用の炭の火を点けて納骨法要の準備をしていると、何処からともなく蝶がヒラヒラと飛んできた。故人の霊を道先案内でもしてくれるかのようだ・・・

剣道の効験

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(庭のキンモクセイが良い香りを放っている。)

昨晩、高二の娘を剣道の道場へ連れて行き練習から戻ると午後十時半になっていた。昨日は部活を終えて午後七時過ぎに電車で帰ってきたのであるが、課題テストがあるので道場へは行かないと思っていると、「先生方にお礼を言いたいので練習に行く」と言い出し重い防具を持って帰ってきていたのである。三日前の日曜日に三段の昇段審査があって合格したことを電話で報告していたのであるが、本人としては直接会ってお礼を言いたかったのであろう。娘は兄と違って中学生になってから剣道を始めたのであるが、同級の女子部員は娘一人であり指導する先生にも恵まれず、道場の先生方を唯一の頼りにしていた。性格的に控え目で優しすぎるので剣道に向いていないのではないかと、中学校時代の担任の先生から指摘されたこともある。高校になってからは仲間に恵まれたが、様々な先生方にそれぞれ違った指導を受けることもあってか、かなり迷って悩んでいた。団体戦でも一人勝てずに仲間の足を引っ張ていたが、部活を休むことなく家に帰ってからも素振りを欠かさず地道に努力していた。そんなこともあってか、先々週にあった高校の新人戦では、中堅という難しいポジションで一度も負けることなくチームの勝利に貢献できたことが大きな自信になったようだ。

三段の昇段審査も春に受けて落ちており、二回目の挑戦であった。高校になってからは道場へ行く回数が極端に減ったが、昇段審査の為にこの三ヶ月余り欠かさず道場へ通っていた。熱心に指導して下さった先生方のおかげであることを本人が一番自覚している。テスト勉強をしなければいけないにもかかわらず、、先ずは先生方に感謝の気持ちを伝えようとする娘の姿に成長を感じる。道場から戻って風呂へ入り、勉強を始めたのは十一時半ぐらいであったが、私はすぐに寝たのでいつ頃寝たのかわからない。少しでもゆっくり寝かしてやろうと思っていたが、私が起きて部屋を覗くとすでに勉強をしていた。疲れて頭がボーとするのでしばらくして寝て、早朝に起きてしていたようだ。高校の剣道部へ入ってから一年半余り、自分の本来の力が出せず苦しみ悩んだが、ようやく遅咲きながら開花しようとしている。剣道のおかげで随分と精神的に鍛えられて強くなった。高校へ通い始めた頃、部活が終わって剣道独特の汗臭い匂いのまま電車に飛び乗ると、乗客の男性から「臭い、あっちへ行け」と怒られ、ショックを受けて泣きながら帰ってきたのが今となっては懐かしく思えてくる。疲れているにもかかわらず、防具を担ぎ竹刀と通学バックを両手に持って学校へ行く後ろ姿が頼もしく見えた・・・。

念願の位牌の性根貫き

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(ルドベキアの花に蝶がとまっていた。)

ちょうど一週間余り前の事、十年ほど前に村を出られて空家になっていた施主さんから仏壇と位牌の性根貫きを頼まれていた。空家になってもう随分と年月が経つが、五年ほど前に奥様が寺へ来られて「年老いて先祖の供養ができないので永代供養をお願いします」と言われたことがある。その時に後継ぎがいないので、祖父母や父母の五十回忌までの供養がどれくらいあるか確認され、その供養料を包まれて本堂にお供えされていた。そんなこともあってか、それから数回の年忌法要があって案内を出させて頂いたが、いずれもお参りできないので寺の方でしておいて下さいとの返事であった。奥様としては父親の法事ぐらいはしてあげたいという気持ちは持っておられるのであるが、養子であるご主人の理解が得られないようである。供養料を払っているからという気持ちがあるからであろうか、少し供養に対する考え方が普通とは違うようだ。

私が一番気になっていたのは、引っ越しをされたのにどういうわけか仏壇だけは置いていかれて位牌もそのままになっていたことである。先代の亡くなられたおじぃさんは寺の総代を何期も務められ、私の衣の他に寺にもたくさんの寄進をされていて信仰の厚い方であった。熱心に仏壇も拝まれていたので、本尊様や他の尊像などにもかなりの念が入っている。放置されて一番悲しんでおられるのは先代のおじいさんではないだろうか。どういう心境の変化があったのか知らないが、ようやく性根貫きを申し出られたことに私は内心安堵していた。

朝十時の約束であったが、朝から久しぶりの雨が降り続いていた。十時ちょうどにお伺いして数年ぶりに座敷に通じる木戸をくぐると、きれいに掃除してある広い裏庭は昔のままである。縁側のガラス戸を開けて待って下さっていたようで、「こんにちわ」と言うとすぐに、「お世話になります」と奥様が出て来られた。早速、性根貫きをさせて頂く用意をしていると、奥様が「ようやくこの家が売れました」と話され、仏壇は次の方が使われるので位牌の処分もして欲しいとの事で、引っ越したところにはすでに仏壇を祀っておられるようだ。この性根貫きにあたって、二十数本あるお位牌の戒名を一つの大きな位牌にまとめて新しく作られていた。仏壇屋さんに相談されたようである。念入りに性根貫きをさせて頂きながら、小さい時分から大学の卒業まで孫のようにかわいがって下さったおじぃさんの姿が私の脳裏をかすめ、何か複雑な思いであった。すべての作法が終わり帰路に着いた頃にはシトシトと降っていた雨も上がり、私の気持ちを代弁するかのように晴れ間が広がっていた・・・

専願護摩に見た母性

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(池のほとりに時期遅れの彼岸花が咲いていた。)

気がつけばもう十月の六日、九月は公私共に多忙であったので、少し前に依頼されていた専願の護摩を伸ばしていたが、少し落ち着いたので数日前に連絡して本日焚かせて頂いた。一ヶ月余り前から、早朝に遠方からお参りに来られていて一生懸命にお不動様に祈っておられる一人のご婦人の姿を頻繁に見かけるようになっていた。母親が相談に乗っていたようで、三十歳を過ぎた息子さんの目の奥に原因不明の腫瘍が出来て視力が悪くなっていて、このまま進むと失明の恐れもあると言う。たくさんの医者に診てもらったらしいが、命に別条はないものの手術もできず、治療方法もわからないらしい。当然、仕事を辞めざるを得なくなり家に居るようで、母親としても何とか視力が戻り仕事をして欲しいという一心で、常瀧寺のお不動様に息子さんの病気平癒を祈られていたようだ。

私は護摩堂で準備をしていると、午前九時の約束の十分前に来られて先に本堂とうなずき地蔵さんにお参りされている。お参りが終わった頃を見計らって、護摩堂から「どうぞ」と声を掛けると、「お世話になります」と言われ、ご婦人と息子さんが護摩堂の石段を登って来られた。修法に必要な情報を聞き、早速修法に入った。初めての場合、なかなか良い火が上がらず苦労することが多く今回も例外ではなかった。松明が檀木の間から滑り落ち、釜の下で燃えている。それを拾い上げることもできず、仕方無く二本目の松明に火をつけたが、途中で消えてしまい再度挑戦するも、これまた消えてしまった。こんなことは今まで初めてのことで、少し焦ってしまい完全に修法のリズムが崩れていた。何とかしなければと思っていると、不思議なことに最初に落とした松明の火が大きくなって檀木を燃やすまでになっている。釜の深さは三十センチ以上もあるのに、よく火が届いたものだ。そんなハプニングもあったが、何とか一時間余りで焚き終えるとご婦人の顔が緊張感から解放されたようなほがらかな顔に見えた。

修法の後に少しお話をさせて頂きながら、初回なので特別に用意したお守りを護摩の残り火にあぶって授与したのであるが、それまでしっかりと両手を合わせて祈念しておられたのであろうか、手のひらが真っ赤である。その傍らで、母親が「来月もお願いしたいです」と言われるので、「事前にお申し出下されば、させて頂きますよ」と言うと安心されたようである。まだまだ成就には時間がかかるが、お不動様におすがりしようとする素直な気持ちが湧いてきたのであろう。息子を思う母親の気持ちが痛いほど伝わってきた。私も仏様への感謝の気持ちを忘れず、頑張らなければ・・・

兄妹の気遣い

zerafinsasu(庭に咲いていたゼラフィナス。)

二十九日に家内が入院した。翌日から抗がん剤の投与が始まったようだ。末期の子宮体ガンであることが判明して、ここまで来るのに約一ヶ月かかっている。その間いろいろなことを考えて苦しみ辛い日々であったが、入院手続きを済ませて病室へ行き同じ病気で闘っておられる方々を目にすると、私たちも頑張らなくてはと勇気を頂く。家内の治療が始まったことで、何か安堵感みたいなものが込み上げてきたが、本当の戦いはこれからである。

二十九日の午後七時頃、突然に息子から電話がかかってきた。「今さっきお母さんの病院へ行ってきたので、午後九時頃に家へ帰るから」という電話である。入院することを知らせていたが、まさか当日に来ることは家内も私も全く知らず青天の霹靂であった。私が病院を後にしたのと一時間違いで、もし事前にわかっていたら待っていて一緒に帰っていたのに残念である。息子も迷っていたらしく、後で後悔するのは嫌やと思う気持が強くなってきて、授業が終わってすぐに駆けつけたと言う。そのまますぐに下宿へ帰るつもりでいたらしいが、妹のことが心配で自宅まで帰ってきたようだ。高二の娘は、母親と姉妹のように育ってきたので、寝るのもそれまで母親と一緒であり、今回初めて一人で寝なければならず私としても少し気になっていた。その日は夜遅くまで兄妹でしゃべっていたらしく、朝起こしに行くと母親の布団に息子が寝てその横に娘が寝ている。小さい時から仲の良い兄妹であるが、こうした逆境になって一段とお互いを気遣っているようだ。

娘は二学期制の公立高校で、前期の試験が終わって九月の二十九日から十月の三日まで五日間の前期休みがある。しかしながら十月三日は部活の新人戦で、その試験中の遅れを少しでも取り戻す為に部活に専念しなければならず、本当は母親の入院に立会い付き添いをしたかったであろうが、担任の先生から「あなたが勉強や部活に頑張ることが一番お母さんを喜ばし励みになることやから」と言われているようで、自分の今しなければいけないことを一生懸命やってくれている。幸いにも入院は一週間程度で、後は通院で経過を診る予定であり、娘にとってはどんなにか精神的に心強いことであろう。今朝起こしてあげようと部屋へ行こうとしたら、録音機能付きの目覚まし時計から母親の声が流れていた。ちょっとした家内の気遣いが嬉しい。やがて元気に娘が起きてきた・・・
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