ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

2010年12月

倶梨伽羅龍王の御前で

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(庭の山茶花が満開になっていた。)

昨日はお不動様の今年最後の縁日であった。午前十時から倶梨伽羅龍王の前でお焚き上げの供養をすると言っていたのであるが、前日に急な役僧が入ったので一時間余り繰り上げて修法した。天気予報も午後からは雨となっていて、どんよりとした曇り空からはいつ雨が落ちてきてもおかしくない状況であった。私一人であれば中止していたかも知れないが、何人かの熱心な方がお参りされると聞いていたので、何としてでも焚いてあげなければと思う気持ちがあった。早朝から倶梨伽羅龍王の前の砂利を除け、檀木を井形に組んでその回りに性根貫きをした位牌や塔婆などを並べた。本来なら柴燈護摩のようにヒバで覆っても良かったのであるが、今回はお焚き上げの供養をメインとして倶梨伽羅不動様の供養を兼ねているので正式な護摩の形式に拘らなかった。

檀木を組んだ前に薄いムシロを敷いてそこに座り、以前に遠方の信者様から贈って頂いた「倶梨伽羅不動勤行常用集」を読経した。冷え切った地面が私の下半身を容赦なく突き刺す。滝場から落ちる水のしぶきは時折吹く冷たい風に乗って霧吹きのように身体に降りかかる。わずか三十分余りの勤行であったが、私の身体は氷のように冷え切っていた。どうにか勤行が終わり壇木に点火しようとすると、風で松明の火がすぐに消えてしまう。何度かチャレンジしてようやく成功したが、今度は強風で一気に火が回りその火が私に襲いかかる。風向きがクルクルと入れ替わる中でしばらく我慢していたが、一陣の突風に耐え切れず立ち上がった。火勢が強くわずか十五分ぐらいでお焚き上げの位牌や塔婆などはすべて灰になってしまい、用意していた百八支の乳木を投げ入れる頃には鎮火していた。予定よりも三十分余りも早いので、最後に錫杖を振りながら般若心経を七回唱えて終了とした。

不思議なもので修法が終わりしばらくしてポツポツと雨が落ちてきたかと思うと、みるみるうちに本降りとなった。時計を思わず見たら午前十時を少し過ぎている。予定通りの時間であれば中止になっていたであろう。急用が入ったのも、火勢が強く一気に焚き上がって早く終わったのもすべて幸運で、ありがたいことであった。来年から一年に一回は倶梨伽羅龍王様の前で供養をしなければいけないと感じつつ、滝場の横に立ち尽くしておられる倶梨伽羅龍王様の顔をふと見上げると、何か微笑んでおられるような気がした・・・

臨済宗の「喝」に触れて

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(境内の雑草の上で紅葉の落ち葉が輝いていた。)

一昨日は、私の村から少し離れた集落にある自宅でのお葬式に招かれた。四人兄妹の父親が亡くなられ、その菩提の為に兄妹が二人で一人ずつ二人の縁のある僧侶を頼まれたようである。私はその兄弟のうちの一人が私の檀家さんへ養子に入っておられる関係で招かれ、もう一人のお寺さんは曹洞宗で妹さんの嫁ぎ先の菩提寺であった。招かれたお葬式をされるお寺さんは臨済宗で、導師さんの他に三人の役僧の方が来られていた。そのうちの一人の方は浄土宗の方で、面白いことに四つの宗派が集まってお葬式をすることになる。今でこそ交通の便が良くなり同宗で揃ってするようになったが、昔はこのように近隣の寺院が集まってお葬式をしていたもので懐かしい。

公民館が寺院の控え室となっていたが、私の村と同じで昼食はおにぎりと煮しめの炊き出しであった。寺の筆頭総代の方が世話役を務められていて丁重な挨拶を受けた。定刻に葬儀は始まったが、驚いたことに司会はいなく、式の進行は役僧の方が務められている。臨済宗のお葬式は初めての経験であったが、とても力強い陀羅尼の読経に共感するものがあり、持参した禅宗の経本の文字を夢中で追いながら読経に加わった。そうこうしているうちに前半の内式が終わり、席を改めて後半の野辺の送り(外式)へと入いった。弔電は誰が読み上げるのであろうかと思って見ていると、地区役の方が棺の前に出られて先に弔辞を述べられ、その後に弔電を披露された。弔辞は故人の生い立ちや生前の功績と感謝の言葉であったが、私のところでは導師が諷誦文の中で言うので重複してやりにくいのではないかと思っていた。ところが最後まで導師様の諷誦文はなく、式の最後の方に導師様が棺に少し近づかれて「喝」(カツ)と大声をあげられたのには大変驚いた。

葬儀の編成は似通っているが、内容は地域や宗派によって随分と違う。聞くところによると、地区役の方が弔辞を述べるのはこの地域だけの風習になっているようである。故人がこの土地で生まれ育ち生活して来られたからこそ、地域の方々から温かく見送られて旅立って行かれるのであろう。臨済宗のお葬式の「喝」は以前から知識として持っていたが、実際に経験してみるとすごい迫力である。歴史的にみると武家社会に君臨してきた関係か、読経も大きな声で「喝」によって死者を目覚めさせ蘇らせようとする意図があるのかも知れない。

今年最後の定例護摩

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(道端で見つけたプリムラのような花・・・)

昨日は今年最後の二十一日で、弘法大師の縁日であった。京都の東寺では「仕舞い弘法」と親しまれ、露店の店が並び賑わったようだ。私の寺では月末の火曜日にしている定例護摩を一週間繰り上げて、昨日修法した。朝から濃霧で視界が悪く快晴の予感があったが、九時前に護摩堂へ入る頃にはどんよりとした雲で覆われ肌寒い。家内がいないので母親がはりきって前日から食材を用意して昼の接待の準備をしている。私は参拝者の食事を並べる机をセットして護摩堂へ入った。約二十分余り瞑想して前行に入るが、入口の引き戸の隙間から外気がダイレクトに私の剃り立ての頭肌に突き刺さる。換気扇を回しているので外気が入るのは仕方ないが、ピンスポットで狙い撃ちのような状況は辛いものがある。本来は十時二十分頃に火天段となるのであるが、そうした寒さを紛らわせるかのような早目の修法で、十時過ぎに火天段へ突入した。

火の勢いが出るとそれまで寒々としていた護摩堂に活力が漲ってくる。かなり冷え込んでいるので室温がそれほど上がったわけではないが、私の五感は完全に火の虜となっている。参拝者の方々が護摩堂へ入場されるまでにまだかなり時間があった。予備の檀木を投入してもう一座分修法しながら時間を費やして待っていると、十時四十分頃に参拝者の方々が入いって来られた。いつもよりも多い。普段であれば護摩壇の両脇に十四人座れる長椅子で足りるのであるが、何人かの方が床に座っておられた。すぐに添え護摩に移り、約百本余りの添え護摩木を投入するのに約二十分余りかかり、最後に祈願文を奉読して全員で般若心経、慈救呪を唱えて今年の定例護摩が終了した。参拝者の方々の顔ぶれも今年になって若い方が数人増えたが、もう何十年も欠かさずお参りされている八十代半ばの高齢の方が七人ぐらいおられる。そうした高齢の方々が一人も欠けずに今年最後の護摩を焚けたのは、それぞれの信心の賜物であろう。

ふと思いつきで、一週間後の二十八日のお不動さんの縁日が雨でなかったらお焚き上げ供養を午前十時からするとこととした。一人でこっそりとするつもりでいたが、熱心なお参りの方々にも知らせてあげた方が良いかなぁとお勤めの最後に挨拶をしていてそう感じ、急遽お話したものだ。倶梨伽羅龍王を境内に祀ってから今まで供養をしたことがないので、お焚き上げの供養と兼ねて倶梨伽羅龍王の前で護摩を焚こうと思っている。

世代を超えた触れ合い

ityonoha境内の大きな苔岩の斜面にイチョウの葉が一枚突き刺さっていた。

先日、二十代後半と思われる娘さんが年老いたおばぁさんと三歳ぐらいの子供を連れてお参りされていた。ぼけ封じ観音さんへお参りに来られていたようで、杖を持ったおばぁさんの脇をかかえるように娘さんが寄り添って参道を登って来られる。その横で飛び跳ねながらかわいい女の子が落ち葉を拾い集めていた。何か微笑ましい光景に思わず見とれていると、私の視線に気がつかれたのか軽く会釈をされ「納経所はどちらですか」と尋ねられた。私は「こちらです」と誘導しながら、落ち葉を拾っていた女の子に目をやるとニコニコして母親のもう片方の手を引っ張っている。母親は「この子はお寺やお墓参りをしていると機嫌がいいんです」と話された。年老いたおばぁさんは娘さんを気遣いながら「この子は私の孫でその子供なんです。お寺参りにはこうしていつも車で連れて行ってくれるんですよ」と言われるその顔は本当に嬉しそうだ。いわゆる祖母と孫、ひ孫の三世代であるが、何かとても強い絆で結ばれているように感じた。

納経所へ案内すると、朱印を押している間に本堂へお参りされていた。しばらくして戻って来られたのでおばぁさんに「いいお孫さんですねぇ」と言うと、目を細めながら「この子は母親が病弱やったもんですから、小さい時分から私のところへ良く来てましてなぁ、こうして嫁いでからもよく面倒を見てくれるんです」と、慈愛に満ちた視線を孫娘に向けながら話された。七年前に祖父が亡くなってから一緒に西国霊場を回り、今回ひ孫が生まれたのを機に一緒にぼけ封じ近畿十楽観音霊場を回り、私の寺で成満だと言う。横で娘さんがおばぁさんを支えるように気遣っている姿や優しい眼差しを見ていると、確実におばぁさんのすばらしい遺伝子を受け継いでおられるようだ。核家族化した現代社会にあって、世代を越えたこうしたおばぁさんとの触れ合いは尊い財産であり、祖父母など先人のすばらしい知恵と文化を受け継ぐ絶好の機会であろう。無邪気に戯れるひ孫にも良い遺伝子が引き継がれるに違いない。

水子供養への思い

ochiba4(紅葉の落ち葉が風で飛ばされて揺らいでいた。)

四年前頃に水子供養をインターネットに初めて掲載した時、意外と反響があるのに驚いたものである。当初「こんな田舎の小さな寺にほとんど誰も来ないだろう」と思っていたのであるが、供養させて頂いた数人の方から「水子の供養をして頂ける寺が近くになくて・・・」という声を聞いた。それで調べてみると、言われたようにそれほどなかったのである。それならと思い都会の知り合いのご住職に「水子供養をされたらどうですか」と尋ねると、「檀家さんやったら仕方無いけど、わざわざそんな面倒なことはできまへんわ」とあっさり言われたことを思い出す。確かに予約の時間通りに来られない方や平気で急な用事が出来たと直前に断ってこられる方もおられる。そうしたリスクを考えれば檀信徒さんだけで十分なのであろう。

その当時、暗中模索しながら始めた水子供養であるが、有難いことにその頃に供養に来られた方の何人かが今でもお参りに来られている。水子供養が仏縁となって、こうした田舎の小さな寺へ足を運んで頂けることが嬉しい。週末になるとお地蔵さんの前には花やお菓子、おもちゃなどが供えられる光景を誰が予想したであろうか。こうして仏縁を大切にして何度もお参りして頂くようになるまで二年余りかかった。試行錯誤しながら供養の次第を作り直してみたが、結局は真心を込めた丁寧な供養と女性の罪障を軽減して因縁を断ち切る母体加持である。女性と向き合ってお加持をしていると、その女性の母性が素直に現れるようだ。帰り際にはほとんどの方が「来てよかったです」と笑顔で帰って行かれるが、その後姿を見送る時が私の至福であり疲れも吹っ飛ぶ。水子霊園の前の吹きだまりの落ち葉をかき集めながら、そんな想いを馳せていた・・・



孝行の気持ち

awa(境内のイチョウの木の傍の谷川に落ち葉が流れ泡を作り、鏡のように光っていた。)

最近はお墓参りにお供えを持って行っても、すぐに持ち帰らなければいけない決まりになっているところが多くなった。田舎では菊などの色花も野生の動物に食べられてしまうので、墓参りの当日に持参されている。本来の仏教の考え方からすると野生の動物に食べてもらうのも供養の一環で自然の姿であるが、食い散らかしたりして美観が良くないので禁止になるのも仕方ないことであろう。かといって、全くお供えがないのも寂しい。少なくとも故人の為に好きだったものを供えてあげようと思う気持ちぐらいは持っておきたいものである。

まだ住職になる前のこと、役僧で都会のお寺に勤めていたが、その時に初めて墓前で七回忌の法要をさせて頂いたことがあった。初めて会う施主さんなので霊園の管理事務所の前で待ち合わせていたのであるが、一目見てその施主さんであることがわかった。事前に日系の韓国人と聞いていたこともあるが、黒い喪服が良く似合い独特の雰囲気で、視線が合った瞬間に軽く会釈をされたからだ。早速に墓地に案内されたが、そこは霊園の中でもかなり大きい墓地で立派な石塔が建っていた。そして墓前には作ったばかりのたくさんの料理が並べられ、これから宴会でも始まるような錯覚に陥りそうであった。勤めていた寺の住職からは粗相のないようにと言われていたせいもあって緊張感の中で法要を始めたが、途中の焼香に出てもらうところになると誰彼なしにすすり泣く声が聞こえたかと思うと、その内に号泣となった。私は淡々とお経をあげなからその様子を見ていたのであるが、五体投地をしながら号泣して故人を偲んでおられる姿が強く印象に残っている。

その時に関係者から聞いた話であるが、法要の日よりも前日の用意が大変であったと言う。故人の好きな物や食材を揃えて調理し供えるのが最大の供養であるという考えから、ご先祖様に最大限のもてなしをするのが習慣のようである。先祖に守ってもらっているという気持ちは私たち日本人以上に強い。施主様の奥さんが、すこしなまりのある流暢な日本語で「今私たちがあるのはご先祖様のおかげです」と、墓前に供えておられた高級酒を帰り際にもらった。先祖に感謝を表す方法は様々あるが、その孝行の気持ちこそ大切ではないかと思った。

突然開けられたフスマ

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(夏にホームセンターで購入したゴマノハグサが満開になった。)

気がつけばもう師走の三日目、振り返ってみると早いなぁというのが実感である。夏以降、例年になく公私共に慌ただしい日々であったが、一番たくさん行事が集中した十一月を乗り越えてようやく平静に戻りつつある。そんな中、先日近くの結集寺院から諷経(ふぎん)の依頼があった。田舎のお葬式では普通の役僧以外に、諷経と言って兄弟や親族が施主となって故人の菩提の為に僧侶を頼んで客僧として葬儀に参列させる風習がある。昔は嫁ぎ先の菩提寺や養子先の菩提寺に頼んで連れてくることが多かったが、現在では喪主さんの菩提寺に頼んで同宗で揃えることが多くなった。その方が衣装やお経が揃うので見場もきれいで式もスムーズに進行するからである。

少し早目に到着して一人で寺院の控え室で待っていると、年配の男性が突然勢いよくフスマを開けて入って来られた。誰もいないと思ったのであろうか。そんなことはないはずである。入口には私の履いてきた草履が置いてある。普通なら軽くノックするか声掛けして入って来られるのに・・・ちょっと怪訝に思っていると、「おたくは何処の寺や!」と開口一番言われた。フスマを開けて立ったままで、正座している私を見下ろすように言われるので「青垣の常瀧寺です」と答えると、少し表情が緩んだように見えた。そして「高源寺はよう混んでますなぁ」と愛想のつもりであろう、近くの紅葉の名所の寺のことを話された。「そうですねぇ」とにこやかに言うと、愛想笑いか照れ隠しか満面の笑みを浮かべそのまま立ったままフスマを閉めて出て行かれた。わずか一分ぐらいの出来事であったが、後から聞くと村の寺院接待係らしい。公設の会館を利用して農協が葬儀を仕切っているので、その後はそちらに任されたようだ。

別に悪戯がないのはわかるが、一般的に「今日はご苦労様です」とかというような言葉を期待していた私は、自分の思いとは全く違った言動に戸惑っていた。立ったまま見下ろされたような態度を怪訝に思い、心の余裕が足らなかったことを少し悔やんだ。人はそれぞれ違っているのが当たり前・・・いろいろな人がいて、いろいろな考えを持ちながらルールの中で暮らしているのだから・・・そんなことを思って少し反省していると導師様や他の役僧の方々も次々と来られ、何事もなかったように葬儀が終わった。
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