ちけん和尚のブログ

ちけん和尚の出来事などを思うまま書き綴って行きます。また、時間に余裕があれば仏教的な観点から仏事や世相を書き綴りますので、是非ご覧ください。また、意見や感想など頂ければ嬉しく思います。  合掌 知憲

祈りの作法

法事の三要素

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(山百合の花の中でアマガエルが雨宿りしていた・・・)

最近、田舎の寺でもお斉(とき)に出席するお坊さんが減ってきている。いつであったか、町内の仏教会に出席した時に何かのはずみで法事の話題になり、隣に座っておられた若い方としゃべっていると、「うちの先代はお斉にでていたんですが、私の代になって一切出席しないことにしたんです。そした午後からもう一つ法事ができるし、その方が施主さんも楽みたいですよ・・・。」と言われた。私は「そうですかぁ」と応じたものの、内心に「ウゥーン」と言葉にならないものが込み上げてくるのを覚えた。
確かに施主さんが世代交代されて若返ると、昔のように宴席でお酒を飲まれる方も少なくなり、単なる食事会で終わってしまい短時間で切り上げることも時々ある。昔のように故人を偲び縁者一同で酒盛りをすることは次第に少なくなってきているようだ。かといって僧侶がお斉の席を辞退するのはいかがなものであろうか。。余りにも、勝手過ぎはしないだろうか。もう少し謙虚になるべきではないかと思った。

法事には三つの要素がある。一つは住職にお経をあげてもらう追善供養、二つ目はお塔婆を書いて頂き、仏前に供え、追善供養の後にお墓へ持参して建立する墓参塔婆供養、三つ目は僧侶を含めた参会者を料理で接待するお斉(とき)の三つである。田舎ではこの他に、墓参の後に菩提寺へ仕上げ参りをするのが習わしで、この後に食事の席を設けるのが一般的だ。

このお斉(とき)は、故人の縁によって一緒に参会者が食事することで仲良くなり、精進の心を養う意味がある。仏教では六波羅蜜の一つの財施という布施行でもあり、法事の中ではなおざりにされる傾向にあるお斉であるが、しっかりと法事の三つの要素を認識してほしい。昔と違って親族のつながりが希薄化してきているが、せめて故人の家族だけでもいいので住職を交えて行ってあげたら良い供養になるのではないだろうか。

鳥沙摩(うすさま)明王について

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(昨日は一日中雨で仕方なく、雑草についた雨露を撮った。)

一昨日のブログに掲載した伐木祈祷について親交のある禅宗のお寺さんからメールを頂いた。鳥沙摩明王(うすさまみょうおう)というと不浄除けが有名で、伐木の祈祷に鳥沙摩明王を本尊とすることに驚かれたようである。不浄除けの守護神として便所などに祀られ、「大小便時 当願衆生 蠲徐煩悩 滅除罪法」の偈文と、その横にうすさま明王の小呪「オン クロダノーウンジャク」と書かれたお札が便所などに貼ってあるのを見かけた方もおられるのではないだろうか。ウスサマ明王は、こうした不浄除けの他に枯木の精や毒蛇の害、その他諸悪鬼のたたりなどを防いだりする力があるとされている。一般的には「オン シュリマリ ママリマリ シュシュリソワカ」という解穢真言がよく唱えられている。

鳥沙摩明王の真言には「根本真言」「大心真言」「解穢真言」「大呪」「小呪」などたくさんあり、メールを頂いたのは「伐木祈祷」にはどの真言を用いたら良いかという問い合わせであった。これは鳥沙摩明王の大呪で「オンバサラ クロダ マカハラ カナラ フンシウフン ビキビマナセイ ウジンボクロダ ウンウン ハッタハッタ ソワカ」を用いる。

地鎮祭と伐木祈祷

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(庭のツツジにアマガエルがいた。)

先日、都会に住んでおられる信者さんから頼まれて「地鎮祭」と「伐木祈祷」の修法に出かけた。祖父の持っておられた土地に新しく家を新築されるそうで、昨年のお盆参りをさせて頂いた時に相談されていたのである。その土地に立派なしだれ梅があって、それを何とか残しておきたいと設計士さんにいろいろプランを出してもらったのであるが、いずれも使い勝手が悪くなるので伐採するということであった。私は先代の時からある古い立派な梅で、しかも枝が垂れ下がる樹木には様々な精霊が宿ると云われるので地鎮祭の時に伐木祈祷をしたらどうかと勧めた。施主さんも快くそれを聞いて下さり今回の修法となったのである。事前に施主さんから施工業者の電話を聞いていたので、直接電話して神式と同じ祭壇を作ってもらうように頼んでおいた。

こうした儀式は午前中にするのが一番良く、午前十時からということで約束したが、高速道路が思ったより空いていて約束の二十分前に着いた。すでに業者さんは来られていたので打ち合わせをしていると、しばらくして施主さんも到着された。用意してきた次第を配り、簡単な説明をして儀式に入った。地鎮祭は何度もしているので難なく十五分余りで終わったが、問題は伐木祈祷である。梅の木の前に祭壇を移し、三礼をして祈祷に入ったが、この祈祷をするのは初めてで本尊の鳥枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の大呪が詰まってうまく言えない。それでも観想しながら何とか唱えたが、事前に練習してきた印がうまく結べず苦労した。鳥枢沙魔明王の真言を一字一句間違えずに唱えなければという意識があって、手に印を結ぶことがおろそかになっていたのである。冷汗をかきながならどうにかこうにか無事に終えた。業者の方は仏式の地鎮祭を見るのが初めてのようで、終わった後に「ほとんど流れは神主さんと変わりませんが、仏式の方が丁寧に感じました」と言って頂いた。その言葉に呼応するかのように、施主さんは私のことを業者に自慢されるのでちょっと恥ずかしくなったが、内心は嬉しかった。五月にしては真夏のような暑さで額から汗がボタボタと落ち、背中の襦袢はビッショリと濡れてはいたが、時折吹く風が心地よかった・・・

塔婆建立の功徳

ohebiichigo(オヘビイチゴの黄色い花があちこちに咲いている。)

私は新しくお墓を建てたりする方には、「塔婆立てを作っておかれた方がいいですよ」とアドバイスすることがある。最近の墓は墓石店などがサービスでつけてくれるところもあってほとんど備えているが、少し古い墓になると塔婆立てがないので墓石の後ろに立てかけるか、寝かせて置くぐらいしかできなかった。強い風が吹くと散乱してしまうのですぐに塔婆を処分される施主家も多かったのである。また、霊園によっては美観が悪いので長く立てさせてくれないところもあるようだ。お墓参りをさせて頂いていると、「この塔婆はいつまで立てていたら良いのですか」というような質問を受けることが多い。私は「昔は朽ち果てるまで立てていたものですが、今はそうはいかないと思います。供養の証ですから少なくとも一年ぐらいは立ててあげて下さい」と答えている。

塔婆は仏様の身体そのものと考えられ、それを建立する五つの功徳が経典に説かれている。それを紹介すると、「一つは、塔婆は仏様の姿であるので、一基建立することは、仏像を一体建立するのと同じ功徳がある。二つ目は塔婆を建てることにより、仏様に対する崇敬の念と、霊位に対する報恩と感謝の念を増すことができる。三つ目は塔婆を見ることは、人と仏様とは五輪の姿、形として根本において同じであることを教え、仏心を目覚めを促すはたらきを持っている。四つ目は塔婆供養は、回向するところの霊位を安楽の境界に導き、仏果を増す。五つ目は塔婆は志すところの霊位だけでなく、それを目にするものすべてに同じく利益を及ぼし、あの世とこの世を結ぶアンテナの役割を果たす。」

行年と享年の違い

ebine(山草の一つであるエビネというランが境内のあちこちで咲いている。)

先日お参りに行った先で、「お位牌の裏に行年と彫ってあるものと、享年と彫ってあるものがありますが、どちらでも良いのでしょうか」と尋ねられた。その二つの位牌を見ながら私は「ほんまですねぇ、位牌を製作した仏具屋さんが違うので書き方も違っているんですけど、どちらでも意味合いは似たようなものです」と答えた。

「行年」は経過した年数という意味で、この世に生きながらえた年数を意味し、「享年」は天から享けた年という意味で、死んだ時の年である。勿論仏教では行年も享年も数え年で、生まれてきた年を一歳と数える。母親が受胎した時を生命の始まりとし、母胎で成長する期間を入れて出産した時を一歳と数えるのである。よく新聞などにはほとんど満年齢で掲載されていることが多い。そうした場合、亡くなった月日までに誕生日がきていれば一歳を足せば良いが、誕生日がまだであったら二歳を足せば数え年になる。

道端のお地蔵さん

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(雑草の朝露が朝日に光っていた。)

殺人や交通事故などで突然亡くなられる非業の死は、宿業がまだ残っていると信じられてきた。肉体は死んでも、霊魂はこの世をうろついているので成仏できるようにその現場にお地蔵さんなどを祀って亡くなられた人の加護を祈ってきたものである。また、お地蔵さんを祀れないところには花などを供えてきた。私の寺から数キロ離れた道路脇のゆるやかな曲がり角に、いつの頃からかわからないがお地蔵さんが建てられ、きれいな花がいつも供えられるようになった。不思議なものでその場所まで来ると必ず気になって片手でハンドルを握り、もう一方の手で拝みながら通る習慣になってしまった。昨日もその前を通ったら、供えられたばかりの黄色い花があった。お地蔵さんというと「地蔵和讃」に出てくるように、死んだ子供が賽の河原で石を積み上げて遊んでいるのを護ってくださったり、子供のすこやかな成長を見守る仏様のイメージが強いが、こうした非業の死や六道輪廻を彷徨う者も救って下さるのである。

地蔵菩薩は人が亡くなってから五七日(三十五日)の護り本尊であるが、意外と知られていないのはその三十五日に登場する閻魔大王が地蔵菩薩の化身とも云われていることである。一般的には地蔵菩薩が閻魔の裁判所に現れて弁護人の役目を果たすと云われているが、閻魔自体が地蔵菩薩の化身と考える方が納得できる。生前に悪行をしてきた者や信心のない人でも閻魔大王に代わってお地蔵さんが六道の入口で教化して救って下さっているような気がしてならない。

お香の種類

yamabuki(ヤマブキのような花が咲いていた。)

昨日、水子供養に来られていたご夫婦に連れられて小さな姉妹が一緒に参拝されていた。供養をしている間もおとなしくしていたので、お経が終わり振り返って「賢かったねぇ」と声をかけるとニコッと笑う顔がとてもかわいい。私は「これから母体加持をさせていただきます」と言いながら、塗香器から一つまみのお香をそれぞれの手の平に配り、「このように手を洗うように塗って下さい」と見本を示すと、姉妹のお姉ちゃんの方が「アッ、バニラの匂いがする」と言うと、妹が「ホンマやー」と無邪気に笑っている。普段何気なしに使っている塗香であるが、確かに甘い香りがしてバニラのようでもある。子供の素直な感性にその場が和んだ。

お香は形態から焼香と塗香に分けられる。この塗香は、本来は浄水にまぜた練り香であるが、現在では乾燥させた抹香を使用している。行者や施主の身体を清める為に使うのであるが、密教では用途によって五種類に分けられる。一つは「香水」で閼伽(浄水)にお香を入れたもの。二つ目はこのように手に塗る「塗香」、三つ目は「含香」といって口中に香気を満たすために用いるお香。四つ目は「焼香」で護摩などに使う「丸香」も焼香の類である。五つ目は「線香」であるが、一般に言う線香とは違って線香立ての灰をならしてコの字型などに溝を作りそこに抹香を盛る「盛香」である。

枕飾りについて

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(護摩堂の裏に生えているシャガの葉っぱに朝露が光っていた。)

現代は人生の終末を自宅で迎えたいと思ってもなかなか難しく、病院で迎える方が多いようである。亡くなられて病院から自宅へ帰る場合、専門業者の寝台車が必要であるが、それは葬儀屋さんと連携していることが多くそのまま葬儀の打ち合わせに入ることもあるようである。都会では自宅へ向かわず、葬儀屋さんの会館へ直接運ばれることが多く、そんなこともあって枕飾りなどはすべて葬儀屋さんがしてくれるので何もすることはない。昔は自宅で亡くなると近隣の人や親戚の長老などが指示して枕飾りをしたものであるが、今は田舎の方でも枕飾りの仕方やその意味を知らない方が多くなってきている。枕経に行っても枕飾りがまだ出来ていないところもあり、親戚などが集まっておられても昔からのそうした風習は忘れかけられようとしている。

枕飾りは亡くなられた方の枕辺に、小さな机(経机)か木箱に白い布をかけて、その上に三つ具足(線香立て、ローソク立て、花立)の他に、浄水、一膳飯、枕団子などを供える。三つ具足は、香炉を中央に置き、花立には樒を一枝入れて向かって左に置き、ローソクは右に立てる。枕団子は地方によっても違うが、普通は六個で上新粉を蒸すか茹でて作る。浄水はコップか湯呑茶碗に入れて供える。一膳飯は焚きたてのご飯を茶碗二つにしっかりと詰めて入れ、片方の茶碗をもう一つの上に返して盛り、その上にお箸を立てて供える。箸を立てるのは葬式の場合だけで、このご飯は死者のものであるというしるしであると云われている。死者は息を引きとるとすぐに善光寺参りに行くと信じられていて、そうしないと成仏できないという信仰があった。枕団子や一膳飯はその時のお弁当であるらしい。枕飾りの基本は六種供養からきているので今ここであらためて説明することもないが、昔から習俗的に行われてきた枕飾りについて少しでも理解していただければと思う次第である。

五輪塔について

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(パンジーの花が裏庭できれいに咲いていた。)

最近「五輪塔」について相談されることが多くなった。五輪塔というと真言宗や天台宗の仏塔のように思われている方も多いと思うが、それは大きなまちがいである。高野山の奥の院には宗派に関係なく歴代の諸大名が権力を誇示するかのように大きな五輪塔をたくさん建立している。五輪塔は供養塔として最も宇宙の理にかなったものであるということは言うまでもない。卒塔婆は朽ち果ててしまうが、五輪塔は永遠に苦界に沈んでいる祖霊を救い、成仏や解脱に導くもので供養の最高の形である。下から四角形は地を表し、円形は水、三角形は火、半円は風、最上部は宝珠形で空を表している。自然界を構成する五元素を表しているのであるが、卒塔婆と同じ意味合いなのでここでは触れないでおく。前述したように五輪塔という形にも供養の要素はあるのであるが、大事なことはそれぞれの形に適切な梵字を刻んでこそ宇宙の真理に沿った供養塔となるのである。宗派によっては漢字を刻むところもあるようであるが、本来の趣旨からは離れており供養の意味も薄くなる。梵字はインドの言葉でお釈迦様の教えを説いた原語である。それらはそのまま中国に伝わり、梵本経典が翻訳されたのであるが、陀羅尼や真言などはそのまま音写され、呪力を持つ言霊のようなものになったり、仏や菩薩を表す「種子真言」として現在に至っているのである。

五輪塔は梵字を四面に刻むことによって、発心、修業、菩提、涅槃の仏教教理が得られる。つまり、故人の霊魂が仏心を起こして解脱するまでの過程を示しており、霊魂の証果を図り導いてくれる大変ありがたいものなのである。当然のことではあるが、梵字でないと四面に二十種類の文字を彫ることはできない。これは正道で宗派によって変わるものではない。私たちは生まれた時は、「赤心」といって仏様に近い心で生まれてくるが、俗世間で次第に汚れて我欲や煩悩が生じ罪障を重ねて行く。それが成仏や解脱の妨げとなり苦しみの原因となるのである。だから発心して修業を積み、菩提の境地を経て涅槃に到達できるようにと誓願するのであるが、それこそが五輪塔の四門の本願なのである。まだこの五輪塔について認識不足の方が多く、ただ五輪塔を建立すれば功徳があるように思っておられる方や、梵字は彫らなくても良いと思っておられる方が一部におられるのは残念なことである。一番多く見かけるのは正面だけ梵字を彫った五輪塔であるが、発心門だけで他の表示がないので祖霊を成仏に導くことができず、供養塔としては中途半端である。調和のとれた梵字を四面に刻むことで生命の循環がおこり活力のある本当の供養塔となるのである。五輪塔はこの世とあの世を結ぶアンテナでもあり、家運の繁栄と安穏が自然に現れるに違いない。

焼香の作用

yukiyanagi(小雨の中、池の淵にしがみつくようにユキヤナギが咲いていた。)

よく火葬場の告別式などで時間の短縮の為に、「焼香は一つまみ一返でお願いします」という案内をされているのを聞くことがある。焼香は普通には三返で仏、法、僧の三宝に供養する為で、略すと一返というのは誰も知っていることであるが、なぜ右手の親指と人差し指と中指の三本でお香をつまむのかということは知らない方が多いのではないだろうか。
焼香は普通右手の三本の指でするのであるが、いつであったか左手で焼香されていた人を見たことがある。おそらく左利きの方であると思うが、仏教では左手は凡夫で不浄なものとされているので必ず右手を使わなければいけない。ではなぜ右手の三本かというと、仏教では五本の指に小指からそれぞれ地、水、火、風、空と名前がつけられていて、焼香をつまむ三本の指は親指が空で人差し指は風、中指は火である。つまり、中指の火で点火され、次の人差し指でこれが消えないように風を送り、親指の空でその香りが法界に遍満されることになるのである。
お大師様は「性霊集」の中で「身は花とともに落つれども、心は香りとともに飛ぶ」と言われている。人の身体はいつかは花の散るさまと同じで諸行無常であるが、身体が滅びてもその魂(心)は仏の命として死後にも生き続け香りとなって飛ぶと云われている。「心は香りとともに飛ぶ」の香は仏に供えるお香のことであるが、その香煙に乗って天に昇り、弥勒菩薩の浄土に往生するのである。焼香をする時の心構えとして、亡き人の菩提を祈りながら香煙にそうしたことを観想したいものである。

木魚について

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(裏庭にひっそりと咲いていたスイセン。)

昨日法事の後のおトキの席で男性の方が、「私もこの年になりましたらたくさん法事やお寺参りをさせてもらってますが、ほとんどの宗派で木魚を使うのに真言宗は使わないのですか」というような質問をうけた。以前に仏壇を新調された知り合いのおばぁちゃんが法事をされた時に、「木魚は法事の時に必要ですよと仏壇屋さんに言われて買ったんやけど、おじゅっさんはあんまり使いはらへんなぁ」と言われたことを思い出した。その時も「真言宗の正規の法要では木魚は使うようになっていませんので・・・」というようなことを言ったように思う。私の知るところでは、禅宗、天台宗、浄土宗などは本堂にも置いてあるし、日常のお勤めでも使っているが、真言宗では道場にも置くことはしない。ただ地方の寺院では非公式に使っているところが多く、私の寺にも置いてあって寺参りの時やお勤めに使っている。しかし法要やお葬式など正式な儀式で使うことはなく、おリンのみで読経するのが習わしである。

木魚は読経のリズムをとるのに中国で創案されたもので、それを穏元禅師が日本に伝えたと云われているが、元々はお寺の食堂や庫裡に吊るされていて時間を知らせたり、行事を知らせる為に打ち鳴らす「魚鼓」や「魚板」からヒントを得てリズムとり用に作られたものである。なぜ「魚」の姿を刻んであるかというと、魚は昼夜を問わず、昼も夜も決して目を閉じることはなく、「仏道修行者も、また常にかくあるべし」と、それにあやかったものと云われている。眠気を覚ます役目をしているのであるが、逆に「ポックリ、ポックリ!」と単調なリズムを聞いていると余計眠くなりそうになるのは私だけであろうか・・・。

仏事の伝承

ooinunofuguri(オオイヌノフグリがかわいい花を咲かせていた。)

最近は生活様式の変化であろうか、昔からの仏事の伝承が薄れかけてきている。核家族化になり近所とのつきあいも薄くなってきているせいか、作法やしきたりが伝承される機会が激減してきているのである。昨年のお盆のお参りをしていた時のことであるが、ムクゲの花やキョウチクトウを仏壇に供えておられる家があった。庭に咲いていたので色花として供えられたと思うが、仏前には供えてはいけない花である。バラやアザミのようにトゲのあるものや、キョウチクトウのように毒のあるもの、ムクゲやトケイソウのような一日でしおれる花は供えてはいけないということは、お年寄りがおられる家であれば昔からの伝承がなされてきたことであるが、最近はお年寄りも知らない家庭が増えているのである。同じようにお料供膳なども精進料理でなければいけないとわかっていても、見栄えを重視するせいかネギやチリメンジャコやカマボコなどが添えてあったりする。また、漬物の代わりにラッキョが供えてあったり、小鉢に青唐辛子の炒め物が供えてあったりする家もあった。これは確かに野菜類ではあるが、仏前には供えられないものである。「五辛」と呼ばれるもので、ニラ、ニンニク、ネギ、ラッキョ、ハジカミである。他に玉ねぎや唐辛子のような刺激臭の強いものや、カラシやワサビ、ショウガなどの香辛料もいけないので注意して頂きたい。このようなことは仏事の細かい一部のことであるが、基本的な昔からの仏事の伝承を語り継いで欲しいと願っている・・・・

護摩の本尊と種類

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(三月も三十日というのに、朝起きると雪が薄っすらと積もっていた。)

昨日、本堂の正面に掛けてあった両界曼荼羅をはずして護摩堂へ移した。本堂に隣接する部屋にはこれよりも大きな曼荼羅が掛けてあるのであるが、本堂の曼荼羅は位牌堂へ出入口に掛かっているので頭をぶつけたりして邪魔でもあった。曼荼羅を移設したのはこうした理由もあるが、最近の護摩の祈願内容が多種多様になってきたので護摩堂の仏様では対応できなくなった為である。護摩堂には本尊として大聖不動明王、向かって左側に毘沙門天、右側に弘法大師を祀っている。以前は病気平癒や徐災招福などの祈願が中心であったが、最近は不登校や引きこもり、子宝拝受、恋愛成就などの祈願が増えてきた。そうした祈願を成就させるには様々な仏様の智慧を授からなければならず、すべてを網羅する曼荼羅の仏様に頼るしかないのである。

今日の密教寺院では護摩壇があっても、ほとんどが息災法でしか使えない。護摩には増益(ぞうやく)、降伏(ごうぶく)、敬愛(きょうあい)、息災(そくさい)の四種類がある。護摩を焚く炉もそれぞれ種類によって四角形や三角形、八角形、円形に分かれている。祈願の目的によって座る方向も違い、衣の色も違う。例えば恋愛成就の祈願をするとしたら愛染明王を本尊として、仏供を赤く染め、衣も赤を着用して八角形の炉で西向きに修法しなければならない。護摩木も花木を乳木として焚かなければならず、経費的にも物理的にも無理がある。その修法だけの為に本尊や護摩炉や向きを変えるのはとてもできないのである。従来からの息災を中心として増益をアレンジした修法で、本尊は両界曼荼羅で行えば現代の祈願に対応できるのではないかと思っている。昔からの儀軌に則り、自己流ではあるが模索が続く・・・。

あしゅく如来

tuwabukiwa(ツワブキの種子が朝日に輝いていた。)

先日、七回忌の法要をさせて頂いたお宅で、「七回忌はアシュク如来という仏様が亡くなられたお父様の魂を護り導いてくれます、この仏様は左手のこぶしを握り、へそのところに置いています、右手は、ひざがしらのところから下に垂らしています、これは菩提心が強固であることを表しています、つまり亡くなられたお父様が今まで修行をされ身につけた菩提心をより強固なものにして下さります、修業の最終仕上げというべきところで、次のステップを前にして魂が落ち着く回忌です、ですからこれまでちっともお父さんの夢を見ない方でも、もしかしたら夢に出て来られるかもしれませんよ」と話をすると、私と同世代の娘さんが涙ぐんでおられた。その横でおばぁさんが「この子らには特別やさしかったからねぇー」と同調するように微笑れたのが印象的であった。

あしゅく如来の「しゅく」という字は門の中に三人の「人」がいるのであるが、当用漢字にはない。あしゅくとは、物事に動じない、腹を立てない、怒らないという意味である。密教では揺るぎない菩提心の徳を象徴していて、修業を妨げるいかなる煩悩に対しても心が動じないことを意味している。宝憧如来(ほうどうにょらい)と同体であるといわれ、東方を守護する。

明王について

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(日陰で遅咲きの椿の花が咲いていた。)

明王と言えばすぐに不動明王をイメージする方が多いのではないだろうか。その言葉の「明」とは、元来「知る」という意味の動詞から派生した梵語の「ヴィドヤー」という言葉からきている。つまり、「知識」を表す女性名詞であったが、それが発展して神秘的な力を持つ言葉そのものを指すようになった。密教では聖なる言葉である真言や陀羅尼を「明」と呼び、こうした呪力をもった者を「ヴィドャーダラ」(持明者)と称し、その王者が明王ということになる。外見は、ほとんどの明王が怒りに身を震わせた恐ろしげな憤怒の相である。その憤怒の形相も、もっぱら災難を防ぐカードマン的な役割と悪事に向かって行って相手を降伏させる二種類のタイプがある。

特徴的な明王をあげると、唯一明王の中で温和な菩薩の顔をしているのは「孔雀明王」である。数ある明王の中で最も恐ろしい顔をしているのは「太元帥明王」(だいげんすいみょうおう)で、五大明王をしのぐ威力を持つとされている。筋骨隆々でものすごい憤怒の形相であるが、やや痩身なのが「鳥枢沙摩明王」(うすさまみょうおう)で、よく寺院などの手洗いや便所にこの明王の御札が貼ってあるのを見かけた人がいるかと思うが、不浄な汚れたところを清める働きをする明王である。不動明王に次いで「愛のキューピット」として私達の人気を集めているのは「愛染明王」で今更説明することもない。明王とは真言や陀羅尼の神秘的な呪力からできた尊格で、明王そのものが密教の仏様なのである。

護摩のお供え

mokurenme(境内のモクレンの木の芽が膨らんできた。)

寺には冷蔵庫の他に冷凍専門のストッカーが置いてある。田舎なのでそんなに買物に行けないので冷凍食品の他にお供え用の丸餅と調理した小豆、丸く握ったおにぎりなどを冷凍している。突然の護摩が入ると対処できないからである。護摩には丸く握ったおにぎり、調理した小豆、丸餅、果物の四種類のお供えが必要で、果物は季節に応じたものを使う。昔は小豆などはそのつど調理していたが、最近は調理された缶詰などがあるのでそれを小分けにして冷凍しておき、解凍して使う。仏様は特に甘い小豆が好きなので、その上に砂糖をふりかけて供えるのが秘伝というか師僧からの言い伝えである。昨日ストッカーの中を整理しながら、こんな便利な冷凍技術のなかった時代は大変だっただろうなと思いをめぐらしていた・・・

護摩には食用油が必要であるが、これも私のところでは護摩の種類によってサラダ油と胡麻油を使い分けし、それにバターやハチミツを混ぜることがある。もっぱら自分の研鑚の為に焚く場合が多いが、ケーキを焼く時のような甘い香りがして楽しい気分になる。きっと仏様もその甘い香りが好きではないかと、私自身が勝手な思い込みをしているせいであろうか。壇木や乳木の種類も甘木とだけ伝わっていて、どの種類の木を使いなさいという決まりはないが、甘くて良い香りのものが好まれるようだ。

数珠について

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(アオキの葉と赤い実がきれいだった。)

昨年のことであるが、法事で寺参りされた檀家の方が首に数珠をネックレスのように掛けられていた。私は少し気になったので、「真言宗では首に掛けることを認めていませんので、しない方がいいですよ」と気心のしれた方であったのでアドバイスしたことがあった。他宗のお坊さんや修験道の方などもよく首に掛けられているのを見る。宗派によって考え方の違いがあるのかも知れないが、なぜ首にかけてはいけないかと問われるとはっきり説明はできない。真言宗では口伝として「数珠は首にかけることをしてはいけない」と代々師僧から弟子へ伝えられてきているが、その伝来や意義を考えるとわかるような気がする。お釈迦様の時代の初期仏教では数珠というものはなく、元々はインドのバラモン僧が普段首に掛けて神に祈りを捧げていたものが、ヒンズー教に採り入れられ、キリスト教、イスラム教と普及して、仏教へは少し遅れて入ってきたようである。小乗仏教の頃であるが、その普及には時間がかかっていたようである。本格的には大乗仏教になってからで、特に密教が起こってからは密教僧にとっては、真言や陀羅尼の数を数える道具として欠かすことのできない重宝なものとなった。

我が国においても聖徳太子の時代に金剛子の念誦が百済より伝わったとされているが普及はしなかった。所持するようになったのは、お大師様(空海)が唐より三種類の念珠を持ち帰ってからである。その後僧侶や貴族、一部の仏教信者であった武将が持つようになったもので、一般の仏教徒が必需品として所持するようになったのは江戸時代以降のことであると推測できる。
数珠を擦り合わせるようになった起源は、お導師様が回りの僧(識衆)に一定の作法や真言をお唱えし終わったことを知らせる為に、数珠を擦って音で合図するようになったものである。念珠は字の如く、珠を一つまさぐるごとに仏様を念ずるもので、本連(百八珠)と呼ばれる数珠には、母珠と言われる二個の親珠があり、腕に掛けるときは、「緒止め」(通した紐を結んである方の母珠)でない方の母珠(タラマ)を左腕の上にする。その房は外に垂らす。タラマと房を結ぶ小さな輪があり、一つの子珠が入っているのが目印である。その先が二つに分かれて五個ずつ子珠がついていて上下にスライドする。百八回数えると、その五個の小珠を一つ上にスライドさせ、十個全部上げると千八十回数を繰ったことになるのである。また、タラマから七つめと二十一個目には小さな種類の違う目印の珠が入っているが、これは最も良く使う数であるのでその数がわかるようにしてあるのである。つまり、仏教では七が物事(祈願)が成就する数で、三は吉数でありそれを三回繰り返すと二十一で、更に成就し易くなると云われている為である。

撞木の試し打ち

私の寺の鐘は、大晦日の除夜の鐘で百八回つくぐらいでほとんど鳴らすことがない。それ以外ではたまに法事などでお参りに来られた方や、行事の時に「早くお参りに来て下さい」という意味を込めて鳴らすぐらいである。寺院によっては毎日の朝や夕方に鐘をつくところもある。元々時計がなかった江戸時代には、寺の鐘をついて人々に時刻を知らせていたものである。また、その昔は僧侶たちに朝夕の起床時間や就寝時間を知らせたり、仏事の為の集合時間の合図を伝えるものであった。私も高野山での学生時代、修行させて頂いていた寺院の廊下に小さな鐘(半鐘)が吊るされていて、毎朝担当になると眠たい目をこすりながら打ち鳴らしていた。冬のこの時期になると早朝は零下二十度ぐらいまで気温が下がり、寺の廊下は氷の上を歩いているようで感覚がなくなってしまう。鐘を打ち鳴らす棒(撞木)を持つ手も寒さでうまく握れず、衣の袖を手袋代わりにして叩いていたものである。

平家物語に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という名文句があるが、インドの寺院では「カンチー」という鳴らし物を使っていて木製であり、日本で使われている木魚のようなものであったという。それで仏道修行者の生活に規律を与えていたのであるが、「祇園精舎の鐘」は木魚のような響きであったのであろうか。現在の寺院にある梵鐘と呼ばれている鐘は青銅製で、日本独特の優雅な鐘の音に改良され「和鐘」となっている。「ゴォーン」という響きは、何か日本人の心に郷愁を呼び起こす音色のようだ。昨日、梵鐘を突く撞木棒の予備の棒として乾燥させていた「シュロ」というヤシ科の常緑樹の木を試し打ちして、その響きにそんなことを思った。

大壇の飾りについて

asebi
(アセビが真っ赤に色づいていた。)

私の住んでいる町では真言宗は一軒しかない。ほとんどが禅宗で余り見かけない本堂の光景だったのであろうか、法事でお参りに来られていた方が壇の上に祀っている瓶に入った花や塔を指さして「これはどういう役目をしているんですか」と尋ねられたことがあった。私は「これらは様々な修法をする時に使うものです、中心に置いてある塔は多宝塔で、寺によっても違いますが、舎利を納めたり大日如来が鎮座されている場合が多いですよ、ここでは金剛界の大日如来を祀っています」と答えた。大壇は法会や祈願の修法をする上で必ず必要なもので修法壇とか華形壇(けぎょうだん)とも呼ばれている。道場内が狭くて大壇を置けないところは密壇と呼ばれる脇机を少し高くしたような壇を設けている。壇上に置いてある五つの瓶は「宝瓶」又は「賢瓶」と云われるもので、正式には鋏(ハサミ)を入れた広い絹布の広い部分で五宝、五香、五薬、五穀の二十種類を包み、糸で結んで水を入れた瓶に浸した後、その蓋として瓶華を挿すものである。ちょっと専門的になるが、五宝は金、銀、真珠、瑠璃、琥珀・五香は沈、白檀、丁字、ウコン、龍脳・五薬は赤箭、人参、伏苓、石菖蒲、天門冬・五穀は稲穀、大麦、小麦、菉豆、胡麻を一般的には指す。流派によっても少し違うようである。五つの瓶に挿してある華の色は、白、赤、黄、青、黒であるが、私のところではプラスチック製の一茎五華のものを用いている。

紫の色衣について

shikimori
(近くの公園の池に映る冬空)

僧侶の駆け出しの頃、施主様の自宅で法事をする時に別に部屋があるわけではなく、整然と参列の方々が座られている目の前で紫の衣に着替えをするのであるが、たくさんの目が私に注がれているので大変緊張して嫌なものであった。今でこそ緊張することはなくなったが、衣の袖は何カ所か小さな穴が開いている。お参りに行ってローソクの火をつける時、それまでにお参りされていた方が立てられた線香に気付かず衣の袖が触れてしまった為である。また座っていて立ち上がる時、自分の衣の裾を踏んでしまいほころびることも時々あり、檀務用の紫の色衣には様々な思いが込められている。それとは別に法要やお葬式などは別の新しい紫の色衣を着用しているのであるが、衣の色によっても着用の用途が違ってくる。たとえば護摩などは息災を目的としているので黄色の衣を着用するし、自坊でのお勤めや役僧に呼ばれた時は黒色と数種類の色の衣を使い分けしている。

衣の色は白、黒、紫、緑、黄、赤などがあるが、僧侶の身分や年齢によっても着用できる色とできない色がある。また、法要や修法の目的によって着用する色が決まっている場合があり、僧侶は何種類かの衣を持っている。そうした中でも冒頭に書いたように紫の色衣はよく着用されているが、紫という色は「紫雲」に由来して、「行者の臨終の時に仏がこの雲に乗って来迎する」のでめでたいというイメージがある。仏教では「五大」といって「地、水、火、風、空」の五元素に関連して「五色」を大切にする。五色とは青、赤、黄、白、黒であるが、青とは一般に言う緑で木と仁を表す。赤は火と礼、黄は土と信、白は金と義、黒は水と智をそれぞれ表している。いわゆる五色は五行を表しているわけであるが、後に五色の上にこれらを統括する最高の色として紫が尊ばれたのである。紫色は徳のある色、上品な色とされ、僧侶の衣でも紫色が上位にランクされている。一般的にも「紫の布団で寝ると長生きできる」とか云われ、吉祥の色とされてきたのである。

これからの石塔の文字

oretahana
(散歩中に畑で枯れて茎の折れた数本の花の中にきれいな花を見つけた。)

昨年末に都会へ出ておられる檀家様から頼まれて、その親戚のお墓の開眼供養に行かせていただいた。まだ出来て間もない霊園であるが、狭い土地を生かすように工夫がこらしてある。隣の墓地との境界線というか隙間はほとんどなく、びっしりと石塔が並んでいてまるでお墓の団地のようだ。最近は墓の形も随分と個性的なものが目立つようになった。また、墓石の色も黒や白や茶褐色のものがあって昔のイメージとは全く違ってきているのに驚く。お墓の開眼供養を頼まれた施主家は仏教系の新興宗教を信仰されているようで、洋式の墓石に経文の一節らしき文字が彫られていた。少し大きめのカロート(納骨室)で、敷地一杯を使っていてかなりのお骨が収容できそうである。三尺四方にも満たない小さなスペースにカロートの蓋になる石がかぶせてあった。現代の墓地の高騰では仕方なく、これが最善の方法なのであろう。元々墓石は、「一霊一基」「夫婦一基」が原則で理想ではあるが、現代では一基代々の墓を建てて、みんな遺骨をそれに納め祖霊を祀るこうした方法が多くなってきている。墓石に戒名や家名や宗派を表す文字が入っていなければ一族の誰でも入れるのである。田舎の墓地ではほとんど見かけることがない光景に驚きながらも、これからの墓のあり方を考えさせられることであった。

以前のように「・・家之墓」と彫ると、その家以外のお骨を納めることができなくなってしまう。少子化や離婚などでお墓の維持や継承が困難なケースが増えてきているが、せっかく永く拝んできたものを無縁にすることなく、一族の縁ある者に託していく一つの方法ではないだろうか。個人的には余裕があれば五輪塔をお勧めしたい。五輪塔であれば、縁ある人を合祀するには一番自然の法則に適っているからである。

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