「藤岡平成13年共産党離党」の怪文書の意味は、つくる会の創設が平成9年の1月ですから、西尾氏と共に創設者である藤岡氏は、共産党籍のままつくる会を創設し、役職に就き、教科書編集に携わっていたことになります。これが事実だとすれば藤岡氏はつくる会や会員、その上多くの中学校生徒とその関係者をも欺く大罪を犯したことになります。

 もとより共産党も公党ですが、つくる会の主意、目的とは180度違う思想の政治団体ですから、共産党籍のままつくる会にいること自体あり得ないことです。
 
 もちろん、藤岡氏の共産党離党時期は事実ではありません。藤岡氏のそれは平成3年ですから、怪文書はなんと10年も離党時期を遅らせて、藤岡氏の失脚を狙ったのです。

 因みに、この時期共産党に在籍し、その後保守陣営で活躍している著名人は文芸評論家谷沢栄一、読売新聞社会長主筆渡辺恒雄など決して珍しくはありません。
 
 この怪文書は虚偽の経歴を広めて、藤岡氏の失脚を狙った悪質卑劣なもので、八木派の手段を選ばない露骨な謀略を示すものです。

 八木派はこれと併行して伊藤隆理事への辞任、特定の支部への「八木復帰コール」、大口寄付者への寄付金返還要求の提出などを働きかけています。また、渡辺記者による反つくる会記事の新聞掲載も行いました。

 さらに、……東京支部掲示板に、八木氏を支持し、西尾氏や藤岡氏などつくる会の幹部を糾弾する一連の書き込みが行われた。今日では、そのほとんどが産経新聞の渡辺記者によるものであることが判明している。……
 
 八木派渡辺記者の反つくる会での大きな役割が分かります。彼がどんな動機で八木派の走狗になったのかは知りませんが、彼が水戸支局にいた時は、茨城県支部と協力関係にあり、日本会議茨城などと共に同じテーブルを囲んで、県議会への請願文書の作成などを行ったことを思い出します。
 
 その後、彼は本社に移り、「教科書問題取材班」に所属し、教科書問題に深く関わることになります。八木氏が扶桑社につき、同じフジ産経グループだから八木派になったのだとしたら、公正であるべき記者としては偏向の非を犯すことになります。