常夜燈エッセイ

2011年10月12日

04年10月エッセイ

◆チラシ    上野しん一

新聞の折込みチラシの入ってこない日はない。最近の或る朝のチラシを数えたら八種類ほどあったが、その日によっては、まだまだ多い日はざらにあった。
スーパー、自動車、パチンコ、衣類、健康食品、美容、住宅展示、仏壇、墓石、家具、携帯電話、教育ホームセンター、イベント、保険、その他数えればきりがない。
スーパーのチラシなどは毎日の食べ物に関係があるもので、もっとも目を引くことになる。買い物を担当する主婦にとっては必需品であり、したがってこのチラシがないと淋しいことになろう。
 これほどのチラシの種類だが、私の場合は必要なものは少なく、むしろ、取り片付けに手数がかかるだけだ。かといって全然見ないわけではなく、ずらずらと目を通して部屋の隅に置き、何日かたまると揃えて紐でしばる。同じ厚みだと新聞紙よりは格段に重い。光沢があってつるつるしたのが多いから質は良いのだろう。
 先日、“お江戸のれん東京グルメ”というのが入ってきた。栄太楼とか中村屋、常盤堂、風月堂、中央軒
木村屋、天領庵、今半、千足屋、若松、スエヒロ、ハゲ天、栄屋等々、江戸名代の味と、江戸下町職人展も併催され、袋物、版画、刃物、家具、べっ甲などの工芸実演があると記されていた。こんなのは興味があるので手まめに見る。
 それにしても毎日のチラシに使われる紙の量は大変なものだろう。南方の木の急速な伐採は日本の紙の消費もからんでいると言われているが、チラシを一つとってみてもそんな感がする。
 新聞も本紙だけ配達されるのであれば、どれほどすっきりすることか。しかし、このチラシがなくなることはないだろうし、若し、なくたったとすれば、いまではきっと物足りなく思うのではなかろうか。

本紙より目方が重いチラシくる  しん一

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jyouyatou at 20:26コメント(0)トラックバック(0) 

2010年02月13日

04年9月エッセイ

◆ダンス教室  浜中もとく

以前からテレビ等で見る社交ダンスを、一度はやってみたいものと思っていました。
シングルになって、一周忌が過ぎたころ、公民館で生徒募集があったので応募、そこからダンス教室を一年、その後愛好会へと続けて早十一年になります。土曜日曜夜二時間だけですがね。
出席者は五十代から六十代の人二十名から三十名くらい、女子の方が少々多いくらいです。初めの頃は、異性とこんなに近く、しかも手を取り抱き合うなんて、たまらなく恥ずかしかったものです。最初の三年くらいは、何を教わってもまるで駄目でした。
三年を過ぎた頃から、習ったものは大抵分かるよういになった気がします。多少踊れてくると、自信も出来、この頃は一番の楽しみになっています。
先生がいつも言うように、ホルモンの活性を生み、老化防止の効果が大きいようです。二時間休まずに実習しますが、疲れを感じません。多少、脚腰が痛くても行ってくると治っています。
自分の齢を考えると、そろそろ限界かなと思っているところですが、かといって、ここで諦めたら一気に老人になるような気がして恐ろしいところもあります。

残された男が組めばみな天女   もとく

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jyouyatou at 11:28コメント(2)トラックバック(6) 

2009年05月28日

04年8月エッセイ

◆夏風邪  上野しん一

春先に一度風邪に取りつかれたから、もう大丈夫だろうと思っていたが、六月の八十周年記念大会前に喉が変な感じがして、そのうち微熱が出るようになった。やはり家族の風邪が着地してしまったようだ。
なにしろ大会を控えている時なので、大会の際に支障が生じても困ると思い、早目に医院へ行った。薬を飲んでも熱が素直に下がるわけでない。更に二回ばかり点滴もうけた。それもこれも大会までにはなんとか平常に戻りたいと思ったからだ。
大会当日はある程度体も動かさなければならず、汗まみれになったし、咳がしょっちゅう出るのには困った。挨拶も披講も、喉の調子を気にしながらのことだった。大会には風邪から抜け出して、ということにはとてもならなかった。夜に無暗に咳が出て肺炎にでもなったら、と家人が心配したようだ。
肺炎は高熱が出るというが、老人になるとそれほど熱が出ないうちに肺が白くなって、ほどこしようがないという例は聞いていたので、油断はできないとは思っていた。しかし、胸部の異変は感じなかったし、かつて手術した際、一晩咳に悩まされ、咳止めをもらって飲んだが、咳が出るより、具合が良くなかった経験があるので、風邪が治ると咳も出なくなるだろうと咳止めは飲まなかった。
七月四日、さくらんぼ川柳大会へは、ぜひ出なければならず、体の調子はすっきりしなかったが出かけた。
やはり、作句の時も喉がへらへらし、咳を止めようがなかった。
医院の薬も富山の薬も飲んだが、それだけでは抜けない。これはやはり、持久戦を覚悟せねばと、あまりやきもきせず、治る時を待つことにした。
七月十日は、北部上北三ケ町村文化団体の舞踊合同公演があった。大分前から準備に当たってきたが、大会とも重なって進めなければならなかった。当日は観覧者も会場を殆ど埋める程の盛況で、公演は無事終ったが、この時も散発的に咳が続いていた。
そのうち少しずつ体の調子が軽くなり、いつの間にか平常に戻ったようだと思ったのは、七月半ば頃だった。
六月十三日のメモに、三十七、八度、完全に風邪の症状とあるから、ほぼ一ヶ月余りを要したことになる。
風邪を引いてしまうと薬を飲んでも注射をしても自覚するぐらい良くなることはない。
人によって長短はあると思うが、ある期限を経過しないと元に戻らないようだ。なにもせず、寝ていられれば早く癒えるかも知れないが、そうもゆかず、汗をかいた後、体を冷やすことを繰り返すなどは、夏風邪を長引かせるのではなかろうか。症状と戦い、目の前の事柄の処理という二重の負担をなんとか切り抜けてきた感がする。

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jyouyatou at 19:48コメント(0)トラックバック(20) 

2008年10月25日

04年6月エッセイ「穂峰さん」

「穂峰さん」  上野しん一

穂峰さんとはじめてお会いしたのは、いつの頃だったろうか。もう随分と前のことである。その時だったと思うが、六ヶ所の臨時高射砲隊の隊長の肩書きのある名刺をもらった。その後、各地の大会や句会などでも顔を合わせることが多く、穂峰という名前は身に染みてしまっていた。たしか、高館の構内で自衛隊のなにかの祝賀の会があった時、同僚と参加したことがあった。その時、軍服姿の穂峰さんと会い偉丈夫さながらの穂峰さんの姿を頼もしく眺めたものである。
つくしさんの思い出の記に、ふるまぎ吟社の佐々木古刀子居の句会には、欠かさず穂峰さんと同道した。とあり、その頃私も、ふるまぎ句会に出かけ、よく、つくしさん、穂峰さんと顔を合わせた。二人は影とかたちのように連れ立って、各地の大会、句会で活躍し、まさに名コンビであった。そして三番穂峰さんの名は定着し、その番号と名前は地域にとどろいた。
野辺地川柳社に対しては毎月の句会に必ず投句し、しかも、何年にもわたって続けてくれた。野辺地川柳社に大きな刺激を与え、実作で我々を指導し、柳誌「常夜燈」を飾ってくれたことは、本当に有難いことであった。多年の労を心から感謝したい。
穂峰さんは昭和四十六年度の不浪人賞を受賞した。

妻がいて子がいてまわり道をする   穂峰

そして、平成八年に句集「まわり道」を上梓した。
穂峰さんの句はわかりやすく、力強く、そして、こまやかさをちりばめていた。つくしさんが“江戸川柳を近代化した本格派で土台のしっかりしたものであった”と書いた通りである。
青森県川柳社五十周年記念合同句集に穂峰さんは ”視力障害者になって八年、川柳は心の支えであり、生甲斐であります“と書いている。視力が衰えていくことが、穂峰さんにとって、どれほど苦痛であったろうか。
昨年の北日本川柳大会の時、会場の手前の椅子に座っていた穂峰さんに、“穂峰さん”と声をかけたら元気な返事があったが、それが穂峰さんと会った最後である。
あの大きな呼名が聞かれなくなり、常夜燈から穂峰さんの名が消えたことは淋しい限りである。合掌

ベレー帽着けて歯切れのいいことば   しん一

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2008年09月22日

04年4月エッセイ「ラジオと眠り」

◆ラジオと眠り 上野しん一

べつに不眠症でもなし、寝付きは悪くないが、眠るまではと、よく枕元へポケットラジオを置き、音を極力低くして、イヤホーンで聞く。そのうち眠くなったらスイッチを切ればいいのだが、いつもイヤホーンを差し込んだまま眠ってしまう。そんなことから耳元で音がしていてうるさいから眠られないわけではないようだ。眠くなる時は音がしていようが、いまいが、眠ってしまう。深い眠りでは耳の中が鳴っていても聞こえなくなるもので、覚めてくるにしたがって、音がしてくることになる。ただ、深い眠りの間、鼓膜が刺激され続けることが、なにか悪い影響がないものかと、その点が気にかかる。
朝早く目覚めたとき、イヤホーンで聞いているうち、また眠ってしまうことがある。この時の眠りは浅い眠りで、夢の中で誰かが近くでよどみなくしゃべっていて、無暗にしゃべるものだと思っているうち目が覚めると、ラジオが耳の中でしゃべっているのだった。また、夢の中で、目の前のラジオがしゃべっているのを消そうと思って、スイッチを切ってもとまらない。何度切ってもとまらない。目を覚ますとやはり耳の中でラジオが鳴っている。そんなこともある。
どのくらいの時間で、どのくらいの夢を見るものかと思うことがあるが、意外に短い時間に多くの映像を見ているような気がする。

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