2020年06月12日
9月入学で危うく「保育が完全崩壊」するところだったという衝撃
「9月入学」見送られたが…
新型コロナウイルスの影響で急浮上した学校の「9月入学」――。
「首相が人気をとりたくて思いついただけだろう。教育はそんなに簡単な話ではない。ただでさえ忙しいのに、余計な混乱を招かないでほしい」
政府が早期に学校の「9月入学」を導入しようとしたことに対し、現役教員たちが憤る。
都内の小学校の教員(40代)は「私たち現場の教員がずっと望んできたのは、1クラスの児童や生徒の人数を減らすこと。コロナの影響にしても、丁寧にみてあげる教員の体制があれば私たちは遅れた分をもっと取り戻せる。問題を先送りするだけのような9月入学が解決策にはならない」と反発する。
安倍晋三首相が3月に突然の学校休校を要請したことで休校期間が長くなり、授業の遅れの不安の声が聞こえてくると、安倍首相はまたも突然に「9月入学」に意欲を見せた。しかし、それはあまりに影響が大きい。今はコロナ対策に集中すべきと批判を受けた。
「9月入学」を検討する自民党のワーキングチームは「2020年度、2021年度のような直近の導入は困難」と提言書をまとめ、安倍首相は断念した。
しかし、完全に廃案となったわけではない。もし9月入学が導入されれば学校現場は大混乱するが、保育現場にも大きく影響する。
「9月入学」「ゼロ年生」の社会的影響
英オックスフォード大学の苅谷剛彦教授らがまとめた「9月入学導入に対する教育・保育における社会的影響に関する報告書」(2020年5月19日発表)は、教員が2.8万人不足すると試算するとともに、保育所の待機児童は16倍、学童保育の待機児童は10倍になると発表した。
試算が公表された直後、文部科学省は「ゼロ年生」案までもを示したため、苅谷氏の同研究チームがゼロ年生案の影響についても試算し試算し、5月25日に改訂版(暫定)を出した。
すると、現在の年長の子どもが2021年4~8月に「ゼロ年生」になって9月から1年生になると、保育園の待機児童は2020年度にゼロになる一方で、学童保育の2021年の待機児童が41万1000人となって今の23倍近くになるという。教員は6万6000人不足し、現実的ではない。
また、9月入学を「段階的に実施」すると保育園の待機児童は2021~23年で合計47万5000人も生まれ、「一斉に実施」すると21年だけ26万5000人の待機児童が生まれるという。
いずれにせよ、現時点でさえ待機児童ゼロは達成されてはいない。保育士不足からギリギリの状態で運営する保育園は少なくない。これ以上、待機児童解消のためだけの保育園の整備が進めば、保育は完全に崩壊するだろう。
現場で質を高めようと懸命に保育にあたる保育士が大勢いることを大前提としても、急ピッチに保育園が増えたことで、東京都内では保育士の有効求人倍率がピーク時に6倍にもなるほどの空前の人材不足という状態。
保育園は保育士の配置基準を守る必要があるため、保育園によっては、採用する時には「配置基準を満たすためなら、資格さえあれば誰でもいい」という状態。
保育士確保がままならず、新卒で右も左も分からなくても担任をもたされ、人材育成は追いついていない。質が急激に劣化するのは不思議ではない。
認可保育園の事故「3年で倍以上」
それを示唆するのが、事故統計だ。
内閣府の「教育・保育施設等における事故報告集計」から、認可保育園で起こった負傷等の事故を2015年の342件から2018年は892件に増え、わずか3年で倍以上になっている。
2018年の負傷等892件の内訳で最も多いのが「骨折」の711件。次いで多い「その他」は172件あり、指の切断、唇や歯の裂傷が含まれる。「意識不明」の7件も見逃せない。「死亡」は2件あった。
認可保育園の事故件数(2018年)を年齢別に見ると、1歳は32件、2歳で86件と増えるが、3歳から増え幅が大きくなって135件、4歳は194件、5歳が310件になる。
子どもの成長につれ活動範囲が大きくなること、保育士配置基準が3歳児からぐんと下がって園児20人に保育士1人となる(2歳児は6対1)ことに加え、経験の浅い保育士が増えて、子どもをみきれていない状況が重なった結果だろう。
保育士による虐待・逮捕が目立つ
問題なのは体の傷だけではない。筆者がこれまで『ルポ保育崩壊』や『ルポ保育格差』などを通して問題視してきた、保育士による心理的虐待だ。正確な統計はないが、保育士による虐待や保育士逮捕の報道はここ最近、目立って増えている印象だ。
虐待報道としては、東京都足立区の認可保育園で50代の園長と主任保育士が複数の園児に対し、トイレに閉じ込める、不適切な言葉をかけるなど「虐待」が疑われる不適切な保育を繰り返した。首都圏を中心に病院内保育施設の運営や保育士の人材派遣を行う株式会社「明日香」(横浜市)が運営する施設だという(2019年11月12日、東京新聞)。
虐待かは分からないが2019年6月に起こった事件では、京都市内の保育園で保育士の女性が、3歳の男の子のほおについた油性サインペンのあとをメラミンスポンジでこすってやけどを負わせたとして、2020年5月22日までに書類送検された(2020年5月22日、NHK NEWS WEB)。
また、わいせつ行為も度々、報じられている。たとえば、勤務先の保育園で女児の下半身をなめたなどとして、警視庁赤羽署は2017年10月25日、東京都北区の保育士の男(22歳)を逮捕した(2017年10月25日、朝日新聞)。その男性保育士の勤務先は公設民営の認可保育園だった。
最大の悲劇は死亡事故だ。2017年にさいたま市の認可保育所「めだか保育園」でプール遊びをしていた女児(当時、4歳)が溺れて死亡した事故。業務上過失致死罪に問われた元園長と保育士として勤めていた派遣社員の被告の判決公判が2020年2月14日、さいたま地裁で開かれ、それぞれの求刑は禁錮1年だった(2020年2月15日、埼玉新聞)。
長野県で2018年2月、町立保育園の男児(当時4歳)が園外保育中に墓石の下敷きになって死亡した事故で県警が2020年2月19日、安全管理を怠ったとして当時の園長(45歳)と引率した保育士4人を業務上過失致死の疑いで書類送検した(2020年2月20日、朝日新聞)。
目だったニュースで認可保育園だけを見ても、これだけの報道があるということは、その背後には、気づかれていない、報告されていないだけで、”事件”や事故は相当あるだろう。
「いつ辞めようかと悩んでいる」
安倍政権下、待機児童解消が加速化されて2013年度から17年度末までの5年間だけでも53万5000人分の保育の受け皿整備が行われた。
続く18年度も約11万2000人分を整備している。預け先が増えたことで、就業継続を諦めずに済んだ親は確かに増えたが、その代償となったのは無理な体制作りによる質の劣化だった。
前述した苅谷チームの試算では、9月入学を「段階的に実施」すると保育所の待機児童は2012~23年の3年間で合計47万5000人も生まれることから、これまで以上に超がつくほどの急ピッチで保育園を作ったとしても追い付かない。そして、肝心の保育士は不足している。
人手不足で疲弊してきた現場の保育士からは「これからもっと待機児童が増えるなんて考えられない。9月入学で私たちの負担まで増すのなら、もう保育士を辞めるだろう」というため息が聞こえる。
余裕ない現場では理想の保育を実践できなくなり、時に、虐待まがいの保育を強いられる。その状況が、保育士を追い詰める。
都内の私立の認可保育園で働く保育士(20代)は、「出産を経験して、より一層、保護者から大切な子どもを預かっているのだと実感した。けれど、職場は人手不足で経験の浅い保育士ばかり。子どもを怒鳴っていうことを聞かせるなんて日常茶飯事。自分の子を預けたいとは思えない。やりがいを感じることはできず、賃金も高くはない。いつ辞めようかと悩んでいる」と話す。
年に何か所も新しい保育園を開設し続けている事業者で働く園長は「経営者は箱だけ作って人材育成は現場に丸投げ。新卒でなんとか人材確保できても、数年でリーダーや主任になる。その状況で保育の質を維持するのは至難の業。そればかりか、子どもの玩具はもちろん、トイレットペーパーでさえも満足に買ってもらえず自腹を切っている」と、ブラック経営の配下で苦しむ。
9月入学で生じる待機児童を解消しようとするのは困難を極めるだろう。もし無理に受け皿整備を行えば、規制緩和まで進んでしまい、ただでさえ低い保育士の配置基準がもっと低くなる可能性がある。となれば、今よりはるかに保育の質が劣化するのが目に見える。
東京都は配置基準の保育士比率が6割を満たせばいい「認証保育園」を作った。国も官邸に近い内閣府が所管する「企業主導型保育園」を作ったが、規制緩和が行われた結果、素人参入が相次ぎ監査で約7割に違反が見つかる状態だ。業界関係者は「行政は、死亡事故だけは起こすまいとやきもきしている」と明かす。
このような状況で、待機児童が増える「9月入学」を容認できるはずがない。大人の都合で犠牲を被るのは、子どもたちだ。
小林 美希(ジャーナリスト)
現代ビジネス 2020.6.12 転載
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