2007年10月

今日はハロウィン

塾に来る途中で面白い行列を見ました。どこかの英語教室のハロウィンの仮装行列が道路を練り歩いていました。幼稚園から小学校二、三年ぐらいまでの子供たちは、かぼちゃや、ミツバチや、お姫様など、さまざまな仮装をし、楽しそうに飛び跳ねていました。太った外人講師が、treat or trickといいながら同様にはしゃいでいました。ハッピーハロウィン、周りからも声がかかります。その中でミツバチに仮装した、多分教室の受付嬢でしょうか、可愛いのにぶっちょうづらでつまらなそうにあるいていたのがミスマッチでした。

ハロウィンも 自分のものに 日本人 何でも手を出し ミスマッチかな

宿題はどこでやるもの?

最近、中1の数学の出来が悪いので、宿題を多めに出すことにしました。金曜日に出した宿題は、昨日の月曜日まででした。いつもやってくることができないので、今回はやってこない場合は、親に電話するという約束でした。すると、昨日のことです。5時過に教室に入りました。電気をつけるかつけないのうちに中1が登場。「どうしたの?」と聞くと「家じゃ無理だから」という返事でした。なんと座ったかと思うと、宿題に取り組み始めました。すぐ2人めも、そして次々と。どうやら宿題とは家でするものではなく、間際になって塾でやるものらしいです。7時の授業の始まりには、ほとんどの子が宿題をクリヤーしていました。

宿題の 言葉の意味も 知らずして 塾に来てから やっつけ仕事

全国学力テストについて思うこと

全国学力テストで、記述、思考は苦手との結果が出たとの事、当たり前だと思っているのは、私だけではないでしょう。応用問題で、々駑、∋篶、8立の順番で差が出たとの事、読書に力を入れている学校と、そうでない学校の差が出たのではないでしょうか。塾生も、国語の記述は白紙で出す子も多くなっています。また、数学の文章問題も苦手で、式を立てることができない子が半分を占めます。英語も同様に問題を読み取れないため、長文は白紙になってしまうようです。すべて国語力のなさが起点になっている事を生徒たちが感じて、読書にいそしんでもらいたいものです。

携帯の 操作は抜群 字は苦手 本を読むより メールが大好き

世界は遠いのか近いのか?

今朝、息子に電話するつもりで、間違えて、娘に電話してしまった私です。娘は寝ぼけ声で電話に出たらしく、主人がどっちにかけたんだと怒鳴っていました。タイにいる娘の時差は2時間、ドイツにいる息子の時差は8時間なのです。可愛そうに娘は朝の5時から電話で起こされてしまったようです。私は週に1、2回、海外に電話をするのでスカイプというインターネット電話を使っているため、最後の4桁の番号だけが違うのです。海外にいる子供にリアルタイムで電話ができるというのは、昔では考えられなかったことです。でも親としての私はあっちが何時、こっちが何時と常に把握していなければならbないので面倒なことです。しかも留守だと、一方はタイ語、もう一歩はドイツ語というわけの分らない言葉が流れてきます。おかげで違いますとか、通じません、あとでかけなおしてくださいという言葉を覚えてしまうという始末です。この広い世界の中で自由に会話できる、国際電話、なんと便利で扱いづらいものなのでしょう。

世界中 どこでもできる 電話でも 時間の把握 できないようだ

先生に収穫祭からプレゼント

昨日、去年大学に入った生徒が現れました。先生、今度収穫祭があるので何がいい?彼は去年高校に入ってからどうしても入りたかった大学に無事合格した生徒です。そしてはじめての学園祭、その喜びを私にも分けてくれようというのです。「ジャムが良かったっけ、それともハムがいい?」「イチゴジャムがいい。ハムはロースハムね!太るかな?」そんな会話をしながら彼の優しさが胸に迫ってきました。私にとってはいくつになっても生徒、教えるのに苦労した彼しか浮かんで着ません。でも彼は外の世界でだんだん成長していっているのでしょう。

分かれ道 大人になるため 進んでいく 生徒の前に 明るい道を

英語馬鹿?

近頃の若い人を見ていると、英語のできる人は賢い人、できない人は馬鹿な人と言うような風潮も見られるようです。うちの講師にもアメリカに憧れ、アメリカはすべて素晴らしい、日本はアメリカを見習わなければならないというような考え方の者もいます。英語は単なるコミュニケーションの手段であってそれが知識ではないことを知って欲しいと思います。日本の誇る、森鴎外、夏目漱石の類の本は読んだこともない、ことわざ、格言の類は何も知らない、日常の言葉使いも怪しい、そういう若い人を見ているとこれからの日本はどうなっていくのか憂慮に堪えません。日本人が祖先から受け継いだ礼の気持ちを忘れ、アメリカかぶれした英語に満足し、敬語すら使えない、いわゆる新人類の増加が少しでも減るようにと考える私こそ、時代遅れと言えるのでしょうか。

伝統を 生かして進む 謙虚さを 持ち続けて 欲しい若者

風邪がはやっています

暑い夏が終わったと思ったら急に秋の気配が濃厚になってきました。北の国からは雪の便りもちらほらと聞こえてきています。と思ったら風邪で休む生徒がどんどん増えてきています。各クラスに2,3人欠席が出てきました。生徒たちの服装も急に冬支度に変わりつつあるのですが、厚着をしてかえって風邪を引いている子もいるようです。朝晩の気温がひどく差が出てきているせいでしょうか。そろそろ推薦入試を控えている高3生は特に体に気を配って欲しいものです。

暑さから 急に出てきた 秋の気配 体調整え 試験に臨んで

今時の若者

ボクシングの亀田一家に制裁が下されました。ちょっと前の話ですが10月10日付けの勇敢に「倫理」欠く世相にショックという記事が載っていました。その中で「恥じる」という日本古来の美徳と「矜持」という人間の自信と誇りを失い自分以外の人のことを考える「想像力」、つまり「倫理」を欠いた日本人が増えてきたように思えてならないと述べていました。「矜持」、この言葉を果たして今の若者は知っているであろうか。他人の言動にやすやすと従い自分を持たない若者がどれだけ存在するかは分らない。その中の一員である亀田兄弟も父親から離れて他人の下で修行をすることによって人として成長して行くのではないかと思う。

人として 誇りを持って つき進め 若さの価値を もっと見つめて

戦いすんで日が暮れて

各中学校の中間試験がやっと終わりました。高校生を残していますがなんと言っても人数が違うのでほっとした気持ちです。喜んでいる子、後悔している子、相変わらずですが若い先生に任していた中1はかなりやられてしまいました。優しさと厳しさ、その両方を兼ね備えることはかなり難しいようです。ちょっと甘やかすとサボりだすし、生徒に嫌われないようにしようと思うと甘やかすしかないと思ってしまうみたいです。厳しく、しかも優しく、説明は分りやすく、簡単のようですが意外と難しいものです。

厳しさと 優しさの区別 難しく 自分で学ぶ 大事なものだ

ボクシングといじめ

今週内藤選手と亀田選手のフライ級タイトルマッチの結果を仕事より帰って主人に聞いた。「内藤の勝ち」だよという言葉についにんまりした私だった。今時の子供の亀田君はどちらかといえば好きなほうだが一回り以上年上の内藤選手を呼び捨てにする非常識さに今回はぜひ負けて欲しいと思ったからだ。
 ところでその内藤選手がいじめを受けた事がボクシングを始めるきっかけだと言っていた。私にも同様の経験があった。ある日高校生の男子生徒が夕方塾にやってきた。「ボス、今日おれ学校休んじゃった。横浜いってきたんだ。」「何したの?」「海見た」「ふ〜ん、明日学校いきなよ。」「うん」それだけの会話だった。その後聞いてみると学校でかなりのいじめにあっていたらしい。もちろん親は知らない。しばらくして「ボクシングやりたいんだけどおふくろに言ってくれる?反対されているんだ。」と言ってきた。そうお母さんは理由を知らないからそんな野蛮なことはやめろと言っているらしい。理由をつげないまま母親の説得に成功し、彼はボクシングジムに通うことになった。高3の受験期になった彼はボクシングをやめたがその後いじめにはあわなくなったという。自分が強くなったことで耐えることもできたのだろう。その後6大学といわれる大学にかなりの成績で合格も果たした。青春の1時期、弱さに負けず自分の道を選んだ彼を私は誇らしく思う。

耐えながら 選んだ道を まっしぐら 青春ゆえの ひたむきさに
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
Archives
.
.
  • ライブドアブログ